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2013年10月15日火曜日

ヘイトスピーチに対する私の所感

 先日、京都地裁にて在特会こと在日特権を許さない市民の会による朝鮮学校に向けた、ヘイトスピーチなどと呼ばれる抗議・宣伝活動が違法だとの判決が下りました。この判決では在特会に対し賠償金の支払いが命じられ、このところ各地で増えている同様のヘイトスピーチに対する初めての司法判断として大きく報じられました。今日はこのヘイトスピーチに対する私の意見を描いてみようと思うのですが、書く前にほかの報道ではどうかなと調べてみたら下記の記事に自分も知っている韓国社会を専門とする社会学者、板垣先生の意見書が載っててちょっとびっくりしました。M先生はまだ生きてるのかな?

「ヘイトスピーチ断罪判決」が触れなかったもの(朝日新聞)

 まず結論から言うと、私はこうした民族(=人種)や出身を理由とした抗議・批判をするヘイトスピーチに対して否定的な立場を取ります。やってる人間からしたらいろいろ理由を挙げてくるでしょうが私が見る限り、在特会のデモは制度の不公平を是正するという事よりも在日の人を糾弾することが目的の様にしか見えず、ただ憎しみや不満を吐きだしているようにしか見えないからです。こうした点については普段は厳しい産経新聞もこの記事で、

「批判すべきなら、普通の言葉で、堂々とすればいい。ことさらに憎しみをあおるような発言は、批判や意見とは、まったく異なる。」
「だが繰り返されたシュプレヒコールは、判決で言及されたものだけでも「朝鮮人を保健所で処分しろ」「日本からたたき出せ」など聞くに堪えない言葉が並んでいた。」

 などと批判しており、基本的に私もこの意見に同感です。

 自分のこのブログもあれこれなにかを批判することが多いですが、その際にいつも気を付けているのはそれが自分自身の愚痴に成り下がってないかという点です。基本的に批判する対象に対して私が不満を持っていることは間違いないですが、それが私個人の感情に起因するものではなく、またその不満が解消されることによって社会の改善にもつながるものだけをブログで展開するようにしています。ただ憎しみだけを周りに吐き散らすというのは社会を悪い方向にしか向かわせません。
 ましてやこのヘイトスピーチは堂々と差別を主張するもので、当局などはもう少し規制をしてもいいのではないかとすら思います。しかもデモを行う場所も朝鮮学校など制度の改善とは全く関係のない所ばかりで、言ってしまえば弱い者いじめをしているようにしか見えません。

 私自身、差別感情を持つことに対しては否定しません。誰でも聖人になれるわけじゃないし恨んだりなど負の感情を持つのはごく自然なことだと思います。しかし思うだけと、それを主張し周りにも賛同を促すというのは別問題です。これらのヘイトスピーチは弱い者いじめを肯定するようなものにしか見えず、社会上、百害あって一利なしではないかと私は考えます。

 ただ敢えてここで問題提起をしますが、在日韓国人・朝鮮人に対する法制度はそろそろ見直すべき時期に来ているのではないかともこのところよく思います。というのも在日の方々に対する法制度は戦前・戦後の混乱、また朝鮮戦争の余波などがあって特別法のような形で組まれて、それが現在に至るまでずっと続いております。しかし既に終戦から70年近く経過し、特別法のような制度で他の外国人とは異なる制度を維持するべきかどうかと言ったらやっぱりなにか違うような気がします。具体的に言うと、他の国・地域出身で永住権を保有する外国人と扱いを同じくする制度にするべきでしょう。

 さらに具体的な一点にツッコミを入れると、いわゆる「通名」と呼ばれる日本人名を名乗ることに関しては廃止すべきじゃないかと提案します。実際はどうだかわかりませんがネット上などでは在日出身の方が犯罪を犯した際、報道では本名ではなく通名によって報じられ、在日出身であることがわからないように保護されているなどという意見が出ています。
 繰り返しますが果たして実態はどうなのかわかりかねますが、こういう疑いを晴らすためにも、またほかの国・地域出身の外国人がそんな通名を日本で使用していないことを考えるともうこういう習慣はやめてしまうべきです。こういう余計な所こそ平等にするべきでしょう。

  おまけ
 最後に蛇足ですが通名ネタで語ると、中国人は英語名といって「レスリー・チャン」とか「シンディ・ワン」などと好き勝手に欧米人っぽい名前を名乗ってきますし、貿易事務書類もこの名前でサインしてくることも多いです。これらの名前は別に洗礼名とかそういうものではなく、中学校で英語を習い始めるタイミングで勝手に自分で決めるそうですが、ご大層な名前の割に英語が出来ない中国人だったりすると「何がシンディだよ」とかちょっと言いたくなります。

  おまけ2
 自分が貿易事務職を務めていた時に上記の話題が同僚の間で上がり、「花園は自転車が好きなんだからチャーリー花園って名乗れよ」と言わrました。

2 件のコメント:

潮風太子 さんのコメント...

早速のアンサーネタありがとうございます。
さて、私が見るにどうやらヘイトスピーチの「ブーム」も、
終焉期に差し掛かってきた印象を実はもっています。
今回の裁判では京都弁護士会全員相手に、
大阪弁護士会の弁護人をかろうじて立てて応戦したものの、
もう完全なワンサイドゲームといった感じでした。
そもそも在特会側も出廷して来なかったりといったところからみても、
彼らもどこで幕引きをするか引き際をみつけたい・・・といった印象です。
花園さんのおっしゃるとおり在日の今後のあり方ですが、
そもそも「朝鮮学校」とは何なのか?という定義が今だに
曖昧な状況ですし、
またそれをヨシとしてきた今までの経過などを勘案すると、
今回の裁判は在日の定義について本格議論に入る絶好の機会だったんですが・・・
まぁそこまで入って「腹割って話す」というくらいの強い民族意識というのが、
在特会側にはナイように感じすらしてしまいました。
これに関しては非常に残念に思います。
タブーに挑むという姿勢自体は一定の評価はしていたもので。
しかし、この件でだいぶ冷めた人たちも増えたようです。
あとは空中分解するのを待つ・・・ということなんでしょうかね。
そういう脆弱な組織とみるや一気に攻撃するメディアというのも、
何か姑息な感じもしたりで、
なんだかなぁ~?とついボヤキたくなってしまう今日この頃です。

花園祐 さんのコメント...

 こちらこそいいネタの提供、ありがとうございました。
 在特会もこういってはなんですがシーシェパードみたいに騒いでお金稼ぐことが目的でしょうし、本気で在日問題を問うとかという政治意識はないのじゃないかと思います。それだけにこの手の問題は、外堀を埋めることによって差別してもお金にならなくさせればすぐに鳴りやむかもしれません。
 ただ潮風大使さんも書いていますが、在日の方に関する法制度はタブーとなっている要素が強く、改正が必要なヶ所もそのままになって残っています。むしろそういうところに目を向けるべきだって思いからこの記事は書き上げましたね。