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2012年1月6日金曜日

香港で飛び交う言語

 中国語を使って仕事しているのだし、たまには語学の話をします。
 香港で使われる言語と聞いたら、皆さんは一体何を想像されるでしょうか。答えを言うと香港では大まかに分けて広東語、中国語の標準語に当たる北京語、そして英語が使われており、官公庁サイトなどでは各言語別にページが設けられるなどマルチ言語な地域です。このうち最も使われるのは広東語で、ほかの二つについて言えば香港人からすればやはり外国語として捉えられているような気がします。

 ただ外国語と言っても、英語についてはやはり通じやすいです。上海や北京といった中国本土の年では本当に簡単な英語すら通じないくらいで、ここだけの話、よく英会話教室などが「日本人はアジアで一番英語が下手だ」と煽ってきますがこれは絶対嘘で、中国人の方が明らかに英語のレベルは低いです。しかし香港に限って言えば元々イギリスの植民地だったこともあって一般市民に至るまで英語のレベルは非常に高く、日常会話程度だったら難なくこなす人間が多いです。けど中にはあまり上手じゃない人もいて、夜中のマクドナルドでオーダーし辛かったりして結構困ったりするんだけど。

 もう一つの北京語については、中国返還前と比べて大分普及したとは言うものの私の実感では通じる人、通じない人で半々くらいな感じです。文語は全く一緒なので仕事で翻訳する際は繁体字に慣れればどうというわけではありませんが、日常生活だと意外と北京語が通じなかったりするのでどちらかと言えば英語を用いることのが私の場合多かった気がします。
 ちなみにこれは留学中も幾度か経験しましたが、香港のような場所だと使用言語を英語か北京語かで使い分ける必要があるため、頭の中で非常に混乱します。なんていうか頭の中で英語と北京語の単語が飛び交い、変な時なんか「I prefer ferry to 地鉄」など、ごっちゃになって出てくることだってありました。

 そういう意味で上海に戻った今、基本的に使う言語は北京語オンリーなためにこうした妙な混乱は収まり、なんていうか非常に会話がしやすくなりました。19ヶ国語が出来た南方熊楠なんてどういう頭の構造してたんだろうなぁ。

論理的に正しいもの、破綻したもの

 基本的に議論というものは「自分の意見を通す」ということではなく、「論理的に最も正しい意見をみんなで共有する」ということが目的だと私は考えております。そのため議論中に相手の意見、もしくはその場で出てきた案が最も論理的な正当性を持っていれば、当初持っていた自分の意見を捨て去る必要もあります。中にはこの原則を持たず、やはり自分の意見を通そうと場合によっては怒鳴ったりするなど脅しを手段とする人もいますが、はっきり言ってそういう方々とは議論をする価値もないと言っていいでしょう。

 ただここで勘違いしてもらいたくないのは、論理的に正しいことが必ずしも現実に適用する際に上手く作用するというわけではないということです。一例をあげるとマルクスの考えた社会主義は論理的には確かに通らないこともないのですが(人間の意欲は完全に無視しているけど)、実際にその通りに作り上げたソ連は社会的にも閉鎖した国となり崩壊しました。私の友人なんか、「あれは人類史上、最も壮大な社会実験」と言い切ってますが。
 論理的に正しいのにうまくいかない理由というのは私は単純に、人間の知恵には限界があるせいだと思います。それこそ先ほどのソ連の例だと人間の勤労意欲や欲望を無視していることもさることながら、共産党の一党独裁政権となることから密告社会になってしまったという可能性が見落とされておりました。無論その可能性に気づいていたところでどうにかなるわけじゃありませんが、概してこういう失敗パターンは「想定外」の事態によって起こり得ます。

 そういう意味では、実際に成功を収めたプロジェクトの多くはそういった想定外の事態に対する対応、それこそ石橋を叩いて渡るような慎重さで準備がなされているように思います。もしくは想定外の事態に立ち会った際、必死でリカバリーを行ったアポロ13や日本の探査機「はやぶさ」といった例でも最終的に成功へ至っております。
 自分もそうした成功するプロジェクトにあやかろうと何か計画を立てる際は比較的に余裕を持たせるというか、細かい内容までは敢えて決めず、応変に対応できるようにして臨むことが多いです。ただあまりにも細かいことを決めず大雑把すぎて失敗することも多いのですが。

 話を戻しますが、やはり基本的には論理的に正しいことは現実面でも重視するべきです。たまに頭の中だけで考えた通りに行くはずがないと頭から論理を否定する意見も見受けられますが、やはりこれは問題のある意見だと思います。というのも今日一番に言いたいことをここで書きますが、論理的に正しいことが必ずしも正しいというわけではないものの、論理的に破綻したものはまず以って正しくはないと言えると考えるからです。論理的に破綻しながら実行されてやっぱり失敗した例は本当に数限りなくありますが、昔で言えばシミュレーションで必ず負けると出ていながらも「勝負はやってみなきゃわからない」で開戦した太平洋戦争、最近の例だと「津波は起こらない」と可能性を捨てきった福島原発。

 この頃の政治を見ていて、どうして論理破綻していて明らかに取り合う必要もない案件についてもぐだぐだ言い合いを続けるのかとよく思います。その筆頭は八ッ場ダムの問題で、過去数十年にもわたって工事に移れなかったというだけでもその建設価値が疑わしいのに、建設の根拠とされた国土交通省作成のデータが実は都合のいいように改ざんされていたにもかかわらず、どうしてまた建設へと舵を切るのか理解出来ません。論理がすべてではありませんが、ここまで無視するのは冒涜もいいところだと感じます。

2012年1月3日火曜日

「中国人男性との結婚が日本人女性でブーム」という誤報について

 明日から日系企業が仕事始めになるので自分らメディア関係、特に編集職は今日から仕事でしたが、新華社のサイトを見ていたら気になる見出しの記事が見つかりました。どうでもいいですが、なんかOperaの最新版で新華社サイトを開いたら延々とリロードしてえらいことになるのだが……。

日本女性流行“吃中国餐,嫁中国男”(国際在線)

 リンク先の記事は中国語ですが、見出しを邦訳すると「中華料理が食べたいなら中国の男に嫁げ、日本人女性の間で流行」と書いており、記事の中身も最近の情けない日本の男と比べて中国の男は頼もしくて優しい、そんな中国人男性と結婚する日本人女性が増えているという内容なのですが「どこが?(ヾノ・ω・`)ナイナイ」と思わず口に出しそうになりました。
 それで記事に書かれている「中国信息研究機構代表の武石健」というのがどんな奴か調べてみようと思って検索してみたところ、なんと全く同じ内容が2009年の12月にも出ていたことがわかり、レコードチャイナも取り上げて全文をきちんと訳していました。

<レコチャ広場>日本の男は無能!?「中国の男」との結婚が日本人女性にブーム(1)(レコードチャイナ)

 元記事の時点でいろいろ突っ込みどころが満載なのですが、2年前に全く同じ内容の記事が出ているあたりここで書かれている内容はまずもって嘘も嘘、誤報と言って間違いないでしょう。第一、日本人女性と中国人男性の結婚が増えていることが現象として起きているのであれば自分の耳にも入ってくるでしょうに。

 ちなみに私の知り合いには中国人男性と結婚した日本人女性、中国人女性と結婚した日本人男性がそれぞれおりますが、二人とも婚姻証明を出す際に窓口の人から、「あら、あなたたちは外国人カップルなのにお互いに年が近いのね」と、全く同じ言葉を言われたそうです。というのも中国で外国人カップルの結婚というと大抵が「愛人」との結婚だからだそうで、最近はまだ普通の恋愛結婚も増えているようですがどうも窓口の人からはそう見られているようです。

 あとこれは香港人女性と結婚した私の中国語の恩師が言っていた言葉ですが、「愛は国境を越えられるとか言う奴がいるが絶対に越えられない文化の壁というものは必ず存在する。如何にお互いが妥協するかだ」とやけに力説していましたが、これを以前の会社の上司や先輩に話したところ、「別に外国人じゃなくとも普通夫婦は妥協してなんぼだよ(´ω`)」とみんなして言っていました。

2012年1月2日月曜日

中国人でも鬱になる!?

 我ながらまた挑戦的なタイトルになりますが、これもよそではなかなか聞けない話なのでちょっと頑張って書いちゃいます。
 これは取材先から聞いた話なのですが、こちらではまだ日本ほど一般名詞化していないものの中国人でも鬱になる人は年々増えており、しかもその割合は日本と比べても決して大きく劣るほどではないとのことで、今後大きな社会問題となる可能性すらはらんでいるそうです。なんかこう書くと中国人が鬱になるということ自体が意外な感じで中国人からも、「俺たちをなんだと思っているんだ(#゚Д゚) プンスコ!」と言われそうですが私を含め多くの日本人からすると、中国人は日本人と比べていい意味で悩みが少なそうで鬱とか精神病とは程遠い存在だと考える人が多いと思えます。それだけに中国人を現地工場で大量に雇用する日系企業からすると従業員のメンタル面でのケアが遅れがちになり、最悪自己都合退職を招いてしまうケースもあります。

 中国人は悩みが少ない、こんな認識が日本人の間で生まれる背景にはどうも価値観というか文化の違いが大きいようです。私がその取材者から聞いた話では、日本人というのは会社など職場が原因というかそこでストレスを抱えやすい傾向がある一方で、中国人は家族や友人など身内との関係でストレスを抱えやすいとのことで、たとえが恋人に振られたりする場合は日本人でもそこそこストレスを抱え込みますが、中国人の場合は出社すらできなくなるほどのストレスを受けることもあり、このほか既婚者が伴侶を病気などで失った場合は致命的といっていいほどの大きなストレスを持つそうです。なんかこう書くと日本人が如何にも薄情な感じにも見えるな。

 こうしたストレス原因のほかにも、ストレスへの対処というか反応も異なるそうです。これもたとえを用いると、仕事でなにがしかの失敗をした場合に日本人は、「うわやっちゃったー。どうしよー(;><)」ってな感じで深刻に思うのに対して中国人は割かし、「あ、ミスった。まいっか(∀`*ゞ)テヘッ」ってな具合で、多少はストレスを受けますが日本人ほどはあまり深刻に考えず、すぐ次の行動に移れる傾向があるそうです。そのかわりこういったミスや問題への対処が日本人と比べて遅れる、というか極端な場合は放置することもあるので問題を長引かせてしまうこともあるらしいのですが、まぁこの場合だと日本人と中国人のどっちが優れているかは一概に言い切れないですが。

 こうしたストレスへの反応傾向が日本人と比べて明確なタイプの違いがあるために日本人からしたら中国人はややもすると職場では無責任で、鬱になるとは思えないと誤解されがちなのですが、逆に言えば中国人からすれば日本人は職場で深刻に物事を考え過ぎてちょっとのことでもビクビクし過ぎる上、家庭を顧みないとか思われてるかもしれません。私としてはこの点では断然中国人の方を持つというか、本当に些細なミスとかで全然関係ない、ともすれば人格否定のような発言を行う日系企業の体質は明らかに問題があるとかねてから感じます。下手をすれば、ミスに対するフォローよりその当事者へのあげつらいを優先するところすらあるし。

 最後にあまり関係ない話かもしれんが、夫婦別姓に対して名前は忘れましたが誰か国会議員が「そんなものを導入したら日本人の家族の紐帯が切れる」とか抜かしていましたが、また随分と官僚的な思想だなと聞いた当時に思いました。というのも中国では昔から夫婦別姓にもかかわらず明らかに日本人よりも家族間の仲がいいです。制度によって価値観が動くことはありますが、それでも基本的には価値観に対して制度は動くものです。狭い視野の中で動くくらいならその国会議員も世界各地を渡り歩いて勉強してみたらどうかと提案してあげたいものです。

中国の道徳観について

 潮風大使さんから質問を受けたので、今日は中国の道徳観について解説します。どうでもいいですが今日はやることもなかったので一日中ゲームをして過ごしたところ、今なんかやけに眠いです。それにしてもディリータは嫌な奴だ。

 本題に入りますが中国では昨年、路上で寝そべっていた少女が二度も車にひかれたにもかかわらず誰も助けずに放置されるという映像がインターネットに流れ、日本でも大きく取り上げられたかと思います。この事件は中国本土でも大きく取り上げられ、「生活は豊かになっていく一方、道徳観が薄れてきた」と主張する人間が後を絶たず、ちょっとした議論のトピックスになりました。またコメント欄で潮風大使さんも引き合いに出していますが、これ以外にもいろいろ信じられないような不道徳な映像が流れることもそれほど珍しくありません。
 ただこうした事件があることを踏まえた上で言わせてもらえば、私は中国の道徳観が極端に日本に劣っているとは思っていません。我ながら思い切ったことを言うもんだと思いますが、決して根拠のないことを言っているつもりはありません。

 まず中国の道徳観が落ちているかどうかという議論については、間違いなく落ちていると言ってもいいでしょう。これは私の留学中にお世話になった中国人教師から聞いた話ですが、やはり経済成長とともに中国人の他人を労わる気持ちは落ちているとはっきりと述べ、一例としてその先生が大学進学に当たって列車に乗って北京に始めてきた際は若い女の子が一人で乗り込んできたこともあり、周りの人間が荷物を荷棚に載せてくれたりあれこれ声をかけてくれたりしてもらったそうなのですが、現在だとこのような光景はそうそうお目にはかかれないと言っていました。
 またこうした個人的な話だけでなく、教育関連でもよくこの手の話題が挙がってきます。自分が見た本ではこうした道徳観の低下に歯止めをかけるために儒学こと論語の音読を義務教育に復活させるべきではないかという意見が提唱され、新聞とかでもたまに載せられたりします。こういうとなんですが、なんていうかこういう議論は懐かしい匂いがするというかなんというか。

 以上のようなことから、どうも中国人自身も世の中の道徳観がどうも低下してきているということは自覚しているようです。ただ道を譲ったりしないなど一般マナーについては明らかに悪いけど、普段の生活上で観察している限りだと中国の道徳観は極端に退廃はしていない、日本と比べてもそこまで悪くはないという印象を覚えます。
 具体的な例を挙げると、これなんか中国に長期滞在した人なんかはすぐに納得してくれるでしょうが電車やバスに乗っている際に老人や赤ちゃんを抱いている母親が乗り込むと中国人はすぐさま席を譲ります。日本でもこうした光景はもちろん見られますが、はっきり言って日本以上に中国人はこうした際の対応が早く、その他にも具合が悪くなった人などがいるとみんな一斉に声をかけて心配します。

 中国人は日本人と比べると基本的に口うるさい分、やたら他人に対してもいろいろ気に掛ける所があります。私自身もそうした中国人と付き合っていると日本人ゆえか「そんな余計な心配せんでも」と思ったりしてたまにうっとうしく感じる時もありますが、そこらへんは文化の違いと割り切ってなるべく相手に合わせています。また確かに口うるさい分、親身になっていろいろと気をかけて配慮をしてもらえることも多く、私の周りだと今の部屋に入る際に間に立った仲介業者のおっさんとはなんか長々と縁が続いてて、何か世話になる度にたばこを買って渡すという関係が続いています。

 ちょっと回りくどい言い方になってしまいますが、中国人と日本人のこうした道徳観というか気質を比較するならば「ウェットとドライ」という一言が一番しっくりきます。もちろん中には信じられないような詐欺事件とかも起こったりしますがそうした事件については中国人らも真面目に怒りますし、またビジネス面でも「騙したもん勝ち」という風潮がはびこるのを良しとせず、事業で成功した人間についても「散々悪いことして儲けやがって……」などと冷ややかな目で見る姿勢が強いように感じます。
 ただ外国というフィルターもあるせいか、日本にいると目に入りやすい中国人はそうした「やり手の経営者」ばかりでしょうし、またインターネットやらが発達したことから少女のひき逃げ事件のように極端な例ほど注目されやすくなっているところがあります。そういった極端な例が目に入るようになったという意味では確かに道徳観は低下していると言っても過言ではないものの、一般市民レベルではまだそこまで捨てたもんじゃないよというのが私の意見です。

 分けて書くのもあれなんでこのままもう一つの質問こと、今年にそれぞれ総書記、首相に就任することがほぼ確実視されている習近平と李克強についてですが、まず前提として中国では総書記は外交と軍事、首相は内政ときちんと役割分担がなされております。そのため習近平はこのところあちこちに外遊に出たりなどと顔を売っているわけなのですが、中国国内の評価だと私の友人なんかは就任前の胡錦濤同様に「なんか冷たそう」と述べておりいまいち確固とした印象が持たれていないような感じです。対する李克強については次期首相候補として国勢調査の責任者を務めたりなど、国内においては習近平より顔を出す機会が多いように見えます。私自身の意見を言えば、李克強の方がやっぱりメディアで見る機会とか多いせいかなんかこっちの方が優しそうって感じを覚えています。

 それでこの両者の関係ですが、習近平は江沢民をトップとする上海閥というグループに属しているとされ、逆に李克強は共産党青年団出身ということから同じ出身の胡錦濤に近いとされています。そのため二人の総書記経験者がいる派閥に分かれていることからあれこれ憶測も立っていますが、少なくとも表面上はそれほど仲が悪いようには見えません。私の見立てでは確かに数年前であれば次の総書記の椅子を巡って競争があったのかもしれませんが確か二年くらい前に習近平が軍事関係のポストに就いたことから決着は既についており、現時点においては争う余地がもはやなく、また前述の通りに総書記と首相で役割がはっきり分かれていることから対立する要素というものは少ないんじゃないかと思います。

2012年1月1日日曜日

オウム、平田信の出頭について

 上海に戻りましたが思ったよりネット回線が復活するのが早く、昨日の朝にはまたすぐ使えるようになりました。ただ折角だから敢えて昨日は何も書かず日がな一日をぼーっと過ごしていましたが、香港から戻ってくると「空ってこんなに広かったんだ」と視界が広いことに戸惑いを覚えます。そんなわけで新年一発目の記事となるわけですが、まさか今日の未明にこんなニュースが入ってくるとは誰も想像だにしなかったでしょう。

オウム真理教・平田容疑者が出頭、逮捕へ(読売新聞)

 一連のオウム事件、ひいては国松元警察長官狙撃事件で重要人物と見られていた平田信容疑者が、昨夜未明に突然出頭し逮捕されました。既に十年以上も指名手配されていながら一向に手がかりすらつかめなかった人物であっただけに、今朝にニュースを見て私も息をのみました。具体的に平田容疑者がどのような経歴でどんな案件に関わっているかは多分他所でも取り上げられているのでここでは触れませんが、何故今頃になって出頭してきたのかという理由については既に一部で言及されている通り、麻原彰晃死刑囚の死刑執行を防ぐためだと私も見ています。

 日本の死刑制度は「共同正犯」といって一つの犯罪に複数の容疑者が関わっている場合、執行は原則的に同じ日に執行されることが慣例となっております。そのためあさま山荘事件の日本赤軍メンバーなどは一部が現在も逃亡していることから事実上、執行することは今後も不可能とされており(それ以外にも政治犯ということも影響していると見られている)、現に悔しい限りですが永田洋子は獄中で昨年に病死しました。
 この共同正犯が今回の出頭とどうかかわってくるのかですが、1995年に明るみとなった一連のオウム事件について、既に逮捕されているメンバーらの裁判が実は先月にすべて結審したということがキーになります。

 私はオウム裁判がすべて結審したという報道を見て真っ先に思い浮かんだのは、「これで麻原の死刑執行準備が整った」ということでした。今回出てきた平田容疑者のようにまだ逃亡しているメンバーこそいれども少なくとも裁判を受けた人間らについてはこの後罪刑がひっくり返ることもないし、民主党政権だったことから2011年に1人も死刑が執行されなかったことも含めて、2012年中に麻原を含むオウム事件の死刑囚に対して一斉に死刑を執行すべきだと主張しようと考え、執筆こそしていなかったものの記事を実際に準備していました。
 しかしそれが今回の平田容疑者の出頭によって崩れました。今回平田容疑者が出てきたことでまたオウム事件について新たに彼の裁判を行う必要があり、少なくともその裁判が終わるまでの間は共同正犯は同時執行するという原則がある限り、麻原の死刑執行は実現できません。恐らくこういった意図があって出てきたのだと思います。

 こうしたことを踏まえた上で敢えて主張させてもらえば、それでも麻原の死刑執行は今年中に行うべきです。もし麻原が執行されずに獄中で病死をしたらこの事件の被害者、そして遺族はどうなるのか。またこの事件の捜査に関わってきた警察の方々についても、そして一民間人の自分もどうにも納得できすることはできません。聞くところによるとまたオウムが信者数を拡大させているとも言いますし、麻原の死刑執行によって何かしら強い反応を起こすかもしれませんが、これまで連中を見ていてつくづく思いますが麻原を生かしておいても長期的には悪い影響の方が強いように見えます。
 共同正犯の原則は私も理解できます。しかしこのオウム事件だけはほかの犯罪と一緒にしてはなりませんし、通常の枠内で取り扱っては必ず大きな錯誤を生みます。真面目にこの件については、早い決着を望みます。

2011年12月29日木曜日

世界の2011年を振り返る

 昨日に休むと言っておきながら、今日もネットが使えることとなったのでさりげなく更新です。明日以降もわからんが。
 さて日本国内、というより世界中のメディアで年末ということもあって今年を振り返る特集記事が組まれております。何気にこのブログも「陽月秘抄」になってからちょうど一周年ということもあるので、2011年について、それも日本国内についてはどうせよそでもやっているのだから久々に国際政治っぽい話題で思い当たることを書いて効果と思います。

 まず今年一年を一言で言うなら、「大量に死んだ年」というのが自分の中で挙がってきます。こういうと東日本大震災を思い浮かべる方が多いかもしれませんがそれは国内の話で、世界レベルでは良くも悪くも世間を大きく騒がせた人物が次々と死んでいったせいか12月の今に至ってはもはやその死んだという事実がいまいちパッと来ない人物までいます。
 具体的にどんな連中が死んだのか、下記にざっと記します。

オサマ・ビンラディン
カダフィ大佐
スティーブ・ジョブズ
金正日

 てっきり今年はビンラディンが死んだ年として記憶されるのかと中頃まで思っていましたが、その後もどんどんと有名な人間が死んでいき、最終的に金正日が年末に死んだことでこのまま彼が話題を独占したまま年を越しそうです。さすがにスティーブ・ジョブズ氏は異なりますが、ほかの三人については言ってしまえばアメリカがかつて名指しで批判するほど敵対していた人物で、ちょっと素人っぽい考え方ですがこの三人がまとめた死んだことでアメリカの一種の軍事プレゼンスというか、差し当たっての脅威は減少したかと思います。これでベネズエラのチャベス大統領とイラクのアフマディネジャド大統領も死んでいたら、オバマ大統領はホワイトハウスでツイストを踊っただろうな。
 アルカイダについてはさすがにその脅威がなくなることはないでしょうがそれでも一つのシンボルだったビンラディンが死んだことで以前よりは弱体化が予想されますし、カダフィも死んだことであの地域のアメリカの影響力も強まるでしょう。そして北朝鮮に至ってはさすがにしばらくは継承でごたごたして外に向かって仕掛ける余裕はないでしょうし、仮に仕掛けてきたとしても今の状態では中国側も思わぬ行動に出る可能性もあってアメリカにとってはかえって好都合でしょう。

 このように見るならば、「アメリカの敵が一気に減った一年」としてとらえられるんじゃないかと思います。ただ不安要素もないわけではなく、北アフリカではエジプトなどで混乱が続いていることからテロ勢力の拡大が懸念されますし、アメリカ本国でも現在のオバマ大統領は来年の大統領選で再選するかちょっと微妙な状況です。
 ちなみに首脳の交代というと、これは一部でも報じられていますが来年は結構あちこちで変わる予定となっております。アメリカ以外で主だったところを挙げるとロシア、中国、香港、台湾と東アジア諸国で揃い踏んでおり、日本ももしかしたらまた例年の如く変わるかもしれませんしタイもまだまだ不安定、そしたら今日はカザフスタンもなんだか政情が怪しくなっているというニュースまで入ってきました。

 中国なんかは胡錦濤の次は習近平と決まっているのでまだ気楽なもんですが、ロシアでは昔では考えられなかった反プーチンデモが起こるなどまだ確定的ではありません。さらに日本メディアはお気楽ですが欧州債務危機も多分来年に本格的に火を噴く可能性が高く、今年も色々死んだせいでそれなりに騒がれはしましたが、後年になって2011年は嵐の前の静けさだったと評されるかもしれません。ちなみに友人は、「ある意味でターニングポイントの年」と評していますが。

 私個人で言えば今年は激動に次ぐ激動で、なんか3~4年分を一気に過ごしたかと思うくらいに心身への負担のでかい一年でした。何があったか事細かには書きませんが、来年に対してはさすがにもう少し落ち着きたいと思う反面、さらなる波乱を求めている節がどうもあります。本当に些細でどうでもいいことですが、夏頃は随分と目つきが緩くなっていたのを気にしていましたが、年末の今に至ってはまた学生時代後期並みに鋭さを戻してきているので、多少のことがあってもなんとか乗り切るだろうという妙な自信に溢れています。