2012年10月3日水曜日

猛将列伝~朱元璋

 このところずっと中国史ネタをやってないので、意外と知らない人も多そうなので朱元璋について私なりに簡単に紹介します。

朱元璋(Wikipedia)

 朱元璋とくると世界史をやってる人には早いですが、14~16世紀に中国を支配した王朝である「明」の初代皇帝です。この明のひとつ前の時代は「元」といって、説明するまでもないですがモンゴル人の支配による王朝です。朱元璋は元々農民出身(しかもかなり貧乏)で、この元に対する白蓮教徒による反乱である紅巾の乱に参加したことから世に出ます。この反乱軍参加時に責任者の郭子興に気に入られ養女を嫁にもらったことから徐々に頭角を現し、郭子興の死後はその軍を実質的に引き継ぎ戦国時代と化していた中国で覇権を争うようになります。
 この時の朱元璋の行動で注目すべきは、自分が農民出身ということで同じく皇帝にまで上り詰めた前漢の劉邦を意識して参考にしていることです。たまに朱元璋を日本の豊臣秀吉と比較する人がおりますが、同じ農民出身ということでなくこう言った一種のパフォーマンスを取っていたということからも悪くない比較の仕方だと思います。

 朱元璋が後に中国の皇帝になれた大きな理由は知略に長けた功臣に恵まれたことはもとより、早くに南京を中心とした江南地方を手中に収めたことが何よりも大きいでしょう。当時の中国はたとえるなら今の北朝鮮と韓国のように南北で大きな経済格差があり、南方が圧倒的に裕福でした。元朝をはじめとしたその時々の王朝は隋朝時代にできた大運河を使って南方の物資を北に運ぶことで経済をまわしてきていたのですが、ライバルの漢民族の軍閥を蹴落としてこの裕福な南方を得たことによって、北京に居座る元朝との対決を非常に有利に進めることが出来るようになりました。
 私見ながらやはり朱元璋が偉大だと感じるのは、彼一代で軍閥を起ち上げた上にモンゴル民族を打ち破り中国統一を果たしていることです。ほかの王朝なんかは大抵は初代が王朝というか軍閥を起ち上げるところまでやって、中国統一は二代目以降がというパターンが多いのですが、朱元璋の場合は彼一代でこの難事業をやり遂げております。そういう意味では行動力というかパワーというか、とにかくそういったものに溢れている皇帝像を思い浮かべます。

 ただこの朱元璋、知ってる人には有名ですが性格に色々難があります。とにもかくにも猜疑心が強く、中国統一後は創業の功臣を片っ端から誅殺しております。何もこんなところまで劉邦をまねなくったっていいのに。そのため現代に伝わる彼の肖像画は二種類あり、片っ方はいかにも中国画って感じの恰幅のいいカーネルサンダース然した叔父さんですが、もう片っ方はネズミみたいな顔した、なんていうかヤクザのチンピラっぽい顔で書かれておりこちらの方が実像に近いと言われております。
 彼の誅殺ぶりを表す一つのエピソードして空印事件というものがあるのですが、これは帳簿の数字を修正する場合は今の日本のお役所仕事と同じように一からやり直さなければならなかったことから、あらかじめ印鑑を押した記入前の帳簿を作っておくという裏テクが明代のお役所でも公然の秘密のような感じで行われていたようですが、これを朱元璋が「意味ないじゃん!」と言って関係部署の人間、または作っていた人間をまとめて死罪にしたそうです。このほか彼の奥さんの馬皇后も、病気になった際に夫が送ってきた医師の診察を一切受けなかったそうです。というのも仮に診察を受けても治療できなければ、怒って旦那がその意思を殺すとわかってたからです。

 このように朱元璋は苛烈な性格をしていたことは間違いなく、中国語で「我的东西是我的,你的东西还是我的」と中国語がわかる方なら即意味が取れるでしょうが、「お前の物は俺の物、俺の物も俺の物だ」とジャイアンに約600年先駆けてこんなことを言うくらいな人だったらしいです。ただこうした苛烈な性格は周囲、特に本人の学歴コンプレックスもあって文人官僚などに向けられることはあっても、一般庶民に対しては自分が貧農出身だったことから比較的寛大な政策が取られており、反乱軍参加時も略奪などの行為は他の軍の比較して極端に少なかったそうです。そのため庶民からの人気は絶大で、上記のように豊臣秀吉といろいろかぶってくるわけです。

 ただ彼の不幸は後継者と目論んでいた長男が早世し、二代目を継いだのが長男の息子、つまり朱元璋の孫(建文帝)になったことです。政権を盤石にするために功臣をすべて排除していたものの、親戚には甘かった朱元璋は第四子である朱棣には北京で大規模な兵権を預けたままで、朱元璋の死ぬとこの朱棣があっさり反乱を起こして建文帝を殺害し、自らが第三代皇帝の永楽帝となります。
 中国文学者の高島俊男氏なんかはこの過程を現代中国にも当てはめ、重農主義だった朱元璋(毛沢東)の後に永楽帝(鄧小平)が立ち、永楽通報という通貨を流通させるなど市場経済主義に改変せしめたと指摘し、明代と同じように今の中国共産党帝国は寿命の長い王朝になると分析しておりますが、なかなか頷ける話だと私も思います。

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