・瀬戸内シージャック事件(Wikipedia)
私くらいの世代であれば上記リンク先で書かれている「瀬戸内シージャック事件」について知らない方々が多いかと思われます。この事件の概要を簡単に話すと、盗難車両で運転中に検問に引っかかった当時20歳だった犯人は仲間らと逃走し、その逃走中に銃砲店を襲ってライフルなど銃器を強奪すると広島港に停泊中だった「ぷりんす号」を襲って乗客、船員を乗せたまま乗っ取りました。その後犯人は途中で乗客を解放したものの船員は人質にし続け、何度も発砲(散弾は64発、ライフル銃弾は50発)しながら海上で篭城を続けていましたが、最終的にはその存在すら隠されていた大阪府警の狙撃部隊によって射殺されて落着しました。
この事件がどのような影響を与えたかと言うと、言うまでもありませんが犯人射殺の是非です。Wikipediaの記事によると当時の新聞はほとんどが「射殺もやむを得ない」と立場をとり、「あの」といったらなんですが朝日新聞ですら是認したそうです。しかしいつの世にもこういうのがいるもんだと言うべきか、自由人権協会のある弁護士によって犯人を狙撃した狙撃手が殺人罪で起訴されました。曰く、頭部ではなく手足などを狙えば十分であったのではという意見だったそうですが、最終的に裁判では県警らの正当防衛が認められて無罪とはなったものの、その後の犯人逮捕における銃使用条件に影響を与えたとされます。
この事件を踏まえて今回私が提起したい問題は、人質をとって立てこもる犯人を射殺するべきかどうかです。結論を言えば私は有無を言わさず即刻射殺するべきだという立場をとります。
私が何故このような立場をとるのかと言うと、人質をとって立てこもられた場合は人質自身の安否はもとより対応する警察も大きな危険にさらされるからです。いちいち挙げませんが主だった立てこもり事件では多くの殉職者が出ております。しかもこの手の事件は人質をとっている犯人側の立場が強く、食料などを要求することで事件が長期化することも少なく、長期化すればするほど人質の安全に影響する可能性を考えれば狙撃による犯人射殺という手段を積極的に採用するべきではないかと思います。
しかもこういった立てこもり事件についてさらに言えば、通常裁判というのはその犯罪を本当に行ったのかを審議する場所でありますが、立てこもり事件においては現行犯どころか現在進行で犯罪を続けているといっても過言ではなく、そもそも裁判なんて刷る必要があるのか疑問に感じます。量刑についてはまだ議論の余地がありますが死刑のハードルも下がっているのですし、いちいち裁判なんてせずに即刻犯人を射殺することは私はそれほど大きな問題ではないように考えます。そしてなにより、ここで私の主張する立てこもり犯に対する射殺が一般化することによってこんな馬鹿な真似する人間が出てこなくなることも期待できるのではないでしょうか。
なお私にとって印象的な立てこもり事件を上げるとすると、「西鉄バスジャック事件」が挙がって来ます。詳細はここでは語りませんが一人の女性を殺害した上にわずか6歳の女の子までも人質に取った犯人は既に社会復帰しているそうですが、私はこの犯人がのうのうと生きていることに腹が立つ上、あそこで狙撃することが出来ればどれだけ事件解決が簡単だったのだろうかと考えるといろいろと思うところがあります。
最後に、ここまで立てこもり犯の射殺を主張しながらでありますが今回引用した「瀬戸内シージャック事件」の記事の下部にあったこの記述に目を引かされました。
「1972年、連合赤軍の活動家が銃器で武装し人質をとって山荘内に立てこもったあさま山荘事件において警察は犯人を射殺せず全員逮捕した。この事件に関しては、「連合赤軍「あさま山荘」事件」(文藝春秋発行、著者佐々淳行)によると、当時の警察庁長官である後藤田正晴が「犯人は全員生け捕りにせよ。射殺すると殉教者になり今後も尾をひく」との考えから、機動隊は犯人の逮捕を前提に活動したとされている。」
ここで語られている「あさま山荘事件」は語るまでもない有名な事件で、犯人逮捕までに複数の殉職者が発生したことはもとより多数の警官が重傷を負いました。私のさっきの主張からするとこういう事件でこそ犯人射殺をするべきなのですが、殺しては殉教者になり後を引くという当時の後藤田正晴のこの発言は、政治家とはこういうものなのかと正直しびれました。結末を知っている人間からすればわかりやすいですがこの事件で犯人らが逮捕されたことを受けて直前の「山岳ベース事件」の全容が明らかになり、連合赤軍解体はもとより過激派に対する社会の見方も一変することとなりました。そのような観点からすれば後藤田正晴のこの対応は、多くの犠牲者が出てしまったことは誠に残念ではあるものの決して的はずれなものではなかったように思えます。
おまけ
私は今回取り上げた「瀬戸内シージャック事件」については昔にテレビで放映された番組(確か「女神の天秤」)で知りましたが、私の記憶では確かこの番組で犯人を狙撃したのは「国民にもその存在を隠されていた大阪府警の零中隊隊員」と報じられていたように思います。ただ現在のSATの前身となったその零中隊は1977年に創設され、シージャック事件が起きたのが1970年と考えると時期にずれがあり、最初はただの記憶違いかなと考えました。しかし、そもそも「零中隊」なんてかなり珍しい単語をどこで覚えたのか、しかもかなり鮮明にこのシージャック事件と記憶が結びついていることを考えるとただの記憶違いですっ飛ばしていいものか悩むので、詳細がわかる人がいればコメント欄にでも書いてください。
あとついでに書くと、現在のSATは本当に国民に完全内緒で創設され、これも今日ここで取り上げた「西鉄バスジャック事件」で初めてお見えした部隊です。なおかつとどめとばかりに書き込んでおくと、SATで初めて殉職者が出た事件は2007年の「愛知長くて立てこもり発砲事件」です。この事件も、私が犯人即射殺を主張する一つの材料となっております。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2011年6月11日土曜日
2011年6月8日水曜日
私の信頼度リスト(機関、団体編)
大分昔にやった信頼度リストネタを今日ふと思い出したので、今回は機関と団体に対して私の信頼度を紹介しようと思います。前置きは余計なので、早速どうぞ。
<信頼している>
・消防、レスキュー隊
・国税庁
・ジェトロ(日本貿易振興機構)
<半信半疑>
・自衛隊(防衛省)
・弁護士
・経済産業省
・財務省
・公安
・医師会
・BPO
<信頼していない>
・検察
・裁判所
・国土交通省
・文部科学省
・農林水産省
・環境省
・外務省
・日銀
・経団連
<論外>
・消費者庁
・厚生労働省
さらっと思いつくのはざっとこんなもんです。
いくつか解説すると、消防、レスキュー隊は激務な任務をしっかりこなしていることから私は高く評価しています。アメリカではものすごい評価されるのに対して日本だとちょっと影が薄いような気がするので、もっとみんな注目したほうがいいんじゃないかとすら思うほどの評価です。その次の国税庁は国の機関としては最も活動力というかいいところを突いてきておりこちらも高く評価しており、ジェトロについては前職が貿易屋だっただけにないと困ってしまう存在です。
自衛隊については当初は信頼のカテゴリーに入れようと考えていましたが、現場の隊員らについては疑いの余地なく信頼しているものの、バックの防衛省こと防衛利権というものは相当根深いと聞くのであえて半信半疑に落ち着かせました。そのほかはちょっと曖昧な感じにまとめていますが、やはりというか国の機関の大半は信頼していないのが我ながら浮き彫りとなりました。
最後に警察についてですが、警察は各県の県警ごとに性格が変わったりするので一緒くたに評価することはやめました。公安は入れてみたけど。警察に対する評価、というか問題あると思う県警を今度あたりに平成に起こった警察不祥事とともにまとめてみようかと企画中ですが、敢えてここで名指しで批判させてもらうと足利事件で冤罪を生み、なおかつ真相を闇に葬ろうとしている栃木県警はクズだと言わざるを得ません。その警察関係ですと現在日テレ記者の清水潔氏の取材力には脱帽するばかりで、このブログを読んでいる方々も是非、文芸春秋で毎号取り上げられる清水氏の足利事件追跡レポートを読んでほしいです。
<信頼している>
・消防、レスキュー隊
・国税庁
・ジェトロ(日本貿易振興機構)
<半信半疑>
・自衛隊(防衛省)
・弁護士
・経済産業省
・財務省
・公安
・医師会
・BPO
<信頼していない>
・検察
・裁判所
・国土交通省
・文部科学省
・農林水産省
・環境省
・外務省
・日銀
・経団連
<論外>
・消費者庁
・厚生労働省
さらっと思いつくのはざっとこんなもんです。
いくつか解説すると、消防、レスキュー隊は激務な任務をしっかりこなしていることから私は高く評価しています。アメリカではものすごい評価されるのに対して日本だとちょっと影が薄いような気がするので、もっとみんな注目したほうがいいんじゃないかとすら思うほどの評価です。その次の国税庁は国の機関としては最も活動力というかいいところを突いてきておりこちらも高く評価しており、ジェトロについては前職が貿易屋だっただけにないと困ってしまう存在です。
自衛隊については当初は信頼のカテゴリーに入れようと考えていましたが、現場の隊員らについては疑いの余地なく信頼しているものの、バックの防衛省こと防衛利権というものは相当根深いと聞くのであえて半信半疑に落ち着かせました。そのほかはちょっと曖昧な感じにまとめていますが、やはりというか国の機関の大半は信頼していないのが我ながら浮き彫りとなりました。
最後に警察についてですが、警察は各県の県警ごとに性格が変わったりするので一緒くたに評価することはやめました。公安は入れてみたけど。警察に対する評価、というか問題あると思う県警を今度あたりに平成に起こった警察不祥事とともにまとめてみようかと企画中ですが、敢えてここで名指しで批判させてもらうと足利事件で冤罪を生み、なおかつ真相を闇に葬ろうとしている栃木県警はクズだと言わざるを得ません。その警察関係ですと現在日テレ記者の清水潔氏の取材力には脱帽するばかりで、このブログを読んでいる方々も是非、文芸春秋で毎号取り上げられる清水氏の足利事件追跡レポートを読んでほしいです。
2011年6月7日火曜日
役に立たない学問を勉強する価値
このブログでは頻繁に歴史ネタを出すだけあって、プライベートでも私はかなりの歴史オタクです。そのせいか野球が好きな友人が出身地が甲子園の強い県かどうかで相手をリアルに値踏みするように、私も歴史が好きだという人間には無条件で信用してしまうところがあります。ただこれは野球や歴史に限らずとも、相似性といって似た趣味を持つ人間同士は仲良くなりやすい傾向がはっきりと確認されているので一般常識的にもおかしくはないでしょうが。
そんな歴史について逆に歴史が苦手だった人間からよく、「そんな役に立たないこと暗記してどうするの?」と聞かれたりします。確かに歴史を知っているからといって飯の種に出来るわけでなく、人生で役に立つと言っても思想面では本家本元の哲学や倫理学を勉強したほうが遥かに効果は高いです。それにも関わらず歴史をどうして学び続けるのかと言ったら、私は役に立たない学問だからこそだと主張します。
以前にも友人と歴史は勉強する価値があるのかというテーマで議論しましたが、結論としては、「少なくとも、歴史を勉強しようとする人は話しやすいよね」というところに落ち着きました。私が思うに歴史というのは確かに生活上何の役にも立たない学問ですが、そんな役にも立たないものに対しても興味を持てる人間というのは比較的自分から遠く離れたもの、経験したことがないものに対して抵抗が薄く、「自分とは関係ないから」といって切り捨てることなく寛容な人間が多いような気がします。同様に理系マイナー学問代表の天文学が好きな人も比較的多分野に興味を持つ人が多く、私にとってすれば話しやすい人が多いです。
逆に自ら専門分野を狭めようとしている人は私にとってすれば会話し辛く、今までの経験からもそのような人たちから何の意図もない発言をとられて「それってどういうことだよ」と突っかかられることが非常に多かったです。高校時代にはまさにそういう人間がおり、自分の受験する大学は国語の試験に漢文科目がないことから模試で「国語1」を受け、比較的高い偏差値を取って悦に入っておりましたが、上位校を受ける大半の受験生は「国語1・2」を受けるから何の指標にもならんよと言ったらまた突っかかってくるのが目に見えていたので敢えて黙ってました。
私が思うにあまり役に立たない学問を何故勉強するのかと言うと、多方面への興味を持つ訓練として必要だからだと思います。現在の大学教育においても、近年は文系でも専門化が進んできましたが、一般教養課程の重要性は大学人なら誰もが理解していると思いますし、私自身も貴重な時間だったと思います。ただ調子に乗って取り過ぎて、卒業時に160単位を超えていたのはやり過ぎでしたが。単位未認定を含めれば180単位に近かったし。
学問に限らず多趣味であることは相手を評価する上で非常に好意的な材料だと思います。ただ最近は何か一つで大きな成果なり知見が求められ、特に就職面接では具体的なエピソードを要求されるなどして何か一つへの特化が社会的にも強く求められているような気がします。昔なんかは誰がこんな社会にしたんだと憤懣やるかたありませんでしたが、この年になると何故今になっても変えられないのだろうと、自分の無力さを感じることのが増えてきました。
おまけ
先週にやけに日本のサイトにつながらないと書きましたが、すっかり忘れてましたが6月初旬は天安門事件記念日があり、中国政府がピリピリしている頃で、そのせいで海外へのアクセスが制限されていたようです。
おまけ2
初対面の人間を相手にする際、歴史好きかどうかに加え動物好きかどうかでも結構値踏みします。動物好きな人には悪い人は少ないように感じますし。
そんな歴史について逆に歴史が苦手だった人間からよく、「そんな役に立たないこと暗記してどうするの?」と聞かれたりします。確かに歴史を知っているからといって飯の種に出来るわけでなく、人生で役に立つと言っても思想面では本家本元の哲学や倫理学を勉強したほうが遥かに効果は高いです。それにも関わらず歴史をどうして学び続けるのかと言ったら、私は役に立たない学問だからこそだと主張します。
以前にも友人と歴史は勉強する価値があるのかというテーマで議論しましたが、結論としては、「少なくとも、歴史を勉強しようとする人は話しやすいよね」というところに落ち着きました。私が思うに歴史というのは確かに生活上何の役にも立たない学問ですが、そんな役にも立たないものに対しても興味を持てる人間というのは比較的自分から遠く離れたもの、経験したことがないものに対して抵抗が薄く、「自分とは関係ないから」といって切り捨てることなく寛容な人間が多いような気がします。同様に理系マイナー学問代表の天文学が好きな人も比較的多分野に興味を持つ人が多く、私にとってすれば話しやすい人が多いです。
逆に自ら専門分野を狭めようとしている人は私にとってすれば会話し辛く、今までの経験からもそのような人たちから何の意図もない発言をとられて「それってどういうことだよ」と突っかかられることが非常に多かったです。高校時代にはまさにそういう人間がおり、自分の受験する大学は国語の試験に漢文科目がないことから模試で「国語1」を受け、比較的高い偏差値を取って悦に入っておりましたが、上位校を受ける大半の受験生は「国語1・2」を受けるから何の指標にもならんよと言ったらまた突っかかってくるのが目に見えていたので敢えて黙ってました。
私が思うにあまり役に立たない学問を何故勉強するのかと言うと、多方面への興味を持つ訓練として必要だからだと思います。現在の大学教育においても、近年は文系でも専門化が進んできましたが、一般教養課程の重要性は大学人なら誰もが理解していると思いますし、私自身も貴重な時間だったと思います。ただ調子に乗って取り過ぎて、卒業時に160単位を超えていたのはやり過ぎでしたが。単位未認定を含めれば180単位に近かったし。
学問に限らず多趣味であることは相手を評価する上で非常に好意的な材料だと思います。ただ最近は何か一つで大きな成果なり知見が求められ、特に就職面接では具体的なエピソードを要求されるなどして何か一つへの特化が社会的にも強く求められているような気がします。昔なんかは誰がこんな社会にしたんだと憤懣やるかたありませんでしたが、この年になると何故今になっても変えられないのだろうと、自分の無力さを感じることのが増えてきました。
おまけ
先週にやけに日本のサイトにつながらないと書きましたが、すっかり忘れてましたが6月初旬は天安門事件記念日があり、中国政府がピリピリしている頃で、そのせいで海外へのアクセスが制限されていたようです。
おまけ2
初対面の人間を相手にする際、歴史好きかどうかに加え動物好きかどうかでも結構値踏みします。動物好きな人には悪い人は少ないように感じますし。
eBookjapanからの返信
前の「電子書籍、想定外の値上げ」の記事中で書いたeBookjapanの値上げについて、本日eBookjapanより返信を受け取りました。何でも「重要なお知らせ」にて今回槍玉に挙げた「でろでろ」を含む講談社の本を値上げすると前々から書いていたようで、私が見落としていただけだったようです。返信内容を読む限りですとどうも講談社との契約改定か何かで値上げになったような感じで、出版社側による値上げだった可能性が高いと見ております。
どちらにしろ定価540円の本を525円で電子書籍で買う気は起きず、eBookjapanには悪いですが「でろでろ」の続きは買わないことにします。なんていうか、どこかある出版社が電子書籍で価格を実書籍定価のから大幅に割り引いた価格で販売するところが出てきたら一気に広がりそうな感覚があるのですが、まだちょっと遠いようです。
どちらにしろ定価540円の本を525円で電子書籍で買う気は起きず、eBookjapanには悪いですが「でろでろ」の続きは買わないことにします。なんていうか、どこかある出版社が電子書籍で価格を実書籍定価のから大幅に割り引いた価格で販売するところが出てきたら一気に広がりそうな感覚があるのですが、まだちょっと遠いようです。
2011年6月5日日曜日
電子書籍を阻むものは誰なのか
電子書籍ネタ三投目。狙ったわけではありませんがなんか集中しました。
さて以前にも私はこのブログにて、かつてIT大手数社と出版社などが日本でも電子書籍を広めようとしたところ突然出版社側が「やっぱ今のなし!」って言って大きく広がらなかった例を引用し、出版社側は電子書籍の普及に乗り気でなくむしろ反動的なのではと書きましたが、この考えに大きな変化はないものの最近になってもうひとつ気になる要素が出てきました。
私は当初、出版社側は電子書籍が普及すると売り上げが減る可能性があるから手を引いたのかと書きましたが、どうもあちこちから話を聞いていると販売数が減ること以上に、印刷会社との軋轢から手を引いたのではという考えが強くなってきました。考えても見ると電子書籍化して確かに実書籍の販売は間違いなく減るものの、その分電子書籍の販売が大きく伸びれば出版社側は今までどおりとは行かないまでもまだ何とかやっていけます。しかし印刷会社側にとっては実書籍から電子書籍に切り替われば仕事は完全になくなるだけで、それこそ出版社側が電子書籍に移行しようとするものならそれを必死で阻止するのではないかと思います。
出版社側も現状では印刷会社が本を刷ってくれてなんぼで、下手に関係を悪くして校了時間とか融通利かせてくれなくなったらまずいところでしょう。そういう意味で出版社側が電子書籍に対してどうも本腰を挙げないのは、あくまで勝手なよそうですが印刷会社との関係があるからではないかと思った次第です。
ただ予想と言いつつもそのような節が全くないわけでなく、いくつかそれらしき根拠はあります。ひとつは前の記事で書いた文系春秋の電子版で、こちらは海外居住者にしか購入することが出来ず国内では見ることが出来ません。こうすれば日本の印刷会社は何も困ることはありません。
もうひとつは日経新聞の電子版で、こちらは電子版だけでも取る事が出来ますが通常の紙媒体での契約より料金は高く設定されており、そのかわり紙媒体でも新聞を取っていたら電子版は非常に安価な契約料金で取る事が出来ます。日経新聞の電子版が出た際にこの価格設定について私はやはり新聞会社は紙にこだわるんだなと考えていましたが、改めて考えてみると印刷会社(新聞屋)を気にしてのこの対応だったのかもしれません。
その上、さっきから自分の考えをまくし立てていますがもうひとつ気になることとして、電子書籍での広告の扱いが今後どうなっていくかがまだ未知数です。昨日の記事でも書きましたが文芸春秋の電子版には広告欄が消されておりました。まぁ海外で配信するのだから契約とかいろいろあるんだろうし納得は出来るんですが、案外この広告の取り扱いでも出版社は電子書籍二の足を踏んでいるのかもとすこし思うところがあります。
たとえば新聞では朝日や読売といった全国誌には全国で載せられる広告もあれば地方ごとの広告もあります。しかし電子書籍となるとまず以って地方ごとの広告はつけ辛くなり、事実上の地方切捨てとなってただでさえ広告主が減っている現況をさらに悪化させる可能性があります。
さらに電子書籍で出版社や新聞社が困ってしまうのは、実部数が完全に丸わかりとなってしまう点です。これもちょっと前に記事にしましたが日本の新聞社はそれぞれ勝手に販売部数を自称して一日あたりの閲覧者数を割り出し、企業から受け取る広告料の算定をしております。しかしどの新聞社も押紙といって実際には販売されない分まで刷ってこの部数を水増ししており、仮に電子書籍に大きく移行でもしたら電子媒体ゆえにかなり正確な部数が判明してしまい、今までのように部数を水増しして多めに広告料を取る事が出来なくなってしまいます。
しかもさらに懐の痛いところは、広告の効果までデータ化されてわかってしまう点です。利用者ならわかると思いますがAmazonなどでは利用者の過去の購入履歴をすべてデータ化して利用者ごとにおすすめ商品を提示してきて、私の場合は水木しげる氏の本がずらっと並んでなんだかなぁって気がするのですがそれはこの際置いといて、どの利用者にどのような商品が売れるのかといった統計が完全に出来上がっています。これは広告にも応用されており、その広告をどのような人へ、どれくらい、どんな場所で見せれば販売に結びつくかなども全部調べ上げられており、それゆえに米国の広告業界などはGoogleなどを目の敵にしているそうですが、電子書籍化した場合にその本につけられる広告もこのようにデータ化され、載せたところで意味のない広告なんかもはっきりしてしまうでしょう。
こういった点から考えると、やはり出版社や新聞社からすると電子書籍はまだ未知の部分が明らかに多い分野で、少なくとも積極低に乗り込む世界と思わないのは自然な気がします。ただ先ほどの広告に関しますと、多分もう出来ていると思いますけど利用者ごとにあった広告が電子書籍中にも自動的に表示されるシステムなどを利用すればまだ未来がある部分もあります。もっとも今よりかは確実に広告料は減るだろうけど。
最後に私事ですが、どうも先週から中国から日本へのインターネットアクセス環境が悪くなっております。30分くらい完全につながらなかったりすることが頻繁にあり、前もブログ記事を書き上げたのに送信が出来ないことがありました。スカイプはずっと使えるし中国のサイトにはアクセスできるのだから今のインターネット環境が悪いというわけではないと思いますが、今度世界でプロトコルが更新されるのと関係があるのだろうか……。
さて以前にも私はこのブログにて、かつてIT大手数社と出版社などが日本でも電子書籍を広めようとしたところ突然出版社側が「やっぱ今のなし!」って言って大きく広がらなかった例を引用し、出版社側は電子書籍の普及に乗り気でなくむしろ反動的なのではと書きましたが、この考えに大きな変化はないものの最近になってもうひとつ気になる要素が出てきました。
私は当初、出版社側は電子書籍が普及すると売り上げが減る可能性があるから手を引いたのかと書きましたが、どうもあちこちから話を聞いていると販売数が減ること以上に、印刷会社との軋轢から手を引いたのではという考えが強くなってきました。考えても見ると電子書籍化して確かに実書籍の販売は間違いなく減るものの、その分電子書籍の販売が大きく伸びれば出版社側は今までどおりとは行かないまでもまだ何とかやっていけます。しかし印刷会社側にとっては実書籍から電子書籍に切り替われば仕事は完全になくなるだけで、それこそ出版社側が電子書籍に移行しようとするものならそれを必死で阻止するのではないかと思います。
出版社側も現状では印刷会社が本を刷ってくれてなんぼで、下手に関係を悪くして校了時間とか融通利かせてくれなくなったらまずいところでしょう。そういう意味で出版社側が電子書籍に対してどうも本腰を挙げないのは、あくまで勝手なよそうですが印刷会社との関係があるからではないかと思った次第です。
ただ予想と言いつつもそのような節が全くないわけでなく、いくつかそれらしき根拠はあります。ひとつは前の記事で書いた文系春秋の電子版で、こちらは海外居住者にしか購入することが出来ず国内では見ることが出来ません。こうすれば日本の印刷会社は何も困ることはありません。
もうひとつは日経新聞の電子版で、こちらは電子版だけでも取る事が出来ますが通常の紙媒体での契約より料金は高く設定されており、そのかわり紙媒体でも新聞を取っていたら電子版は非常に安価な契約料金で取る事が出来ます。日経新聞の電子版が出た際にこの価格設定について私はやはり新聞会社は紙にこだわるんだなと考えていましたが、改めて考えてみると印刷会社(新聞屋)を気にしてのこの対応だったのかもしれません。
その上、さっきから自分の考えをまくし立てていますがもうひとつ気になることとして、電子書籍での広告の扱いが今後どうなっていくかがまだ未知数です。昨日の記事でも書きましたが文芸春秋の電子版には広告欄が消されておりました。まぁ海外で配信するのだから契約とかいろいろあるんだろうし納得は出来るんですが、案外この広告の取り扱いでも出版社は電子書籍二の足を踏んでいるのかもとすこし思うところがあります。
たとえば新聞では朝日や読売といった全国誌には全国で載せられる広告もあれば地方ごとの広告もあります。しかし電子書籍となるとまず以って地方ごとの広告はつけ辛くなり、事実上の地方切捨てとなってただでさえ広告主が減っている現況をさらに悪化させる可能性があります。
さらに電子書籍で出版社や新聞社が困ってしまうのは、実部数が完全に丸わかりとなってしまう点です。これもちょっと前に記事にしましたが日本の新聞社はそれぞれ勝手に販売部数を自称して一日あたりの閲覧者数を割り出し、企業から受け取る広告料の算定をしております。しかしどの新聞社も押紙といって実際には販売されない分まで刷ってこの部数を水増ししており、仮に電子書籍に大きく移行でもしたら電子媒体ゆえにかなり正確な部数が判明してしまい、今までのように部数を水増しして多めに広告料を取る事が出来なくなってしまいます。
しかもさらに懐の痛いところは、広告の効果までデータ化されてわかってしまう点です。利用者ならわかると思いますがAmazonなどでは利用者の過去の購入履歴をすべてデータ化して利用者ごとにおすすめ商品を提示してきて、私の場合は水木しげる氏の本がずらっと並んでなんだかなぁって気がするのですがそれはこの際置いといて、どの利用者にどのような商品が売れるのかといった統計が完全に出来上がっています。これは広告にも応用されており、その広告をどのような人へ、どれくらい、どんな場所で見せれば販売に結びつくかなども全部調べ上げられており、それゆえに米国の広告業界などはGoogleなどを目の敵にしているそうですが、電子書籍化した場合にその本につけられる広告もこのようにデータ化され、載せたところで意味のない広告なんかもはっきりしてしまうでしょう。
こういった点から考えると、やはり出版社や新聞社からすると電子書籍はまだ未知の部分が明らかに多い分野で、少なくとも積極低に乗り込む世界と思わないのは自然な気がします。ただ先ほどの広告に関しますと、多分もう出来ていると思いますけど利用者ごとにあった広告が電子書籍中にも自動的に表示されるシステムなどを利用すればまだ未来がある部分もあります。もっとも今よりかは確実に広告料は減るだろうけど。
最後に私事ですが、どうも先週から中国から日本へのインターネットアクセス環境が悪くなっております。30分くらい完全につながらなかったりすることが頻繁にあり、前もブログ記事を書き上げたのに送信が出来ないことがありました。スカイプはずっと使えるし中国のサイトにはアクセスできるのだから今のインターネット環境が悪いというわけではないと思いますが、今度世界でプロトコルが更新されるのと関係があるのだろうか……。
2011年6月4日土曜日
文芸春秋の電子版について
ひとつ前の記事に続いてまた電子書籍についてです。
すでに私が八年間も購読している文芸春秋が今年二月になり、電子書籍を出すようになりました。このニュースは昨年から中国で働き始めた私にとっても朗報で、海外でも読めるというのであればありがたいことこの上ないとかねてからいろいろと情報を集めていました。
ただ先月号まではちょうど日本からあれこれ物を贈ってもらう際に通常書籍版を混ぜてもらってたので、買う必要に迫られることはありませんでした。ただ現在本屋に置かれている6月号に関しては未だ通常書籍で手に入れておらず、なおかつこの後も手に入る予定がなかったことから一つ試してみようとすでに調査済みの電子書籍販売サイトに今日行って見ました。
文芸春秋の電子版は現在三つのサイトで販売されており、そのうち一つはAppstoreなのでアップルの周辺機器を持っていない私では利用することが出来ず、もうひとつのzinioというサイトは当該地域の各国語で表示され、なおかつ支払い方法が人民元になることからこちらも外し、最終的にマガストアというサイトを経由して購入することにしました。
こちら電子版の文芸春秋は海外居住者にしか販売されておらず、値段も日本での通常書籍版860円に対して1000円です。前回の記事では散々値段について文句を言いましたがこちらは月刊誌なんだし、海外居住者限定ということでこの値段についてはそれほど不満はありません。第一、前回記事で不満だったのは勝手に値上げされたことだし。
ただ購入する直前、いくつか気になることがありました。折角なので下記に列挙します。
1、ダウンロードは問題なく行えるか
2、データの管理はどうなのか
3、パソコン画面上だと読み辛くはないか
当たり前と言えば当たり前の心配で、もしよければ誰か感想を書いてこの辺がわかればいいなとあらかじめ探しはしたのですが、結局どこもなかったので結局自分が人身御供とばかりにこの際1000円払って確かめてみました。
まず一番目のダウンロードについてですが、中国のインターネット環境は国内ならまだしも海外となると速度が不安定でなおかつアクセス禁止となっているサイトが多々あります。そういうのでダウンロードは問題なく行えるか、また時間がかかり過ぎやしないかと心配でしたが、これはノープロブレムでした。ダウンロードにかかる時間はせいぜい2、3分程度で、恐らく電子書籍を見るためのビューアーを開くのに2、3分程度かかるだけでした。ただこれは逆に言うと1ページ開くごとにそのページデータをいちいちダウンロードしているということで、これは後でも述べますがいちいちページをめくるたびにローディングが発生します。
次に二番目ですが、eBookjapanだと電子書籍データを丸ごとパソコンに入れてみようと思えばいつでもそのパソコンでタイムラグなしに読めるのですが、こちらのマガストアはいちいちデータをブラウザに送り込んで読む形式らしく、データは常にサーバー上にあるようです。この形式だとダウンロードに大幅に時間がかかるのではと心配してましたが、上記のように1ページごとなので問題ありませんでした。
三番目の心配ですが、これは見事的中でした。というより、マガストア自体の管理に疑問を覚えました。
基本的に電子書籍を見る際はそれぞれのサイトが用意したビューアーソフトが用意されており、eBookjapanのようにあらかじめ利用者のパソコンにインストールさせておくものもあれば、Flash playerを使ってブラウザ上で起動させるものもあります。私はこれまでにいくつかの電子書籍サイトでいろいろ試してみましたが比率的にはFlash playerを利用するものが多いように思えますが、見たい時にタイムラグなし、しかもネットに接続する必要もないeBookjapanの「edi.BookReader」が今のところ不満もなく一番満足するソフトです。
それで今回のマガストアのビューアーなのですが、正直クラフトマンシップが何も感じられず、とりあえず見れるソフトを用意しただけというひどいレベルのものでした。まず一番不満なのはページの拡大率で、ただでさえ文芸春秋は縦書き三段で文字がびっしりしている雑誌の上にノートPCの画面で見るのだから相当拡大しないと文字が読み取れないのですが、かなり腹立つことにページを切り替えるたびに拡大率が初期設定(120%)に戻されてしまいます。私の所感だと最低でも200%位じゃないと読めないのに、ページをめくるたびにマウスホイール動かして拡大率を変えるのはかなり面倒です。さらにこの拡大率、直接入力すればどの拡大率でも反映されますがマウスホイールだと100%→120%→140%……と20%ずつ増えていくのに何故だか200%の次はいきなり300%に飛びます。個人的には240%くらいがベターだと思うのに。
あまりプログラムの知識がないにもかかわらずこういうこと書くのは良くないかもしれませんが、拡大率の維持くらいちょっと弄くればすぐ出来るようなことなんじゃないかと思います。しかもマガストアはどうもこの拡大率の維持がされないという問題を認識しているにもかかわらず放っておいてる節があり、サイトのFAQを見てみるとiphoneやipadについては対策を書いているにもかかわらずPCについてはノーコメントです。これ間違いなくわかってて放置してるだろ。
はっきり言って、拡大率が維持できない電子書籍のビューアーに出会ったのはのはこれが初めてです。さらに言えばほかのどのビューアも画面左側で左クリックすれば次のページ、右側なら前のページに移動して当たり前なのに、このマガストアのビューアはそんな機能すらなく下部にあるボタンをいちいち押さないといけません。挙句の果てにはコンフィグメニューすらなく、間違いなく最低レベルのビューアーと言っていいでしょう。
さらには1ページごとにデータをダウンロードするので、起動時には時間がかからないもののページを切り替えるたびに少々ローディングが必要になります。そんな時間がとられるわけじゃないですがさすがに毎ページでこれが続くのかと考えるとちょっとうんざりしてきて、結局数ページ見ただけで今のところ止めてます。
こんな具合でよくこんな体制でサービスを開始できたものだと結構呆れていたのですが、よくよくヘルプページを見てみると運営主体が電通だと書いてあって「だからか」と得心しました。あのセカンドライフをごり押ししただけあって如何にも電子書籍サイトを形だけで作っただけのようで、どうも真面目に運営する態度が見られません。文芸春秋社も、もう少し相手を選べよ。
と、愚痴が多くなりましたが今回の件は全く収穫がなかったわけじゃなく、ちょっと気になるトピックがいくつか出てきました。何が気になったかというと電子書籍版の文芸春秋は恐らく通常書籍版では広告が載せられていたと思われる箇所が空白(文芸春秋社の会社ロゴだけついてる)になっており、ふと「電子書籍の広告はどうなるのだろうか」という疑問がもたげてきました。この辺については次回の記事にて別トピックとともに取り上げます。
あと文芸春秋では毎号ペットと作家が一緒に写真撮って載るコラムがあって今月は佐藤優氏でしたが、「猫は人と違って裏切らない」と確信犯的に笑わせてきてました。それにしてもこの人、猫飼いすぎ。
すでに私が八年間も購読している文芸春秋が今年二月になり、電子書籍を出すようになりました。このニュースは昨年から中国で働き始めた私にとっても朗報で、海外でも読めるというのであればありがたいことこの上ないとかねてからいろいろと情報を集めていました。
ただ先月号まではちょうど日本からあれこれ物を贈ってもらう際に通常書籍版を混ぜてもらってたので、買う必要に迫られることはありませんでした。ただ現在本屋に置かれている6月号に関しては未だ通常書籍で手に入れておらず、なおかつこの後も手に入る予定がなかったことから一つ試してみようとすでに調査済みの電子書籍販売サイトに今日行って見ました。
文芸春秋の電子版は現在三つのサイトで販売されており、そのうち一つはAppstoreなのでアップルの周辺機器を持っていない私では利用することが出来ず、もうひとつのzinioというサイトは当該地域の各国語で表示され、なおかつ支払い方法が人民元になることからこちらも外し、最終的にマガストアというサイトを経由して購入することにしました。
こちら電子版の文芸春秋は海外居住者にしか販売されておらず、値段も日本での通常書籍版860円に対して1000円です。前回の記事では散々値段について文句を言いましたがこちらは月刊誌なんだし、海外居住者限定ということでこの値段についてはそれほど不満はありません。第一、前回記事で不満だったのは勝手に値上げされたことだし。
ただ購入する直前、いくつか気になることがありました。折角なので下記に列挙します。
1、ダウンロードは問題なく行えるか
2、データの管理はどうなのか
3、パソコン画面上だと読み辛くはないか
当たり前と言えば当たり前の心配で、もしよければ誰か感想を書いてこの辺がわかればいいなとあらかじめ探しはしたのですが、結局どこもなかったので結局自分が人身御供とばかりにこの際1000円払って確かめてみました。
まず一番目のダウンロードについてですが、中国のインターネット環境は国内ならまだしも海外となると速度が不安定でなおかつアクセス禁止となっているサイトが多々あります。そういうのでダウンロードは問題なく行えるか、また時間がかかり過ぎやしないかと心配でしたが、これはノープロブレムでした。ダウンロードにかかる時間はせいぜい2、3分程度で、恐らく電子書籍を見るためのビューアーを開くのに2、3分程度かかるだけでした。ただこれは逆に言うと1ページ開くごとにそのページデータをいちいちダウンロードしているということで、これは後でも述べますがいちいちページをめくるたびにローディングが発生します。
次に二番目ですが、eBookjapanだと電子書籍データを丸ごとパソコンに入れてみようと思えばいつでもそのパソコンでタイムラグなしに読めるのですが、こちらのマガストアはいちいちデータをブラウザに送り込んで読む形式らしく、データは常にサーバー上にあるようです。この形式だとダウンロードに大幅に時間がかかるのではと心配してましたが、上記のように1ページごとなので問題ありませんでした。
三番目の心配ですが、これは見事的中でした。というより、マガストア自体の管理に疑問を覚えました。
基本的に電子書籍を見る際はそれぞれのサイトが用意したビューアーソフトが用意されており、eBookjapanのようにあらかじめ利用者のパソコンにインストールさせておくものもあれば、Flash playerを使ってブラウザ上で起動させるものもあります。私はこれまでにいくつかの電子書籍サイトでいろいろ試してみましたが比率的にはFlash playerを利用するものが多いように思えますが、見たい時にタイムラグなし、しかもネットに接続する必要もないeBookjapanの「edi.BookReader」が今のところ不満もなく一番満足するソフトです。
それで今回のマガストアのビューアーなのですが、正直クラフトマンシップが何も感じられず、とりあえず見れるソフトを用意しただけというひどいレベルのものでした。まず一番不満なのはページの拡大率で、ただでさえ文芸春秋は縦書き三段で文字がびっしりしている雑誌の上にノートPCの画面で見るのだから相当拡大しないと文字が読み取れないのですが、かなり腹立つことにページを切り替えるたびに拡大率が初期設定(120%)に戻されてしまいます。私の所感だと最低でも200%位じゃないと読めないのに、ページをめくるたびにマウスホイール動かして拡大率を変えるのはかなり面倒です。さらにこの拡大率、直接入力すればどの拡大率でも反映されますがマウスホイールだと100%→120%→140%……と20%ずつ増えていくのに何故だか200%の次はいきなり300%に飛びます。個人的には240%くらいがベターだと思うのに。
あまりプログラムの知識がないにもかかわらずこういうこと書くのは良くないかもしれませんが、拡大率の維持くらいちょっと弄くればすぐ出来るようなことなんじゃないかと思います。しかもマガストアはどうもこの拡大率の維持がされないという問題を認識しているにもかかわらず放っておいてる節があり、サイトのFAQを見てみるとiphoneやipadについては対策を書いているにもかかわらずPCについてはノーコメントです。これ間違いなくわかってて放置してるだろ。
はっきり言って、拡大率が維持できない電子書籍のビューアーに出会ったのはのはこれが初めてです。さらに言えばほかのどのビューアも画面左側で左クリックすれば次のページ、右側なら前のページに移動して当たり前なのに、このマガストアのビューアはそんな機能すらなく下部にあるボタンをいちいち押さないといけません。挙句の果てにはコンフィグメニューすらなく、間違いなく最低レベルのビューアーと言っていいでしょう。
さらには1ページごとにデータをダウンロードするので、起動時には時間がかからないもののページを切り替えるたびに少々ローディングが必要になります。そんな時間がとられるわけじゃないですがさすがに毎ページでこれが続くのかと考えるとちょっとうんざりしてきて、結局数ページ見ただけで今のところ止めてます。
こんな具合でよくこんな体制でサービスを開始できたものだと結構呆れていたのですが、よくよくヘルプページを見てみると運営主体が電通だと書いてあって「だからか」と得心しました。あのセカンドライフをごり押ししただけあって如何にも電子書籍サイトを形だけで作っただけのようで、どうも真面目に運営する態度が見られません。文芸春秋社も、もう少し相手を選べよ。
と、愚痴が多くなりましたが今回の件は全く収穫がなかったわけじゃなく、ちょっと気になるトピックがいくつか出てきました。何が気になったかというと電子書籍版の文芸春秋は恐らく通常書籍版では広告が載せられていたと思われる箇所が空白(文芸春秋社の会社ロゴだけついてる)になっており、ふと「電子書籍の広告はどうなるのだろうか」という疑問がもたげてきました。この辺については次回の記事にて別トピックとともに取り上げます。
あと文芸春秋では毎号ペットと作家が一緒に写真撮って載るコラムがあって今月は佐藤優氏でしたが、「猫は人と違って裏切らない」と確信犯的に笑わせてきてました。それにしてもこの人、猫飼いすぎ。
電子書籍、想定外の値上げ
かつてライブドアがニッポン放送買収を仕掛けた際にホリエモンが繰り返し「想定内」という言葉を使ったことから、この言葉は見事その年の流行語対象に選ばれることとなりました。ただ当時受けてた授業の講師も、「最近は想定外の時も想定内と言うようですね」と皮肉言ってたが。
翻ってみて今年、私は今度は「想定外」というこの言葉が目下の流行語大賞候補ではないかと見てます。かつてないほどの大震災に加え東電幹部らが繰り返し「想定外」という言葉を使って対応遅れの言い訳を使っているのはもとより、一昨日の不信任決議とその後の帰結も鳩山前首相や自民党にとって想定外といえるような事態で、なんか今後もこういうことがしばらく続きそうに感じるからです。
話は変わりますが本日、上海は日本の梅雨のようなシトシト雨日和で、予報だと明日も一日中降ってるようです。さすがに夕方からは気温も下がってきましたが昼間は蒸し暑くて外出する気も起きず家で不貞寝してましたが、暇つぶしに誰かいないものかとスカイプを開けても見事なくらいに誰もいなくて四六時中暇でした。そんなわけだから今度小銭が入ることとなったので、すこし贅沢して電子書籍で漫画を買い集めて読んでようかと思って昨日からいつも使っているeBookjapanを見てました。
すでに過去の記事でも言及してますが以前にもここから押切蓮介氏の「でろでろ」を買っており、今回も続きを買おうと検索してみたところ、何故だか知りませんが作者名でもタイトル名でも引っかかりません。しょうがないので全巻セットが確か出ていたからそこで五十音順に捜し出して開いてみると、一目して唖然としました。
「525円?( ゚д゚)」
私が以前、ってか先月に「でろでろ」の七巻と八巻を購入した際は一冊420円(税込み)だったところ、何故だかすべての巻で525円に価格が変わっていました。一体何故なんだ(#゚Д゚)、と思うのと同時にもしかしたらこの値上げが影響して先ほど検索に引っかからなかったのではないかという疑心が持ち上がってきました。
正直に言って、この値上げは私にとって不満この上ありません。確かに値段を決定するのは売り手の勝手ではあるものの予告もなしに、ついほんのちょっと前までに420円だった書籍を突然525円にするなんて今更買うのが馬鹿みたいに思えてきます。前もって予告してくれていたのであれば気に入った作品だっただけに全部買っておいたものを、ちょっと今回の値上げで買う気すら失せました。
第一、この値段自体ちょっと疑問符がつく値段です。Amazonを確認すればわかりますがこの本の定価は一冊540円で、eBookjapanの価格の525円とは15円しか差がありません。「でろでろ」自体は2009年に連載を終了しており、最終巻を含めて決して新しく出たばかりではないことを考えるとこの価格設定には首を傾げます。現在の状況のように海外にいて本がなかなか手に入らない状態でなければ、525円だと古本屋にでも行って買った方が絶対得だという気がしてなりません。
逆に、以前の420円という値段は陰ながら実は評価してました。そもそも印刷や物流コストがかからないのであるから電子書籍は一般販売より安くなければおかしく、出版されたばかりの本はまだ仕方ないと思うにしてもすでに古くなっている本についてはスマートフォンなどどの端末でも見られる利便性を考慮しても価格で競争して欲しいという気がします。そのような観点からすると「でろでろ」の420円という価格は古本以上新品以下という絶妙な価格で、さきほどの利便性を考えるなら適度な価格だという風に考えていました。本音を言えばもう少し安くしてくれたらうれしいんだけど。
ただ今回の妙な値上げは、eBookjapanに対して一気に不信感を持たせることとなりました。というのも「でろでろ」に限らず別の本でも時期によって知らないところで値上げが行われたりするのであれば、今買おうとするその本は以前はもっと安かったのではという疑念が付きまといます。言ってしまえば、値上げ後に買ってしまってたらいちいち馬鹿しいです。
仮にこれが時期によって在庫量が急変動する農水産物やコレクターグッズであれば気になりませんが、在庫なんて切れるはずのない電子書籍でこんなことされるなんて想定外もいいところです。さらに525円なんて価格だったら、日本で古本、いやこの際新品でAmazonで買った方が全然お得な気がします。いざとなれば他のものと一緒に、日本から友人に中国へまとめて送ってもらうことだって出来るんだし。
と、ここで愚痴を書くだけなら誰でも出来るので、折角だからこの件を直接eBookjapanに問い合わせてみました。まだ返事が着てないので、返事を受け次第に続報を書きます。
翻ってみて今年、私は今度は「想定外」というこの言葉が目下の流行語大賞候補ではないかと見てます。かつてないほどの大震災に加え東電幹部らが繰り返し「想定外」という言葉を使って対応遅れの言い訳を使っているのはもとより、一昨日の不信任決議とその後の帰結も鳩山前首相や自民党にとって想定外といえるような事態で、なんか今後もこういうことがしばらく続きそうに感じるからです。
話は変わりますが本日、上海は日本の梅雨のようなシトシト雨日和で、予報だと明日も一日中降ってるようです。さすがに夕方からは気温も下がってきましたが昼間は蒸し暑くて外出する気も起きず家で不貞寝してましたが、暇つぶしに誰かいないものかとスカイプを開けても見事なくらいに誰もいなくて四六時中暇でした。そんなわけだから今度小銭が入ることとなったので、すこし贅沢して電子書籍で漫画を買い集めて読んでようかと思って昨日からいつも使っているeBookjapanを見てました。
すでに過去の記事でも言及してますが以前にもここから押切蓮介氏の「でろでろ」を買っており、今回も続きを買おうと検索してみたところ、何故だか知りませんが作者名でもタイトル名でも引っかかりません。しょうがないので全巻セットが確か出ていたからそこで五十音順に捜し出して開いてみると、一目して唖然としました。
「525円?( ゚д゚)」
私が以前、ってか先月に「でろでろ」の七巻と八巻を購入した際は一冊420円(税込み)だったところ、何故だかすべての巻で525円に価格が変わっていました。一体何故なんだ(#゚Д゚)、と思うのと同時にもしかしたらこの値上げが影響して先ほど検索に引っかからなかったのではないかという疑心が持ち上がってきました。
正直に言って、この値上げは私にとって不満この上ありません。確かに値段を決定するのは売り手の勝手ではあるものの予告もなしに、ついほんのちょっと前までに420円だった書籍を突然525円にするなんて今更買うのが馬鹿みたいに思えてきます。前もって予告してくれていたのであれば気に入った作品だっただけに全部買っておいたものを、ちょっと今回の値上げで買う気すら失せました。
第一、この値段自体ちょっと疑問符がつく値段です。Amazonを確認すればわかりますがこの本の定価は一冊540円で、eBookjapanの価格の525円とは15円しか差がありません。「でろでろ」自体は2009年に連載を終了しており、最終巻を含めて決して新しく出たばかりではないことを考えるとこの価格設定には首を傾げます。現在の状況のように海外にいて本がなかなか手に入らない状態でなければ、525円だと古本屋にでも行って買った方が絶対得だという気がしてなりません。
逆に、以前の420円という値段は陰ながら実は評価してました。そもそも印刷や物流コストがかからないのであるから電子書籍は一般販売より安くなければおかしく、出版されたばかりの本はまだ仕方ないと思うにしてもすでに古くなっている本についてはスマートフォンなどどの端末でも見られる利便性を考慮しても価格で競争して欲しいという気がします。そのような観点からすると「でろでろ」の420円という価格は古本以上新品以下という絶妙な価格で、さきほどの利便性を考えるなら適度な価格だという風に考えていました。本音を言えばもう少し安くしてくれたらうれしいんだけど。
ただ今回の妙な値上げは、eBookjapanに対して一気に不信感を持たせることとなりました。というのも「でろでろ」に限らず別の本でも時期によって知らないところで値上げが行われたりするのであれば、今買おうとするその本は以前はもっと安かったのではという疑念が付きまといます。言ってしまえば、値上げ後に買ってしまってたらいちいち馬鹿しいです。
仮にこれが時期によって在庫量が急変動する農水産物やコレクターグッズであれば気になりませんが、在庫なんて切れるはずのない電子書籍でこんなことされるなんて想定外もいいところです。さらに525円なんて価格だったら、日本で古本、いやこの際新品でAmazonで買った方が全然お得な気がします。いざとなれば他のものと一緒に、日本から友人に中国へまとめて送ってもらうことだって出来るんだし。
と、ここで愚痴を書くだけなら誰でも出来るので、折角だからこの件を直接eBookjapanに問い合わせてみました。まだ返事が着てないので、返事を受け次第に続報を書きます。
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