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2016年10月26日水曜日

破壊型、創造型に分かれる政治家のタイプ


 いまいち需要があるのか自分でもよくわからないですがまたどうでもいい近況を書くと、先週末に日本帰った際に立ち寄った松戸(マッドシティ)の伊勢丹で信楽焼のオールドカップを買ってしまいました。値段は3000円でしたが何とも言えない光沢と歪みで、本来は焼酎や日本酒を入れることを意識して作られていると思いますが酒が飲めないため夜な夜なお茶を注いではニヤニヤして飲んでいます。包装箱によると、富田正氏の作品で「黒金彩オールド」という商品名です。
 なおこれを買う際、同時に美濃焼カップ6個セットが3300円くらいで売っていたので、陶器趣味の伝播を図っている上海人の友人へ送ろうとこれも買ってしまいました。箱がでかくて、移動中は色々辛かったけど……。

 話は本題に入りますがかなり昔、具体的には12年くらい前に読んだ政治評論記事にて「政治家には大きく分けて二つのタイプ、創造型と破壊型に分かれる」という指摘があり大いに唸らされたことがありました。これはどういう意味かというと文字通りで、新たな制度やグランドデザインを作り出すタイプの政治家が創造型に当たり、逆に古い制度や組織を破壊するタイプの政治家が破壊型に当たります。

 具体例を挙げると破壊型政治家に属し近年の有名どころとなると間違いなく小泉純一郎元首相で、スローガンの「自民党をぶっ壊す」に始まり郵政の民営化や社会保障制度改革などで既存制度や概念を破壊し、そしてハンセン病訴訟問題や不良債権処理といったいわゆる「負の遺産」を一気に処理していたことから破壊型政治家の名に相応しいでしょう。もっとも、「自民党をぶっ壊す」については言葉とは裏腹に自民党を延命させてしまったというのが私の評価です。
 反対に創造型政治家の例としてはやや古いですが竹下登元首相、橋本龍太郎元首相がこのタイプに入ると考えております。竹下元首相は在任当時は大いに叩かれましたが消費税の導入を行い、橋本元首相も行政改革を通して現在の省庁体制を確立し、後の小泉政権における内閣主導の布石を作っています。

 この二つに分かれる政治家のタイプについて元の評論記事では、「概して創造型政治家は嫌われやすく、破壊型政治家は人気が得られやすい」と指摘してあり、その例として上記の通り破壊型は小泉元首相、創造型は竹下元首相を引き合いに出して両者の事業と功績を見比べて、竹下元首相の消費税導入は日本政治史における偉大な一歩だったが嫌われたまま終わってしまったのに対し、小泉元首相は壊すだけ壊してまだ何も残していないと評価していました。言われて私も火今でも非常に納得する意見です。

 ここから私の評論に移りますが、破壊型、創造型のどちらが優れているわけではなく政治においては両方とも必要不可欠であると考えております。時代に合った制度を創造する必要性は言うまでもなく大事で、またその逆に時代に合わなくなった古い制度、現代であれば連帯保証人制度や上記に上げた不良債権などですが、こうした旧弊というか負の遺産を吹き飛ばし新しい制度を設置する余地を生む破壊も時代によっては非常に重要となります。ややくどいですが繰り返して述べると、創造の上に創造するということは実際有り得ないことで、新たな制度や概念を作るためには一度更地に戻すというかスペースを作る行為もまた必要だというのが政治だと私は思います。

 この政治における破壊と創造のサイクルですが、もちろん政治家は両方できるに越したことはないのですが私のこれまでの知見から述べると、やはり各政治家はこの二つのうちどっちかの方向に意識なり能力が傾くため、二項対立的な概念は好きではないもののこと政治家においてはこの二種類のタイプに大別した方が見やすい気がします。
 近年の政治家でタイプを分類すると、まず安倍首相は憲法改正や安保法案の海底にこだわる点を見ると創造型で、麻生財務大臣は悪い方の破壊型、石破議員はやや創造型かと思えます。民主党時代の主要人物となると鳩山、管の両元首相はどちらも完全な破壊型で、言い方悪いですが自己破滅的な破壊型だったなと思え、最後の野田元首相が唯一創造型だったと見ております。

 ここでちょっと破壊と創造に沿って日本政治史を敢えて追うと、日本はいわゆる55年体制の期間中は一貫して創造的な政治が求められ、池田勇人や田中角栄といった創造型の政治家が大いに活躍できた時代でした。しかし55年体制の終末に近づくにつれ明らかに「負の遺産」が溜まっていき、自民党が第一党から落ちて55年体制が終わって以降はバブル崩壊後の日本経済同様、破壊型の政治家が求められていたのでないかと思えます。
 しかし、創造型にも破壊型にも分類できず敢えて言うとしたらやっぱ自己破滅型だった村山元首相以降の橋本、小渕の両首相はどっちも創造型で、時代的な観点から見ればミスキャストな点が大きかったでしょう。そしてその次の森元首相に至っては今のオリンピック委員会を見ていてもわかるようにこの人も自己破滅型でお話にならず、小泉元首相が来てようやく破壊の時代が幕開けしたとも言えるでしょう。

 そしてポスト小泉時代こと現代について言えば、小泉政権で破壊しつくされた後ということもあって新たな制度や概念が明らかに求められており、この記事を書いている現時点においても創造型の政治家の方が破壊型に比べ有利な時代であると思われます。ただ安倍首相は創造型政治家であるもののグランドデザインとか国家体制といった範囲の広い分野は明らかに苦手で、創造できる範囲が憲法や安保だけに絞られており経済に至っては完全な範囲外であるのが自分やや物足りないと思う点なのかもしれません。
 とはいえ民主党政権時代の破壊型、というより自己破滅型の政治家に比べればそこはやはり創造型であるというだけ分があり、現在においては安倍首相以外に総理の適任者はほかにいないというのは間違いないでしょう。なおこれは私見ですが、安倍首相への支持率を最も支えているのは安倍首相の政策や施政とか自民党の組織活動ではなく、あまりにもだらしない野党の存在に間違いないとも思っています。

 少し話が二転三転しましたが、破壊型と創造型の二タイプに分けることで政治に対する視野が大きく広がるので、この見方なり概念は個人的にお勧めです。ちなみに「自己破滅型」という言葉はこの記事書きながら作った概念ですが、案外言い得て妙だな思え、破壊型、創造型に続く第三のタイプとして売り出してみるのも面白いかもしれません。

  おまけ
 途中で書きそびれたので最後に付け加えますが、小池百合子都知事は間違いなく破壊型の政治家で、そういう意味で今の東京都には求められていた人材であったと見ています。その小池都知事が何故破壊型だと断言するのかというと、彼女の師匠筋というか引っ張り上げた二人の人物が揃って破壊型で非常によく似てそっくりな政治家同士だからです。

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