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2020年10月11日日曜日

左足首の痛みについて

 ここだけの話ですが、自分は歩行速度が極めて速いです。平均で言えば中国人は日本人より明らかに早いのですがそれ以上に自分早く、真面目に一般日本人と比べたら倍くらい早い気がします。実際に日本から来た人に上海を案内している時はいっつも「歩くの早い!」と言われますが、自分の方は自分で「こんな歩くの遅くて病気なのでは?」とリアルに考えていました。
 ただ歩く速度が速い分、歩き方は結構変な歩き方になっています。具体的にはかかとをほぼ付けずに前足部分のみで着地、踏みだし、方向転換の全部をやっているような歩き方で、そのせいか靴下もかかとが擦り切れることはほぼなく、逆に前足部分から薄くなっていきます。

 さてそんな私ですが実はしょっちゅう足の筋、具体的には見出しに掲げた左足首の外側付近を痛めることが多いです。一旦痛めると結構長引き、この間は革靴で歩くときなんかやや引きずるような感じで庇いながら歩くことから、歩行速度も急激に落ち込みます。
 一体なんで足のこの部分を痛めるのか。以前から疑問に思ってて考えた理由としては、

・歩くときに左足首に重心をかけ過ぎている
・何度も怪我してやや癖になっている

 この二つで、対策として右足に重心を傾けたりいろいろしましたが全然解決しませんでした。先月もこの左足の痛みが激しく歩くのも鬱陶しいくらいだったのですが、それ以上に地味に困ったのは自宅にいる時でした。
 というのも私は自宅パソコンを弄る時はよく、椅子の上に胡坐をかいているからです。その状態でこうしてブログなどを書いたり掲示板などを除いているのですが、左足が痛い時は胡坐の姿勢だと足首が曲がるため座っているだけでも痛く、「一体どうしてこんな痛いんだろう。っていうか胡坐の姿勢って結構足首曲がるもんだな」などと考えていたら、

「あれ、もしかして椅子の上に胡坐かいて足首を思いきり曲げているから筋痛めてるんじゃないの(。´・ω・)?」

 という天啓が突然ピカーンと降りてきました。
 実際にというか胡坐の状態だとよく左足を下にして、思いきり体重かけていました。でもって左足首もまさに痛む外側部分が大きく曲げられる形で体重がかけられつづけており、もしかしたらこの姿勢が良くないんじゃないのかと初めて気が付きました。
 この事実に気が付いた後、試しに椅子の上に胡坐かくのをやめてみたら自分でもびっくりするくらい左足の痛みがなくなりました。てかやっぱ原因は椅子の上での胡坐にあったようです。

 そういう言わけで今は椅子の上に普通に座る姿勢でパソコンを弄っていますが、やはり胡坐をかきたいという欲求にかられることがあります。今度パソコン用のデスク買うときは敢えて低い机にして、初めから胡坐スタイルでパソコン使うようなのにしようかなとも検討していますが、それはそれでまた足首痛めそうで悩ましいところです。

2020年10月10日土曜日

上杉謙信を何度も裏切り続けた男

 今日は土曜ですが中国では国慶節連休を増やすために休日を差し替えられた挙句の振替出勤日となり、普通に会社行って仕事していました。ソ連人民の敵であるうちの親父同様、割とワーカーホリックな一族ゆえか仕事があれば会社行くのは割と楽しいのですが、今年全然有休消化できてないから一週間くらい休みたいです。あとF-14作ってしばらくはもういいやと思ってたけど、またプラモ衝動買いしちゃったから作る時間が欲しいです。

佐野昌綱(Wikipedia)

 そういうわけで久々の歴史記事ですが、上記の佐野正綱って誰かと聞いてすぐ答えられる奴は多分いないと思います。っていうか自分もほんの30分くらい前に、「なんなんこいつ(;゚Д゚)」とばかりに初めて知ったくらいですし。
 では佐野昌綱とはどんな人物かというと、呂布奉先もびっくりなくらい上杉謙信に対し何度も裏切っておきながらその度に何度も許してもらったというウラギラーです。真面目に同一勢力に対する裏切り回数とその規模で言えば日本屈指かもしれず、それでいて天寿を全うしたのだからかなり半端ない奴です。

 佐野昌綱は北関東の豪族である佐野氏の一族として生まれ、成人後はその当主にもなっています。居城とする唐沢山城は現在の栃木県佐野市にあり、ここは例の佐野ラーメンで有名な佐野市ですが、今日これ以後は私の中だと「ウラギラーの街」として認知されると思います。

 さてこの佐野昌綱ですが、その名が歴史の表舞台に出てくるのは1560年、かの有名な上杉謙信の小田原城攻めの年です。この年、上杉謙信は関東の秩序回復と関東管領上杉氏の再興を掲げて越後から関東地方へと進出しました。この際、関東にいる諸将に対し、「ぼくと契約して、北条家をやっつけようよ」と激を飛ばし、これには佐竹氏を初めとする多くの勢力が馳せ参じ、佐野昌綱もこれに呼応する形で上杉家に恭順します。
 ただ佐野昌綱の上杉家への恭順後、その拠点である唐沢山城は割と立地のいい重要拠点であったことから北条氏から攻撃を受けます。この際に上杉謙信(名前は今回これで統一)は救援に馳せ参じて、佐野昌綱とともに北条方を撃退したそうです(異説あり)。

 ただその後、上杉謙信の小田原城攻めは失敗に終わり、武田信玄との信濃を巡る争いから上杉謙信が越後へ引き返すと、再び北条氏の圧迫が強まったことで佐野昌綱は今度は北条方に恭順します。この時の行動に関しては確かに上杉謙信の去った後、頼るべき相手もいないのだから北条家につくというのもよく理解できる話です。
 しかし、やはり唐沢山城は立地がいいというか要衝であったことから、信濃問題を片づけた謙信が関東に戻ってくるとこの地を奪回するため攻撃を仕掛けてきました。この時は冬の到来と唐沢山城の防御力もあって落城を免れ、佐野昌綱は上杉軍を見事撃退しています。この戦いの翌年も上杉軍は年明け後に唐沢山城を攻め込んでいますが、この時もまた見事撃退して、「上杉軍を二度も撃退した」ということで昌綱の知名度もバリューアップしたそうです。

 しかし相手はあの上杉謙信。二度撃退された後もやはり立地がいいせいか要衝と見られてまた唐沢山城は攻撃を受け、今度ばかりは上手くいかずに落城寸前まで追い込まれます。ここに至って佐野昌綱は再び上杉謙信に降伏し、謙信も昌綱のことを許しています。でもって謙信がまた越後に帰ると、まるでテンプレートの様にまた北条側に寝返りました。
 今度という今度は謙信も本気となってかなりガチで攻め込んできて、何度もある唐沢山城の戦い中でも最大の激戦となったそうです。追い込まれた昌綱は仲介者を通してまたも謙信に降伏し、謙信が越後に帰った後にまたも北条側に寝返っています。ただこの時の激戦に懲りたせいか、この次は上杉軍が接近してきただけでまたすぐ降伏し、さすがに謙信も昌綱にいろいろ懲りたのかこの時になってようやく人質を取るに至っています。人質は効果があったようで、昌綱もその後は上杉家に臣従を続けました。2年間だけだけど。

 2年後、昌綱が裏切った後にび上杉軍は唐沢山城を攻めるも、冬の到来によって一時攻略は中断したものの、インターバルを置いて再び攻め寄せると昌綱はまた謙信に降伏しました。でもって謙信もあっさりと許しちゃってます
 けどその後なんだかんだあってやっぱり昌綱は謙信を裏切って北条側にまた付き、上杉軍ももう何度目ってくらいに立地の良い唐沢山城を攻め込んだものの、またも冬の寒さによって攻略を断念し、その後1574年に佐野昌綱が死ぬまで北条側でい続けたそうです。

 上記の一連の流れは「唐沢山城の戦い」にまとめられていますが、一読して感じたのは「謙信いい人過ぎない?」っていうことと、「こんなS級ウラギラーがまだ日本に潜んでいたのか(゚Д゚;)」という感想でした。前述の通り、「謙信に攻め込まれる→降伏する→謙信が帰る→裏切る」をテンプレートの如く延々と繰り返しており、自分だったら途中で一族根絶やしにしても飽き足りないくらい怒り狂って処分したでしょう。伊達政宗あたりなら1回目の裏切りの時点でそれやってただろうし。
 まぁこの辺は関東の独特の価値観というか他の豪族に対し寛容さなどを見せる外交的配慮もあったのだと思いますが、それにしても何度となく裏切り、何度となく上杉軍を撃退しているあたりはさすがなものです。そういう意味では「日本の呂布奉先」と言ってもいいくらいな人物で、こんな面白い奴がいたことを今まで知らなかったのが恥ずかしいとともに、まだまだ探せばこういう人物に巡り合えるものだと妙に今興奮しています(;゚∀゚)=3ハァハァ

2020年10月8日木曜日

中国のある団地の立地の良いマンションの末路

 先日ある知人から聞いた話です。
 中国では団地のことを「小区」と呼びますが、実際に一か所の土地に十棟以上のマンションを集中して建築した上に周りを塀で囲い、敷地内外を結ぶ出入り口に警備員を置くなどすることが一般的であり、団地そのものが一つのエリアとして成り立っています。ただそれこそ土地に目いっぱい建物を建てようとすることから、棟によっては日当たりがよくなかったり、出入り口からやたら離れていたりなどとそれなりに差があります。それだけに、条件のいいマンションは他のマンションに比べ高値で取引されます。

 友人から聞いた小区もまさにそんな感じで、完成時に何棟もあるマンションが一斉に分譲へ出されたそうです。そこでもやはり日当たりや方角などの面でいい悪いがはっきりしていて、確か東側の一番端にあるマンションが最高値を付けたそうなのですが、分譲から数年経った後、転売価格が一番安くなっているのもそのマンションだそうです。

 最高値が何故最安値へと変貌したのか。理由は部屋を購入した層にありました。

 そのマンションは区画内で最も人気であったことから、投資目的で購入する人が多かったそうです。無論、これら購入者は投資目的で購入したのであり自分たちは既に別の家を持っているためそのマンションには済まず、値段が上がって転売するまでの間は賃貸へと出していました。こうしたオーナーがそのマンションには多かったことから、他のマンションと違ってそこだけ賃貸入居者の比率が高くなったそうです。
 やはり自分の家に住んでいる人と、賃貸入居者では住宅に対する意識が違います。特に中国にはリアルにバーバリアンみたいな入居者も少なくないだけに、その最高値だったマンションは共有設備部分が荒れに荒れ、また住んでいる人同士で諍いも絶えなかったりするなど、同じ区画の他のマンションと比べて明らかに環境で劣ることとなったわけです。その結果、値段も他のマンションよりも落ちていったというオチでした。

 この話はなかなか興味深いというか日本でもありうるなと自分は感じました。初めから賃貸用のマンションとして作られているならともかく、持ち家用として作られたものの投資目的で購入する層が多かった場合は賃貸入居者が多くなり、入居者によっては荒れる一因となります。そもそも投資・転売目的で購入するオーナーであれば建物の修理や保善に対する意識はあまり高いとは言えず、そうした方面の計画や話し合いについても非積極的となりうる可能性もあり、賃貸入居者に至ってはそんな意識なんて初めからゼロです。

 そういう意味では全部が全部というわけではありませんが、その建物の入居者やオーナーの構成は団地においてはかなり重要であるということと、投資目的で買われることが多いマンションには要注意であるように思います。自分のような賃貸入居者にとっても、流れ者が多く住むマンションというのはやはり気を付けた方がよさそうです。

2020年10月7日水曜日

リアルタイムで見たFF7

 先日友人とFF7ことファイナルファンタジー7の話題になった際、「未だにFFヒロインでティファとエアリスのどっちが上かいっつも槍玉に上がってくる辺り、FFシリーズ史上最高傑作と言われるだけの影響力を持ってるよね」という話をしました。知っての通りこのFF7は先にPS4でリメイク版が出され、好評だったうえにセールス的にも上々だったと聞きます。20年以上前の作品のリメイクでこれほど話題になるというのも、恐らく過去になかったことでしょう。

 このFF7ですが、初代の発売日は小学生の頃にリアルタイムで私は見ていますが、確かに当時はインパクトが絶大でした。それまでの3Dというと初代バーチャファイターの様にカクカクしたものという印象でしたが、FF7ではムービーシーンが非常に滑らかなテクスチャで描かれており、また装備する武器によって画面に映る武器も変わるなど、今となっては当たり前ですが当時としてはあり得ない表現が多彩に詰め込まれていました。

 ただそうした映像表現方面より私個人としては、単純にゲームとしての面白さ、完成度が高かったからこそ現在に続くほどの高い評価を得たのだと考えています。普通にゲームとして遊んでいて楽しく、またストーリーも当時はエヴァンゲリオンの影響で「自己とは何か?」的な内容がやたら流行っていましたが、FF7もこの手のビッグウェーブに上手く乗り切ったストーリーで、時代に歓迎されていました。
 またキャラクターデザインも今から見ても古臭くなく、実際にリメイク版でも衣装などは特に変更されなかったことからも完成度の高さが見て取れます。まぁバレットは蝶野みたくグラサンかけられてましたが。

 ゲームシステム的な面で言えば、マテリアを付けたり外したりすることでまほうやアビリティを変更するというのは単純でよくできたものでした。つくづく思いますが複雑すぎるシステムはゲームにとって基本負荷となり、実際に次作のFF8は「ためなきゃいけないのに使う必要もある」という二律背反で複雑なジャンクションシステムにより、私も含め理解し切れなかったプレイヤーから顰蹙を買いました。あれは絶対小学生とかには理解できないだろうし。
 その顰蹙を買ったFF8の影響により、それまで右肩上がりだった販売本数がFF9では初めて減少に転じたと言われています。実際私もFF9以降はPSPのFF零式を除いて一切遊んだことがなく、私の周りでもFF8でシリーズに見切りをつけた人は少なくありませんでした。

 そうしたFF8との比較もあって、「あの路線を続ければよかった」的にFF7の評価が逆に高まっていったというような感じすらします。実際FF8が出た後も、「エアガイツ」などFF7のキャラクターは他のゲームにもゲスト参加することが多く、キャラクターに対する評価はFF10が出るまでは無双状態でした。まぁ現代ではライトニングさんがいるけど。

 このほか思うことを書くと、まだFF7まではそれ以前のシリーズとつながりがあった気がします。クリスタルこそ出てこないものの、FFらしさというかストーリーや戦闘、遊び方はまだ継続していましたが、それがFF8でぷつんと途切れた感じを当時遊んでて感じました。やや懐古主義的ですが、そういったところが今でもFF7の評価を高めているのだと思います。

2020年10月5日月曜日

F-14のプラモ( ´Д`)=3 フゥ


 というわけでF-14ことトムキャットのプラモを作りました。キットはF-4ファントムの出来が良かったのでまた韓国のアカデミーの物を使いましたが、今回もパーツの整合性が高く、満足できる仕様でした。

全景

羽開き状態

羽閉じ状態

 知ってる人には早いですが、このF-14は状況に合わせて羽が閉じたり開いたりする可変翼機構、要するに変形することで有名です。このキットもその点がきちんと反映されています。

キットだとここまで開く

デカール多くて貼るの辛かった

尾翼部分はとにかくごつい

上からみるとこんなん

左からF-16、F-4、F-14

 作ってみて初めて気が付いたというか、F-14はめちゃめちゃでかいです。上に引かクズから見てもわかるでしょうが、全長もさることながら胴体部とコックピット部の分厚さが桁違いで、ごん太って感じがしました。胴体なんかエアインテークの関係もあり、なんていうか肩幅が分厚い感じがします。

遠近感が崩れる構図

上がSu-35、下がF-14

 これまで散々でかいでかいと思っていたSu-35ことフランカーですが、トムキャットと並べるとそれほどでかさを感じません。むしろ胴体部分の分厚さから、トムキャットの方がごつく感じます。

正面から比較

どっちも凛々しさはすごい

 かねてからトムキャットはその変形構造からプラモキットとしては人気だけれど作るのは難しいと聞いていましたが、実際にそう感じました。変形機構に加えがたいがでかいことから重量面で明らかに他の戦闘機より重く、組立て時やデカール貼り付け時にこの重みで難儀しました。このアカデミーのキットはパーツの整合性が高いことからまだよかったものの、これで整合性も悪かったらきっとかなり苦戦していたと思います。

 っていうか製作している期間、恐らく連休前の仕事の集中で異常に緊張し、連休はいって緊張がほどけたことから風邪をひいて、昨日までの記憶がやや曖昧です。簡単に10月以降の動きをまとめると、

10/1:1日中プラモを組み立てる
10/2:昆山まで合計100㎞を自転車で走り、帰りにまた車に自転車をぶつけられる(無傷)
10/3:風邪と疲労でフラフラなのに友人の段取りが悪くグダグダな昼食、その後記憶がない
10/4:風邪なのに午前中JBpress記事の取材して、午後にプラモのデカール貼る
10/5:午前に友人の買い物に付き合い、午後はずっと寝ていて6時半に目が覚める

 なんか連休だけどあんまりのんびりできていないような気がして、連休のイメージないです。っていうかこのトムキャットを組むのに約1.5日消費しており、他のキットと比べてもやはり段違いな作業量です。あと2日に車にぶつけられた際はぶつけられる箇所を後輪車軸に調整して車体、身体共に無傷だったけど、自分が直進するところを向こうがカーブで衝突までノーブレーキで突っ込んできやがったからやっぱ警察呼んでおけばよかったと後悔しています。

2020年10月3日土曜日

学術会議に関する報道について

 昨日久々に100㎞走ってきて、かつてないくらい濃い色のおしっこが出てくるなど疲労が半端ないです。またそんなときに無駄な騒動持ち込むのもいるし(;´・ω・)


 話は本題に移り、ある意味菅政権にとって判子禁止を除けば初の政治トピックかもしれませんが、上記の学術会議委員の任命問題が大きな話題になっています。例によって他のメディアがきちんとこの問題について論点をまとめ切れていないので私の方からまとめますが、私の結論を先に述べると、「わかって聞いてんのかてめぇら?」といったところです。

 騒動の発端は既に報じられている通り、学術会議が新規会員候補として名簿を出したところ、官邸側では6名の人物に対し任命を拒否しました。この官邸の行為に対し学術会議側は、学問の自由を脅かす行為だと批判した上で、改めてこの6名の人物を任命するよう現在求めています。この6名についてはこれまでに、安保法制や共謀罪に反対する姿勢を示していたと報じられ、こうした過去の行為や思想が煙たがられて任命が拒否されたのではないかと伝えられています。

 ここでまずどこもまだ報じていない最初の疑問点を述べると、今回推薦された前105名中残り99名のうち、安保法制や共謀罪に反対した人間は他にいなかったのかという点です。どちらもアカデミックな連中はほぼ全員、審議中に反対しか口にせず、あの安保法制の具体的な中身についてはビックリするくらい誰も言及していませんでしたが、99人もいりゃ二桁は反対表明や署名に加わった奴がいたんじゃないかなと勘繰っています。
 無論それは個人思想に基づく行動なので別に行為自体を否定するつもりはありませんが、仮に他にもいたとした場合、任命拒否された6人と何が違うのかという話になってきます。この点を考慮すると、やや極論かもしれませんが安保法制や共謀罪は今回あんま関係ないんじゃないかと報道を見た当初に感じました。

 では何故官邸は任命を拒否したのか、否、菅総理は任命を拒否したのか。今回の任命拒否の主導者は、自民党内の一部グループ、特に菅総理本人かそれに近い者たちだと私は見ています。根拠としては就任早々に行われたこと、インタビューに対する菅総理の反応を見ていると確信犯と思しき発言が見受けられるからです。
 無論、前々から気に食わないとみていたのだろうから今に始まるわけじゃないものの、個人的に気になったのは、何故就任早々いきなりこれを打ってきたのかという点です。

 この任命拒否ですが、十中八九アカデミックと国民の反発を食らう決断です。就任して安定軌道に乗ったり、別に大きなニュースがあって打ち消せるというタイミングでもないのにどうしてここでやってきたのか。単純に任命時期が重なっただけかもしれませんが、この点について私は、決断を急ぐ必要があったのではないかと考えています、
 ぶっちゃけて言うと最初は何か金の絡みがあるのではないかと疑いました。無論何も証拠もなく私自身も当たると思っていない憶測ですが、そこまで官邸側が急いで決断したこと、この6人に限定されたことには何かしら背景があるように思えてなりません。

 そこへ出てきたのが中国の千人計画で、学術会議がこの千人計画となにかしら関与があるのではないかという主張がネットでいくつか出ています。ただざっと見たところはっきりとした売国行為は確認されずまだ疑惑段階ですが、仮にそうだとした場合、任命拒否の理由を官邸が言えるわけがありません
 それこそ、「中国に技術を流している売国奴だから任命を拒否した」とはっきり説明してしまったら、中国側が反発することは確実です。お互い事実関係をわかってはいても、口に出してはならない内容というのは国際社会ではアリアリです。その上で、学術会議側に対しては「わかってて聞いてんのか?」と私は思ったわけです。

 ただ何度も繰り返すように、千人計画との関与で噂段階であり真偽ははっきりしません。しかし仮にこれに準じるような理由だった場合。政府がそのまま説明することは外交を始め多方面で不利になります。敢えて落とすならば、「諸事情を勘案して……」と説明した上で、どっかのマスコミに「実はこうだった!」的に情報を流すくらいが関の山でしょう。こうした理由から、恐らく今後も政府は公式に任命拒否理由を明かすことはないと思います。

 その上で、一部報道でも出ている通り「そもそも学術会議って何なの?」という問いに対し、学術会議側も説明を行う必要があると思います。政治マニアを勝手に気取っている私ですが、この団体については今回の一件で初めてその存在を知りました。少なくともこの団体がどんな提言をして、政策や方針に影響を及ぼしたかなんて話は全く見たことがありません。
 税金で運営されていることを考えると、彼ら自身も任命拒否理由を官邸に問うだけでなく、自分たちがどうして存在していて、どんな活動や提言や成果を持っているのか、その辺はっきりさせる必要があります。Wikipediaでも、

「日本学術会議には毎年約10億円の予算があてられているが、2008年(平成20年)度で日本学術会議が出した提言等の本数は69本であり、2008年は1本の提言等に当たり平均552万円かかっている計算となる。」

 と書かれています。もっとも、552万円が相場的に高いか低いかも私じゃわかんないですが(;´・ω・)

 さらにぶっちゃけた推測を述べると、今回の動きから見て、またメディアの報道を見ていて、恐らく官邸は任命拒否した6人だけでなく、学術会議自体を廃止、または縮小させたい意向にあるのではないかと見えます。まぁシンクタンクとして機能していないなら当然のことですけど。

 最後に、この学術会議に関する報道を見ている限りだと、時事通信と毎日新聞がやたら記事本数で突出しています。この辺、どこがたくさん報じているかを見ているといろいろ背景が探れるかもしれません。

2020年10月1日木曜日

中国における日本の果物の活況

 先日近くの八百屋にバナナ買いに行ったところ、「秋月梨」と日本語のシールが貼られた梨が店頭に並んでいました。原産地ははっきりわからないものの、恐らく「あきづき」品種の日本から輸入された梨だと思われます。では何故この梨が上海の八百屋に並んでいるのかというと、恐らく中秋の名月のシーズンというのもあると考えています。
 というのもかつて香港で記者していた時に取材した大分県日田市の方が、中国では中秋節に月餅など丸いものを月に見立てて食べることから、地元原産の大きな梨をこれまた名月に見立てて台湾などで売り込みをかけ、ある程度認知されるのに成功したという話を聞きました。当時は香港で売り込んでいましたが回り回って上海でもこうしたマーケティングが功を奏したのか、こうして私の目の前に日本の梨が並んだようです。

 何気に最近、上海市内で日本語ラベルの果物を見かけることが多いです。代表格はブドウの社員マスカットで、8月ごろからどのスーパーや八百屋に行っても並んでいる有様で、中国語で評判をネットで見てみても「本当に上手い、でも値段もっとどうにかならない( ;∀;)<タカイ」みたいな感じで、意外と各地で受け入れられているようです。
 実際にと言っては何ですが、果物というのはおいしい品種を一度でも食べてしまうと、もうそれより味の落ちる別品種は食べづらくなるというえぐさがあると前から思っています。米とか肉はそうではないものの何故果物だけこうした特徴を持つのかですが、さっき1日中プラモ作ってへとへとのまま外食した帰り道で考えたところ、他の食べ物と違って調味料をほぼ全く付けずに果物は食べられることから、味が上位品種基準で固定されやすいのではないかと思います。それこそ米や肉は多少質が悪くとも、調味料でいくらでもごまかせるし。

 そうした上海の日本産果物の状況を社員マスカットを中心にJBpressでも報じようかなと前に考えたことがありましたが、社員マスカットは今品種流出問題でやや揉めており、また中国の店頭で並ぶ社員マスカットが本当に日本原産で輸入されたものか確認がし辛く、下手に書くと火傷すると思って結局は見送りました。
 たださっきにも書いた通り、果物というのは一度おいしいもの食べるともうそれ以外食べられなくなるという傾向を持つだけに、日本が売り込むチャンスはかなり大きいと前から思っています。この辺、米国産オレンジ輸入解禁後、日本国産みかんの消費量がかえって増加したという話と絡めると結構面白いのですが、ガチで書くとしたら結構慎重に取り扱うべき内容も多いだけに、こうしてブログで書くにとどめておきます。

 それにしても、真夏の激務が祟ったのか本当に体力が落ちている。これで明日また100㎞自転車で走れるのだろうか。