2014年9月17日水曜日

二次大戦下のフィンランド 前篇(冬戦争)

 この頃密かなマイブームとして北欧史にはまっています。なんでこんなのにはまっているのかというと米国、西欧とは明らかに異なる文化県で現在も「福祉国家」に代表される独特な国家運営の仕方などから一体どういう歴史やパーソナリティがあるのかなと興味を持ったことに端を発します。あとどうでもいいけどパズドラのヴァージョンアップが出来なくて今遊べません(´;ω;`)ウッ
 話は戻りますがちょっと比較研究を兼ねて二次大戦期において恐らく北欧で一番苦しんで、なおかつ伝説を残したフィンランドの戦争について解説します。フィンランドは二次大戦下に二度、二度ともソ連とぶつかり合っているのでそれぞれで一回ずつ開設するという形で、今回は1939年12月から1940年3月まで続いた冬戦争を取り上げます。
 
冬戦争(Wikipedia)
 
 当時の世界状況から説明を開始しますが、1939年9月にドイツはポーランドへ侵攻し、またそれによって英仏がドイツに対して宣戦を布告したことから第二次世界大戦は幕を開けます。この時にドイツはソ連との間で不可侵条約を結んでいたのですが、この条約は1941年に破棄されるだけあって独ソ双方で一時的な取り決めという認識が始めから持たれており、ドイツが英仏を相手にしている間にソ連も勢力を拡大する事があらかじめ視野に入っており、そんなソ連のターゲットとなったのがほかならぬフィンランドでした。
 ソ連はフィンランドに対して領土の割譲、軍港の無条件での租借などといったあんま今と変わらない無茶な要求を繰り返し、これに対して明らかに小国であるフィンランドは拒否し続けます。こうしたフィンランドの態度を見たソ連はフィンランドとの国境でフィンランド側から銃撃を受けたと偽装し(崩壊後にその記録がばれてる)、フィンランドに対して一方的に宣戦布告を行い軍を派遣します。その兵数はなんと45万人で、最終的には100万人を派遣したと記録されています。
 
 この奇襲とも言えるソ連の行動は世界から批判され国際連盟からも追放を受けますが、あんま今と変わらず気にしないソ連はフィンランド領内に突き進みます。しかもフィンランドにとって不運だったのはスカンジナビア半島の先端に位置するノルウェーがドイツの圧迫を受けていたことから中立に回らざるを得ず、英仏などの支援物資、義勇兵の輸送を妨害したことです。事実上この時のフィンランドは孤立無援と言っていい状態で、ソ連に対して何の援助もないまま自国だけで立ち向かわなければなりませんでした。
 そんなフィンランドですが結果から言うと、ソ連に対して有り得ないくらい大勝しています。ウィキペディアの記述を引用すると下記のとおりです。
 
  フィンランド軍:ソ連軍
  歩兵戦力=25万:100万
  戦死・行方不明者数=2万6000:12万7000
  戦傷者数:4万:26万5000
 
 実に4倍の兵力差、兵器でもソ連に劣っていたと思われるのに堂々たる戦果ぶりです。
 
 一体どうしてフィンランドはこれほどまでにソ連軍を打ち負かせたのかというといくつか理由があり、最大の原因と考えられているのは当時のソ連の最高権力者であるスターリンが赤軍将校を片っ端から粛清していたためまともな士官がおらず、ソ連の指揮系統や戦術があまりにも不甲斐なかったせいだったためと指摘されています。実際に当時のソ連の国防大臣がスターリンに面と向かって、「お前が殺し過ぎたせいでまともに戦えないんだろっ!」と痛罵しており、さすがのスターリンも責任を感じたのかこの国防大臣を左遷こそしますが処刑まではしませんでした。
 このほかソ連側の敗因としては、一ヶ月ほどで片が付くと思っていたらずるずると戦争期間が延びてしまって補給に綻びが生まれたことと、それにより冬将軍の備えが出来ず大量の投資者を出してしまった点が挙げられます。後の独ソ戦でドイツが辿ったような失敗をこの時はソ連が経験しています。
 
 逆にフィンランド側の勝因としては、少ない兵力をカバーするために決戦を避け、森林などで待ち伏せするゲリラ戦のスタイルを徹底的に貫いたことと、開戦前にソ連の侵攻に備えマンネルハイム線という防御陣を敷いていたこと、その防衛陣の名前の元で元帥として戦ったマンネルハイムという将軍のリーダーシップなどが挙げられます。ただこうした要因以上に祖国を守ろうとするフィンランド人の高い士気、そして民間人から最低限の訓練を経て採用された民兵が恐ろしいまでに強い兵隊だったという事実も見逃せません。
 もともとフィンランドは狩猟の盛んな地域でこの冬戦争時にはハンターを中心に民兵の狙撃部隊が組織されたのですが、多くのメンバーが氷点下何十度という厳しい環境下でも高い狙撃能力を発揮しており、特にソ連側から「白い死神」と呼ばれたあのシモ・ヘイヘがこの民兵の中にいたということはソ連にとって悲劇以外の何物でもないでしょう。
 
シモ・ヘイヘ(Wikipedia)
 
 知ってる人には有名ですが、狙撃による射殺数が確認されるだけで505人、実際には1000人を超すのではと言われるのがこのシモ・ヘイヘです。彼の狙撃にまつわるエピソードはどれも人外じみており、上記の射殺記録は冬戦争中のわずか100日間で打ち立てただけでなく、300m以内なら確実にヘッドショットを決められたとか、1分間で16人を射殺したなど、連邦の「白い悪魔」もびっくりです。実際に彼が配属されていたコッラという地域は終戦までフィンランド軍がソ連軍を押し返しており、さらにはシモ・ヘイヘを含む32人が防衛した丘では押し寄せるソ連軍4000人を撃退するというフィクションのような話まであります。
 
 ただソ連軍相手に善戦したフィンランド軍でしたが他国からの支援がない中で武器弾薬の不足は否めず、戦争の長期間継続は初めから不可能でした。一方のソ連も余りの損害の多さから早くから講話の道を探っており、両者の思考が一致したことから講和条約成立へと至ります。
 この講和条約でフィンランドはソ連側の多くの要求を受け入れざるを得ず、重要な工業地帯を含む国土の10%をソ連に割譲することとなります。とはいえ祖国の危機から独立を守り切ることはでき、フィンランドにも束の間の平和が訪れます。もっともこの時のソ連へのフィンランドの怨みはくすぶり続け、一年後の1941年に勃発するフィンランド対ソ連の第二ラウンドに当たる継続戦争が起こることとなるわけです。
 
  おまけ
 この冬戦争には英国からの義勇兵として、「ロードオブザリング」のサルマン役、「スターウォーズ」のドゥークー伯爵役で有名なハリウッド俳優のクリストファー・リーが参加しています。非常に強いキャラクターのある俳優ですが、あの迫力はこうした経験が背景にあったのかと妙に納得しました。

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