別に隠しているわけではないのですがこれまでの生涯で私は卒業論文を4本書きました。1本は自分ので、残り日本はゼミ同期3人の代行で、大学4回の時に計4本を書き上げました。一体何故こんなことをしたのかというと当時のゼミの教授とTAが全くやる気のない人物で卒論についても全く指導なんかせず、自分ならともかく文章トレーニングを受けていない他のゼミ生はこのままだとまずいだろうと判断したためです。
なお3人とも女子学生でしたが、このうち1人は私に相談するタイミングが遅く提出前日までもつれ込み、自分が執筆しているそばで寝始めたので「起きろっ!(; ・`д・´)」とガチで叱りました。後日、他の人に「あんないい人はいない!」と私のことを言っていたそうですが、そりゃそうだよとこの点に関しては謙遜とかそういうことする気にはなれませんでした。
・夏休みの宿題は何処へ向かうのか?(笑う蜘蛛の糸)
相互リンク相手の潮風太子さんに便乗しようというのが今回のネタですが、やはりご多分にも漏れずこの時期はどの家も子供の夏休みの宿題の対応で大変だそうです。この夏休みの宿題の内、大分昔にも書きましたが読書感想文に関しては基本的に読んだ本の内容を批判したりはせず持ち上げなければならない点や、「我が闘争」とかそっち系の本は選んじゃいけない点など若干思想統制が入っているだけにさっさと廃止すべきだという立場をとります。
ちなみにこれも前に書いた気がしますが、高三の夏になんでもいいから提出してくれと言われた友人は「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」を選んだら、これまで以上に力の入った傑作が出来てしまったと話してました。
話は戻りますがこの読書感想文にしろ自由工作や研究にしろ、結構親の影響が強く、それによって中身が変わってくる面が大きい気がします。中には自分一人で片づけちゃうのもいますが、自由研究テーマなんかガイドブックも出回っているし、読書感想文については潮風太子さんも書いているようにネット上でテキストが販売されていますし、親が代わりに書いて提出した表彰されたという話も実際に聞いたことがあります。中には稀代の劇画漫画家に代筆させた例も。
なお一回、「やらないか?」と読書感想文テンプレート執筆について打診を受けたことがありますが、めんどいので断りました。
何が言いたいのかというと、親がどれだけ子供の夏休みの宿題に介入するかによって出来合いが大きく変わってきてしまう面があり、それだったら変に創意創作なんかさせずにドリルなどを処理するようにした方が夏休みの宿題としてはベターなのではないかと思います。こちらも潮風太子さんのところに書かれているように、片親だったり、仕事で普段家にいない家庭は単純に夏休みの宿題では不利です。またこうした親の介入の強い宿題に教育的価値があるのかといったら、ないとは言いませんがもっと他に効率的な案はあると思います。
それこそ自由応募の懸賞形式にして、出したら成績面で色を付けるとか、企業などを巻き込んでそういう形にするのがいい気がします。あともっともやる気の出る、たとえば夏休み明けに誰が最速マシンを作ってきたかを確かめる「ミニ四駆大会」を開いたりしたほうが、先ほどの私の友人のように無駄に力入れてくる人間も出てくるかもしれません。
結論をまとめると、現状の夏休みの宿題は親の介入による影響が強く教育的影響からしてもどうかと思うので、もう少し形を変えてみては同かっていうことです。その上で創意工夫面ではある程度自由参加形式にさせて、子供らがやる気を出すテーマを作ってみてはというのが提案です。
最後に、中学の夏休みに自分はどんなゲームをしていたのかなと少し思い出してみたところ、確か中一の頃は「新スーパーロボット大戦」、中二の頃は「ジージェネレーション」、中三時は「ラングリッサートリビュート」をやっており、中三の九月には現在プレミアムの付いている「Serial Experiments Lain」を発売日に購入して遊んでいました。もっとも中三の夏休みは小説を投稿するため書いており、当時は手書きだったのでやたら時間がかかるのに親にユニクロ連れていかれてはよ帰って続きかきたいと言ってました。確か毎日2時間以上は執筆に使ってましたが、内容は今思い出すと大したレベルではないものの、ああして自ら取り組むモチベーションに関しては見るべきところがあったでしょう。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2018年9月1日土曜日
2018年8月31日金曜日
日本スポーツ・芸能大賞
スルガ銀行株で資産が倍に? この銘柄を握っておくだけで含み益がすごいことに!新着急騰1銘柄を無料配信
この前Web広告で上のテキストが表示されたのですが、さすがに見ていて、「てめぇ何かあったら補償すんだよな?」と言いたくなるような文言です。っていうかただ単に検索回数が多いから表示されたんだろうけど、スルガ銀を推すあたりこの会社がまともな能力がないということはよくわかります。
さて話は本題ですが、見出しに掲げた「日本スポーツ・芸能大賞」とは何かというと、「国民栄誉賞」の蔑称です。ただ蔑称とはいえ、本質をついているのでもうこの際看板をこっちに付け替えた方がいいのではとも思います。
元々、国民栄誉賞とは王貞治氏の世界ホームラン記録を表彰するために創設された賞で、受賞基準としては暗に「王クラス」の記録というものがありました。しかし時代を経るごとにこの基準は徐々に曖昧となり、特に槍玉に挙げて申し訳ないですが、高橋尚子氏はマラソン女子で初の金メダルという、だったらこれから最初の金メダル取った人はみんな国民栄誉賞なのかという論争を巻き起こしました。また本人にとっても不幸でしたが、受賞以降に成績が落ちてしまったことからなおさらでした。
最近の受賞を見ても羽生善治氏や羽生結弦氏などはその圧倒的な記録から十分に「王クラス」と言えますが、松井秀喜氏と長嶋茂雄氏に関しては人気こそ高かったものの実は記録面では特筆するようなものはなく、やはり疑問に感じる受賞でした。もしこれが通るなら、人気が高ければ受賞してしまうのかということになるだけに、厳しい見方で言えばやはり見送るべきだったと私は考えます。この二人が受賞するくらいであれば、阪神の金本監督の方が衣笠祥雄の例もあるだけにより相応しいでしょう。
概して国民栄誉賞はその場のノリというか雰囲気で受賞が決定してしまうところがあり、ひいては時の政権の人気取りに使われてしまっています。また受賞対象者がスポーツや芸能関係者に実質的に限ら得ていることから賞としての権威も付きづらく、もうそれだったらはっきりとスポーツ、芸能関係者限定の賞としてしまって「日本スポーツ・芸能大賞」と割り切って名前変えた方がかえっていいんじゃないかとすら私にも思います。
なおこのほか過去の受賞者との比較から本来ならとっくに受賞すべきだと思う面々を挙げていくと以下の通りです。
・白鵬
・さくらももこ
・鳥山明
・宮崎駿
・北野武
・明石家さんま
・加藤一二三
・黒田博樹(日米無援護記録で?)
(敬称省略)
この前Web広告で上のテキストが表示されたのですが、さすがに見ていて、「てめぇ何かあったら補償すんだよな?」と言いたくなるような文言です。っていうかただ単に検索回数が多いから表示されたんだろうけど、スルガ銀を推すあたりこの会社がまともな能力がないということはよくわかります。
さて話は本題ですが、見出しに掲げた「日本スポーツ・芸能大賞」とは何かというと、「国民栄誉賞」の蔑称です。ただ蔑称とはいえ、本質をついているのでもうこの際看板をこっちに付け替えた方がいいのではとも思います。
元々、国民栄誉賞とは王貞治氏の世界ホームラン記録を表彰するために創設された賞で、受賞基準としては暗に「王クラス」の記録というものがありました。しかし時代を経るごとにこの基準は徐々に曖昧となり、特に槍玉に挙げて申し訳ないですが、高橋尚子氏はマラソン女子で初の金メダルという、だったらこれから最初の金メダル取った人はみんな国民栄誉賞なのかという論争を巻き起こしました。また本人にとっても不幸でしたが、受賞以降に成績が落ちてしまったことからなおさらでした。
最近の受賞を見ても羽生善治氏や羽生結弦氏などはその圧倒的な記録から十分に「王クラス」と言えますが、松井秀喜氏と長嶋茂雄氏に関しては人気こそ高かったものの実は記録面では特筆するようなものはなく、やはり疑問に感じる受賞でした。もしこれが通るなら、人気が高ければ受賞してしまうのかということになるだけに、厳しい見方で言えばやはり見送るべきだったと私は考えます。この二人が受賞するくらいであれば、阪神の金本監督の方が衣笠祥雄の例もあるだけにより相応しいでしょう。
概して国民栄誉賞はその場のノリというか雰囲気で受賞が決定してしまうところがあり、ひいては時の政権の人気取りに使われてしまっています。また受賞対象者がスポーツや芸能関係者に実質的に限ら得ていることから賞としての権威も付きづらく、もうそれだったらはっきりとスポーツ、芸能関係者限定の賞としてしまって「日本スポーツ・芸能大賞」と割り切って名前変えた方がかえっていいんじゃないかとすら私にも思います。
なおこのほか過去の受賞者との比較から本来ならとっくに受賞すべきだと思う面々を挙げていくと以下の通りです。
・白鵬
・さくらももこ
・鳥山明
・宮崎駿
・北野武
・明石家さんま
・加藤一二三
・黒田博樹(日米無援護記録で?)
(敬称省略)
2018年8月29日水曜日
見る気にさせるコメント
そんな毎回あるわけでもないので折角だからキャプチャ画像を取っておきました。シリーズ物の記事はこういう風に回が進むごとに前回記事のアクセスも付随して上がるから、アクセス獲得面では非常に有用であるということはこのブログで把握しており、内容的にも勝算高かったからこの結果もそれほど驚きはありませんが。
・なぜ一向一揆は信長にケンカを売ったのか(JBpress)
今日出したのは上の記事ですが、内容的には一番肝なところで来週の3回目は京都人からしたら「そないなことも知らへんかったの?」とリアルで冷笑される程度の薄い内容です。まぁ他の地方の人は意外と知らない内容だし、一応一区切りをつけるには最後まで気斬らなきゃならないから書きましたが。
今日の記事についてはそんなわけで特に解説とかもする気なかったのですが、ヤフコメの中で一つ気になる内容が書かれていました。
「記者の人、タイミング的にアニメの信長の忍び見てるだろ?」
このコメント主のご期待に沿えず申し訳ないのですが、「信長の忍び」は見ておらず、というよりタイトル自体初めて知りました。なお最近見たアニメは「黄昏乙女アムネジア」で、この世にはこんなえろいアニメが存在するのかと変に感心しながら見てました。
話を戻しますがちょっと気になったの調べてみましたが戦国系ギャグマンガとのことで、上記の通りアニメ化も果たしてて今三期が放映中のようです。個人的に着目したのは、アイマス声優のたかはし智秋氏が声優として出演しており、これ見て俄然興味が湧いたので今度見てみようかと考えてます。っていうか今も普通にたかはし氏の歌聞きながらこれ書いてます。
ちなみに大分前ですが後輩に「あの声優が出ているから今度この作品見てみようと思う」と言ったら、「声優で決めるんですか?」と怪訝な顔されました(´;ω;`)ウッ…
なおその時に挙げた声優は確か「鉄道放送の女王」こと大原さやか氏で、Wikiから引用すると採用例は以下の通りです。
・京王電鉄 2002年1月25日の調布駅より2012年現在は全線全駅
・京浜急行電鉄 2001年3月に全線全駅で旧式アンプで採用、2002年3月末に北品川~大森町間の8駅でMP3化。2007年現在品川のみ下り、それ以外の上り全線72駅。遠隔放送(管理駅から子駅に対し一斉に放送)、啓蒙放送は全駅
・小田急電鉄(下り線アナウンス)2001.9.28に登戸を皮切りに 、新宿・小田原・唐木田・藤沢・片瀬江ノ島を除く全駅。2004に順次終了
・西武鉄道 西武多摩川線全駅、西武球場前、遊園地西、下落合
・東武鉄道 東上線全線、亀戸、杉戸高野台、幸手、新鹿沼、江曽島、東小泉、北大宮、大宮公園、八木崎、南桜井、初石、六実、新鎌ケ谷、馬込沢、塚田
・東京急行電鉄 渋谷駅の終電前5本分の深夜放送、東横線渋谷駅のドア閉め放送、及び全日禁煙・携帯啓蒙放送。案内放送は自由が丘、武蔵小杉、あざみ野、緑が丘、九品仏、尾山台に拡大
・京成電鉄 海神、お花茶屋、国府台、検見川、西登戸、大和田、青砥、大神宮下、大佐倉、新千葉、京成金町、柴又、特急清掃案内は京成上野、京成成田
・相模鉄道 全駅
・江ノ島電鉄藤沢、鎌倉
「うみねこ」での一人四役をはじめ声質よりもその演技力が素直に凄いと思うので、割と贔屓にして出演作を見たりしてます。ちなみに購入前は出演していることを知りませんでしたが、今遊んでいる「ルートダブル」というゲームにも出ています。このゲームですが割とシリアスな内容なのにいかにも美少女ゲームっぽいキャラデザインしていて違和感半端ないです。徹底的に硬派な構成にしておけば文句なしにお勧めできますが、あのキャラデザインのせいでプッシュしづらいです。
内容は一言で言えば、「メルトダウンから始まるラブストーリー」になるのかな?誇張ではなく冒頭で原発がメルトダウン起こし放射能渦巻く施設に閉じ込められる中で脱出を目指すというものです。
殺人鬼から逃げ回るというアドベンチャーゲームはよくあり私も遊んだことありますが、放射能という目に見えない脅威から逃げるという展開は割といい着眼点だったと思います。でもある女の子キャラが室内でもずっと帽子被り続けてるのには遊んでて違和感半端ないです。
2018年8月27日月曜日
さくらももこ死去の中国の反応
・动画片《樱桃小丸子》的作者樱桃子因乳腺癌去世 终年53岁(News速递)
・《樱桃小丸子》作者去世,谢谢你给我们一个美好的童年(虎嗅网)
すでに速報を皆さんも見ていると思いますが、「ちびまる子ちゃん」の作者であるさくらももこ氏が亡くなられていたとのことです。今日はブログ書く気ありませんでしたが中国の反応は同かなと思って調べてみたところ思ってた通り反応は大きく、日本でも報道が出たばかりというのに中国でも各所で大きく報じられています。
っていうか中国の報道見て、本名が三浦美紀ということを初めて知りました。
知ってる人には早いですが中国でも「ちびまる子ちゃん」は現在進行形で大人気作品です。やはり家族物というのと生活風景が近いことから中国人も身近に感じていたようで、中国でちびまる子ちゃんの悪口は一度も聞いたことがありません。
ただ改めて思うにつれて、この作品が日中双方で高く評価されたのはやはり作者の力量に負うところが大きいと思います。一言で言って才能の塊と言ってもよく、漫画だけでなくエッセイや作詞でも非常にセンスのある方で、サザエさんもそうですが同一作品でこれほど長く広い年代に支持される作品を作ったというのは紛れもない偉人でしょう。ましてや、国境や文化の壁を越えて評価されたというのですから。
自分も小学生の頃はこの作品の漫画やアニメを見ていましたが、中学生から高校生にかけていったん離れた後、成人になってから見返すと改めてよくできた作品だと気づかされました。自分が文化芸術というものはどれだけ幅広い層を取り込めるかが重要なポイントだと考えていましたが、間口の広さで言えば圧倒的と言っていい作品で、この作者と同時代を過ごせたというのは将来自慢になるかもしれません。
なおかつてこのブログで「ちびまる子ちゃん」に言及した記事として、この記事があります。今読み返してみましたが、他の話を差し置いて何故この「ローラースルーゴーゴー」の話が記憶に強く刻まれているのか不思議だと思う一方、「いや、多分他の人も同じだろう」という妙な自信を覚えました。
・《樱桃小丸子》作者去世,谢谢你给我们一个美好的童年(虎嗅网)
すでに速報を皆さんも見ていると思いますが、「ちびまる子ちゃん」の作者であるさくらももこ氏が亡くなられていたとのことです。今日はブログ書く気ありませんでしたが中国の反応は同かなと思って調べてみたところ思ってた通り反応は大きく、日本でも報道が出たばかりというのに中国でも各所で大きく報じられています。
っていうか中国の報道見て、本名が三浦美紀ということを初めて知りました。
知ってる人には早いですが中国でも「ちびまる子ちゃん」は現在進行形で大人気作品です。やはり家族物というのと生活風景が近いことから中国人も身近に感じていたようで、中国でちびまる子ちゃんの悪口は一度も聞いたことがありません。
ただ改めて思うにつれて、この作品が日中双方で高く評価されたのはやはり作者の力量に負うところが大きいと思います。一言で言って才能の塊と言ってもよく、漫画だけでなくエッセイや作詞でも非常にセンスのある方で、サザエさんもそうですが同一作品でこれほど長く広い年代に支持される作品を作ったというのは紛れもない偉人でしょう。ましてや、国境や文化の壁を越えて評価されたというのですから。
自分も小学生の頃はこの作品の漫画やアニメを見ていましたが、中学生から高校生にかけていったん離れた後、成人になってから見返すと改めてよくできた作品だと気づかされました。自分が文化芸術というものはどれだけ幅広い層を取り込めるかが重要なポイントだと考えていましたが、間口の広さで言えば圧倒的と言っていい作品で、この作者と同時代を過ごせたというのは将来自慢になるかもしれません。
なおかつてこのブログで「ちびまる子ちゃん」に言及した記事として、この記事があります。今読み返してみましたが、他の話を差し置いて何故この「ローラースルーゴーゴー」の話が記憶に強く刻まれているのか不思議だと思う一方、「いや、多分他の人も同じだろう」という妙な自信を覚えました。
2018年8月26日日曜日
漫画レビュー「レッド 最終章 あさま山荘の10日間」
相変わらずDMMで電子書籍のセールが続いているのでこれを機にやたら買いまくっており、「死人の声をきくがよい」という漫画も全巻買いそろえてしまいました。幼馴染、同級生、クラブの部長、アイドル、コンビニ店員た多方面から女の子に囲まれるハーレム系主人公ですが、ほぼ毎回殴られたり蹴られたりするのは当たり前で、頻繁に切られたり刺されたり突き落とされたりしながらも生き続けるという、「ベルセルク」のガッツもびっくりなタフネスぶりには毎回笑わさせてもらってます。あと幼馴染が第一話で腐乱死体ってのも、作者はすごいセンスしてる気がする。
話は本題に移りますがこのセール中である8月23日に、これまで私が購読してきた山本直樹氏の「レッド」の最終巻に当たる、「レッド 最終章 あさま山荘の10日」が発売されました。サイト上で発売情報を知った際に一瞬買うかどうか何故か迷ったのですが、マウスを持つ手はすでに動いており、やはり買うべきかと思ってそのまま購入に至りました。
・レッド (山本直樹)(Wikipedia)
この本はこのブログでも何度も取り上げてきましたが、あさま山荘事件とそこへ至るまでの山岳ベース事件、さらにそれ以前の連合赤軍結成までの過程を描いたノンフィクション漫画です。連載期間は非常に長く2006年の連載開始から足掛け12年を経ての簡潔で、これまではややもすると進行ペースの遅かった連載から一転し、あさま山荘事件を一冊にまとめ書き切ってあります。
巻末には作中登場人物である岩木のモデルである植垣康博氏がコメントを寄せており、「創作が一切ない」として、事実に対して忠実に描かれていることを称賛しています。この点については以前、植垣氏に直接会った際にも同じことを口にしており、当事者である側からすれば余計な編集や演出のないこうした表現形式を歓迎しているようでした。
もっとも、私からすれば初めから徹頭徹尾ノンフィクションに徹するつもりであれば、作中の人物名を仮名とせず、中心人物だけでも本人の実名をそのまま使うべきであったのではと思うところがあります。登場人物をあらかじめ把握出来ない人からしたらこの名前の違いに苦しむと思われるし、実際私からしてもややこしいことこの上ありません。
既に事件から40~50年経っており、内容的には「犯罪事件」というより「歴史事件」と言ってもいいものなので、余計な気遣いは最初からするべきではなかったでしょう。確か4巻か5巻くらいで行われた作中人物との架空会談も、その会話内容以前に設定の馬鹿々々しさに呆れました。
とはいうものの、実名で描いていたら2006年当時に存命していた永田洋子がどう反応してたか。この点は確かに怖いので、仮名とすることに全く理解できないわけでもありません。
最終巻の話に戻りますが、この巻ではあさま山荘へ逃げ込み、立て籠もりから捕縛までの過程を非常に細かく描いてあります。冒頭では警察の包囲から脱出するために冬山を縦走して突破する過程が描かれ(植垣氏曰く、「自分がいたから山を越えられたんだ」)、そして買い出しに待ち得降りたメンバーが捕まり、別荘地に逃げ込むという流れとなっています。
この買い出しメンバーの捕縛場面で谷川(死刑囚の坂口弘)と並ぶ本作品の主人公である岩木の回想シーンがあるのですが、それは別荘地の湖の上で総括で死んだ彼の恋人とボートに乗りながらこの後の世界はどうなるのかと話し合い、岩木が「この後なんかない。戦って死ぬだけだ」というのに対し恋人が「本当にそうかしら」と疑問を投げかけます。
場面が切り替わると、「もし街に降りなければ、ここで捕まっていなければ」という岩木の独白とともに警察官に取り押さえられるのですが、この過程に関してははっきりと強いデジャブを覚えました。何故かというと、同じ作者の山本直樹氏が以前に発表した「ビリーバーズ」という漫画のラストシーンにそっくりだったからです。
似てるも何も、そもそもこの「ビリーバーズ」自体がオウム真理教事件や、連合赤軍事件を下地にして作られたとしており、実質的に「レッド」の準パイロット版ともいうべき内容だからです。「ビリーバーズ」の段階で連合赤軍の総括に言及しており、組織内部の内ゲバというような構造に注目していたようで、私は「レッド」の後で「ビリーバーズ」を読みましたが、ああやはりこういうのが描きたかったんだろうなという風にストンと落ちました。
よくわからないレビューとなりましたが、2013年に初めて手に取ったこの作品がようやく終わったのだなという感覚とともに、もしかしたらこれで自分の極左団体に対する係わりが完全に断たれるのかなという予兆を感じました。こう言っては何ですがこの漫画を読んで自分の性質が本質的にテロリストに近いのだということを初めて自覚し、読み進めるうちに「他者への共感の強いものほど強烈な暴力性を持つに至る」という結論に至りました。真面目な話、自分を大事にする人間の暴力なんてたかが知れています。
そういう意味では最初に舞台設定の点でミスがあると指摘はしましたが、情感的には強い影響を受けた作品であることに間違いはありません。別にこの作品を読んだからと言って現代のテロリストへの理解が広がるとかいうことは全くなく、学生団体、ひいては現在の極左団体が近くなることはまず間違いなくありませんが、時代背景とカルトとは異なる明確な倫理目標に立った内ゲバがどうして起こるのかは見える可能性があるのではないかと思います。
話は本題に移りますがこのセール中である8月23日に、これまで私が購読してきた山本直樹氏の「レッド」の最終巻に当たる、「レッド 最終章 あさま山荘の10日」が発売されました。サイト上で発売情報を知った際に一瞬買うかどうか何故か迷ったのですが、マウスを持つ手はすでに動いており、やはり買うべきかと思ってそのまま購入に至りました。
・レッド (山本直樹)(Wikipedia)
この本はこのブログでも何度も取り上げてきましたが、あさま山荘事件とそこへ至るまでの山岳ベース事件、さらにそれ以前の連合赤軍結成までの過程を描いたノンフィクション漫画です。連載期間は非常に長く2006年の連載開始から足掛け12年を経ての簡潔で、これまではややもすると進行ペースの遅かった連載から一転し、あさま山荘事件を一冊にまとめ書き切ってあります。
巻末には作中登場人物である岩木のモデルである植垣康博氏がコメントを寄せており、「創作が一切ない」として、事実に対して忠実に描かれていることを称賛しています。この点については以前、植垣氏に直接会った際にも同じことを口にしており、当事者である側からすれば余計な編集や演出のないこうした表現形式を歓迎しているようでした。
もっとも、私からすれば初めから徹頭徹尾ノンフィクションに徹するつもりであれば、作中の人物名を仮名とせず、中心人物だけでも本人の実名をそのまま使うべきであったのではと思うところがあります。登場人物をあらかじめ把握出来ない人からしたらこの名前の違いに苦しむと思われるし、実際私からしてもややこしいことこの上ありません。
既に事件から40~50年経っており、内容的には「犯罪事件」というより「歴史事件」と言ってもいいものなので、余計な気遣いは最初からするべきではなかったでしょう。確か4巻か5巻くらいで行われた作中人物との架空会談も、その会話内容以前に設定の馬鹿々々しさに呆れました。
とはいうものの、実名で描いていたら2006年当時に存命していた永田洋子がどう反応してたか。この点は確かに怖いので、仮名とすることに全く理解できないわけでもありません。
最終巻の話に戻りますが、この巻ではあさま山荘へ逃げ込み、立て籠もりから捕縛までの過程を非常に細かく描いてあります。冒頭では警察の包囲から脱出するために冬山を縦走して突破する過程が描かれ(植垣氏曰く、「自分がいたから山を越えられたんだ」)、そして買い出しに待ち得降りたメンバーが捕まり、別荘地に逃げ込むという流れとなっています。
この買い出しメンバーの捕縛場面で谷川(死刑囚の坂口弘)と並ぶ本作品の主人公である岩木の回想シーンがあるのですが、それは別荘地の湖の上で総括で死んだ彼の恋人とボートに乗りながらこの後の世界はどうなるのかと話し合い、岩木が「この後なんかない。戦って死ぬだけだ」というのに対し恋人が「本当にそうかしら」と疑問を投げかけます。
場面が切り替わると、「もし街に降りなければ、ここで捕まっていなければ」という岩木の独白とともに警察官に取り押さえられるのですが、この過程に関してははっきりと強いデジャブを覚えました。何故かというと、同じ作者の山本直樹氏が以前に発表した「ビリーバーズ」という漫画のラストシーンにそっくりだったからです。
似てるも何も、そもそもこの「ビリーバーズ」自体がオウム真理教事件や、連合赤軍事件を下地にして作られたとしており、実質的に「レッド」の準パイロット版ともいうべき内容だからです。「ビリーバーズ」の段階で連合赤軍の総括に言及しており、組織内部の内ゲバというような構造に注目していたようで、私は「レッド」の後で「ビリーバーズ」を読みましたが、ああやはりこういうのが描きたかったんだろうなという風にストンと落ちました。
よくわからないレビューとなりましたが、2013年に初めて手に取ったこの作品がようやく終わったのだなという感覚とともに、もしかしたらこれで自分の極左団体に対する係わりが完全に断たれるのかなという予兆を感じました。こう言っては何ですがこの漫画を読んで自分の性質が本質的にテロリストに近いのだということを初めて自覚し、読み進めるうちに「他者への共感の強いものほど強烈な暴力性を持つに至る」という結論に至りました。真面目な話、自分を大事にする人間の暴力なんてたかが知れています。
そういう意味では最初に舞台設定の点でミスがあると指摘はしましたが、情感的には強い影響を受けた作品であることに間違いはありません。別にこの作品を読んだからと言って現代のテロリストへの理解が広がるとかいうことは全くなく、学生団体、ひいては現在の極左団体が近くなることはまず間違いなくありませんが、時代背景とカルトとは異なる明確な倫理目標に立った内ゲバがどうして起こるのかは見える可能性があるのではないかと思います。
2018年8月24日金曜日
書評「しんがり 山一證券 最後の12人」
日本最後の内戦とくれば今年の大河ドラマでも恐らくやるであろう西南戦争ですが、最後の反乱となるとその直前の佐賀の乱なのかと考えていたら、直近でもう一つ、「清武の乱」があったということを思い出しました。これも絶対的権力者に単身反乱を起こしたって意味ではある意味歴史的事件かもしれませんが、そういえばこの乱の主役である清武英利氏の本で読みたいものがあったことも思い出し、この前買って読んでみました。
その本というのも「しんがり 山一證券 最後の12人」で、テレビドラマの原作としても使われた本なので知っている方も多いのではないかと思います。なんでこの本を手に取ろうかと思ったのかというと、反乱の後で落飾し、一介のジャーナリストに戻った清武氏がこのところ面白い取材本を出しているということを以前聞いていたのが大きな理由です。
なお自分の元上司は読売新聞社内で一度清武氏と仕事したことがあって、清武氏については細目に連絡を出すなど非常に卒がなく仕事のできる人だったという印象を持ったと話していました。
話は戻りますが、清武氏自身への興味もさることながら改めて山一證券の破綻について調べてみたいというのもあって買いました。内容はどちらかというと山一證券破綻の真相に迫る部分もないわけじゃないですが、それよりも破綻調査に関わった面々の苦しい状況を中心に描かれており、経済ルポというよりかは名もなき社員らの奮闘劇という面の方が強いです。読み応えは悪くはないのですが、会計方面の経済ルポを期待するとがっかりする点はあるかと思います。
2008年のリーマンショックは世界証券大手のリーマンブラザーズの破綻をきっかけにして起きていますが、やはり改めて歴史を追うと日本の「失われた十年」も、バブル崩壊もさることながら、本格的にその色を深めたのはこの山一證券が破綻した97年からだったのではないかと思います。その点について少しこの本でも触れられており、まだ97年は平成不況の初頭であったことから山一証券の元社員の再就職は全体としてはつつがなく行われたと触れられています。もっともそれ以降から不況が増したことによって、一旦別の証券会社に転職しながらもすぐリストラに遭う人もいたと触れられてました。
債務飛ばしの方法に関しては割と古典的な海外法人を絡めた債務の移し替えで、読んでて感じたのはオリンパスの時の手法と似ており、単純だけどやっぱり見つかり辛いもんだなという気がします。また現在もそうですが、こうした会計不正事件の責任者に対する処罰が日本では生温いとこの山一証券の事件でも覚え、恐らくこのような刑罰基準が続く限りは今後もこうした事件が続くでしょう。
なおはみ出した内容を触れると、西田について中の社員たちは「こんな大変なこと引き起こしたくせに自分はのうのうと死にやがって」と言っているそうで、既に亡くなっているとはいえこうした批判は彼については寄せられても仕方ないだろうと私も思います。
最後にもう一つ読んでて思ったこととして、この本の主題は山一證券の破綻過程、原因を探るために起ち上げられた社内調査委員会メンバーの奮闘ですが、こうした調査委員会自体がちょうど今問われている時期なのではないかと思います。例えば日大のアメフト事件でもすったもんだ挙句に弁護士をはじめとした調査員会が立ち上げられて、その報告内容などについて大きな注目が集まりました。同じスポーツ関連だとこのところ不祥事のラッシュで、女子柔道のパワハラ問題などでもパワハラはなかったとする協会の主張を鎧袖一触して「あり過ぎ」と調査委員会が断じた上で、その実態についても細かに報告されました。
一方で森友学園の問題は結局トカゲのしっぽ切りで終わってしまうなど、不完全燃焼で終わる不祥事もまだ少なくありません。また独立した弁護士による調査委員会と言っておきながら、企業・団体側の息のかかった弁護士によって構成されて虫のいい報告が挙がってくる例も少なくなく、法整備まで行くとやり過ぎかとは思うものの、「何をもって独立した調査委員会と報告というのか?」という点についてもっと社会で議論すべきじゃないかと思います。
同時に、そうした「独立した」価値観や視点を持つ人間を今後、企業がどれだけ抱え、この山一証券の例のように外部調査に頼らず社内調査によってきっちり自分のケツを拭けるかというのが、コンプライアンスとして問われてくるかと思います。基本的に企業というのは会社に忠実、言い換えれば不正に目を瞑る人間を採用したがりますが、その結果が上記の山一証券や東芝の末路であり、そのようなリスクに対して事前に対処できるか、対応できる人材がいるか、そうした社風があるか、こうした方面に力を入れる企業をきちんと評価できる社会があって成り立つところもあるでしょう。
その本というのも「しんがり 山一證券 最後の12人」で、テレビドラマの原作としても使われた本なので知っている方も多いのではないかと思います。なんでこの本を手に取ろうかと思ったのかというと、反乱の後で落飾し、一介のジャーナリストに戻った清武氏がこのところ面白い取材本を出しているということを以前聞いていたのが大きな理由です。
なお自分の元上司は読売新聞社内で一度清武氏と仕事したことがあって、清武氏については細目に連絡を出すなど非常に卒がなく仕事のできる人だったという印象を持ったと話していました。
話は戻りますが、清武氏自身への興味もさることながら改めて山一證券の破綻について調べてみたいというのもあって買いました。内容はどちらかというと山一證券破綻の真相に迫る部分もないわけじゃないですが、それよりも破綻調査に関わった面々の苦しい状況を中心に描かれており、経済ルポというよりかは名もなき社員らの奮闘劇という面の方が強いです。読み応えは悪くはないのですが、会計方面の経済ルポを期待するとがっかりする点はあるかと思います。
2008年のリーマンショックは世界証券大手のリーマンブラザーズの破綻をきっかけにして起きていますが、やはり改めて歴史を追うと日本の「失われた十年」も、バブル崩壊もさることながら、本格的にその色を深めたのはこの山一證券が破綻した97年からだったのではないかと思います。その点について少しこの本でも触れられており、まだ97年は平成不況の初頭であったことから山一証券の元社員の再就職は全体としてはつつがなく行われたと触れられています。もっともそれ以降から不況が増したことによって、一旦別の証券会社に転職しながらもすぐリストラに遭う人もいたと触れられてました。
債務飛ばしの方法に関しては割と古典的な海外法人を絡めた債務の移し替えで、読んでて感じたのはオリンパスの時の手法と似ており、単純だけどやっぱり見つかり辛いもんだなという気がします。また現在もそうですが、こうした会計不正事件の責任者に対する処罰が日本では生温いとこの山一証券の事件でも覚え、恐らくこのような刑罰基準が続く限りは今後もこうした事件が続くでしょう。
なおはみ出した内容を触れると、西田について中の社員たちは「こんな大変なこと引き起こしたくせに自分はのうのうと死にやがって」と言っているそうで、既に亡くなっているとはいえこうした批判は彼については寄せられても仕方ないだろうと私も思います。
最後にもう一つ読んでて思ったこととして、この本の主題は山一證券の破綻過程、原因を探るために起ち上げられた社内調査委員会メンバーの奮闘ですが、こうした調査委員会自体がちょうど今問われている時期なのではないかと思います。例えば日大のアメフト事件でもすったもんだ挙句に弁護士をはじめとした調査員会が立ち上げられて、その報告内容などについて大きな注目が集まりました。同じスポーツ関連だとこのところ不祥事のラッシュで、女子柔道のパワハラ問題などでもパワハラはなかったとする協会の主張を鎧袖一触して「あり過ぎ」と調査委員会が断じた上で、その実態についても細かに報告されました。
一方で森友学園の問題は結局トカゲのしっぽ切りで終わってしまうなど、不完全燃焼で終わる不祥事もまだ少なくありません。また独立した弁護士による調査委員会と言っておきながら、企業・団体側の息のかかった弁護士によって構成されて虫のいい報告が挙がってくる例も少なくなく、法整備まで行くとやり過ぎかとは思うものの、「何をもって独立した調査委員会と報告というのか?」という点についてもっと社会で議論すべきじゃないかと思います。
同時に、そうした「独立した」価値観や視点を持つ人間を今後、企業がどれだけ抱え、この山一証券の例のように外部調査に頼らず社内調査によってきっちり自分のケツを拭けるかというのが、コンプライアンスとして問われてくるかと思います。基本的に企業というのは会社に忠実、言い換えれば不正に目を瞑る人間を採用したがりますが、その結果が上記の山一証券や東芝の末路であり、そのようなリスクに対して事前に対処できるか、対応できる人材がいるか、そうした社風があるか、こうした方面に力を入れる企業をきちんと評価できる社会があって成り立つところもあるでしょう。
2018年8月22日水曜日
カウントダウン
・極貧寺の蓮如、圧倒的「子だくさん力」でカリスマに(JBpress)
今日出た私の記事ですが、書き上げて提出したのは6月のことで、時間が経っているせいか他の記事と比べると( ・´ー・`)って顔にはあんまなりません。ただ今年年初に年間目標として歴史記事を強化しようと決め、具体的には一向一揆で何か記事を出そうと白鳥座に誓っていたので、とりあえず目標達成的な安堵感は覚えます。
記事はこの後2回続いて計3回の連載となります。内容について強いて言えば、「ビッグダディも驚くほどに蓮如が子沢山だったという点が大きいでしょう。」という個所は編集段階で削除されるだろうと思っていたのですが何故かそのまま通って掲載されたのが意外でした。まぁわかりやすい比喩表現だと思うけどさ。
話は本題に入りますが、いちいちリンクは貼らないものの本日スルガ銀行がストップ安を記録しました。後輩からも「花園さんの大好きなスルガ銀行」とまで揶揄されるほどこのブログで取り上げていますが、今年3月の段階で「足利銀行以来かも……」と、はっきり言えば近く破綻するだろうと予言していますが、この言葉を本気で信じた人はいたのか、そしてこの段階で私と同じ見解を持っていた人はいたのだろうかというのは未知数ですが、現時点においては私と同じ見解を持つ仲間たちはたくさんいるでしょう。私はもう、独りぼっちじゃないんだ( ゚Д゚)
今日のストップ安の原因は日経の報道からです。その内容というのも、スルガ銀行の総融資額約3兆円のうち不動産投資融資は約2兆円で、このうち半分の約1兆円が適正な審査を経ずに融資された、いうなれば不良債権リスクの高い融資だとのことです。シェアハウス問題が本格化した後にスルガ銀行が積みました貸倒引当金は約150億円でしたが、大抵こういうのは実態よりも大幅に低い金額しか積まれず、現実には十倍の1500億円、少なく見積もっても1000億円は損金が出るだろうと見越していましたが、今回の報道が事実だとしたら私の想像を大きく超える額に膨らみそうです。
今回出てきたこの1兆円という数字ですが、これはあくまで「リスクのある融資残高」で、この金額が丸ごと損金になるわけではないでしょう。ただシェアハウス問題でも明らかになったように、実際には返済能力や担保能力のない債務者へスルガ銀行は多額のローンを組んでおり、また将来の返済計画も杜撰であったことから、損切り覚悟の債権回収を行ったところでどれだけ回収できるかは未知数というか無謀もいいところでしょう。
私個人が楽観的に見積もったとして、この半分の5000憶円は回収不能となるのではないかと思います。では現実的な見積りをした場合はどうなるかというと、8000憶円くらいに上るのではと見ています。なお山一證券は簿外債務とはいえ2600憶円で飛びました。たとえがあるとやっぱわかりやすい(´・ω・`)
この見積金額の根拠はやはりシェアハウス問題の時の報道です。融資額に対して本来担保となるべき物件価値は十分の一くらいしかなく、債務者から身ぐるみ引っぺがしたとしても奪えるのは十分の一が関の山ではないかということから回収率は20%と読み、そこからさらに大甘な勘定を入れたとしても半分回収できるか否か、また今これだけの問題となっているにもかかわらず一向に対応が進んでおらずプレスリリースも相変わらず上から目線で一部怪しい表現も見られるため改善は期待できないことから、どれだけ楽観視しても50%が限度じゃないかと考えました。
ましてや来年か再来年かには不動産価格は都心中心部を除いて全国で一斉に値下がりすると私は予想しており、となるとますます損失は膨らむでしょう。現状、スルガ銀にとって追い風となる条件はなく、また債務者も社会の反応を見て強気な態度で交渉に臨むと思われ、スルガ銀に全債務を押し付ける可能性もありますしまた金のにおいがする弁護士団がつくかもしれません。そう考えると、5000億っていう数字も私の中では現実味を感じさせてくれます。
問題はもはやこの後、国がどう処理するかでしょう。破綻するか否かはもはや問題ではないでしょう。私は最初、足利銀行以来かもと考えていましたが、案外そうはならないかもしれません。その上で今日株式がストップ安になったのを見て、未だに株を持っていた人間がいたのかと呆れました。
今日出た私の記事ですが、書き上げて提出したのは6月のことで、時間が経っているせいか他の記事と比べると( ・´ー・`)って顔にはあんまなりません。ただ今年年初に年間目標として歴史記事を強化しようと決め、具体的には一向一揆で何か記事を出そうと白鳥座に誓っていたので、とりあえず目標達成的な安堵感は覚えます。
記事はこの後2回続いて計3回の連載となります。内容について強いて言えば、「ビッグダディも驚くほどに蓮如が子沢山だったという点が大きいでしょう。」という個所は編集段階で削除されるだろうと思っていたのですが何故かそのまま通って掲載されたのが意外でした。まぁわかりやすい比喩表現だと思うけどさ。
話は本題に入りますが、いちいちリンクは貼らないものの本日スルガ銀行がストップ安を記録しました。後輩からも「花園さんの大好きなスルガ銀行」とまで揶揄されるほどこのブログで取り上げていますが、今年3月の段階で「足利銀行以来かも……」と、はっきり言えば近く破綻するだろうと予言していますが、この言葉を本気で信じた人はいたのか、そしてこの段階で私と同じ見解を持っていた人はいたのだろうかというのは未知数ですが、現時点においては私と同じ見解を持つ仲間たちはたくさんいるでしょう。私はもう、独りぼっちじゃないんだ( ゚Д゚)
今日のストップ安の原因は日経の報道からです。その内容というのも、スルガ銀行の総融資額約3兆円のうち不動産投資融資は約2兆円で、このうち半分の約1兆円が適正な審査を経ずに融資された、いうなれば不良債権リスクの高い融資だとのことです。シェアハウス問題が本格化した後にスルガ銀行が積みました貸倒引当金は約150億円でしたが、大抵こういうのは実態よりも大幅に低い金額しか積まれず、現実には十倍の1500億円、少なく見積もっても1000億円は損金が出るだろうと見越していましたが、今回の報道が事実だとしたら私の想像を大きく超える額に膨らみそうです。
今回出てきたこの1兆円という数字ですが、これはあくまで「リスクのある融資残高」で、この金額が丸ごと損金になるわけではないでしょう。ただシェアハウス問題でも明らかになったように、実際には返済能力や担保能力のない債務者へスルガ銀行は多額のローンを組んでおり、また将来の返済計画も杜撰であったことから、損切り覚悟の債権回収を行ったところでどれだけ回収できるかは未知数というか無謀もいいところでしょう。
私個人が楽観的に見積もったとして、この半分の5000憶円は回収不能となるのではないかと思います。では現実的な見積りをした場合はどうなるかというと、8000憶円くらいに上るのではと見ています。なお山一證券は簿外債務とはいえ2600憶円で飛びました。たとえがあるとやっぱわかりやすい(´・ω・`)
この見積金額の根拠はやはりシェアハウス問題の時の報道です。融資額に対して本来担保となるべき物件価値は十分の一くらいしかなく、債務者から身ぐるみ引っぺがしたとしても奪えるのは十分の一が関の山ではないかということから回収率は20%と読み、そこからさらに大甘な勘定を入れたとしても半分回収できるか否か、また今これだけの問題となっているにもかかわらず一向に対応が進んでおらずプレスリリースも相変わらず上から目線で一部怪しい表現も見られるため改善は期待できないことから、どれだけ楽観視しても50%が限度じゃないかと考えました。
ましてや来年か再来年かには不動産価格は都心中心部を除いて全国で一斉に値下がりすると私は予想しており、となるとますます損失は膨らむでしょう。現状、スルガ銀にとって追い風となる条件はなく、また債務者も社会の反応を見て強気な態度で交渉に臨むと思われ、スルガ銀に全債務を押し付ける可能性もありますしまた金のにおいがする弁護士団がつくかもしれません。そう考えると、5000億っていう数字も私の中では現実味を感じさせてくれます。
問題はもはやこの後、国がどう処理するかでしょう。破綻するか否かはもはや問題ではないでしょう。私は最初、足利銀行以来かもと考えていましたが、案外そうはならないかもしれません。その上で今日株式がストップ安になったのを見て、未だに株を持っていた人間がいたのかと呆れました。
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