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2020年6月9日火曜日

伊藤詩織氏を中傷した漫画への訴訟について

 昨日、宅配業者から「荷物を宅配ボックスに入れたよ」という通知が携帯に来ましたが、書かれている住所は全然違うし、そもそも何か通販で購入した覚えもないので間違いだろうと思って無視してたら、先ほどまた同じ通知が来たので、面倒だと思いましたが通知に書かれてあった宅配人の電話番号に連絡して「多分間違えている」と伝えました。適当な中国語でいきなり話しかけたから向こうも驚いてたけど、最後はちゃんと通じてよかったε-(´∀`*)ホッ

 話は本題ですが当初はセカンドインパクトについて書く予定だったものの、こっちの賞味期限が切れそうなので先にこっちを書きます。

伊藤詩織さん、漫画家はすみとしこさんら3人を提訴。「枕営業」などツイートめぐり(ハフィントンポスト)

 何度かこのブログでも取り上げた、トンボ鉛筆の佐藤並に自分のことを勘違いしてそうな元TBSの山口敬之の強姦疑惑、並びに逮捕直前の不可解な捜査停止命令事件で被害を受けたジャーナリストの伊藤詩織氏ですが、今回この事件を揶揄するイラストや漫画を連続して投稿していたはすみとしこという漫画家を名誉棄損で訴えた、というのが上記リンク先の記事内容です。
 まだるっこしい事欠かずに結論を述べると、伊藤氏の訴訟行為は理に適っていると思うし、この漫画家に関しては内心生かしておけないなという印象を覚えました。

 仮にもしこの漫画家が今回の訴訟を受けて、「そうだよてめぇ嫌いだから皮肉って書いたんだよ!」などと主張していたらそれも表現の自由だし、内容の下品さなどに関して訴訟で争うことはあるとしても、私は何も批判とかしなかったと思います。しかしこの記事に書かれている通り、明らかに伊藤氏を連想させる名前と絵柄と出来事を汚らしく書いておきながら、この漫画家は漫画は伊藤氏とは無関係などと主張しているとのことで、この一点を以ってしてこの人はもはや表現者でなければ何の思想もない、ただ人を不快にさせるだけの唾棄すべき人間だと感じました。

 人を批判するに当たって私は基本、「殴られる覚悟」というものが絶対的に必要な条件だと考えています。いわば殴られる覚悟がある人間だけが人を殴ってもいいと言い換えることもでき、こと他人を批判するに当たっては、逆批判に対して反論することは自由であっても、逆批判そのものを避けようとしたり、逃げようと初めから考えている人間は他人を批判したりする資格はないと考えています。
 この価値観について私は、一種の報復懸念から行動を自重するような概念の様に考えており、自分が公で批判をする際は真面目に相手と刺し違える覚悟を持って行うようにしています。具体的には、「こいつを批判するためなら刺し殺して刑務所に行ってもいい」くらいの気持ちで、逆にそこまでの気持ちが持てなければいちいち批判とかせず、「まぁ自分と違う考えなんだね」というように相手の考えを受け入れないまでも、そうした考えが存在することを認めるように努めています。

 仮にこうした考え、逆批判などで報復されるという懸念がなかったとしたら、恐らく私だけじゃなく誰でもちょっと気に障ることがあれば一々口に出して悪しざまに罵ったりすることが増えるでしょう。いわば安全地帯にいるから好き勝手やるような状態で、傍目的にもそんな人間には私はなりたくないと思うし、なってはならないと考えていることから、批判に当たっては上記のように無駄に大仰な、昭和のヤクザ的な価値観を敢えて持つようにしています。

 然るにこのはすみとしこは前述の通り、伊藤氏の事件を明らかに馬鹿にしたようなことを書いておきながら「伊藤氏とは関係ないから自分は悪くない」と主張しているわけです。伊藤氏の行動に何かしらの考えを以って批判したりする様子は見られないどころか、先ほど書いた「安全地帯」からの好き勝手な言動はただ毒を撒くだけにしかならず、恐らくただ悪目立ちしたいだけで他人を平気で傷つける人間なんだろうと想像されます。無論こんな人間は世の中に至って人を不快にさせるだけで百害あって一利なく、はっきり言っていない方が世の中マシになるでしょう。
 もっともそれ以上に、単純にこうした行為を行う人間を自分は嫌いで、殴られる痛みというものをもっと知るべきだろうと考えます。

 ただ悲しいかな世の名にはそのような人間の方が実際多くいるのは事実でしょう。そういう意味で今回の伊藤氏の訴訟は悪目立ちしたい人間には報復を意識させる上では大事だと思うし、個人的にも強く応援したいとも思います。まぁ法に頼らずに済むならもっといいのですが、さすがにそれは理想的過ぎるかと自分でも感じます。まぁここでいう法に頼らずっていうのは、直接殴り込みにかけるって意味ですが。

 ちなみにガチで殴り込みかけたのは大学時代に一回しかないです。もし今やるとしたら前の会社で、本来会社が負担すべき中国のビザ切替え手数料を自腹切らされたこと(確か300元)、離職票をよこさなかったこと、他の従業員に比べ中国での家賃補助を減らされていたことなどを突き詰めにバット持って今からでも行きたいです。まぁ上はクソだったけど、いろいろ支援えてくれた人もいるので我慢していかないようにしていますが、死人も出したんだしもうちょいまともな対応できなかったのかと今でも呆れています。

2020年6月8日月曜日

中国のコロナ第二波対策記事

コロナ第2波の懸念、中国は今こんな対策をしている(JBpress)

 例によって自分の書いた記事ですが、この記事は友人から「中国で今フィットネスジムとかどうしてる?」とリクエストを受けたことから書いた記事でした。あまり取材が良くなく、尚且つ文章構成も悪く読みづらいところは反省していますが、真面目な問題提起をしたつもりの記事で、配信する価値はあったかなという風に自分は考えています。

 何気にこの記事を出した時点で既にもう一本の記事を編集部に出しており、この記事は無理して書く必要はありませんでした。にもかかわらず何故書いたのかというと、上記の通り友人からリクエストを受けたことがきっかけですが、それともう一つ、多分中国のコロナ対策はいい加減に行われていると勘違いしている日本人が多いのではと考えたからです。少なくとも日本在住者から話を聞く限りだと、コロナのピーク時における対策、そして現在の第二波対策のどちらにおいても、中国の方が日本よりもずっと厳格な対策を敷いていると断言します。

 確か三月ごろだったと思いますが、工場などで営業再開を認め始めた中国に対して一部日本人コラムニストらが、「中国は流行防止と経済の二兎を追っている。そして失敗するだろう」とか抜かしていましたが、現状みる限りだと日本の方がずっと二兎を追っており、流行抑止にも失敗しているように私には見えます。無論、こういうことをはっきり書くとPV数は稼げるだろうけど炎上することは目に見えていたので、JBpress用の記事では敢えて書きませんでしたが、全体的なニュアンスとしてはこうした「日本の方がずっといい加減」ということを暗に含める感じにして書いています。

 真面目な話をすると、現在の東京の地下鉄などではマスクなしで乗車している人が少数ながらいると聞きます。今の中国だとあり得ない話で、マスクがどこまで流行抑止に効果あるかについてはともかく、社会全体でコロナ流行を抑え込むという意識は中国よりずっと弱いという印象を覚えました。
 また、記事にも書いてある通り中国では現在、大型の商業施設、並びに地下鉄改札付近では毎回必ず来場者の体温を測定しています。地味にこの高温のあるなしの確認はマスクなんかよりずっと対策として価値があると私は思うのですが、これまた友人に聞く限りだと日本だとあまり行われていないとのことで、「やる気あんの?(´・ω・)」とガチで友人に聞き返しました。

 そのほか、これは実際には日本では導入が難しいとはわかってはいるものの、中国での流行抑止において最大の貢献を果たしたのはやはり、感染追跡アプリだと私は考えています。なんとなくだけど政府も自治体も「やれることは全部やっている」とはいうものの、このアプリの導入については台湾などで大きな成果があったと指摘されながら、誰も日本での導入については触れません。メディアも同じで、恐らくどう機能するかが想像できないためでしょうが、少なくとも都市部で勤務する人や、移動を行う運送業者など一部対象に限定しての導入だけでもやっておけばよかったと私は考えています。その理由は次もあるだろうからですが、その辺はまた次回記事で触れます。

 あとこの記事で特筆すべきこととしては、あまり他の比とは言っていませんが、マスクを着ける意味として私はこの記事で、流行抑止というよりかは市民に流行抑止を意識させる効果の方が大きいと指摘しており、本気でこのように考えています。これは日本でも同様で、やはりメディアや知人らの反応を聞いていると、街中でみんなマスクを着けるようになってから「これは大変なことになった」と意識を改める人が増え、中国もこうした意識を社会全体で共有させるために今もマスク着用を義務付けているように見えます。

 そういった内容でつらつらこの記事を書きましたが、まぁなんにしろ地味な記事です。とはいえ、中国の方が案外、日本よりずっと真面目に第二波対策を今も続けているということを読者に伝えられればいいという思いで書きました。なお日本の第二波対策について言えば、なんとなくこれまで営業を停止させてきた三密施設を一斉に解放しようとしているように見え、それはすごい危険なように感じます。この記事にも書いた通りに小規模施設から徐々に営業を再開させて様子を見るような、そうした指針が見えないし感染追跡アプリもないので、日本の抑えこめはまだ長引くのではないかというのが私の見方です。

2020年6月7日日曜日

安定と新鮮味

 今日自転車でスーパーに行く途中にふと、「この二年くらい、新鮮さを感じる瞬間がないな」という考えがよぎりました。実際、中国の風景とか見ていてもアッと驚くことはなく、先日も小型トラックから荷台に積まれた新品の冷蔵庫がダンボール梱包のまま道路に落ちて、「冷蔵庫落ちたでー」とおばちゃんが大声で知らせようとする場面に遭遇しても、「中国ならよくあること」という感じで何の驚きもなく見届けました(トラックは気づかずにそのまま走り去っていった)。

 何故このようになったのかというと、単純に生活が安定しているから以外他ありません。約2年ごとに転職して業務内容はおろか、業界ごと仕事と人間関係を一切合財ひっくり返してきた自分にとってすれば、4年間も同じ会社に居続けるなんてかつては想像もできませんでした。今の会社に移った2016年以降は仕事内容も大きな変化はなく、人間関係はおろか住居までずっと同じで、打線の援護がない時のカープの黒田元投手並の異常な安定ぶりです。
 真面目な話、日米ともに援護がない時の方が投手として安定している黒田元選手はいろいろおかしい(;´・ω・)

 無論、転職を繰り返してた時の苦労は半端じゃなく、今の立場は非常に楽だしコラムの連載もできててそれなりに楽しいですが、こと人生における新鮮さというかスリリングさではそれ以前の前半生と比べると雲泥の差です。逆に言えば、そうした激しい転職と激烈な体験を繰り返してきただけに、普通の人に比べ数倍の濃さの人生経験を積んでいるという妙な自負があります。あまり役に立つ経験は多くはないけれど(;´・ω・)

 古い漫画を例にするとしたら、「コブラ」の冒頭のシーンなんかが自分の心境に違いかもしれません。この漫画ではサイコガン片手に宇宙を飛び回り、いろんな悪党に追われるのが嫌になって記憶を封印し一階のサラリーマンとなった主人公でした、そしたら何の変りもないサラリーマン生活に退屈さを覚えてトリップムービーを見たことで「コブラ」としての記憶を戻すという展開ですが、実際、自分の心境はまさにこんなだと思います。もちろん私はサイコガンなんて持っておらず、「銀魂」がネタにしたように「酒瓶(サカビン)」も持ってませんが(;´・ω・)

 私の場合だと特に、中国という外国の生活に慣れたということも非常に大きいと思います。それこそ2010年に中国で初めて就職して生活し始めた頃は、留学時代と比べて普段の生活で驚いたり興味を持つことが多かったものの、かれこれ十年近くも中国での生活をしていると、留学時代の2006年くらい頃の方がいろいろ楽しかったなどと変に昔を懐かしむことが増えてきています。
 逆に今日本に帰ると、2013年に一時的にいた時の様に、その変化のなさぶりに逆に驚いて新鮮味を覚えるんじゃないかと思います。明日出る記事にも少し触れていますが、コロナ追跡アプリがないと聞いて本気で自分は驚いたくらいだし。

 最後にちょっと変なまとめ方ですがこうした自分の経験を踏まえていうと、海外生活は最初の2年間くらいはビックリワクワクな経験がたくさんできますが、3年目以降はそういったドキドキふわふわはなくなっていき、極端な話、滞在期間が3年でも10年でも、その本人が独自に活動したり追求したりしていない限りは海外経験において大きな差はないのではないかと思います。言い換えると、大体満2年毎に居住国を変えていけばずっとスリリングに生きられるだろうと私は思います。私はさすがにもうやりませんが(;´・ω・)

2020年6月5日金曜日

中国の異民族とハロウィン

 最近満州族の歴史とか無駄に調べていますが調べてて率直に感じたこととしては、「中国の異民族ってやってることハロウィンじゃね?」という結論でした。ハロウィンについて説明する必要はないでしょうが、例の「パンがないなら僕の頭をお食べ」じゃなくて「トリックオアトリート」こと「お菓子をくれなきゃ悪戯だこの野郎(´・ω・`)」です。

 なんでハロウィンなのかというと、中国の全時代で異民族は時の中国の王朝へ毎年朝貢する代わりに莫大な下賜品をもらっていました。でもって受け取った連中はそれを他の部族らに分配することで支持を得て勢力を維持しており、下賜品の数量が減ると途端に引きずりおろされるという有様でした。
 そのためどの時代も異民族の頭目は中国の王朝に下賜品をねだり、満足な量がもらえないとわかるや長城を越えて略奪に走り、「略奪をやめてほしければよこすもんよこせ!」と脅迫していました。この構図がまさにハッピーハロウィンにしか見えないってわけです。

 もう少し話をすると、王朝の側はこの下賜品の量をコントロールすることで、勢力の強い頭目は抑え、弱い頭目は育てて均衡させるような政策を取っています。ただ昔からこういうボーナス的政策には必ず悪さする中国人なだけあってか、中国の皇帝が唯一野戦で捕虜となった土木の変での主役であるエセン・ハーンは、下賜品は朝貢した人数分もらえるという制度に乗っかる形で、実際に朝貢に行く人数を大幅に上回る人数を申告して大目に下賜品をもらってたそうです。それがばれて下賜品減らされて、他の部族を従えなくなったから侵略し、先の土木の変へと至るわけですが。

 こう考えるとハロウィンは西洋の文化習俗とするのは実は間違いで、東アジアにおける日常的外交慣習だったと考えるべきかもしれません。もっとも日本はそこまで激しい朝貢貿易をやってた時代はほとんどないけど。
 ついでに書くと、そういうわけだからハロウィンの時期は馬肥ゆる秋が相応しく(現実のハロウィンとほぼ同時期)、尚且つ仮装も西洋物ではなく異民族・山賊風のが適切かもしれません。できるなら馬に乗ってやってきて、 「朝貢か、侵略か?」とインターホン越しに問い掛けるというのが斬新でいいのかもしれません。いや、自分がやれって言われてもやりませんが。

2020年6月3日水曜日

Amazonレビューの不信頼性

 先日、「RaW HERO」というギャグ漫画の5巻をDMMの電子書籍で購入したのですが、これがやばいくらいつまらなかったです。1~3巻はまだ話のテンポも良くそこそこ楽しめたのですが、4巻入った辺りから急に間延びするようになり、5巻に至ってはギャグマンガなのに一瞬たりとも笑うこともなく、なおかつ笑わせに来ていると思う下ネタシーンに至っては楽しさよりキモさしか感じない内容で、同じ作者の後半の急失速ぶりが半端じゃなかった「監獄学園」を彷彿とさせられました。恐らく今後、この漫画の続きを買うことはないし、手にも取ることないでしょう。

 そんな最悪な印象を感じただけに、他の読者はどんな印象を覚えたのかなと思って今回Amazonのレビューページを見たところ、一見して妙な印象を覚えました。私自身の見方が絶対的とは思ってはいないものの、やたら高評価のレビューが多く、「え、なんで(。´・ω・)?」と思ってよくよく評価数を見たところ、評価件数は10件に対してコメントは5件しかありませんでした。


評価数10件に対しコメントは5件 

 一応、二つ星も1件入っているのですが、こちらはコメントがなく星評価だけしかありませんでした。


星二つの評価にはコメントなし

 この時点でまともなレビューじゃないと思ったのですが、念のためにつまらなくなり始めた4巻の方を見てみたところ、

評価数49件に対してコメントはたった6件

 まぁ間違いなく、業者的な何かを感じます。高評価に以上に偏っているし。

 ならば試しに自分もコメント書いてみようとしたのですが、「貴様にはコメントを書く資格なぞない」と、購入金額の不足によりAmazonに拒否られました。

 恐らくステマ評価業者対策のためこうしているのでしょうが、結果的には逆に、ステマ評価業者しかコメントができないような状況を作ってるように見えます。実際、書かれているコメントを見ると、ほぼすべて妙に説明口調で不自然なコメントしかありません。
 こうしたことを考えると、Amazonサイト内の評価は今後信用できるものじゃなくなるかもしれません。せっかくだから今後、無駄に花園祐名義でDMMの電子書籍サイトにコメント書きまくろうかなとかちょっと思い始めています。誰も得しないけど。

2020年6月2日火曜日

米中貿易摩擦について

 今まであまりこのブログで言及しませんでしたが、一昨年辺りから始まり昨年末に合意したと発表され、コロナ流行のさなかにまたトランプ大統領にひっくり返された米中貿易摩擦ですが、自分としてはこればっかりは中国が米国側に吹っ掛けられた問題だとみており、中国を支持する立場をとります。

 こうした立場となるのも自分が中国で働いているから、という風に考えられるかもしれませんが、単純に日本の立場においても中国を支える方向で動いた方がいいとも見ています。その理由というのも、米国有利で米中貿易摩擦が片付いた場合、次の標的には日本が成る可能性が高いからです。既にこれまでにも日本や韓国も米軍基地問題でトランプ大統領に吹っ掛けられていますが、やはりこれまでの焦点は中国との交渉であり、ある意味中国がいい感じに当て馬になってくれたおかげで日本は米国からの狙い撃ちを避けてこられたところがあります。

 一方、中国における日系企業の話をすると、やはり追加関税を受けた製品などは米国からの調達が難しくなり、サプライチェーンの再編などにも迫られているという話を耳にします。また追加関税対象となっていない製品に関しても、今後の影響波及への懸念からメーカーそのものではなく、その製品を購入していたユーザーが東南アジアなどの他国で生産を行っている別のメーカー品に切り替えるという動きもあるようです。
 まぁこの手の動きは今のコロナ騒動を考えると、その後進展はないとは思いますが。

 日本のメディアを見る限り、こうしたサプライチェーンの現場からの話はあまり報じられていない気がするというか、基本的に日本国内の話しか出てこない気がします。ただ、現実には現在の製造業はグローバルサプライチェーンは航空機だけでなくほぼすべての製品で成り立っており、かつては製品単位だった貿易摩擦が、部品単位で影響が波及するようになっており、ある意味グローバルサプライチェーンの中心にある中国なんかはその影響を大いに受けています。

 そういう面で見ると、私自身としてはトランプが吹っ掛けたこの米中貿易摩擦は中国も打撃ですが米国にも打撃をもたらし、また世界全体を混乱に招く所業だとみており、現在米国内で広がっている黒人らのデモなどを受けて政権交代が実現しないかと期待していますが、日本の野党じゃあるまいし民主党の候補があまりにも頼りないので、恐らく日本同様に消極的にトランプが再選するのではと見ています。

 ただこう書きながらも、最近の中国政府による香港自治への干渉については私自身も内心どうかと思います。極端な話、中国国内でどんだけ統制を強めても香港の自治さえある程度放任してやっておけば国外の目をそらせるというのに、何故ここに至って国外を煽るような行為に中国は出るのか、この点がややリアリティに欠けた方針のように見えます。結論から言えば、昨年の香港デモで意外と苦戦させられたことに対する感情的報復で行われているように見え、大人げないというかあまり徳にならないことをやっているように見えます。
 実際、トランプに対中貿易制裁を科す口実を与えてしまっていますし。

 それにしても今回久々に国際ネタで適当に書いていますが、自分もそうですが一般メディアにおいてもこうした国際情勢ネタで記事を出す本数がなんか減っている気がします。こういう国際分析ネタも、自分が見てないせいかなんか少なくなっているような。

2020年5月31日日曜日

不倫がニュースとして消費される背景

 何も私がいちいち説明しなくても、昨今の日本では芸能人らの不倫ネタがニュースとして大きく消費される現状を否定する人はいないでしょう。そもそもなんでこれほど不倫が毎回大きなニュースになるのかというと、その背景には「不倫は文化」ではなく「不倫は社会的タブー」として捉えられていることが大きいと感じます。

 不倫がタブーであることなんて当たり前と言われるかもしれませんが、不倫に係る当事者、具体的には不倫された側の配偶者ならともかく、不倫ニュースの消費者自体は完全なる不倫の部外者です。無論、他人の不倫劇が見ていて楽しいという感覚は非常によく理解でき、そういう意味でのニュース消費であれば私も特におかしくないと思うのですが、最近の不倫関連ニュースを見ていて違和感を感じるのは、当事者でもないにもかかわらず不倫をした側、そしてその不倫相手を激しく糾弾する傾向があるという点です。

 不倫を行った芸能人を広告に使っていた企業であれば怒るのも無理ないですが、現実には全く関係ないのないはずの視聴者がけしからんとばかりに不倫行為を批判し、激しくニュースを消費する傾向が強いです。人によっては激しい攻撃性を伴う発言も多くみられ、最近のテラスハウス問題じゃないですが、よくそんな他人のことに怒ることができるなと思うくらいヒートアップした批判を目にすることも少なくありません。
 そもそもこうした不倫報道自体、「ここに悪い奴がいるぞ、みんな見てみろ!」的なスタンスの報道の仕方がされることが多いです。特にテレビのワイドショーほどのその傾向が強く、メディアの中立性なんてどこ吹く風とばかりに、不倫した側を責め、された側に寄り添うという発言や質問が多く、まぁ普通に見て視聴者を煽っているとしか言いようがないです。

 では何故そうなってしまうのかというと、冒頭で述べた通りに「不倫はタブー」という社会的認識が非常に強くなってしまっているからだと思います。家庭内だけでなく、赤の他人にすら不倫をしたら後ろ指刺される、それどころか激しく批判されても仕方ない的な共通認識がすでに出来上がっているように見え、不倫者であればいくらでも攻撃、糾弾してもいいという価値観が今の日本にはあるのかもしれません。
 前述の通り、私自身は不倫行為自体は各個々人の行為であり、「えっ、あんな清純そうな子が?」といったびっくり的な感覚でニュースを消費する(=読む)ことはあっても、よほど見苦しい言い訳とかしない限りは批判しないようにしています。しかしネットでの反応を見ていると、不倫ニュースが出るとここぞとばかり鬱憤を晴らすかのように糾弾する人が多く、且つメディアもそうした雰囲気に乗っかっている節があり、またそうした糾弾を誰も否定しないし止めようともしないように私には見えます。理由はやはり、「不倫はタブーなのだから赤の他人からも責められて当然」という前提があるからでしょう。

 さらに最近凄いのになると、名前は言いませんが数年前にある独身のプロ野球選手のお泊りデートが煽情的に報じられたことがありました。さすがにこの時は相手が一般人で、且つその選手が独身であったことから「何がおかしいんだ?」、「報じるほどの内容か?」といったメディアに対する逆批判が多かったのですが、なんかこうした報道を見ていて、血祭り相手をメディアが作ろうとしているように見えました。まぁなんでそんなことするのかというと、そうした血祭り相手を世の中が求めているからかもしれませんが。

 言いたいことをまとめると、不倫があまり誉められた行為ではないというのはその通りですが、かといって不倫した人間を赤の他人が好きな風に攻撃していいのかというとそれは違うのではというのが私の意見です。逆に言い換えると、攻撃しようとする人は何故自分が全力で相手の人格を批判しようとするのか、自分と他人の線引き、そしてその怒りの原点についてもっと考えるべきだと思います、真面目に。

 とこんなことを言いながらなんですが、別に杏氏のファンではないものの、東出昌大氏についてはどう批判されてもしょうがないと内心思ってます。ありゃちょっとやりすぎというかなんというか。