よく中国史では後継者争いをややこしくしたりなどして、若年期は治世を敷きながら晩節を汚す偉人がよく出てきます。日本でもそういう晩節を汚した例がないかなと先日考えてみたのですが、結論から言うと豊臣秀吉一人しか浮かんできませんでした。
具体的には甥の秀次処刑、朝鮮出兵による国内疲弊と子飼い武将らの反目増長などなど、往年の勘の冴えはどこに行ったのかと思うほどの迷走を繰り返し、結果的に徳川家康の横取りを許す結果となりました。
逆に秀吉以外となると、晩節がひどかった人間は大抵若い頃から問題のある人間が多く、老後に突然おかしくなるという人物はあまり浮かんできませんでした。後継者を決められず組織の弱体化を招いたという点では足利幕府8代将軍の義政がいますが、彼の場合はむしろ縁戚関係や有力大名同士の争い、そして何より足利将軍の権威の低さもあるから、一概に彼を責める気にはなりません。
以前に私はこのブログで、やはり人間は体力以外の勘や判断といった方面の能力にもピーク期間があり、これを過ぎた後は落ち込んでいく一方だと述べました。そしてそれを自覚するならまだしも、短くであれば周囲だけでなく本人にとっても不幸であり、また「前できたんだから今回もできるはず」と言ってはやらかしてしまうなどその影響も大きくなってしまいがちです。
突き詰めればこの辺のピーク期間の判断は興味の強さである程度判別できると私は考えており、私自身も意図的ではあるものの去年あたりが思考の鋭さではピークを迎えて今現在は既に落ち込み始めていると考えています。
秀吉の場合もまさに上記の例で、晩年は秀次処刑時にその妻子も残らず処刑するなど当時としても異常な残酷さを見せるようになるなど、やはりいくらか物狂いを見せています。もし自覚できていたのならば一切の政界からその身を退くべきであって、仮に秀吉の晩年の行為がなければその英雄像は今よりもずっと輝いたものになっていたでしょう。
こう考えると「人間引き際が肝心」とはよく言ったものです。もっとも元阪急で世界の盗塁王だった福本豊氏に言わせれば、「塁に出なけりゃ盗塁もクソもない」だそうで、引く以前に世に出ないと意味がないという意味でこれもこれで金言だと私は思います。
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