・韓国のIMF救済(Wikipedia)
前回の予告通り、今回は現代韓国の始まりともいえるIMF事態を紹介します。ただ紹介すると言っても、この項目だけで本一冊かけるくらい肉厚な内容なので、あくまで素人としてわかる範囲をかいつまんで書いてこうかと思います。
事の起こりは1997年の8月、タイの通貨であるバーツが暴落したことを皮切りに起こったアジア通貨危機がきっかけです。このアジア通貨危機は日本は直接的な影響を受けなかった(間接的には大きい)ために事件当時はあまり報じられてませんでしたが、タイを始めとして韓国やフィリピン、マレーシアなどの国々では通貨価値が大きく下落し、輸出入の面で大きく経済が混乱しました。
折しも韓国ではそれまで続いていた高い経済成長が終わり、調整期に入ろうとしていた時期でした。そこへこのアジア通貨危機の波が起こり銀行や企業の間では不良債権が一気に焦げ付き、財閥系企業でも倒産に追い込まれるなど、私の目から見ても空気ががらりと変わった印象を覚えます。
具体的にこの時の韓国で何が起きていたのかというと、最近の例だと国家破綻したギリシャの様な事態に陥っていました。あまりこの辺の話は得意じゃないのですが、当時の韓国はウォンが大幅に下落して外貨がほとんどなくなった上、国内経済も大混乱となったことから、日本やアメリカから借りていた借金(対外債務)を返済期限が間近に迫っているにもかかわらず返せなくなるような状態だったそうです。
もちろん、返せなかったらそこで試合終了ならぬ国家破綻となるので、韓国政府としても日本やアメリカに返済期限を延ばしてもらうよう交渉するとともに、各国や国際機関へ資金援助を申し出て、最終的にIMF(国際通貨基金)から資金支援を受ける代わりに国内の経済政策をIMFに一任するということとなるわけです。
私は実際にこの時、どんな状況だったのか知り合いの韓国人留学生に尋ねてみましたが、桁違いの不況で誰もが暗い顔をしており、思い出したくないほど暗い時代だったと話していました。実際、この時期に韓国企業の間ではリストラ、給与カットの嵐が吹き荒れ、失業率なども大幅に上昇していることから社会空気も沈んでいたことでしょう。またそれとともに国の経済政策を自分たちで決められずIMFに一から十まで指導されるという、プライドが高いと言われる韓国人じゃなくても納得できないような気分になると思います。
なおこの時のIMFの指導によって韓国は徹底的にグローバル化、言い方を変えればアメリカにとって都合のいい経済体制に変えられたという主張をよく見ます。ただ実際に私自身が韓国現地で調べたわけではないし、それ以前の金泳三政権時代にもグローバル化が図られていたとも聞くので、本当にその通りなのかとやや疑問に感じる点はあります。ただ少なくともいえることは、国を挙げて外国人観光客の誘致活動を行ったり、サムスンなど財閥企業に集中支援したりするなど、国民生活を犠牲にしても二度と国家破綻させてはならないというような韓国の覚悟というものはこの時代に作られたような気はします。
もう少しトピックを絞ってこのIMF事態について述べると、この時期に韓国企業ではリストラが繰り広げられたのですが、その際に真っ先に切られたのは若手社員だったそうです。儒教的な価値観からそうなったなどと言われておりますが、結果的にこの時期から若年層の失業率が異常に高まり、今に至るまで若者の貧困が韓国では社会問題となっております。
またIMFの救済が決まったのは1997年12月ですが、それから三ヶ月後の1998年2月に大統領が金泳三から金大中に交替しており、政治的にもちょっと荒れていた時期ともいます。金泳三と対立していた金大中が大統領選に勝利した背景にはこのIMF事態を招いた責任として金泳三に批判が集まっていたことも影響したと言われていますが、就任早々に国家破綻のような事態を経験した金大中も大変だったと思えます。
あと韓国の企業関連で話をすると1997年10月には起亜自動車が経営破綻をしました。それまで韓国の自動車市場は起亜自動車と現代自動車の二社が凌ぎを削っておりましたが、この時の経営破綻を契機に起亜自動車は現代自動車の傘下に収まり現在のように至るわけです。
起亜自動車以外の大型破たんとなると、サムスングループに継ぐ韓国第2位の財閥であった大宇グループがこの時期に破綻し、解体の憂き目にあっています。大宇グループの会長だった金宇中は破綻の直前に日本円にして5兆円もの資金を持って外国に逃亡し、2005年に帰国した際に逮捕されていますが、自国の人間じゃないから言えるのかもしれますがスケールのでかい人物だなと妙に感じます。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2013年8月14日水曜日
2013年8月13日火曜日
空気を読む力とストレス耐性の関係性
かなり前にも一度このブログで紹介したことがありますが、昔にテクモ(現コーエーテクモ)という会社が「零」というホラーゲームを発売しており、私もその1、2作目をプレイしたことがあります。このゲームは襲い掛かる悪霊をカメラで撮影することによって撃退するという、見たくないものを直視しないと進めないという妙な仕組みが面白く海外からも高く評価されました。
そんな「零」ですが、私は遊んだことはないのですが3作目からは使用するキャラクターを選べるようになったそうで、その際にそのキャラクターの「霊感」の高さがプレイにも影響するそうです。たとえば霊感が高いキャラクターはカメラで攻撃する際、霊に対して高いダメージを与えられる一方、霊からの干渉に弱く攻撃された際は逆に高いダメージを受けてしまいます。霊感が低いキャラクターとなるとこれが真逆で、霊に対するカメラ攻撃の威力は低い一方、霊からの攻撃で受けるダメージ量は小さくなるとのことです。
この設定を聞いた時に私は、「理に適っているなぁ」などと妙に感心するとともに、今日のお題となっている空気を読む力とストレス耐性についても同じことが言えるのではないかという気がしました。単刀直入に言うと、空気を読む力が高い人ほどストレスを感じやすいのではという図式が成り立つのではないかという仮説です。
私が何故こんなことを思いついたのかというと非常に単純明快で、空気を読まない人ほどストレスとは無縁だと以前から感じてたからです。具体的なのは職場などにいる空気を読まないおっさん、おばちゃん連中で、自らのミスに対して全く呵責を感じないばかりか、「またみんなで頑張ろうよ!」などと、「お前一人のせいでみんなが苦労してるのに……」と言いたくなるような空気を読まない発言をかましてくれたりします。どこでも一人や二人はいるよね、こういう人。
さらにというか民族的にも空気を全く読まない連中と私は深くかかわっております。そう、中国人です。中国人は全く読まないってわけじゃないんですが、日本人と比べて周囲への遠慮より自分の本音を優先する傾向があり、でもって日本人から見てもストレスに対する耐性が高い、っていうかストレス感じることあるのかと言いたいくらいに普段は前向きです。
といっても資本主義の発達のせいか最近の中国社会でもストレス(中国語訳は「圧力(ヤァリィ)」)が蔓延し始め、社会問題となりつつあります。ただそれを推しても中国人は日本人に比べればずっとストレスに強い、というかストレスだと感じない面は強いように思えますが。
話は戻りますがこんな具合で、「空気を読むこと」とストレスは高い関係性を持つように思います。私の身の周りでも周囲に対する気配りが出来て、周りに合わせようとするほどストレスを抱えやすい傾向があるように思え、こういってはなんですが人当たりのいい優しい人ほどストレスを持ちやすいようにも見えます。
ただそういう空気が読めてストレスを感じやすい人が一概にストレスに弱いかというとそうでもなく、確かにストレスを感じやすいんだけど芯が強くてなかなかへこたれない人も多いです。この辺は文章で説明するよりも数式で説明した方がいいので、私の考えをまとめると以下のような関係式となります。
<空気を読む力とストレス耐性の関係式)
y=m-nx
n=空気を読む力(係数) m=ストレス耐性 x=ストレス絶対値 y=ストレス耐性残余値
この数式を実際にモデルへと当てはめて再度説明します。
Aさんは空気をよく読める人でストレスは感じやすいのですが芯が強い人であるのに対し、Bさんは空気を読まなくてストレスを感じにくいのですが芯がもろく、崩れやすい人であると仮定します。両者の各数値を並べると下記の通りです。
<Aさん>
n=2 m=500
<Bさん>
n=1 m=150
この両者が仮にストレス絶対値が200に当たるショックな場面(財布を落とすとか)に遭遇したとします。これらの数値を最初の関係式に当てはめたのが以下の式です。
<Aさん>
500-2×200=100
<Bさん>
150-1×200=-50
こんな具合でAさんはBさんに比べて2倍のストレスを感じますが、ストレス耐性が高いために心の余力というようなものがまだ100残ります。一方、BさんはAさんに比べて感じるストレス量が低いものの、限界値が低いため心の余力がなくなり-50という数値に陥り、要するに心が折れてしまいます。全部が全部こんな単純じゃないとは思うものの、ストレスと心の余力の関係性は大体こんな感じじゃないでしょうか。RPG風に言えばm=ヒットポイント、n=防御力(兼攻撃力)といったところでしょう。
既に大分長いですが変に分割すると面倒なのでまとめて書くと、昨今の日本の企業採用では「コミュニケーション力」を最重要視する企業が最多です。この求められるコミュニケーション力というのは「空気を読む力」だと考えている会社も多いように思え、だとすると日系企業は得てしてストレスを感じやすい人間を優先して採用しているのでは、と密かに睨んでいます。仮に空気をよく読める上にストレス耐性が高い人間を採用しようとするならともかく、ストレス耐性に着目せず空気をよく読めるかどうかだけに着目して採用するとどうなるのか。この辺に新卒社員の約半数が3年以内に会社を辞める理由があるのではないかという気がします。
変な話ですが私は今の世の中だからこそ空気を読まない人間っていうのが大事にされるべきだと思います。過剰に空気を読むというのは空気に支配される、流されるということと同義で、空気を読まずに冷静に状況を判断できる人を集団の中に入れておかないと、変な方向に向かっていく気がします。
その上で今回取り上げたストレス耐性。現代社会は明らかにストレスを感じる場面が多く、そういった場面に適応するよりも抵抗力の強い人間、そういう人間に着目して効率よく運用するという視点が欠けているのではないかと思ったことから、こういう記事を書いてみました。
おまけ
空気を読む方か、読まない方かと言われたら私は間違いなく後者に入ることでしょう。かといってストレス耐性に強い方かと言ったら精神的に落ち込むことも多くてそうでもないようなと思う一方、自分の場合、遭遇するストレスシーンが極端なものも多いため、まぁ並程度のストレス耐性なのかなと納得させてます。
そんな「零」ですが、私は遊んだことはないのですが3作目からは使用するキャラクターを選べるようになったそうで、その際にそのキャラクターの「霊感」の高さがプレイにも影響するそうです。たとえば霊感が高いキャラクターはカメラで攻撃する際、霊に対して高いダメージを与えられる一方、霊からの干渉に弱く攻撃された際は逆に高いダメージを受けてしまいます。霊感が低いキャラクターとなるとこれが真逆で、霊に対するカメラ攻撃の威力は低い一方、霊からの攻撃で受けるダメージ量は小さくなるとのことです。
この設定を聞いた時に私は、「理に適っているなぁ」などと妙に感心するとともに、今日のお題となっている空気を読む力とストレス耐性についても同じことが言えるのではないかという気がしました。単刀直入に言うと、空気を読む力が高い人ほどストレスを感じやすいのではという図式が成り立つのではないかという仮説です。
私が何故こんなことを思いついたのかというと非常に単純明快で、空気を読まない人ほどストレスとは無縁だと以前から感じてたからです。具体的なのは職場などにいる空気を読まないおっさん、おばちゃん連中で、自らのミスに対して全く呵責を感じないばかりか、「またみんなで頑張ろうよ!」などと、「お前一人のせいでみんなが苦労してるのに……」と言いたくなるような空気を読まない発言をかましてくれたりします。どこでも一人や二人はいるよね、こういう人。
さらにというか民族的にも空気を全く読まない連中と私は深くかかわっております。そう、中国人です。中国人は全く読まないってわけじゃないんですが、日本人と比べて周囲への遠慮より自分の本音を優先する傾向があり、でもって日本人から見てもストレスに対する耐性が高い、っていうかストレス感じることあるのかと言いたいくらいに普段は前向きです。
といっても資本主義の発達のせいか最近の中国社会でもストレス(中国語訳は「圧力(ヤァリィ)」)が蔓延し始め、社会問題となりつつあります。ただそれを推しても中国人は日本人に比べればずっとストレスに強い、というかストレスだと感じない面は強いように思えますが。
話は戻りますがこんな具合で、「空気を読むこと」とストレスは高い関係性を持つように思います。私の身の周りでも周囲に対する気配りが出来て、周りに合わせようとするほどストレスを抱えやすい傾向があるように思え、こういってはなんですが人当たりのいい優しい人ほどストレスを持ちやすいようにも見えます。
ただそういう空気が読めてストレスを感じやすい人が一概にストレスに弱いかというとそうでもなく、確かにストレスを感じやすいんだけど芯が強くてなかなかへこたれない人も多いです。この辺は文章で説明するよりも数式で説明した方がいいので、私の考えをまとめると以下のような関係式となります。
<空気を読む力とストレス耐性の関係式)
y=m-nx
n=空気を読む力(係数) m=ストレス耐性 x=ストレス絶対値 y=ストレス耐性残余値
この数式を実際にモデルへと当てはめて再度説明します。
Aさんは空気をよく読める人でストレスは感じやすいのですが芯が強い人であるのに対し、Bさんは空気を読まなくてストレスを感じにくいのですが芯がもろく、崩れやすい人であると仮定します。両者の各数値を並べると下記の通りです。
<Aさん>
n=2 m=500
<Bさん>
n=1 m=150
この両者が仮にストレス絶対値が200に当たるショックな場面(財布を落とすとか)に遭遇したとします。これらの数値を最初の関係式に当てはめたのが以下の式です。
<Aさん>
500-2×200=100
<Bさん>
150-1×200=-50
こんな具合でAさんはBさんに比べて2倍のストレスを感じますが、ストレス耐性が高いために心の余力というようなものがまだ100残ります。一方、BさんはAさんに比べて感じるストレス量が低いものの、限界値が低いため心の余力がなくなり-50という数値に陥り、要するに心が折れてしまいます。全部が全部こんな単純じゃないとは思うものの、ストレスと心の余力の関係性は大体こんな感じじゃないでしょうか。RPG風に言えばm=ヒットポイント、n=防御力(兼攻撃力)といったところでしょう。
既に大分長いですが変に分割すると面倒なのでまとめて書くと、昨今の日本の企業採用では「コミュニケーション力」を最重要視する企業が最多です。この求められるコミュニケーション力というのは「空気を読む力」だと考えている会社も多いように思え、だとすると日系企業は得てしてストレスを感じやすい人間を優先して採用しているのでは、と密かに睨んでいます。仮に空気をよく読める上にストレス耐性が高い人間を採用しようとするならともかく、ストレス耐性に着目せず空気をよく読めるかどうかだけに着目して採用するとどうなるのか。この辺に新卒社員の約半数が3年以内に会社を辞める理由があるのではないかという気がします。
変な話ですが私は今の世の中だからこそ空気を読まない人間っていうのが大事にされるべきだと思います。過剰に空気を読むというのは空気に支配される、流されるということと同義で、空気を読まずに冷静に状況を判断できる人を集団の中に入れておかないと、変な方向に向かっていく気がします。
その上で今回取り上げたストレス耐性。現代社会は明らかにストレスを感じる場面が多く、そういった場面に適応するよりも抵抗力の強い人間、そういう人間に着目して効率よく運用するという視点が欠けているのではないかと思ったことから、こういう記事を書いてみました。
おまけ
空気を読む方か、読まない方かと言われたら私は間違いなく後者に入ることでしょう。かといってストレス耐性に強い方かと言ったら精神的に落ち込むことも多くてそうでもないようなと思う一方、自分の場合、遭遇するストレスシーンが極端なものも多いため、まぁ並程度のストレス耐性なのかなと納得させてます。
2013年8月12日月曜日
ルース米大使の離日について
今日もちょっと家で妙なことをし続けたのですぐに書き終えるニュース解説です。
・「特別な4年間だった」=ルース米大使が離日(時事通信)
本日午後、これまでアメリカの駐日大使を務めていたルース氏が日本を離れ帰国の途につきました。ルース氏は過去四年間を駐日大使として過ごされましたが、彼の任期中の大事件となるとなんといっても東日本大震災が挙がってくることでしょう。この未曽有の災害時、ルース氏は日本政府と米軍の間に立って米軍の災害支援(トモダチ作戦)を進めるなど、私個人としても日本が困難な時期に職務を見事に果たしてくれたとして強い感謝の念を覚えます。
ただあの災害から二年半。現在の日米関係は再びというかまた沖縄問題で揺れております。先週にも訓練中にヘリコプターが沖縄県内の訓練地で墜落したことからオスプレイの沖縄配備に懸念が広がり、米軍も一時は配備を停止したものの事件からわずか一週間後の今日になって再開したことから批判が広がっております。いっしょくたにするべき話ではない事は百も承知ですが、なんとか米軍と仲良くやってけないものか、お互いの感情をもっと理解し、沖縄の負担軽減策につなげられないものかと少し感じます。
次の駐日大使にはケネディ大統領の娘であるキャロライン・ケネディ氏が内定しているそうですが、ルース氏同様になるべく仲良くやっていけたらなという希望を密かに抱きます。
・「特別な4年間だった」=ルース米大使が離日(時事通信)
本日午後、これまでアメリカの駐日大使を務めていたルース氏が日本を離れ帰国の途につきました。ルース氏は過去四年間を駐日大使として過ごされましたが、彼の任期中の大事件となるとなんといっても東日本大震災が挙がってくることでしょう。この未曽有の災害時、ルース氏は日本政府と米軍の間に立って米軍の災害支援(トモダチ作戦)を進めるなど、私個人としても日本が困難な時期に職務を見事に果たしてくれたとして強い感謝の念を覚えます。
ただあの災害から二年半。現在の日米関係は再びというかまた沖縄問題で揺れております。先週にも訓練中にヘリコプターが沖縄県内の訓練地で墜落したことからオスプレイの沖縄配備に懸念が広がり、米軍も一時は配備を停止したものの事件からわずか一週間後の今日になって再開したことから批判が広がっております。いっしょくたにするべき話ではない事は百も承知ですが、なんとか米軍と仲良くやってけないものか、お互いの感情をもっと理解し、沖縄の負担軽減策につなげられないものかと少し感じます。
次の駐日大使にはケネディ大統領の娘であるキャロライン・ケネディ氏が内定しているそうですが、ルース氏同様になるべく仲良くやっていけたらなという希望を密かに抱きます。
2013年8月11日日曜日
高見盛~まげを掴まれる男
高見盛と言えば私が説明するまでもなく、今年に引退しましたが日本全国で誰もが知っている人気力士でした。彼の人気の秘訣は彼自身の性格もさることながら入場時などのパフォーマンスにあり、現役時は彼が登場するだけで館内が歓声に包まれるほどの人気がありました。
ちなみに私の中国留学中に相部屋だったルーマニア人も高見盛のパフォーマンスをいたく気に入り、ワールドワイドで人気なんだと妙な印象を覚えました。
そんな高見盛ですが現役時代は枚挙にいとまがないほどの数多くのエピソードを残していますが、その中でも私が特に気に入っているというか、是非もう一回見てみたいという取組が一番あります。
・「落ち武者」高見盛が反則勝ち/秋場所(日刊スポーツ)
その取組というのは上記リンク先の記事に書かれた2009年9月22日の阿覧との一番です。この日はたまたま私もテレビの前で観戦していたのですが取組開始前に舞の海秀平氏が、「(阿覧は)出世が早く、まだ相撲をよく知らないから何をしてくるかわからない怖さがある」と言及するなど不吉な気配は早くから漂っておりました。
それで具体的にどんな取組だったのかというと、まず立ち合いで両者ぶつかり合うと一旦体が離れ、再び組み付こうと高見盛が向かってくるや阿覧は張り手で応戦しました。この張り手が一番のミソだったのですが、阿覧はやっぱり相撲を知らなかったのか、ただひたすらに上腕を振るだけでまるでボクシングのジャブみたいな張り手になってしまってました。腰の力が全く入っていなかったことから叩かれる高見盛の体は全く後ろに動かず、かといって前にも進まず。その結果として何が起こったのかというと、土俵の上で延々と24発も高見盛はボコボコに顔面をはたかれ続けました。
今でも目をつぶるとあの時の情景が浮かぶのですが、時間にして30秒くらい高見盛は叩かれ続けて鼻血を出し、また阿覧も阿覧で小気味よく高見盛の顔を叩き続け、見ている間は「なんなんだこれは(;´Д`)」という思いで言葉が出てきませんでした。
更に面白いのはその後。張り手に耐え続けた高見盛は何とか阿覧のまわしを取ることに成功しますが組み合い続けた結果、最後はもんどりうって土俵を割り行事の軍配は阿覧に上がります。しかしこれに対して審判団が異議を出します。というのも、土俵を割る際に阿覧が高見盛のまげを掴むという反則を犯しており、審議された結果、阿覧の反則負けにひっくり返りました。
こうして高見盛は白星を得たわけですが、24発もはたかれた上にまげも掴まれ、顔面をパンパンに腫らしたその姿はお世辞にも勝った力士には見えず、日刊スポーツの記事にも書かれている通りに落ち武者っぽかったです。解説(確か北の富士勝昭氏)も、「こりゃどっちが勝ったのかわかんないねぇ」とツッコむ有様でした。
一体なんでこんな4年も前のことを書こうかと思ったのかというと、何故だか突然この一番を思い出してYoutubeか何かで見れないかと思って必死で探したわけですが、見つからなかったわけです。真面目にこの一番はある意味で歴史に残る一番だからNHKさんもケチケチせずに無料公開してもらいたいものです。
ちなみに私の中国留学中に相部屋だったルーマニア人も高見盛のパフォーマンスをいたく気に入り、ワールドワイドで人気なんだと妙な印象を覚えました。
そんな高見盛ですが現役時代は枚挙にいとまがないほどの数多くのエピソードを残していますが、その中でも私が特に気に入っているというか、是非もう一回見てみたいという取組が一番あります。
・「落ち武者」高見盛が反則勝ち/秋場所(日刊スポーツ)
その取組というのは上記リンク先の記事に書かれた2009年9月22日の阿覧との一番です。この日はたまたま私もテレビの前で観戦していたのですが取組開始前に舞の海秀平氏が、「(阿覧は)出世が早く、まだ相撲をよく知らないから何をしてくるかわからない怖さがある」と言及するなど不吉な気配は早くから漂っておりました。
それで具体的にどんな取組だったのかというと、まず立ち合いで両者ぶつかり合うと一旦体が離れ、再び組み付こうと高見盛が向かってくるや阿覧は張り手で応戦しました。この張り手が一番のミソだったのですが、阿覧はやっぱり相撲を知らなかったのか、ただひたすらに上腕を振るだけでまるでボクシングのジャブみたいな張り手になってしまってました。腰の力が全く入っていなかったことから叩かれる高見盛の体は全く後ろに動かず、かといって前にも進まず。その結果として何が起こったのかというと、土俵の上で延々と24発も高見盛はボコボコに顔面をはたかれ続けました。
今でも目をつぶるとあの時の情景が浮かぶのですが、時間にして30秒くらい高見盛は叩かれ続けて鼻血を出し、また阿覧も阿覧で小気味よく高見盛の顔を叩き続け、見ている間は「なんなんだこれは(;´Д`)」という思いで言葉が出てきませんでした。
更に面白いのはその後。張り手に耐え続けた高見盛は何とか阿覧のまわしを取ることに成功しますが組み合い続けた結果、最後はもんどりうって土俵を割り行事の軍配は阿覧に上がります。しかしこれに対して審判団が異議を出します。というのも、土俵を割る際に阿覧が高見盛のまげを掴むという反則を犯しており、審議された結果、阿覧の反則負けにひっくり返りました。
こうして高見盛は白星を得たわけですが、24発もはたかれた上にまげも掴まれ、顔面をパンパンに腫らしたその姿はお世辞にも勝った力士には見えず、日刊スポーツの記事にも書かれている通りに落ち武者っぽかったです。解説(確か北の富士勝昭氏)も、「こりゃどっちが勝ったのかわかんないねぇ」とツッコむ有様でした。
一体なんでこんな4年も前のことを書こうかと思ったのかというと、何故だか突然この一番を思い出してYoutubeか何かで見れないかと思って必死で探したわけですが、見つからなかったわけです。真面目にこの一番はある意味で歴史に残る一番だからNHKさんもケチケチせずに無料公開してもらいたいものです。
日本人の「無」に対する信仰
前に書いた「仏教は宗教なのか?」の記事で島田裕巳氏の著書「無宗教こそ日本人の宗教である」を紹介しましたが、実はこの本を読んで前回記事のようなことに加え、またちょっと妙なことを思いつきました。結論からパパッと書くとそれは、日本人はどこか「無」という概念に対して信仰めいたものを持っていないかといことで、今日は暑くて外出る気しないのでその辺を書こうかなと思います。
まず「無」とはなんぞやですが、深く議論すると禅問答みたいに答えがでなくなってしまうので一般的な定義を述べると、「空っぽ」や「まっさらな状態」といったところでしょう。一体これがなんで日本人の信仰と関係あるのかですが、あくまで私の印象ですが日本人はやたらと心理的な状態を「無」にすることが理想であるような言い方をする傾向が感じられます。
具体例はいくつもあり、一般的なものだとテストやスポーツの大会などでは平常心を持つこと、さらには余計なことを考えないようにするべきだと教えたり、武芸においては剣道において顕著ですが、「無念無想」という状態を理想においております。無念無想についてもう少し書くと、私が聞いた限りでは剣豪の塚原卜伝がある日に突然襲ってきた敵に対して思考する間もなく反射的に刀を抜いて斬り倒した際、剣の極みとは何も思考せずとも体が反応して動く、つまり反射的に斬り返せる状態を理想と捉えたのが始まりらしいです。
こうした競技などの面に加え、日常生活においても無の心は理想とされがちです。これは仏教の修行でまた顕著ですが、慌てないというか心を動じさせない事を是としています。人の生死において「無常観」という言葉を使って感情を出したりせず、自然の摂理だと考え受け入れる価値の重要性がよく説かれています。
そしてここが最も根本的な所ですが、日本人は数ある仏教経典の中でも般若心経がやたら好きで、その中でも「色即是空、空即是色」という、「この世の中で目に見えるものはあってないようなもの」という意味の言葉を多用する傾向があります。私が不勉強なだけかもしれませんが同じく仏教の影響が強い中国でこんな言葉が使われるシーンは見たことがなく、般若心経がこれほどまで大事にされるのは仏教というより日本人のメンタリティにあるのではないかと言いたいわけです。そしてそのメンタリティこそ、「この世の理というのは実は無なんだ」という、「無」を価値あるものとして信仰するところにあるのではないかと何故だか思いついたわけです。
以上のようなことを友人に話してみたところ、「花園君、なんか疲れてない?(;´Д`)」と、マジな感じで心配されてしまいましたが、私はやっぱり日本人にはどこか虚無主義(ニヒリズム)的な思想があるような気がします。本音と建前を分けられたり、本音をなかなか出そうとしなかったり、無駄だとわかっていることを誰も止めないからみんなで続けてしまうところだったり、そういうどこか現実というのは実は存在感がない、果てには自分の心理すらも実は価値がないとでも言わんかのような行動がやや見受けられるのもこの辺にあり、そして日本人自身もそうした「無」に対して憧憬めいた意識を持っているように思えます。
恐らくですが、私は日本人の中でも数少ないと言ってもいい「頑張れば自分一人であっても世の中は変えられる」と本気で信じている人間の一人です。逆を言えば大半の日本人は自分一人では、下手すれば大勢であっても世の中は変えられないと考えているように私には思え、何故そう考えるのかというとここで書いた「無」の思想が影響しているのではないかと思うわけです。こんな書き方をしていますが私は「無」への信仰を全否定するつもりはなくこれはこれで面白いメンタリティを形成しているなと認めますが、もっと突き詰めてこの辺りの思想を研究したら日本人の行動様式とかもあれこれ考えなおせるのではないかと思うのと同時に、「無」の影響がやや弱い自分だからこそこんなことに気付いたんじゃないかというのが今日の私の意見です。といっても、友人たちからはよく「花園君はヒロイックな破滅願望が高い」とも言われているのですが……。
おまけ
今回の記事ではやたらと「無」という言葉を連発しましたが、書いている最中に何故だかゲームのファイナルファンタジー5に出てくるエクスデスというキャラクターを思い出し、彼が言った「無とはいったい、うごごご……」ってセリフまで浮かんできました。ほんと、無ってなんなんだろうねと自分も言いたいです。
まず「無」とはなんぞやですが、深く議論すると禅問答みたいに答えがでなくなってしまうので一般的な定義を述べると、「空っぽ」や「まっさらな状態」といったところでしょう。一体これがなんで日本人の信仰と関係あるのかですが、あくまで私の印象ですが日本人はやたらと心理的な状態を「無」にすることが理想であるような言い方をする傾向が感じられます。
具体例はいくつもあり、一般的なものだとテストやスポーツの大会などでは平常心を持つこと、さらには余計なことを考えないようにするべきだと教えたり、武芸においては剣道において顕著ですが、「無念無想」という状態を理想においております。無念無想についてもう少し書くと、私が聞いた限りでは剣豪の塚原卜伝がある日に突然襲ってきた敵に対して思考する間もなく反射的に刀を抜いて斬り倒した際、剣の極みとは何も思考せずとも体が反応して動く、つまり反射的に斬り返せる状態を理想と捉えたのが始まりらしいです。
こうした競技などの面に加え、日常生活においても無の心は理想とされがちです。これは仏教の修行でまた顕著ですが、慌てないというか心を動じさせない事を是としています。人の生死において「無常観」という言葉を使って感情を出したりせず、自然の摂理だと考え受け入れる価値の重要性がよく説かれています。
そしてここが最も根本的な所ですが、日本人は数ある仏教経典の中でも般若心経がやたら好きで、その中でも「色即是空、空即是色」という、「この世の中で目に見えるものはあってないようなもの」という意味の言葉を多用する傾向があります。私が不勉強なだけかもしれませんが同じく仏教の影響が強い中国でこんな言葉が使われるシーンは見たことがなく、般若心経がこれほどまで大事にされるのは仏教というより日本人のメンタリティにあるのではないかと言いたいわけです。そしてそのメンタリティこそ、「この世の理というのは実は無なんだ」という、「無」を価値あるものとして信仰するところにあるのではないかと何故だか思いついたわけです。
以上のようなことを友人に話してみたところ、「花園君、なんか疲れてない?(;´Д`)」と、マジな感じで心配されてしまいましたが、私はやっぱり日本人にはどこか虚無主義(ニヒリズム)的な思想があるような気がします。本音と建前を分けられたり、本音をなかなか出そうとしなかったり、無駄だとわかっていることを誰も止めないからみんなで続けてしまうところだったり、そういうどこか現実というのは実は存在感がない、果てには自分の心理すらも実は価値がないとでも言わんかのような行動がやや見受けられるのもこの辺にあり、そして日本人自身もそうした「無」に対して憧憬めいた意識を持っているように思えます。
恐らくですが、私は日本人の中でも数少ないと言ってもいい「頑張れば自分一人であっても世の中は変えられる」と本気で信じている人間の一人です。逆を言えば大半の日本人は自分一人では、下手すれば大勢であっても世の中は変えられないと考えているように私には思え、何故そう考えるのかというとここで書いた「無」の思想が影響しているのではないかと思うわけです。こんな書き方をしていますが私は「無」への信仰を全否定するつもりはなくこれはこれで面白いメンタリティを形成しているなと認めますが、もっと突き詰めてこの辺りの思想を研究したら日本人の行動様式とかもあれこれ考えなおせるのではないかと思うのと同時に、「無」の影響がやや弱い自分だからこそこんなことに気付いたんじゃないかというのが今日の私の意見です。といっても、友人たちからはよく「花園君はヒロイックな破滅願望が高い」とも言われているのですが……。
おまけ
今回の記事ではやたらと「無」という言葉を連発しましたが、書いている最中に何故だかゲームのファイナルファンタジー5に出てくるエクスデスというキャラクターを思い出し、彼が言った「無とはいったい、うごごご……」ってセリフまで浮かんできました。ほんと、無ってなんなんだろうねと自分も言いたいです。
2013年8月9日金曜日
派遣社員の雇用義務化について
最初にまた本題とは関係ありませんが、朝ドラ「あまちゃん」のテーマ曲に反応するというこの猫の動画が面白いので紹介します。ここで貼りつけた動画は第一弾ですが、現在第七弾まで公開されており、順を追ってみれば見るほどに面白いです。ちゃんと毎朝反応するのがツボです。
そんなわけで本題に移りますが、このところ派遣社員に関する法令の改正が起こっているようなので、ちょっと前から思っていることを書こうかと思います。
あまりほかの媒体で見かけないニュースなのですが、なんか派遣社員を5年以上雇用し続けた場合、その派遣社員を正社員として雇用する義務を課すよう労働法が改正されたそうです(前は3年だったような?)。上記リンク先ではこの改正について色々な方が意見を出しているのですが、その中のいくつかに「5年以上で義務化としたら、義務化となる直前に雇止めにしたりするケースが増えるだけで何も意味がない」という意見も見受けられるのですが、私個人としても同じような意見を持っております。
今の日本の労働法というか政治家たちはなるべく労働者を正社員化するように法令改正を進めておりますが、日本の企業経営者たちのベクトルはまるで逆で、非正社員を増やそうとしているのが現状です。理由はいくつかありますが、一部で言われているような「日本では正社員の解雇が難しい」という意見に対しては疑問符がつくものの、最大の要因はなんといっても人件費の増大とリスクヘッジにあるでしょう。
じゃあどうすれば正社員を増やせるのか。はっきりここで申し上げれば数年以上の雇用で正社員化を義務化するよりも、派遣社員の待遇条件を大きく引き上げる事の方が直接できていいと思います。それこそ保険や年金などの支払いを全額企業負担としたりして、「こんなに払うくらいなら正社員にした方がいい」と思うくらいの待遇を義務化すれば正社員化が進むでしょう。
と、ここまで書いて勘のいい人ならわかるでしょうが、仮にこのように派遣社員の待遇を引き上げれば本末転倒な事態に陥ることも目に見えています。本末転倒な事態とは何かというと、雇用の減少、つまり派遣社員の待遇が引き上がるなら雇用人数を減らしてしまおうとする今日が増えると予想されるという意味です。
そもそも派遣社員というのは企業の雇用負担を減らす代わりに雇用の口を広げる、つまり労働者への職を増やすという目的でできた制度です。そのため待遇を改善しようとして間口を狭めては本末転倒もいい所で、極端な話、派遣の需要を減らしてでも正社員化を進めるくらいなら何も買えない方がいいと私は考えています。
むしろ、私がここで主張したいのは日本の正社員の待遇をもっと引き下げるべきだという点です。あれこれ経験してわかりましたが日本の制度は保険や年金など世帯主が正社員であることを前提に作られているため、正社員でなければいろいろな面でデメリットというか面倒な手続きと費用負担が増えるという傾向があります。それこそ失業するとこれらの費用は全額自己負担となるため、お金を大事に使わなければいけない時にもかかわらず支出が増えるというかなりジレンマな事態に陥りやすいです。
それであるならば正社員の特権を減らすというべきか、もっと社会保障などを流動的な雇用に合わせた制度へ根本的に改めるべきだと考えています。具体的には健康保険や年金は完全個人負担で企業には介在させない。特に年金に関しては未だに火を噴いていることは百も承知ですが、受給するのに必要な加入期間が20年というのは他国と比較しても異常に長すぎるきらいがあり、これを10年程度に短縮するべきではないかと思います。そうすれば、支給額も減らす言い分になるし。
最後に日本の雇用についてもう少し述べると、欧州諸国と比べて日本はまだ経済が動いているために雇用はまだ恵まれている方だと思います。ただ世間というか社会が制あkつ水準の低下をまだ受け止められていない、昔みたいにマイホームやマイカー持ってな生活に対するあきらめが出来ていないため、誰も得をしていないのにみんなで損をしあっているような気もします。そんな日本人に言いたいことを一つだけ述べると、「一億総下流」みたいなスローガンを流せばもっと幸福感を感じれるかもしれないよってことです。
2013年8月8日木曜日
全米球団の永久欠番「42」の来歴について
最近アメリカ史のいい本をブックオフで購入して読みふけっているのですが、その中で全メジャー球団の中で永久欠番となっている「42」という数字と、その背番号をかつて背負ったジャッキー・ロビンソンという選手について書かれてあり、素直な気持ちで面白いと思ったのでこのブログでも紹介しようと思います。
野球を知らない方に向けてあらかじめ説明すると、どのチームのプロ野球選手も試合に出る際にはユニフォームに背番号を背負って出場しますが、チーム内で大活躍した名選手に対して敬意を持つという目的から各チームで一部の背番号はその選手の引退後、使われずにおかれることがあります。日本のプロ野球で代表的なのは巨人の王貞治氏の「1」、長嶋茂雄氏の「3」、西武だと故稲尾氏の「24」などがそのような扱いとなっております。
それで今回紹介する「42」。これはメジャーリーグのドジャースでプレイしたジャッキー・ロビンソンの背番号です。一体何故この番号が永久欠番となっているのかというと、シーズンMVPにも輝いたことのあるロビンソンの実績以上に、彼が近代メジャーリーグで初めての黒人メジャーリーガーだったことからです。
まずあらかじめ書いておくと、メジャーリーグ初の黒人選手だったのはモーゼス・フリート・ウォーカーであって、ロビンソンではありません。ウォーカーについて少し書くと、彼が出場したのは1884年で捕手として出場しましたが、人種の壁はロビンソンの時代より高く、チームメイトからは投球のサインを受け取ってもらえずシーズン最多の捕逸を記録するなど満足に活躍することはできませんでした。翌年からはマイナー球団を転々としましたが、とうとう再度のメジャー出場は叶いませんでした。
そんなウォーカーに続く第二の黒人メジャーリーガーであるロビンソンは1919年の生まれです。当時もメジャーリーグには白人しか出場しておらず、黒人選手は二グロリーグという別枠のリーグでしかプレイすることが出来ませんでした。
ウォーカーの兄はベルリンオリンピックの200メートル走で銀メダルに輝くなど彼の家はスポーツ一家で、ロビンソンもその才能を受け継ぎスポーツ推薦を受けて大学に入学します。ただ中途で退学した後は一旦就職し、二次大戦の開戦と共に徴兵を受けますが、配属された基地内ではやはりというか人種差別が付きまとったことからこちらも途中で除隊します。
除隊後、二グロリーグでプレイしていた彼に目を付けたのが、ブルックリン・ドジャース(ロサンゼルス・ドジャース)のブランチ・リッキー会長でした。彼は優秀な選手という触れ込みで視察したロビンソンを見初め、彼に対してあらゆる差別や批判を耐え忍び、やり返さない覚悟を説き、それに応じた彼をドジャース傘下の3A球団、モントリオール・ロイヤルズに入団させます。
こうして迎えた1946年のシーズン。ロビンソンの出場に対して対戦球団からは様々な抗議が寄せられましたがそうした声にロビンソンはあくまで静かな態度を取り続け、そのシーズンでは球団新、リーグ最高となる打率349、113打点という恐ろしい成績を打ち立てます。この年にチームは優勝を果たし、観客動員数も過去最多を記録したそうです。
そしていよいよ翌年の1947年。満を持してロビンソンのメジャー昇格が球団から発表されるや他の全球団は揃って彼の出場に反対の意向を示し、対戦拒否すら示す球団もありました。ただ当時のメジャーコミッショナーが出来た人だったのかドジャースの支持に回り、当のドジャース監督もロビンソンの起用は必要であれば使うのみと言い切り、彼の出場への舞台が整えられていきます。もっともチーム内では反発の声が依然と大きく、数人の主力選手がトレードを志願して他球団へ流出する事態にも発展しています。
そして開幕戦の4月15日。この日の観客はロビンソンを見ようと半数以上を黒人が占められるなか、前述のウォーカー以来となる黒人のメジャー出場をロビンソンは果たしました。ロビンソンはこの年も優秀な成績を収めチームに貢献し、また球場の内外から飛んでくるヤジや侮蔑に対して目立った反応はせず紳士的な振る舞いを続けたことから次第に世論を味方につけ、最初は毛嫌いしていたチームメイトたちも彼を信用するようになっていったと言われております。
そしてロビンソンは同年、この年から始まった新人賞を初めて受賞することとなります。こうしたエピソードからメジャーリーグの新人賞は別名で「ジャック・ロビンソン賞」と言われております。
その後、ロビンソンは1956年までプレイしてこの間に首位打者、盗塁王、MVP、そしてチームのワールドチャンピオンという各タイトルを取得します。現在においても彼の評価は高く、彼がいなければメジャーにおける黒人選手の出場はずっと遅れていたと言われるとともに、初の黒人選手としてまさに手本となるほどフィールド上で紳士的な人物だったとして、同時代の野球以外のスポーツ選手からも多大な尊敬を集めました。
こうした一連の功績から彼の付けていた背番号「42」はメジャー、マイナーを含む全米球団で永久欠番となっており、さらに4月15日は「ロビンソンの日」として今に至るまでその功績は語り継がれております。
私の方からもう少し付け加えると、ロビンソンを使った球団がドジャースだったことが印象的に思えました。知ってる人には早いですがドジャースはあの野茂秀雄氏を獲得し日本人のメジャー進出の道を作り、その後も数多くの日本人選手を積極的に採用することで有名なだけに、この球団は昔からフロンティアを開拓する球団だったのだと妙な尊敬の念を覚えました。
あと今回の記事を書こうと調べているうちに知ったのですが、なんでも今年4月に「42」というまさにこのロビンソンを題材にした映画がアメリカで公開されていたそうです。日本では11月に公開される予定なので、差別と偏見に敏感なこの頃だから折角なので見に行こうかなと考えています。
野球を知らない方に向けてあらかじめ説明すると、どのチームのプロ野球選手も試合に出る際にはユニフォームに背番号を背負って出場しますが、チーム内で大活躍した名選手に対して敬意を持つという目的から各チームで一部の背番号はその選手の引退後、使われずにおかれることがあります。日本のプロ野球で代表的なのは巨人の王貞治氏の「1」、長嶋茂雄氏の「3」、西武だと故稲尾氏の「24」などがそのような扱いとなっております。
それで今回紹介する「42」。これはメジャーリーグのドジャースでプレイしたジャッキー・ロビンソンの背番号です。一体何故この番号が永久欠番となっているのかというと、シーズンMVPにも輝いたことのあるロビンソンの実績以上に、彼が近代メジャーリーグで初めての黒人メジャーリーガーだったことからです。
まずあらかじめ書いておくと、メジャーリーグ初の黒人選手だったのはモーゼス・フリート・ウォーカーであって、ロビンソンではありません。ウォーカーについて少し書くと、彼が出場したのは1884年で捕手として出場しましたが、人種の壁はロビンソンの時代より高く、チームメイトからは投球のサインを受け取ってもらえずシーズン最多の捕逸を記録するなど満足に活躍することはできませんでした。翌年からはマイナー球団を転々としましたが、とうとう再度のメジャー出場は叶いませんでした。
そんなウォーカーに続く第二の黒人メジャーリーガーであるロビンソンは1919年の生まれです。当時もメジャーリーグには白人しか出場しておらず、黒人選手は二グロリーグという別枠のリーグでしかプレイすることが出来ませんでした。
ウォーカーの兄はベルリンオリンピックの200メートル走で銀メダルに輝くなど彼の家はスポーツ一家で、ロビンソンもその才能を受け継ぎスポーツ推薦を受けて大学に入学します。ただ中途で退学した後は一旦就職し、二次大戦の開戦と共に徴兵を受けますが、配属された基地内ではやはりというか人種差別が付きまとったことからこちらも途中で除隊します。
除隊後、二グロリーグでプレイしていた彼に目を付けたのが、ブルックリン・ドジャース(ロサンゼルス・ドジャース)のブランチ・リッキー会長でした。彼は優秀な選手という触れ込みで視察したロビンソンを見初め、彼に対してあらゆる差別や批判を耐え忍び、やり返さない覚悟を説き、それに応じた彼をドジャース傘下の3A球団、モントリオール・ロイヤルズに入団させます。
こうして迎えた1946年のシーズン。ロビンソンの出場に対して対戦球団からは様々な抗議が寄せられましたがそうした声にロビンソンはあくまで静かな態度を取り続け、そのシーズンでは球団新、リーグ最高となる打率349、113打点という恐ろしい成績を打ち立てます。この年にチームは優勝を果たし、観客動員数も過去最多を記録したそうです。
そしていよいよ翌年の1947年。満を持してロビンソンのメジャー昇格が球団から発表されるや他の全球団は揃って彼の出場に反対の意向を示し、対戦拒否すら示す球団もありました。ただ当時のメジャーコミッショナーが出来た人だったのかドジャースの支持に回り、当のドジャース監督もロビンソンの起用は必要であれば使うのみと言い切り、彼の出場への舞台が整えられていきます。もっともチーム内では反発の声が依然と大きく、数人の主力選手がトレードを志願して他球団へ流出する事態にも発展しています。
そして開幕戦の4月15日。この日の観客はロビンソンを見ようと半数以上を黒人が占められるなか、前述のウォーカー以来となる黒人のメジャー出場をロビンソンは果たしました。ロビンソンはこの年も優秀な成績を収めチームに貢献し、また球場の内外から飛んでくるヤジや侮蔑に対して目立った反応はせず紳士的な振る舞いを続けたことから次第に世論を味方につけ、最初は毛嫌いしていたチームメイトたちも彼を信用するようになっていったと言われております。
そしてロビンソンは同年、この年から始まった新人賞を初めて受賞することとなります。こうしたエピソードからメジャーリーグの新人賞は別名で「ジャック・ロビンソン賞」と言われております。
その後、ロビンソンは1956年までプレイしてこの間に首位打者、盗塁王、MVP、そしてチームのワールドチャンピオンという各タイトルを取得します。現在においても彼の評価は高く、彼がいなければメジャーにおける黒人選手の出場はずっと遅れていたと言われるとともに、初の黒人選手としてまさに手本となるほどフィールド上で紳士的な人物だったとして、同時代の野球以外のスポーツ選手からも多大な尊敬を集めました。
こうした一連の功績から彼の付けていた背番号「42」はメジャー、マイナーを含む全米球団で永久欠番となっており、さらに4月15日は「ロビンソンの日」として今に至るまでその功績は語り継がれております。
私の方からもう少し付け加えると、ロビンソンを使った球団がドジャースだったことが印象的に思えました。知ってる人には早いですがドジャースはあの野茂秀雄氏を獲得し日本人のメジャー進出の道を作り、その後も数多くの日本人選手を積極的に採用することで有名なだけに、この球団は昔からフロンティアを開拓する球団だったのだと妙な尊敬の念を覚えました。
あと今回の記事を書こうと調べているうちに知ったのですが、なんでも今年4月に「42」というまさにこのロビンソンを題材にした映画がアメリカで公開されていたそうです。日本では11月に公開される予定なので、差別と偏見に敏感なこの頃だから折角なので見に行こうかなと考えています。
登録:
投稿 (Atom)