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2012年10月7日日曜日

経済記者の得意分野、不得意分野

 自分が今の仕事を始めるに当たって、経済学部も出ておらず経済方面の知識が少ないにもかかわらず経済記事がきちんと描けるかどうかが正直な所不安でした。ただこの不安は結果論から言うと杞憂に過ぎず、というのも自分以上に経済のことよくわかっていない人が社内には多かったです。というのも今の会社は経済がわかる、わからない以前に中国語と日本語の能力が求められるため、あまり経済方面の知識力が問われることが低いということが大きな要因なのですが、ただどうも業界内を見回していると大新聞の経済部記者でも知識的に結構怪しい人がちらほらおります。

 私がこう思うようになったきっかけは先日にイギリスで問題になったLIBOR事件の記事なのですが、当時にこの問題について書かれた記事をいくら読んでも内容が全く把握できませんでした。単純に私自身の理解力が不足しているだけだったかもしれませんが、どうもあの時の記事を思い出すにつけ、書いてる記者自体があの問題の本質を誰もわかっていなかったのが最大の原因だと思います。というのもどの記事も、「イギリスでLIBORが問題になっている」、「イギリス当局が銀行に怒っている」としか書いておらず、何の理由で、しかも英銀がどういう不正をすることによってどんな利益を得るのかという構造を誰も説明していませんでした。
 LIBORに限らず、金融関連ニュースは複雑な話が多いために基本的にどの経済記者も書くのを苦手としております。さすがに日経(読んでてわかりづらいが)ならまだしも、朝日や読売といった大手新聞ですら内容を理解していないと見える上っ面だけの記事が載ることもあれば、問題の核心を敢えて濁して書いていると感じる向きも多いです。かくいう自分のいる会社でも金融関連はみんな書きたがらないので上海証券取引所のシステムが一部変わるとかそういった関連の話は無視することの方が多いです。ただこれが香港だったら話は変わってきます。香港は金融と不動産が経済ニュースの8割を占めるために必然的に取り扱わなければならず、自分も香港にいた頃は吐きそうになりながらブルベア証券とかいうデイトレードの話とかを一生懸命書いていました。幸いというか元バンカーの記者が同僚にいたのでわからないところはすぐ確認できましたが。

 金融に限らず、ちょっと面倒な分野というか業種の話はやっぱり書くのが苦手な記者は多いです。所詮は物書いてるだけでその業界で働いたというわけでもないので限界があるのはしょうがないですが、日本の場合は自動車をはじめとして製造業が多いせいかこっち方面の記事だけが得意という人も少なくありません。まぁこれは逆説的に言うと製造業関連の記事は書きやすく、生産能力とか投資額とかをそろえて書けばそれなりに出来上がってしまうという裏事情があるためですが。ただ製造業でも、電機・電子というかエレキ分野は苦手な人は本当にどうしようもないという人もおります。特に通信関連だと多少専門用語が出てくるため、「LTEって何?」から聞かれることもあります。

 参考までに自分の得意分野、苦手分野を書きに簡単にまとめます。

・エレキ(△):必要最低限のことは書けるが、特集記事とかはそういうのは書かないし書く気も起きない。
・自動車(○):決して詳しいわけではないが、社内に車好きがほかにいないために相対的に質問が集まってくる。
・金融(○):同じく詳しいわけではないが、ほかに書ける人があまりいないため集中して書くことが多い。
・小売・流通(×):自分自身がこの業界に全く興味がないため、書く記事も淡白で社内で評判が悪い。
・繊維(△):中国でも年々盛り下がっている業界なだけに、書く機会自体がほとんどない。
・ゲーム(◎):ほかに書ける人がいないというのもあるが、興味が強いことから社内で恐らく一番上手く書けると自負してる。
・IT(○):一通りの用語は知っているのと、ネット広告の仕組みがまだわかることから質問がよく来る。
・エネルギー(×):専門性が非常に高く応用し辛い分野。中国では石炭の話がメインで、標準炭という単語がよく出てくる。
・観光(×):ホテル経営関連のニュースは壊滅的。パリス・ヒルトンのスキャンダルなら書けるが……。

 私の場合はざっとこんな感じです。一番ベストなのはどの業界でも万遍なくいい記事を書けることですが、やはり興味のある分野の方にこういうものは偏っていくと思います。ただこれはあくまで経済記者における基準であって、ほかの社会部とか芸能部の記者と比べればどの業界でもまだ強いという自信があります。その分、芸能関係は本筋の人には負けるでしょうが。
 なお敢えて一つ苦言を呈すと、日本の政治部記者はもっと経済を勉強すべきだと私は感じます。政府の経済政策批判もとんでもなくピントが外れた記事が多く見受けられ、今読んでいる本で学者も指摘しておりますが、円高の責任は日銀にあるのに政府ばかり批判し、日銀がほくそ笑んでいるという現状もあります。経済に限るわけじゃないですが、日本の政治記事は批判ばかりでなんていうかつまらないです。

2012年10月5日金曜日

何故秦は強かったのか

 先月に日本に帰国した際に以前から読んでいた「キングダム」という漫画の新刊を一気に読んできました。以前から高く評価しておりましたが先日からはNHKでアニメ化を果たしており、非常に読み応えのある作品でどうしてこの作者がこれまでに世に出なかったのが不思議に感じるほどです。
 そんなキングダムですが知らない人に簡単に説明すると中国の戦国時代(紀元前3世紀あたり)が舞台で、後に中国を統一する秦で将軍を目指す少年が主人公です。漫画ではやっぱりドラマ性を掻き立てるために戦争で何度も秦が窮地に追いやられたりしますが、実際の歴史では当時の臣はこの後に中国統一するだけあって国力は圧倒的で、ほかの国が束になっても敵わないくらいに強かったです。これまた先日にこの「キングダム」について語られている掲示板で、一体何故当時の秦がそれほどまでに強かったのかという議論があったので、私なりに秦の強さの秘訣を教派解説しようと思います。

(Wikipedia)

 まず自体背景から説明すると、封神演義で有名な周王朝が衰退していくと中国では各地域に王が立ち分裂国家となります。この分裂時代の序盤を春秋時代、途中で晋という国が三国に分裂して以降は戦国時代と呼称を呼び分けられているのですが、はっきり言って秦は春秋・戦国時代を通して一貫して強かったです。何かの戦争に絡んだたら大抵は勝ってましたし、常にパワーバランスを握る大国として君臨し続けておりました。何故最初から秦が強かったのか、その理由を箇条書きにすると以下のような点が挙がってきます。

・西の果て(現在の陝西省)という防御に強い地の利に恵まれていた
・常に異民族と戦っていて兵の練度が高かった
・中央の争いにあまり巻き込まれなかった

 言ってしまえば三国時代の蜀と同じような具合で、根拠地が圧倒的に守りに強い場所にあったことが大きいです。ただその一方でデメリットもあり、こちらも蜀と同じく食糧生産量は少なく複雑な地形から外征には出辛い国でした。もっともあまり外政にでられなかったことから、国力をじっくり蓄えることもできたとみれますが。

 こうした地政学的な利点に加え、秦が最強国となった最大の理由は商鞅の改革にほかなりません。商鞅に関しては世界史でも習うことがありますが法家の代表格ともいうべき人物で、当時はまだ蛮地とみられていた秦で厳しい法制度を敷いた人物です。商鞅の改革は授業では刑罰関連ばかりが取り上げられますが、実際には知行制から俸禄制に切り替えたことの方が影響力としては大きいです。
 当時の中国では日本の戦国時代のように、功績のあった人物には土地とその土地に住む住人の支配権を与えることで報酬としておりました。ただこのやり方だと与えられる土地はどんどん減っていくばかりか一度与えた土地は取り返せず、中には王を超えるほどの土地を所有する大貴族も生無ことにもなり王の支配権にもいろいろ影響しておりました。これを商鞅は土地をすべて王の管理下において、その土地から得られる穀物を報酬として与える俸禄制に切り替え、王の実権を高めるとともに実力のある人物を採用しやすくするよう改めました。

 この商鞅の改革の結果、秦の貴族は弱っていったのに対し秦王の権力はどんどんと強まっていっただけでなく、俸禄制で気兼ねなく積極的に人材を採用することから有能な人物も次々と集まるようになっていきました。あまりよそでは指摘されておりませんが、秦ではほかの国と比べて圧倒的と言ってもいいほど宰相職に外国人が就任するパターンが多いです。この商鞅もそうでしたし、その後の范雎や李斯も外国出身者で実力主義が非常に浸透していたことも見逃せません。
 これまたはっきり言ってしまえば、秦が中国を統一できたのはこの商鞅の変法によるものと言い切っていいでしょう。一応、隣の魏が秦に先駆けて呉起が知行制から俸禄制に切り替えましたが、実権を失ったことを恨んだ貴族たちによって呉起が殺されて後に魏は元の知行制に戻してしまっています。仮にこの時に魏が俸禄制を維持していたら、歴史が変わっていた可能性は高いと思います。また商鞅自身も後に恨んでいた貴族によって殺害されますが、秦は俸禄制をちゃんと維持しました。

 この知行制から俸禄制への切り替え、後の中国ではスタンダードになりますが日本では織田信長が初めて大規模に実行しております。結果は言わずもがなですが、やはり戦国時代は実力主義者が強くなる傾向があるようです。

2012年10月4日木曜日

セブンイレブンのカレー弁当:((´゙゚'ω゚')):

 愚痴っぽい話になりますが聞いてください。
 やや古い話ですが今年7月、昼食にこちら上海で売っているセブンイレブンのチキンカツカレー弁当を買って食べたのですが、食べた直後から明らかにお腹が痛くなり、例えるなら胃の中にねずみ花火放り込んだような痛みでその日は嘘ではなくまっすぐ歩くことすらできなくなりました。こんなことあったもんだからもうセブンイレブンのカレーは食べないでおこうと決めたのですが、「さすがにあの時はたまたま手に取ったものが悪かったのかもしれないし、そもそもあのカレーが腹痛の原因とも限らないしね(*´∀`)」などと言って、一昨日にまたセブンイレブンのカツカレーを昼食に買って食べました。やっぱりお腹壊しました。

 お腹壊すといっても一回下すとかそういうレベルじゃなく、致命的なまでに胃の機能が低下しております。最初のチキンカツカレーも食べた日から二週間程度腹痛が止みませんでしたが、一昨日にカツカレーを食べてからも現在に至るまでも、前ほどじゃないけど時たま激しく痛くなります。感染源がセブンイレブンのカレーとは限りませんが、さすがにこうも二回連続で、しかも長期にわたって痛みが続くということまで共通していると疑わざるを得ません。そもそも一回で懲りてれば話は早かったのですが……。
 ちょっと今回は私もマジになり、本当に痛いもんだからセブンイレブンに文句入れようかとすら考えました。さすがにクレームは出してませんが、ほかにも被害者がいないか百度で確かめはしましたが、同じような話はあいにくありませんでした。

 なおコンビニのカツカレーとくれば私は普段、ファミリーマートのカツカレー弁当を食べてます。あまりにも昼食に使う回数が多いものだから同僚からも「栄養偏るよ(*´・ω・)」と言われるくらい食べてますが、こっちのファミリーマートでは今の今まで一度もお腹を下したことはありません。あとさすがに中国に留学に来た直後はこっちの辛い料理になれず比較的壊しやすかったですが、この一年間はほとんど全くお腹を壊すことがないくらい中国の食事に適応していると自負しております。
 とはいいながら、以前に会社の同僚と四川料理屋に行った後、一回壊したことがありました。次の日になんとなくその同僚と話してみると、なんと同僚も同じようにお腹を壊しており、二度とあの店には行かないと誓い合いました。

2012年10月3日水曜日

猛将列伝~朱元璋

 このところずっと中国史ネタをやってないので、意外と知らない人も多そうなので朱元璋について私なりに簡単に紹介します。

朱元璋(Wikipedia)

 朱元璋とくると世界史をやってる人には早いですが、14~16世紀に中国を支配した王朝である「明」の初代皇帝です。この明のひとつ前の時代は「元」といって、説明するまでもないですがモンゴル人の支配による王朝です。朱元璋は元々農民出身(しかもかなり貧乏)で、この元に対する白蓮教徒による反乱である紅巾の乱に参加したことから世に出ます。この反乱軍参加時に責任者の郭子興に気に入られ養女を嫁にもらったことから徐々に頭角を現し、郭子興の死後はその軍を実質的に引き継ぎ戦国時代と化していた中国で覇権を争うようになります。
 この時の朱元璋の行動で注目すべきは、自分が農民出身ということで同じく皇帝にまで上り詰めた前漢の劉邦を意識して参考にしていることです。たまに朱元璋を日本の豊臣秀吉と比較する人がおりますが、同じ農民出身ということでなくこう言った一種のパフォーマンスを取っていたということからも悪くない比較の仕方だと思います。

 朱元璋が後に中国の皇帝になれた大きな理由は知略に長けた功臣に恵まれたことはもとより、早くに南京を中心とした江南地方を手中に収めたことが何よりも大きいでしょう。当時の中国はたとえるなら今の北朝鮮と韓国のように南北で大きな経済格差があり、南方が圧倒的に裕福でした。元朝をはじめとしたその時々の王朝は隋朝時代にできた大運河を使って南方の物資を北に運ぶことで経済をまわしてきていたのですが、ライバルの漢民族の軍閥を蹴落としてこの裕福な南方を得たことによって、北京に居座る元朝との対決を非常に有利に進めることが出来るようになりました。
 私見ながらやはり朱元璋が偉大だと感じるのは、彼一代で軍閥を起ち上げた上にモンゴル民族を打ち破り中国統一を果たしていることです。ほかの王朝なんかは大抵は初代が王朝というか軍閥を起ち上げるところまでやって、中国統一は二代目以降がというパターンが多いのですが、朱元璋の場合は彼一代でこの難事業をやり遂げております。そういう意味では行動力というかパワーというか、とにかくそういったものに溢れている皇帝像を思い浮かべます。

 ただこの朱元璋、知ってる人には有名ですが性格に色々難があります。とにもかくにも猜疑心が強く、中国統一後は創業の功臣を片っ端から誅殺しております。何もこんなところまで劉邦をまねなくったっていいのに。そのため現代に伝わる彼の肖像画は二種類あり、片っ方はいかにも中国画って感じの恰幅のいいカーネルサンダース然した叔父さんですが、もう片っ方はネズミみたいな顔した、なんていうかヤクザのチンピラっぽい顔で書かれておりこちらの方が実像に近いと言われております。
 彼の誅殺ぶりを表す一つのエピソードして空印事件というものがあるのですが、これは帳簿の数字を修正する場合は今の日本のお役所仕事と同じように一からやり直さなければならなかったことから、あらかじめ印鑑を押した記入前の帳簿を作っておくという裏テクが明代のお役所でも公然の秘密のような感じで行われていたようですが、これを朱元璋が「意味ないじゃん!」と言って関係部署の人間、または作っていた人間をまとめて死罪にしたそうです。このほか彼の奥さんの馬皇后も、病気になった際に夫が送ってきた医師の診察を一切受けなかったそうです。というのも仮に診察を受けても治療できなければ、怒って旦那がその意思を殺すとわかってたからです。

 このように朱元璋は苛烈な性格をしていたことは間違いなく、中国語で「我的东西是我的,你的东西还是我的」と中国語がわかる方なら即意味が取れるでしょうが、「お前の物は俺の物、俺の物も俺の物だ」とジャイアンに約600年先駆けてこんなことを言うくらいな人だったらしいです。ただこうした苛烈な性格は周囲、特に本人の学歴コンプレックスもあって文人官僚などに向けられることはあっても、一般庶民に対しては自分が貧農出身だったことから比較的寛大な政策が取られており、反乱軍参加時も略奪などの行為は他の軍の比較して極端に少なかったそうです。そのため庶民からの人気は絶大で、上記のように豊臣秀吉といろいろかぶってくるわけです。

 ただ彼の不幸は後継者と目論んでいた長男が早世し、二代目を継いだのが長男の息子、つまり朱元璋の孫(建文帝)になったことです。政権を盤石にするために功臣をすべて排除していたものの、親戚には甘かった朱元璋は第四子である朱棣には北京で大規模な兵権を預けたままで、朱元璋の死ぬとこの朱棣があっさり反乱を起こして建文帝を殺害し、自らが第三代皇帝の永楽帝となります。
 中国文学者の高島俊男氏なんかはこの過程を現代中国にも当てはめ、重農主義だった朱元璋(毛沢東)の後に永楽帝(鄧小平)が立ち、永楽通報という通貨を流通させるなど市場経済主義に改変せしめたと指摘し、明代と同じように今の中国共産党帝国は寿命の長い王朝になると分析しておりますが、なかなか頷ける話だと私も思います。

10月6日:西宮冷蔵社長のトークイベント開催

 以前に書いた「平成史考察~BSE騒動(2001年)」のコメント欄で以下のイベント開催告知を受けたので、このブログでも紹介することにします。


『ハダカの城』アンコール公開記念イベント
■日時:2012年10月6日(土) 12:30開場/13:00開始 
■登壇者:水谷洋一(西宮冷蔵株式会社社長)/水谷甲太郎(同社専務)
/香川今生(TVディレクター)/柴田誠監督
■料金:前売1500円/当日1800円
■場所:「Space&Cafeポレポレ坐(ポレポレ坐ビル1階)」
■予約:03-3227-1405(ポレポレタイムス社)  E-mail:event@polepoletimes.jp
■定員:70人

ポレポレ坐サイト(http://za.polepoletimes.jp/news/2012/09/2012106.html

 西宮冷蔵とは雪印牛肉偽装事件の際に内部告発を行った倉庫会社のことです。この経緯については過去記事でも取り上げていますが、不正を見逃さず内部告発を行った西宮冷蔵はその後、偽装に関わったとして行政から営業停止処分を受け一時は休業に追い込まれますが、その後各方面からの支援を受け営業を再開した会社です。まだ黎明期とはいえ内部告発のあり方に一石を投じた会社であり個人的にも興味を持っている会社なのですが、社長の水谷氏が東京でトークショーを行うとともに、あの事件をつづった映画「ハダカの城」も公開するイベントだそうです。

 生憎私は今日も明日も明後日も中国にいるので見に行くことはできませんが、興味のある方などは足を運んでみてはいかがでしょうか。

2012年10月2日火曜日

次回総選挙の結果予想について

 材料が一通りそろってきたので次回総選挙について予想を簡単にまとめることにします。まず結論から言うと私は、大胆な予想ですが次回総選挙では民主党が逃げ切る形で勝利すると考えております。

 総選挙の結果予想の前に時期はいつごろになるのかについて軽く触れておきますが、候補としては二通りあり、今年末か来年4月以降のどちらかと言って間違いないでしょう。こう考える根拠として野田首相は今年中の臨時国会の招集を既に約束してあり、恐らくここで補正予算案を出してくるかと思います。その一方、来年度の予算編成にも既に着手しているとされ、仮にこれを通すとなったら来年にまで選挙はずれ込むことになります。私の見立てだと野田首相もこの二通りの選挙時期をにらんでおり、本命としてはやはり来年で、状況によっては今年やるという算段じゃないかと思います。奇襲をかけるという意味では、今年やった方が解散総選挙を求めている自民党に打撃を与えられるからいいような気がしますが。

 では選挙時期はいいとして、どうして民主党が勝利すると予想するのかです。普通に考えれば消費税増税に踏み切った挙句、これまでの三年間がリーマンショックをはじめとした国外の影響が大きいとはいえ不景気の真っただ中だったことから民主党が大敗すると誰もが考えておられるでしょうが、こう考える根拠をスパッと言ってしまうと次の選挙で勝利ラインとなるのは衆議院単独過半数ではなく、比較第一党となることだからです。
 勘違いしてもらいたくないのは私も次の選挙で民主党は相当の議席を減らすことになり、よほどのことがない限り単独過半数を得ることは不可能でしょう。ただ今の情勢を見るにつけ自民党は民主党に反感を抱いている層から支持を得ているとは言い難く、小沢一派の分裂といい日本維新の会の発足など、新党が出来ていることから票がばらける可能性が高いんじゃないかと思っています。そのため民主党の減った議席分だけ自民党の議席が増えるわけではなく、自民も民主も単独与党にならないんじゃないかと思います。

 どこも単独与党が作れないとなると次回選挙後は連立政権になる可能性が高いわけですが、ここで中心となるのはいうまでもなく比較第一党です。要するに民主党としては議席を減らしても比較第一党になればどうせ今の参議院の状況からして連立政権になるわけだし、結局は政権を維持できることになり、負けるが勝ちじゃないですがイニシアチブを握れることになるわけです。
 もちろん自民党が比較第一党になれれば自民党から首相が出るわけになるでしょうが、さっきも言った通り自民党が支持層を拡大しているとはちょっと言い難く、反民主層の投票は日本維新の会に向かうことになると思います。更に今後の国会状況を予想するにつけ、外交政策は野田首相、安倍総裁、石破幹事長でほぼ一致しておりあまり論点がなく、消費税の増税案についても自民党は谷垣時代に賛成し(そして自己否定し)た過程があるため強い批判は行えないでしょう。もし消費税増税方針を撤回するということもありえますが、これはこれで批判を受けることになるでしょうし、私が野田首相なら自民党が撤回した段階で敢えて選挙に臨みますがね。

 と、ここまで民主党は議席を減らすが比較第一党になるのではという話を書いてきますが、本当に重要なのはここからで、じゃあ選挙後はどこと連立を組むかです。個人的にここ数週間の政治報道を見ていて非常に不満に感じていたのですが、それこそ自民の総裁選の最中にでも誰か、仮に自民と民主がどちらも単独過半数を握れなかったら連立を組むのかと質問する奴はいないのかとやきもきしながら見てました。さっきも書いたように自民も民主も単独過半数が取れないと私は考えており、ではその時に両党は連立を組むのか、ここが今後の政局を見る上で非常に重要になってくるかと思います。
 私としてはかつての鳩山、管時代に比べれば今の野田首相と前原氏の方針は安倍総裁に近く、全く有りえないとは考えていません。ただ連立を組むこと前提だと自民党としては今後の国会では批判しづらくなり、この辺を安倍総裁がどう判断するかがまさしく見物です。条件としては選挙後に野田首相を下す代わりに、と言ってくるかもしれません。

 ただ連立を組むのはこの二党だけとは限りません。それこそ議席数が足りるのであれば民主は自民を、自民は民主を選ばずに、公明党をパートナーとして選んでくる可能性があります。こうなった場合は公明党にとってはまさに漁夫の利ですが、この漁夫の利をマジで狙っているのは他でもなく日本維新の会でしょう。仮に日本維新の会が30議席を確保すれば十分に交渉できるようになり、民主党も自民を選ぶよりは公明、維新で三党連立を選ぶ方が気が楽でしょうに。

 以上のように次回総選挙は選挙後の連立をにらんでこれまで以上に複雑な争いになってくると思います。最後に代表、総裁選を終えた民主党と自民党について一言書くと、民主党に関しては完全に選挙を意識した体制になっております。つい先日に内閣改造を終えましたが、これまでと比べて比較的若手の議員を登用するとともにあの田中真紀子氏まで入れてきましたが、細野議員を政調会長に入れた当たり、自民党に対して世代の若返りをアピールする狙いがあると思います。私としても知名度はあってもこれまであまり役に立たず、また派閥に遠慮して決められた人事よりはまだ一見の価値がある陣容だと評価してます。
 逆に自民党は安倍総裁以下やはり世代交代が進んでいない上に、先日に森、福田元首相など重鎮が政界引退を発表してはおりますが、後釜のこととか考えると次の選挙は厳しいんじゃないかと個人的に思います。自民も政策批判だけじゃなく、重鎮の引退に合わせて小泉進次郎議員などもいるんだから世代刷新をもうちょっとアピールした方がいい気がするのですが。

2012年10月1日月曜日

個人における主観と客観の割合

 このところ長期連休中で家に籠っていることもあり思想がやけに発達してます。苦労しながら得られる哲学もありますが、やっぱりある程度時間に余裕がないとこういうものは考えられないと再自覚されるのですが、私なんか意識してたけど昨今の大学生は意識してるのかな。これも先日に友人と話しましたが、余裕のある大学生の時代に思想を広げられないのであれば恐らくその後一生広げられないのではと本気で思います。

 そろそろ話を本題に入りますが、友人から度々、しかもかなり激しく注意されるくせに未だに私は相手を値踏みする癖をやめることが出来ません。他人をどう評価するかですが、勝手な想像ですが恐らくほかの人はある一面、仕事ができるか知識が多いか性格がいいかお金を持っているかなど焦点を絞って分析しているように見えますが、自分の場合は異常と言っていいくらいの数量の分野を項目ごとに比較して総合的に判断するように心掛けています。そんな比較指標の一つとして、今回取り上げる「主観と客観の割合」は重要指標として重く評価する材料となっております。

 主観と客観の割合と言われてピンとくる人はまずいないかと思いますし、こんな指標でもって他人を判断するのはまず以って私くらいでしょう。これの意味するところは一言で言い表すならば、「自分の意見と他人の意見で、どっちをどれだけ優先するか」です。これは普段は百分率で比較しているのですが、たとえばほかの人の意見を全く聞かず自分の考える通りがすべて真実だと考えている人は主観100%で、逆にまったっく意見を持たずに周囲の意見に完全に流される人は客観100%です。
 具体的にどこに中間点(主観50%、客観50%)を置くかは厳密には難しいですが、比較さえできればいいので私は平均的な日本人の態度を50%:50%に置いて比較をしております。国際的に比較するなら日本人はやはり自己主張を控えるところがあるので、中国人やアメリカ人は主観の方が60%や70%に達し、逆に客観は40%や30%へと落ちていきます。また宗教をやってている人間も一部の価値観を信仰内容に合わせるため主観より客観が多くなると考えており、このほか軍隊にいる人間もその集団性から主観が低下します。

 この段階で何かピンと来た人は恐らく私と同じ社会学出身だと思いますが、この考え方のベースには社会学者エミール・デュルケイムの「自殺論」に依っています。この自殺論では主観をどちらかというと「自我」という言葉で表現しておりますが、この自我の割合が極端に高い人ほど自殺する傾向が上がり、また逆に自我が極端に低い人も同じように自殺する傾向が高いと統計で証明しております。現実に日本の自衛隊を含む軍人の自殺率は一般の自殺率と比べ世界各国で高い傾向があります。宗教に関して言えばカトリックより主観が強いプロテスタントの方が自殺率が高く、カトリックの人くらいのバランスが対自殺という面では主観と客観の割合が一番いいのかもしれません。
 念のため付け加えておくと、イスラム教の場合は生活苦などの自殺は少ない一方で殉教とか自爆テロが多いので、やはり客観が強すぎるきらいがあると私は考えております。

 話を元に戻しますが、こうして主観と客観の割合という面で他人を比較分析すると意外と楽しいものがあります。どんな人の意見も聞く人もいれば年下の意見は内容はどうあれ聞かない人もいたり、ちょっと前まで散々持てはやしたくせに流行が廃れるや見向きもしなくなる人など、やっぱり人それぞれに個性があって千差万別です。
 上の自殺率の話で書いたように、一概に主観が強ければ強いほどいいというわけではなく、やっぱりこれはバランスだと思います。隣人にするなら言うべきことは言って、他人の意見にもきちんと耳を傾けられるバランス感のある人間がやはり望ましいでしょう。ただ一つの集団の中で考えると主観と客観、どちらかに偏った人間が求められることになります。

 その代表格はまさに上に挙げた軍隊における一兵卒です。末端の兵士は上から下りてきた命令内容に疑問やためらいを持って行動が遅れたりすれば部隊全体に影響することがあり、可能な限り主観が低いに越したことはありません。逆に司令官は周りにほだかされて自分の決断をコロコロ変えたりすればまず負けるため、強烈な主観が求められることになります。
 一般企業においてもこれは同様です。末端はなるべく主観を持たないで仕事し、管理職や役員はある程度固定した思想が求められます。ただ最近は世の中の仕組みが変わってきていることもあり、以前より末端社員が主観を持つというか自分で判断して処理しなければ仕事がうまく回りづらくなってきていると私は考えています。もっともそれは上層社員も同じことですが。

 ただここで一つ疑問が出てきます。管理職や役員は強い主観を持つべきとはいっても、間違った経営判断を頑固に維持することは経営上問題なのではないかということです。となるとやっぱりバランスのいい人が望ましいのか、これに対する私の答えは否で、もう一つ概念を加えて考えればすっとおさまるような気がします。なんか今日はもったいぶった言い方が多いですがその概念というのも、「論理的思考ができるかどうか」です。
 私は最初に「自分の意見と他人の意見で、どっちをどれだけ優先するか」が主観と客観の割合を決めると書きましたが、これは必ずしも「他人の意見を採用するかどうか」には関わりません。何故ならば自分と他人の意見が最初異なっていたとしても、冷静に損得を考えて他人の意見が有利と判断してそちらを採用するというのも、主観の判断だと取れるからです(少なくとも私には)。仮に自分の意見が有利だと思いつつも周りを気にして他人の意見を採用するのであれば主観が低いと言わざるを得ませんが、比較判断した上でより有利な意見として他人の意見を取ることはまさしく自己の判断と言えるでしょう。

 この比較判断が出来るということこそが論理的思考ができるかどうかです。論理的思考ができないというのはこの場合、自分の意見と他人の意見のどっちが有利かを全く考えず自分の意見を自分が考えたのだからという理由で採用することになり、いわゆる問題のあるワンマン経営者が出来上がるというわけです。説明するのが面倒なのでサラリと流してしまいますが、この論理的判断は主観があって初めてできる行為であって、客観の方が強い人間は不可能です。そういう意味で経営者などには、論理的思考ができることを前提でやはり主観が強い人の方が向いていると私は考えます。逆に論理的思考が出来ないのであれば早めに放逐した方がいいでしょう。

 最後に私の自己分析ですが、主観と客観の割合は90:10くらいかなと考えてます。基本的に自分が間違っていると思うことに対して一切合切拒否しますし、自分が納得しない限りは人の意見を完全に無視しているからこの計算となるわけですが、ただ一人の友人が話す意見に対しては内心で「それ違うんじゃないかな」と思いつつも、その友人が言うのだからと無条件で従います。ほか3人の友人に対しては意見が対立した際、自分の意見を一旦は必ず保留にして再検討するごく限られた謙虚さを持つので、客観を10と計算した次第です。こんな性格な分、普段接する上でも主観の強い人間の方が好みというところがあります。