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2024年11月8日金曜日

中国人の映画離れの原因は何なのか?

中国の若者はもう映画を観に行かないのか?(THR Japan)

 先日書いた記事で私は、中国人の同僚から最近中国人はあまり映画を見なくなったという話を聞いたことを書きました。この週末でも実際のところどうなのかと調べてみようと思った矢先、上記リンク先にある原文は英語の、恐らく米国発の記事でその詳しい実態が紹介されてました。
 その内容によると、今年これまでの中国における映画興行収入は前年比で22%減と大幅ダウンしており、さらにコロナ前のピーク時に当たる2019年比では38%減にもなっていたそうです。この数値一つだけとっても中国人が最近映画を見なくなったと言い切ることができるでしょう。

 この背景について記事では、長引く不況によって若者が失業するなどして所得が減り映画を見に行く機会が減った、中国当局による作品の検閲を主な理由として挙げています。また投資として見ても最近の不振ぶりから、二番目の検閲もあって中国国内制作のヒット作が不足しており、エイリアンとかクリーチャー系ばかり売れていることが書かれてあります。

 上記の分析については私も特に異議はなく、要因としては確かに入ってくると思います。もっとも中国当局の検閲に関しては想像されているよりかは緩いという風にも思っており、以前にも書きましたが「非科学的なもの」が検閲対象だと言われていますが、実際のところは「中国共産党批判があるかないか」が検閲のポイントで、先ほどのエイリアンとかも「宇宙人」というカテゴリーに入れるなら全く問題なく通してくれます。ポケモンとかもどうも宇宙人カテゴリーで通してるらしいし、宇宙人便利すぎ。

 その上で恐らく普通の人が指摘しない中国人の映画離れ理由を敢えて私の方から挙げると、一番大きいものとしてTikTokなどのネットでのショート動画の隆盛だと思います。またショート動画に限らず、中国人も映画を自宅でネット配信で見ることが増えており、映画館まで足を運ばなくなってきています。これは日本でも同じ傾向だと聞きますが、中国の方がその程度はさらに激しいとすら感じます。
 上記原因は比較的はっきりと関連性があると言い切れるまともな原因ですが、さらに敢えてほかの人間は指摘しないだろうけど、見えないところでじわじわと中国人を映画から遠ざけている背景理由として、海賊版DVDの摘発も大きいのではないかと私は睨んでいます。

 大体2018年くらいだったと思いますが、上海で国際映画祭が開かれるのに合わせて市内の海賊版DVD屋が一斉に摘発されました。当時は国際映画祭が終わればまた再開するだろうと思っていたのですが、その後も摘発は続き、当時摘発されて建物ごと破壊された海賊版DVD屋は今でもがれきがそのまま残されたままとなっており、その他の店も完全になくなっています。
 ネットでの海賊版配信は恐らくまだあるのではないかと思いますが、少なくともDVD形態の海賊版は今や中国から、地方都市ならまだあるかもしれないけど、大都市においてはもはや絶滅した状態にあります。かつては中国土産として一番重宝されていた海賊版DVDでしたが、叩き潰されるのは本当に一瞬でした。

 その海賊版ですがもちろん版権者からしたら噴飯物な行為だったでしょうけど、こと映画ファンの開拓という意味では見えないところで大きな役割を果たしていた気がします。最新作はまだしも、旧作品などはネットで意識して検索しなければまず目にかかることはないのに対し、DVDであれば棚にあれば目に入り、手に取り、視聴する機会も得られたでしょう。
 特にマーブル映画をはじめとする続き物では、前作を見ているかどうかが非常に重要となります。そうした草の根的な映画ファンや、旧作の開拓という点で海賊版は違法行為ではあるものの、映画産業全体で見たらファン層開拓という下支え的な役割を果たしていたと私は考えています。

 この点について実際に昔取材したバンダイとかソニーの人も、海賊版の動画やゲームについてソフトウェア部門ほど意外と寛容的な姿勢で、「無料で見られるからこそファンも作品に触れ、その後プラモや続編作品を買ってくれるようになる」と話していました。そのためバンダイなんかは、日本国内では無料配信しないガンダムのアニメを、中国ではあえて無料配信したりしていました。

 映画に関しても、というよりコンテンツ作品故にその入り口を開けるという点でも海賊版は意外と重要だったという気がします。もしそうだとしたら非常に皮肉ですが、海外の映画業界が散々批判してきた中国の海賊版がいざ実際に取り締まられるや、逆に彼らの食い扶持を減らすこととなってしまったのが今の状態かもしれません。

 無論、私は海賊版の氾濫を支持する立場ではないし、コンテンツに対してはやはりお金を払うべきだとも常々考えていますが、映画のように消費者に見る習慣をつけさせることが大事なコンテンツ作品においては、身を切るような感じでコンテンツをどこまで無料で開放するかが意外に重要だとも考えています。
 この点、漫画なんかは最近だとウェブで3話くらいまでは無料公開することが当たり前のようになっており、私もその姿勢が正しいと考えています。映画も難しいでしょうが、旧作に関しては画質を落としたバージョンとかでもっと無料で公開するのも手かもしれません。

 そういうわけで週末となる明日には、また朝から映画見に行く予定です。そろそろ受け付けのおばちゃんに顔覚えられてきたかもしれない。

2024年11月6日水曜日

ターゲット層をどんどん狭める現代のマーケティング


 先日書いたこちらの記事へのコメントで、アニメ監督の押井守氏の「100万人が観るより、1万人が100回観る」という言葉が引用され、今後の映画はターゲット層がますますニッチ化されていくのではという指摘を受けました。この指摘ですが私も感ずるところがあり、改めて考えてみると映画に限らず近年のマーケティングはあらゆるものがニッチ化、つまりターゲット層をどんどん狭めている傾向があるのではと思うに至りました。

 一例を挙げると映画のトム・ホランド版スパイダーマンの「ノーウェイホーム」なんか、確かに大ヒットした映画ではあったものの、過去のトビー版、アンドリュー版のスパイダーマンを見ていないとアンドリューが何度も「You are amazing!」と連呼される意味が分からないなど、楽しみが半減するような構成となっていました。いわば過去作を見ていない人はお断り的な内容となっており、この一手だけでもターゲット層はかなり狭められています。
 まぁ過去作見ている人はめちゃ楽しめるんだけど。

 この「新規お断り」的な映画はスパイダーマンに限らず、アベンジャーズを筆頭にマーブル映画で非常に顕著です。ただマーブル映画以外でもターゲット層が狭められている、というか極端に狭いと感じる作品は他にも多く、例えば日本でも時代劇を一つとってみても、かつてであればそこまでターゲット層は狭くなく、「時代劇ファン」向けに作られていたように思えます。
 しかし現在、あくまで私の目から見てですが時代劇作品でも男性向けか女性向けか、若者向けか高齢者向けか、歴史ガチ勢かニワカ勢向けかなど、かなり細かくターゲッティングが施され、対象外の層だとあまり楽しめない内容の作品が増えている気がします。これは大河ドラマでも顕著で、男性向けか女性向けかで作品のターゲット層をバッサリ分ける傾向がここ数年はっきりしているように思えます。

 アニメに関してはもはや言うまでもありません。オリジナル作品ならまだしも、原作付き作品ならこのところは原作ファン向けに作られることが多く、原作未読勢を振り落とすかのような作品も出てきている気がします。まぁ原作クラッシャー作品で、原作ファンも未読ファンも振り落とす厄介な作品もあるっちゃあリますが。

 工業製品においても、一例を挙げるとトヨタの「C-HR」という車がいい例だと思います。この車はかなり尖ったデザインしていて発売当初は売れ行きも良かったものの、3年目くらいでパタッと販売が停滞したそうです。背景原因としては「刺さる人には刺さる」デザインなため、欲しがる人は初年度にみんな買うものの、それ以外の人は一向に欲しがることもなく、販売が一巡したらそれで仕舞いになってしまったと言われていました。
 この「C-HR」に限らず近年のトヨタ車は尖ったデザインが増えており、かつての「誰からも好かれないが誰からも嫌われない」といった、ターゲットレンジを幅広くとる戦略の車を逆に見なくなりました。もっとも私自身、当時の無個性なトヨタ車のデザインを批判しており、もっとターゲッティングを狭めるべきだと車に限らず主張していた側なので、偉そうなことは言えません。

 話を本題に戻すとやはり各人の嗜好が多様化していることもあり、ビジネスにおけるターゲッティングも「100人に100円払わせるより1人に10000円を払わせる」といった方針が採用されやすくなっている気がします。その結果として、老若男女を問わず万人に受け入れられる商品やサービスが減ってきて、以前の「コミュ障は何故増えているのか?」の記事で書いたように、余計に共有体験を互いに持つことがなくなり、エンタメの孤独化というか孤立化、そして嗜好の多様化をさらに促進させているのではないかとも思えてきました。

 こうした動きはそれぞれにより突き刺さる作品やサービスの発掘にもつながるため一概に悪いと言い切れるものではないでしょうが、その一方で万人受け(マス)を目指す思考がどんどん薄れ、長い目で見るとエンタメなんかだと市場規模を縮小させる可能性もあるような気がします。工業製品においても、一応iPhoneなどアップル製品がまさに万人向け製品でしょうが、こうしたものが一つ二つあることで規格というものができ、社会全体の原価低減にもつながるため、分化し過ぎるとやっぱマイナスが大きくなる気がします。

 またマス向け作品だからといって「刺さる人がいない」とは限らず、マス向けでありながらすぐれた作品もある、というか本当に優れた作品はマスに受け容れられるものだと思います。漫画の「スパイファミリー」なんか、最初読んだ時にはっきりと「今時こんな老若男女問わず読める作品があるのか」と感心しましたが、ターゲット層が広いことで得られる優位もあるだけに、マーケティングでターゲット層を狭め続けるというのは若干間違いではないかと思うようになってきています。まぁ私はマーケティングをやる仕事には一切就いていないですが。

 言いたいことをまとめると、現代の日本社会は知らず知らずのうちに企画段階でターゲット層をどんどん狭めようとするようになっており、結果的に虻蜂取らずというかビジネスチャンスを失っているのではないかというのが私の意見です。そういう意味ではもう少し、ターゲット層を広げる意識をみんなで持った方がいいかもと思うわけです。共有体験にもつながって、コミュニケーションも高まるかもしれないし。

2024年11月5日火曜日

昨夜見た夢Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)

「富江」シリーズ漫画家・伊藤潤二氏、楳図かずおさんとの思い出回顧し「人生最大の思い出です」(日刊スポーツ)

 本日、漫画家の楳図かずおが亡くなられていたことが報じられました。私はやや世代が外れているため読んだ作品は「漂流教室」くらいしかないのですが、この一作をもってしても偉大な漫画化であったことが伺われ、多くの著名人もその訃報にコメントを寄せています。
 中でも表現的にもストーリー的にも楳図かずおの完全なフォロワーであり、且つ現在世界でも高く評価されている伊藤潤二氏のこのコメントは色々感じるところがあります。恐らく楳図かずおがいなければ、伊藤氏も世に出ることはなかったのではないかと思います。

 さてそんな楳図かずおといったらその本人のキャラクターはもちろん、やはりホラー漫画が作品ジャンルとしては代表格ですが、たまたまでしょうが昨夜やたらホラーな夢を見てました。

 昨夜は夜更かしして1時半くらいまでゲームしてようやく布団に入ったのですが、時間も時間だったのですぐに寝入ったかと思いきや、恐らく三時くらいにあいまいな状態で目が覚めました。その状態のまま夢を見たのですが、自分は小学生くらいで、友達の家に夜遅くまで遊んでいたためそのまま止まることとなったのですが、二段ベットの上の棚のところに友達の小さな弟が入り込んでしまい、高さ的に危ないから降ろそうってことで自分が向かいました。
 ベッドに上って棚からその弟を下ろそうとしたところ、その弟は顔は見えませんでしたが手足がなく、「どうやってここまで昇ったの?」という思いがするとともに、誰かが意図的にここへ置いたのかなどと想像を巡らせました。

 そうこうしているうちに夜はさらに更けたため、床に布団を敷いて寝ることとしました。さっそく自分と、その家の友達、あともう一人の友達と一緒に寝るのですが、電気を消してしばらくすると何やら誰かが部屋の中に入ってきて、自分の後ろで寝ている友達を切り刻むような音が聞こえてきます。ただその音は一人からしか聞こえず、目で見たわけじゃないものの、その家の友達が親と一緒に、もう一人の友達を切り刻んでいるかのようでした。
 その行為は延々と友達に向けられて自分には向かってこなかったためか、自分は息を殺して何も気づかぬように寝たふりをし続けていたのですが、










「黙ってれば助かると思った?」

 という言葉を不意にかけられたとこで、はっと目が覚めて現実世界の自分の部屋が視界に入ってきました。さすがにこの瞬間は自分の後ろを振り返ることができず、そのまま息をひそめるかのように目を瞑って再び寝入るまで動こうとしませんでした。でもってその後朝が来て部屋に光が差したところで、目覚ましが鳴る前にのそのそと動き始めてました。
 こんな感じで朝起きながらこの夢を振り返り、「見つかったらヤバい」的なシチュエーションで息をひそめる状態の恐怖ってのはやっぱり来るものがあるなどと考えてました。こんなホラーな夢を見たその日に冒頭の楳図かずおの訃報が出てくるもんだから、何か関連性があるのかと疑ってしまいます。

 なお楳図かずおとの関連性はないでしょうが、なんかこの1週間はあらゆることが裏目に出ている気がします。2回目の使用となる折りたたみ傘を外で開いたら風であっさり骨が曲がり、代わりにと買った傘は試し開きして傘袋に入れようとしたら一発で傘袋が裂けました。「天堂」ってブランドの傘で信用してたのに、一気に信頼感なくなりました

 このほかも空回ることが多かったほか、一昨日は恐らくまた血栓を作ってたのか夕方ごろから右眼の奥が急激に痛くなり、立ってられないため横になってしばらくしたら詰まりがが取れたのか、右のこめかみ辺りでドクドクと血管に血が循環する感覚がはっきりわかるほど流れたりしてました。ちなみにこうなる前は左右の目の焦点がやたら合わずずっと目が痛かったものの、血管のつまり取れてからはまた焦点が合うようになり、なんかいろいろ怖いです。よくないものが憑いているのかなぁ……。

映画離れが進んでいるという中国

 昨日はシリーズ1作目、2作目を見てないのにいきなり3作目からという映画の「ヴェノム ラストダンス」を見に行きました。過去作を見てないというのもあるかもしれませんが、それほど内容に深みがあるように思えず、またキャラの掘り下げもほぼ全くなく襲ってくる敵をぶん殴るだけの単調な展開は見ていてつまらないとはっきり感じました。
 まだ同じヒーロー物でバイオレンスな「ウルヴァリンVSデッドプール」の方が、各キャラの心理を掘り下げていたようにすら思います。

 そんな感じでこのところ毎週映画を見ていますが、これは今年の夏に暑くて家にいたくないから近くにあることだし映画館に通うようになったとの、朝一の上映を予約しておけばだらだらと布団の中で転がることもなく、洗濯してからきちんと早朝より行動できることからついた習慣です。それらに加え、中国の映画料金は日本に比べて安く、大体1回30~40元(約600~800円)で見られます。日中の通貨格差を考慮しても、中国の方が映画料金は断然安いです。

 なんてことを今日中国人の同僚に話してたら、というか一方的に聞かせてたら、「それでも昔に比べて高くなった」といわれました。なんでもちょっと前までは1回20元(約400円)でも見られたそうで、値段高騰もあってか最近映画館に来る人が少なくなっているそうです。
 なおその同僚に「日本の映画館料金は1回100元(約2000円)だよ(´・ω・)」と教えたら、何それマジありえないと驚かれました。こう話している自分でもありえないと思う料金です。

 実際に集客データとかはまだ見てませんが、仮に来客数が減っているとしたら価格引き上げだけが問題なのか、それとも映画コンテンツでヒット作が不足しているのが原因なのか、ちょっとこの辺が気になっています。実際にというかこの1年くらいで中国作品で目立つヒット作はなく、ハリウッド映画でも「リリアン ロムルス」が長くヒットしたのを除けばマーブル映画がこのところ不振なのもあり、ややヒット作が不足気味であるような気がします。

 私自身の目でも、以前と比べると映画を立派な娯楽として扱う中国人がなんか減っているような気がして、コンテンツもネット動画、特にショート動画などにのめりこみ、映画のような長い時間をかけてみる作品に対する関心が薄れているように思います。また名作と呼ばれる過去作品の掘り起こしもなんか減ってきているように思え、日本みたいにテレビのロードショーとかでこういう過去作品に触れる層も少なくなってきているのが地味に効いてきているような気がします。

 この辺の映画に対する中国人の視聴習慣はちょっと気になるので、また今度じっくり調べてここで紹介しようかなと考えています。なお日本の映画産業に関しては、やはりというか本場の米国すら上回るあの高すぎる料金設定が、映画離れを引き起こしている最大の要因であるような気がします。そのくせ、女性にだけはやたら優待割引を用意したりするし、映画産業もなんか新規参入者が低価格で平等なサービスを提供したら一気によくなるのではとすら思えてきます。

 そんな日本の映画業界は「鬼滅の刃」の最終章を控えており、多分これが日本記録の前作をまた上回ると予想され、割と前途は明るい状態にあると言えるでしょう。まぁアニメばっかりに頼るのではなく、実写でもいい作品をもっと作ってくれればという気もしますが。

2024年11月3日日曜日

横浜優勝!

 別に書くネタがないというわけじゃないですが、先ほど日本シリーズで横浜ベイスターズがソフトバンクを下して見事日本一になったということで、自分も喜びを感じています。決して横浜ファンというわけじゃないですが、現役時代より三浦大輔監督のファンであったこともあり、こうして彼が率いるチームが優勝を果たしたことをひときわ嬉しく思います。

 なおたまたまですが先日Youtubeで元巨人の上原氏の対談チャンネルに、三浦監督と現役時代に同じチームメイトだった斎藤隆氏が出演していました。漫画の「ササキ様に願いを」の影響もあって、斎藤氏というと傲慢な佐々木氏(漫画の中の)にパシられる弟キャラというイメージを抱いていたのですが、実際に斎藤氏は三兄弟の三男ではあるものの、その対談では非常に饒舌というか降られてもないのに自分の歌声のエピソードをどんどん話し出すなとしゃべりっぱなしでした。
 何となくイメージ的には居酒屋で管まいてる酔っ払いのようにすら見えました。

 その斎藤氏ですがドラフトを経てベイスターズに入団するも、最初のキャンプにおける練習量にビビったそうです。ダッシュなどの回数が当たり前の三桁あり、真面目にやっていたら当て終わらせられることのできない練習量だったため、斎藤氏を含めほとんどの選手が「ちょっとケガで……」などと適当に理由をつけては練習をすっぽかして抜けていったそうです。
 そうして練習から抜けてホテルに戻ったのですが、夜になっても馬鹿正直にその練習メニューを消化し続けている選手が一人だけいたとのことですが、言うまでもないでしょうがそれが三浦監督だったそうです。

 色々なエピソードを聞くに、そのリーゼントといういかつい風貌からは想像できないほど非常に誠実で、何よりも暗黒時代のベイスターズを文字通りたった一人で支え続けた点といい、野球界には多くの聖人がいますが私は三浦監督以上の人はそうそういないとすら思っています。それだけに選手時代に果たすことはできなかった二度目の優勝を、今回こうして監督として果たしたことは我が事のようにうれしく思います( ;∀;)

2024年11月1日金曜日

コミュ障は何故増えているのか?

 前に書いた記事でコミュ障キャラの漫画を紹介しましたが、これ書いた後でなんでコミュ障が増えているのかという点が少し気になりました。実際にコミュ障が増えているのかに関してはそんな統計もないので断定できないものの、少なくとも20年くらい前には「コミュ障」という単語がなかった(出始めた頃だったと思う)ので、ここまで一般化する辺りは増加と断定はできないものの、「こういう人がいても珍しくない」程度に普及したとは思います。
 ちなみにコミュ障の普及によって、「人見知り」という単語は駆逐されつつあるような。

 話を戻すとこのコミュ障増加の背景について軽くネットで検索したところ、SNSなどコミュニケーションツールの増加に伴うものと指摘しているものがありました。ただこの意見について私は疑問で、携帯電話メールの登場時にも同じようなことが言われましたが、実際にはこれら新たなコミュニケーションツールの登場によってコミュニケーションの頻度や量は確実に増加しています。
 かつては夜間なんかは家族以外とはコミュニケーションがなかったものの、現代は24時間国境すら関係なく対面でリアルタイム動画でほぼ無料で話せるようになっており、質、量ともに昔と比べて現代の方が優っていると断言できます。

 っていうかこの手のコミュ障議論は、コミュニケーションツールに軸足を置き過ぎるきらいがあります。初めて電話が登場した時も、なんか同じような議論があったんじゃないかな。

 そこで社会学士らしく、敢えてひねくれた目でこのコミュ障増加の背景について考察した場合、私から出てきた意見としてはむしろ「共有体験の減少」が主原因ではないかという結論でした。
 コミュニケーションに関して色々ハウツー本とか議論とかありますが、私個人の考えで述べると、突き詰めるとコミュニケーションというのは共有体験がすべてのベースにあると言えます。単純な会話一つとってみても、同じテレビ番組を見ているか、共通の知り合いを持っているか、同じプラモを作ったことがあるかはいずれも、両社の会話やコミュニケーションで果たす役割が大きいです。以上の例は話題(トピック)に過ぎませんが、これが文化という単位になると、同じ日本人であるかもコミュニケーションの発展を占う上で言うまでもなく重要です。

 突き詰めれば、同じ文化や価値観、知識を持っているかによってコミュニケーションの発展させやすさは非常に大きく左右されます。もちろん何も共有しない者同士、具体的には外国人同士の場合でも、共有しない者同士の交流方法ともいうべきものがありその関係を深めることは可能ですが、共有体験がある者同士と比べるとやはりその難易度はやや高まると言えるでしょう。
 まぁ共有体験がない者同士だと、数少ない共有体験を互いに軸にしようとするので、そのような数少ない接点が強く結びつけて一気に関係を深めることもありますが。

 話を戻すと、それこそ昭和から平成初期くらいの昔であれば娯楽も少なく、アニメ番組の放送数も少なく、そうした少ない娯楽に対して多くの人が集中して消費していました。そのため現代と比べると当時は共有体験が非常に多く、誰でも野球の話題で盛り上がり、スラムダンクの話題で盛り上がり、「東京ラブストーリー」で盛り上がることができました。
 然るに現代は娯楽種類が非常に多様化しているというか激増しており、動画一つとってもテレビだけじゃなくYoutubeなどでもたくさん配信されており、アニメ番組も四半期ごとに何十作も新作が作られる時代です。漫画作品も主要雑誌がウェブサイトでも別作品を連載するようになっており、「同じものを見た、体験した」という人と社会で出会うことの方が逆に難しい時代かもしれません。

 前述の通り共有体験があるかないか、多いか少ないかはコミュニケーションの発展に非常大きく影響します。共有体験がない、少ない場合、自然と話せるトピックも少なくなってくれば価値観も異なっている可能性もあり、誰にとってもコミュニケーションは取りづらくなるでしょう。
 もちろんこれまた前述の通り、共有体験がなくてもコミュニケーションを取る方法は確実に存在します。しかし私が見る限り、日本の教育現場や社会はそうした「共有体験がない者同士」のコミュニケーション法を教えないし、体得していない人が元から多いうです。そのため日本では上の年代の人間が自分の趣味や価値観を押し付けるというコミュニケーションを強制することが多く、以前までならまだかろうじて存在した若者世代とも共有できる体験(野球や歌手など)がつなぎとめていたものの、現代においてはそれすらなくなってきたことから、完全にコミュニケーションが破綻して相手を「コミュ障」と罵るようになってきているのではないかという気がします。

 なおこの辺で言えば、まだ中国人の方がコミュニケーションの取り方がうまい気がします。というのも中国は少数民族も多く、「俺とあいつらの文化や価値観は異なるかもしれない」という前提をみんな持っており、共有する体験や知識、文化がなくても、そうした相手とコミュニケーションを取る方法をきちんと体得しています。まぁ端的に言えば、相手の知識や文化に耳を傾ける努力なのですがそれは。

 以上を踏まえて言うと、現代の若い世代がコミュニケーションが下手というよりかは私は共有体験が少ないこと、そして共有体験がない者同士のコミュニケーション方法を日本人のほとんどが体得していないことが、コミュ障が増え続けている原因ではないかとみています。改善策としては何度も書いている通り、共有体験がない者同士が交流する方法を会得するに限り、もっとそうした交流方法をきちんと教育するとか、異文化体験を通して学ばせるべきでしょう。

 なお今の職場に来る日本人は海外に来るとあって、この辺のコミュニケーションがやっぱみんな上手というかまともだと思います。一番駄目なのは自分のやり方を押し付ける人間で、そうではなくまず最初に向こうのマナーなり価値観なりに耳を傾け受け容れる人間が総じて「コミュ力が高い」といえると私は思います。

アストラゼネカの中国調査に関して

 最近ずっとエースコンバット7で戦い続けているため時間が足りないです。なんかF-15がカタログスペック以上に強いというか空戦でかなり余裕で勝つため、裏があるのではと疑っています(σ・∀・)σゲッツ!!

英アストラゼネカの中国法人社長を当局が調査、詳細不明(ロイター)

 話は本題ですが英製薬会社のアストラゼネカに対して、中国が調査を進めているようです。日本のアステラス製薬の社員がスパイ容疑で逮捕された記憶も新しいことから、今回のこのアストラゼネカに対する調査も同じ製薬会社ということもあり注目されています。

 調査内容について中国当局は詳細を明らかにしていないのですが、ある事情通によると今回のはスパイ容疑ではなく、どうもデータ偽造ではないかという噂が出ているそうです。具体的には、本来なら社会尾見が適合されない成分の薬を、適合基準を満たすよう成分データを偽造して提出したという保険料詐取のような疑いをかけられているそうです。
 あくまで噂ベースなので実際はどうなるのかは今後の発表次第ですが、そうならそうと容疑だけでもさっさと公開してほしいものです。こういう隠さなくてもいいところまで隠そうとするから、中国は必要以上に周りに警戒されるということを彼ら自身もまだ気が付いてないのかもしれません。