もはや日本語において一般名詞化したと過言ではない「ブラック企業」という言葉ですが、このところは普及を通り越して過剰なまでに一般化し過ぎではないかと少し懸念を覚えております。敢えてこまっしゃくれた言い方しましたが言い直すと、今の日本ではさもブラック企業が存在するのが当たり前のようになってきているように感じます。
・「ブラック企業」の台頭とうつ病(西多昌規)
そんな風に感じていた矢先に見つけたのがこの記事なのですが、記事中にMy News Japanの記事が引用されており、折角だから(越前康介がわかる人も少ないだろうな)私も引用すると、下記のような衝撃的な内容が書かれてあります。
就職人気企業225社のうち60.8%にあたる137社が、国の過労死基準を超える時間外労働を命じることができる労使協定を締結していることが、労働局に対する文書開示請求によって明らかとなった。1年間で見た場合の時間外労働時間ワースト1は、大日本印刷(1920時間)、2位が任天堂(1600時間)、3位がソニーとニコン(1500時間)だった。労使一体となって社員を死ぬまで働かせる仕組みが、大半の企業でまかりとおっていることが改めてはっきりした。人気企業の時間外労働の上限が網羅的に明らかになったのは今回がはじめて。なかなかに衝撃的な内容で私以外にも引用している方がたくさんいるのですが、確かにいい仕事をしております。このMy News Japanの記事を引用した上で西多氏は日本人の働き方、また過剰なまでにサービスを強要すれば回り回って自分に返ってくることについて重要な提言をしているのですがそれは今回置いといて、私の主張を一本に絞って展開します。今日ここで私が言いたいのはただ一つ、労働法によって労働時間の上限が規定されているにもかかわらず、日本全国それを破る企業がいるどころではなくもはや誰も守っていない状況にあり、しかもその状況を当の日本人自身が当たり前に受け取っていることはもはや危機的状況なのではないのかということです。
あらかじめ書いておくと私自身は労働時間をピッタリ守って仕事が回っていけると信じるほど理想主義ではなく、多かれ少なかれ残業は必然的に生まれると思います。ただその必然的に生まれる残業に対して企業側が支払うべき賃金を支払わず、あまつさえ出社規定時刻の30分前には出社するよう社員に求める会社というのはやはりおかしく、さらにというか見ていて呆れるのですが、そういう会社に限ってタイムカードを押すよう強制していて、「何のためにこれ存在するの?」と大声で突っ込みたくなってきます。
そしてこのような企業が世の中に大半ある中で、本来監督するべき立場の労働基準監督署が何も動かないというのは、もはや法律はあってないも同然の世の中です。それこそ石を投げれば違反企業に当たるほど多いというのに摘発されたという話はとんと聞いたことがなく、むしろ逆に「残業のない会社なんてあるわけない」、「社会人になったら少なくないサービス残業を我慢しなければ駄目だ」といった、現状を肯定するような意見ばかりよく聞こえます。
少し抽象的な話をしますが、貨幣というのは信用があって初めて成り立つというのは経済学の基本です。法律学ではどうかはわかりませんが私が思うに基本は一緒で、法律というのはそれが守られるという信用があって初めて成り立つ概念だと考えており、言うなれば「信なくば立たず」です。
中国の戦国時代にいた法家の先祖といってもいい商鞅などはこれを実践しており、法律を国内に広めるに当たってまず最初に、「この木の棒を向こうまで持っていったら賞金を与える」というお触れを出し、実際に運んだ男に約束通りの賞金を与えることによってお上の出す法律は確実に守られるという概念を植え込んだと言われております。つまり仮に法律があってもそれを守る人が少なければ、赤信号をみんなで渡るかのようにその法律は有名無実化していってしまうということです。
現在の日本の労働法などはまさにそのような有名無実化の一途を辿っており、「守らないのが当たり前」、「守る奴の方が馬鹿だ」と言わんばかりの状況です。もうこんな状況で労働基準監督署も正す気がないなら労働法自体を廃止したらどうだと内心思うのですが、仮にそうやったら優秀な外国人人材は日本を去り、日本人からも頭脳流出が起こる気がします。そしてなによりも今以上にブラック企業が勢いづくことによって精神疾患などで体調を崩す人間が増え、社会負担もどんどん増していっていくというのがオチじゃないかと思います。
ブラック企業の弊害についてはこれまでも散々主張してきたので細かくは書きませんが、ブラック企業経営者は雇用を作っていると主張するものの、彼らがいなければもっと大きな雇用が生まれる可能性もあり、また過重労働から解放されて娯楽時間が増えることによって消費拡大も期待できることからその存在は百害あって一利なしだと私は断じます。なので一応は労働時間を縛る労働法があるものの全く機能していないので、この際だからブラック企業を規制する新たな法律を作ってみるのも手かもしれません。
ただこのブラック企業についてこのところよく思うのは冒頭にも書いたように、いつの間にか存在すること自体をみんな当たり前のように思ってきていて、そうした企業への批判が異常に緩くなっていることです。そしてこうした空気の中で、まだ恥を感じることが出来るなら救いがあるものの、むしろブラックで何が悪いと堂々と居直るようなブラック企業経営者も出てきているというのが日本の変な所だと強く感じます。
そんな居直るような会社ってどこなのかですが、言ってしまえばワタミです。そういうわけで次回はみんな楽しい陽月秘話流のワタミ特集です。我ながら、いやらしい書き方をしてくるなぁ。
2 件のコメント:
今回の記事を読んで、池上彰氏の「高校生からわかる「資本論」」に書かれていたことを思い出しました。同書では、資本主義では資本家が労働者を搾取することは避けられないが、冷戦時代は、労働者にとってのユートピアという幻想をもたれていた共産主義に対抗するために、資本主義でも労働者が幸せになれるということを証明するために、政府が資本家の行き過ぎから労働者を守っていた。でもソ連が崩壊してからやっぱり資本主義が正しかったのだ、という資本主義至上の考えが強くなり、資本家の行き過ぎを防ぐ力が弱くなってしまった、ということです。
もう一つは、通訳案内士の面接の勉強をしていたときに出ていた模擬問題に「「お客様は神様です」って何ですか?」という問題が出てきたことです。日本では、商売の基本?のように言われているこの言葉が、外人には日本独特の不思議な考え方に映るのだな、と思いました。
市場経済なら、日本だけではないのに、日本人が一番無理してもくもくと働いていそうなので、資本主義の行き過ぎに加えて、日本人独特な考え方が、記事にあるような現状を作り出しているのかと思いました。
社会主義はカビの生えた思想だと私は考えておりますが、社会主義勢力がなくなったことによって資本主義勢力が労働者に対する手心を捨てたというのは間違いないでしょうね。そういう意味では社会主義に代わる労働者の思想なり価値観が新たに必要なのかもしれませんが、今のところそのような概念はまだ見えてこないのが現状だと思います。
すいかさんなら話は早いでしょうが、どうも日本だと購入する側の立場が強すぎるきらいがあると思います。というのも海外だと商品を売る側も買う側も合意によって契約するため、多少は売る側が下手には出ますが基本は対等な立場で話をします。それに対して日本だと売る側は完全に下で何一つ逆らうことが許されないような扱われ方をしていて、こういうのは如何なものなのかなと常々感じます。
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