2012年10月5日金曜日

何故秦は強かったのか

 先月に日本に帰国した際に以前から読んでいた「キングダム」という漫画の新刊を一気に読んできました。以前から高く評価しておりましたが先日からはNHKでアニメ化を果たしており、非常に読み応えのある作品でどうしてこの作者がこれまでに世に出なかったのが不思議に感じるほどです。
 そんなキングダムですが知らない人に簡単に説明すると中国の戦国時代(紀元前3世紀あたり)が舞台で、後に中国を統一する秦で将軍を目指す少年が主人公です。漫画ではやっぱりドラマ性を掻き立てるために戦争で何度も秦が窮地に追いやられたりしますが、実際の歴史では当時の臣はこの後に中国統一するだけあって国力は圧倒的で、ほかの国が束になっても敵わないくらいに強かったです。これまた先日にこの「キングダム」について語られている掲示板で、一体何故当時の秦がそれほどまでに強かったのかという議論があったので、私なりに秦の強さの秘訣を教派解説しようと思います。

(Wikipedia)

 まず自体背景から説明すると、封神演義で有名な周王朝が衰退していくと中国では各地域に王が立ち分裂国家となります。この分裂時代の序盤を春秋時代、途中で晋という国が三国に分裂して以降は戦国時代と呼称を呼び分けられているのですが、はっきり言って秦は春秋・戦国時代を通して一貫して強かったです。何かの戦争に絡んだたら大抵は勝ってましたし、常にパワーバランスを握る大国として君臨し続けておりました。何故最初から秦が強かったのか、その理由を箇条書きにすると以下のような点が挙がってきます。

・西の果て(現在の陝西省)という防御に強い地の利に恵まれていた
・常に異民族と戦っていて兵の練度が高かった
・中央の争いにあまり巻き込まれなかった

 言ってしまえば三国時代の蜀と同じような具合で、根拠地が圧倒的に守りに強い場所にあったことが大きいです。ただその一方でデメリットもあり、こちらも蜀と同じく食糧生産量は少なく複雑な地形から外征には出辛い国でした。もっともあまり外政にでられなかったことから、国力をじっくり蓄えることもできたとみれますが。

 こうした地政学的な利点に加え、秦が最強国となった最大の理由は商鞅の改革にほかなりません。商鞅に関しては世界史でも習うことがありますが法家の代表格ともいうべき人物で、当時はまだ蛮地とみられていた秦で厳しい法制度を敷いた人物です。商鞅の改革は授業では刑罰関連ばかりが取り上げられますが、実際には知行制から俸禄制に切り替えたことの方が影響力としては大きいです。
 当時の中国では日本の戦国時代のように、功績のあった人物には土地とその土地に住む住人の支配権を与えることで報酬としておりました。ただこのやり方だと与えられる土地はどんどん減っていくばかりか一度与えた土地は取り返せず、中には王を超えるほどの土地を所有する大貴族も生無ことにもなり王の支配権にもいろいろ影響しておりました。これを商鞅は土地をすべて王の管理下において、その土地から得られる穀物を報酬として与える俸禄制に切り替え、王の実権を高めるとともに実力のある人物を採用しやすくするよう改めました。

 この商鞅の改革の結果、秦の貴族は弱っていったのに対し秦王の権力はどんどんと強まっていっただけでなく、俸禄制で気兼ねなく積極的に人材を採用することから有能な人物も次々と集まるようになっていきました。あまりよそでは指摘されておりませんが、秦ではほかの国と比べて圧倒的と言ってもいいほど宰相職に外国人が就任するパターンが多いです。この商鞅もそうでしたし、その後の范雎や李斯も外国出身者で実力主義が非常に浸透していたことも見逃せません。
 これまたはっきり言ってしまえば、秦が中国を統一できたのはこの商鞅の変法によるものと言い切っていいでしょう。一応、隣の魏が秦に先駆けて呉起が知行制から俸禄制に切り替えましたが、実権を失ったことを恨んだ貴族たちによって呉起が殺されて後に魏は元の知行制に戻してしまっています。仮にこの時に魏が俸禄制を維持していたら、歴史が変わっていた可能性は高いと思います。また商鞅自身も後に恨んでいた貴族によって殺害されますが、秦は俸禄制をちゃんと維持しました。

 この知行制から俸禄制への切り替え、後の中国ではスタンダードになりますが日本では織田信長が初めて大規模に実行しております。結果は言わずもがなですが、やはり戦国時代は実力主義者が強くなる傾向があるようです。

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