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2008年5月23日金曜日

権力獲得のプロセスについて

 かつて北海道農学校、現在の北海道大学の前身となった場所で、かの有名なクラーク博士が、「少年よ、大志を抱け」と言いましたが、これは誤訳らしいです。
 それはともかくとして、偉くなって周りをブイブイ言わせたいという人はどの時代にもたくさんいます。しかしどうすれば偉くなるのかという、直接的な議論というものはあまり見ませんし、比較されておりません。それは恐らく、プロセスがそれとなく暗黙な了解となっているからだと思われます。

 日本の場合、やはり商業主義的な思想が強いので、基本的にどれだけお金を持っているかがその偉さの尺度となることが多いように思えます。それを反映してか、立身出世の王道とも言えるストーリーはまずいい大学に受かり、そして一流企業に入る。そして最後にそこで社長となるか、途中で飛び出して新たに創業し、その会社を大きな会社とする、といった所でしょうか。これがいわゆる通説の範囲内の権力獲得プロセスでしょう。

 ただこれはあくまで「お金の及ぶ権力」内の話で、現実的にはやはり官僚として成功する方がサクセスストーリーとしては価値があると思われています。この場合のプロセスもまず最初はいい大学、というよりこの場合は東大限定で、しかも法学部に入る。そして上級国家公務員試験に受かり、官庁へと入る。そこで出世コースにうまいこと乗り、最後は次官というプロセスとなります。
 これでもさらに飽き足らないという野心満々の方への特別コースはというと、まず官庁に入るとこまでは先ほどのコースと一緒ですが、ある時点でそこを飛び出し、選挙へと打って出て政治家となる。そして自民党内の権力レースに勝ち、最後は総理大臣となって満願成就といったところでしょうか。

 以上までが日本の主な権力獲得のプロセスですが、やはりネックとなる条件になってくるのは若い世代の内に東大に入学するということです。霞ヶ関の官庁内の東大贔屓は言うに及ばずで、たとえ他の大学出身者が官庁に入ったとしても、その中では出世が望めないとまで言われます。
 しかし、世界の日本を見る目はというと、何はともあれ東大にさえ入れば立身出世は約束され、しかもその入学試験はまだフェアであるから、出世機会の平等はよく守られている国だと言われているようです。
 言うまでもなく、他国では未だに出身環境が物を言うことが多く、といっても日本でも数十年前と比べてその傾向は強くなってきましたが、何はともあれ日本は東大さえクリアすればいいのだからまだ平等らしいです。

 さてここで話は変わりますが、現在中国のトップ2といえば言うまでもなく、国家主席の胡錦濤氏(フーチンタオ)と首相の温家宝氏(ウェンジャーパオ)の二人ですが、実は二人とも大卒は大卒でも、理系出身です。
 この話をすると結構周りの日本人には驚かれるのですが、胡氏はもともとダムの設計士をやっており、温氏は「中国地質大学」(どうでもいいが、二年前にこの大学はえらく綺麗な寮を作っていたなぁ)の出身で、そのまま地質関係の技師だったようです。恐らく日本人からすると、なぜ大学で文系出身じゃないのに政治家をやっているのかと疑問に思うかもしれませんが、向こうは向こうで日本の経営家と政治家のほとんど、というより九割がた文系出身者だと教えると、「なぜそれで国がやっていけるんだ?」と、私自身が中国人に言われました。

 ここで結論を言うと、権力獲得のプロセスというものは決して万国共通ではなく、国ごとに意外と違うということです。さらに例を挙げると、レーニン以降のソ連では最高権力者である書記長となった者の中で大卒者はというと、なんとレーニンとゴルバチョフの二人だけしかいません。しかも新制ロシアも入れると、この前亡くなったエリツィン氏も大学を卒業していません。プーチンとメドベージェフは出てるけど。
 ソ連の場合、私も詳しくはわかりませんが、大卒という肩書き以上に共産党内のプロセスが重要視されており、そのためこのような系譜を辿ることとなったようです。

 現在日本の権力獲得プロセスはアメリカの制度に倣っているため、日本とアメリカで共通する権力獲得プロセスを、さもグローバルスタンダードかのように思い込んでいる部分があると感じます。井の中の蛙と言われないように、あくまで日本限定でこうなのだと覚えておくことが、国際世界で笑われない知識となると思います。

2008年5月22日木曜日

放置された医療改革

 先ほど、徳光和夫が司会をやっている「逢わせ屋」という番組を見ていました。この番組自体はくだらないシステムとやらせっぽい内容で嫌いなのですが、今日の番組で出てきた、若いときに右腕を工場で切断し、その後のリハビリの間にずっと元気付けてくれた医師と再会したいという女性の話は非常に感動的でした。

 さて、今ここで出てきたリハビリですが、皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか。大体二年前、リハビリを開始してから180日後に、これまで患者に支払われてきたこのリハビリの医療費補助を打ち切るという政府の新たな政策が始まりました。
 当時の政府の言い分はというと、リハビリという名の下に不当な医療を行う輩もおれば、本来は必要ないのに受け続け、補助だけをもらっている患者がいる。そんな不届きな輩を撲滅するために、どうせリハビリを始めてから半年経っても効果がない人には治る見込みがないはずなのだから、いっそ打ち切ってしまえというものでした。

 もちろん、この政府の言い分は頭から間違っていることは明白でしょう。リハビリというのは何も身体障害を完治させないまでも、身体の機能維持という目的で行われていることも多いからです。また半年経って効果がないから治る見込みがないというのも間違いらしく、この日限の根拠はなにもないといいます。
 この打ち切り制度が始まる直前の二年前は、それこそ毎日のようにメディアが報道し、制度の見送りが各関係者から訴えられましたが、現実はというと大山鳴動して鼠一匹動かずというか、ちょっとネットで検索を掛けてみたところ、施行状況まではわかりませんが、現在もこの制度は何も改正されずに残っているようです。

 なにもこのリハビリ制度に限るわけではないですが、私が前々から訴えている「障害者自立支援法」も、その名とは逆に障害者を追い詰め続けて施行から早や三年もの月日がたっております。このように、当初は大きく騒がれはしたものの、医療業界を取り巻く悪環境はここ数年で何も変わらないどころか、先月から始まった「後期高齢者医療制度」と、さらに悪化させるような法律までもが施行され始めてしまいました。この問題も今でこそなんやかんやと騒がれておりますが、後一ヶ月もすればみんなこの制度のことなど忘れてしまうかと思います。もちろん、そんなことはあってはならないのですが。

 しばしば、この手の問題というのはこういった事態が起こりやすいもので、一概に報道メディアが報道しないせいだとは、マスコミに厳しい私でも言い切れません。なぜなら、熱の冷めた事件などを報道しても、連中が食っていけるわけではないからです。だからこそ、なんの利益も権益もない、こうした草の根的なブログなどでこういった問題が解決されるまで訴えていかねばならないと考えております。

2008年5月21日水曜日

よい税金とは

 なんでも将来の社会保障を維持するために、財務省が出した試算によると消費税を10%以上にしなければいけないと、昨今ニュースで報道されています。しかしなんというか、官僚の出す予測で当たった試しというのはほとんどないですし、そもそも連中が出した社会保障費のピークがくるのは2050年とのことらしいですが、以前にこのブログでも取り上げた私の予測だと、少なくとも年金に限って言えば世代人口が最も膨れている1946~1948年生まれの団塊の世代が、日本人の平均寿命に当たる80歳になって死に始める2030年くらいがピークではないかという素朴な疑問がわきます。

 なのでこんなくだらない根拠で消費税を上げるなんてもってのほかですが、これに関連して、今日はちょっとよい税金とはどんな税金かをちょっと解説します。なにぶん昔に習ったことなので少し記憶があいまいですが、税金には三要素と呼ばれる要素があり、それらを列記すると、「公平性」、「均等性」、「効率性」の三つだったと思います。

 まず公平性というのは読んで字の如く、対象の集団の中で差別なく公平に取られるかどうかです。たとえば同じ収入なのにある人には低い税率が課されるが、別の人には高い税率が課されるというのは傍目にも不平等で、よい税制とは言われません。
 次の均等性というのは、単純に行って累進課税や資産税のことです。これは税の配分にも関わってきますが、集団内の人間の収入を均等化させる効果のことで、要するに勝ち逃げさせない要素のことを指しています。

 ここまでなら言われりゃ誰だってわかると思いますが、今日の味噌である最後の効率性というのは実は結構ネックな部分でありながら、あまり議論されることがない内容です。
 この効率性というのは、いわゆる徴税のコストがどれだけ低いかどうかという事です。たとえば新聞の集金を想像してみてください。自動振込みにしておけば新聞屋が払うのは銀行への手数料だけで新聞代を受け取れますが、もし自動振込みでなければ集金を行う人を新聞屋は雇わなければならず、その分人件費が掛かってしまい同じ新聞代でも手元に受け取る金額は減ってしまいます。
 このように、同じ税率でも徴税コストがあるとないとで収入の大小が変わってくるのです。そして実は日本というのは、この徴税コストが高い国だといわれております。

 というのも、戦後から日本は一貫して直接税を主な収入源としています。これだと一人一人に税金額を計算、徴収を行わねばならず、また不正にごまかす人間もいちいち摘発せねばなりません。これはつまり、その分だけ国税庁の役人を雇わねばならず、また税理士なども各企業や自治体で雇わねばなりません。
 ここで言ってしまいますが、実は私は消費税を上げる事には賛成なのです。というのも、消費税や酒税のような間接税だと徴収する対象は小売店やら事業主だけなので、その分徴税コストは少なくて済むのです。事実、日本以外の国ではほとんどが間接税が主体となっており、戦前の日本もそうでした。

 最近は確かにIT化が進み以前ほどではないにしても、直接税だとやはりコストが高すぎます。なのでこの際、直接税の税率を大幅に下げる代わりに、消費税などの間接税の税率を大幅に上げるような改革をすべきだと思います。もちろん、欧米同様に食料や医療などにはその税率を課さずにです。

 以上の三つの要素を満たせば満たすほどよい税制だということになります。あえて言うならもうひとつ、「わかりやすさ」もよい税制の条件だと思います。これもまた日本ですが、非常に複雑で税理士以外には誰もわからないとまでいわれ、そのせいで知らず知らずのうちに脱税をやっていたり逆に払いすぎたりという事が毎回起こっています。こんなんでは先に言った公平性が乱れるので、やさしく単純に、それでいて公平な税制へと大改革をするのが今の日本の課題だと考えています。

2008年5月20日火曜日

松下の社名変更について

 ちょっと古いニュースですが、以前に松下電器産業がそれまでの社名を改め、自社ブランドのパナソニックに社名を変更することを発表しました。結論から言うと、この社名変更はむしろ当然すべきことだし、これで名実ともに松下は変わったような気がします。

 というのもちょっと前の90年代に松下は、当時日の出の勢いだったソニーに家電部門でコテンパンにやられてしまい、それこそ松下はもうだめなんじゃないか、やっぱり古いだけの会社だとまで揶揄されていました。そんな中、社長に就任した前社長の中村邦夫氏によって松下はドラスティックに社内組織が改革され、再び家電部門の王者に輝き、不振が続く関西経済圏の中でも強勢を保っています。

 この中村邦夫氏がやったのを具体的に言うと、古くから松下とつながりのある販売店などを一気に切ったことと、松下のOB社員に支払ってきた企業年金の額を減額したことでした。特に後者はOBから裁判まで起こされましたが、結局裁判所は経営に影響を及ぼすという松下側の意見を採用し、この減額を追認しています。
 こうした改革を行っていったせいか、2000年代前半には「幸之助精神の破壊者」とまで中村氏は言われましたが、しかしそのおかげで松下は見事復活しました。

 ここまで言えばわかると思いますが、現実的に今の松下は創業者の松下幸之助が作った会社だとは言いがたく、実質中村邦夫が作った会社だと私は考えています。そういった中で社名が変わるというのは、これからさらに過去とのつながりがたたれ新たな松下として定着するという意味合いが過分に含まれていると思います。

 それにしても、この中村氏のインパクトが強かった成果、おっさん二人と話をしているときに、
「ところで、今の社長の名前ってなんだっけ?」
 といって、そのままその日は思い出しませんでした。ゴメンね大坪さん。

2008年5月19日月曜日

黒船がこなけりゃ、徳川幕府は続いたか?

 このブログを始めた最初の頃に、もし戊辰戦争で幕府軍が勝ったらどうなっていたのかという予想を書きましたが、今回もその系列でずばり黒船が来なくて鎖国が維持されていたら、徳川幕府の幕藩体制は続いたのかということを今日解説します。

 まず、言うまでもなく徳川幕府崩壊の最大のきっかけとなったのはペリーの黒船来航でしょう。中国の清でもそうですが、最終的に国が滅ぶきっかけとなった事件は確かに大きな事件として当時も扱われはしましたが、まさかその事件がきっかけで急速に国が滅ぶとは誰も思わなかったようです。清の場合はアヘン戦争と太平天国の乱ですが、確かにそれまで何百年も続いた王朝がある事件をきっかけに数十年後に滅ぶことになろうとは、誰も想像できなかったでしょう。

 では徳川幕府が滅ぶきっかけとなった黒船来航ですが、実はそれまでの日本はシャレにならないくらい平和でした。徳川幕府成立後、正確には江戸時代初期の島原の乱以降、日本は二百年くらい一度も戦争がないという、世界史上でも稀に見る平和を維持しました。その原動力となったのは話すと長くなりますが、徳川幕府の幕藩体制にあります。参勤交代といい身分制といい、非常に安定感のある政策でこの恒久ともいえる平和を維持しました。

 しかし黒船来航を機に欧米からの外圧を受け、日本国内で意見が分かれる中で最終的に徳川幕府は薩長に滅ぼされることになりました。ですがもし、それこそ欧米が余計なちょっかいを出さずに日本国内で完結し続けてさえいれば、それまでの政策が続くことになりこの平和は維持されたのではないかと以前に考えたことがあります。言うなれば、外圧にどう対抗するかで意見が二分したのですし、それまではずっと平和だったのだから、そっとしておいてくれればずっと良かったんじゃないかということです。
 そこで結論から言いますが、私はもし黒船が日本に来なくとも、遅かれ早かれあの時代で徳川幕府は終わったと考えます、ここまで引っ張っておいてなんですがね。

 確かに黒船の来航が徳川幕府の寿命を縮めたことに間違いはないと思います。しかし当時の時点ですでに幕藩体制には限界が見えており、徳川本家をはじめとして諸大名はほとんどすべて借金漬けの財政となってていました。また尊王攘夷論の根拠となった天皇中心論を主張する国学も力をつけ、藩政改革を断行した薩長を筆頭とする、徳川家を凌駕しかねないほどの雄藩が力をつけていたという背景があります。
 こういった背景を考慮に入れると、遅かれ早かれ徳川幕府はあの時代のうちに内乱によってなくなったと思います。実際に、財政を立て直すために密貿易までやっていた薩摩藩に対し、力でそれを取り押さえる力は当時の幕府にすでにないと老中阿部忠之は考えていたといわれ、それならば恩を売っておけとばかりに島津斉彬を藩主に据えてやったといいます。

 そういう風に考えるのならば、黒船来航は一つの時代の転換点として日本にとって非常によい契機となったのではないかと思います。結果論から言うと、その後に明治維新が行われて日本は急速に国力を伸ばすようになりましたが、逆を言うならあの時点で革命が起こらなかったら、それこそ日本はどうなっていたかわからないものです。
 それにしても、盛者必衰とは言いますが永遠の安定と平和っていうものはやっぱりないものですね。

2008年5月18日日曜日

この休日の過ごし方

 なんかここしばらくえらく硬いことばかり書いていた気がするので、ちょっとまたゆるいの書こうと思います。

 まず昨日は浅草の三社祭りに行って来ました。いやね、本当は行くつもりなんて全くなかったんだけど、母の日のプレゼントを買うって言うから上海人と一緒にヨドバシ行った帰りに、まだ浅草行ったことないって言うから連れて行ったら、たまたま祭りの日だったという運びです。
 何があったかって、とにもかくにも人、人、人の渦。歩道も狭いもんだから全然前に進めない上に神輿が順々にやってきて、その度に横断禁止になって前に進めなくなる。中にはそれを逆手に取った一人の外国人がおもちゃの小さな神輿を片手に、笛を本物の神輿担ぎの人と同じようにピッ、ピッ、ピッと鳴らして通るもんだから自然と人がよけていくし。うまいことを考える。

 その後上海人と夕食してその日は寝て、日曜日の今日は先週に買った自転車で午前中は軽く20キロくらい流してきました。恐らく専門にやっている人から見たらヒヨッ子も同然ですが、自分はいわゆる自転車乗りでキャラを売っています。完全に走ることだけ専門のロードバイクも持っていますが、それだと街中をぶらぶらするのに向かないので、先週にまたシティサイクル(自転車を立てるスタンドが一脚の自転車。二脚だと通称ママチャリになる)を買い、それを今朝走らせたわけです。

 買ったのは、会社は嫌いですけど製品に罪はないと考えブリジストン純正の三万五千円の六段変速自転車です。色がグリーンな上にチェーンを覆っているカバーが金属じゃなくてプラスチックでできていて、傍目にもかなり派手な自転車です。性能的には安定していますが、やはり三段変速と比べてギアが噛み損なう率が高いように思えます、まぁ買ったばかりなのでしょうがないですが。
 乗り心地は問題なく、スピードも最高で時速40キロ弱、維持速度で20キロ強出るので満足です。唯一惜しむらくは、前かごの部分がアルミワイヤー製なところです。自転車屋はどこもアルミのが丈夫だといいますが、物を乗っけたり段差超えるとすぐにカタカタ抜かすので、私は一般ママチャリ標準のプラスチック製の前かごのが好きです。あれならちょっと変形してもアルミみたいに戻せないわけじゃなくて目立ちませんし、狭いところを通る時は邪魔になりません。なんでどこもアルミワイヤーを標準にするかなぁ。

 そうして午後は昼寝して、夕方に相撲を見てブログを書く現在に至ります。相撲も大好きなので、来週の千秋楽を国技館に見に行くかまだ迷ってます。一生に一度でいいから升席でお土産もらって相撲を見てみたいです。それにしても今場所は三年前の琴欧州を見ているような場所だ。

金剛番長の二巻と、最近の銀魂について

 前回にも書いた、鈴木央氏の「金剛番長」の二巻が発売されたので早速買ってきました。内容は前巻同様期待を裏切らないもので、読んでて最近こういったスケールのでかい(ホラがでかいとも言う)マンガが減ったことを痛感します。昔の例だと、「魁男塾」みたいな系列です。これも、最近になって作中にでてくる民明書房の記述を読むのにはまってます。「EYEこそすべて」ってなんだよ……。

 まぁ書くことといえばこんだけなのですが、ついでにもう一つマンガ批評をやると、今ジャンプで連載中の「銀魂」がここ最近、復調の兆しが見えます。復調と書いたのも、実は去年一年間、このマンガを読まなくなっていたからです。
 多分、今現在のギャグマンガで一番売れているのはこのマンガでしょうが、なんというか去年一年間はひどくつまらないものに成り下がっているように見受けました。これまでのように一話完結のギャグストーリー形式が少なくなり、変わりに延々と長編の話、それもこれまでと比べたらえらくつまらない内容のが続くので読んでて何度も嫌になってきました。なんかコメントを見ると、作者も少し自覚していたような記述も見受けられましたが、初連載なんだからまだいい内に完結するほうがこの際いいのではないかとまで私は考えていました。
 それが最新刊を読んでみると、また以前のようなテンポの良いギャグが戻っているじゃないですか。すっかり安心して、去年一年間読まなくなっていた分も一気に読み返しました。
 ではそれまでの不調はいったいなんだったのかというと、知り合いと協議したところ恐らく当時に担当が替わったのが何か影響したのではないかという結論に落ち着きました。

 さらに付け加えて分析すると、この作者の空地英明氏の他の漫画家にない特徴というのは、一つのコマでボケ、ツッコミ、ボケと、三拍子を一度にやってのける点にあると見ています。一例を出すと、単行本の八巻、第六十四訓にて、
「姉上、なんですかその格好?」、「ああ、今私の店チャイナ服強化月間でみんなチャイナ服着て仕事しているのよ」、「チャイナ服強化月間ってなんですか。何が強化されるんですか?」「男の妄想よ」
 と、いう具合で、確かに一コマにしてはセリフが多すぎるという指摘もありますが、逆を言えばこれだけの過程を一コマで表現するというのは並大抵の技ではないでしょう。
 大抵のギャグマンガ、特に最近流行っているひたすらハイテンションで押し通そうという系列のものは、
「つまり、○○○だな」、「何でそうなるのー!?」
 っとな感じで、一コマでボケとツッコミが一個ずつ、しかも大抵が大コマ使うという手法しかありません。これだと確かにインパクトは強くなりますが、テンポは犠牲にならざるを得ません。

 銀魂が面白くなかった時、この三拍子がほとんど機能していませんでした。ま、復活したから安心したけど。