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2012年2月13日月曜日

日本の社会保障の行方

 前回更新から大分日が経ってしまいましたが、どうにかまた再開できました。ちょうど先週がいろいろと山場だったためにこれからはまた普段のペースを再開できるんじゃないかと思いますが、早速明日にはまた夜中に取材入っているから難しいかも。そういうわけで今日はちょっと力の入ったネタを一本投下しておこうかと思い、日本の社会保障議論について基本論点を整理することにします。

 まず前提条件についてはっきりと指摘しますが、年金をはじめとした現行の社会保障制度の国家は日本が高度経済成長をしていた時期に作成され、当時並みの経済成長を保つことで維持できるように制度設計されております。当時の日本の成長は日本自身の努力というよりは冷戦下という国際環境によるところの方が大きいと私は見ており、ソ連が崩壊した現在においてはどう踏ん張ったって再現できる代物ではないと断言してもいいです。それはつまり、現行の社会保障制度は初めから何をどうしたって維持できるものではなく、もっと早くに制度改革をするべきものだったというわけです。

 この場合の制度改革というのは保障内容の希薄化を指しており、具体的に言うと年金の支払額などや対象者を減少したりするということですが、日本は冷戦が終わってから20年以上も経つにもかかわらず未だに矮小な議論を続け、確かに一部で年金支給年齢の引き上げや一部削減など見直しこそされているものの、抜本的な改革にはとうとう至れておりません。
 しかもこの社会保障の混乱はそれ自体の混乱にとどまらず、日本の経済全体にも大きな悪影響を及ぼしていることも見逃せません。ごくごく簡単な経過を書くと、

・社会保障が維持できる見通しがない→将来のリスクに備えて貯蓄傾向が高まる→消費額が低迷→景気が停滞

 これはほんの一例ですが、細部まで詰めると実に多岐にわたって悪影響を及ぼしており、今も続くデフレの主要因となっている点も見逃せません。じゃあ社会保障をどうすればいいのかですが、一番大事なのは「維持できるシステム」に変えることです。維持できないシステムだと国民に思われているということが一番問題で、内容が何であれ20年先が見えるシステムにすることが肝心要です。
 となると今度はどんな形にすれば維持できるのかという話に移りますが、極論を言えば「どの世代に死んでもらうか」という議論となります。現在私が想定している改革方針としては主に以下の二点に絞られます。

A案:給付額などを徹底的に削減し、年長世代に泣いてもらう
B案:給付額なども相当程度下げるが、一定の給付額を維持するため増税をして現役世代に泣いてもらう

 実に当たり前の議論ですが、今後日本が取るべき道は上の二つ以外にないとこちらも断言してもいいです。中間なんてものはありません。
 では政党は現在どっちの方針で制度改革をしようとしているのかですが、実に情けないというか私の見る限りだと民主党も自民党も、存在するはずのない中間策、誰にも恨まれずにハッピーになれる案を未だに捜しているように見えます。野田首相は増税をして増やした税収分を社会保障へ振り分けると言っていましたが、その一方で子ども手当の支給額を増やすとも発言しており、いわば「増税する代わりに給付額を増やす」という現実を無視、というか実現不可能で維持することのできない案を主張していると私は感じます。自民党は増税はしないがその代わり景気を回復させ、増えた税収分で現行制度を維持すると言っていますが、私は今の社会保障制度に道筋をつけない限りは景気回復も無理なんじゃないかと思っており、順番を履き違えているとこちらも話にならない案だと見ています。

 ではA案とB案のどちらが望ましいのかと言ったらこれはもう、どの世代に属しているかでしか語れないでしょう。私は生憎というか現役世代に属していることもあり、多少の負担増は仕方ないにしても大幅な削減なしには一人唐傘連判状の提出も辞さない覚悟です。さらにこれはひがみだと言われても言い返しませんが、現在の年長世代は若い頃に高度経済成長を謳歌し、簡単に就職できて、毎年昇給をして、自家用車も買えて、住宅ローンも組めれたことを考えると、これらの機会すら得られない自分たちの世代をさらに踏み台にするつもりかという気持ちもあります。年金額が減って将来設計が崩れると主張する方もいるかもしれませんが、将来どころか現在の生活すらままならない自分たちに比べて甘いことを抜かすなと、一人の若者として言わせてもらいます。

2012年2月9日木曜日

続、大学の秋入学検討について

 今日の中国の朝刊には、「日本で聖闘士星矢の新シリーズテレビ放映が4月から始まる」ってのがでっかく載ってました。なんで日本での放映に対してここまで反応するのかいろいろ突っ込みたくなりますが、同僚の中国人の奥さんは、「フェニックス一輝こそ、男の中の男だ」と言ってはばからないくらいにこっちでも浸透しているらしいです。

 話は本題に入りますが、東大が入学時期を現在の春から秋へ移行する案を検討していることについて以前にも取り上げたことがありますが、今日見たニュースにこの話題について非常によくまとまった記事を見かけたので紹介します。

【日本版コラム】『大学秋入学』の落とし穴 議論の迷走と状況悪化が危惧される理由(ウォール・ストリート・ジャーナル)

 はっきり言って私のブログなんかより上の記事見てもらった方がずっといいと断言できるのですが、いくつか重要なヶ所を引っ張ると、この記事を書いた尾崎氏は「入学時期を秋に変えるだけでは留学生も増えず、学生も起業も混乱するだけと」指摘しています。

 一つずつ詳しく解説していくと、東大をはじめとした国立大学などは入学時期を国際的に標準な秋(春入学は日本と韓国しか私も知らない)にすることで、日本にやってくる留学生も増える効果が見込めるとしています。これに対して尾崎氏は、そもそも世界の大学ランクは在籍する教授の論文の発表数などで決まるために英語を使用する欧米の大学が初めから有利で、入学時期が変わったくらいでは留学生を引っ張る上ではあまり効果がないと主張しており、私もこれを支持します。その上で今実際に日本位やってくる留学生はどんな学生かというと、やはりアニメや漫画といったサブカルチャーに関心の強い短期留学生らが主で、こうした留学生をもっと受け入れやすくするために春でも秋でもいつでも入学して授業を受けられるカリキュラムを整備する方が価値が高いと言っています。

 言われることいちいち的を得ていて反論のしようがないのですが、この上で尾崎氏は日本の学生についても言及しています。kの秋入学議論でよく取り上げられている効果に、「3月の高校卒業から秋の大学入学まで半年間の空白の期間が生まれ、この期間を学生はボランティアや短期留学などに使える」という意見があります。これについても尾崎氏は、日本の大学生は夏休みや冬休みなどまとまった余暇があり、わざわざ半年の空白期間、それも受験前の期間に用意したところで大きな変化が望めないとした上、「学生が在学中に多様な経験をするには時間以外に精神的なゆとりも必要である」と述べてます。これについても、私は同感です。

 こうした尾崎氏の意見について基本的に賛成ではあるのですが、それでも私はこの秋入学以降に期待を持っています。一体何故期待するのかというとこれも尾崎氏が「メリット」として挙げている、「企業の新卒一括採用が多様化するきっかけとなる」という効果が強く望めるからです。
 大分自分でも色々変わったと思いますが、現状の日本を見るにつけもっと雇用は流動的にしなくてはならないと考えており、特に若年世代については新卒一括採用こそが諸悪の根源にも思えるのでどうにかこれを打破できたらと常に考えています。理想としてはそれこそ、一年間を通した授業を作りづらくなりますが、春でも秋でもいつでも入学できて授業登録も自由にでき。単位がたまればいつでも卒業できるようなシステムになれればという気持ちがします。ちなみに自分は三回生が終わった段階で卒業必要単位数をオーバーしてましたが、全く意に介さず授業を取りまくって卒業時は160単位くらい持ってました。単位認定されない授業もたくさん取ってたから、実質的には180くらいあったろうな。

2012年2月8日水曜日

このところの中国の日本報道

 さきほど新しく知り合いになった中国人と食事してきましたが、おもむろにこんなことを訪ねてみると、

「あのさ、熱血高校ってわかる?」
「あのファミコンのゲームのこと?」

 なんでこんなに中国人も「熱血高校くにおくん」を遊んでるのか不思議でしょうがない。ちなみにその人の一番のお気に入りは「魂斗羅」で、コナミコマンドをしながらみんなでやってたらしい。

 話は本題に移りますが、実は前々から中国の新聞に載る日本の情報を集めておりました。別に集めるっていうほど量があるわけじゃないですが、また適当に翻訳して乗っけようかなと思いつつも、今週はやけに忙しい上に、毎日記事翻訳しているのに自宅でもまた翻訳するという作業がなんか煩わしいので簡単にまとめることにします。

 まず一番驚いたというか名前を見てびっくりしたのは、河合隼雄の記事です。内容は中国でも人気な村上春樹との対談した際のエピソードでしたが、この河合隼雄は心理学専攻の人には知られていながらも、それ以外だとちょっと知名度に乏しいということもあってなんかいろいろと新鮮でした。惜しむらくは、学生時代にこの人を知っていれば自分もこの人の本を読んだのにということですが。

 次に政治関係の話題だと、野田政権の増税問題がやけに熱心な解説付きでこれまた取り上げられていました。曰く、震災からの復興、財政健全化、経済回復とともに増税を実施するのは非常に困難だと、実に中国人らしく短いながらも的確に急所を突いてきています。このほかの政治系の話題だとやっぱり領土関係ばかりで、この前の尖閣諸島周辺の島嶼に日本が命名したことに対して批判記事が載せられたほか、北方領土問題でロシアに日本が文句言ったことなども逐一漏らさず載せています。
 ここで一言付け加えておきますが、意外に中国側は日露の北方領土問題に強い関心を持っております。これは恐らく日本というよりロシアに対して警戒感が強いためで、どちらかと言えば日本側に依った意見ばかりが目につきます。

 あと最近、というより今日の新聞に載っていた日本のニュースだと、シャープ、東芝、日立、ソニーといった日本の大手家電メーカーが揃って巨額の赤字を計上したことをでっかく解説記事付きで連日紹介しています。なんていうか、日本の報道より大きく取り扱っているような……。内容はなんで赤字に陥ったのか、理由としてはやはり円高による影響が強いとするもののテレビ事業自体が非常に採算の取りづらい事業となっているといったことが中心です。

 ちなみにこれなんか見る人が見たら一発でばれますが、実は中国の家電メーカーにおいてもテレビ事業は実質赤字です。内容には自信あったのにあまり反響なくてがっかりしたのですが、先月に私は中国の液晶テレビ業界について記事を書いており、その時に色々調べたところどうも中国の液晶パネルメーカーも韓国のサムスン同様に政府などから大量の補助金をもらって経営しているようです。その額、日本円にして数百億円単位で、利子抜きの借入金額も膨大な額でした。自分が引用した記事ではある大手パネルメーカーの総経理の発言も入ってましたが、「政府補助なしの経営なんかできるわけない」とはっきり言っており、事実補助金がなければ一発で赤字転落する業績であることも指摘されております。

 そう考えると、台湾メーカーもそこそこ補助金が出ているというし、世界の液晶業界で補助金なしに経営しているのは実は日本メーカーくらいで、シャープなんかよくやるよと今更になって誉めてあげたくなりました。大赤字出したけど。
 ただこれは逆に言うならば、日本よりも人件費がうんと安い中国メーカーですら利益を出せないというのに、日系メーカーがどうやって利益を出せるというのかとも言えます。恐らく家電メーカーの上層部もこういった事実は了解しているでしょうが、仮にテレビ事業をやめるとなると数万人単位で雇用を切らなくてはならないため、切るに切れず赤字を出し続けているのが現状かと思います。

 仮に数千人単位であれば、冷たいと言われても私は切れない経営者を批判すると思います。だがテレビ事業ほど巨大なものだと、切れないからと言ってさすがに批判することは私にはできません。ただ決断の時期は、確実に近付いているかと思います。

2012年2月6日月曜日

震災後の作ったようなムードについて

 このところ真面目に忙しく、ブログの更新が滞っております。それこそ体を壊すほどの無茶な仕事量ではないのですが、なんか記事書くのに自分が変にこだわってて家帰っても延々と書いてるせいかやけにだるいです。
 そんなわけでさらりネタとばかりに、既に一部で取り上げられていますが自分も気になったのであるニュースを取り上げておきます。

“絆”報道は誤り!? 婚姻件数減でブライダル市場は3年連続縮小(Business Media誠)

 上記リンク先の記事の内容を簡単にまとめると、東日本震災後は結婚件数が増加したとか、2011年は今年の一字に「絆」という文字が選ばれるなどあれこれ人と人のつながりが主にメディアを通して強調されましたが、それらは全部ウソだったという内容です。一体なんでこういうデマが流れたのかというと、やっぱり自然発生的に生まれたのではなくメディア、それも国関係を通してこういうムードを作ろうという意向が働いたんじゃないかと疑っています。

 元々、「絆」という漢字が今年の一字に選ばれること自体が私にとっては何か違和感を覚えました。私の記憶だと確か阪神大震災の起きた年の一字は「災」という文字で、社会の空気も今の日本(あくまで伝聞を通してみる姿で)とは何か違ったような感じがします。具体的に何がどう違うのかというと、やはり人工的な無機質感というか、そこに人間の生きた感情が介在しているのかが全く分からないような手応えのないようなムードで、さらに言うと面倒くさいことをなんでもかんでも震災のせいにしているような姿も見受けられます。

 これも前にネットで見たニュースですが、雑誌市場規模が1兆円を割ったことについてあるメディアは「震災による影響で」と真面目に書いてて、「揺れてると読み辛いからか」といったコメントが寄せられていました。そりゃ震災起きたら流通も滞って部数も多少は落ちるでしょうが、そこまで広範囲に影響するかと言ったらやはり言い訳にはならないでしょうに。
 こう言ってはなんですが、今の日本の報道はなんでもかんでも震災のせいにして済ませてしまおうというような印象を受けます。東日本大震災が日本に与えた影響は間違いなく大きく過小評価はするべきではないですが、余計な引用を間違いなく無駄なことで、変なミスリードを作る記者がいなくなれば日本はもっとよくなると思う次第です。

2012年2月3日金曜日

自らを偽る嘘とホンダの書類選考

 このところ思想に関する記事を充実させようとしていてあれこれ書いておりますが、今日もまたその手の類として「嘘をつくこと」について書いてみようかと考えてました。ここだけの話、私は嘘をつくことに対しては明らかに他人より厳格で、聞かれなければ敢えて話したりしないよな周囲に憚る内容でも実際に聞かれた場合ははっきりと相手に告げることも多いです。また余計な嘘をつくことも良しとせず、なるべく真っ正直に生きようと常日頃から心がけています。
 もっとも、そういいながらも嘘をつくことが全くないわけでもありません。具体例を挙げると別の友人に初めて合わせる友人を紹介する際に、

「彼は通称、ヤマジュンと呼ばれてます( ゚∀゚)」
「おい、初めて聞いたぞそんなあだ名Σ(゚Д゚;)」

 というやり取りをしたことがあります。関西だったからみんな突込みが早くて素晴らしい。
 勝手な線引きではありますが、ついていい嘘の条件というのは主に以下の二点にあるかと思います。

・冗談の類など、言ったところで誰も傷つかないし損もしない
・言ったその場で嘘だとわかる内容

 ごくごく当たり前と言えばそれまでですが、この条件に合致する嘘こと冗談の類はしょっちゅう私も口に出します。また自分が得する嘘でも、自分以外の人間が誰も損をしないのであれば、内心ではよくないと思いながらもごくたまに言うこともあります。本当にたまに。
 逆についてはいけない嘘というのはこの条件とは逆の内容、他人が傷ついたり損をしたりして、自分一人が得をするような内容の嘘だと思います。これらとともにもう一つ、自分自身を偽る嘘もやはりついてはいけない嘘だと私は考えています。

 自分自身を偽る嘘というのは単純に、自分の本来の意思とは異なる内容を口にすることです。たとえば路上にゴミを投げ捨てることについて内心ではよくないと思いつつも周りもやっているんだなどと自己弁護して捨てたり、本当はお腹がすいているのにすいてないと思いこんだりなどといった内容です。
 もちろんこれには程度があり、同じものを欲しがっている人がいる場合に相手に譲るといった、周囲の環境や状況によっては謙虚心や我慢を発揮することも時には必要で、こうした譲歩するケースはもちろん除外されます。でも上司が、「お前、俺のこと本当は嫌ってるんだろう」って言ってきたら通常は「いえいえ、そんなことないっすよ」って普通は言い返すけど、この場合は「言ったその場で嘘だとわかる内容」だからありかな。

 この自分自身を偽る嘘の何が良くないのかというと、重ねていくうちに自己本質が変化していく可能性があるからです。先程の自己弁護をするケースでも、何度となく同じことをしているうちにそのうち全く気にしなくなるようになり、水は低きに流れるというか大抵は悪い方向へ流れていきます。
 こうした嘘というか自己を糊塗する現場というのは数多くありますが、自分が一番目につくのはちょうど今、山場を迎えつつある大学生の就活です。体験した方ならわかるでしょうがみんなサークルでリーダーしていたとかバイトでこんな経験をしたとか、自分自身でもしょうもないと思う内容をさも価値があるような言い方をして自己PRしてきます。ひどいのになると一から嘘をついてくることもありますし。

 私自身は既に当時から自分を偽る嘘はついてはいけないと考えていたので、かなり真っ正直にストレート球しか投げない就活をしていました。そんなもんだから中国留学をしたものの自分じゃまだまだと思ってたので、中国語のレベルを聞かれたら、「会話はもちろんできますが、まだまだ未熟です」とマジでこう答えてました。さすがに今だったら北京語ならば下手な田舎の中国人より上手に話せると言い切れるけど。
 もちろんこんなやり方だと苦戦するのは当たり前ですが、それでもあの時に変な嘘をつかなくてよかったと満足しています。そういう意味では自業自得なので企業側を批判するのはお門違いだと思うものの、ただ一社、名指しではっきり批判させてもらいますが自動車メーカーのホンダについては真面目に問題のある選考ではないかと当時思ったのをよく覚えています。

 具体的にどんな選考なのかというと、一発で落ちているのでそれは書類選考です。私が就活をした年のホンダの選考は専用の書類を提出することから始めるのですが、その最初の質問というのが、「あなたの夢はなんですか?」というものでした。この質問に対し私は変なこと聞くなと思って、

「対象を対象そのもので、比較対象なしに理解することのできる絶対感覚的要素を身に着けること」
 と、一語一句そのままでマジで書きました。書き終えて次の質問に目を向けるとそこには、

「その夢を叶えるためにホンダで働くことはどのようなステップとなるでしょうか」
 知るかそんなこと!(;゚Д゚)エエー
 真面目にこの時は口に出して驚きました。ってかこの時ほど後の質問をチェックしてから書けばよかったと思ったことはこのところありません。専用紙だし、最初の質問もボールペンで書いちゃってたし、修正液で全面消すわけにもいかないし……。

 最終的にあれこれわけのわからないいわけを書いて提出しましたがやはり書類落ちでした。ただ自分でも八つ当たりのような気もしないでもありませんが、こんな質問だとホンダで働くことで価値があるように自分の夢を合わせなければいけないんじゃないか、志望者には関係のない夢を持つな、持っても入れさせないということになるんじゃないかと強く感じました。別の会社の面接でも「なんでここで働くのを希望するのか」と聞かれて「生活資金を得るための手段としてであって目的ではない」と真顔で言って顰蹙を買った自分ですが、ホンダのあの質問は手段を目的にしろと言っているように見え、最初の自分を偽る嘘をつけと言っているように見えてあまりいい気はしませんでした。

 ちょうどこの書類を書いた後くらいにまたてんかんの発作で体調悪くして2日くらい寝込みましたが、別にこの時に限るわけじゃありませんがてんかんで寝込んだ後は世界観が変わって見えることが多いのですが、ホンダ車に対しては魅力を全く感じなくなりました。逆にこの時から、「パジェロってかっこいいよなぁ」と、何故だか三菱車に対してやけに肩を持つようになり、今ではレースゲームでは三菱以外(たまにスバルインプレッサ)は一切使わなくなっています。ただこの時は知らなかったのですが、後にうちの親父も昔から三菱党だとわかり、意外と血は争えないもんだと思い現在に至ってます。

2012年2月2日木曜日

見ていて不快な広告



 いきなり画像からですが、この画像ことバナー広告はYahooメールでこのところよく出没します。はっきり言いますが見ていて非常に不快で、なんでメール確認するたびにこんな見ていて疲れてきそうな嫌な画像を見せてくるのか、広告主の味の素には腹が立ってきます。

 別にこれに限るわけじゃありませんが、私はかねてから日本の広告はそのデザインというか内容に問題がかなり多いような気がします。具体例を挙げると駅前などに多い消費者金融やラブホテルの広告などで、このほかにも周辺の建物や風景を全く無視した配色をする看板などが多いということは大きな問題な気がします。ただ広告が多いからと言ってもそれ自体は悪いわけじゃなく、たとえば私がこの前までいた香港も街中には果てしないくらいに広告が立っており、中にはビルの3階から路上へ突き出るようにして出ている看板もありましたが、私も友人も何故だかこれらの広告には不快感は感じませんでした。

 なんか疲れているので文章が荒れていますが、繰り返して言うと日本人はもっと景観を意識して広告を制限するなりなんなりした方がいいと思います。唯一というかそうした景観に対して非常に理解ある場所というのはほかならぬ京都市で、ここはマクドナルドの看板もほかの地域のように鮮やかな赤色ではなく、やや地味に抑えられた茶色にされております。また多分今もそうだとおもいますが八坂神社前のローソンも、恐らくあの場所で横文字なんて使うなと言われたのか店の前には「ローソン」と、カタカナでしかも縦書きで書かれた看板しかありません。それにもかかわらず昔信号待ちしてたら、「なんでこんな場所にあんなもんおるんや」とおっさんがぼやいてましたが。

 ただ京都ほど徹底しろとは言わないまでも子供や外国人も多く集まる駅前や駅構内に、あんな不快感満載の広告ばかりというのは本当にどうにかしてもらいたいです。敢えて名指しで指摘させてもらうと私の地元の千葉県松戸駅には、私が子供だった頃からソープランドを経営する角海老グループの広告が常に貼られております。私なんか無知な子供だった頃、「ねぇあの広告なに?」ってうっかりお袋に質問してしまってて、今となっては非常に恥ずかしい思いがします。っていうか松戸駅はあの意味不明なロータリーといい、もっとまじめに再開発しろよなぁ。

2012年2月1日水曜日

年収300万円が既婚率ボーダーの報道について

 昨日といい今日もブログに書く話題がなく、明日の仕事の準備しなきゃいけないのにどうしようかとちょっと焦っていました。そもそも仕事の準備するならブログを書かなくともいいような気もしますが。
 そんなわけでぼーっとネットをあれこれ見ていたら、ちょっと前に発見してじっくり読んだ上で取り上げようと思っていたYahooの「30代は生きづらいのか」の特集ページにて、ちょっと癇に障る記事があったのでよっしゃと思った次第です。

年収300万円が男性の結婚境界線?(No.361) 届かぬ非正規 対策急務に(東京新聞)

 この記事もさることながら、真面目に東京新聞こと中日新聞には自分が将軍様ならテポドンを打ち込みたいくらいに毛嫌いしております。それだけにこの記事の内容も、いやどっちかっていえば内閣府の調査もの記事なんだから中日新聞を批判してもしょうがないんだけど、ちょっと自分の立場もあるもんでなんかカチンと来る記事でした。
 記事の内容は見出し通りに、男性が結婚してるかしてないかは年収300万円以上であるか以下であるかで大きな差があるという内容です。該当箇所を引用すると、

「男性の年収と既婚率の関係では、二十代では三百万円未満が8・7%なのに対し、三百万円以上なら25~39%に上昇。三十代でも既婚率は、三百万円を境に変化していました。」

 真面目な議論をすると、これは内閣府か中日新聞かどちらを批判すればいいのかちょっと悩みますが、一見してこの調査結果は年齢という変数がどれくらい影響しているのか、というより年齢の影響度が低いということを立証せずには成り立たない主張をしているようにしか見えません。一応、「二十代でも三十代でも、年収三百万円以下は既婚率が低い」と言っていますが、そもそも論として日本人男性の平均初婚年齢は2010年調査で30.5歳です。また20代で今の給与構造だと年収300万円に届く層はあまり多くなく、この前も日テレ若手社員が年末に8万円のボーナス出すくらいならもっと昇給させろと主張したことが話題になったように、一流企業でも案外少ないんじゃないかという気がします。

 急いでいるのでやや飛ばし気味に書いていますが、要するに年収300万円以上の二十代人口はあまり多くないため、この調査結果は代表性があるのか深く疑問だと言いたいのです。逆に三十代だと300万円以下の層が何人いるのかとこちらでもまた疑問符が付くし、なんか元記事でも二十代は既婚率をパーセンテージでちゃんと出しているのに三十代は数字を出してない辺りにも作為的なものを感じます。
 第一、そんなに年収年収というのなら相関係数を出せばいいのにという気がしてなりません。バリマックス回転でもさせれば年齢と年収のどちらが相関度が高いかスパっと出るはずなのに、社会調査をなめているのかと内閣府はこの際無視して相手が中日新聞なので言っておきます。

 こんな感じでやや一方的な批判をまくしたてましたが、最初にも書いたようにちょっと自分の立場もあるのでイライラしてます。あまり不幸自慢をしてもしょうがないと思うものの、こういう数字を出すことで参考になる人もいるんじゃないかと思うのでこの際書いてしまいますが、現在の自分の年収は真面目な話、フルタイム就労ながら200万円を大きく切っています。明らかに逆恨みですが、たまにネットとかで「年収300万円も行かないことに悩んでいる」という話を見ると「なめてるんじゃねぇぞボケ(# ゚Д゚)カス!!」と本気で言いたくなります。
 もちろん望んで中国に来たんだし、現在の給与に納得した上で雇用契約を結んでいるので文句を言う筋合いではありませんが、3ヶ国語使って仕事してるのにさすがにこれはないよなぁと最近感じ始めてます(´Д⊂ヽ

 ただここで再び真面目な話をすると、こういう給与に甘んじなければ中国語を使う就労経験というキャリアが伸ばしづらいというのは間違いのない現実です。また上海で働いている自分と同年代の中国人は明らかに自分より少ない、下手すりゃ半分くらいの給与で働いており、中国人留学生からするとそりゃ日本で働こうとするのにハングリーさを持つよなという気もします。
 はっきり言っていくら中国での就労がブームになっているとはいえ、二十代で私のようにこっち来る人は明らかにレアです。ただこれからは否が応でも中国に就労経験を求めに来る日本の若者(中国語が使える、使えないは問わず)は増えそうですし、日系企業も日本人を中国で現地採用して、中国の一般的な給与を支払いながら日本国内勤務をさせるという逆上がり技をやってくるところも出てくるんじゃないかと思います。

 この記事は前半部と後半部で関係が少ない内容ですが、敢えて後半部を目立たせないような構成を心掛けてこうしてみました。最後に前半部の話に触れると、年収300万円以下か以上かでこう議論が出来るのはまだ日本が余裕ある証拠のようにしか今は思えません。