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2020年4月26日日曜日

「ど根性ガエルの娘」を少し読んで

ど根性ガエルの娘(Wikipedia)

 昨日の今日でなんですが、昨日の記事で批判しようとしたのがこの作品です。昨日書いたように3巻辺り、というか15話から本番だというので3巻まで買って読みましたが、まぁ無理して買う必要もなかったかなという風に考えています。

 この作品を知ったのはふとしたきっかけからで、ネット上で一時話題になった問題作ということから今回の電子書籍セールに合わせて購入してみました。内容は上記のウィキペディアの記事に詳しいですが、漫画の「ど根性ガエル」の作者である吉沢やすみ氏の娘である大月悠祐子氏が、最初のヒット作以降は全く作品が当たらず家庭崩壊していた状況を書いたという漫画です。
 興味を持ったのは私の年代なら誰もが知るであろう「ど根性ガエル」の作者がそのような状況になっていたということもありますが、実はそれ以上に昔「ギャラクシーエンジェルズ」読んでたってのが大きいです。ついでに言うと「アクエリアンエイジ」でもかなんが描いたキャラのカードをよく使ってましたが、このネタが分かる人はかなり限られる気がします。

 話は戻りますがこの作品はいろいろ曰く付きというか事情があり、元々は週刊アスキーで連載されていたものの打ち切られ、その後白泉社のWebサイトで連載が再開というか仕切りなおされています。
 曰く付きなのはその移籍の背景で、アスキーでの連載は吉沢やすみ氏がギャンブル依存症となってDVもあったし過程も崩壊したけど、それでも漫画を愛する心があったからこそ私(=作者)も漫画家になった……的な味付けで話が進むのですが、なんと作者自身が途中でこの方針を拒否するようになったそうです。その理由というのも、家庭崩壊は未だに続いていると考えていたからです。

 その辺の下りは非常によく赤裸々に書かれており、連載企画で親娘対談をやったところちょっとした発言で父親が激怒し、途中で退席してしまっていたのですが、当初の漫画ではそんなことなぞなかったように和やかな会談シーンが描かれました。その後、「あれは実は嘘だった」的に、当時の実際を描いたのが話題となった15話でした。ついでにその回では連載中に吉沢やすみ氏が脳卒中で倒れて一時半身不随になったことも描いています。
 そのほか家庭崩壊に関しては、中学生時代からギャンブルの金欲しさに父親から小遣いを盗まれて、でもって非難したら追っかけられ、母親に伝えたら「お前が悪い」と言われて土下座させられたり、わざと腐った食べ物を食べるよう強制されたりといったエピソードが描かれています。また作者自身の拒食、過食症で引きこもった時期も描くなど、そうしたありのままに当時の事情を描いている点は素直に評価できます。

 ただ、それでも私はこの漫画を評価することはできず、はっきり言えば読む価値もほとんどないとすら考えています。理由は大きく分けて二つあり、一つは単純に漫画作品として質が異常に低いためです。
 実際に読んでもらえばわかりやすいですが、この漫画はどのページもコマがやたら大きく、なのにセリフは少なくて1ページ当たりの質が極度に低い印象があります。書き込みが多ければいいってものではないですが、深刻な家庭事情の話なのに変にキャラクターもデフォルメ化してそれらしい効果もつけられてて、読んでてずっと「なんでこうなの?」という違和感を感じてなりません。

 実際にというか、今朝に2巻と3巻を端末にダウンロードしたのですが、通勤途中の地下鉄に乗っている約20分間で2冊ともほぼ読み終えてしまいました。それくらいコマが大きいためコマ数と情報量が少なく、漫画というより絵本に近い内容です。にもかかわらずやたらと見開きのページが多く、その見開きの絵の内容もびっくりするくらいスカスカで、ページ数を水増しするためやってるのかとすら内心感じます。
 もしかしたら編集などからの指示なのかもしれませんが、もし作者が意図してこれをやってるのなら、単純に漫画家としての技量が不足しているとしか言いようがありません。それだけ1ページにおける薄さがこの漫画は際立っています。

 次に問題だと感じたのは、時系列がてんでバラバラで、読んでて非常に読みづらいという点です。現代の場面が描かれたかと思ったら突然「ド根性ガエル」の連載時代になったり、また現代に戻ったかと思うと今度は急に作者の子供時代→高校時代→中学時代みたいな感じで、時系列が脈絡なく飛び続けます。おまけにそこで描かれるキャラクターも毎回作者や吉沢やすみ氏というわけじゃなく作者の母親や弟で彼らの心情が書かれたりして、でもってまた急に現代になって「当時どうだったの?」的なインタビューがガンガン差し込まれます。はっきり言って読みづらい上に感情移入も全くできませんでした。

 あくまで個人的な憶測で述べると、作者自身が心の整理がついてないからこうなっているのではないかという気がします。家族との関係や過去の体験について向き合ってはいるものの、整理というものは全くついておらず、だから一つの話の流れにまとめることができずエピソードごとに単体としてでしか書けなかったのではと読んでて思いました。そしてそれがゆえに、どうしてもというか各話はどれも主観が強くにじみ出ていて、

弟:数少ない味方、理解者としてカッコよく描かれる
母:女手で育ててくれたことに対する感謝や尊敬を抱くとともに、家族の犠牲にされたという憎悪から二面性が強く描かれる
父:諸悪の根源だがどうやっても抵抗することができない存在のため統一した人格で描かれない

 みたいな感じに描かれているように私には見えました。その上で、こうした実録系のドキュメント、自伝漫画では、主観が入れば入るほど作品としては価値を落とし、やはり客観性が強く求められるものだと私は考えています。主観を全く入れてはならないわけではないものの、作者の主観というのは読者からしたら他人の視点でしかなく、見ていても共感することは基本難しいです。
 こういった自伝系での主観は自分自身を美化する傾向が強いものの、この漫画に関して作者はまだ自分のことを美化することは少なく、むしろ厳しい時期をよく赤裸々に描いているとは思います。しかし周囲に対する表現は主観が非常に強く、またそれがゆえに先ほど指摘した時系列がバラバラで全くまとまりがない事態を招いている節があり、客観的に描き切れていない、即ち過去の事実について整理し切れていないという風に私は受け取りました。

 そのため、作者の家庭崩壊がどれだけ深刻だったのかというエピソード自体は確かに興味深いものの、内容のスカスカぶりに加え主観が入り混じった読みづらさもあり、漫画作品としてみるなら正直あまり評価できるものではなく、はっきりつまらないと感じました。むしろ漫画で読むより、文字情報にまとめた解説文の方が読んでて楽しめる気がします。ぶっちゃけ、漫画よりもウィキペディア記事の方が面白かったです。

 これが私的な作品だったらまだしも、曲がりなりにもこうして有料で出版されている作品としてみるならば、私はこの作品を評価することはできませんし、人にもお勧めできません。何度も書いている通り話のネタ自体はインパクト抜群なだけに、どうしてもっと上手に料理できなかったのかという点で惜しいと感じるところは多いのですが。

 なお同じように客観性がなくなり主観が入り過ぎて失敗した自伝漫画だと、平松伸二氏の「そしてボクは外道マンになる」があります。これなんか最初の方は1970年代のジャンプ編集部と当時の連載作家たちの姿をオーバーな表現で描きつつ、新人漫画家として苦しむ自分の姿が非常に良く描かれていて面白かったのですが、作品が評価され始めた2巻辺りから作者が自分自身を段々美化して描くようになり、また先ほど評価した他の作家陣などの周囲の情景も描かなくなるようになって人気が急落し、単行本4巻で敢え無く打ち切りとなっています。
 自分は全部読みましたが、実際3巻以降はやばいくらい面白くなかったです。非常に皮肉なことですが2巻の後半に出てくるドクターマシリトが現代の作者に向かってこの漫画について、

「平松さんがもっと外道にならなきゃ、この漫画は売れないただのゴミで終わる」

 と批評するシーンがあるのですが、本当にその通りの結末を辿っています。ウィキペディアの記事にすら、「この発言がのちに現実となってしまう」と書き込まれていますが、実際やばいくらいぴったりそのまま現実になってるからこれは仕方ない。
 自伝漫画はやはりというか自分を美化せず、むしろ汚れ役として描き、尚且つ客観性が強く求められるというのが私の持論です。ではどんな自伝漫画そのような作品なのかは、また今度書きます。

  余談
 「ど根性ガエルの娘」の中で作者が父親に少年ジャンプのパーティに連れてってもらえるシーンがあるのですが、そこで作者は当時「キャプテン翼」を連載中(今もとは言わない)の高橋陽一氏を見つけてサインをねだったところ、快くサインしてくれた(岬くん付きで)エピソードが紹介されています。
 一方、「そしてボクは外道マンになる」では平松氏のアシスタントとしてやってきた高橋氏の印象が描かれているのですが、その印象というのも「大人しくて礼儀正しく素直そうな若者」と書かれています。この高橋氏に関しては、どの紹介見ても大体こんな感じで物やさしげで大人しく柔和な人と紹介されており、これほど各自の印象が一致する人もいないなと思うとともに、「実際こんな感じの人なんだろうな」とよく思ってみてます。

  余談2
 同じく「そしてボクは外道マンになる」では連載前のキャプテン翼のネームを見た平松氏が、「ボールは友達」というセリフに衝撃を受けたシーンが描かれています。この時の心境について平松氏は、「俺たちスポ根世代にとっては、ボールなんてのは(試合中に相手を殺すための)殺人の道具でしかなかった」と語って、スポーツを楽しむという高橋氏の描き方に対する驚きを口にしていて、なんかいろいろ笑えました。
 本当にこの作品は作者自身よりも、その周りというか風景を描いてくれているだけでよかったし、その方がずっと面白かったのに(ノД`)・゜・。

2 件のコメント:

片倉(焼くとタイプ) さんのコメント...

あだち充氏の名作「タッチ」もキャプテン翼と同じ年に連載を開始しています。スポ根
漫画を過去のものとしたこの両作が同時期に連載を開始したことは単なる偶然ではなく、
スポ根漫画の衰退は必然だったのかもしれません。

花園祐 さんのコメント...

 ちょうどスポーツ漫画の変わり目だったのかもしれませんね。最近のスポーツ漫画読んでても、泥臭い練習シーンなんてほとんど出てきませんし、そんなの出したら下手したらギャグマンガに見られる恐れすらあります。