・「最後の声が聞きたい」御嶽山噴火で不明男性の通報音声、公開を阻んだ「個人情報」の壁(中京テレビ)
上の記事は御岳山の噴火に巻き込まれたと考えられるものの、その後遺体等が見つからず行方不明となった方の親族が、救急センターに残された本人の音声開示を求めたトラブルを取り上げたものです。その音声は本人が直接199番して噴石が直撃し動けないことなどを述べた内容だそうですが、その最後と思しき音声を聞きたいと親族が申請したものの、行政側は当初拒否したそうです。
理由は個人情報の開示は本人の同意なくしては行わないという規定があるからだそうですが、結論から言えばこの判断には疑問で、この件に限らず日本の個人情報を巡る考えや取り扱い方はおかしい気がします。
私がこのように判断する理由は以下の通りです。
・(被害者)本人は災害死していることがほぼ確実視されている。
・申請者は親族
・公開される情報内容は本人の不利益につながらない(というより無害)
仮に上記条件のどれか一つ欠けるなら議論が必要ですが、上のような条件が揃っているなら考えるまでもなく一発で公開すべきだったでしょう。遺族の心情的にも最後の音声を聞きたいという気持ちはよくわかりますし、いたずらに時間をかけたのは、本人を傷つけない配慮への逡巡からかもしれませんが遺族に対しては十分痛めつけるものだったでしょう。
中京テレビはこの件に絡め各自治体や消防組織にアンケートを取ったところ、4割は「公開できる」と回答したそうですが、逆を言えば残り6割がそのように答えなかったという事実の方が私には驚きでした。それこそ「フロントミッション5」のリン隊長に言わせれば、「クソの役にも立たないクソムシどもだな」といったところでしょう。
中京テレビの取材で一部自治体は、「基準となるガイドラインや法律を作り指針を出してほしい」といったそうですが、正直呆れます。一挙手一足までいちいちお上に決めてもらわなければ何もできないのか、こんな細かいレベルの内容までいちいちガイドラインなど作っていては、かえって例外事態に対応できなくなるし、そもそもそんな難しいレベルの話ではないはずです。むしろ基準などいらないくらいの、良識の範囲で十分判断できる内容でしょう。
この件に限らず日本の個人情報保護、開示の価値観なり考え方はややおかしいです。流出した個人情報を流出させた人間が罰されるのはまだわかるにしろ、それを不正に流出したものだとわかっていながら悪用する人間は一切罰されません。具体的に挙げると、ベネッセから流出した個人情報を、恐らくわかっていながら購入、使用したジャストシステムとかです。
何故この方面の価値観がおかしくなったのかははっきりしており、普通に判断すればいいものすら判断できないレベルの人間が多すぎるからに尽きます。これに限らず公開されてしかるべきの情報をきちんと公開せずにあとで大事になるケースも散見されますが、前述の通りこの方面は法・条令化なんていちいちせず、社会の良識の範囲でルールを自然と作るべき、市場解釈主義的な立場を私は取ります。
っていうか日本人は遵法意識が低い癖にやたら法律を頼ろうとするのが割と不思議です。
2 件のコメント:
おそらく日本人は「周りのみんながやってること>ルール>誰もやってないこと」という価値観なんだと思います。
赤信号はみんなで渡れば怖くないけど、前例のない判断はできないということかと。
そう考えると、ルールよりマナーを守る意識が強いのも、条文に書いてあることよりも周りの雰囲気や他者との関係性の方が大事ってことなんでしょうね。
その不等号はわかりやすいですね!
言われ見るとなるほどで、「マナーはルールに勝る」というのは日本人の特性をうまく言い表している気がします。今度それでまた記事でも書いてみようかな。
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