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2015年5月27日水曜日

千葉のマッドシティ~青沼英語塾

 地元民以外はすべて切り捨てているこの連載ですが、今日もまたマッドシティの周辺住民なら「ああ、あそこね」とわかるもののそれ以外だとちんぷんかんぷんな所を取り上げようと思います。そんな今日取り上げる場所というのも、松戸伊勢丹近くにある青沼英語塾という私塾です。

入っているビルとその周辺 


アップ写真

 青沼英語塾というのは松戸駅から徒歩数分の距離にある英語科目専門の予備校です。この塾は松戸市とその周辺では非常に有名で、以前見たネットの掲示板だと松戸周辺の現役生は市進予備校とこの青沼英語塾を掛け持ちするのが手っ取り早い受験攻略法だなどとか書かれてもいました。

 具体的にどういう塾かというと、今は増やしているようですが昔は講師が塾長ともう一人の二人だけしかおらず、受け入れる生徒数も定員が決まってて先着順でした。でもって授業はどんなかというとはっきり言えばスパルタ形式で、非常に厳しい言葉でガンガン授業を進めていくようなやり方で、質問に答えられなかった生徒に対しては「なんで答えられない!」と本気で怒鳴ることもありました。
 あと特徴的なのは使用する教材で、どれもこの塾オリジナルの教材が使われているのですがその中でも特に英単語帳は異彩を放っています。詳しくはこのリンク先を見てもらえば早いのですが、書名が何と「Final weapon」という若干中二病めいた名前で、中の内容もゴロ合わせの紹介が多かったりします。今でも覚えているのだと「Merge」の説明で、「合併?マジかよ」というフランクな言葉が確か載っていました。

 ここまで書けば見てわかる通り、ご多分に漏れず私もこの塾に通っていた時期がありました。ここは高校二年生から生徒の募集を行うのですが、英語が苦手だった私を慮ってかうちのお袋が朝一で並んで願書を出して入塾したのですが、私だけでなく同じ高校に通う近所の同級生も数人入塾してました。
 当時、クラスはAクラスとSクラスがあり英語がそんな好きでもないし得意でなかった私はAクラスを希望して入って授業にもそこそこついていけてたのですが、確か6月になって講師の塾長が授業開始と共に現れると、

「大変申し訳ないのですが、私の体調不良により今年度の授業を休講とします」

 という、かなり衝撃的なアナウンスと共に解散させられました。
 なんでも神経症の病気にかかって外に出るのも大変な状態だったそうなのですが、もう一人の講師が受け持つSクラスは通常通りに授業が進行されたのを考えると、クラス選択でミスったのかなと当時は思ったものです。ただ次年度、高校三年時は無条件で入塾できるようにするとも言われ、多少は納得いかないもののその場はそれで済ませました。

 ただ、面倒なことはこれだけではありませんでした。授業が休講となってから約二ヶ月後、確か8月だったと思いますが、青沼英語塾から休講となった代わりに市進予備校で代替の授業を行うという連絡が来ました。その連絡では市進予備校にいる講師に生徒を受け入れてくれるよう話しを済ませており、中断した箇所から英語科目を教えるよう特別クラスを作ってもらったと書いてありました。講師も適任となる人物を選んでいるということで休講中はここに通うようにと言われたので、既にほかの塾にも通っていましたが黙って市進予備校に行くことにしました。
 それで9月から通い始めたのですが、はっきり言って最初の連絡はでたらめもいい所でした。入塾料自体は連絡通りに無料でしたが、肝心の授業は中断した箇所とは全く関係なく、講師も大学生のアルバイト講師でした。別に悪い講師ではなかったものの教えられる内容はほかに通っていた塾で履修した内容がほとんどで、真新しく学ぶ内容はほぼ皆無と言ってもよかったです。そのため真実を知ってか毎週行くたびに授業に来る生徒は減っていき、私も2ヶ月くらい通って学ぶものはないと判断してやめました。

 そして翌年、高校三年となって前年の休講を詫びる手紙と共に入塾の案内が届けられました。内心この時点で結構胡散臭いと思うようにはなっていたものの親が通えと言うのでとりあえず入塾しましたが、私が入ったクラスを受け持つ講師は新しく入ってきた講師でした。
 授業自体は前年受けた塾長の物と比べるとピリピリした空気はなかったものの、何度も書いている通りによそに通っていた塾で履修済みの内容がほとんどだったためあまり学ぶものはありませんでした。そしたら一ヶ月後の確か5月、授業開始時間になったらそれまで受け持っていた講師ではなくいきなり塾長が来て、

「あの講師の授業進行は遅れが目立つのでやめてもらいました」

 と話し、別クラスを受け持っていた講師がこれからこのクラスも受け持つという事だけ伝え、新しい講師にバトンタッチして去っていきました。

 はっきり書きますがこの時点で心底見下げました。病気のため仕方がなかったとはいえ一年間の授業を休講し、通う必要のない予備校へ通わせた挙句に新クラスを受け持つ講師をいきなり引き摺り下ろすなど、なんで自分の通うクラスにばかりトラブルを起こすんだという具合に。
 何度も書きますがほかに通っていた塾の方が履修内容は既に大きく進んでました。しかし青沼英語塾の授業日とその塾の英語科目Sクラスの授業日が重なっていたため、その塾の英語科目で別の授業日にあるAクラスに私は在籍していました。塾内のクラス分けテストでは上位にいたためSクラスに行く資格は得ていたものの、このような理由から下のクラスに居続けなければならないのはおかしいと判断し、やたら引き留める親を説得し(さすがに殴ったりはしなかったが)て青沼英語塾を退塾することとしました。

 その後、私は別の塾、というか塾長とは今でもマブダチ(だとこっちは思っている)なのでもう名前出しちゃいますが「創学舎」で英語はSクラスに移籍し、そのまま大学受験を終えるまでそこに在籍し続けました。創学舎についてはまた今度記事を書きますが、青沼英語塾に関しては少なくとも私はあまりいい思い出がありません。むしろ当時はもっと怒ってもよかったかなと今でも思います。
 ただ通っていた生徒の話を聞くと英語の実力が上がったという人は多いので、通いたい人は通えばいいと思います。通いたければね。

 これで締めると愚痴っぽい内容で終わるので最後に英語教育について少し話すと、日本人が英語を苦手とするのは日本語と英語が明らかに相性が悪いということも大きいですが、それ以上に英語教育自体に問題があると私も感じます。たまに中学生向けのテキストを見るとかえって文法理解で混乱を引き起こしかねない説明の仕方がされているのを散見され、真面目に外務省と文部科学省がタッグを組むなどして英語教育の指針やノウハウを作るべきでしょう。まぁそんなこと言ってる暇あったら、自分ももっと勉強するべきなのでしょうが。

2015年5月25日月曜日

インパール作戦から帰還したプロ野球選手

 先週日本に一時帰国していた際にたまたま「報道ステーション」を見ていたところ、安倍政権への皮肉なのかインパール作戦の特集が組まれていました。これまた偶然ですがちょうどその頃、うちの名古屋に左遷された親父が持ってきた本の中に野戦指揮においては旧日本陸軍最強の呼び声高い宮崎繁三郎の本を読んでいたこともあり、インパール作戦についてネットで再び調べてみました。
 最初に呼んだのはWikipediaの記事だったのですが、その中でこの作戦に従軍していたプロ野球選手がいたと知り、興味を持ったことからそのまま調べてみたところかなり面白い人物だったので今日はこの方を紹介しようと思います。どうでもいいですが「知ってるつもり?!」のようなナレーションの仕方であるものの、そもそもこの番組を覚えている人は今どれくらいいるのやら。

川崎徳次(伝説のプレーヤー)

<来歴>
 川崎徳次は1921年に佐賀県で生まれ、高校を出た後はその野球の才能を高く評価した満州撫順炭鉱から誘われ、この会社が保有する社会人野球チームで投手として選手生活をスタートさせます。このチームで活躍したことから1940年には南海へと移籍してここでも剛速球を武器に活躍しましたが、1943年には陸軍に徴兵され、上述のインパール作戦に従軍する形でビルマに渡ります。

<インパール作戦への従軍>
 インパール作戦についてはほかの記事でも何度も紹介しておりますが、補給を完全に無視した無謀極まりない作戦で、膨大な数の死者が出ていますがその死亡原因の大半は銃弾によるものではなく餓死だったとされ、撤退路には死体が連なり「白骨街道」とも言われたほど悲惨な戦闘でした。この戦闘で部下を最後まで見捨てずに善戦したのが先程の宮崎繁三郎です。
 川崎もこのインパール作戦に従軍していたそうですが、戦地では偶然にも巨人の正捕手をかつて務め現役時代に川崎と交流のあった吉原正喜という人物と再会することとなります。階級が上だった吉原は川崎に食料や薬を優遇するなどしていたそうですが、彼は川崎とは異なり戦死し、遺骨も発見されませんでした。
 激しい戦争を生き抜いて終戦を迎えた川崎は戦後約1年間はビルマの強制収容所で過ごし、1946年に日本へと帰国します。帰国した川崎は当時の巨人の監督から誘いがあったことと、上述の吉原への恩義などから巨人への入団を決意し、プロ野球の現役にも復帰します。

<戦後の現役復帰>
 現役復帰した川崎は戦場でのブランクを感じさせないほどの活躍ぶりを見せ、1948年には最多勝利のタイトルを獲得し、翌1949年の戦後としては初めての巨人優勝にも実質的なエースとして大きく貢献します。巨人で優勝を決めた翌年の1950年にはプロ野球が2リーグに分裂したことを受け西鉄へ移籍し、ここでも名選手として活躍して1953年には5年ぶりの最多勝+最優秀防御率のタイトルを獲得しました。
 当時の川崎のピッチングは球速の速さもさることながら現代においても使い手の少ないナックルボールを使用していたそうです。ナックルを使い始めたのは西鉄に移籍してからだそうですが、それでも仮に戦時中の徴兵が無ければ生涯250勝も達成していたとまで言われています。

 その後、川崎は西鉄でプレイし続けましたが登板機会は徐々に減り、1957年に現役を引退します。引退後は西鉄でコーチや監督を務めたほか、阪神の投手コーチも務めたこともありこの時には当時新人だった江夏豊氏も指導したそうです。
 球界を離れた後は東京でうどん屋、ついで故郷の佐賀県鳥栖市で喫茶店などを経営し、2006年に福岡県内の病院で84歳の人生を終えておられます。

<珍記録満載の野球人生>
 以上の様に川崎は一選手として傑出した活躍ぶりを見せておりますが、彼の本領はそういったこととかではなく、とにもかくにもおかしな記録を数多く残していることです

 もっとも有名なのは1949年4月26日の巨人対大映戦で、この試合は小さい球場でなおかつ風が強かったこともあって両チームでホームランが量産されたのですが、飛び交ったホームラン数は両チーム合計で13本塁打にもなり、得点結果も15対13(巨人勝利)というハイスコアゲームでした。
 この試合で巨人から先発したのはまさにこの川崎なのですが、川崎がこの試合で打たれたホームラン数は8本で、失点数は13失点にも上ります。にもかかわらずなんと川崎はこの試合を最後まで投げ切り完投しており、この時の「13失点完投勝利」という記録は未だ誰にも破られていない日本記録で、恐らく今後も破られることはまずないでしょう。
 しかもこの試合にはもう一つおかしい点があり、というのも投手の川崎が4安打中3本塁打9打点を打ち出しており、自分が打たれた分だけ自分で見事に打ち返すという離れ業も決めております。川崎は元々、投手にしては打撃にも秀でた選手ではありましたが、このシーズンで本塁打を打ったのはこの試合だけで、なんていうか神が乗り移ったかのような記録を残しました。

 このほかにも日本プロ野球史上初の「1球での敗戦投手」にもなったかと思えば、同じく日本プロ野球史上で二番目となる投手によるサヨナラホームスチールも記録しています。なお史上初の投手によるホームスチールは阪神の御園生崇男が1942年に記録していますが、この時にホームスチールを決められた投手は川崎でした

2015年5月24日日曜日

取引先で出されたお茶のマナー

 最近記事に書きたい話が非常に多く溜まっており、ハイペースで書き綴っているものの準備しているネタをなかなか表に出せない状態です。この記事も今日二本目ですが、なんか最近一日二本書くのがやけに多いような。

取引先で出されたお茶、飲んではいけない? ネットで大激論(痛いニュース)

 そんなわけで本題ですが、ちょっと上記リンク先の話が気になったので私も一言書こうと思います。上記リンク先のまとめ掲示板では何が書かれているのかというと、訪問した取引先で出されたお茶を飲むか飲まないか、マナーとしてどうなのかというのが議論となっています。
 結論から言うと、出されたお茶はちゃんと飲むのが当たり前だと思うし、そもそもお茶程度でマナー云々を持ち出す時点でいろいろとどうかと思います。

 そもそもお茶が出されるということはホスト側からのもてなしであって、それをきちんと受け取らないというのはやはり避けるべきでしょう。第一、飲まなかったお茶はどうせそのまま捨てられることになるんだし、それであればちゃんと飲んであげる方が茶葉を作ってくれた農家に対しても礼儀を果たせるってもんでしょう。
 それこそお茶でなく手作り料理だった場合、それに手を付けずに帰るっていうのは逆に失礼なようにもみえます。もっとも、訪問先で手作り料理出されたらちょっと引くけど。

 その上で根本的な話をすると、こんな飲むか飲まないか些細なことでマナーを引っ張り出すなんて、疎外もいい所です。疎外とは簡単に言えば生活を便利にするために人間が作ったシステムがかえって人間の生活を縛って不便にさせるという概念ですが、マナーというのは本来、コミュニケーションを円滑にするために作られたシステムです。しかしこのお茶の議論だと本当に細かいどうでもいいような点で「マナーだからこうしなければならない。逆の行動を取る人間は駄目な人間だ」とすら言わんとする主張は、かえって人の行動を縛り付けなけない言い方で、はっきり一言で言えば聞くだけに不快です。

 なお私は以前いた会社で上司などと食事する際、出された料理は上司を差し置いて真っ先に箸をつけることでちょっと有名でした。「なんでお前そんな急いで食おうとするんだ?」と聞かれたこともありその際には、「単純に腹減っているのと、冷めないうちにすぐ食べることが作ってくれた人への礼儀になると思うからです」と言って不問にされました。
 まだ理解ある上司で助かったのと、自分の敬意の向け先はいつも遠いなって気がします。

取引先で出されたお茶飲んだ結果wwwww(アルファルファモザイク)

 ちょっと本題とは違いますが、たまたま今日上記の記事も見つかったので一応リンク付けときます。上でも書いている通りに出されたお茶は飲むべきだと私は思いますが、職業が忍者、もしくは以前に忍者の修行をした人なら飲まないのもまだ理解できるなと、この記事読んで思いました。

個人への債務責任が極端に重い日本社会

 今日の記事はタイトルどうつけるべきかやや悩みましたが、ちょっと説明臭くなるけどこうせざるを得ないと思ってこういう形になりました。結論から述べますが、日本社会は他国と比較しても極端に個人への債務責任が重いと思え、それが故に本来なくてもいいひずみが社会のあちこちで起こっているのではないかと思います。そしてその原因は現行の民法にあると思え、前からも主張していますが憲法などよりもまずこっちの民法を急ぎ改正するべきがあると考えます。

<連帯保証人制度>
 日本のいびつな債務責任として最も代表的なのは言うまでもないでしょうが連帯保証人制度で、書類一枚で保障相手の債務に対して永久にかつ無限に返済責務を負わせる法律なんて、少なくとも私が知る限りだとほかの国にはないように思えます。実際にこの連帯保証人制度で、真面目に生きてきたにもかかわらず保証相手の不手際からある日突然破産せざるを得なくなる人も少なくないと聞き、言い方は悪いですが不心得者と債権者が不当に得する制度にしか見えません。

<賃貸契約の保証人>
 またこの連帯保証人制度に影響されてなのか、日本では個人で契約を行う際になんでもかんでも保証人を立てなければならない妙な習慣があります。一番代表的なのは住宅の賃貸契約で、基本的には自分以外の親類を保証人として立てなければ部屋一つ借りることもできません。その上で保証人となる人間がいない場合などは保証会社と契約してその分の保証額を家賃に上乗せしなくてはなりません。
 私がこの賃貸補償を疑問に思うようになったのは中国に来てからで、中国の場合は基本的に大家と一対一の契約となり、家賃一ヶ月分の保証金を支払った上で毎月の家賃は前払いが原則です。このやり方であれば支払いが一ヶ月遅延したとしても保証金でカバーできる上、前払いでもあるからとりっぱぐれることもまずありません。そのため日本みたいに保証人を立てる必要もなく、外国人の私でもすんなりと賃貸契約を結ぶことが出来ます。まぁ実際の所、中国人と比べて日本人は部屋をそんなに汚したりしないので大家受けがいいってのもありますが……。

<住宅ローン>
住宅ローンに対する個人的な不満

 以上のような保証人制度と共に日本の制度で腑に落ちないのが住宅ローンの制度です。上記リンク先は以前に私が書いた記事ですが、この記事でも書いてあるように私は日本以外の国に住宅ローンの二重払いが発生するという例は聞いたことがありません。詳しくは元の記事を読んでもらいたいのですが、なんで担保となる住宅を銀行に返したとしても残っているローンは支払い続けなければならないのか、不幸にも天災などで住宅を失った場合も二重ローンに見舞われなければならないのか、不合理もいい所ではないかとつくづく思います。

<有限責任じゃない法人> 
 ある意味今日の本題ですが、日本では自分が作った会社が借金を抱えて倒産した場合、社長である本人が何故か銀行などから借りた会社の借金を返済する義務を負うことになります。もしかしたら、「え、そんなの当たり前じゃない?」と思われるかもしれませんが、そもそも会社こと法人は債務において個人と会社とで責任のラインを切り分けるために存在しており、法人が抱えた借金は法人が抱えるものであって社長個人は本来返済義務を負う必要がないはずです。
 しかし日本では個人の会社が倒産した場合はその会社が抱えていた借金を社長本人が返済するよう迫られ、実際に自宅から何から何まで銀行に差し押さえられるパターンが多いです。それでも返し切れなかった借金は自己破産でもしない限りは延々と付きまとい、再起しようとしても抱えている借金によって身動き取れないなんていうパターンが多いです。

 米国の場合、会社が倒産したとしても会社が抱えた借金は銀行也ファンド也のリスク範囲であって企業家自身に責任が求められることはないと聞きます。そのため会社を潰した元企業家はまた新たなビジネスプランを編み出してそれが評価され資金調達に成功できれば再び会社を立ち上げることが出来るし、またファンドなども一度失敗した経験のある企業家であっても、むしろ失敗を経験しているからこそ評価することもあります。
 それに引き替え日本の社会は企業家は一度失敗したら完膚なきまで叩かれるため、事実上再起は不可能という場合が多く、失敗から立ち上がるというケースはほぼ全く有りません。失敗から学べること、特に経営において多いと思うのに、そうした企業家が再チャレンジできないような制度になっているとしか言わざるを得ません。

<個人の債務責任が極端に重いのでは>
 以上までで様々な例を紹介しましたが、総じて言えば日本において債務に関連する責任が極端なくらい個人に偏っているのではと思えます。それによって誰が得しているかというと債権者こと銀行で、特に住宅ローンに関してはほぼノーリスクで貸した分だけ確実に儲けられる構造となっており、リスクを取らない連中が何故暴利をむさぼるのだと強く不満に感じます。
 また最後の法人関連でも、以前に取り上げたバイオ企業の林原の社長一家は自宅内のありとあらゆるものが銀行によって差し押さえられ持って行かれたと話しており、会社を潰したとはいえ個人の生活まで完膚なきまで破壊する権利が何故銀行にある、そもそも金を貸すと決断したのはお前たち銀行たちだろうと腑に落ちませんし、こんな制度だと日本では企業家がなかなか育たないと断言できます。

 このように日本で個人の債務責任が極端に重いのは間違いなく民法が原因です。更に言えばこうした社会制度に影響されたのか日本では何か問題があると個人に責任を問うという考え方が強く、その一方で社会に責任というか問題があると考える人間が他国に比べて少ないのではとも覚えます。
 というのもこれは友人らから聞いた話ですが、日本よりも何倍も若年失業率が高い欧米諸国では職のない若者は昼間からプラプラ外に出て、公園で楽しくランチなどを取ることも多いそうです。なぜなら彼らは自分たちが失業しているのは自分たちに責任があるのではなく、経済をきちんと回せない社会に問題があると考えるため、日本みたいに失業しているからと落ち込んで家に引きこもったりすることがないそうです。

 個人の責任というとイラク人質事件時に言われた「自己責任」という言葉が有名ですが、あの事件に関しては私もいろいろ思うところがありますがそれはこの際置いて話すと、やはり現代日本は本来個人が抱えなくてもいい、社会が受け持つべき責任までも個人が背負わされているように思えてなりません。だからこそ自殺も多いのではないかと思えるし、行政も怠慢こかすし、不心得者が得するし、これのせいで悪い方向に行ってしまっている点が多々あるのではないかと思えます。
 ではどうするべきか。やはり何よりもまずやるべきことは民法を早急に改正し、その上で銀行をはじめとした金融業界で規制緩和をすべきでしょう。少なくとも今の日本の銀行は守るに値せず、外資に負けるくらいならむしろ外資に来てもらった方が日本人の生活や社会にはプラスになるのではないかとすら覚えるというのが、今日の私の意見です。

2015年5月23日土曜日

作品に宿る「負のオーラ」


 上記の画像はまたネットで拾ってきた画像ですが、これ見てグラフィッカーさんも大変なんだなぁとしみじみ感じると同時に、やや不遜ですが「俺と同じだ!」と思いました。結論から述べますが、絵画や文章などといった芸術によって自己表現を行う場合、フラストレーションがたまっている状態であるほどいい作品が生まれやすいです。少なくとも自分の場合には。

 このブログの記事なんかその辺が素直に出ていて、人知れずプライベートで腹立つことがあった直後に書いた記事はあとから自分が読んでもよく書けてると思うし、閲覧数もほかの記事より伸びる傾向があります。そう言った記事は主に社会批判系が多いのですが、法律の問題点などやはり見ていてイライラする内容ほど書いてるこっちもやる気が湧くというかモチベーションも違い、何が問題なのか、誰が被害者なのか、対策はあるのかなどについてこうした記事では我ながらまずまずの形でまとめられているように思えます。
 では何故、フラストレーションが溜まっている状態だといい作品が書けるのか。いくつか理由はありますが自己表現という行為であるだけに、ムカついた思いをぶちまけたいという欲求は表現する上で単純にプラスでしょう。ただそのムカついた思いこと上記画像の中にある「どす黒くてドロドロしたなにか」をそのままの形で出してしまうと仕上がりが悪くなる傾向があり、多分このブログの読者ならわかるでしょうが私もそういう失敗記事を何本も出してしまっています。やはりいったん「悟り」を経ないといい記事には昇華できません。

 こうした「ぶちまけたい思い」に加えもう一つ理由を挙げると、これはフラストレーションというよりかはストレスというべきでしょうが、適度なストレスはかえって心身のバランスを取る上でプラスだとも私は考えています。もちろん過度なストレスは体に悪いですが、多少の緊張感を持たせるようなストレスは生物としての身体能力を高めるという結果が数多くの実験で出ており、自分の知っている実験だと天敵となる魚と捕食される魚をガラスの水槽に入れ、その水槽を隣り合わせでくっつけたまま放ってみると捕食される魚は平均寿命の数倍長く生き続けたというデータがあります。
 これまた上記の画像から引用すると、「締切」、「理不尽な修正」、「アホな営業」、「睡眠不足」、「安月給」という要素はどれもストレスの元で通常の価値観なら存在しないに越したことがない要素でしょうが、こと自己表現するに当たっては作品の質を高める要素になっていると思える節があります。

 こうしたことは私自身も体験があるというか、小説を集中的に書く時間がほしいから高校二年時に入っていた運動部をやめたところ、何故か入っていた高校一年時より原稿の執筆量が減ってしまったということがありました。また新聞記者時代も、「なんで俺、三ヶ国語をフルに駆使して働いてんのに年収200万円切ってるんだ?」という深く考えてはいけないような疑問を感じつつも、この時期は自分の能力の高まりを確実に感じられたし、また体力的にもハードな面であってもそれほど苦には感じませんでした。
 またこれは漫画家の例になりますが、デビュー作は高い評価を受けたにもかかわらず、ある程度収入が入ってアシスタントも満足に揃えて始めてみた二作目は全く評価されずに打ち切られる作家もおり、仕事環境的には以前より確実に改善されているにも関わらず作品の質が落ちるなんていうことがままあるように見えます。でもって打ち切りが決まってから急激に面白くなり始めるパターンもあったりと。

 以上の様にこと自己表現に当たっては、人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」にでてくるジョニィ・ジョースターの言を借りるとすれば「餓えなきゃ勝てない」というのが真実であると私は思います。もちろん天才なり凄い人は何不自由ないストレスフリーな環境でもすごい作品を作り出してきますが、やはりいい作品を生むに当たっては何かしらの不自由なりストレスの種は強い追い風になると考えられます。
 こうしたことを「ハングリー精神」と呼ぶ人もいますが、私はどっちかっていうとこの表現だとしっくりこず、負の感情が昇華され作品に帯びるという意味合いで「負のオーラ」という言葉でもって普段表現しております。そんでもって背水の陣じゃないですけど「逆境は人を強くする」という妙な信条を持ち合わせていることから私の座右の銘は高校時代からずっと「死地に生あり」で、多分これが私の極端に特徴的な自己破滅型の性格を成す要因になっているとも分析しています。

 まとめになりますが自己表現をするに当たっては怨み、つらみ、嫉妬、焦り、嘆きといった負の感情は大きなプラスになることがあり、表現者はいい作品を作るに当たって多少なりとも逆境といえるような環境に身を置くことも一つの手段です。そうすることによって一種悲壮感めいた「負のオーラ」が作品に宿るので、死なない程度に苦しむことも捨てたものではありません。
 と言いつつ、自分の人生の波乱万丈ぶりにはいい加減辟易してきましたが……。

突然の依頼

 今週木曜の夜、久々に昆山の潜伏地に戻った夜、ブログの更新もサボっていたので軽いネタを仕上げてこの前買ってきた「シュタインズゲート」というゲームで遊んでいようと思っていたところ、私の携帯が突然鳴り出しました。表示を見ると中国版LINEこと微信に着信が入っており、以前に日本のヤクザ記事を取り挙げた際に日本のヤクザ事情について教えてほしいと連絡を取ってきた中国の記者からでした。連絡の内容はというと彼の知り合いが私に日本社会について聞きたいことがあるとのことなので、「おう、なんでも聞いてくれや( ゚д゚)ウム」と返信した所、グループチャットでその依頼者から下記のような申し出を受けました。

「日本社会のあるテーマについて記事を書いてもらいたい。要点を送るから900字程度、中国語で

 向こうは私が以前に記者をしていたことを知っているのでそれでこういう申し出をしてきたのだと思いますが、いくら記者をしていると言っても中国語で記事を書いたことは今までありませんでした。しかしその辺は私というべきか、「面白いきっかけだ」と思い、これを二つ返事でなんと引き受けてしまいました。でもって締め切りを確認した所、

「じゃあ原稿は今度の土日辺りに出せばいいかな?」
「いや、出稿が土曜の朝だから金曜の夜までにお願い」

 金曜の夜って、実質1日だけじゃんΣ(゚д゚;)
 ちょっとこの辺で一瞬断ろうかとも思いました。というのも、金曜の夜は飲み会の予定が入っていてとても記事なんか書ける日程じゃなかったからです。しかし、その辺はやっぱ私というべきか、

「金曜の夜は予定があって書けない。なら、今日(木曜)の夜にこれから書いてすぐ送る」

 というわけで依頼を受けてから即、私にとって人生初めての中国語記事の執筆に入りました。最も今回の依頼のテーマは運転マナーで、日中両社会の違いを私の視点で自由に書いてもいいというコラム的な記事なので余計な取材とかは必要なく、まだ書きやすいテーマでした。
 なもんだからまず記事に盛り込む内容というかトピックを列記し、その後で記事の構成をさらさらと立て、最初に日本語で記事全文を書き上げました。書き上げた日本語文は1350字程度でしたが、中国語にすると同じ内容でも文字数は少なくなる傾向があるので、900字くらいに納めるとしたらこんなもんだろうと考えてこの文字数に仕上げています。

 準備万端整えて中国語の記事執筆に入りましたが、中国語でメールを打つのなんかはもうほとんど苦もないのですが、やはりこういう文章は経験が浅くてそこそこ苦労しました。その結果、日本語文章が出来るまでは1時間かかったのに対し、中国語で記事を書き上げるのには2時間、計3時間をかけて依頼の記事を完成させました。もっとも書き上げた翌日に見直すと、「需要」って単語の所は「必須」にすべきだったとか、もっと禁止を表す「別」って単語を有効に使えばよかったなどと反省の残る内容でしたが。
 文字数は900字をややオーバーした1000字強でしたが、書き上げた原稿を依頼人に送った所、「こんなに早く仕上げてくれてありがとう」とお礼を言われ、添削を受けた後に使ってもらえるようです。報酬は最初拒否しましたが、自分の労働に対する正当な対価だとして説得されたので受け取ることにしました。

 今回の経験は自分にとってなかなか興味深く、中国語で記事を書いてみて気が付くところも非常に多かったです。やはり言語は話す、聞く、読む、書くの四要素だと思え、ややリーディングに特化している私からすればこうした経験は必要とされるものかもしれません。
 それともう一つ、今回は依頼から依頼完了までわずか4時間程度で終わりましたが、こういうところを見るにつけやっぱ中国はスピーディーだなぁとつくづく思います。多分日本だったら原稿料をどうするかとかで下手したら一週間くらいかかるだろうけど、私が自己の収益拡大に異常なくらい無頓着な所もありますが話しが早くてやりやすいと感じます。依頼人からは「また今度もよろしく(^ω^)」と言われたけど、第二弾もあるのかな?

2015年5月19日火曜日

維新の党の今後

 今日はやることなかったのとちょいちょい疲労がたまってたのでマッドシティの潜伏地内で相撲見ていましたが、グルジア人の臥牙丸が日馬富士を倒した後の殊勲インタビューで物凄くうれしそうに、インタビューアーの質問を受けることなくその喜びを流暢な日本語でしゃべり続けてたのですが、見ていてこっちもうれしくなってきそうな位の話しぶりでした。

 そういうわけで本題に入りますが、このところ意識的に時事ネタを増やしている関係から今日は維新の党の今後についてです。先日の大阪都構想を問う住民投票の結果を受けて橋下大阪市長は次回の任期切れを以って政界を引退する旨を発表し、また江田憲司氏(名前で検索かけたら「江田憲司 かつら」って検索候補が出てきた)も党代表職を辞任すると併せて発表しました。
 維新の党の二枚看板が同時にその職を退くという発表を受け、同党では緊急に対応する形で松野頼久幹事長が江田氏に代わって党代表に就任することを発表しています。ただ名実ともに維新の党の顔ともいえるこの二人が去るとなると影響力の低下は必至で、私の予想を述べるならそう遠くないうちにほかの政党と合併するなどして維新の党は消滅することになるでしょう。

 そもそも維新の党自体が橋下市長のワンマン政党といってもよく、橋下市長がいなくなるならその存在意義から何から何まですべて喪失してしまうことになります。というのもこの政党は橋下市長以外に政策を作る人間がおらず、また現時点においても掲げている政策分野は地方再生と憲法改正だけしかなく、外交から経済対策、労働問題などにおいては門外漢もいい所で、柱の一つである地方再生においては今回の住民投票を受けて交替するとなると事実上憲法改正しか主張が出来なくなってしまうわけです。もっともそっちの方も聞いててピンとくるような主張は何もないけど。

 となるとこの後はひたすらフェードアウトしていくよりほかなく、同じくフェードアウト気味の他の政党と合併して消えてなくなるのが関の山でしょう。いつくらいにそうなるかという時期に関しては橋下市長が完全に政界引退した後、といいたいですが、本人が早くにやる気なくしてたら下手すりゃ来年くらいにはもうなくなっているかもしれません。
 ただなくなると言ってもほかの野党も現在フェードアウトが進行中で、場合によっては自民党と反自民党勢力だけの妙な形の二大政党制が実現するかもしれません。そうなったとしても今後10年くらいは自民党優位の状況は揺るがないかもしれませんが。

 何故そう思うのかというと、どの野党もまともな政策が作れる人材が泣きたいくらいにいないからです。自民党の議員が優秀だとは言うつもりはありませんがほかの野党の議員は一体何なんだよといいたいくらいにひどい人材ばかりで、特に維新の党に至っては橋下市長の勝ち馬に乗ろうってだけの問題ある人物が多く、上西議員を始めとして「絶対政治家にしちゃいけない人間」をわざと選んでいるのかといいたくなるほどのひどい状態です。

 そう考えると案外、従来とは異なる組織や団体から新たな野党勢力が今後生まれてくる方がマシかとも思えてきます。もっともそんなのなかなか生まれないだろうし、自分もなんかいろいろこうやって書くことにも限界を感じてきてますが。