昨日夜にまた上海の自宅に戻りましたが、霧で飛行機がディレイして予定より帰宅が遅れたためまたブログの更新サボってゲームしてました。どんだけ疲れても、ゲームする気力は残ってる。
それで本題ですが、せっかく国会が開会したというのに岸田総理の施政方針演説なんてまるでニュースにならず、世間は先日からマンガ「セクシー田中さん」の作者の自殺を巡る騒動でもちきりです。
この騒動は同作のドラマ化にあたって作者が、未完であることから原作に忠実に従って作成し、改変する場合は事前に話し合うという意向をあらかじめ伝えていたところ、実際にはほぼ無視される形で原作改変が続いていたということを作者自身がネットで明かしたことでヒートアップしました。しかし騒動が大きくなった直後、特定の人物を批判する意図でなかったとする発信を最後に作者自身が自殺をしたことで、映像化にあたり原作が一方的に改変されるという現実と、作品を守りたい原作者の意向がクローズアップされ、その他の漫画家なども声を上げるなど、世間の関心もどんどん高まっています。
上記の「セクシー田中さん」の騒動に関しては私自身は原作もドラマも見ていない立場ゆえコメントする気もないのですが、この騒動を見た際に映像化の際に原作者と原作改変で揉めた過去の事例でいくつか思い当たるものがあり、それを今回まとめることにします。
・ネバーエンディングストーリー(ミヒャエル・エンデ)
米独合作で1984年に公開されたこの映画ですが、原作はミヒャエル・エンデの「果てしない物語」となっています。大筋の話としては原作通りでその幻想的な世界を映像化した点は評価されたのですが、作者のミヒャエル・エンデは一部のストーリー改変、特に最後に主人公が竜(モフモフ犬にしか見えないが)に乗っていじめっ子に仕返しするシーンは激しく批判し、映画会社に対し賠償を求め提訴までしています。
なおエンデの提訴は最終的には棄却され、彼本人も「ヒットした映画によって自分の作品をより多くの人に知ってもらったのはよかった」と態度を軟化させています。
・ヘルシング(平野耕太)
現在も現役の超人気作家である平野耕太氏の代表作ともいえるヘルシングですが、かつて深夜アニメ枠でテレビアニメが放映された際、作者の平野氏は「アニメは見なくていいです」という発言を当時していました。元々過激な発言で知られる平野氏ですが、自身の作品を原作としたアニメ作品に対しても容赦なく批判していました。
実際、この時作られたアニメ版は漫画版の内容から大きく逸脱しており、それだけの改変をしておきながら一般からの評価も高いものではなかっただけに、擁護の仕様がなかったと私も思います。っていうか、ナチスの出てこないヘルシングってもはや何の作品だというレベルだし。
ただ救いだったのは原作が超人気作品で作者自身も強く望んだことから、後に原作に忠実なOVA版が制作され、こちらは作者も視聴者からの評価もともによく、現在でヘルシングのアニメとくればOVA版を指すようになっています・
・いいひと。(高橋しん)
今回の「セクシー田中さん」の例に最も近い例としては、私が知る限りこの「いいひと。」なのではないかと思います。この作品は元SMAPの草彅氏の主演でドラマ化され、放映当時は非常に高い人気となって草彅氏の出世作にもなったのですが、「主人公とヒロインだけは改変しないでくれ」という作者の意向が無視されて制作されたことにより、作者の高橋しん氏は非常にショックを受けて放映途中に「原作」から「原案」に立場を変えた上、この改変によるショックがきっかけで連載中だった漫画作品も連載を終了させています。
その後に高橋氏は「最終兵器彼女」で再びヒットを飛ばしますが、「いいひと。」と比べると非常に鬱度の高い作品で、私自身は「最終兵器彼女」をあまり面白いとは思っていません。反対に「いいひと。」はサラリーマン漫画としても十分評価でき、非常に優れた作品だと今でも思うだけに上記の経緯を後年知った際は私も落胆しました。
映像化にあたって原作者と揉めた例として以上三つを挙げましたが、「いいひと。」のように放映途中で原作から原案へと立場を変えた例としては山田芳裕氏の「へうげもの」もあります。また「スケバン刑事」の和田慎二も、ドラマのシリーズ2は絶賛しつつも、シリーズ3に関しては作品の根幹部分が崩れているとして強く批判していました。
これらの例を挙げて一体何が言いたいのかというと、古今東西地域を問わず、このように原作改変は過去何度も起こっているということです。もちろん原作に忠実に作ったところで売れなければ話にならないし、映像化にあたって妥協しなくちゃならない点もあるでしょうが、そうした点を事前に作者との間で合意を得るか、得られないなら制作を見送るとかといった対応がこれまでなされているかといえばかなり疑問です。これだけ過去に何度も問題化しているというのに。
私自身もメディア業界にいた際、これほど契約を舐めた業界はないなと当時思っていました。基本的に口約束で報酬額まで決まってしまうだけに、取り決めや合意に関する意識が非常に希薄で、だからこそ以上のような原作者との紛争が頻発するのだと思います。
ちなみに今は反対に、普通の業界以上にコンプライアンスや契約意識が厳しい業界に身を置いているので、たまにメディア関連の仕事すると「コンプライアンス的にやばくね(;´・ω・)」などと一人で焦ったりします。
最後にゲームの「新スーパーロボット大戦」の原作改変例について触れます。この作品ではGガンダムのキャラクターである東方不敗を、原作を無視して宇宙人という設定にしています。この原作改変に関してプロデューサーの寺田氏は勝手な改変だと自覚しつつも、脚本担当の意見を通したことに長年悩んでいたそうなのですが、Gガンダムの生みの親である今川監督はこの原作改変を知った際、
「その手があったか( ゚д゚)ハッ!」
などと納得した上、むしろこの設定改変に理解を示したそうです。これを聞いて寺田氏もほっと胸をなでおろしたといいますが、こう言っては何ですが改変することに悩むほど人が良くできた寺田氏だからこそ、今川監督も理解を示してくれたんじゃないかと思います。ゲーム業界の人は世間知らずで放言する人が多いですが、マジでこの寺田氏は見るからに温厚で、且つ気配りのできる珍しい人だと密かに評価しています。
まぁスパロボの原作改変というか、原作の枠を超えて大活躍しているキャラを挙げるとしたらダイモスの三輪長官だと思うけど。出演作品がダイモスではなくダンクーガだと誤解されるのはもはやご愛敬なくらいだし。
4 件のコメント:
ガンダムにとって宇宙人とは 一種のタブーでした。心無いガンダムファンがガンダム以前
のスーパーロボットアニメを見下す時の台詞「ガンダムは地球に攻めてきた宇宙人を倒す
ような幼稚なロボットプロレスアニメではない」に合致してしまうからです。
さて、その今川監督ですが 「ミスター味っ子」で大胆な原作改変を行っております。
そして 宇宙世紀が大前提であったガンダムシリーズに対してアナザーガンダムという
新たな価値観を生み出した事は周知の事実です。Gガンダムの場合は 原作者である富野
氏が認めていた事(富野氏が今川氏をGガンダムの監督に推薦)、そして作品が面白かっ
たことから 当初は 視聴者から猛烈な反発を受けつつも最終的には受け入れられましたね
まぁGガンダムの場合、ガンダムの原作者ともいえる冨野御大自らがガンダムを壊すことを当時望んでいたので、今川監督は見事その期待に応えたとも言えますね(;^_^A
例えば宮崎駿作品を実写ドラマ化することになったら、原作をどのくらい変えようともプロデューサーも脚本家もすごく気を遣うと思うので、結局は他人をどれだけリスペクトできているかの問題にたどり着くのかなと思っています。
スパロボも原作への愛があるから許されてる部分がありますね(新スーパーロボット大戦のGガンダムの戦闘演出は凄かった)。
スパロボで言えば、エヴァを初めて出す時に庵野監督に「エヴァ弐号機にシャアを乗せて」って言われて「14歳じゃないから無理では」って返した寺田氏のエピソードが好きです。
結局のところ最後に物を言うのはやはり信頼なのでしょう。宮崎駿氏にしろ、スパロボにしろ、過去の実績で原作を改変するといってもその作品を汚すようなことはせず、細心の注意を払ったうえで原作の持ち味を生かす作品愛があるからこそ、どの原作者も改変に対して文句を言わないのだと思います。ダイナミックプロに至っては頼んでもないのに、「新しい必殺技、作ってきたせ(=゚ω゚)ノ」といってくるらしいですが。
ゲームプロデューサーにしては寺田氏はなんかエピソードが多く、自分はパンツ一枚でカードキーを忘れ社屋外に放り出された「ぬののふく事件」がお気に入りです。
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