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2022年9月26日月曜日

ベッドマットレス交換


 上の画像は昨夜撮影した、自分の部屋のベッドマットレスの写真です。見ての通り、縁のところから綿がはみ出る有様で、その他の箇所も使い古していたことからそこそこボロボロになってました。少なくとも自分が入居してからだけでも6年が経過していることもあり、知人によると店子が大家にマットレス交換を申し出るのは中国では珍しくないというので、上の写真とともに大家に「交換してくれるなら半額自分が出すけど」とWeChatで送ったところ、返事はありませんでした。
 まぁ大家はそこそこ年齢が高く、WeChatも若者ほどには細かくチェックしないので、しばらくしたら返事来るだろうと考え、今朝はさほど気にせず会社に行きました。そしたら今日の午前中に大家から、「新しいマットレス買って交換しておいたから(・ω・)ノ」という事後報告が送られてきました。値段聞いたら980元(約2万円)だったので、約束通り490元(約1万円)をすぐまたWeChatで送金しました。

 その後、さほど忙しくなかったので午後は半休を取り、お昼の1時くらいに自宅へ帰って、早速交換されたマットレスを確認しました。その場で大家とも話したところ、昨夜の自分のメッセージを見て今朝寝具屋に行ったところ、ちょうど在庫があってすぐ持ってこれるとのことだったので購入を即決したそうです。こういうところ、中国人って妙に決断と行動が早いと感じます。
 新しいマットレスは既に部屋に運び込まれ、古いマットレスと入れ替わる形でベッドの上に設置されていました。この時、実は心配だったのがベッドわきの床几にあるプラモデルで、でかくで思い(セミダブル)なだけに、設置する際に叩き壊したりしていないかとはらはらしていました。 


 案の定というか、ユーロファイターのカナード(前翼)が折れた状態で、それとなく安置されていました。あとスミスキーも普段座っているのに、なんか寝っ転がってました。ただ被害はこれだけで、前翼もすぐ接着できる程度だからこの程度で済んだだけマシというべきでしょうが。

 なおこの後はまたプラモ屋行って新しいキットを買うと、そのまま極楽湯に行って風呂入って、ニンテンドースイッチで遊んでました。いい年こいてやる行動かと疑いつつも、なんか妙に楽し気な1日でした。

いい漢字

実は外来語だった「反面教師」という言葉、生み出したのは誰もが知るあの人物(JBpress)

 今日いろいろあったせいか今日配信だったという事実をすっかり忘れていたのがこの記事です。

 この記事を書いた頃、先月までも忙しさが一気に止んで気分的にやや高揚気味だったのと、土日共に知人に会うためあんま時間がなく、なんかあまり記事書きたくないなぁ、すぐ終わる記事ないかなぁとサボる気満々な状態でした。
 そんな状態でこのところ呼んでいる「如果歴史是一群猫」という猫歴史漫画を読んでいたところ、記事にも取り上げている「尊王攘夷」の成り立ちというか出典が中国にあったことを知り、ちょうどいいやとばかりに中国発祥だと思われていない漢字をまとめて手早く記事一本仕上げることとしました。書き上げた後、恐らくあまりアクセスは稼げないだろうけど比較文化的にはまぁまぁ面白くはまとめられたかなという気はしました。

 案の定というかJBpress内のランキングを見る限りそこまでアクセスはよくないものの、ヤフコメを見ると割とこっちではかなりガチな外来語議論がされており、我が記事へのコメントながら結構見入ってしまいました。若干年寄りが多い気がしますが、私同様に漢字単語が減って変な横文字が増えていることを憂えている人が多く、この手のコメントを見れただけでも書いた甲斐はあったかなと思えます。
 なおそのコメントの中で、「コンピューター=電脳」という中国語の訳し方の見事さを誉めるコメントがありますが、これは本当に同感です。

 やはり中国で暮らしていることもあるためか、日本人が「こんなのカタカナじゃないと表現無理」っていう単語も中国が漢字に直しているのを見て、日本人は中身より外側を重視して取り込むようになってきているのではという懸念をよく持ちます。ちゃんと考えて選べば漢字で作れそうな単語すら作らないし、また「ひきこもり」を「とじこもり」に言い換えるという妙な言葉遊びまで始めており、真面目に国語教育を国全体で考えるべき時期にあるとすら思っています。

 まぁこう言いながら、漢字の書き取りとかの点数ずっと低かったけど……。

2022年9月25日日曜日

光秀は激怒した

光秀は激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の信長様を除かなければならぬと決意した。
光秀には茶道がわからぬ。
光秀は、純朴な戦国武将である。
丹波を平定し、鉄砲を撃ち暮して来た。
けれどもキンカン頭に関することに対しては、人一倍に敏感であった。

 なんかまた突然浮かんできたのでメモっておきます。このシリーズ、作ろうと思えばいくらでも作れるな。

 また関係ないけどダイソーの窓用おそうじシート使ったらびっくりするくらい手軽に窓綺麗になりました。さすがに窓用洗剤使った程にはならなかったけど、濡れ雑巾で前拭きした後に使ったら水滴痕が残らないくらいにはきれいになり、手軽さを相まってかなり満足です(/・ω・)/

パンターG型後期のプラモ


 このところ戦車のプラモばかり作っており、今回もドイツの5号戦車ことパンターG型後期です。


 処す愛はWikipediaを見てもらう方が早いですが、二次大戦中にドイツ軍が生産した中戦車(実質的には重戦車)で、先に登場してこっぴどくやられたソ連のT-34への対抗を主目的として開発された戦車です。


 その特徴はT-34同様に前面に傾斜装甲を置き、またT-34の堅牢な装甲をぶち破るためにかなりでかい砲を備え付けられ、尚且つ一定の機動性こと速力も要求されました。ぶっちゃけ全取り的なコンセプトで作られています。


 なかなか高い要求であったものの開発部は見事にその要求に応え、結果的には量産性を含む総合バランスで二次大戦中でドイツ軍の中では最優秀な戦車という評価を得ています。どちらかといえば戦った相手としてはその宿敵T-34というより、西ヨーロッパ戦線における米軍のシャーマン戦車の方が多かったとされ、両者はよくライバル扱いされています。


 今回作ったのはタミヤのパンターG型後期のキットです。何故かパンターは最初に生産されたタイプがD型と呼ばれ、後半期がG型とややこしい言われ方をしています。中でもこの後期型は実質的に量産された中では最終形態であり(試作ではまだアップグレードあり)、米軍にかなり恐れられた機体だそうです。

 もともと、そうした高い評価もされていることからドイツの戦車の中ではかねてから一番作ってみたい戦車でした。単純な戦闘能力ではティーガー戦車の方が上ですが、量産性とバランス性ではパンターの方が上であると衆目一致しており、そうした器用貧乏というかバランスのいい形態が好きな自分としてはパンターの方が興味ありました。
 そんなわけで作ってみたのですが、正直言って完成時の感動はあまりありませんでした。完成後に頭痛起こして吐き気を催していたのもありますが、出来上がってみると砲塔を含め、全体的に角ばったデザインをしており、最初見た時は「弁当箱」という言葉が浮かびました。米国やソ連の戦車と比べると、ドイツの戦車はどれも生産体制のためかやたら角張っており、なんかこれが自分の戦車観というか趣味と合わない感覚をはっきり覚えました。車だと角張っている方が好きなのですが。

 なお以前に作った4号突撃戦車も最初は同じように四角い形から違和感を覚えましたが、見慣れてくるとかわいく思えるようになり、今の自分の中では「T-34>シャーマン>よんとつ>パンター」という順番ですが、よんとつは今後シャーマンを抜くのではないかという気がします。


 例によって今回のキットには兵士人形もついていたのですが、上の人形には双眼鏡もつけられていたものも、なんかつける気起きなくてパントマイムしてるような格好になりました。


 こちらの人形も本当は戦車の上に載せるのですが、何故か友人からもらった超感じのいい柿の実の陶器の上に載せて、メルヘンな感じを出させています。

2022年9月24日土曜日

自分の職業病

 今日は涼しいながら天気も良く、特に用事もなかったので普段掃除しない細かい隙間なども雑巾で誇りを取っていたのですが、雑巾で何度もこすっている際に何故か違和感があり、掃除を終えた後で手首がやたら痛くなりました。恐らく、手首を返して磨く動作が負担かかったのでしょうが、それ以前に先月あたりずっとパソコンに向かってキーボード叩き続けていたため、手首の筋肉が変な風に固まってしまったのもあるかと思います。
 今回に限らず、先月の激務から左手の親指と人差し指の間もずっと鈍い痛みがあり、最近になってようやく引きました。これは前にも書きましたがキーボードを叩く際に左手親指を常にスペースキーの上に固定する一方、他の指は常にキーボードを叩くという動作が負担となり、筋肉が痛んだのだと思います。マジでここ2ヶ月くらいずっと痛かった

 上記の通り現在の仕事は忙しさにもよりますが、基本キーボードを叩き続けて文章を書く仕事なため、時たまこういう風に妙な職業病を起こします。なおそれくらいキーボードを叩くこともあってしょっちゅうキーボードを壊しては買い換えています。あとノートパソコンであろうが、外付けキーボードを常に使っています。

 一方、記者時代は職業病というわけではありませんが、右手人差し指の関節の片側に常にペンだこができていました。当時、記事は手書きなんてせずに同じくパソコンで書いていましたが、取材時なんかはボールペンで聞いた内容をともかくメモし続けていたこともあり、こうしたペンだこが常にできていました。
 よくドラマとかでペンだこがあるかないかで記者だと見破るシーンがありますが、まさか自分にもこういうペンだこができるとはなどと当時思っていました。そうした記者としての仕事を離れた今、ペンだこはいつしかなくなりすらっとした人差し指に戻っていますが、これを見るたびにあの頃は記者だったんだなぁなどと思い出したりします。

2022年9月21日水曜日

中国人のウクライナ戦争に対する見方

 今朝五時半ごろ、1階の住人が何を思ったのか外で鍋を打ち鳴らし始め、上の階の住人が「うるせぇ!」と叫ぶと、「何がうるせぇだ!」と言い返したりするなどカオスでした。おかげでやや寝不足です。

 話は本題ですが、ほぼウクライナの戦略的勝利が決まった状況ではありますが、ウクライナとロシアの今回の戦争は未だ続いています。数年続くという予想も出ていましたが、ロシア軍のあまりの脆弱さとウクライナの戦術の上手さからこのところ戦線が動き続けており、早ければ年内、遅くとも来年中には完全決着するとみてもう間違いないと思います。
 個人的な素人意見を述べると、ロシア側はシリア人傭兵部隊を投入したなどといろいろ言われていますが、中東出身の兵隊がウクライナのこれから来る冬に堪えられるのかが気になっています。仮にこうした傭兵部隊が前線で重きをなしていた場合、冬の到来とともにまた劇的な変動が起こりうる可能性があるでしょう。

 さてそんなウクライナ戦争に対して日本人は、鈴木宗男や橋下弁護士などごく一部の変わった嗜好をする人を除けば、首尾一貫してウクライナを応援し、ロシアに対し批判的な見方を持ち続けています。この辺りは日本も長期にわたりロシアとの間で北方領土問題を抱えていることもありますが、それ以上の終戦間際の横紙破り、そしてシベリア抑留などの歴史を経験していることから、ロシアに対する反感がかねてから強かったことが大きいでしょう。
 やや差別的な言い方となるかもしれませんが、もしこれがアフリカにおける国同士の侵略戦争で、今回のロシアのような捕虜虐待や虐殺が行われていたとしても、恐らく日本人は歯牙にもかけないし、虐殺行為を今回ほど批判することもないのではと思います。やはり侵略者がロシアだったからこそ、今回の戦争に対する反感がはっきりと世論に出るに至ったのでしょう。

 ではそんなロシアのお友達、というかロシアがかなり依存してきている中国にいる人はどうなのか。本当はこの辺、JBpressに載せようかとも考えたのですが、主観の強い見方となるためこのブログで書くことにしました。結論から言うと、日本人がかつてのベトナム戦争当時における米国に対する見方が、今の中国のロシアに対する見方に近いのではないかという気がします。

 中国はその立場から、国内でのウクライナ戦争は日本でも報じられている通りロシア寄りの報道がなされ、虐殺などについても敢えて触れないようにされています。あくまで、ロシアとウクライナの間で起こっている大規模な紛争といったトーンで報じており、日本や欧米と比べるとロシアへの批判はほぼ皆無と言っていいでしょう。
 そうした報道もあってか、大半の中国人はこの戦争においてロシア寄りな見方をしています。ウクライナに対して憎いとかそういうのはなく、単純に「ロシアはお友達だし勝ってほしい」的なスタンスで応援しているように見えます。少なくとも「原発攻撃や虐待を繰り返す卑怯な野蛮人のロシア」といった日本人の見方はまるで存在しません。

 とはいえ、虐殺などの報道は完全に封じ込められているわけではなく、ウクライナ側の発表や王エビの報道を引用する形で中国でも報じられることはあります。もっとも、その手の報道の際には「ウクライナ軍もロシア兵捕虜を虐殺している」というロシア側の発表も必ずセットでつけられるのですが。
 何気にちょっと自分もビビったのですが、百度で「ロシア 虐殺」と検索すると、まさに上記の様にロシア兵がウクライナによって虐殺されたニュースしか検索で出てきませんでした。もっとも海外メディアの報道を見ている中国人などは、ロシアの蛮行をちゃんと把握している人も多いですが。

 ただ全体としてみると、私個人の所感で見た場合に中国人はこの戦争について、「ロシアとかが現地で虐殺しているらしいけど、それは戦争でよくある出来事」的に、全く大事だと捉えていないように見えます。その上で先にも書いた通り、心情的に、また米国への対抗意識から、中国としては戦況は今良くないにしてもロシアにこの戦争を勝ってもらいたいという感情を持っているように見えます。

 敢えて比較するなら、冒頭にも書いた日本人の「ベトナム戦争における米国」に対する見方に近いのではないかという気がします。もっとも当時、日本国内にも米国に戦争反対を掲げる層は多かったですが、「虐殺とか現地でやってるらしいけど一応同盟国だし、勝つなら勝ってほしい」的な見方であれば、この時代のベトナム戦争に対する見解に近いように思えます。そういう意味では、現在のロシアに対する日中の見方の違いは、同盟国かそうでないかが大きく影響していると言えるかもしれません。

 やはり自分も日本人であることから、ロシアに対する反感は正直強いです。だからこそというわけではないですが、最近のロシアに対する中国の距離の近さには、逆に中国が心配に思えてきます。
 図らずも、今回の戦争でロシア軍の化けの皮がはがれるとともに、ロシアに兵器を大きく依存している中国の解放軍も、その実力に疑念を持たれるきっかけとなりました。そうした単純な軍事力だけでなく、頼れる相手がウクライナにも勝てないロシアしかいないという中国の現況もさることながら、約束破りの常習犯ともいうべきこの国を頼ることについて、中国は危ないと思わないのか、見ていてこっちがはらはらします。

 この点、マジで周りの中国人に私は、「あいつら平気で後ろから鉄砲撃ってくるよ(´・ω・`)」と、ガチで中国人の知り合いに警告しています。なんか無条件にロシアを信用し過ぎているように見えてならず、中国がどっかでロシアに寝首かかれないか心配です。逆を言えば、結構中国の外交というか外交官の間で怜悧な合理性を失いつつあるようにも見え、その点では日本にとって追い風かもしれません。

2022年9月19日月曜日

日本に期待しなくなった現在

 今日のソフトバンク対オリックスの試合はまさに首位決戦、天王山に相応しいシーソーゲームで、10回サヨナラでのオリックス勝利という結果で終わりました。仕事中、両者の点が動くたびにちらほら詳細追っていましたが、これで両チームはゲーム差なしとなり、やばいくらいパリーグ盛り上がっています。っていうか本当に吉田正尚選手はスランプがないな(;´・ω・)

 さて最近こういう野球とかプラモの記事ばっかで全然政治に関する記事を書いていませんが、理由としては書けるような政治インシデントが全くないのが本音です。この前の選挙と安倍元総理の襲撃事件はまだ分析のし甲斐があったけど、それ以外は国葬とかあまりにもグダグダで、話題にする気すらあまり起きません。しいて言えば、国葬と統一教会だけでここまで支持率落とすことができる岸田総理は一種の才能だとすら思います。なんていうかわざとドツボにハマる選択肢を的確に選んでいるような。

 このブログを始めた当初は、まだ政策とかに関して提言めいた話とか自分の主張をよく載せていましたが、最近だとそういう記事はほとんどありません。理由は上記の通り話題のきっかけになるインシデントが発生しないこともありますが、私自身がもはや日本に対してあまり期待しなくなったというか、無理して日本は良くならなくてもいいよ的な価値観を持つようになったことも影響しています。

 既に中国で勤務して長く、また私の場合は日系企業ではどこも持て余し、自分の才能をほとんど活用できず食いつぶされてきたという実感があり、外資系にて初めてまともに活躍できる場を与えてもらったという感覚を持っており、周囲も同じような評価をしてくれています。そういう意味では正直に言って、日本社会そのものにやや嫌悪感を抱いており、たまに書くけど一回死ぬような痛い目見て現実みろ的な思いもなくはないです。
 また政策に関しても、派遣社員のマージン率などそこそこ有用な情報を自分でまとめて提供したりしてきましたが、それに対してほぼ無反応というか誰も活用しなかったことなどを振り返ると、どれだけ自分が頑張っても無駄なんだなというあきらめを持つようになってきました。少なくとも、自分の提言やデータを活用できるような層は今の日本にはないし、期待する方がかえって日本人の反感を買うだろうとすら主に至っています。

 こうした諸々の事情から政治や社会に関する主張はほとんどやる気が起きず、このところは中国のびっくりドッキリ的な話を紹介することの方が価値があるとすら考えています。まぁ歴史に関してはまだまだ書きますが。
 一応、物書きとしてある程度実績つけたし、コラム連載の場ももらえていることから現状に満足感があり、求められるならば自分のできる範囲で物を語りはしますが、積極的に世の中に訴えるようなことはもう今後もやらないと思います。少なくとも、日本で何か変わるきっかけみたいなものがない限りは、合理的に考えてそういうことするだけ無駄でしょう。

 このような目で改めて見ると、このままだと日本が大変なことになる、世の中変えなきゃと言っている人ほど、日本の変化を阻害している連中にすら見えてきます。なんでそう見えるのかというと、それらの主張に驚くほど中身が備わっておらず、「改革」とか「危機」という単語ばかりを並べ立てているからです。あるいは昔の自分もその類だったのかもしれず、現在の境地に至ったのはまだ発展があったからかもという風に自分で見ています。