2016年10月29日土曜日

敢えて「ずらす」価値

 現在の私の職場では昼休みの時間は明確に定められておらず正午前後にそれぞれが勝手に出て行って昼食を取るようになっています。こうした環境にあることから私は大体11時40分頃に出て行って近くのスーパーで弁当買って食べたりするのですが、12時ちょうどの混雑を嫌うというのもありますが時間をずらせるものはずらした方が価値があるという妙な信念を持ってやっております。

 私がこのように考えるようになったきっかけとして大きいのは学生時代にアルバイトをしていた喫茶店での体験です。やはり週末ともなると12時前後に客が集中して忙しくなり、働きながら内心で「他にも店あるんだから余所行け余所」と愚痴ったりしながら働いていました。逆に時間をずらしてきてくれるお客、具体的には11時頃とか13時頃に来てくれるお客はありがたく、サーブするこっちも妙な感謝の念と共に配膳していました。

 一般的に、周囲と歩調を合わせることは効率の向上につながるはずなのですが、それもやや過剰となるとピークの負担を高めることとなり、返って効率を下げる結果につながると断言できます。逆にそのピークを分散させるということは手持無沙汰な時間と忙しすぎる時間を減らし、同じ勤務時間と労働量でありながら勤務者や設備、そして顧客自身にも上記のような飲食店の例だと待ち時間を減らせることとなり見事な一挙三方得ともいうような結果が得られます。

 その上で述べると、日本社会はやはり何でもかんでも歩調を合わせ過ぎです。お昼休みもどの会社も12時から一時間とかにせず業種とかに合わせて13時からとか11時からとかに切り替え、ついでに勤務時間も7~16時とか10~19時とかに、難なら同じ社内の人間同士でも異なる勤務時間で共存してもいいように思えます。なにせその方が効率的なんだし。
 一応フレックスタイム制というのもありますがやはり今の日本の状況を見ているといまいち機能しきれていないのではと思う節があります。また仕事だけに限らず先程の昼食時間とか連休のある期間なども敢えてずらすことこそ今の世の中では価値があるように思え、反骨精神満々な私は常にほかの人間とはずれた行動を取るように心がけています。

 具体的には旅行シーズンでない期間に有給取って旅行行ったり、休日も忙しくないであろう3時とかにスーパー行って買い物したり、果てにはほかの人がやりたがらないであろう仕事を敢えてやろうとしたりなど。日本では最低な人間の代表格ともいうべき特徴として「空気を読まない」というのがありますが、見方によってはそういった空気を読まず、集団と歩調を敢えて合わせないような人材こそ日本社会の発展において必要なのではないかと思う時があります。それが正しいかどうかは置いといてこの記事で言いたいこととしては、逸脱を許さない社会は案外非効率だっていうことです。

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