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2013年8月14日水曜日

韓国の近現代史~その二十二、IMF事態

韓国のIMF救済(Wikipedia)

 前回の予告通り、今回は現代韓国の始まりともいえるIMF事態を紹介します。ただ紹介すると言っても、この項目だけで本一冊かけるくらい肉厚な内容なので、あくまで素人としてわかる範囲をかいつまんで書いてこうかと思います。

 事の起こりは1997年の8月、タイの通貨であるバーツが暴落したことを皮切りに起こったアジア通貨危機がきっかけです。このアジア通貨危機は日本は直接的な影響を受けなかった(間接的には大きい)ために事件当時はあまり報じられてませんでしたが、タイを始めとして韓国やフィリピン、マレーシアなどの国々では通貨価値が大きく下落し、輸出入の面で大きく経済が混乱しました。
 折しも韓国ではそれまで続いていた高い経済成長が終わり、調整期に入ろうとしていた時期でした。そこへこのアジア通貨危機の波が起こり銀行や企業の間では不良債権が一気に焦げ付き、財閥系企業でも倒産に追い込まれるなど、私の目から見ても空気ががらりと変わった印象を覚えます。

 具体的にこの時の韓国で何が起きていたのかというと、最近の例だと国家破綻したギリシャの様な事態に陥っていました。あまりこの辺の話は得意じゃないのですが、当時の韓国はウォンが大幅に下落して外貨がほとんどなくなった上、国内経済も大混乱となったことから、日本やアメリカから借りていた借金(対外債務)を返済期限が間近に迫っているにもかかわらず返せなくなるような状態だったそうです。
 もちろん、返せなかったらそこで試合終了ならぬ国家破綻となるので、韓国政府としても日本やアメリカに返済期限を延ばしてもらうよう交渉するとともに、各国や国際機関へ資金援助を申し出て、最終的にIMF(国際通貨基金)から資金支援を受ける代わりに国内の経済政策をIMFに一任するということとなるわけです。

 私は実際にこの時、どんな状況だったのか知り合いの韓国人留学生に尋ねてみましたが、桁違いの不況で誰もが暗い顔をしており、思い出したくないほど暗い時代だったと話していました。実際、この時期に韓国企業の間ではリストラ、給与カットの嵐が吹き荒れ、失業率なども大幅に上昇していることから社会空気も沈んでいたことでしょう。またそれとともに国の経済政策を自分たちで決められずIMFに一から十まで指導されるという、プライドが高いと言われる韓国人じゃなくても納得できないような気分になると思います。

 なおこの時のIMFの指導によって韓国は徹底的にグローバル化、言い方を変えればアメリカにとって都合のいい経済体制に変えられたという主張をよく見ます。ただ実際に私自身が韓国現地で調べたわけではないし、それ以前の金泳三政権時代にもグローバル化が図られていたとも聞くので、本当にその通りなのかとやや疑問に感じる点はあります。ただ少なくともいえることは、国を挙げて外国人観光客の誘致活動を行ったり、サムスンなど財閥企業に集中支援したりするなど、国民生活を犠牲にしても二度と国家破綻させてはならないというような韓国の覚悟というものはこの時代に作られたような気はします。

 もう少しトピックを絞ってこのIMF事態について述べると、この時期に韓国企業ではリストラが繰り広げられたのですが、その際に真っ先に切られたのは若手社員だったそうです。儒教的な価値観からそうなったなどと言われておりますが、結果的にこの時期から若年層の失業率が異常に高まり、今に至るまで若者の貧困が韓国では社会問題となっております。

 またIMFの救済が決まったのは1997年12月ですが、それから三ヶ月後の1998年2月に大統領が金泳三から金大中に交替しており、政治的にもちょっと荒れていた時期ともいます。金泳三と対立していた金大中が大統領選に勝利した背景にはこのIMF事態を招いた責任として金泳三に批判が集まっていたことも影響したと言われていますが、就任早々に国家破綻のような事態を経験した金大中も大変だったと思えます。

 あと韓国の企業関連で話をすると1997年10月には起亜自動車が経営破綻をしました。それまで韓国の自動車市場は起亜自動車と現代自動車の二社が凌ぎを削っておりましたが、この時の経営破綻を契機に起亜自動車は現代自動車の傘下に収まり現在のように至るわけです。
 起亜自動車以外の大型破たんとなると、サムスングループに継ぐ韓国第2位の財閥であった大宇グループがこの時期に破綻し、解体の憂き目にあっています。大宇グループの会長だった金宇中は破綻の直前に日本円にして5兆円もの資金を持って外国に逃亡し、2005年に帰国した際に逮捕されていますが、自国の人間じゃないから言えるのかもしれますがスケールのでかい人物だなと妙に感じます。

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