2018年6月9日土曜日

文章が読めない人、書けない人

日本の生産性を引き下げている「文章を読めない人」(JBpress)

 最近、我らがJBpressで上記のコラムが掲載されてました。記事内容については特に異論はなく賛同するのですが、文章が読めない人というのは最近になって増えてきたかといえばそうでもないのではという見方を持ちました。例えば私が高校生くらいの頃は、「最近の若者は携帯電話でメールばかり打っているから文章もメールっぽくなっている」などとして、長文が読めないなどと言われていました。
 またとある会社で90年代、ある新人が営業資料を会議に出したところある管理職のおっさんが、「おい、この『そり』ってのはなんだ?」と、「粗利」という漢字について質問が飛び出て来たそうです。この話を先輩から聞いた時、真面目に早く見切りをつけて良かったと内心思いました。

 話は戻りますが文章が読めないという現実は確かにあるものの、それ以前に文章が書けない人の方がもっと深刻なのではないかと思う節があります。現実問題としていろんな文章を見ていて、さすがに新聞記事などは社内で校正入っている分そこまで変なのは少ないですが、一般的な企業間の文章や報告書などを見ていると、「てめぇ何が言いてぇんだよ」とリアルに言いたくなるような知っちゃかめっちゃかな文章がガンガンあり、むしろこれを読めっていう方が無理難題過ぎるという実情があったりします。
 こういうのを見るにつけ、そもそもまともに文章が書けない人が文章を出すから、読めない人はもっと読めなくなってディスコミュニケーションスパイラルが起こっているのではというのが私の見方です。

 そもそもというか、文章をきちんと書くトレーニング自体が日本ではやはり不足していると思います。最後の砦であった大学でも近年はレポートや論文提出課題が減っていると聞き、中学高校稿レベルに至っては論外でしょう。何故論外かというと、そもそも文章を指導できるレベルの教員がいないと断言できるからです。
 実際というか、私が高校生だった頃は学内のどの国語教師よりも自分の方が文章表現力があると思っており、彼らに教わることなんぞ何もないどころか自分の方が指導できるとすら考えていました。今現在を振り返っても実際に当時の時点で高校レベルの教師であれば遥かに凌駕するレベルの表現力を身に着けており、あの時の自己評価はあながち自惚れでもなかった気がします。その上で現在、自分で書くこともさることながら人への文章指導もそこそこレベルが高いと自負しています。

 そんな自慢話は置いといて私が思うに、そもそも中学高校レベルできちんとした作文指導を行っていないことが日本の文字的ディスコミュニケーションを誘発していると思います。具体的に求められる指導としてはまずは量、そして複数の表現技法でしょう。学校現場で求められる文章は感想文などが多いことから基本一人称ですが、やはり三人称も敢えて書かせたりするのも手だと思います。私自身も、最初小説を書いていた時に一人称から三人称へ変えてみて、非常に見方や技法が広がりましたし。

 その次に、これはかなり以前というかもはや8年前の記事で述べていますが、文章での主張に制限を加えないことです。リンク先の過去記事でも書いている通りに読書感想文では通常、どれだけその本の内容が優れていることしか書くことが許されず、どれだけつまらなかったかとかどれだけ内容に問題があるかなど批判的視点を記述することは実質的に禁止されています。しかし感想文なのだから本来は読者がどう思ったのかを書くべきであって、それを肯定的内容しか認めないという点で教育的にも非常に問題だと常々思っています。

 やはり見ていて自分の思ったこと、感じたことでない内容を無理やり書かせられるため、作文自体を嫌いになっている人は少なくない気がします。私自身、自分の思っていることを好き放題に主張して書けることを知ってから文章に目覚めたところありますし、また作文は嫌いでもメールを打つのが好きだというのであれば、文章が書ける要素が全くないわけではないとも思います。

 以上の点をまとめると、そもそも学校現場に文章が書ける人がいない、指導できる人がいない、だからこそ文章が読めない人が多いというフローではないかというのが私の主張です。あともう一つ蛇足を書くと、文章能力の高い人間を社会が全く評価していないのもこの傾向に拍車をかけていると思えますが、案外何かテーマを持たせて文章書かせれば、その相手の知識や嗜好、実力などはある程度見えるので就活でなぜ採用しない会社が多いのが地味に不思議に思ってます。

2 件のコメント:

  1. 個人的な実感としては、日本人は「自分より知識が少ない人にもわかる文章を書けない」という印象を受けます。
    文章だけでなくしゃべりやプレゼン資料なんかもそうで、言いたいことを全部突っ込んで本当に伝えたい本質が見えない説明をよく見かけます。
    池上彰や林修がテレビで重宝されてるのはそういう目線を下げた説明ができるからなんだろうなと。
    教育を変えればある程度改善できると思いますが、直接伝えるよりも察してもらうのを待つ文化が根深いのが足を引っ張るような気がします。

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    1.  毎度ながら見事な補足ありがとうございます。
       伝わらなきゃ意味がないのに、自分さえ分かればいい的な上から目線な説明や文章が確かに多いですね。自分もその辺を気を付けており、まっさらな状態でも相手が分かるかどうかをよく目安にして解説文を書いています。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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