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2020年5月10日日曜日

ある自宅出勤な一日

 今日は土曜日ながら、五月の連休を増やすために休日が振り替えられたおかげで中国では出勤日扱いとなり、普通に仕事でした。とはいえあんまり用事があるわけでなく、休みも取る人が多いので自分は今日は自宅出勤とし、前夜にパソコン持ち帰って今日は家で作業してました。

 朝は通常通りに七時に起きたのですが、その後すぐに仕事に入るわけじゃなく、昨日買っておいた「人形の国」の最新刊をタブレットにダウンロードするためだけに早起きしました。中国だと電子書籍のデータダウンロードは昼間とか夜だと上手くいかないため、早朝の回線が空いている時を狙うことが多いです。
 首尾よくダウンロードができると、八時半の業務開始までまだ時間があるので二度寝して、八時にまた起きるとまだ時間があると思って、何故だかニンテンドースイッチで「ストライカーズ1945Ⅱ」をプレイし始めました。何故やり始めたのか自分でもわからないですが、使用した機体はフォッケウルフ Ta152でした。

 八時半になったので観念してパソコン起ち上げて仕事に入り、今日のスケジュールをいろいろ組みました。昨夜が八時半まで作業してたので今日は軽めにしようと負担の少ない業務を選んでやって、お昼に冷凍うどん食べて、余った時間で「人形の国」を読んで、午後からまた仕事に入って夕方まで作業してました。終業後は、ラーメン屋に行って夕食食べた後、スーパーで買い物して、ネット見て、「エリア88」を大人買いとかしてました。

 少しは真面目な話をすると、日本ではリモート作業の時もビデオ付けてサボってないか監視しようとする動きがあると聞いて心底呆れました。自分の会社ではチャット機能のオンオフでスタンバイしているかは見れますが、逆を言えばオンにしておけば何してもバレないので、自宅作業では自由にお茶とか入れたりできます。無論、お茶汲みは会社でも自由に行えます
 何が言いたいのかというと、作業してるか監視しないといけないということは、普段から業務状況や結果を実績で判定評価できないという事実を自ら認めてるようにしか見えないということです。普段から実績で判断してるなら作業進捗とか日報や週報だけでも十分把握できるわけで、それができない、結果さえ出せば比較的自由にしていいと言えない辺り、その企業には根本的な問題があるように思えます。

 ちなみに自分の会社はコーヒーメーカーとかオフィスに備えられてるけど、みんなして「まずい」というので、自分は同じく備え付けられてるネスカフェのインスタント飲んでます。決しておいしくないけど。
 他には菊茶とかも置いてあるけど、あれだと一度入れた後、菊の花捨てるのが面倒であんま飲みません。急須とかあればいいんだけど、さすがに会社へマイ急須持っていくのには自分でもためらいがあります。

2020年5月6日水曜日

ガンダム世界で一番あり得ないこと

 ガンダムシリーズの世界では、なんでもミノフスキーで片づけてしまうほぼ無尽蔵なエネルギーとか、未だ模型で完全再現がなされていない謎なゼータガンダムの変形機構などあり得ない設定がたくさんありますが、中でも自分が一番あり得ないと思うのは地味に通信です。どういう意味かというと、戦闘中にもかかわらず敵機と延々と通信して話し続けるという点です。

 通常、っていうか普通の神経していたら戦闘中に敵軍と会話するなんてまずあり得ないことです。作戦目的や行動の意図が読み取られる恐れがあり、自分のみならず味方すら危険に招きかねない行為なのに、なぜかガンダム世界では戦場で敵同士が出会うと当たり前のようにおしゃべりを始めてしまいます。SEEDに出てくるアスランに至っては、味方よりも敵との通信時間の方が長いんじゃないかと思うくらい延々と敵機とおしゃべりを続けてました。でもって案の定毎回すぐ裏切るし、でもって強いしで、ガンダム界の呂布奉先もいいところでしょう。

 なぜガンダムでは敵同士なのに会話するのかというと、これは昔のテレビインタビューで監督の富野氏自体が「リアリティがないのはわかっている」と話した上で、会話シーンを持たせないと作画が持たないためという苦肉の策だということを認めてました。まぁそれを考慮してもアスランは適としゃべり過ぎだし、裏切り過ぎですけど。

 改めてこの点に着目すると、ガンダム世界における戦闘というのは基本的に駆け引きがないということにも気が付きました。例えば戦闘機であれば現代では数機でフォーメーションを組むのが当たり前で、また二機一組でも一機が旋回しながら囮となって敢えて敵機を背後につかせ、もう一機がそのさらに背後を突くというのが定石の戦法となるなど、戦闘における駆け引きは非常に複雑かつ有用です。
 にもかかわらずガンダム世界では双方ともに真正面から相撲の様にガチンコでぶつかり合うだけで、僚機がいても何も通信しながら連携を取ることなく、互いに好き勝手に敵機と戦うだけです。中には味方機から勝手に離れて勝手に戦い続ける奴すらいる始末です。

 なんでこんなことを書くのかというと、意図の読めない相手というのは非常に手ごわいと感じるからです。味方機が撃墜されても気にすることもなく移動を続けようとしたり、一機だけ前に出ながら他の僚機は何故か延々と旋回していたりとか、こうした何をするかわからない相手だとこちらもどう出るか判断が難しく、そこをどう打開するかというのが空戦における駆け引きになってきます。
 然るにガンダム世界ではそんな高尚な戦場の駆け引きなど一切なく、っていうか作戦目標すらあるのかと疑いたくなるくらい目の前の敵と戦うだけです。基本、戦闘は攻略戦などは少なく両軍出会い頭の遭遇戦ばかりというのも、上記の「敵と通信で会話する」という要因の影響ではないかとすら思います。

 何もとことんリアリティを追求しろと娯楽作品に向かって言うつもりはないですが、やはり戦闘における味方との連携、敵を出し抜く作戦とかあった方が面白いと思うので、こんなこと書きました。なおガンダム世界にはこれらがないないと言ってますが、08小隊のグフカスタムは長距離砲の破壊という目的をはっきり持って、見事に敵を出し抜く戦いぶりを見せており、何気にガンダムシリーズ最高の戦闘シーンだと個人的に思ってます。
 あと連携だと、いちおう初期にジェットストリームアタックというのが存在していますが、その後似たような連携攻撃戦術はほとんど皆無な状態です。あ、でも今思い出したけどガザストームはあったか。大抵こういうのやるとその後すぐ負けちゃんだけど。

2020年5月5日火曜日

5月初旬の熱波について

 日本ではここ数日物凄く暑い日が続いているかと思いますが、上海も似た感じです。ただ上海では昨夜から雲が出始め、空気が変わり、案の定今日の昼間に雨が降ってからは気温が一気に低下して、湿度こそあるもののまた過ごしやすくなっています。
 もっとも急激な気温の上下に気象病とでも言うのか激しい頭痛起こして、右半身に若干のしびれめいたものすら感じました。これは何も今回に限らず、季節の変わり目に毎回起こしており、なんか以前よりも症状が激しくなっているような気すらします。もっとも対処法もある程度確立しており、迷わず頭痛薬を飲んで対処し、再びゲームへと戻りました。ゲームのし過ぎで頭痛を起こしたわけじゃないですからね。

 話を戻すと、あまり認知されているように思わないのですが、ちょうどGWに重なるくらいの日程で、4月末から5月初旬にかけての約1週間、真夏に近い熱波がやってきて気温が30度超にまで上昇するのは毎年のことです。中学生くらいの頃に気が付いてからかれこれ20年くらい観察し続け、また東京と比較的気候の近い上海においても同様の傾向がみられることから、毎年地球規模でほぼ必ず起きる気候現象ではないかと私は見ています。
 ただネットなどで調べる限り、このGWにおける気温上昇こと熱波について触れることはなく、毎年、「今年のGW中には急激な気温上昇が~」という風に報じられているだけです。前述の通り、東京でも上海でも同じような現象が起きているのだから、そろそろ「GWヒート」とか「メイウェザー」などと名前を付けて定着させてもいいのではないかと思うのですが、現象自体が認識されていないようでは望むべくもないでしょう。

 こうしたGW前後における気温上昇について私が観察した限りだと、期間は約1週間で、日差しに関しては真夏並みのレベルとなって正午ごろなどは外で活動するのは危険なレベルにまで到達します。しかし1週間程度経過すると雨などを契機に平均気温が低下するようになり、それ以降5月中の最高気温は30度を下回るようになります。
 問題なのは暑くなる期間が1週間と認知されていない点で、一時的に気温が急上昇するものだからあわてて夏服へと切り替えたものの、その後また気温が低下するので、慌てた分だけ整理して損する人が出てきます。

 その上で景気に悪いことを言うと、GW中は上記の通り体が慣れていないのに毎年急激に気温が上昇することが多いことから、内心ではあまり外出するべきではない時期だと考えています。実際に紫外線量もこの時期は半端ないと聞きますし(女性陣から)、その後また急激にクールダウンもするため、体への負担を考えると外出は控えめにするくらいがいいと思います。
 何気にこの時期は連休とあって登山に出る人も多いですが、GW中の登山で激しい熱中症を起こして遭難するというケースもよく聞きます。暦的には5月ですが、この時期は誇張ではなく真夏並みの気温へ一気に突入するだけに、それなりの対策が必要となるでしょう。

 そうした考えと、4月までの勤務の忙しさもあってこの五連休中に私はずっと家からあまり出ませんでした。おかげで体力が戻ったというか視界の焦点も合うようになり、ゲームに集中することが出来ました。真面目に疲れがひどいと焦点が合わなくなりますが、最近両手足の小指の健を伸ばすとやたら焦点が合う、というより視力が良くなることに気が付いて、前より幾分目が良く見えるようになってます。

 ちなみに今回GW中はセールもあって漫画やゲームを大量に買ってますが、飛行機好きならと知人に勧められた「ファントム無頼」が使っているECで取り扱ってなかったので、代わりに同じ作者の「エリア88」を今日購入しました。素直に面白いけど、今は当時と違って戦闘機の種類少ないから同じような漫画は厳しいなとかそんな目で見てました。
 ゲームだと「ゼノブレイド2」をようやくクリアしたこともあってなんか長いゲームは少し懲りて、彩京の往年シューティングこと「ストライカーズ1945」とか「戦国ブレード」とかを購入してました。「ストライカーズ1945」は1と2を一緒に買ったけど、1の方が面白く、「戦国ブレード」も「戦国エース」と一緒に買いましたけど「~ブレード」の方は難し過ぎる気がします。そりゃこんな難しすぎるアーケードシューティングは廃れるよと、改めて感じました。

2020年5月4日月曜日

スカイレイのプラモ

F4D (航空機)(Wikipedia)


 通っているプラモ屋で、なんか「シェフの気まぐれサラダ」的に突如としてタミヤの「F4Dスカイレイ」のキットが店頭に並んだので、物珍しさとすぐに組める容易さから購入して組み立てました。何故か先に購入していた、R32よりも早く手を付けたあたり、やはり自分はプラモだと戦闘機の方が好きなのかもしれません。



 比較的デカールが揃っているのでそれらしく見えるけど、実は細かいところでデカールの貼りつけミスとか、パーツ組立時のミスがあったりします。そうしたミスをそれらしく見せないようにする技術は大分磨けている気がします。


 ちなみに台座はPC用デスクです。いつもタヌキとフィットのプラモ置いて作業しています。


 今回、このキットを見かけるまでスカイレイについて存在すら知りませんでしたが、キットの写真を見て「逆に新しい」という印象を覚えました。この戦闘機は見ての通りクローズデルタ翼こと、主翼が大きく尾翼のない機体です。エンジンは単発(1機)で現役機で言えばサーブ・グリペンや中国の殲10(J-10)に近いですが、それらと違って前尾翼(カナード)がなく、全体として異常なまでにシンプルな形状をしています。

 この機体を最初見た時、「古そうな機体だが逆に最新鋭のF-35に近いような」という風にも感じました。F-35は主翼がもっと小さく尾翼もありますが、ステルス性を高める目的からエアインテーク(吸入口)の位置はこのスカイレイ同様に胴体脇にあり、またエンジンも単発機です。スカイレイ自体は1950年代の設計でステルス性などは全く考慮されていないはずですが、逆にそのシンプルな形状は現代の対ステルス設計に通ずるものがあり、地味に先進的であったような気すらします。

 実際の航空史においてもスカイレイは得意な形状と呼ばれることが多く、斬新な設計だったが斬新過ぎて設計思想を引き継ぐ後継が出なかったと言われています。まぁさすがに、主翼の縁が丸い機体はそんじょそこらじゃ出てこない気がする。

2020年5月3日日曜日

コロナ後に元に戻れるかに対する不安

 昨夜岐阜県内で千葉県のナンバーで車を走らせるとハブられるのではないかと無駄な心配しているうちの親父と電話で話しましたが、その際に仮にコロナが終息しても、また以前みたいな日常が戻ってくるのかなどとやたら不安がっていました。これは何もうちの親父に限らず、日本国内にいる日本人と連絡すると、「もうあの頃には帰れない」といったような内容の嘆きが毎回聞かれます。
 この点について中国在住の身から言わせてもらうと、「意外と戻ってくるもの」だとお答えします。

 恐らく日本にいる方の立場に立つと、緊急事態宣言を受けて自粛が広がり、街中がゴーストタウンみたく人が出歩かなくなったという光景を目の前にして、上記のような感傷を持ったのではないかと思います。私自身も上海で2月、というより実質的には3月くらいにそうした光景を目にした時、果たしてここからどれくらいリカバリー効くのだろうかと不安に感じました。
 しかし3月の後半に入ったころになると、この記事にも書いているように地下鉄なども乗客が増え、飲食店らも再開し、また各店舗の入口前で行われたいた検温もやらなくなるに至って、今現在の上海は完全にビフォアーコロナともいうべき状態を完全に取り戻しています。

 無論、目に見えないだけで各店舗や企業の負担は重いでしょうし、再開にこぎつけず撤退した事業者なども数多くいるでしょう。ただ今現在の日本人はテレビの中の中国の世界だった自粛風景が目の前に広がって、少なからずパニックに似た心境にあるのではないかと思います。それでもコロナが一定度終息しさえすれば、現在の上海の様に意外と街中は見た目だけなら以前の空気を取り戻すだろうと私は思います。

 ただ、これはコロナ流行が今年限りという想定です。仮に次の冬にもまた流行した場合、コロナ関連倒産は今年の比ではなくなるでしょうし、それこそ「もうあの頃には戻れない」という世界が本気で来るかもしれません。それは中国でも同様ですが、流行対策に関しては現在中国の方が上なだけに、日本よりはマシになるとは思います。

 改めて言うと、今現在の日本人はコロナ疲れともいうべきパニック状態な心理にあるように感じます。2月ごろに言っていた「正しく恐れよ」という言葉は、今でこそ言うべきではないかと思います。まぁそれ以前に、もっとスマホを活用して防疫対策を日本はやるべきだとは思いますが。

2020年5月2日土曜日

不穏な写真


 先日、上海のしまむらを眺めている最中、上記のフード付きスウェットを見つけ、写真に収めた次第です。周りの友人にこの写真を転送したところ、「君のような勇者こそ身に着けるに相応しい」的な返事ばかりもらいましたが、さすがに無駄に煽るようなことは良くないと思って、買いませんでした。
 ただ中国において攻めたデザインであることは確かで、しまむらは自分の知らない間に飛躍的にセンスを高めているのかもしれません。部屋着として使う分にはいいの揃ってる気がするんだけどね。

2020年5月1日金曜日

優れていると感じる自伝漫画

 また更新がしばらく空きましたが、全部仕事のせいです。キーボードの叩き過ぎなのか一昨日は仕事中、右肩が上がらなくなり、眩暈や動悸をリアルにしながら作業を続けていました。まだやっている仕事が楽しいのが救い。
 単純に忙しいためというより、今年2月ごろから延々と忙しい状態が続いていて、会社から要求されているイーラーニングをやる暇もないほど隙間なく働いています。3月中はまだ体力が持っていたけど、4月に入って以降は蓄積もあってか頭も体もまともに動かなくなっていきました。その成果先週末に至っては、革ベルトを付けたままズボンを洗濯機に放り込んでおり、心なしかベルトがきれいになったものの短くなって帰ってきた気がします。

 話は本題ですが、先日「『ど根性ガエルの娘』を少し読んで」という記事の中でこの漫画のことをかなり激しく批判しました。理由としてはお金を支払う漫画作品としてはあまりに質が悪いためで、その原因は編集方面の混乱もあるとはいえ、作者自身が心の整理がきちんとついていないのか、どうしても主観性が色濃く反映されているように見えると推測しました。
 「バクマン」以降、漫画政策の裏側を見せる内容が受けると見たのか、こういった漫画家の自伝漫画というのが増えた気がします。そうした漫画家の自伝漫画を今まで読んだ中でよくできていると感じたのは、巨匠こと永井豪氏の「激マン!」です。

 知ってる人には早いですがこの漫画はデビルマンやマジンガーZなど、永井氏の代表作の執筆当時を振り返った自伝漫画です。一部フィクションを交えて主人公も「ながい激」などとしていますが、故石川賢や未だ現役衰えない辻真先氏などは実名でそのまま出ており、当時のライブ感が作中で強く反映されています。
 なお辻氏についてはウィキペディアの記事にも書かれていますが、「デビルマンの脚本の打ち合わせをしながら別の作品の脚本原稿を書き続け、書き上げていた」というエピソードが「激マン!」の中に書かれています。これを初め読んだ時、「昭和の作家というのはこんなとんでもない化物ばかりだったのか……」と激しくショックを覚え、とても自分はこういう人たちとは肩を並べられないだろうという思いを感じました。令和においてもこの人は現役ですが。

 話は戻りますがこの「激マン!」が特に優れていると感じたのは、前述の通り作品ごとにテーマを絞っていることです。私が読んだのはデビルマン編だけですが、同時連載中だったマジンガーZについてはそれほど触れられず、デビルマンがどのようにして制作され、作者が当時どんな心境だったのかが良く描かれています。特に飛鳥了というキャラクターが独り歩きし始めたことや、あの伝説的な結末に至った背景について細かに書いてあり、非常に納得感のある内容でした。
 そうした裏話的な要素とともに、先にも書いた通り客観性が非常に保たれているという印象を受けました。本人は照れ隠しのために主人公は自分ではなく架空の人物としていますが、それがかえって主観性を薄めることに効果を発揮したのかもしれません。

 それ以上に、これも先に書いているように当時周囲にいた人物を非常に多く登場させ、彼らの特徴などを細々と描いています。ダイナミックプロのメンバーだけでなく出版社やアニメ会社の人物などをよく覚えているなと思うくらい登場させ、彼らとの会話や関わり、作品の展開などがしっかり描かれてあって、非常に読みごたえがありました。
 こうした点を踏まえて、やはり自伝漫画、それ以前に自伝というのはやはり主観性が強いとだめで、周囲の人物を含めて自分をどこまで客観的に描けるかが、読み手にとって面白さにつながるのではないかと思います。そしてそうした客観性が保たれていると感じるもう一つの自伝漫画としては、まぁわかるかもしれませんが「水木しげる伝」です。

 作者の水木しげる自体が下手な漫画のキャラクターより漫画っぽい人物という、極端に強いキャラクター性の持主ではありますが、この「水木しげる伝」の中では本当に一人の漫画のキャラクターの様に自分のことを客観的に描いています。また「激マン!」同様、有名なのんのん婆をはじめ周囲にいた人物を隔てなく描いており、またその見方も意外と客観性に富んでいるというか、漫画を見た後で実際にその人物を追って調べてみると、驚くほど特徴が共通していることが多かったです。
 一例を挙げると、白土三平氏がいます。初登場のシーンで、「ホームレスかと思った」と描いてあります。しかもその後で漫画家同士で飲食店に入った後、当時他の漫画家みんな食うや食わずやだったから、当時稼いでいた白土氏におごってもらう雰囲気をみんなで作っていたということも描いています。

 万事がこんな感じで、あくまで水木しげる本人が中心として描かれているものの、各時代における身の回りの人物や出来事を中心に、客観性とユーモアに富んだ視点で描かれてあって水木しげるの自伝というよりも、昭和の時代背景を読む作品としての価値の方が高いかもしれません。

 ただ敢えて一点、作者本人の主観が強く打ち出されて描かれた場面が一つあると私は考えています。それは従軍中、戦場で部隊が全滅する中で一人生き残りジャングルを逃げ回っていたところ、まるでぬり壁を目の前にしたかのように深夜に突然、どうやってもそこから前へ一歩も進めなくなったということを回想しているシーンです。翌朝になってみてその先は崖であったということがわかるのですが、このシーンに限っては非常に珍しく1ページ丸ごとの大きなコマで描かれており、作者にとって忘れ得ぬほどの強い体験だったのではないかと密かに見ています。
 私は自伝漫画に主観は不要とさっきから書いていますが、こうした一部のワンシーンで主観を大きく前に出すことは否定しておらず、むしろ作品にいい刺激すら与えると考えています。生憎ながら「ど根性ガエルの娘」では、そうではなくほぼ全面主観に満ちていましたが。

 話を戻すと逆に「水木しげる伝」で非常に恐ろしい点は、作者が左腕を失ったシーンです。爆弾が落下して吹き飛ばされ、軍医に施術されるという流れが非常に淡々と描かれており、その後の人生でも左腕のないハンデについてまったく気にしてないのかと思うくらい触れられません。恐らくほかの人間だったらこの場面だけで数十ページを使うのではと思うような場面ですが、どうしてこうも客観的に書けるのかと思うくらい淡泊で、この点一つとっても作者がとんでもない人だと偲ばれます。
 それだけに、先ほどのぬりかべのシーンの感情の入れ具合との差が際立っているとも思えるのですが。

 なお少し補足をすると、何かのインタビューで左腕喪失について悔しさみたいなものはないかと尋ねられた際、「全くない。生きて帰れただけでも幸運だ。あの時代、生きたくても生きられなかった人たちがたくさんいた」と回答したと聞きます。こうした点を考えると、やはり激烈な体験こそが物事を客観的に捉える視点を養うのかもしれません。