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2015年5月23日土曜日
作品に宿る「負のオーラ」
上記の画像はまたネットで拾ってきた画像ですが、これ見てグラフィッカーさんも大変なんだなぁとしみじみ感じると同時に、やや不遜ですが「俺と同じだ!」と思いました。結論から述べますが、絵画や文章などといった芸術によって自己表現を行う場合、フラストレーションがたまっている状態であるほどいい作品が生まれやすいです。少なくとも自分の場合には。
このブログの記事なんかその辺が素直に出ていて、人知れずプライベートで腹立つことがあった直後に書いた記事はあとから自分が読んでもよく書けてると思うし、閲覧数もほかの記事より伸びる傾向があります。そう言った記事は主に社会批判系が多いのですが、法律の問題点などやはり見ていてイライラする内容ほど書いてるこっちもやる気が湧くというかモチベーションも違い、何が問題なのか、誰が被害者なのか、対策はあるのかなどについてこうした記事では我ながらまずまずの形でまとめられているように思えます。
では何故、フラストレーションが溜まっている状態だといい作品が書けるのか。いくつか理由はありますが自己表現という行為であるだけに、ムカついた思いをぶちまけたいという欲求は表現する上で単純にプラスでしょう。ただそのムカついた思いこと上記画像の中にある「どす黒くてドロドロしたなにか」をそのままの形で出してしまうと仕上がりが悪くなる傾向があり、多分このブログの読者ならわかるでしょうが私もそういう失敗記事を何本も出してしまっています。やはりいったん「悟り」を経ないといい記事には昇華できません。
こうした「ぶちまけたい思い」に加えもう一つ理由を挙げると、これはフラストレーションというよりかはストレスというべきでしょうが、適度なストレスはかえって心身のバランスを取る上でプラスだとも私は考えています。もちろん過度なストレスは体に悪いですが、多少の緊張感を持たせるようなストレスは生物としての身体能力を高めるという結果が数多くの実験で出ており、自分の知っている実験だと天敵となる魚と捕食される魚をガラスの水槽に入れ、その水槽を隣り合わせでくっつけたまま放ってみると捕食される魚は平均寿命の数倍長く生き続けたというデータがあります。
これまた上記の画像から引用すると、「締切」、「理不尽な修正」、「アホな営業」、「睡眠不足」、「安月給」という要素はどれもストレスの元で通常の価値観なら存在しないに越したことがない要素でしょうが、こと自己表現するに当たっては作品の質を高める要素になっていると思える節があります。
こうしたことは私自身も体験があるというか、小説を集中的に書く時間がほしいから高校二年時に入っていた運動部をやめたところ、何故か入っていた高校一年時より原稿の執筆量が減ってしまったということがありました。また新聞記者時代も、「なんで俺、三ヶ国語をフルに駆使して働いてんのに年収200万円切ってるんだ?」という深く考えてはいけないような疑問を感じつつも、この時期は自分の能力の高まりを確実に感じられたし、また体力的にもハードな面であってもそれほど苦には感じませんでした。
またこれは漫画家の例になりますが、デビュー作は高い評価を受けたにもかかわらず、ある程度収入が入ってアシスタントも満足に揃えて始めてみた二作目は全く評価されずに打ち切られる作家もおり、仕事環境的には以前より確実に改善されているにも関わらず作品の質が落ちるなんていうことがままあるように見えます。でもって打ち切りが決まってから急激に面白くなり始めるパターンもあったりと。
以上の様にこと自己表現に当たっては、人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」にでてくるジョニィ・ジョースターの言を借りるとすれば「餓えなきゃ勝てない」というのが真実であると私は思います。もちろん天才なり凄い人は何不自由ないストレスフリーな環境でもすごい作品を作り出してきますが、やはりいい作品を生むに当たっては何かしらの不自由なりストレスの種は強い追い風になると考えられます。
こうしたことを「ハングリー精神」と呼ぶ人もいますが、私はどっちかっていうとこの表現だとしっくりこず、負の感情が昇華され作品に帯びるという意味合いで「負のオーラ」という言葉でもって普段表現しております。そんでもって背水の陣じゃないですけど「逆境は人を強くする」という妙な信条を持ち合わせていることから私の座右の銘は高校時代からずっと「死地に生あり」で、多分これが私の極端に特徴的な自己破滅型の性格を成す要因になっているとも分析しています。
まとめになりますが自己表現をするに当たっては怨み、つらみ、嫉妬、焦り、嘆きといった負の感情は大きなプラスになることがあり、表現者はいい作品を作るに当たって多少なりとも逆境といえるような環境に身を置くことも一つの手段です。そうすることによって一種悲壮感めいた「負のオーラ」が作品に宿るので、死なない程度に苦しむことも捨てたものではありません。
と言いつつ、自分の人生の波乱万丈ぶりにはいい加減辟易してきましたが……。
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5 件のコメント:
記事を読んで真っ先にアニメーターの人が思い浮かびました笑
これは意味合いが少し違う気もしますが
個人的にはフラストレーション(負の感情)には大きく分けて二つ種類があると思います。
ひとつはこの場合のように、外圧、つまり自分の外側から由来するフラストレーション。
ふたつめは内圧、自分の内部から生じるフラストレーションです。
恐らく多くの人がこのふたつのフラストレーションを抱えていると思いますが、私の見たところ多くの人が外圧の負のフラストレーションと内圧のフラストレーションが8:2くらいの割合だと思います。
これは恐らく健全な割合で、このような考え方をしたほうが生きる上では間違いなく楽でしょう。
この逆のパターンだと生きてくには辛いでしょうね(僕は内圧1:外圧9くらいです)
花園さんは外圧、内圧どちらのフラストレーションを重視してますか?
よければお聞かせください。
私の場合ですと内圧の方が明らかに高いですから、内圧:外圧=5:5くらいじゃないかと。もっとも外圧に関しても多分ほかの人よりは高いように思われ、身の上話をすると割とドン引きされる機会が多いです。
それでもなんで私は内圧のが高いのかというと、よく人に言われますが自他ともに厳しい性格していて、特に自己に対してはこの記事でも書いているように妙な破滅願望があってドツボにはまった所で敢えて自分をさらに追い込もうとする傾向があります。友人曰く、「だから花園さんは面倒くさいんですよ!」だそうです。
今自分のコメント見て気付きましたが内圧:外圧=9:1でした。間違えてました。僕の場合は他人を非難することも多いですが、それに対してあまりフラストレーションはたまらない体質のようです。花園さんの言うように内圧が高いほど、世間からはめんどくさいと言われると思います。ですがここであえて声を大にして言いたいのは、面倒くさくなければ面白くねぇってことです笑
一般的にはもうこの考え方が面倒くさいんでしょうね
内容が難しく、よりわかりません。
要するに、イライラした状態の方が良い記事が書けるってこと。
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