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2019年10月21日月曜日

変わる中国と変わらない日本

 すでに十年近くも中国でウロウロしていますが、十年以上前と比べると同じ国とは思えないくらい変化したと思います。一方で、日本は帰国する度に風景が何も変わらず、電車の中で、「ここらの家全部壊して抜本的に街づくりをやり直したほうがいい」と言ったら友人に止められたことがありました。
 なお中国では実際に、「そだねー」って感じで一気に街を区画ごと破壊し、新たな商業施設や高層ビル、あと住宅エリアとかを作ってくることがあります。上海市内のある公園なんか、曹操じゃないけど周近平が「広いね」つったら、忖度した周りの役人によって一気に壊され作り直されてます。

 よくこのブログでも書きましたが、以前はともかく現代日本人の本質は保守そのもの、社会の一切の変化を嫌って現状の風景や姿を維持することを強い目的に動いている節があります。こうなった背景としては目呼んだ分析で、上位数%の世帯がこれまでの生活を維持するために不定期雇用増やしたりなんやりしたという指摘をしており、その論に則ってみると上位の世帯のみがこれまでどおりの生活を維持するという方針で日本の世の中は回さされるということとなり、前述の私の主張とも一致すると感じました。

 そもそも論として、日本の若い世代を中心に「変化=マイナス」のように、変化すること自体が全てにとってマイナスの事態しか引き起こさないと考えているようにすら私には見えます。少なくとも、変化がプラスに転じるとして社会や価値観の変化を求めるような人物像は日本ではレアであり、実際にそうした思想で持って行動する人はなかなか見つけられないでしょう。
 そういったタイプにとっては現状を維持すること自体が最大の幸福であり、「これ以上幸福にはならないけど頑張れば今の幸福は維持できる、または微減で済む」的な価値観なのかもしれません。中国人も以前と比べれば保守的価値観が強まってきてはいますが、それでも「一発当ててみたい、そのために行動する」という人はまだまだ多くいます。でもってこの手の人達は、失敗した結果についてはいい意味であまり考えません。

 さっきから偉そうなことを言っている私ですが、少なくとも一般日本人に比べればたくさん冒険はしてきたつもりです。昔友人にも「年収を半減させてでも中国に行こうとする勇気は自分にはない」と言われましたが、私自身としてはそもそも中国に行くこと自体は普通に希望しての行動であり、勇気を持つ必要などあるのかと、当時内心で困惑しました。
 そういったいくらかの冒険を経た後、そこそこ見るものは見たし余生はのんびり過ごそうと30歳位の頃に安定した職を求めたところ、日本ではなんか知らないけどどこも仕事くれなくて、安定を求めたら何故か不安定になるという困惑した事態に追い込まれました。その後、「このまま日本にいたら腐るだけだ。何が何でも中国に戻らないとマズい」という価値観からまた中国にあの手この手使って戻ってきて、紆余曲折を経たら、これまでかつてないくらい安定した生活を現在得ています。

 周囲からは、自分の実力は認めているからもっと責任ある立場を目指したほうがいいと言われてますが、自分としてはすでに余生を過ごしている状態だから、自分にやってほしい業務があればなるべく協力するものの、そんな昇進とかは望まないとガチで言っています。なにげにメインタスクの業務能力ではなく、事務処理能力の速さと高さで評価されているのがやや皮肉ですが。

 途中から自分語りになりましたが何がいいたいのかというと、少なくとも自分に関しては安定を求めたら逆に不安定になり、何も考えずリスクだけ追ったら逆に安定した立場を得ることとなりました。これまたすごい皮肉なプロセスではありますが、案外世の中というのはこういうものなのかもしれないと最近思います。

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