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2008年1月10日木曜日

一神教と多神教の宗教観

 最近になって遅ればせながら「ソフィーの世界」を読み始めました。長いのでしんどいですがそれでも読んでます。
 まぁ詳しい内容はいちいちここで書くことなどないのですが、この本の中で少し面白い考え方があったので少し紹介します。その考え方というのも、今回の御代の一神教と多神教の宗教観です。

 すぐに結論から言うと、一神教というのは「聞く」宗教で、多神教というのは「見る」宗教とのことです。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はどれも偶像崇拝は禁止され、その教義は経典にゆだねられて教えを忠実に実行することが叫ばれています。キリスト教は今でこそ偶像崇拝が行われていますが、知ってる人なんか知ってるように昔はバリバリに禁止されていました。それが縁でギリシャ正教もできたんだし。
 逆に多神教というのは「見る」宗教で、仏教や古代のギリシャ神話、ヒンドゥー教などは偶像崇拝が実際に盛んです。また神々の物語も非常に多く作られ、それを悲喜劇にして講談にするということも行われています。

 具体的にだからどうだというわけではないのですが、読んでいて面白いと思ったのでこうして記録しておきます。オチは特にありません。

2008年1月9日水曜日

炭酸飲料の思い出

 いきなり時事ネタですが、昨年に西武を退団したカブレラ選手をオリックスが獲得する事になったそうです。オリックスは去年、トレードをするそばから放出した選手が一軍で活躍して(ロッテの早川、中日の中村選手など)、フロントはどうかしているのではないかと思ってましたが、今年はどうなるのか早くも楽しみです。

 さて今回のお題ですが、本題に入る前にまずレア情報。なんでも、現在東欧を中心にヨーロッパでコーラ、スプライトに続く第三の炭酸飲料が売れに売れているらしいです。日本での上陸はいつ頃かと、去年の年末にちょっとニュースを得たのですが、その後はあまり続報がありません。今日話した友人によると、コカコーラ社がその飲料の販売権を買おうとしたところ、販売元から拒否されたというからなかなか楽しみです。私は知る人ぞ知る嗜好飲料マニアで、海外に行くたびにバニラ味のコーラを飲んだりするほどで、新しいものにはちょっと弱いです。

 でまぁそんな風に友人と話してたら、その後炭酸飲料の話に移っていったので、今回書く話はそのときの会話がメインです。まず先ほどのコーラやスプライトはそれこそ世界中、中国にだって売ってあるほどの世界的炭酸飲料ですが、日本にはもう一つ、ポピュラーな炭酸飲料としてファンタがあります。このファンタもなんでも今度から以前に売り出した味の復刻版を出すらしく、自分が好きだったグレープフルーツ味も出るらしいのですが、このところ何故だか巷でファンタを見る機会が少なくなった気もします。多分、ペットボトルであんま販売してないからだと思いますが、実際のところどうなんだろ。前はマクドナルドでも売ってたのに。

 あともう一つ、日本で炭酸飲料ときたら戦前からあるサイダーですが、実は最近、自分はこのサイダーが飲めなくなってきました。どうも味が合わなくなったというか、コーラはよく飲むのに本当に駄目になった。友人はビール以外の炭酸飲料を飲まなくなったらしいですが。
 他にも炭酸飲料ってあるっけと話してたら、都会にはないけど田舎にはよくある「チェリオ」が挙がって来ました。これなんか知る人ぞ知る炭酸飲料で、何故だかペットボトルの「クリームソーダ」とセットで売ってある事が多い飲み物です。たまに度胸試しでまだ飲むことあるけど、なんで田舎にしかないんだろう。

 そのチェリオは味はまぁいうまでもなくクセのあるもので飲む人を選びますが、友人は「ドクターペッパー」がどうしてもだめらしいです。このドクターペッパーは自分なんかは結構好きで、見かけるとよく買って飲んだりするのですが、飲んでて確かに大衆受けはしないと思います。じゃあ逆に万人受けする炭酸飲料はあったっけと話してたら、昔あった「はちみつレモンサイダー」は好きだったと一致しました。何もサイダーじゃなくとも「はちみつレモン」だけでもそこそこおいしかったのですが、今では既になくなっています。「CCレモン」や「キリンレモン」に負けちゃったからかな。

 こうしていろいろ挙げてみると、いろんな飲料があったもんだと思います。やはりこの手の飲み物は出た時は真新しくてよく飲みますが、しばらく時間がたつとすぐに飽きてしまったものばかりです。で、珍しいチェリオやドクターペッパーだったら見かけたときに飲みますが、常に飲むとしたら、やはりコーラになってきます。多分、こういったものってのはイメージ戦略かなんかの差で、味じゃないんだと思います。そういう意味で、ほんと飲料業界って弱肉強食だなぁ。
 あ、オロナミンCを忘れてた。

2008年1月7日月曜日

日本の国債は憲法違反

 日本政府は毎年予算を決める際に、皆さんも知ってのとおり借金こと国債を発行しております。大体30兆円台が毎年組まれますが、実はこれ、毎年予算を決める度に法律を審議されているのをご存知でしょうか。

 実を言うと、日本は憲法上、国債を発行するのは違反しているのです。何条かは忘れたのですが予算を組む際に借金を作らないと明記されています。実際、戦後十数年は一度も国債が発行された事はありません。
 なぜ憲法にこのような条文が載っているのかと言うと、言うまでもなく戦前に国債を日本政府が乱発し、軍事費に使っていたという経緯の反省からです。最近になって日本国憲法を勉強しだしましたが、アメリカの相当学識のある人たちが作ったというだけあって、よく出来た憲法だと思っています。

 しかし憲法違反といわれつつも実際に発行しているじゃないかと言われますが、実は抜け道的な法律があって、どうしても必要な場合、国会の審議を通過した場合にのみ発行が許されているのです。そのため他の予算と違い、国債は毎年その内容と発行高が国会にて審議されているのです。
 はっきり言いますが、これは明確な憲法違反でしょう。司法の立場にある最高裁がこの状況下で違憲判断を下さないのは今に始まった事ではありませんが、司法にとって非常に問題のある態度でしょう。本来一年次限りで許されている法律を毎年作られ、事実上恒久法のように扱われている事に国民の側も慣れてしまったのか、あまり議論にはなりません。

 少し歴史の経緯を話すと、この国債が戦後初めて発行されたのは60年代中盤で、オリンピックを控えて道路工事などの費用を捻出するために初めて組まれました。しかし一度なめたアメの味は忘れられないというか、その後も延々と国債は発行され、現在に至るように借金大国化してしまったのです。中曽根氏が首相だった時代は好景気もあり、発行高より償却高が上回った事もあるのですが、基本は雪だるま式に増え続けています。

 もっとも、今すぐに違憲だといっても、それを言ったら国家経営は一気に破綻します。しかしまだ若者と言われる身分の私ですが、出来る事なら下の世代にバトンタッチする頃には、泥水をすすることとなってもこの借金を返していたいものです。

睡眠は肉体の休息? 精神の休息?

 先に前提を話すと、私はもろにキリスト教思想の影響を食らっているので、基本的に肉体と精神は別々のものだと思っています。その上で、霊魂もUFOもインド人も信じています。
 そこで今回のお題ですが、睡眠は一般的に休息活動と捉えられていますが、それは肉体か精神か、どちらの休息なのでしょうか? 今回は読んでいる方にもぜひコメントを頂きたい内容です。

 先に私の考えを披露すると、よく薬の効果のほとんどはプラシーボ効果、つまり心理的に薬を飲んだからもう大丈夫という意識が病気を治させているといわれています。また逆に、精神的に落ち込んでいる時の方が病気にもかかりやすいとも言われています。私は先ほども言ったように、精神と肉体は別々だと考えており、精神が病んだ、つまり気分が落ち込んだりショックな体験をすると、精神の宿っている肉体に対してマイナスの影響が起こり、結果的に体調を崩すと考えています。また逆に、肉体の方も知らず知らず病原菌を入れたり、怪我などを負ってしまうと、その影響が精神にも及ぼし、気分が落ち込んだりうつ病に繋がったりするというようにも考えています。
 このように肉体と精神は相互作用が常に起こっており、片っ方のバランスが崩れるともう片方にも影響が起こると日ごろから思っています。

 そこで本題の睡眠ですが、これは現在でも具体的にどのようなものなのかまだはっきりわかっていないらしいです。もちろん睡眠を取らない人間などいないので、生存活動に必須の行動である事ははっきりしているのですが、それがどのように作用するのかまだまだ研究が必要な課題です。
 考えてみると不思議なものです。睡眠は毎日絶対必要といわれつつも、寝貯め、つまり寝すぎは良くないとも言われます。実際に睡眠薬の過剰摂取は死にも至りますし、一日12時間も寝るとまず体が痛くなります。
 さらに考えてみると、肉体を休ませるだけなら体を動かさないだけでも十分なようにも思います。となると睡眠は精神的な休息になるのでしょうか? それも少しおかしな気もします。睡眠をしなければ明らかに肉体の運動能力は低下していきます。
 ほかにも、夜寝ようと思ってもなかなか寝れないと、凄くイライラする経験は誰にでもあるでしょう。これなんかも精神的な要素ですが、さきほどの私の精神と肉体の相互作用の考え方を援用すると、それは単に体の疲れが取れない事からのイライラかもしれません。かといって寝ると精神的な問題はみんな解決するのかと言うと、恋の病とか仕事の悩みといった話題はちょっとやそっとの間にふて寝したくらいじゃ晴れませんし、そうなると肉体なのか……。

 とまぁ考えれば考えるほどド壺にはまる内容ですが、普通に考えるのならば、精神と肉体を繋ぐ、神経の休息と捉えるべきでしょう。まぁ医者じゃないので詳しくわかりませんが、睡眠はやはり神経の緊張をやわらげる活動で、肉体、精神の両方に作用するのではないでしょうか。これだったら丸く収まります。
 神経を張るということで、ねこなんかは起きている時に非常に周囲に警戒を行っているので、人間より眠る時間が長いという話を聞きますし、実際に何かに集中した後は私もよく眠くなります。

 と、場当たり的に特にまとめずぼんぼん書いていきましたが、私の結論を言うと神経の休息であるのは多分間違いないとして、肉体と精神とで比べると、その重要度は精神の方が重いのでないかと思います。というのも、先ほども書いたように、寝すぎると返って肉体には負荷がかかります。寝たきりの病人は途中で体勢を変えないといけませんし、先ほども言ったように寝過ぎは体に毒です。そして以前に眠れなくなったある男性の話を聞きましたが、その人は次第に意識が朦朧とし、末期に至っては会話や反応すらできなくなったという話です。確か、眠れなくなって一年後になくなられたと思います。

 もちろん逆説的に、寝すぎると頭がボーっとするといった精神への影響も挙げられます。もしかしたら個人差がある内容かもしれませんし、その辺はこれから個人的に勉強していくので、また何かあったら続きを書きます。

今年の景気

 先週の金曜日に600円以上も日経平均株価が下がった事から、今朝のニュースは経済関係のものが多かった気がします。明けて今日の夕方になると、案の定というか今日も150円下がったといいますから、自分の友人みたいに新年早々株ですった人も多いと思います。

 番組名は忘れましたが、昼のワイドショーでは各経済評論かを呼んで今年の景気予想をやらせていましたが、まぁ大体が似たり寄ったりで、予想の根拠すら当てにならないものばかりでした。また財界人へのインタビューでは、どれも新年早々ということで、序盤は下がるものの年間を通して乱高下はないというような、強気な発言が多かったです。

 そんな状況を踏まえて、私なりの今年の景気予想をさせてもらうと、二つのファクターが大きく左右すると思います。まず一つ目は現在進行形のアメリカで行われている大統領選挙です。次の大統領に誰がなるのか、イラク戦争の後始末をどのようにやるのかで、景気が大きく左右される事でしょう。もっとも、大統領選自体は11月に行われるので、今年よりは来年に影響するファクターかもしれません。
 そしてもう一つのファクター、これなんか私が自慢げに話す持論ですが、中国で行われる北京オリンピックです。言うまでもなく世界経済を引っ張っているのは中国であるのは間違いなく、目下のところ向こうではバブル経済が謳歌され、一般人も個人で借金をしてまで株式投資を行っているほどです。かつての日本がそうでしたが、この手のものというのはある転換点を迎えると急激に熱が冷めます。実際に日本でも東京オリンピックが終わった後に深刻な不況に入り始めます、日本でその要因となったのもオリンピック準備のために発行しだした国債が少し絡んでいます。

 中国でもこの現象が起こる事が予想されています。私なんかは去年も持つかどうか怪しんでいましたが、案外無事に年を越して、さて今年はどうなるかと考えているところですが、中国株投資をやっている人には早めに利益確保をする事おすすめします。

2008年1月6日日曜日

人力車は飲酒運転になりうるのか?

 最近堅い内容ばかり書いているので、たまにはゆるい内容でいきたいと思います。

 これは結構知らない人も多いのですが、アルコールを摂取した状態で自転車に乗るのも、一応飲酒運転として検挙対象になります。何故かと言うと、そこら辺は法学の専門家に言わせると自転車も「車両」扱いになるので、それの運転、操縦は自動車と同じように扱われるかららしいです。
 そこで一つの疑問ですが、アルコールを摂取した状態で人力車を引くとこれも飲酒運転になるでしょうか?

 そもそも人力車は「車両」扱いになるのでしょうか。見た目で言うと自転車なんかよりよっぽど自動車に近いですが、自転車と違い、運転というよりは引くという動作になります。まぁ普通に考えたら酔った状態で引くなら、自転車の運転なんかよりよっぽど危険な気がしますが。

 あと、最近検挙率が上がってきているという、運転手が酔った状態だと知っている同乗者にも罰金がかかるあれですが、これも人力車だとどうなるのだろう。この場合同乗者はお客になるが、そもそも酔った車夫の人力車に乗るお客というのも豪気な客だ。更に追究するなら、危険運転致死傷罪なども適用されるのだろうか? 確か、バイクでの事故は現在ケースバイケースで、司法でも判断が分かれているという話は聞いた事がありますが。

2008年1月2日水曜日

時間に対する一つの概念

 基本、このブログでは日常では役に立たないけども、覚えておくと物事を考える足しになるような、普遍的かつ抽象的な概念をよく紹介しています。何故こういうことをやるのかというと、やはり自分の周囲の若者が知識こそ覚えているものの、物事を考えることができないという状況に辟易しており、実際にこういった概念を教える機関が少ないとも感じることから、一種の使命感を感じてやっています。

 そこで、今回は多分今までの中でもかなりスタンダードとなり得る概念を紹介します。結論から言って、文明は時間とともに必ずしも進化しないという概念です。

 いきなり例から出しますが、これは藤原正彦氏が以前に言っていた事ですが、10世紀のヨーロッパの数学のレベルは紀元前の古代ギリシャ時代に劣るらしいです。そこで藤原氏は、「時間の経過とともに何でもかんでも文明は進化することはない、むしろ退化することすらある」と言っております。
 私の周りだけかもしれませんが、やはりこの概念とは真逆の概念を支配的なまでに持っている人が多いような気がします。子供の頃より大人の考え方、昔より今のやり方、前の人より今の人など、例をあげれば枚挙に暇がありません。

 特に、科学の世界ではこれが顕著に思います。私が子供の頃、私の母はみかんの背にある食物繊維を消化されないものだからといっていちいちはがしてみかんを食べていました。実際、食物繊維は消化されずに体から排出されます。当時、消化されないものは体に害をなさないまでも、摂るべきではないという考え方が少なからずあったような気がします。時代は下って現在、食物繊維はそれ自体は消化されないまでも、他の食物の消化を助ける効果が発券され、転じてダイエットの目玉ともなる栄養素として現在の地位を築いています。

 この例でもわかるように、下手な科学の裏付けがなかった頃には気にせず摂っていたものを、消化されないという科学的な裏付けによって、体にとって有益な食物を摂らなくなるといった歴史がここ数十年の間にたくさんありました。何も食物に限らず、人間にとって本来は有益であるものが、新しく入ってきた概念によって次々と潰されて行ったのが、19世紀以降の歴史だと私は思っています。

 このように、科学は中立かつ絶対的な価値観というのは基本的には間違いです。その概念を主張するのならば、科学が完全に解明されてあるという前提がなければなりません。逆に温故知新のような、以前は風習、迷信と呼ばれていた行為も有益なものであったという可能性があるのです。
 もっとも、その風習や迷信の中には明らかに不条理なものも少なくありません。平安時代にあった、女性は顔を見られたらその男性と結婚するなどや、生贄を捧ぐといったものなどは現在のように廃止されてしかるべきでしょう。一番肝心なのは、その行為や考え方が本当に有益なのか、必要なのかを自らで考えることです。そして無益だからといって、無害なものをとやかく捨てるべきでもないと、やや保守主義的な自分の主張をしておいて、新年一発目の投稿を終えます。