2010年9月11日土曜日

社会的報復としての死刑の価値

 大分日が空いてしまいましたが、前回「死刑は犯罪抑止につながるか」の記事からの続きで、今回は死刑を社会的報復としての観点から見た場合に価値があるかどうかについて私の意見を紹介しようかと思います。結論をまず申せば、やはり死刑には報復という意味で価値が少なからずあると思います。

 実はこの社会的報復という言葉はまるまんま私の造語なのですがその定義は簡単で、要は加害者に対して被害者が直接報復を行うのではなく、刑罰など法手続きを経て社会(治安機関)が被害者に代わりその犯罪ごとに一律の制裁を与える事で報復とするという意味です。前回の記事でも書きましたが江戸時代では一代限りの仇討ちは認められていましたが、これは被害者が加害者に対して直接報復を行う行為です。これに対して現代では親族が誰かに殺害された場合、犯人が捕まりさえすれば裁判を経た上で国家がその犯罪行為に対して一律の刑罰を与えるようになっております。

 両者の違いはなんといっても報復の実行が直接的か間接的かということで、前者であれば報復の度合いを決めるのは被害者本人ですが(つっても斬り殺すのにかわりないだろうけど)、後者だと被害者はその度合いを勝手に決める事が出来ず裁判などといった代理制裁者の間で自動的に決められます。たとえその犯人を殺したいほど憎んでいたとしてもです。

 すでに何度がこのブログでも書いていますが、私は人間というのは基本的にプラスかマイナスの損得勘定がすべての思考の原点になっていると考えていおり、そのためこの報復についても、被害に見合う制裁が加害者に対して実行されるかどうかに被害者は集中すると思います。法定された刑罰それ自体がその社会に属する被害者の感情を納得させる基準を作っているとも考えられますが、こと死刑に関しては少し話が違ってきます。

 それこそ大切な人間が無慈悲な理由で殺された場合、周囲の人間はなかなか自分の感情に踏ん切りをつける事は叶わないでしょう。あくまで私が耳にする範囲ですが、やはり親類が殺された遺族はそれがすべての救いとならないまでも犯人に対し死刑を強く望む声が大きいような気がします。またもし自分がそのような遺族の立場になったと仮定した場合、ハンムラビ法典ではないですが殺人に対する仕返しとして死刑と、仕返しが何も生まないと分かっているとしてもそれでもないよりはあったほうがいいのではと私も考えるでしょう。

 もちろん死刑にならなくとも殺人の場合はよっぽどの理由がない限りは無期懲役刑が下されますが、これはしばしば議論となっていますが死刑と無期懲役ではあまりにも大きな差があるといわざるを得ません。遺族側が死刑にこだわる理由も無理ではなく、そしてそれは遺族に止まらずその社会の人間全体にも少なからず影響する可能性も見捨てられません。

 現在の日本ではセンセーショナルな事件は必ずと言っていいほどメディアが全国に向かって大々的に報道し、また国民もそのようなゴシップを求めております。それゆえに大きな事件、過去だとオウム事件、最近だと秋葉原連続殺傷事件などはその裁判過程も細かく報道されて早くもその判決に注目されるようになります。
 詳しい統計もなくこれまたあくまで私の印象論ですが、やはりこういった事件内容が大々的に報道された場合、その報道を見る視聴者もいつの間にかその直接の被害者や遺族ほどではないにしろその犯人らに対して怒りを共有し、必要な刑罰を強く望むようになる傾向があるように思えます。

 江戸時代では磔などといった一部の死刑は公開で行われていましたが、これは庶民に対して「悪い事をしたらこうなる」という警告的な意味合いとともに、一種のショーのような具合で娯楽的な意味合いもあったと一説で述べられています。この死刑の娯楽的要素は日本に限らず世界各国で共通しており、恐らく一番華やかだったのはロベスピエールが居た頃のフランスだったでしょうが、一種のガス抜き的な効果は確かにあったと私も思います。
 現在の日本ではもちろん死刑は公開されていませんが、全国に報道された犯罪者が死刑判決を受ける、受けないで国民が持つ感情は変わってくるでしょう。

 最後に蛇足かもしれませんが、私は先ほど、刑罰それ自体が報復感情を納得させる基準を作っている節があると書きましたが、これは言い換えると、その犯罪にはどのような刑罰が課されるのかという基準意識をも作ってもいるとも言えます。
 全国的にも報道されたある有名な事件の犯人は逮捕後、オウム事件を見て犯人らが逮捕後にすぐ死刑とならなかった事を見て影響されたと語っており、また「市川一家4人殺人事件」の犯人は「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人らが死刑にならなかったのを見て自分も死刑になるはずがないと主張していたと報じられています。前回に死刑の犯罪抑止力は低いと書いておきながらですが。

 本筋の議論から大分外れた話になってしまいましたが、死刑があるかどうか、そして判決が下りるかで被害者の意識、並びに社会の規範意識に与える効果という意味においては死刑は存在価値があると私は考えているわけです。

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