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2009年3月7日土曜日

西松建設事件について続報

 このところ書く話題が多すぎて、ちょっと現実逃避をし始めてきています。そのせいか今日は先週から始めた「俺の屍を越えてゆけ」を延々とやってました。面白いんだよなぁ、このゲーム。

 それはともかく、また西松建設がらみの小沢氏秘書献金疑惑事件について私の見解を紹介します。事件から約一週間経ち、前回の記事を書いてからまた続々と情報が出てきましたが、そうした情報を総合した上での私の現在の見解はというと、やはり今回の事件は国策捜査であるという確信が強くなってきました。

 一つ一つ関連情報をあげて説明をしていきますが、まずは今回の小沢氏の公設秘書の逮捕理由ですが、これは報道でも言われているように虚偽文書記載によるものです。ダミーの団体を通しているとはいえ西松建設側からの政治献金であることがわかっているにもかかわらず帳簿にはそのように書かなかった、というのが公設秘書の大久保氏の逮捕理由ですが、本来、というよりこれまで一度もこのような虚偽文書記載でいきなり逮捕という事例はありません。あったとしても関係者の事情聴取や任意同行くらいなものでいきなりの逮捕は前例のない異常な捜査で、一部報道で今回の逮捕は後に続く大きな事件の布石だという主張がありますが、未だにその大きな事件の背景が見えてこないと言うのは問題だと思いますし、ましてやそれを検察も示さないと言うのはちょっとどうかと思い、やっぱりひとまず逮捕して無理やり汚職事件に結び付けようとしているのではないかという疑念を覚えます。

 次におかしな点は、何故小沢氏の秘書だけが逮捕されたのかです。
 今回の大久保氏の逮捕理由は本来やってはいけないことになっている、政治家の資金管理団体は企業から直接受けてはならない献金を受けたからということになってますが、恐らく今回の西松建設の例のような迂回献金なんてどの政治家も受けているでしょうし、現に小沢氏へ献金を行っていた西松建設OBが代表を務めていた政治団体からは自民党の森元首相、二階議員を始めとした多くの議員が献金を受けていましたし、何も西松建設系の団体に限らなければほぼすべての議員がこのような迂回献金を受けているでしょう。にもかかわらず、今回逮捕、事件化したのは小沢氏だけです。

 この点について私の友人が実に鋭いツッコミを言っていましたが、テレビなどで報道されているように何故小沢氏だけが捜査される事になったかという理由が、その政治団体から一番献金を受けていた(報道では約四千九百万円)というのであれば、じゃあ額が少なければいいのかという話になってきます。少なくとも迂回献金の事実だけで逮捕に至るほど捜査されるのであれば、森元総理をはじめとした他の議員も一緒に捜査されていなければおかしいことになります。

 この点に関して昨日今日と実に興味深い報道が出ていますが、こうした自民党の議員も問題の政治団体から献金を受けていた事実に対してある政府高官が、「自民党にまでは捜査は発展しない」と、何故この段階でそんなことがいえるのか、やはり裏でつるんでいるのではと思わせる発言をしていたようで、今日の朝日新聞の夕刊によるとどうもこの発言をした政府高官というのは漆間巌氏だったようです。リンク先のウィキペディアの記事をみればわかりますが、発言をしたのが漆間氏と聞いて私は「あぁ、こいつならやりかねない」と思いました。
 またこの発言について国策捜査の被害者の鈴木宗雄氏(加害者は福田康夫氏)も昨日のテレビ番組にて、「(検察と)権力側がつるんでいると言う話になる」と批判しています。

 そして私が今回の事件を特に国策捜査だと思わせる一番の理由ですが、今回の事件報道の情報ソースがどれも官公庁発表、つまり全部が全部検察発表という点です。
 大体一昨日くらいから、「迂回献金は小沢氏側からの指示」や「違法と認識しつつ実行した」などといった供述が出たなどと報道されていますが、これらの供述はすべて「西松建設関係者から」とつけて新聞やテレビなどで報道されていますが、こうした捜査情報を持っているのは検察だけです。更に言えば「西松建設側」と呼ばれる供述者というのは間違いなく大久保氏と一緒に逮捕された西松建設の元社員、もしくは今回の事件以前の海外送金などの事件で逮捕された西松建設関係者たちでしょう。

 この辺なんかは国策捜査というものがどんなものかを知っていなければ実感しづらいのですが、逮捕拘留することで被疑者を他の関係者から引き離した上で、日本の検察は自分たちの捜査の筋書き通りに話すのならば執行猶予をつけるなどと持ちかけては、特に家族を置いて拘留されている人物などに供述を強制させるそうです。佐藤優氏の「国家の罠」を読めばこうしたくだりが理解しやすいのですが、どんなにタフな人間でも一日十数時間も取調べを受けて、外からの情報が遮断される環境におかれると抵抗する力をほどなく失い、大抵の人間は検察の筋書きに乗って検察の都合のいい供述調書にサインをしてしまうそうです。なおこうしたことについて社会学でも「囚人のジレンマ」という有名な理論があります。
 それで話は戻りますが、今回の事件の報道、それも小沢氏側に不利な供述などの情報はどうも検察側からしか発表されておらず、塀の外側ことシャバの世界での関係者の供述や証言というものが私が見渡す限りほとんどなく、しかもバンバンと普通は表に出ないような操作情報が流れているのでいわば検察によって事件報道が作られているような状況にあるのではないかと見ています。このあたりも、国策捜査において典型的な経過です。

 最後に止めのおまけを一つ。実は誰かが言うだろうと思ってたから敢えて今まで私は言わなかったのですが、贈収賄罪が適用されるには当たり前のことですが「お金を受け取る側」と「お金を払う側」という二つのキャラクターが必要で、なおかつ「お金を受け取る側」がその賄賂を受けたことにより「お金を払う側」に対して何らかの見返り行動を行うということが絶対条件として必要になります。
 そこで冷静に考えて見ましょう。小沢氏は確かに有力な政治家ではありますが、与党ではなく野党の党首です。そんな野党の人間がいくら賄賂を受けたとしても、西松建設がほしがるような公共事業の工事を受注させることができるかと言ったら非常に疑問です。それで言うならむしろ、与党である自民党の中で献金を受けた議員の方が贈収賄の構図としては成り立ちやすいのではないでしょうか。それでも、今回逮捕されたのは小沢氏周辺だけです。

 いくつか情報を見ていると、今回の秘書の逮捕はあくまで前段階で、検察はもっと大きな事件とその証拠を握っており、今回の逮捕をてこに大きな捜査へと発展していくのだという主張がいくつか見受けられますが、それならば何故その大きな事件を始めから捜査しないのか。また今回この献金の事実だけで逮捕するなら他の自民党議員はどうなるのか。その上今回迂回献金をしていたという団体は数年前に海産さているにもかかわらず、何故今になって事件化したのか。

 こうした点を総合して、私はやはり今回の事件は自民党による国策捜査だとにらむに至りました。かつて国策捜査を受けた佐藤優氏は、本来国家というのは非常に力のある存在で、いわば逮捕をしてから事件を作るというような国策捜査が行われること自体、国家が弱ってきている証拠だとかつて述べています。
 前回にも書いたとおりに私は正直に言って小沢氏が嫌いです。ですがこのような国策捜査は決して将来の日本のためにならないし、こんな行為を仮に自民党がやっていると言うのなら絶対に許すことは出来ません。これまた佐藤氏の話ですが、ロシア人というのは政治家はみんなクソッタレで、選挙と言うのはクソッタレどもの中から一番マシなクソッタレを選ぶ行為だと考えているそうです。この考えに則るのなら、まだ私は小沢氏の方がまだマシなクソッタレなんじゃないかと覚えます。

 今回の事件はいろいろと考えさせられることがあるので、ちょっと勉強しなおそうとかつて国策捜査を受けた堀江貴文氏と佐藤優氏の本を二冊、本日買ってきました。堀江氏の本はすぐ見つかると思っていたのに、本屋を探して五軒目でようやく見つけましたが、期待に違わずなかなか面白い内容なので、明日にでも紹介しようと思います。

2009年3月6日金曜日

日本漫画キャラ傑作選~サブキャラ編~

 マンガというメディアはその表現上、やはりストーリーよりもキャラクターの個性や外見、特徴などで面白さなどが決まりやすいものです。かといって何でもかんでも珍しいキャラクターを出せばいいというわけでもなく、今日はちょっとその辺を詰めるという意味も込めて、私の目から見てひときわ目に付く傑作的なキャラクター、それも主役やヒロインといったものではないサブキャラクターの中から今日はいくつか紹介しようと思います。

1、泣き虫サクラ(餓狼伝)
 ひときわ濃いキャラクターが頻出する「餓狼伝」の中でも、特に際立って読者の記憶に強い印象を与えたのがこの「泣き虫サクラ」です。このキャラは子供の頃に母親によって両目を潰されたため視力を失っているのですが、その母親を喜ばせるために激しい肉体トレーニングを積み続け、視力の代わりに聴力と嗅覚のみで相手の立ち位置から動作まで読み取り、漫画中では絵の具の臭いをより分けることで絵まで書いてしまっています。
 なんていうか文章では伝えづらいのですが、圧巻ともいえる漫画中のその風貌はまず前述の通りに眼球が潰されているために眼窩がくぼんでいるだけでなく、二メートルを越す巨大な身長にしなやかな筋肉、そしてなにより恐らく60歳は越えているであろうというしわくちゃの顔でありながら、アメリカの地下プロレスの覇者として君臨しつづけているというのだからとんでもない設定です。
 こうしたビジュアル的な面にとどまらず、対戦相手のグレート巽(どっからどう見ても猪木)に対して試合中に、
「(君には)悲しみもある、怒りもある。でも……陵辱がないでしょっ!」
 と、ことごとく読者の常識を覆すインパクトのあるセリフを連発し、インパクトだけで言うなら日本漫画史上でも一、二を争うキャラだと私は思います。

2、パック(ベルセルク)
 かつてこの「ベルセルク」の作者の三浦建太郎と「北斗の拳」で有名な原哲夫という二人のマンガの原作を作ったことのある武論尊に、「二人ともマッチョな作画で似ている」といわせただけあり、「ベルセルク」の絵は非常に緻密な書き込みで見るからに重厚そうな印象を覚えます。それに加え元々の漫画のストーリーも暗く沈痛な内容なために自然と読んでいる印象は重く暗い……と思いきや、そんな雰囲気を悉く引っくり返しているのがこの妖精キャラの「パック」です。
 真面目なシーンではファンタジー漫画の妖精らしい格好をしているものの、大半のシーンでは元の造形を全く無視した二頭身の通称「クリパック」の格好で、漫画全体の雰囲気を吹き飛ばすかのようなギャグキャラとして活躍しており、詳しくは原作の漫画を読んでもらえばわかりますが、木の枝に栗のイガをつけて「妖刀ざっくり丸」と称したり、「エルフ示現流」と言ってはいつの間にかヨーダの格好をしていたりと、みるたびに思わず笑いがこみ上げてくるキャラです。多分このパックがいなければ面白いのは変わらなかったとは思いますが、話がずっと暗いまんまで読んでて疲れやすい漫画に「ベルセルク」はなっていたと思います。

3、如月さん(エルフェンリート)
 一見かわいらしい絵柄で始まった「エルフェンリート」の第一話にて、とろい口調で歩いてはすぐにずっこけ、それでも「いつかは室長の役に立つ秘書になるんだ」という夢を語る典型的なドジっ子萌えキャラとして登場し、多分読者はこの「如月さん」がこの漫画のヒロインなんじゃないかとみんな最初は誤解したと思います。ですが同じ第一話にて、その研究室で捕獲していた未知の力を操るキャラ(主人公のルーシー)が脱走してこの如月さんが人質にとられるやわずか4ページ後に「ブチッ」っと、いきなり首チョンパされるという強烈な最後を遂げて第一話でいきなり退場してしまいました。
 別にこの如月さんに限るわけじゃないですが、この漫画ではさも重要そうなキャラが出てきたかと思ったら同じ回の中ですぐに殺されては、逆に脇役かと思ったキャラがやけにその後延々と活躍するなど読者の期待の逆を平気で行く漫画でしたが、この如月さんのいきなりの退場には私も思わず「えっ?」と言ってページをめくり返してしまいました。

4、ドクターキリコ(ブラックジャック)
 手塚治虫の最高傑作との呼び声も高い「ブラックジャック」にて、血のにじむような激しい現場の野戦病院で働いた経験から施しようのない患者にはなるべく早く安息をもたらすべきという信条を持ち、安楽死専門の医師としてこの「ドクターキリコ」は颯爽と登場しました。登場回はいくつかあるのですがそのどの回でも「ほかの何者を持っても命の価値に変える事は出来ない」という信条の元、それこそどんな患者でも治療して見せようとするブラックジャックとは激しく対立し合うのですが圧巻なのは初めて登場した回において、全身麻痺で幼い子供らにこれ以上入院費用などの負担をかけられないとして安楽死を望む母親にその処置を施そうとするものの、当初は報酬額が出せないとのことで治療手術を拒否したブラックジャックがドクターキリコの行為をやめさせるため、意地になって無報酬で手術し治療して見せた回です。

 みごと手術を成功させたブラックジャックに対してドクターキリコは、
「人間の生き死にというのは神が決める行為だ。あの患者はいわば死ぬべき運命にあった患者で、その患者を無理やり治療してしまうお前の行為はいわば神へ反逆するようなものだ。だがお前がいくら頑張ったところで、人の運命なんて変わることはないんだぜ」
 と言い、退院直後に治療された母親とその子供らの親子が交通事故で死亡した事実を伝えます。それに対しブラックジャックも、
「たとえこれが運命に逆らう行為だとしても、俺は目の前の患者を生かし続けるために一生このメスを振り続けてやる」
 と言い放つこのシーンは、現代の医療倫理においても重要な意味合いを持つ会話だと思えます。なお今挙げたセリフは内容を伝えるために私が書き起こしたもので、忠実にセリフ文章を抜き出したものではありません。
 基本的に主人公のライバルキャラと言うのは主人公に対するアンチテーゼを持つキャラクターになるのですが、私は今の今までこのドクターキリコほど強烈なアンチテーゼを持ったサブキャラクターは見たことがありません。

 漫画も作品単位でいろいろと評論されることはありますが、今回ちょっと思い立ってやってみたのですが、案外こういう紀伝体のようにキャラクター単位で評論を書くのも面白いかもしれません。好評だったらまた続きを書いてみようかと思います。

2009年3月5日木曜日

満州帝国とは~その四、満蒙独立運動~

 日露戦争後に日本は満州鉄道とその周辺の付属地を手には入れたものの、満州全土は依然と中国のままで、1931年の満州事変が起こるまでは日本はその地域を完全掌握するには至りませんでした。しかし満州地域の権益の独占と支配の画策は満州事変の直前までなかったかというと実際にはそうではなく、日本は満鉄を手に入れた時点から混乱の続く中国に対して隙あらば付け入ろうと目を光らせており、実際に数多くの謀略を仕掛けては独立工作を何度も実行していました。
 そのような謀略を行っていたのは言うまでもなく陸軍をはじめとした日本の軍部らと、また中国大陸で一旗あげようとしていたいわゆる大陸浪人と呼ばれる人たちで、そうした日本人らにかつての清王朝の再考を夢見る元皇族の中国人こと満州人らたち組むことで行われ、そうした彼らの工作は俗に満蒙独立運動と呼ばれています。

 満蒙独立運動の活動家として最も代表的な人物は、大陸浪人の第一人者である川島浪速です。川島は中国語を学んでいた関係から若い頃から通訳などの仕事を通して中国と深く関わるようになり、その過程で川島の生涯の盟友となる粛親王善耆こと、清王朝の皇族らとも親交を深めていきました。その粛親王をはじめとした清朝の皇族たちは凋落著しい清朝を再興するために、日本の力を借りることで先祖伝来の満州の地にて蜂起、独立する計画を持っており、日本政府としても彼らを支援することで満州と蒙古地域(現在の内蒙古自治区)を中国政府から切り離して独立させることで、より中国大陸へと進出するという野心があり、いわば双方の思惑が一致する線の上で川島を始めとした大陸浪人らが日本と元皇族を結びつけたことから満蒙独立運動が始まりました。

 そうした中で行われたのが、辛亥革命直後に計画された第一次満蒙独立運動でした。1911年の辛亥革命にて清朝が完全に滅ぶや川島らは粛親王らを北京から脱出させ、満州内で兵を集めて挙兵する準備を進めつつ日本陸軍へも協力を打診しました。実際にこの時には参謀本部や外務省などから川島らを支援する目的で多額の資金や武器弾薬が拠出されたのですが、欧米各国がこのような日本の動きに対して懸念の声が挙がったことで、外交問題に発展することを恐れた日本政府より挙兵を中止するべしとの命令が出されたことで最終的には実行には移されませんでした。

 しかしこうした連中がちょっとやそっとで計画を断念することはなく、計画中止から三年後の1914年に欧州で第一次世界大戦が起こっている最中、中国では袁世凱が突然皇帝に即位するという破天荒な行動を起こしたことから中国国内で打倒袁世凱を掲げる「第三革命」が起こりました。この間に日本の大隈重信内閣は中国に対して対華二十一カ条要求という中国に対して屈辱的な外交要求を行うだけでなく、さらにはこの第三革命に乗る形で強気に内政干渉を行っていき、その一貫として再び清朝の元皇族を再び支援することで満州地域の独立を促す第二次満蒙独立工作が行われました。

 この時の計画はかなりの所まで準備が進められ、挙兵の際に障害となるであろう満州地域の軍閥である張作霖の爆殺未遂など実際に実行に移されたのも少なくありませんでした。しかしそうした工作の最中に袁世凱が急死したとことにより、遠政権の打倒という大義名分を失ったことから日本政府はまたも作戦を中止し、満州の独立はあきらめ中国において親日的な政権を応援するという方策に変えました。
 こうした方針の変更に困ったのは、実際にもう挙兵してしまった各地の部隊たちでした。一応日本政府も責任を感じてか部隊の解散費用などが川島らの支援者へ支払われはしましたが、支援のなくなった独立主義者のパプチャックの軍などは張作霖の猛烈な反撃を受けて敗退し、パプチャック自身も戦死しています。

 私などは大学受験時代に毎回相当な高得点を日本史の試験でたたき出していましたがこうした満蒙独立運動については何一つ習ったことはなく、以前に満州史を勉強した際に今回の記事の内容を知った際には、やっぱり日本は当時の中国にいろいろとちょっかいを出していたんだなと、あまり驚きはなくむしろ納得するような感じで事実を受け取りました。
 これは今回資料としている学研から出ている「歴史群像シリーズ 満州帝国」に書かれている評論ですが、特筆すべきはこれらの満蒙独立工作は公然と日本政府や軍部が中国に対して工作を仕掛けていたという点です。よく靖国問題についてあれこれ内政干渉だなんだなどという議論がありますが、当時はこれほどおおっぴらにやらかしていたのかと、今の時代にいるからこそ思うのかもしれませんが当時の日本のあまりの露骨さには時代格差を感じてしまいます。

 ただこうした工作が当時の軍部や政府の主導的な関与があったという事実は、この後に行われる張作霖の爆殺、それに続く満州事変といった一連の軍部の行動も、このような流れに沿ったものだったと考えると突拍子もない軍部の暴走だったとは受けきれないとも私は思います。

2009年3月4日水曜日

満州帝国とは~その三、満鉄の設立~

 満州帝国の歴史を語る上で欠かすことの出来ないものは数ありますが、今日紹介する満鉄はその中で最も代表的なもので、事実上満鉄=満州といえるような面も歴史にはあります。
 実はこの満鉄の記事を書くに当たり対象とする範囲が一気に膨大になってくるので、この際この連載を紀伝体風にやってこうかなとも考えたのですが、多少変則的になりますがこの記事では設立時の状況を説明する導入にとどめ、今後の記事は紀伝体調を強くしてやっていこうかと計画中です。甘粕正彦とか石原莞爾なんて、散逸的に書いてもしょうがないし。

 それでは早速解説を始めますが、この満鉄こと満州鉄道会社は日露戦争後、当時のロシアから満州での鉄道経営権を譲り渡されるのを受けて、その管理を目的に半官半民の組織で設立されました。この満鉄の設立に当たり、前回でも説明したようにロシア側から鉄道のみならず鉄道の付属地を譲り受けることから当地の行政もある程度管理する目的で、日露戦争勝利の立役者である児玉源太郎は占領統治を熟知している旧知の部下こと、台湾の民生局長時代に台湾の衛生環境を劇的に改善させた後藤新平を満鉄の初代総裁に据えようとしました。しかし後藤本人は当初は総裁就任を固辞していたのですが、そうこうしているうちに児玉が病死してしまい、医師だけにその意志を受け継ぐ形で後藤も最終的には総裁就任を承諾しました。

 とはいっても、満鉄は活動開始期から華やかにやってこれたわけではなかったそうです。後藤の腹心で後に二代目総裁となる中村是公はこの時期に東大時代からの親友である夏目漱石を満州に招待していますが、その旅において漱石は急速に近代化が進む付属地の状況を記す一方、ちょっと付属地の中心部を外れると荒涼とした荒地が依然と広がっているとも書いており、日本にいる人間たちからすると満州は遠く離れた僻地という印象が強かったようで、実際に日本以上に寒さの厳しい土地ゆえ鉄道の管理運営もしばしば支障をきたし、また馬賊などの襲撃が度々あっては満鉄社員らも士気が上がらず不祥事もよく起こっていたそうです。
 
 それでも後藤や中村の努力もあって徐々に鉄道網や付属地の経営やインフラの整備は進んでいき、明治末期に満州を訪れた矢内原忠雄も決して満州は僻地でないと、漱石が訪れた時代より大きく発展したことを記録しています。そんな中、満鉄が大きく飛躍するきっかけが外部よりやってきたのです。何を隠そう、第一次世界大戦です。
 この一次大戦にて満鉄にとどまらず日本中でも好景気をもたらせましたが、満鉄にとってなにが一番大きかったというと操業開始より経営の柱としていた鉱山発掘でした。満鉄の設立前にあらかじめ行われた中国との交渉によって日本は付属地近くの鉱山の経営権を獲得しており、この鉄道と鉱山経営は満鉄の設立開始から終末期まで経営の二本柱であり続けました。この鉱山経営が一次大戦の勃発によって重工業製品の需要が伸びたことからこの利益が膨れ上がり、この頃から経営が安定してきたことから名実ともに満鉄は日本を代表する会社となり、東大卒の社員もこの頃から入社するようになります。

 ただこうした一次大戦による経済的地位の上昇以上に、満鉄がその影響力を強めたのはロシア革命によるところが大きいとされます。というのもロシア革命によって世界初の(パリコミューンはもちろん除く)社会主義国家のソ連が誕生したことにより、ソ連と国境を接する満州にある満鉄と関東軍は次第に対ソ最前線の国防上でも重要な地位を帯びるようになっていき、ソ連に対する謀略、諜報の基地的な役割が強まっていきました。こうした流れを受け、付属地の経営や行政を研究する目的で満鉄の設立当初よりあった日本初のシンクタンク……というのはやや大げさな気がして私はあまり信じていませんが、戦前を代表するシンクタンクの満鉄調査部は徐々にソ連や社会主義陣営の偵察、研究、ひいては植民地政策などあらゆる方面を研究する組織へと変貌を遂げていくようになりました。

2009年3月3日火曜日

小沢民主党代表秘書逮捕のニュースについて

西松建設献金で小沢氏公設秘書ら3人逮捕 政治資金規正法違反(YAHOOニュース)

 今日七時のNHKニュースでもトップニュースでしたが、リンクに貼った記事によると本日小沢民主党代表の公設第一秘書が西松建設に絡む不正献金の疑いで逮捕されたようです。結論から言えば、私はこの逮捕撃破やはりきな臭いと思い、インタビューでも鳩山由紀夫幹事長が口にしていましたが、これも国策捜査なのではないかという疑念があります。

 今回の事件は異様とも言える位に構図が複雑なのであらましを簡単に説明すると、まず小沢氏の公設秘書をはじめとした三人の直接的な逮捕理由は、政治資金規制法で禁止されている、小沢氏個人の資金管理団体の「陸山会」に対して西松建設が企業献金を行い、その献金額を秘書が帳簿上の科目を別のものにしていたということからです。自分も今回初めて知ったのですが、政治家の政治団体には企業献金が許されているにもかかわらず、なぜか政治家の資金管理団体にはやってはいけないことになっているそうです。
 それで西松建設がどのように献金をしたかですが、単純に言うと西松建設が自社の社員への給料に小沢氏への献金額を上乗せして、その社員が個人献金という形で小沢氏の資金管理団体に上乗せされた分を献金させたということです。
 細かく言うと更にややこしいことになってくるのですが、一応はそうした給料上乗せ分の献金額は西松建設OBが運営していた政治管理団体の「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」を通過することで、要するにダミーとすることで献金されたそうです。なんていうか、書いててあほ臭くなるほど長い過程です。

 私の理解した範囲の事件の構図はこうですが、まず私の正直な感想は、これのどこが悪いのかということです。確かにそうした献金によって変な談合や工事の随意契約の根回しといった不正が行われていたとするならば明らかな犯罪ですが、現在の報道ではまだその辺にまで言及はされておりません。そしていくら政治資金規正法で禁止されているとはいえ、政治団体へはよくとも資金管理団体へ企業献金が許されないというのは一抹の奇妙さを覚えます。言ってしまえば両方とも政治家が代表とする団体であればどっちもその政治家の政治活動に使われるのは明らかですし、その使途に妙な使い方があったのならばなぜそれが容疑とならず、献金をしていた事実のみで逮捕になるのか不思議です。そしてなにより、企業献金は駄目でも個人献金ならいいっていうこと自体、ちょうど以前の記事でも触れたばかりですがなにか問題があるような気がします。

 そうした理由に加え、一番このニュースできな臭いのはこのあまりにも良過ぎるタイミングです。ちょうど先週に予算案が衆議院で通過し、この後の二次補正予算が最終的に可決されることでいよいよ選挙かと言われ始めたこのタイミングで、それこそ致命傷になりかねない政党代表のスキャンダルなんていくらなんでも出来すぎた脚本のように思えます。
 更に言えば、そもそも先月からニュースになっていた今回槍玉に挙げられている西松建設の海外で捻出した裏金の送金問題や、キャノンの工事受注問題など、ありえないほど直前に検察などから集中砲火を受けていたのも変だと感じておりました。

西松建設前社長を起訴 裏金、引き続き捜査(47ニュース)
大賀容疑者、西松建設から数千万円…キヤノン施設工事巡り(読売オンライン)

 これらすべての西松建設への捜査が今回の小沢氏の秘書逮捕の布石だと考えると、というよりそう思えても仕方のないようなタイミングの良さで、佐藤優氏が一気に定着させた「国策捜査」なのではないかと私も疑ってしまいます。狙いはもちろん、小沢氏と民主党です。
 正直に言えば、私は小沢一郎という人物があまり好きではありませんし、小沢氏の持つスキャンダルは私の陽月旦でも触れているように前から知っていました。しかし今回の出来すぎた秘書の逮捕はあまりにも不自然ですし、こんな誰が献金したかとかよりむしろ「陸山会」が所有する不動産物件とその売買と賃貸行為の方が問題性が大きいのではないかと思うと、なんとなく釈然としない気持ちを覚えます。

 無論、今回の逮捕は一つのきっかけで今後捜査が進むにつれて本来の目的や容疑がはっきりしてくることで明確に小沢氏の責任が問われる事態が明らかになることもありますし、私のこの場での主張も杞憂に過ぎなかったということになるかもしれません。しかしそれでも、今回のこのニュースではやや疑問に思える点が数多くあることからあらかじめ私の見方を書いておくことにしました。

 なおもしこの件で本格的に小沢氏の周辺が捜査される事態になった場合、民主党はこの際小沢氏とその取り巻きを徹底的に排除することで、次の選挙でより有利な立場になる可能性もあるのではないかと思います。
 私がそうであるように小沢氏に対してアレルギーを持つ人間は未だ数多くおり、「自民党は応援したくないが小沢が総理になるのはもっと嫌だ」という有権者を取り込む意味合いで、この際徹底的に党内の小沢色を取り除き岡田克也氏あたりを党首に持ってきて、政権奪取時には彼が総理大臣になると確約することで今以上に支持が得られるという可能性もあるのではないかと思います。そこまで民主党が対応力を見せられるかにかかっていますが。

2009年3月2日月曜日

中川元財務相の泥酔会見の裏側

 今更ですが、ようやくあの中川元財務相の泥酔会見にて私がずっと疑問に思っていた点に対して一つの解答を出すことが出来ました。その疑問点というのも、中川元財務省とあの泥酔会見の直前にあった昼食にて同席していた新聞記者についてです。

 あの泥酔会見から約一ヶ月近く経ち、問題となった会見はやはり中川元財務相が泥酔した状態で出席したことによるものだとほぼ確実視されるようになりました。その根拠としては問題発覚後に徐々に明らかになってきた当日のスケジュールによるもので、あの問題の会見の後にも美術館見学にて立ち入り禁止の場所に入って警報ブザーを鳴らすなどと奇行を続けたことから泥酔の件はほぼ間違いなくクロでしょう。
 ではその酒が入ったのはどのタイミングかが次の問題になるのですが、この問題も結局中川元財務相の口からは曖昧なままで突き通されてしまいましたが、当日のスケジュールを精査するとG7会合が終わったあとの各国財務大臣同士の昼食会と、その後に日本の外務省からの同行者らとの間で行われた私的な昼食会とアルコールを取る機会が二回あり、特に後者の私的な昼食会の直後に行われたロシア関係者との会談においてロシア側が中川元財務省がすでに奇妙な態度を取っていたことを言及しているので、私としてもうしろの昼食にてアルコールが入ったと見ております。

 さてこの昼食が実はこれまで私を悩ませてきた一つの原因なのですが、各所の報道によるとこの私的な昼食会において読売新聞をはじめとした何人かのぶら下がり記者も同席していたようで、この事実については読売新聞側も認めております。
 しかし問題発覚後、時間にして約三日間もの間、見方によれば現在に至るまでその時の昼食会にて中川元財務相がアルコールを含んだという事実関係の報道はありませんでした。普通に考えれば同席した記者がいるのならその時に中川元財務相が酒を飲んだか飲んでないか、もしくはその昼食の時点で行動がおかしかったかなんてその場にいた記者ならはっきりわかるはずですし、また当初酒を泥酔するほど飲んではいなかったと中川元財務相はゴックンだかゴックンじゃないとか曖昧な言葉で濁していましたし、その内幕を暴露することでスクープになるような内容を何故隠していたのかと、恥ずかしながら実はこれまでずっと悩んでいました。

 それでこれはあくまで私の推論ですが、やはりあの時に同席した記者らは敢えて中川氏の飲酒の事実を報道しようとしなかったのだという解答に私は落ち着きました。というのも政治家のぶら下がり記者というのは自分たちの出世もぶら下がり先の政治家にかかっているようなもので、担当となった政治家がそれこそ大臣や首相になればそのまんま大臣付きや首相付きの記者となって社内での発言力も増していくそうです。逆を言うのなら担当の政治化が楽そうすればするほど、その記者も立場がなくなっていくことになります。

 そうした打算的な意味合いに加えて、やはり政治家となるような人というのはみんな人間的魅力に溢れている人物ばかりらしく、一緒に接していることでいつの間にやらその人間の個人的なファンになってしまうことが政治家のぶら下がり記者には多く、業界用語で言うと「政治家に淫する」といって、次第に担当の政治家に対して批判的な目や記事を書くことが出来なくなるそうです。

 要は中川財務相のぶら下がり記者らもそうしたところがあり、泥酔会見が発覚してもなかなか「いや、あんたあの時散々飲んでたじゃないか」というような事実を公表することを敢えて行わなかったのだと私は考えています。そしてもしそうだとするなら、書かなかった記者らは早いところ仕事を変えるべきだとも思います。記者がいくら担当の、しかも懇意にしている政治家だからといって、批判的かつ中立的な立場を持てないとするのならその仕事には向いていないとしか言わざるを得ません。

  追記
解散時期「わたしが決める」と麻生首相=農水相発言、官房長官は苦言(YAHOOニュース)

 リンクに貼った記事は先日に石破農水大臣が予算成立後に早く解散総選挙をするべきといった発言に対し、麻生首相が解散時期についてとやかくいうなとばかりに反論したことを報じたニュースです。
 実は昨日に古賀誠選対委員長が石破大臣に近い意見として、補正予算成立後あたりが時期かもしれないと匂わせていたので私は自民党内で合意が出来ていると思ったのですが、今回の麻生首相の発言はそれを真っ向から否定する発言なので、どうやらそうでもないようです。

 それにしてもここまで来ると別にやることもないし本人が信条としている政策目標もないというのだから、麻生首相は本当に一日でも長く自分が総理をやっていたいという理由だけで解散を延ばしているのではないかと、あまり信じたくないのですがそう疑ってしまいます。だとしたら本当に麻生降しが自民党内で起きない限り、選挙は今年九月まで目一杯引き伸ばされてしまうかもしれません。

2009年3月1日日曜日

国会議員の世襲について

衆院選「候補者A」かく闘わんとす(日経ビジネスオンライン)

 昨日に引き続きSophieさんからのリクエストネタです。今日やるネタは私の中でもホットな話題の二世議員についてです。

 さて上記のリンクに貼った記事に書かれているように、日本の選挙はとにもかくにもお金がかかってしまいます。特に私も問題視しているのは、シャレや冗談で立候補する泡沫候補を出させないために、確か200万円の供託金を立候補に当たって選挙管理委員会に出さないといけないという選挙制度です。この200万円ですが、確かに泡沫候補を乱立させないためという理由はわかるのですが、選挙に落選した際に10%の得票率がなければ返還されずに一方的に没収されます。はっきり言いますが、何故この制度に対して司法が平等な被選挙権の侵害だと判断を下さないのか疑問に思います。

 こうした供託金制度にとどまらず、選挙活動をする上で運動員の雇用費、ポスター代などと、記事にも書かれていますが一回の選挙で数千万円の費用がかかるというのはあながち大げさな話ではありません。しかも日本の場合はお国柄か、個人からの献金が一般的ではないために立候補する候補者たちは企業からの献金に頼らざるを得ず、そのため政策面で企業の便宜を図るように動かざるを得なくなるという環境があると以前から指摘されております。そのため地位も名声もない新人議員や候補からすると、地元の支援も満足に受けられずにこうしたお金の問題から政治活動の停止に追い込まれる人も少なくありません。

 元々、日本の政治には「三つのバン」こと、「地盤、カバン、看板」がなければ選挙で戦えないと昭和期より言われてきました。カバンというのは要するにお金で、看板というのは名声で、そして最後の地盤というのは一見すると地元からの支援と見えますが、実際には世襲を表しています。
 世襲議員の場合は親族が元々その地域から選出された議員であることから地元の支援者の協力も得られやすく、また政治資金も親族から政治団体を引き継ぐ形を取れば相続税もかからずに受け取れるので、新人候補に比べると非常に有利な状態から選挙に望めます。そのせいか現在の国会議員における世襲出身の割合は非常に高く、私の陽月旦でも出身欄に「世襲」ばかりと書いていていい加減うんざりしています。

 これは田原総一朗氏の発言ですが、世襲自体がいいかどうかではなく、現実として大半の世襲議員には政治家としての能力が不足しているのは事実ゆえにどうにかするべき、というオフレコ発言がありましたが、私も同じように感じます。
 現在の選挙制度では先ほどにも述べたように非常にお金がかかるため、企業などから献金を受けづらい新人候補は政党からの支援金に頼らざるを得ません。ですが現在の政党、特に自民党では世襲ではなく外部から政治家を志して援助を願う候補者がたとえどれだけ能力があるとしても、やはり人間関係的なもので世襲の議員を応援するように動いてしまいます。そのため外部の人材は選挙に出ようとしても政党の援助もなく選挙区を割り振られないために、事実上締め出されてしまっている状況だそうです。先ほどの田原氏によると、現在民主党に所属している前原誠司議員や長妻昭議員は本音では自民党から出馬したいと願っていたものの、自民党では選挙に出してもらえないことから民主党で出馬して当選し、現在自民党を苦しめる張本人らとなっているそうで、この事実ひとつだけでも世襲では優秀な人材を国会へ送り込めないというのがわかります。

 そして現在、橋本龍太郎以降の首相はすべて世襲議員です。こういうと昔から世襲じゃなければ首相になれないと思われがちですが、実際には戦後になってから初めて世襲議員で首相に就任したのは宮沢喜一首相で、それまではどれも叩き上げの国会議員たちでした。
 そして橋本以降の首相を見ても、橋本、小泉氏はまだしもここ三代の安倍、福田、麻生の三首相に至っては途中で政権を放り出すわ失言は連発するわで、なんでこんな人たちが総理大臣になってしまうのか、日本には本当にこんな人材くらいしか残っていないのかと嘆息させられてしまいます。もっとも、世襲議員とはいえ一応は選挙で勝ち抜いては来ているのですから、そんな人材を国政に送り出す国民に一番責任があることになってしまうのですが。

 最後に、私が知っているある新人選挙候補のお話しをします。
 その人は世襲ではなく官僚出身の候補者ですが、初めて選挙に出た前回の選挙にて残念ながら落選してしまい、次の衆議院選挙にも再出馬する予定の方です。その人から直接話を聞きましたが、やはり落選した際の費用負担は大きく、また家族も奥さんが心労で入院し、子供は学校でいじめられ、おまけに公務員には失業保険なんてないからいきなり無収入になり、ほとほと選挙に懲りてもう政治家の道はあきらめようとしたそうです。
 ですがそんなことを友人に相談したらその友人より、
「自分を大事にするのならそうした方がいい。だが本当に国を思って、国のために尽くしたいというのなら絶対にあきらめるな。私は君のような能力の高い人材こそが本当に国が必要とする人材だと確信している」
 と言われ、もう一度やってみようと決心したそうです。