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2025年11月22日土曜日

中国が高市総理への批判を繰り返し続ける理由


 友人から送ってもらったので上の「如果歴史是一群猫」という歴史漫画キャラクターの猫戦車作りましたが、レゴブロック形式なので簡単に組上がるかと思いきややたら苦戦しました。特に今日は6時から起きて自転車こいだりするなど動き回ったせいで、これ作ってた最後の方は餓えとの戦いでした。

 話は本題ですが以前収まりを見せずにヒートアップを中国の高市総理批判ですが、いろんな人がコメントする中で一番参考になったのがこの記事に寄せられた益男知佐子・九州大教授のコメントでした。せっかくなのでそのまま引用すると、

益尾知佐子

国際政治学者/九州大学大学院比較社会文化研究院教授

見解中国は数年に1回、米国の同盟国を標的に激烈な政治攻撃を仕掛けてきた実績があります。今回は、高市氏の首相就任前から国内メディアを使って彼女へのネガティブキャンペーンを展開していました。そこに高市氏が不用意な発言をし、中国の大阪総領事が「首を斬る」という反応をした。本来、この外交官の書き込みが問題なのですが、今回はこれを逆手にとって反日攻撃を仕掛けています。事件は偶発的ですが、そこにはもとから燃焼性の高いガスが溜められていました。 問題は習近平体制がなぜここまでするのかです。経済や対外関係の面で、ここまでの大騒ぎはむしろマイナス。なので、おそらく中国の国内政治に理由があるのだと思います。米国とは事を構えたくないので、手頃な相手を使って国内を政治的に引き締めているのでしょう。中国の周辺環境が悪いほど習近平体制は続投しやすくなります。原因は中国国内にあるので、容易に収束しないと思います。


 このコメントでも指摘している通り、どちらかというと日本側の発言や行動というより中国国内での支持拡大、国民昂揚といった国内を原因に中国は日本を繰り返していると思う節があります。

 またもう一つの要素として前から気になっていた点を述べると、なんか今回の中国の日本批判と日本への嫌がらせはやけにペースが速いというか、事前に準備していたのではないかと思っていました。その疑問について上のコメント見て気づいたというか思ったのですが、多分高市総理の存立危機事態発言以前の段階から日本への批判、貿易方面の嫌がらせパックをはじめから準備していたのではないかとみています。なんでそんな準備していたのかもったいぶらずに指摘すると、発足時点から高市政権を批判してできるだけ早く退陣してもらおうと中国は考えていたのではと推測しています。

 一体何故中国は高市政権ができた段階からなるべく批判して、早く潰そうとするのか。一言で言えば高市政権を安倍政権のような極右政権と考え、中国にとって望ましくない政権だと、まだ高市総理が何もしていない時点から捉えていたのではないかとみています。こう思う理由としては中国側の発言や動きで、発足前の段階から高市氏のことを「安倍の後継者」などと呼んで非常に警戒していました。極めつけは先日のAPECでの習近平の態度で、関係をどうこうする以前になんか高市氏との接触をやたら避けようとしているような素振りであると、主観に過ぎませんが私には感じました。
 この二つの要素を考えるに、発足前の段階から高市政権のことを「ポスト安倍政権」と捉え、何らかの口実を作って徹底的に批判してなるべく早く政権から降りてもらおうと画策していたのではというように思えてきました。

 仮にこの通りであれば恐らく今回の存律危機事態発言を高市総理がしなかったとしても、別の発言や行動を無理やりこじつけて口実にして、中国は激しい日本批判を行っていたのではないかという風に私は思います。その場合、たとえ今回中国が要求する通りに高市総理が先の発言を撤回したとしても、今度はまた別の口実で中国は日本批判をしてくる可能性が高いだけに、現時点では高市氏が発言を撤回しない方がいいだろうと私は考えています。何故なら中国の目的は日本に謝らせることではなく、高市政権を降ろすことにあるからです。

 その上で、以上の推測が正しいなら今後も中国は延々と対日批判を繰り返し、尖閣諸島編上陸を試みるなど挑発的行動をエスカレートしてくるかもしれません。日本としてはいちいち相手にせず、先の国連の死文化済みの敵国条約の件と言い、中国側の発言の誤りを指摘し続けるのが一番ベストだと思いますが、敢えて外交において中国が最もやられたら痛いと感じる嫌がらせをするならば、個人案としては台湾の頼清徳総統をある人物に会わせるよう斡旋するのがいいと思います。その相手というのも、ウクライナのゼレンスキー大統領です。

 ロシアと中国がタッグを組んでいるのは周知の事実であり、またともに武力行動による領土線変更や支配を目論んでいるのも共通しています。そのロシアから狙われ、実際に攻撃を受けているウクライナの代表が、同じく中国の脅威にさらされている台湾の代表と並んでツーショットを取るというのは、「強国に脅かされている当事者たち」という事実を強く強調できるのではないかと思います。
 その際、この二人だけでなくEUの首脳や日本の総理も一緒に並び、自由と民主を必ず守るなどという声明を出せば、中国にとって一番腹立たしい写真が出来上がるような気がします。その上で日本としては、「中国と台湾の平和且つ民主的統合を望む」ということを発言してやれば、中国としても日本を批判し辛くなって(民主的統合を否定することになるため)、余計楽しくなるでしょう。

 以上色々語りましたが、恐らく日本側が何やったところで高市政権が続く限りは中国は対日批判をし続けるでしょう。だったらこの際、中国がどこまで日本を批判できるのかを試す意味で、高市総理が毎日台湾友好を口にしてみるのもありかもしれません。またある意味でハードルを上げるチャンスとも言え、これを機に普段は中国相手にできないことをいろいろやって、後々に「じゃあこれやめてやるから代わりにこっちの条件を飲め」とばかりに駆け引き手段にしてみてもいいでしょう。
 どちらにしろ、何しようが中国は対日批判を今後しばらくはずっと続けるとみていいでしょう。止まるとしたら、中国でまた日本人襲撃事件が起きた時くらいでしょう。

 つうか中国の言葉にいちいち反応するだけ無駄なので、もっと日本はクマのニュースを重視すべきでしょう。中国の発言はクマ以下だと言ってやれば、向こうもばかばかしくなってくるでしょう。

2025年11月21日金曜日

岐阜県人を一言で笑顔に変える魔法の言葉(^ω^)

肉半額に「えぐー!」岐阜発スーパー「バロー」関東初出店…2時間待ちの行列も パンは毎日店舗で焼きたて、低価格は大量仕入れで実現

 さっき入ってきたニュースによると、岐阜県下を中心に展開しているスーパーチェーンのバローが初めて関東に進出してきたそうです。このバローについては一時期うちのプラモの戦車はドイツ戦車しか作ろうとしないソ連人民の敵である親父が岐阜に住んでて、私も訪ねた際には嫌でも目に入ってくるからかねてから見知ったスーパーでした。ただこのスーパーというか店名、岐阜県人に対して異常な破壊力を持つことからこれまでも度々使ってきた単語でもありました。

 具体的にどういうことかというと、岐阜県人を前にして「バロー……」と一言つぶやくだけで100%みんな「ニコッ(^ω^)」と笑ってくれるからです。大体その後は、「なんでバロー知ってるの?」、「地方スーパーだからってあんま馬鹿にしないでよ」なんて続くのですが、少なくとも自分がこれまで使った限り、みんなバローと一言口に出すだけでまぶしいくらいの笑顔を見せてくれます。
 さらに話を掘り下げて聞くと岐阜県人のバローに対する地元愛は非常に強く、バローの良さを聞いてもないのにどんどん話し出してきます。

 思うに岐阜県というのは千葉県や長野県のように、江戸時代まで別々の国同士に分かれていたのが明治の廃藩置県後に一つの自治体に統合された県で、尚且つ山脈によって県内が分断されていることもあり、県としての一体感が結構薄いと感じる県だったりします。なので出身市ごとに価値観や生い立ちも異なり、愛知と接する可児市の連中なんか完全に名古屋文化圏であるのに対し、高山市の人はいかにも山深い地域出身という性格しており、意外と岐阜県民としての共通の価値観や概念はあまり持っていないような気がします。

 そんな岐阜県人にとって、数少ない共有概念と言えるのが織田信長と子のバローであるように見えます。それこそ日本における天皇制のような岐阜県統合の象徴のようであるように見え、岐阜県人のアイデンティティに深く刺さっているとみられるだけに、バローという単語一つでみんな笑顔になってくれるのでしょう。

 なお何故か知らないけどこれまでの人生で岐阜県人と出くわすことが非常に多いのですが、喧嘩っ早い時分にして珍しく、今の今まで岐阜県人とは一度も喧嘩したことがないです。相性がいいのかわからないですが、それだけにこの魔法の言葉のバローを使う機会も多いです。

2025年11月20日木曜日

国語教育にミステリーを導入する価値

 また別に紹介する予定ですが在日ネパール人事情について書かれたある本において、今後在日ネパール人2世、3世がマフィア化する未来はほぼ確実だと東大のネパール人研究者が語っていました。これは何故かというと親に帯同する形で日本に来たものの日本語がわからず、日本国内の教育機関もこうした子供たちの受け入れ態勢がなくて言語が未発達となり、そのまま学習障害に陥り、社会への適合がうまく行かなる現状が既にあるからだそうです。
 たまたまですがこの前読んだ「ありす、宇宙までも」という漫画でまさにこうした二つ以上の言語教育が中途半端になって学習障害となるセミリンガルという症状について知ったばかりですが、実際にそういう状況が起きているだろうと私も思います。よく海外で暮らせば自然と言語が身に着くと勘違いする人がいますが実際はさにあらず、まだ幼い時分に来るのならともかく、ある程度年齢が過ぎた状態とか教育機関に受け入れ態勢がないと現地の言語なんて覚えません。

 実際にというか私自身も既に10年以上も上海に住んでいますが、中国語の読み書きはぶっちゃけかなり得意というか読解に関してはマジ専門家の領域に入っているものの、会話は依然として下手で、まだ野良猫相手の方がコミュニケーション取れるのではと思う時があります🐱

 話は戻しますが、こうした在日外国人もさることながら日本人の子供の間でも近年、言語能力の低下というか国語力の減退が問題化してきています。原因は非常にはっきりしていてこの10年くらいで他の科目に授業時間を減らされて国語の学習時間が減っているためで、実際に塾講師をしている友人に訪ねたところ、確かにここ数年で国語力が低下し、まともな会話が成り立たない子供が増えているという話も聞いています。
 実際にその影響というかこのところ、どうしてそんなことで言い合いになるのと思うような発端から暴行にまで発展する事件のニュースをよく見ます。冷静に会話していれば争い合う理由なぞ生まれてこないのに、ちょっとした言い方が気に食わないなどとしてケンカに発展するなど、世の中国語力があればもっと平和になるのではと思うことが増えてきています。先のネパール人の話もそうですが、地味に国語教育が充実しているかはその後の犯罪発生、治安維持に直結すると言えるでしょう。

 そんなわけで今朝も通勤途中に国語力を高めるいい取り組みなんてないのかなと思いながら通勤中、何故昭和の頃は今より国語力高かったのかに着目しました。もちろん義務教育の授業時間が今より多かったこともそうでしょうがそれ以上に、当時の人は大人も子供もよく本を読んでいました。本を読めば単純に国語力が上がるのは当然ですが、昭和の人はどんな本を読んでたのだろうかと思った際、ミステリー小説が頭をよぎりました。

 今でもそこそこ日本は勢いありますが、昭和後期の頃は地味にミステリー小説文化が非常に花開いた時代でした。松本清張に西村京太郎や赤川次郎氏をはじめ、人気ミステリー作家が毎年たくさんの作品を発表しては話題となり、あまり本を読まない層もこうした人気のミステリー作品をよく読んでいたような気がします。
 でもって改めて考えてみると、ロジックを鍛えるという意味ではミステリー小説というのは格好の材料であるように思えてきました。書かれている内容を丹念に読まなきゃいけないし、また各条件の背反関係なども考えることとなるので、変に情操にいいとされる作品よりもこうしたミステリー作品を教育現場でも読ませて、「じゃあ、みんな犯人は誰だと思う?(*^▽^*)」みたいに生徒たちに推理させてみる方が、国語力の向上にとっていい取組になるのではと思えてきました。


 では実際にどうなのかと軽く調べたところ、実際にこうした取り組みをやっている例がありました。その現場と教材が実際に紹介されていますが、こうやって子供たちにグループ内で犯人は誰かと議論させ合うのは非常に効果があると思うし、また単純に面白そうな気がします。それだけに自分の見立て通りというか、ミステリー要素を国語教育に導入するのは非常にプラスではないかと思えてきました。
 何もミステリーは犯人当てに限るわけではなく、「機械が故障した原因は何か?」など別の話に置き換えても問題ありません。また犯人当てなら上のリンク先の例でもあるように、犯人の動機を推理するのも教育にすごくいいのではないかと思います。それこそ「犯人は阪神ファンだから、昨日中日に阪神が負けてイライラしたから」なんていう理由とかいろいろ考えたりするのも面白いでしょう。

 学校に限らずとも、家庭内でもやっぱりミステリー小説は子供に読ませるのにいいように思えます。自分の時代なんかは金田一少年やコナンなどミステリー漫画が絶頂期にありましたが、やっぱりああいうもの読んで思考が鍛えられたという感覚は確かにあり、コナンなんかは今でも人気ですが金田一とかも敢えて今の時代の子供に読ませるべきでしょう。
 なお同じミステリー系で言うなら、ジャンプで唯一成功した「デスノート」もあります。今回の内容と関係ないけど、人狼ゲームで最初にやられた人は「シブタク」と呼ばれたりしないのだろうか。

2025年11月18日火曜日

ブルネイと木村強

 つい最近Youtubeの動画で、東南アジアのブルネイでとある日本人がその発展に大きく貢献していたという話を知りました。その人物の名は見出しに挙げてるように木村強という人で、二次大戦の最中、英国の植民地だったブルネイを日本が占領した際に知事として派遣されてきた人でした。

 木村は現地に着くとブルネイ国王に通訳兼秘書として現地人を一人つけてもらうと、自ら精力的に動いてブルネイを観察したそうです。観察を終えた木村は、ブルネイにはゴムなどの多くの天然資源がありこれらを現地で採集、加工することによって大きな利益が得られると見込み、さっそく現地で工場を作りました。工場で作った製品は木村の予想通りに輸出競争力を持ち外貨が得られるようになったのですが、木村はこの外貨を惜しみなく工場従業員に給料として分け与え、それまで英国に酷使されるだけだった現地民からは驚きとともに受け止められたそうです。

 また木村は指定された物資を最低量で日本に送り、残りの物資はそのまま輸出して利益を得ると、その利益をブルネイ国内の道路をはじめとするインフラへと使いました。また王室とは距離があり関係が険悪だった少数民族の居住地にも自ら赴いて開発への協力を訴えたりもしていました。当初は相手にされなかったものの、彼らの居住地近くにもインフラを整備していったことから信頼を得て、最終的には協力を勝ち取ることに成功しています。

 このような活動でブルネイ国民から大きな支持を得た木村でしたが、物資を最低限しか日本に送らず、ブルネイ国内の開発を優先する態度が本国に嫌われ、その在任期間はわずか1年で本国引き戻されることとなりました。木村本人もブルネイでて手がけた事業は印象深く、戦後も折に触れて思い出していたそうですが、ある日ブルネイで勤務していた日本の商社員がブルネイ国王から木村を招待したいという伝言を持ってきました。
 この招待を受けて木村が20数年ぶりにブルネイを訪れたところ、出迎えたブルネイ国王はなんとかつて自分の通訳兼秘書をしていた人物で、そばで見ていた木村のやり方を手本に国内の開発に取り組んできたなどと話してその再会を喜び合ったそうです。ちなみに現国王はこの時木村と再会した国王のお子さんだそうです。

 私は以上の話を知った時、まず思ったのは「ブルネイにも今村均はいたのか……」という感想でした。今村均については何度もこのブログで触れていますが、水木しげると並んで自分が最も尊敬する人物であり、彼もまた占領地のインドネシアで日本本国の要求を突っぱねながら現地に仁政を敷いて高い支持を得るとともに、その後のインドネシアの独立に大きく貢献したと言われる人物です。彼自身、本国の物資上納要求を突っぱねる際に「現地を無視することは大東亜共栄圏の方針に背く」などと主張したとされています。

 この大東亜共栄圏のヴィジョンですが、言うまでもなく日本がアジア方面に戦線を拡大するための方便にしか過ぎず、提唱した軍本部はもとより日本国民も誰もが植民地解放など本気で実行に移すつもりはないものだったでしょう。ただ今村均にしろ今回取り上げた木村強にしろ、本気であの理想をやろうと思って実際に実行し、しかも成果を上げていた人物がいたということには驚きを感じるとともに、きちんとやっていたら本当に素晴らしい理想だったんだなという気持ちにさせられました。

 私はかつて、米国のヒーローと比べて日本のヒーローは理想を持たず、日常を守ることを最優先に戦うと指摘しました。ヒーローに限らず、日本人は概して理想というかヴィジョンを持つ人がおらず、それこそ1960年頃に池田隼人が提唱した経済優先の理想像に未だにしがみついている感すらあります。
 何でもかんでも理想を持てばいいものではないですが、目指すべき価値観や状況をもっと視野に入れ、それに向かって努力する姿勢こそがずっと日本にかけているものじゃないかと木村強の話を見ていて思います。

2025年11月16日日曜日

台湾統合を自ら遠のかせている中国


 昨日買ってきて早速作ったMig-27です。知らない人に説明するとこの機体、米国のF-14などをまねてロシアが作った可変翼機で、機体はすごいコンパクトなのはいいけど逆を言えばコンパクトだから可変翼にする必要性があまり感じられない機体です。

 話は本題ですが若干クマニュースに負けている感がある例の中国との存立事態発言問題ですが、そもそもの話というか発端はやはり台湾有事です。この台湾有事ですが、中国が習近平政権に入ってから周りを気にせず台湾に対する軍事統一を主張するようになってきたことから、徐々に米国や日本で警戒されるようになってきました。中国側は米国や日本が台湾に対する危機を煽っていると主張していますが、少なくとも私の目から見て一番危機を煽って台湾周辺を賑やかしているのは中国自身にほかなりません。
 そんな現在と比べると、習近平政権の前の胡錦涛政権の頃はまだ穏やかなものであったとともに、ある意味で台湾統合の可能性が最も高い時期であったように思えます。具体的な時期で言えば、2010年前後です。

 2010年頃、既に大陸と台湾の経済関係は非常に色濃く、互いになくてはならない経済パートナー関係になっていました。そのため以前は大陸との直行便がなく、ビジネス関係者が台湾と行き来するにはわざわざ香港を経由するしかなかったのですが、2003年からは台湾と中国本土の間で直行便も飛び交うようになり、人的交流もどんどん盛んとなっていきました。
 当時のある台湾人の話を引用すると、旅行で外国に行って入国審査でパスポートを見せると中国本土のパスポート違うことから、担当官によっては「これは偽造だろう!」と言われることも多いだけに、この際早く中国本土と統合してほしいという意見を述べていた人もいました。台湾人の側でも、もう一緒の中国になってもいいのではと思っている人が、全員とは言わずともかなり多くなってきていたじきだったという気がします。

 そのように和やかなムードが醸成されていたのが一変したのは2014年に起きた、香港での反政府デモ事件です。この事件で香港の民主派主義者が弾圧され、保護するとしていた自治権もほぼ骨抜き化され、自分の知る限り「一国二制度」という単語はこれ以降、日系メディアから見ることがなくなった気がします。
 一応、インターネットの自由など大陸本土と比べ香港にはまだ自由の幅が広いものの、2014年以前と比べると締め付け、特にメディアへの規制は明らかに強くなっており、また経済力の低下もあって香港のフェードアウトはこの10年でかなり進んだ気がします。

 2010年くらいまでは台湾に対して中国も、香港のような一国二制度方式での統合を内々で示唆していたような気もしました。そして台湾人も、一国二制度方式ならもう一緒になってもいいやという雰囲気だったように見えます。
 しかし前述の香港の事件を受け、台湾の人たちも考え方を一変させたというか風向きが変わった気がします。そこへきて習近平が軍事的制圧も辞さないことを公に発言するようになり、台湾人の独立意識を強めるとともに米国も台湾への支援をそれ以前よりも強化していくようになってきています。

 こう言っては何ですが、習近平は何がしたいのか見ていてわかりません。占領を目論む地域には普通、硬軟合わせた手法を用いるのが当然で、ロシアもウクライナに対しては長年そのような工作を続けてきました。飴と鞭のように軍事的な恫喝をする傍らで「素直に従ったらいいことあるかもよ」と、甘い顔を同時にするのが常套です。具体的には先の一国二制度や自治権などが台湾にあってもいいなどと匂わせたり、少なくとも台湾統合を果たすまでは香港には手を出さないなど、やっと伽良かったと思う手法はいくらでもあったのに、今の台湾の指導者を指名手配するなど、恫喝だけを強めています。これで従おうとする人間がいるとしたら、プライドも根性もない犬のような人間だけでしょう。

 前述の通り、2010年ごろは台湾にも統合の機運が確かに高まっていました。あのまま経済交流を強化し続け自治権の確約などを打ち出していれば、もしかしたら今頃は統合もなっていたのではないかと思う節すらあります。
 しかし習近平政権以後の恫喝によって、実際に台湾に行ったこともなければ詳しく調査していませんが、少なくとも2010年と比べると今は大陸への統合機運はかなりしぼんでいるように見えます。そのため、今中国が台湾を統合しようなら本当に軍事制圧しか手段がなくなってきているように見えます。

 しかしこの10年で見ても、ドローンの活用も含め軍事上では防御側がそれ以前よりますます有利になってきている気がします。また米国もF-16を台湾に供与するなど台湾側装備もどんどん良くなってきており、中国も兵器開発を強めているものの、私の見立てではロシアみたく市街地にバンバンミサイルを飛ばすことはできない気がします。
 以上を踏まえると、平和的な統合の可能性をかなぐり捨てた上に、軍事的イニシアチブもどんどん弱める中で台湾有事を叫び、日本や米国を批判する中国は一周回って滑稽であるように見えます。前述の通りきちんと硬軟織り交ぜる工作を取るならともかく無意味に危機感だけ煽って対策準備する時間を相手に与えるなど、何考えてるのか意味わかりません。やるんだったら何も言わず、むしろ「台湾有事なんて起きるわけないじゃん(*^▽^*)」なんて言いながら不意打ち的に行動を開始すべきであり、中途半端な手法を取って自ら台湾統合を遠のかせているのが今の中国である気がします。

2025年11月15日土曜日

中国式戦車茶道

 今朝は8時半に起きて顔を洗い、朝食食べてニュース見て洗濯物干した後、プラモ屋まで自転車で行こうと計画していました。ところがそのファーストステップの顔を洗うところでつまづいたというか、蛇口から水が出てきませんでした
 何が起きたのかというとちょうど自分の住んでる団地で今、老朽化したガス管の交換工事が行われており、数日前より団地敷地内を業者の皆さんが掘り返して工事をやってくれていました。恐らくその工事の関係で水も一時止められているのだとすぐ合点がいったのですが、顔自体はウェットティッシュが自宅にあるからそれで拭けばいいものの、朝からお茶飲めないとなると水分的に良くないなと思い、せっかくだからとそのまま外に出て近くのマクドで朝マクドすることとしました。

 そうしてマクドで朝食を食べている最中、いつものように心身の健康を維持するため敢えて物欲を刺激するよう淘宝のおすすめ商品一覧をざっと眺めていたところ、目を引く商品がプッシュされてきました。

 
 百聞は一見に如かずですがこの商品が何なのかというと、戦車の形をした急須です。言われてみて初めて自分も気づきましたが、戦車と急須は形状が似通っており、確かにそのままの形で急須にすることができそうです。最もその点に気づいたからと言って、実際に急須にして作る奴なんているわけねーだろと誰もが思うところ、マジで作ってしまうのが中国人というべきなのかもしれません。マジリスペクト。

 個人的にはめちゃ心を打つ商品で実際に手に取ってみたいものの、仕方ないとはいえ値段がやや高め(通常の急須なら400~600円くらいのところ、上の写真のは6000円&3200円)なのと、中国式な急須なせいか一回で入れられるお湯の量が少ないサイズとなっており、多分普段使いだとあんまり活躍しなさそうなので、多分今後も購入しないと思います。
 誰かにプレゼントとして使うならありかもしれませんが。

 ただ真面目に、日本の茶道教室とかでいきなりこれ出されたら生徒やお客はマジビビるとともに凄い感銘受けること間違いないでしょう。中国には茶道はないものの茶芸といって、体系化されてはいないもののお茶でのもてなしマナーというのはあります。そういうところでさりげなくこんな一品だしたら誰もが人気者になれるでしょう。
 あとアニメのガルパンことガールズパンツァーでは茶道や華道っぽく女性のたしなむ稽古事に「戦車道」ってのがある世界ですが、こんな茶道具あれば戦車茶道としては成立するかもと思います。

久々に運動したら……

1泊20万円はざら 京都から日本人が消える…受け皿は高市首相の地元、奈良 でも夜7時には人がいない...「夜早すぎ問題」克服がカギ(関テレ)

 奈良について報道していて関テレはえらいと思うものの、ホテル事情に関する報道なのに奈良最強(当社調べ)のホテルである奈良ロイヤルホテルについて触れてないのが不満です。
 ちなみにこの「最強」という表現ですが、元々は「日本最強」の銭湯と呼ばれている京都の船岡温泉の通称からインスピレーションを受けたものです。具体的には、「何が最強やねん(。´・ω・)?」というツッコミどころです。

 話は本題ですがここだけの話、10月以降はずっと体調が悪くありました。原因は非常にはっきりしているというか夏で猛暑が続いた7、8、9月にずっと野外活動ができず、運動不足になっていたからだと自覚しています。運動しようにも少し外出ただけで簡単に熱中症になる毎日が続き、10月ですら上海は前半はずっと最高気温が30度越えで、しかも8月にはエアコンも壊れるし……。

 それでも11月に入ってようやく気温が下がり(例年より高いが)運動ができる環境となったのですが、先々週末は野暮用があり、先週末は雨で活動できず、ようやく今日晴れたので自宅から約10キロくらい離れたプラモ屋まで自転車飛ばしてきました。運動不足を解消するためやや負荷を高く、気持ちスピードを高めにしつつ安全運転で走っていたのですが、運がいいのか悪いのか、信号でちょっとありました。
 何があったのかというと3回くらい連続で信号が「加速すればギリ突破できる」くらいなタイミングで次々と点滅するもんだから、この3つともフル加速で連続して走り続ける羽目となりました。どの信号も右折用の信号がついてるもんだから目の前で替わられるとかなり待つ仕様だったため、多少無理してでも通り抜けたいと思って走ったらまさか三回連続で続くとは思いませんでした。

 幸いにして4つ目の信号はしっかり赤をともしていたのでようやくここで止まれたのですが、止まった瞬間にものすごい気だるさが遅い、視界も真っ白になって立ち眩みのような状態になりました。頭の感覚も鈍くて気絶しかけたのではと思うくらいだったのですが、それ以上にびっくりしたのは首から耳の後ろをかけて血流が頭まで激しく上るのをはっきりと体感できたことでした。
 このため、信号が青に代わって動き出すも自転車をまともに走らせることもできず、動き始めは見事に左右に振れるなどめちゃ不安定でした。さすがに少し時間が経ってスピードも乗ってくると調子を取り戻し、その後は無理しないスピードで走行し続けたら特に何も起こらなくなりました。でもあの耳の後ろを血流流れた時は寄生獣でミギーが言ってた「これが死か……」というセリフがマジ浮かんできました。

 冒頭に書いたようにこのところずっと体調悪く、しょっちゅうお腹は下すわ、肌に黄疸が出るわ、右ひざが数日間にわたり痛み続けるなど、ウイルスに感染していたのかもしれませんが元気のない日々が続いていました。ただ今日運動したところ若干調子の良さを取り戻した感はあり、修理を頼んでいたスーツケースを取りに行って家に帰宅した後も、なんか妙にやる気に満ちて洗濯物たたみ、掃除、調理、荷物整理など5時くらいまで動きに動き回り続けていました。やっぱり体調悪かったのは運動不足だったんだろうな(´・ω・)

 ちなみにプラモ屋ではKV-2のプラモ買おうかと思ってたけど箱が思ってたよりでかくて持ち運ぶのにヤバいと思ったので、小さくて安かったのでハセガワのMig―27を買ってきました。