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2016年1月11日月曜日

国を愛する教育の是非

 昨年末の余力有り余っている時に愛国心についての記事を書きましたが、この記事では私は愛国心はやっぱり政治用語だからその感情の矛先となる国家とは「政府」であって、国土や文化も関係ないとは言わないけどやっぱり矛先が違うと主張しました。なので仮に国土や文化を愛する気持ちを言い表すなら「愛国心」とは言わず「愛郷心」などと言葉を変えて表現するべきだとも主張しましたが、こちらはあくまで個人的な意見であるためそこまで確固たる価値観に基づいて言ったわけじゃありません。
 で、今日取り上げたいテーマとしては後者の愛郷心の方で、国土や文化といった範囲で自分の国を愛する気持ちを育てる教育をやるべきか否かです。結論から言えば私は反対で、そういう教育はまかり間違ってもやるべきではないとこっちは真面目に主張します。

 こう主張する理由は大きく分けて二つあり、一つ目としてはそもそも教える価値があるのかについて疑問だからです。普通の人だったら、こういってはなんですが生まれ育った国や地域を愛するようになるのはごく自然なことで、程度の差こそあれ愛する気持ちは何もしなくても根付くと思います。それを教育で伸ばそうとしたってそもそもどこまで伸びるのか、案外初めから持っている気持そのまんまで終わってしまうんじゃないのかと考えます。

 もう一つの理由が今回の本題ですが、こういう感情というのは私は「北風と太陽」のようなものだと考えており、変に気持ちを強くさせようという教育を施すとかえって反発心が生まれて、むしろ嫌悪感を持つ人間を増やしかねないのではと懸念しています。なんでこんな風なこと思いついたのかというと戦前の愛国心教育と戦後の自虐史観を自分の中で比較し、どちらもその教育方針に反発する層を一程度作っていたのではと思えたからです。
 戦前に関してはちょっと時代がずれますが、戦後生まれの世代から社会主義闘争が始まって強烈なアンチ国家主義者が大挙して出てきています。一方、こちらは私の時代とも被りますが自虐史観が盛んだった頃には、「なんでそこまで悪く言われなきゃいけないんだ」という具合で、ネット右翼に代表されるような戦前の賛美すら行う層が確実に生まれてきました。
 また比較的最近の話でも、テレビで日本礼賛番組が一時期続出したことに対してネット上で反発する声がいくらか見えましたし、かくいう私も正直に言ってあまりいい気分はしませんでした。日本のいいところを紹介されるのは決して気分が悪くなることではないですが、それでも量が多かったり、またしょうもない点でも勝っていると喧伝されるとなにがやねんという気持ちが少なからず芽生えてきます。

 話しは戻りますが過去の教育方針に反発した層もそれが多数派になったとは言えませんが、やはり感情を押し付けるような教育というのは反発心を育てかねない危険性を含むようにも感じられ、それであるなら露骨な愛郷教育みたいなのはよして、「日本は世界と比較するとこんな感じですよ~」って具合に、太陽みたく軽く説明する程度にとどめるのがベストではないかと個人的に思います。第一、自国を愛する気持ちを教えることは他国を卑下する感情をも生みかねないとも思えますし。

 なんか最近短い記事にまとめることが多いように思えるのでもう少し続けると、感情を「育てる」教育なんてのは本来なくて、本質的には「煽る」教育なのではとこの頃思います。だからといってノータッチにすべきだとは思いませんが、やはり教育というのは知識を授けることで感情を何かの方向に持って行こうというのは並大抵の成せる業ではないのかもというのが今日の私の意見です。

2 件のコメント:

上海忍者 さんのコメント...

キミは愛国教育を受けていましたか?

花園祐 さんのコメント...

 どっちかっていうと反日教育受けてきた世代だ。だからこそ反発も持ったのだろうけど。