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2023年5月3日水曜日

物々しさを感じた対馬


 今更ながら去年の秋、世を忍ぶ仮の姿で対馬を訪れていました。なんで対馬に行ったのかというと、以前に元寇の記事を書いて興味持ったのと、興味がまだ続いている間じゃないともう一生行くことないだろうという予感から、ソ連人民の敵であるうちの親父と行ってきました。
 それにしてもマジでうちの親父はドイツの戦車のプラモはたくさん作るくせに、ソ連製戦車は頑なに作ろうとしません。T-34とか超いいのに。


 島内には上の写真の塔のように、元寇について触れる史跡が残っています。対馬は鎌倉時代の前までは独自の領主を持っていたそうですが、鎌倉時代に入る前後辺りに九州の有力武士であった少弐氏の命で宗氏が派遣され、以降は宗氏が江戸時代まで支配し続けることとなりました。


 その宗氏の名前が歴史の表舞台に出てくるのは言わずと知れた元寇で、当時の宗家当主であった宗助国が対馬で元軍を迎え撃つも多勢に無勢で打ち取られます。この時に宗家の一族は多くが討たれたものの、別の島に避難していた一族は戦後に対馬に戻りその支配を続けたとされています。
 この辺の宗一族のハイライトはJBpressでいつか記事化しようと思っていたのですが、先に連載が終了することとなったので結局書かずじまいでした。なお明治に入ると宗氏は国境最前線の領主で朝鮮外交も仕切っていたことから、石高に比して高い爵位が授与されています。でもって華族としての宗家最後の当主である宗武志は朝鮮王家から嫁を貰っていますが、その嫁は精神病があり後年に離婚し、その後千葉県にある麗澤大学の運営に係わりここの名誉教授にもなって、校歌も彼が作っっています。

 なお写真で見ると宗武志はやたらイケメンです。若干、スワローズの山田選手の面影を感じますが。

 話を戻すとこの時訪れた対馬ですが、思ってた以上にでかい島で、島の南端から北端まで車で行っても2時間くらいかかるほどの大きさでした。ただ平地は少なく、島も山々で区切られているため、トンネルがなかったころは島内に複数の自治体があって別々に運営されていたというのもよくわかる地勢でした。
 また沖縄同様に日本にとって国境最前線でもあることから島内には自衛隊基地が多く、そうした風土からか全体として尚武の精神が島全体に満ちているように感じられ、島内の学校にはやたらどこそこの運動部がとこそこの大会出場などといった横断幕がたくさん垂れ下がっていました。その上で、ゲームの「ゴーストオブツシマ」の影響で観光も盛り上がっているのかと思いきや、そういった観光ムードは一切感じられませんでした。

 まず宿泊施設が島内に少なく、チェーン系ホテルとしては唯一存在する東横INNに旅行客が異常に集中していて、駐車場にすら事欠く有様でした。また飲食店の数も少なく、また平日はケータリングのみで店舗営業していなかったり、夕方5時で閉めてしまうお店も多いなど、観光客向けの対応をしていない店が多い、っていうかしている店がほとんどありませんでした。
 唯一、利用したレンタカー屋のみが「ゴーストオブツシマ」に出てくる地形をまとめたお手製ガイドブックを用意したり、島内のことをいろいろ教えてくれたりと観光客にやさしいお店でしたが、このレンタカー屋を除くと全体的にあまり観光客を歓迎しているようでなく、上記の自衛隊基地と相まって、島全体で物々しさをはっきり感じました。

 なおこの対馬を見に行った後に帰途にあった壱岐島にも寄りましたが、壱岐島の方が博多に近く生きやすいことから釣り客も多く、フェリー乗り場も観光客向け施設が充実しており、まだ観光客を集めようとしているように見えました。まぁ観光客が来ると施設などの整備も大変になるので、歓迎したくないという態度もわからないではないというか、京都の地元の人なんかまさにそんな感じだったりしますので、対馬の雰囲気も理解できます。

 ちなみにこのほかの思い出を語ると途中で経由した博多の街を見て、なんか街中の建物がどれも四角い建物しかないことにビビりました。本当に丸い構築物が見当たらず、何であんな四角いのかって福岡出身の人に聞いてもみんなわかんないと言ってた当たりミステリーです。

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