かなり前にも一度このブログで紹介したことがありますが、昔にテクモ(現コーエーテクモ)という会社が「零」というホラーゲームを発売しており、私もその1、2作目をプレイしたことがあります。このゲームは襲い掛かる悪霊をカメラで撮影することによって撃退するという、見たくないものを直視しないと進めないという妙な仕組みが面白く海外からも高く評価されました。
そんな「零」ですが、私は遊んだことはないのですが3作目からは使用するキャラクターを選べるようになったそうで、その際にそのキャラクターの「霊感」の高さがプレイにも影響するそうです。たとえば霊感が高いキャラクターはカメラで攻撃する際、霊に対して高いダメージを与えられる一方、霊からの干渉に弱く攻撃された際は逆に高いダメージを受けてしまいます。霊感が低いキャラクターとなるとこれが真逆で、霊に対するカメラ攻撃の威力は低い一方、霊からの攻撃で受けるダメージ量は小さくなるとのことです。
この設定を聞いた時に私は、「理に適っているなぁ」などと妙に感心するとともに、今日のお題となっている空気を読む力とストレス耐性についても同じことが言えるのではないかという気がしました。単刀直入に言うと、空気を読む力が高い人ほどストレスを感じやすいのではという図式が成り立つのではないかという仮説です。
私が何故こんなことを思いついたのかというと非常に単純明快で、空気を読まない人ほどストレスとは無縁だと以前から感じてたからです。具体的なのは職場などにいる空気を読まないおっさん、おばちゃん連中で、自らのミスに対して全く呵責を感じないばかりか、「またみんなで頑張ろうよ!」などと、「お前一人のせいでみんなが苦労してるのに……」と言いたくなるような空気を読まない発言をかましてくれたりします。どこでも一人や二人はいるよね、こういう人。
さらにというか民族的にも空気を全く読まない連中と私は深くかかわっております。そう、中国人です。中国人は全く読まないってわけじゃないんですが、日本人と比べて周囲への遠慮より自分の本音を優先する傾向があり、でもって日本人から見てもストレスに対する耐性が高い、っていうかストレス感じることあるのかと言いたいくらいに普段は前向きです。
といっても資本主義の発達のせいか最近の中国社会でもストレス(中国語訳は「圧力(ヤァリィ)」)が蔓延し始め、社会問題となりつつあります。ただそれを推しても中国人は日本人に比べればずっとストレスに強い、というかストレスだと感じない面は強いように思えますが。
話は戻りますがこんな具合で、「空気を読むこと」とストレスは高い関係性を持つように思います。私の身の周りでも周囲に対する気配りが出来て、周りに合わせようとするほどストレスを抱えやすい傾向があるように思え、こういってはなんですが人当たりのいい優しい人ほどストレスを持ちやすいようにも見えます。
ただそういう空気が読めてストレスを感じやすい人が一概にストレスに弱いかというとそうでもなく、確かにストレスを感じやすいんだけど芯が強くてなかなかへこたれない人も多いです。この辺は文章で説明するよりも数式で説明した方がいいので、私の考えをまとめると以下のような関係式となります。
<空気を読む力とストレス耐性の関係式)
y=m-nx
n=空気を読む力(係数) m=ストレス耐性 x=ストレス絶対値 y=ストレス耐性残余値
この数式を実際にモデルへと当てはめて再度説明します。
Aさんは空気をよく読める人でストレスは感じやすいのですが芯が強い人であるのに対し、Bさんは空気を読まなくてストレスを感じにくいのですが芯がもろく、崩れやすい人であると仮定します。両者の各数値を並べると下記の通りです。
<Aさん>
n=2 m=500
<Bさん>
n=1 m=150
この両者が仮にストレス絶対値が200に当たるショックな場面(財布を落とすとか)に遭遇したとします。これらの数値を最初の関係式に当てはめたのが以下の式です。
<Aさん>
500-2×200=100
<Bさん>
150-1×200=-50
こんな具合でAさんはBさんに比べて2倍のストレスを感じますが、ストレス耐性が高いために心の余力というようなものがまだ100残ります。一方、BさんはAさんに比べて感じるストレス量が低いものの、限界値が低いため心の余力がなくなり-50という数値に陥り、要するに心が折れてしまいます。全部が全部こんな単純じゃないとは思うものの、ストレスと心の余力の関係性は大体こんな感じじゃないでしょうか。RPG風に言えばm=ヒットポイント、n=防御力(兼攻撃力)といったところでしょう。
既に大分長いですが変に分割すると面倒なのでまとめて書くと、昨今の日本の企業採用では「コミュニケーション力」を最重要視する企業が最多です。この求められるコミュニケーション力というのは「空気を読む力」だと考えている会社も多いように思え、だとすると日系企業は得てしてストレスを感じやすい人間を優先して採用しているのでは、と密かに睨んでいます。仮に空気をよく読める上にストレス耐性が高い人間を採用しようとするならともかく、ストレス耐性に着目せず空気をよく読めるかどうかだけに着目して採用するとどうなるのか。この辺に新卒社員の約半数が3年以内に会社を辞める理由があるのではないかという気がします。
変な話ですが私は今の世の中だからこそ空気を読まない人間っていうのが大事にされるべきだと思います。過剰に空気を読むというのは空気に支配される、流されるということと同義で、空気を読まずに冷静に状況を判断できる人を集団の中に入れておかないと、変な方向に向かっていく気がします。
その上で今回取り上げたストレス耐性。現代社会は明らかにストレスを感じる場面が多く、そういった場面に適応するよりも抵抗力の強い人間、そういう人間に着目して効率よく運用するという視点が欠けているのではないかと思ったことから、こういう記事を書いてみました。
おまけ
空気を読む方か、読まない方かと言われたら私は間違いなく後者に入ることでしょう。かといってストレス耐性に強い方かと言ったら精神的に落ち込むことも多くてそうでもないようなと思う一方、自分の場合、遭遇するストレスシーンが極端なものも多いため、まぁ並程度のストレス耐性なのかなと納得させてます。
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