私が近現代で最も尊敬している人物は今村均氏と水木しげる氏ですが、もし日本人以外でというのならばといのなら私は必ず張学良氏の名前を挙げるようにしております。今日はそういうことで、満州帝国の連載コラムとして張学良氏個人について解説をしようと思います。
日本史を勉強した方で張学良氏の名前を知らない方はまずいないでしょう。前回の「張作霖爆殺事件」で紹介したように、張学良氏は戦前の中国東北部の軍閥の長であった張作霖の息子として生まれ、張作霖の死後は彼の後を継いで軍閥を率いて蒋介石軍に投降をしました。
実は前回から「張作霖」の名前には「氏」をつけずに張学良氏にはずっとつけていますが、これは張作霖は時代が大分過ぎていることから歴史上の人物と捉えているからで、張学良氏についてはまだ歴史というほど古い人物ではないと判断しているためです。
この話をすると驚かれる方が非常に多いのですが、張学良氏はほんの八年前の2001年まで存命しており、この年に満百歳でハワイにて死去しています。この死亡年と年齢から察しのいい人はお分かりでしょうが、張学良氏は二十世紀の始まりの年である1901年に生まれて二十一世紀の始まりの年である2001年に死去し、丸々20世紀という時代を生きて去っていったということになります。さらには1901年という彼の誕生年は、もう一人の20世紀の日中史を代表する人物である昭和天皇と同じ誕生年でもあります。本当に偶然と言えば偶然なのですが。
さてこの張学良氏が何故日中史において私が重要であるかと考えるかですが、結論から言えば第二次国共合作の立役者であるからです。
満州帝国の本連載では次回にようやく満州事変を取り上げますが、この満州事変によって中国東北部から張学良氏は強制的に支配地域から追放され、以後しばらくは蒋介石の国民党の下について西安にて共産党の討伐軍を指揮していました。しかし共産党と戦いつつも張学良氏は、今は中国人同士で戦っている場合ではなく一致団結して日本に立ち向かうべきではと考え、極秘裏に共産党の周恩来と会って共闘の道を探り始めていました。そうした中で起きたのが、あの西安事件です。
西安に視察に来た蒋介石に対して張学良氏は共産党と国民党の共闘を打ち出しますが、当初蒋介石はこれを拒否します。すると張学良はなんと自分の上官である蒋介石を逮捕、監禁し、再度共産党との共闘を脅迫するような形で提案しました。そしてこうした張学良氏の動きに恐らくは示し合わせての行動でしょうが、共産党からも周恩来を始めとした幹部が西安に入って蒋介石との会談を持って合意を作り、蒋介石としては内心忸怩たる思いがあったでしょうがここに第二次国共合作こと、中国において統一された抗日戦線が張られるに至りました。
私は太平洋戦争はまだしも、日中戦争は紛れもない日本の侵略だったと考えております。そしてこの日中戦争において日本は中国の各主要都市を陥落させはしたものの、もとより占領政策が非常に下手だったこともあり結局大きな勝利を得ることなくアメリカとの戦争に突入して結局は敗北しましたが、もしこの国共合作がなければ、日本は中国に対して最終的に勝利を得ることはなかったでしょうが少なくとも最後まで落とせなかった重慶なども陥落させ、現実の歴史以上に中国の奥深くまで攻め込むことが出来たと思います。そういう意味で、この張学良氏の捨て身の行動は日中戦争における非常に大きなターニングポイントとなったと高く評価しています。
しかしこの張学良氏の捨て身の行動は彼自身に大きな代償を伴い、上官を捕縛したことから軍法会議にかけられ懲役刑を科せられて軟禁状態にされ、更には日中戦争後、国民党が共産党に破れると張学良氏も台湾に渡りましたが、やはり相当恨みに持たれていたのか蒋介石によって台湾でも軟禁され続けました。蒋介石の死後は徐々に行動の自由も認められていったそうですが、軟禁年数は実に50年以上にも及びました。
その後台湾の民主化によって1991年(90歳)に軟禁処置が解かれますが、張学良氏にもいろいろと思うところがあったのか、そのまま台湾には残らずハワイに渡って残りの人生を過ごしました。
この張学良氏の現存する記録としては1990年に行われたNHKの取材が最も代表的ですが、この時の取材にて西安事件の後に自らの身の危険を考えなかったのかという質問に対し張学良氏は、
「あの時に日本と戦うためにはどうしても強い指導者が必要で、その条件に当てはまるのは蒋介石しかいなかった。だから国共合作後も私は彼を担いだのだ」
と答えています。
こうした彼の行動や功績から私は張学良氏を深く尊敬しているのですが、台湾ではどうだかわかりませんが本家中国ではどうやらそれほど高い評価を受けているわけではないようです。私も留学中に非常に知識のある中国人の方(何故か西郷隆盛まで知っていた)に話を聞きましたが、特段評判のいい人物でもなく、国共合作自体が張学良氏の功績だとはあまり言われていないようです。
実際に私も中国に行ってから気づいたのですが、よく日本にいると中国人は一連の反日運動から日本のことを世界で一番嫌っているように思う方が多いかもしれませんが、実際には台湾への憎悪の方が強いように思えます。中国の歴史教育などでも日中戦争以上にその後の国民党との戦争の方がより詳しくかつイデオロギー的に書かれており、結局戦後は台湾に渡ったことを考えると張学良氏のことを大陸の中国人がよく言うはずがないという気がします。
そのため一番最初にリンクに張った張学良氏のウィキペディアの記事中の最後部にある、「中国では千古の功臣、民族の英雄と呼ばれている」という記述には首を傾げてしまいます。なんか出典を出せというタグが貼られていますが、私もあるのなら是非見てみたいものです。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年3月12日木曜日
2009年3月11日水曜日
満州帝国とは~その五、張作霖爆殺事件
戦前の日本において本格的に軍が国の主導権を握るようになる国内の最大のターニングポイントは二二六事件であることに間違いありませんが、国外における最大のターニングポイントとくればやっぱり満州事変ですが、その満州事変の嚆矢とも言うべき事件こそがこの張作霖爆殺事件だと私は考えております。
この事件が起こる直前、中国では蒋介石率いる国民党がそれまでバラバラに各地域を支配していた軍閥を次々と打ち破り、清朝崩壊以後の混乱を納めるべく「北伐」を実行していました。こうした中、蒋介石の軍と戦って敗北するなどして北京周辺の軍閥の勢力が弱体化したのを見て、当時満州地域を支配していた軍閥の長である張作霖は中央に進出する好機と見て首都北京を制圧するも、結局北上してきた蒋介石軍によって完膚なきまで叩き潰され、ほうほうの体で自分の支配地である満州へと逃げ帰ろうとしていました。
しかしその逃亡の途上、奉天郊外の鉄道駅にて張作霖の乗った列車が爆破され、即死こそしなかったものの張作霖は暗殺されてしまいました。この事件の犯人について当時はあれこれ意見が分かれたものの、現在、というより当時からも日本が保持する満鉄の守護部隊こと、関東軍の河本大作が実行したものだと確実視されていました。
まず何故張作霖が関東軍に殺される羽目となったかですが、これは単純に日本と張作霖の仲が割れたことによります。日本としては張作霖を満州地域で様々な援助を行って彼を操ることで満州における日本の権益を確保しようと意図したもの、当の張作霖は援助を受けはするものの必ずしもそうした日本の意図どおりに積極的に動いてはきませんでした。
こうした張作霖の態度に日本の外務省や関東軍は次第に苛立ちを覚え、あまつさえ日本の勧告を受け入れずに北京などの中央地域にまで支配を拡大しようとしたことから、この際張作霖を殺してほかの実力者を操るべきだと言う声が彼の生前から各所から上がっていたようです。またこの頃から関東軍内では後の満州帝国の建国計画が持ち上がっており、その計画を実行するに当たり張作霖が障害になると目されたのも、彼が暗殺される事となる大きな理由となりました。
このような日本の謀略の元、張作霖の暗殺は実行に移されました。
ただこの暗殺実行について主犯が関東軍の河本大作大佐によるものとは当時の証言からもはっきりしているものの、日本政府が指示したかどうかまでははっきりしていません。まぁ私の見るところ、この後の関東軍の行動を見ても河本大作を始めとした関東軍内で独自に実行されたと見るべきだと思います。
またこの事件は日本国内には「満州某重大事件」という名前で報じられましたが、この事件の処理をめぐって当時の総理大臣であった田中義一は関係者の処分をしようとすれば陸軍から強い反対を受け、その後の中国との外交方針も二転三転したことから昭和天皇に厳しく叱責されるまで混乱したのを見ると、日本政府の関与はやはり少なかったと思えます。
なおこの時、若くして即位した昭和天皇はこの事件について報告が二転三転したことから田中義一首相を強く叱責、それこそ怒鳴ったとまで一部でも言われているほどで、この叱責を受ける形で任務をもう続けられないと田中首相は辞任し、その三ヵ月後には既往の狭心症によって亡くなっています。
昭和天皇は既に当時に一般化していた美濃部達吉の天皇機関説に反し国政に天皇である自分が強く意見を主張して、挙句には田中首相を遠まわしに死へと追いやってしまったことを非常に後悔し、以後は自分の意思というものを全く表に出さなくなったと言われています。唯一の例外として終戦直前の御前会議がありますが、この前読んだ雑誌記事によると、死の直前に病院内にて水あめをとてもおいしそうに食べているのを見て医師がもう一つ如何でしょうかと薦めたら、「いいのかい?」とうれしそうに返事をして食べたエピソードが紹介されていました。思うに戦後の昭和天皇は、食事をおかわりしたいという意志すらも出していなかったのではないかと思えるエピソードです。
話は戻りますがその後主犯の河本大作は責任を取る形で辞任し、満鉄に再就職し、結構不気味なのですが満州帝国が崩壊した戦後も中国に残り続けて国民党に協力し、最後は共産党に捕縛されて中国国内の収容所で死去しています。これまた私の意見ですが、恐らくこの人は日本に戻ったところで居場所がないと考えていたのではないかと思います。甘粕正彦もそんなところがあるし。
そして張作霖死後の彼の軍閥はと言うと、鉄道爆破によって重傷を負った張作霖は部下たちによって秘密裏に自宅へと運ばれそのまますぐに息絶えましたが、彼の第五夫人は彼の死を隠し、自分の息子ではない張学良氏が後を継げるよう様々に根回しをして実現させた後にようやく事実を公表しました。そうして張作霖の跡を継いだ張学良氏は父親を殺された怒りから日本の予想とは打って変わり(張作霖より日本の言うことを聞くだろうと見ていた)、早々に蒋介石に降伏して彼の配下となることで満州の支配権を認められ、日本に対して敵対的な政策をその後次々と実行していきました。
この張学良氏の降伏を受けて蒋介石の北伐は完了し、毛沢東率いる中国共産党のゲリラ活動を除けばひとまず中国は統一されて、これで安定した秩序が生まれるのではないかという期待が徐々に膨らんできていました。しかしこの統一を快く思わなかったは日本と関東軍(ついでに中国共産党)で、これまで混乱状況にあったからこそちまちまとした工作をしてきたものの、このままではまずいという危機感から徐々に過激な、そして強引に自らの計画を実行していくことになります。そういうわけで次回は前半のハイライト、満州事変を取り上げます。
にしても、まだ前半かよ……。
この事件が起こる直前、中国では蒋介石率いる国民党がそれまでバラバラに各地域を支配していた軍閥を次々と打ち破り、清朝崩壊以後の混乱を納めるべく「北伐」を実行していました。こうした中、蒋介石の軍と戦って敗北するなどして北京周辺の軍閥の勢力が弱体化したのを見て、当時満州地域を支配していた軍閥の長である張作霖は中央に進出する好機と見て首都北京を制圧するも、結局北上してきた蒋介石軍によって完膚なきまで叩き潰され、ほうほうの体で自分の支配地である満州へと逃げ帰ろうとしていました。
しかしその逃亡の途上、奉天郊外の鉄道駅にて張作霖の乗った列車が爆破され、即死こそしなかったものの張作霖は暗殺されてしまいました。この事件の犯人について当時はあれこれ意見が分かれたものの、現在、というより当時からも日本が保持する満鉄の守護部隊こと、関東軍の河本大作が実行したものだと確実視されていました。
まず何故張作霖が関東軍に殺される羽目となったかですが、これは単純に日本と張作霖の仲が割れたことによります。日本としては張作霖を満州地域で様々な援助を行って彼を操ることで満州における日本の権益を確保しようと意図したもの、当の張作霖は援助を受けはするものの必ずしもそうした日本の意図どおりに積極的に動いてはきませんでした。
こうした張作霖の態度に日本の外務省や関東軍は次第に苛立ちを覚え、あまつさえ日本の勧告を受け入れずに北京などの中央地域にまで支配を拡大しようとしたことから、この際張作霖を殺してほかの実力者を操るべきだと言う声が彼の生前から各所から上がっていたようです。またこの頃から関東軍内では後の満州帝国の建国計画が持ち上がっており、その計画を実行するに当たり張作霖が障害になると目されたのも、彼が暗殺される事となる大きな理由となりました。
このような日本の謀略の元、張作霖の暗殺は実行に移されました。
ただこの暗殺実行について主犯が関東軍の河本大作大佐によるものとは当時の証言からもはっきりしているものの、日本政府が指示したかどうかまでははっきりしていません。まぁ私の見るところ、この後の関東軍の行動を見ても河本大作を始めとした関東軍内で独自に実行されたと見るべきだと思います。
またこの事件は日本国内には「満州某重大事件」という名前で報じられましたが、この事件の処理をめぐって当時の総理大臣であった田中義一は関係者の処分をしようとすれば陸軍から強い反対を受け、その後の中国との外交方針も二転三転したことから昭和天皇に厳しく叱責されるまで混乱したのを見ると、日本政府の関与はやはり少なかったと思えます。
なおこの時、若くして即位した昭和天皇はこの事件について報告が二転三転したことから田中義一首相を強く叱責、それこそ怒鳴ったとまで一部でも言われているほどで、この叱責を受ける形で任務をもう続けられないと田中首相は辞任し、その三ヵ月後には既往の狭心症によって亡くなっています。
昭和天皇は既に当時に一般化していた美濃部達吉の天皇機関説に反し国政に天皇である自分が強く意見を主張して、挙句には田中首相を遠まわしに死へと追いやってしまったことを非常に後悔し、以後は自分の意思というものを全く表に出さなくなったと言われています。唯一の例外として終戦直前の御前会議がありますが、この前読んだ雑誌記事によると、死の直前に病院内にて水あめをとてもおいしそうに食べているのを見て医師がもう一つ如何でしょうかと薦めたら、「いいのかい?」とうれしそうに返事をして食べたエピソードが紹介されていました。思うに戦後の昭和天皇は、食事をおかわりしたいという意志すらも出していなかったのではないかと思えるエピソードです。
話は戻りますがその後主犯の河本大作は責任を取る形で辞任し、満鉄に再就職し、結構不気味なのですが満州帝国が崩壊した戦後も中国に残り続けて国民党に協力し、最後は共産党に捕縛されて中国国内の収容所で死去しています。これまた私の意見ですが、恐らくこの人は日本に戻ったところで居場所がないと考えていたのではないかと思います。甘粕正彦もそんなところがあるし。
そして張作霖死後の彼の軍閥はと言うと、鉄道爆破によって重傷を負った張作霖は部下たちによって秘密裏に自宅へと運ばれそのまますぐに息絶えましたが、彼の第五夫人は彼の死を隠し、自分の息子ではない張学良氏が後を継げるよう様々に根回しをして実現させた後にようやく事実を公表しました。そうして張作霖の跡を継いだ張学良氏は父親を殺された怒りから日本の予想とは打って変わり(張作霖より日本の言うことを聞くだろうと見ていた)、早々に蒋介石に降伏して彼の配下となることで満州の支配権を認められ、日本に対して敵対的な政策をその後次々と実行していきました。
この張学良氏の降伏を受けて蒋介石の北伐は完了し、毛沢東率いる中国共産党のゲリラ活動を除けばひとまず中国は統一されて、これで安定した秩序が生まれるのではないかという期待が徐々に膨らんできていました。しかしこの統一を快く思わなかったは日本と関東軍(ついでに中国共産党)で、これまで混乱状況にあったからこそちまちまとした工作をしてきたものの、このままではまずいという危機感から徐々に過激な、そして強引に自らの計画を実行していくことになります。そういうわけで次回は前半のハイライト、満州事変を取り上げます。
にしても、まだ前半かよ……。
2009年3月10日火曜日
二階俊博議員への捜査の広がりについて
多分今朝の朝刊一面はどこも、自民党の二階俊博衆議院議員にも例の西松建設の献金問題にて疑惑が波及していることに言及していると思うので、今日は敢えてニュース記事へのリンクは省きます。
そうした今日の新聞やテレビなどの報道によると、今回の小沢氏の秘書が逮捕されるきっかけとなった西松建設OBが代表を務めていた政治団体が二階氏の政治資金を集めるためのパーティーへの参加券こと、通称「パーティー券」を約800万円分も購入していたようで、この購入の事実について二階氏は認めた上で、特に西松建設に便宜を図ったこともなければパーティ券を購入したその政治団体が西松系列だということすらも注意していなかったと追求されている疑惑を否定しています。
実を言うと私はこの二階俊博氏のことを以前から高く買っており、現役の政治家として非常に高い能力を備えていて、党運営などの実力だけなら一、二を争うような議員だと認識しておりました。多分あまり表に出ていないし私の方でもきちんと裏を取っていない情報なのですが、小泉政権が大勝したあの9.11選挙にて刺客候補の擁立や各地域の選挙運動などの演出を行ったのはなんとこの二階氏で、事実上のあの選挙の勝利の立役者であったとまで言われています。
というのも本来選挙の要となるはずの幹事長は当時はタフさだけしか取り柄のない武部勤氏で、また小泉下総理の懐刀といわれた元秘書の飯島勲氏はメディア対策などでは非常に手馴れていたものの選挙には特別造詣の深い人物だとは言われておらず、選挙が行われた当時から私は一体誰がこの選挙を作ったのかとずっと気になっておりました。
そうやっていろいろと当時の選挙の状況について調べていると、どうもあの選挙を演出したのはこの二階氏であるという情報をある日耳にすることが出来ました。その情報を得てからあれこれこの二階氏を調べてみると、確かに選挙当時に二階氏は選挙対策を行う総務局長の役職についており、また選挙においては自民党でも屈指の人物であるという評論を得てますますその情報に確信を持つように至ったのですが、その「選挙に強い」と言われる理由というのも、かつて二階氏が小池百合子氏同様に小沢氏の側近中の側近だったというからなおさら合点がいきました。
そんな二階氏の経歴を簡単に説明すると、二世議員として父親の後を継いで自民党から政治家になるとすぐに小沢氏を師事する様になり、小沢氏が自民党を下野した際は一緒についていってその後活動をしばらく行動を共にするものの、小渕政権末期にて小沢氏が当時党首を務めていた自由党が連立与党から離脱するとそれに異を唱えて小池百合子氏同様に分派する形で保守党を作り、その保守党が自民党に吸収される形で現在のようにまた元の鞘の自民党に戻ったわけです。
小沢氏と袂を分かつまでは二階氏は文字通り無二の忠臣だったそうで、当時から選挙に強いと言われた小沢氏の選挙手法を間近で学んできただけあり選挙について裏の裏まで熟知していると言われ、それゆえにあの郵政選挙も成功に導くことが出来たと言われております。
その二階氏が今回の小沢氏の秘書逮捕の余波を受けて疑惑がもたれていることについて、こんな言い方をするのもなんですが何故どこも、「あいつは小沢と昔つるんでいたから、小沢と同じ所から同じ違法な献金をもらっていたのも不思議じゃない」という評論が聞こえてこないのがかえって不思議です。ワイドショーのネタ的には決して悪くはないし、因果関係的にも強い話だと思うのですが、マスコミも何か考えがあるのでしょうか。
ただこんなこと書いといて言うのもなんですが、二階氏も小沢氏同様にこの件ではシロだと私は見ています。というより今この段階で二階氏が突き上げを食らうのを見て、その考えが強くなりました。
話の組み立てはこうです。まず二階氏の政治団体が小沢氏の資金管理団体と同様の手法で献金を受けていたのであれば、何故検察は小沢氏の秘書だけを先週にいきなり逮捕したのかになります。確かに政治団体と資金管理団体であれば政治資金規正法の枠が変わってきますが、違法な献金の手法と目される手法で献金を受けていたのであれば本来ならば同時に捜査されてしかるべきで、何故秘書の逮捕から一週間後の今になって急に思い出したかのように二階氏の名前が出てくるのかになります。
そしてもう一つ、何故自民党の中で最初に二階氏がこの疑惑の波及を受けたかです。実はこれが肝心なのですが、二階氏は問題となった西松建設系の政治団体に約800万円分のパーティ券を購入してもらっていたため、他の献金を受けていた自民党議員と比べても額が突出しているから疑われている、というニュアンスで今隣で放映されている報道ステーションは言っていますが、これだと明らかなミスリードになります。というのも、自民党の尾見幸次議員は問題となった政治団体からなんと1200万円も、しかも二階氏と異なりパーティ券ではなく現金にて直接献金を受けております。更に更にこの尾身氏の場合は沖縄及び北方対策担当大臣時代にも献金を受けており、東北地方に地盤の強い西松建設からすると北海道での公共工事に一枚かませられる立場にあった人物でもあります。(この一帯の情報源は3/8の「サンデープロジェクト」より)
二階氏より明らかに額も疑惑も問題性も強い尾身氏を飛び越えて二階氏がこうして槍玉に挙げられるのは何故か、この辺にきな臭さを私は覚えます。考えられる理由としては二階氏は前述の通りにいわば外様の立場で、自民党内の派閥争いに絡めて尻尾きりにあったか、もしくは私が指摘したようにかつての小沢氏との関係を取りざたされる前に検察に自民党から差し出されたか、ではないかと一応は予想しておきます。
どちらにしろ今回の事件はこうした明らかに怪しい人間が放っておかれておきながら、与党でないために公共工事の口利きが出来ない小沢氏や、与党ではあるもののなんとなく中途半端に怪しい二階氏が槍玉に挙げられるなど、何度も言っているように国策捜査の臭いがプンプンします。これまた何度もこのところ言っていますが、私は小沢氏のことがあまり好きではないものの、もし本当にこれが国策捜査であればそれがまかり通ることだけは何がなんでも許せないために、検察がはっきりとした証拠を出すまで(前に政治団体への小沢氏秘書からの献金額の請求書が出たとか言われたが、その請求書の額がなかなか公表されないのが不思議です)は小沢氏も脅しに屈するような形で民主党代表を辞任すべきではないと強く覚えます。
そうした今日の新聞やテレビなどの報道によると、今回の小沢氏の秘書が逮捕されるきっかけとなった西松建設OBが代表を務めていた政治団体が二階氏の政治資金を集めるためのパーティーへの参加券こと、通称「パーティー券」を約800万円分も購入していたようで、この購入の事実について二階氏は認めた上で、特に西松建設に便宜を図ったこともなければパーティ券を購入したその政治団体が西松系列だということすらも注意していなかったと追求されている疑惑を否定しています。
実を言うと私はこの二階俊博氏のことを以前から高く買っており、現役の政治家として非常に高い能力を備えていて、党運営などの実力だけなら一、二を争うような議員だと認識しておりました。多分あまり表に出ていないし私の方でもきちんと裏を取っていない情報なのですが、小泉政権が大勝したあの9.11選挙にて刺客候補の擁立や各地域の選挙運動などの演出を行ったのはなんとこの二階氏で、事実上のあの選挙の勝利の立役者であったとまで言われています。
というのも本来選挙の要となるはずの幹事長は当時はタフさだけしか取り柄のない武部勤氏で、また小泉下総理の懐刀といわれた元秘書の飯島勲氏はメディア対策などでは非常に手馴れていたものの選挙には特別造詣の深い人物だとは言われておらず、選挙が行われた当時から私は一体誰がこの選挙を作ったのかとずっと気になっておりました。
そうやっていろいろと当時の選挙の状況について調べていると、どうもあの選挙を演出したのはこの二階氏であるという情報をある日耳にすることが出来ました。その情報を得てからあれこれこの二階氏を調べてみると、確かに選挙当時に二階氏は選挙対策を行う総務局長の役職についており、また選挙においては自民党でも屈指の人物であるという評論を得てますますその情報に確信を持つように至ったのですが、その「選挙に強い」と言われる理由というのも、かつて二階氏が小池百合子氏同様に小沢氏の側近中の側近だったというからなおさら合点がいきました。
そんな二階氏の経歴を簡単に説明すると、二世議員として父親の後を継いで自民党から政治家になるとすぐに小沢氏を師事する様になり、小沢氏が自民党を下野した際は一緒についていってその後活動をしばらく行動を共にするものの、小渕政権末期にて小沢氏が当時党首を務めていた自由党が連立与党から離脱するとそれに異を唱えて小池百合子氏同様に分派する形で保守党を作り、その保守党が自民党に吸収される形で現在のようにまた元の鞘の自民党に戻ったわけです。
小沢氏と袂を分かつまでは二階氏は文字通り無二の忠臣だったそうで、当時から選挙に強いと言われた小沢氏の選挙手法を間近で学んできただけあり選挙について裏の裏まで熟知していると言われ、それゆえにあの郵政選挙も成功に導くことが出来たと言われております。
その二階氏が今回の小沢氏の秘書逮捕の余波を受けて疑惑がもたれていることについて、こんな言い方をするのもなんですが何故どこも、「あいつは小沢と昔つるんでいたから、小沢と同じ所から同じ違法な献金をもらっていたのも不思議じゃない」という評論が聞こえてこないのがかえって不思議です。ワイドショーのネタ的には決して悪くはないし、因果関係的にも強い話だと思うのですが、マスコミも何か考えがあるのでしょうか。
ただこんなこと書いといて言うのもなんですが、二階氏も小沢氏同様にこの件ではシロだと私は見ています。というより今この段階で二階氏が突き上げを食らうのを見て、その考えが強くなりました。
話の組み立てはこうです。まず二階氏の政治団体が小沢氏の資金管理団体と同様の手法で献金を受けていたのであれば、何故検察は小沢氏の秘書だけを先週にいきなり逮捕したのかになります。確かに政治団体と資金管理団体であれば政治資金規正法の枠が変わってきますが、違法な献金の手法と目される手法で献金を受けていたのであれば本来ならば同時に捜査されてしかるべきで、何故秘書の逮捕から一週間後の今になって急に思い出したかのように二階氏の名前が出てくるのかになります。
そしてもう一つ、何故自民党の中で最初に二階氏がこの疑惑の波及を受けたかです。実はこれが肝心なのですが、二階氏は問題となった西松建設系の政治団体に約800万円分のパーティ券を購入してもらっていたため、他の献金を受けていた自民党議員と比べても額が突出しているから疑われている、というニュアンスで今隣で放映されている報道ステーションは言っていますが、これだと明らかなミスリードになります。というのも、自民党の尾見幸次議員は問題となった政治団体からなんと1200万円も、しかも二階氏と異なりパーティ券ではなく現金にて直接献金を受けております。更に更にこの尾身氏の場合は沖縄及び北方対策担当大臣時代にも献金を受けており、東北地方に地盤の強い西松建設からすると北海道での公共工事に一枚かませられる立場にあった人物でもあります。(この一帯の情報源は3/8の「サンデープロジェクト」より)
二階氏より明らかに額も疑惑も問題性も強い尾身氏を飛び越えて二階氏がこうして槍玉に挙げられるのは何故か、この辺にきな臭さを私は覚えます。考えられる理由としては二階氏は前述の通りにいわば外様の立場で、自民党内の派閥争いに絡めて尻尾きりにあったか、もしくは私が指摘したようにかつての小沢氏との関係を取りざたされる前に検察に自民党から差し出されたか、ではないかと一応は予想しておきます。
どちらにしろ今回の事件はこうした明らかに怪しい人間が放っておかれておきながら、与党でないために公共工事の口利きが出来ない小沢氏や、与党ではあるもののなんとなく中途半端に怪しい二階氏が槍玉に挙げられるなど、何度も言っているように国策捜査の臭いがプンプンします。これまた何度もこのところ言っていますが、私は小沢氏のことがあまり好きではないものの、もし本当にこれが国策捜査であればそれがまかり通ることだけは何がなんでも許せないために、検察がはっきりとした証拠を出すまで(前に政治団体への小沢氏秘書からの献金額の請求書が出たとか言われたが、その請求書の額がなかなか公表されないのが不思議です)は小沢氏も脅しに屈するような形で民主党代表を辞任すべきではないと強く覚えます。
2009年3月8日日曜日
「徹底抗戦」(堀江貴文著)を読んで
・「徹底抗戦」(アマゾン)
先週の小沢民主党代表の逮捕のニュースを受けて、私の頭にすぐに浮かんだのは「国策捜査」という言葉でした。この国策捜査という言葉を知ったのはいわずと知れた「外務省のラスプーチン」こと佐藤優氏の著作で、言葉の定義を簡単に説明すると、それまで曖昧でルールのないまま半ば黙認されていた事案に対し、国や検察が政策変更や世論の流れを受ける形で何かを無理やり事件化させることでルールの厳格化をはかる事案のことを指します。自らを国策捜査の対象とされたと自称し一躍日本にこの言葉を定着させた佐藤氏は、自分と鈴木宗雄議員の逮捕や捜査はこれまでの中央から地方へ税金をばら撒く形で公平分配を行うというやり方から、首都東京を始めとする都市にすべての資本と人材を集中して中央集権化を強める政策転換を行うということを内外に知らしめるため、小泉政権が党内の権力闘争に絡んで半ば象徴的に国民に見せ付けるために行ったものだと主張しています。
このように国策捜査というのは、今度また細かく解説はしますが何らかのルール変更や制度の厳格化を行う前段階に起こるものとされ、その性格ゆえに捜査過程を検察が強く見せるという傾向があるとされます。近年に起こった国策捜査の例として佐藤氏があげているのは、村上正邦元議員のKSD事件、自分や鈴木宗男議員の「ムネオハウス事件」(こっちはむしろインターネット事件史としてみたらいろいろと面白い)、そして今回書評を行う本の著者である堀江貴文氏の「ライブドア事件」です。
一番最初にリンクに貼ってあるのは昨日に私が買った堀江貴文氏が書いた、「徹底抗戦」という本のアマゾンのページです。この本はフジテレビ買収事件から逮捕、拘留の期間を含めた現在までの堀江氏の心境をつづった内容で、全体の感想をまず言えば読んでてなかなか面白かったです。
それで肝心のライブドア事件についての堀江氏の心境ですが、この本の中では始めから最後まで徹底して自らは無罪だと主張しています。捜査されることとなった子会社との架空取引などについて何が容疑とされて何が違法とされたのか、それに対してどうして自分が無罪だと考えるのかなどが細かくつづられていますが、ぶっちゃけかなり細かい話なのでここでは省略します。
ただ堀江氏の主張の中でも私が強く納得したのが、強制捜査後に日本の株価が大きく下落したライブドアショックについての堀江氏の反論です。本来ああいうような強制捜査は投資家心理に与える影響が強いので、株価が大きく下落して株式市場に混乱を起こさせないために海外などでは金曜日に行われるものだそうです。そうすれば市場が閉まっている土曜日と日曜日に投資家は頭を冷やすことが出来、捜査による市場の混乱と無用な株主の損失も最小限に止められるのですが、このライブドア事件では週始めの月曜日に捜査が行われ、案の定翌日の東京証券市場ではライブドアショックと呼ばれる大幅な株価下落が起こりました。しかも堀江氏も突っ込んでいますが、当時の東京証券取引所のシステムは世界的に見ても非常に貧相なシステムで、一日五万件しか取引が行えないために途中でシステムがダウンしたことで当時の混乱と株価下落に拍車をかけました。
こうしたライブドアショックによって堀江氏と法人としてのライブドアは、もう結審したかどうかまでは調べていませんが、ライブドアの元株主などに株価下落による損害賠償請求まで起こされ、刑事裁判でも堀江氏は「市場を無闇に混乱させた」などとこの件が批判材料にされましたが、仮に自分の全財産を出したところでこの時の損失をすべて補填することは出来ず、こうした事態が予想できたにもかかわらず月曜に強制捜査を行った検察と貧相なシステムゆえに混乱に拍車をかけた東証に対してそこまで責任を持たなければならないのかと反論しており、この点については私も深く同意します。
そしてこの事件で堀江氏は逮捕されて拘置所に収監されるのですが、堀江氏は拘置所生活で何もできない、というより人と話すことが出来ないのが非常に辛かったと語っています。私の目からしても堀江氏の性格で狭い場所に閉じ込められていたらそりゃ相当苦痛だろうと思いますが、本を差し入れられてもすぐに読んでしまい、それでいて狭い部屋で一日何時間も何もすることなく置かれるということに現在も強い恐れがあるとして、今後裁判が進んで懲役刑が確定するにしてもできるならば早く刑務所に移送してもらって労務作業をしていた方が絶対マシだとまで述べています。
よく無人島に漂流した場合、食料や衣服があるとしても人間は誰かと話をしなければ精神的に追い詰められて簡単に死に陥るという話がありますが、私のイメージ的には拘置所の生活もそんな感じなのだと思います。そんなもんだから検察官との取調べですらまだ会話が出来るので歓迎したとも堀江氏は述べていますが、こうした精神的プレッシャーを与えて筋書き通りに供述させるのが検察の常習手段だと、同じ経験をした佐藤優氏とこれまた同じ内容の言葉を述べているのが印象的でした。
なおこの本でも名前が出てきますが、やっぱり同じ経験をした仲ゆえか堀江氏と佐藤氏はこれまで何度か対談を催しています。これは佐藤氏の本に書かれていた内容ですが、嗜好品などは拘置所内でも自費で払えば買えるらしいのですが、その購入リストには「メロンの缶詰」というものがあるらしく、変わっているしおいしそうだと思って頼んでみると実際の中身はとんでもなくまずいものだったと、二人とも意見が一致したそうです。そのほか通常の食事では白米ではなく麦飯が混ざったご飯が出されるそうですが、最初は戸惑うものの慣れると非常においしくてやみつきになるという点でも一致したそうです。私から付け足しておくと、出所直後は痩せてすっきりして男前になったのに、現在ではまた元のまんまに太ってしまったのも一致してます。
こうした拘置所体験から出所後の生活、そして現在の裁判の状況とそこでの自身の主張についていろいろこの本ではまとめられていますが、あの逮捕から三年後の現在になって読んでみるといろいろと私の中でも思うところやこれまでの考えを改める内容がふんだんに盛り込まれています。特に堀江氏の人生観についてですが、私自身は今もそうですがちょっと目先が短すぎてあまり好きになれないところがあるのは変わりませんが、世界一の企業を作って後は民間での宇宙開発に残りの人生をささげるという目標に対して堀江氏が従順に努力をしてきたという事実には正直に頭の下がる思いがしました。
そして日本の司法制度についても、検察が捜査権と訴訟権を持つのが問題で、彼らから捜査権を奪わなければどんな犯罪も作り出せてしまうと言っているのは時期が時期だけに核心を突いたことを述べており、また逮捕後の過剰なバッシングにも触れて日本のマスコミは検察とグルになっているとして、電話内容を無断で録音されたなどの実例を挙げて批判しているのは、今後の小沢氏の事件を考える上でも重要な指標になってくると思います。
なんかこのところ文章のノリが急激に悪くなっていますね。今度辺りちょっと趣向を変えた記事でも書いて、心機一転をはかってみようかな。
先週の小沢民主党代表の逮捕のニュースを受けて、私の頭にすぐに浮かんだのは「国策捜査」という言葉でした。この国策捜査という言葉を知ったのはいわずと知れた「外務省のラスプーチン」こと佐藤優氏の著作で、言葉の定義を簡単に説明すると、それまで曖昧でルールのないまま半ば黙認されていた事案に対し、国や検察が政策変更や世論の流れを受ける形で何かを無理やり事件化させることでルールの厳格化をはかる事案のことを指します。自らを国策捜査の対象とされたと自称し一躍日本にこの言葉を定着させた佐藤氏は、自分と鈴木宗雄議員の逮捕や捜査はこれまでの中央から地方へ税金をばら撒く形で公平分配を行うというやり方から、首都東京を始めとする都市にすべての資本と人材を集中して中央集権化を強める政策転換を行うということを内外に知らしめるため、小泉政権が党内の権力闘争に絡んで半ば象徴的に国民に見せ付けるために行ったものだと主張しています。
このように国策捜査というのは、今度また細かく解説はしますが何らかのルール変更や制度の厳格化を行う前段階に起こるものとされ、その性格ゆえに捜査過程を検察が強く見せるという傾向があるとされます。近年に起こった国策捜査の例として佐藤氏があげているのは、村上正邦元議員のKSD事件、自分や鈴木宗男議員の「ムネオハウス事件」(こっちはむしろインターネット事件史としてみたらいろいろと面白い)、そして今回書評を行う本の著者である堀江貴文氏の「ライブドア事件」です。
一番最初にリンクに貼ってあるのは昨日に私が買った堀江貴文氏が書いた、「徹底抗戦」という本のアマゾンのページです。この本はフジテレビ買収事件から逮捕、拘留の期間を含めた現在までの堀江氏の心境をつづった内容で、全体の感想をまず言えば読んでてなかなか面白かったです。
それで肝心のライブドア事件についての堀江氏の心境ですが、この本の中では始めから最後まで徹底して自らは無罪だと主張しています。捜査されることとなった子会社との架空取引などについて何が容疑とされて何が違法とされたのか、それに対してどうして自分が無罪だと考えるのかなどが細かくつづられていますが、ぶっちゃけかなり細かい話なのでここでは省略します。
ただ堀江氏の主張の中でも私が強く納得したのが、強制捜査後に日本の株価が大きく下落したライブドアショックについての堀江氏の反論です。本来ああいうような強制捜査は投資家心理に与える影響が強いので、株価が大きく下落して株式市場に混乱を起こさせないために海外などでは金曜日に行われるものだそうです。そうすれば市場が閉まっている土曜日と日曜日に投資家は頭を冷やすことが出来、捜査による市場の混乱と無用な株主の損失も最小限に止められるのですが、このライブドア事件では週始めの月曜日に捜査が行われ、案の定翌日の東京証券市場ではライブドアショックと呼ばれる大幅な株価下落が起こりました。しかも堀江氏も突っ込んでいますが、当時の東京証券取引所のシステムは世界的に見ても非常に貧相なシステムで、一日五万件しか取引が行えないために途中でシステムがダウンしたことで当時の混乱と株価下落に拍車をかけました。
こうしたライブドアショックによって堀江氏と法人としてのライブドアは、もう結審したかどうかまでは調べていませんが、ライブドアの元株主などに株価下落による損害賠償請求まで起こされ、刑事裁判でも堀江氏は「市場を無闇に混乱させた」などとこの件が批判材料にされましたが、仮に自分の全財産を出したところでこの時の損失をすべて補填することは出来ず、こうした事態が予想できたにもかかわらず月曜に強制捜査を行った検察と貧相なシステムゆえに混乱に拍車をかけた東証に対してそこまで責任を持たなければならないのかと反論しており、この点については私も深く同意します。
そしてこの事件で堀江氏は逮捕されて拘置所に収監されるのですが、堀江氏は拘置所生活で何もできない、というより人と話すことが出来ないのが非常に辛かったと語っています。私の目からしても堀江氏の性格で狭い場所に閉じ込められていたらそりゃ相当苦痛だろうと思いますが、本を差し入れられてもすぐに読んでしまい、それでいて狭い部屋で一日何時間も何もすることなく置かれるということに現在も強い恐れがあるとして、今後裁判が進んで懲役刑が確定するにしてもできるならば早く刑務所に移送してもらって労務作業をしていた方が絶対マシだとまで述べています。
よく無人島に漂流した場合、食料や衣服があるとしても人間は誰かと話をしなければ精神的に追い詰められて簡単に死に陥るという話がありますが、私のイメージ的には拘置所の生活もそんな感じなのだと思います。そんなもんだから検察官との取調べですらまだ会話が出来るので歓迎したとも堀江氏は述べていますが、こうした精神的プレッシャーを与えて筋書き通りに供述させるのが検察の常習手段だと、同じ経験をした佐藤優氏とこれまた同じ内容の言葉を述べているのが印象的でした。
なおこの本でも名前が出てきますが、やっぱり同じ経験をした仲ゆえか堀江氏と佐藤氏はこれまで何度か対談を催しています。これは佐藤氏の本に書かれていた内容ですが、嗜好品などは拘置所内でも自費で払えば買えるらしいのですが、その購入リストには「メロンの缶詰」というものがあるらしく、変わっているしおいしそうだと思って頼んでみると実際の中身はとんでもなくまずいものだったと、二人とも意見が一致したそうです。そのほか通常の食事では白米ではなく麦飯が混ざったご飯が出されるそうですが、最初は戸惑うものの慣れると非常においしくてやみつきになるという点でも一致したそうです。私から付け足しておくと、出所直後は痩せてすっきりして男前になったのに、現在ではまた元のまんまに太ってしまったのも一致してます。
こうした拘置所体験から出所後の生活、そして現在の裁判の状況とそこでの自身の主張についていろいろこの本ではまとめられていますが、あの逮捕から三年後の現在になって読んでみるといろいろと私の中でも思うところやこれまでの考えを改める内容がふんだんに盛り込まれています。特に堀江氏の人生観についてですが、私自身は今もそうですがちょっと目先が短すぎてあまり好きになれないところがあるのは変わりませんが、世界一の企業を作って後は民間での宇宙開発に残りの人生をささげるという目標に対して堀江氏が従順に努力をしてきたという事実には正直に頭の下がる思いがしました。
そして日本の司法制度についても、検察が捜査権と訴訟権を持つのが問題で、彼らから捜査権を奪わなければどんな犯罪も作り出せてしまうと言っているのは時期が時期だけに核心を突いたことを述べており、また逮捕後の過剰なバッシングにも触れて日本のマスコミは検察とグルになっているとして、電話内容を無断で録音されたなどの実例を挙げて批判しているのは、今後の小沢氏の事件を考える上でも重要な指標になってくると思います。
なんかこのところ文章のノリが急激に悪くなっていますね。今度辺りちょっと趣向を変えた記事でも書いて、心機一転をはかってみようかな。
2009年3月7日土曜日
西松建設事件について続報
このところ書く話題が多すぎて、ちょっと現実逃避をし始めてきています。そのせいか今日は先週から始めた「俺の屍を越えてゆけ」を延々とやってました。面白いんだよなぁ、このゲーム。
それはともかく、また西松建設がらみの小沢氏秘書献金疑惑事件について私の見解を紹介します。事件から約一週間経ち、前回の記事を書いてからまた続々と情報が出てきましたが、そうした情報を総合した上での私の現在の見解はというと、やはり今回の事件は国策捜査であるという確信が強くなってきました。
一つ一つ関連情報をあげて説明をしていきますが、まずは今回の小沢氏の公設秘書の逮捕理由ですが、これは報道でも言われているように虚偽文書記載によるものです。ダミーの団体を通しているとはいえ西松建設側からの政治献金であることがわかっているにもかかわらず帳簿にはそのように書かなかった、というのが公設秘書の大久保氏の逮捕理由ですが、本来、というよりこれまで一度もこのような虚偽文書記載でいきなり逮捕という事例はありません。あったとしても関係者の事情聴取や任意同行くらいなものでいきなりの逮捕は前例のない異常な捜査で、一部報道で今回の逮捕は後に続く大きな事件の布石だという主張がありますが、未だにその大きな事件の背景が見えてこないと言うのは問題だと思いますし、ましてやそれを検察も示さないと言うのはちょっとどうかと思い、やっぱりひとまず逮捕して無理やり汚職事件に結び付けようとしているのではないかという疑念を覚えます。
次におかしな点は、何故小沢氏の秘書だけが逮捕されたのかです。
今回の大久保氏の逮捕理由は本来やってはいけないことになっている、政治家の資金管理団体は企業から直接受けてはならない献金を受けたからということになってますが、恐らく今回の西松建設の例のような迂回献金なんてどの政治家も受けているでしょうし、現に小沢氏へ献金を行っていた西松建設OBが代表を務めていた政治団体からは自民党の森元首相、二階議員を始めとした多くの議員が献金を受けていましたし、何も西松建設系の団体に限らなければほぼすべての議員がこのような迂回献金を受けているでしょう。にもかかわらず、今回逮捕、事件化したのは小沢氏だけです。
この点について私の友人が実に鋭いツッコミを言っていましたが、テレビなどで報道されているように何故小沢氏だけが捜査される事になったかという理由が、その政治団体から一番献金を受けていた(報道では約四千九百万円)というのであれば、じゃあ額が少なければいいのかという話になってきます。少なくとも迂回献金の事実だけで逮捕に至るほど捜査されるのであれば、森元総理をはじめとした他の議員も一緒に捜査されていなければおかしいことになります。
この点に関して昨日今日と実に興味深い報道が出ていますが、こうした自民党の議員も問題の政治団体から献金を受けていた事実に対してある政府高官が、「自民党にまでは捜査は発展しない」と、何故この段階でそんなことがいえるのか、やはり裏でつるんでいるのではと思わせる発言をしていたようで、今日の朝日新聞の夕刊によるとどうもこの発言をした政府高官というのは漆間巌氏だったようです。リンク先のウィキペディアの記事をみればわかりますが、発言をしたのが漆間氏と聞いて私は「あぁ、こいつならやりかねない」と思いました。
またこの発言について国策捜査の被害者の鈴木宗雄氏(加害者は福田康夫氏)も昨日のテレビ番組にて、「(検察と)権力側がつるんでいると言う話になる」と批判しています。
そして私が今回の事件を特に国策捜査だと思わせる一番の理由ですが、今回の事件報道の情報ソースがどれも官公庁発表、つまり全部が全部検察発表という点です。
大体一昨日くらいから、「迂回献金は小沢氏側からの指示」や「違法と認識しつつ実行した」などといった供述が出たなどと報道されていますが、これらの供述はすべて「西松建設関係者から」とつけて新聞やテレビなどで報道されていますが、こうした捜査情報を持っているのは検察だけです。更に言えば「西松建設側」と呼ばれる供述者というのは間違いなく大久保氏と一緒に逮捕された西松建設の元社員、もしくは今回の事件以前の海外送金などの事件で逮捕された西松建設関係者たちでしょう。
この辺なんかは国策捜査というものがどんなものかを知っていなければ実感しづらいのですが、逮捕拘留することで被疑者を他の関係者から引き離した上で、日本の検察は自分たちの捜査の筋書き通りに話すのならば執行猶予をつけるなどと持ちかけては、特に家族を置いて拘留されている人物などに供述を強制させるそうです。佐藤優氏の「国家の罠」を読めばこうしたくだりが理解しやすいのですが、どんなにタフな人間でも一日十数時間も取調べを受けて、外からの情報が遮断される環境におかれると抵抗する力をほどなく失い、大抵の人間は検察の筋書きに乗って検察の都合のいい供述調書にサインをしてしまうそうです。なおこうしたことについて社会学でも「囚人のジレンマ」という有名な理論があります。
それで話は戻りますが、今回の事件の報道、それも小沢氏側に不利な供述などの情報はどうも検察側からしか発表されておらず、塀の外側ことシャバの世界での関係者の供述や証言というものが私が見渡す限りほとんどなく、しかもバンバンと普通は表に出ないような操作情報が流れているのでいわば検察によって事件報道が作られているような状況にあるのではないかと見ています。このあたりも、国策捜査において典型的な経過です。
最後に止めのおまけを一つ。実は誰かが言うだろうと思ってたから敢えて今まで私は言わなかったのですが、贈収賄罪が適用されるには当たり前のことですが「お金を受け取る側」と「お金を払う側」という二つのキャラクターが必要で、なおかつ「お金を受け取る側」がその賄賂を受けたことにより「お金を払う側」に対して何らかの見返り行動を行うということが絶対条件として必要になります。
そこで冷静に考えて見ましょう。小沢氏は確かに有力な政治家ではありますが、与党ではなく野党の党首です。そんな野党の人間がいくら賄賂を受けたとしても、西松建設がほしがるような公共事業の工事を受注させることができるかと言ったら非常に疑問です。それで言うならむしろ、与党である自民党の中で献金を受けた議員の方が贈収賄の構図としては成り立ちやすいのではないでしょうか。それでも、今回逮捕されたのは小沢氏周辺だけです。
いくつか情報を見ていると、今回の秘書の逮捕はあくまで前段階で、検察はもっと大きな事件とその証拠を握っており、今回の逮捕をてこに大きな捜査へと発展していくのだという主張がいくつか見受けられますが、それならば何故その大きな事件を始めから捜査しないのか。また今回この献金の事実だけで逮捕するなら他の自民党議員はどうなるのか。その上今回迂回献金をしていたという団体は数年前に海産さているにもかかわらず、何故今になって事件化したのか。
こうした点を総合して、私はやはり今回の事件は自民党による国策捜査だとにらむに至りました。かつて国策捜査を受けた佐藤優氏は、本来国家というのは非常に力のある存在で、いわば逮捕をしてから事件を作るというような国策捜査が行われること自体、国家が弱ってきている証拠だとかつて述べています。
前回にも書いたとおりに私は正直に言って小沢氏が嫌いです。ですがこのような国策捜査は決して将来の日本のためにならないし、こんな行為を仮に自民党がやっていると言うのなら絶対に許すことは出来ません。これまた佐藤氏の話ですが、ロシア人というのは政治家はみんなクソッタレで、選挙と言うのはクソッタレどもの中から一番マシなクソッタレを選ぶ行為だと考えているそうです。この考えに則るのなら、まだ私は小沢氏の方がまだマシなクソッタレなんじゃないかと覚えます。
今回の事件はいろいろと考えさせられることがあるので、ちょっと勉強しなおそうとかつて国策捜査を受けた堀江貴文氏と佐藤優氏の本を二冊、本日買ってきました。堀江氏の本はすぐ見つかると思っていたのに、本屋を探して五軒目でようやく見つけましたが、期待に違わずなかなか面白い内容なので、明日にでも紹介しようと思います。
それはともかく、また西松建設がらみの小沢氏秘書献金疑惑事件について私の見解を紹介します。事件から約一週間経ち、前回の記事を書いてからまた続々と情報が出てきましたが、そうした情報を総合した上での私の現在の見解はというと、やはり今回の事件は国策捜査であるという確信が強くなってきました。
一つ一つ関連情報をあげて説明をしていきますが、まずは今回の小沢氏の公設秘書の逮捕理由ですが、これは報道でも言われているように虚偽文書記載によるものです。ダミーの団体を通しているとはいえ西松建設側からの政治献金であることがわかっているにもかかわらず帳簿にはそのように書かなかった、というのが公設秘書の大久保氏の逮捕理由ですが、本来、というよりこれまで一度もこのような虚偽文書記載でいきなり逮捕という事例はありません。あったとしても関係者の事情聴取や任意同行くらいなものでいきなりの逮捕は前例のない異常な捜査で、一部報道で今回の逮捕は後に続く大きな事件の布石だという主張がありますが、未だにその大きな事件の背景が見えてこないと言うのは問題だと思いますし、ましてやそれを検察も示さないと言うのはちょっとどうかと思い、やっぱりひとまず逮捕して無理やり汚職事件に結び付けようとしているのではないかという疑念を覚えます。
次におかしな点は、何故小沢氏の秘書だけが逮捕されたのかです。
今回の大久保氏の逮捕理由は本来やってはいけないことになっている、政治家の資金管理団体は企業から直接受けてはならない献金を受けたからということになってますが、恐らく今回の西松建設の例のような迂回献金なんてどの政治家も受けているでしょうし、現に小沢氏へ献金を行っていた西松建設OBが代表を務めていた政治団体からは自民党の森元首相、二階議員を始めとした多くの議員が献金を受けていましたし、何も西松建設系の団体に限らなければほぼすべての議員がこのような迂回献金を受けているでしょう。にもかかわらず、今回逮捕、事件化したのは小沢氏だけです。
この点について私の友人が実に鋭いツッコミを言っていましたが、テレビなどで報道されているように何故小沢氏だけが捜査される事になったかという理由が、その政治団体から一番献金を受けていた(報道では約四千九百万円)というのであれば、じゃあ額が少なければいいのかという話になってきます。少なくとも迂回献金の事実だけで逮捕に至るほど捜査されるのであれば、森元総理をはじめとした他の議員も一緒に捜査されていなければおかしいことになります。
この点に関して昨日今日と実に興味深い報道が出ていますが、こうした自民党の議員も問題の政治団体から献金を受けていた事実に対してある政府高官が、「自民党にまでは捜査は発展しない」と、何故この段階でそんなことがいえるのか、やはり裏でつるんでいるのではと思わせる発言をしていたようで、今日の朝日新聞の夕刊によるとどうもこの発言をした政府高官というのは漆間巌氏だったようです。リンク先のウィキペディアの記事をみればわかりますが、発言をしたのが漆間氏と聞いて私は「あぁ、こいつならやりかねない」と思いました。
またこの発言について国策捜査の被害者の鈴木宗雄氏(加害者は福田康夫氏)も昨日のテレビ番組にて、「(検察と)権力側がつるんでいると言う話になる」と批判しています。
そして私が今回の事件を特に国策捜査だと思わせる一番の理由ですが、今回の事件報道の情報ソースがどれも官公庁発表、つまり全部が全部検察発表という点です。
大体一昨日くらいから、「迂回献金は小沢氏側からの指示」や「違法と認識しつつ実行した」などといった供述が出たなどと報道されていますが、これらの供述はすべて「西松建設関係者から」とつけて新聞やテレビなどで報道されていますが、こうした捜査情報を持っているのは検察だけです。更に言えば「西松建設側」と呼ばれる供述者というのは間違いなく大久保氏と一緒に逮捕された西松建設の元社員、もしくは今回の事件以前の海外送金などの事件で逮捕された西松建設関係者たちでしょう。
この辺なんかは国策捜査というものがどんなものかを知っていなければ実感しづらいのですが、逮捕拘留することで被疑者を他の関係者から引き離した上で、日本の検察は自分たちの捜査の筋書き通りに話すのならば執行猶予をつけるなどと持ちかけては、特に家族を置いて拘留されている人物などに供述を強制させるそうです。佐藤優氏の「国家の罠」を読めばこうしたくだりが理解しやすいのですが、どんなにタフな人間でも一日十数時間も取調べを受けて、外からの情報が遮断される環境におかれると抵抗する力をほどなく失い、大抵の人間は検察の筋書きに乗って検察の都合のいい供述調書にサインをしてしまうそうです。なおこうしたことについて社会学でも「囚人のジレンマ」という有名な理論があります。
それで話は戻りますが、今回の事件の報道、それも小沢氏側に不利な供述などの情報はどうも検察側からしか発表されておらず、塀の外側ことシャバの世界での関係者の供述や証言というものが私が見渡す限りほとんどなく、しかもバンバンと普通は表に出ないような操作情報が流れているのでいわば検察によって事件報道が作られているような状況にあるのではないかと見ています。このあたりも、国策捜査において典型的な経過です。
最後に止めのおまけを一つ。実は誰かが言うだろうと思ってたから敢えて今まで私は言わなかったのですが、贈収賄罪が適用されるには当たり前のことですが「お金を受け取る側」と「お金を払う側」という二つのキャラクターが必要で、なおかつ「お金を受け取る側」がその賄賂を受けたことにより「お金を払う側」に対して何らかの見返り行動を行うということが絶対条件として必要になります。
そこで冷静に考えて見ましょう。小沢氏は確かに有力な政治家ではありますが、与党ではなく野党の党首です。そんな野党の人間がいくら賄賂を受けたとしても、西松建設がほしがるような公共事業の工事を受注させることができるかと言ったら非常に疑問です。それで言うならむしろ、与党である自民党の中で献金を受けた議員の方が贈収賄の構図としては成り立ちやすいのではないでしょうか。それでも、今回逮捕されたのは小沢氏周辺だけです。
いくつか情報を見ていると、今回の秘書の逮捕はあくまで前段階で、検察はもっと大きな事件とその証拠を握っており、今回の逮捕をてこに大きな捜査へと発展していくのだという主張がいくつか見受けられますが、それならば何故その大きな事件を始めから捜査しないのか。また今回この献金の事実だけで逮捕するなら他の自民党議員はどうなるのか。その上今回迂回献金をしていたという団体は数年前に海産さているにもかかわらず、何故今になって事件化したのか。
こうした点を総合して、私はやはり今回の事件は自民党による国策捜査だとにらむに至りました。かつて国策捜査を受けた佐藤優氏は、本来国家というのは非常に力のある存在で、いわば逮捕をしてから事件を作るというような国策捜査が行われること自体、国家が弱ってきている証拠だとかつて述べています。
前回にも書いたとおりに私は正直に言って小沢氏が嫌いです。ですがこのような国策捜査は決して将来の日本のためにならないし、こんな行為を仮に自民党がやっていると言うのなら絶対に許すことは出来ません。これまた佐藤氏の話ですが、ロシア人というのは政治家はみんなクソッタレで、選挙と言うのはクソッタレどもの中から一番マシなクソッタレを選ぶ行為だと考えているそうです。この考えに則るのなら、まだ私は小沢氏の方がまだマシなクソッタレなんじゃないかと覚えます。
今回の事件はいろいろと考えさせられることがあるので、ちょっと勉強しなおそうとかつて国策捜査を受けた堀江貴文氏と佐藤優氏の本を二冊、本日買ってきました。堀江氏の本はすぐ見つかると思っていたのに、本屋を探して五軒目でようやく見つけましたが、期待に違わずなかなか面白い内容なので、明日にでも紹介しようと思います。
2009年3月6日金曜日
日本漫画キャラ傑作選~サブキャラ編~
マンガというメディアはその表現上、やはりストーリーよりもキャラクターの個性や外見、特徴などで面白さなどが決まりやすいものです。かといって何でもかんでも珍しいキャラクターを出せばいいというわけでもなく、今日はちょっとその辺を詰めるという意味も込めて、私の目から見てひときわ目に付く傑作的なキャラクター、それも主役やヒロインといったものではないサブキャラクターの中から今日はいくつか紹介しようと思います。
1、泣き虫サクラ(餓狼伝)
ひときわ濃いキャラクターが頻出する「餓狼伝」の中でも、特に際立って読者の記憶に強い印象を与えたのがこの「泣き虫サクラ」です。このキャラは子供の頃に母親によって両目を潰されたため視力を失っているのですが、その母親を喜ばせるために激しい肉体トレーニングを積み続け、視力の代わりに聴力と嗅覚のみで相手の立ち位置から動作まで読み取り、漫画中では絵の具の臭いをより分けることで絵まで書いてしまっています。
なんていうか文章では伝えづらいのですが、圧巻ともいえる漫画中のその風貌はまず前述の通りに眼球が潰されているために眼窩がくぼんでいるだけでなく、二メートルを越す巨大な身長にしなやかな筋肉、そしてなにより恐らく60歳は越えているであろうというしわくちゃの顔でありながら、アメリカの地下プロレスの覇者として君臨しつづけているというのだからとんでもない設定です。
こうしたビジュアル的な面にとどまらず、対戦相手のグレート巽(どっからどう見ても猪木)に対して試合中に、
「(君には)悲しみもある、怒りもある。でも……陵辱がないでしょっ!」
と、ことごとく読者の常識を覆すインパクトのあるセリフを連発し、インパクトだけで言うなら日本漫画史上でも一、二を争うキャラだと私は思います。
2、パック(ベルセルク)
かつてこの「ベルセルク」の作者の三浦建太郎と「北斗の拳」で有名な原哲夫という二人のマンガの原作を作ったことのある武論尊に、「二人ともマッチョな作画で似ている」といわせただけあり、「ベルセルク」の絵は非常に緻密な書き込みで見るからに重厚そうな印象を覚えます。それに加え元々の漫画のストーリーも暗く沈痛な内容なために自然と読んでいる印象は重く暗い……と思いきや、そんな雰囲気を悉く引っくり返しているのがこの妖精キャラの「パック」です。
真面目なシーンではファンタジー漫画の妖精らしい格好をしているものの、大半のシーンでは元の造形を全く無視した二頭身の通称「クリパック」の格好で、漫画全体の雰囲気を吹き飛ばすかのようなギャグキャラとして活躍しており、詳しくは原作の漫画を読んでもらえばわかりますが、木の枝に栗のイガをつけて「妖刀ざっくり丸」と称したり、「エルフ示現流」と言ってはいつの間にかヨーダの格好をしていたりと、みるたびに思わず笑いがこみ上げてくるキャラです。多分このパックがいなければ面白いのは変わらなかったとは思いますが、話がずっと暗いまんまで読んでて疲れやすい漫画に「ベルセルク」はなっていたと思います。
3、如月さん(エルフェンリート)
一見かわいらしい絵柄で始まった「エルフェンリート」の第一話にて、とろい口調で歩いてはすぐにずっこけ、それでも「いつかは室長の役に立つ秘書になるんだ」という夢を語る典型的なドジっ子萌えキャラとして登場し、多分読者はこの「如月さん」がこの漫画のヒロインなんじゃないかとみんな最初は誤解したと思います。ですが同じ第一話にて、その研究室で捕獲していた未知の力を操るキャラ(主人公のルーシー)が脱走してこの如月さんが人質にとられるやわずか4ページ後に「ブチッ」っと、いきなり首チョンパされるという強烈な最後を遂げて第一話でいきなり退場してしまいました。
別にこの如月さんに限るわけじゃないですが、この漫画ではさも重要そうなキャラが出てきたかと思ったら同じ回の中ですぐに殺されては、逆に脇役かと思ったキャラがやけにその後延々と活躍するなど読者の期待の逆を平気で行く漫画でしたが、この如月さんのいきなりの退場には私も思わず「えっ?」と言ってページをめくり返してしまいました。
4、ドクターキリコ(ブラックジャック)
手塚治虫の最高傑作との呼び声も高い「ブラックジャック」にて、血のにじむような激しい現場の野戦病院で働いた経験から施しようのない患者にはなるべく早く安息をもたらすべきという信条を持ち、安楽死専門の医師としてこの「ドクターキリコ」は颯爽と登場しました。登場回はいくつかあるのですがそのどの回でも「ほかの何者を持っても命の価値に変える事は出来ない」という信条の元、それこそどんな患者でも治療して見せようとするブラックジャックとは激しく対立し合うのですが圧巻なのは初めて登場した回において、全身麻痺で幼い子供らにこれ以上入院費用などの負担をかけられないとして安楽死を望む母親にその処置を施そうとするものの、当初は報酬額が出せないとのことで治療手術を拒否したブラックジャックがドクターキリコの行為をやめさせるため、意地になって無報酬で手術し治療して見せた回です。
みごと手術を成功させたブラックジャックに対してドクターキリコは、
「人間の生き死にというのは神が決める行為だ。あの患者はいわば死ぬべき運命にあった患者で、その患者を無理やり治療してしまうお前の行為はいわば神へ反逆するようなものだ。だがお前がいくら頑張ったところで、人の運命なんて変わることはないんだぜ」
と言い、退院直後に治療された母親とその子供らの親子が交通事故で死亡した事実を伝えます。それに対しブラックジャックも、
「たとえこれが運命に逆らう行為だとしても、俺は目の前の患者を生かし続けるために一生このメスを振り続けてやる」
と言い放つこのシーンは、現代の医療倫理においても重要な意味合いを持つ会話だと思えます。なお今挙げたセリフは内容を伝えるために私が書き起こしたもので、忠実にセリフ文章を抜き出したものではありません。
基本的に主人公のライバルキャラと言うのは主人公に対するアンチテーゼを持つキャラクターになるのですが、私は今の今までこのドクターキリコほど強烈なアンチテーゼを持ったサブキャラクターは見たことがありません。
漫画も作品単位でいろいろと評論されることはありますが、今回ちょっと思い立ってやってみたのですが、案外こういう紀伝体のようにキャラクター単位で評論を書くのも面白いかもしれません。好評だったらまた続きを書いてみようかと思います。
1、泣き虫サクラ(餓狼伝)
ひときわ濃いキャラクターが頻出する「餓狼伝」の中でも、特に際立って読者の記憶に強い印象を与えたのがこの「泣き虫サクラ」です。このキャラは子供の頃に母親によって両目を潰されたため視力を失っているのですが、その母親を喜ばせるために激しい肉体トレーニングを積み続け、視力の代わりに聴力と嗅覚のみで相手の立ち位置から動作まで読み取り、漫画中では絵の具の臭いをより分けることで絵まで書いてしまっています。
なんていうか文章では伝えづらいのですが、圧巻ともいえる漫画中のその風貌はまず前述の通りに眼球が潰されているために眼窩がくぼんでいるだけでなく、二メートルを越す巨大な身長にしなやかな筋肉、そしてなにより恐らく60歳は越えているであろうというしわくちゃの顔でありながら、アメリカの地下プロレスの覇者として君臨しつづけているというのだからとんでもない設定です。
こうしたビジュアル的な面にとどまらず、対戦相手のグレート巽(どっからどう見ても猪木)に対して試合中に、
「(君には)悲しみもある、怒りもある。でも……陵辱がないでしょっ!」
と、ことごとく読者の常識を覆すインパクトのあるセリフを連発し、インパクトだけで言うなら日本漫画史上でも一、二を争うキャラだと私は思います。
2、パック(ベルセルク)
かつてこの「ベルセルク」の作者の三浦建太郎と「北斗の拳」で有名な原哲夫という二人のマンガの原作を作ったことのある武論尊に、「二人ともマッチョな作画で似ている」といわせただけあり、「ベルセルク」の絵は非常に緻密な書き込みで見るからに重厚そうな印象を覚えます。それに加え元々の漫画のストーリーも暗く沈痛な内容なために自然と読んでいる印象は重く暗い……と思いきや、そんな雰囲気を悉く引っくり返しているのがこの妖精キャラの「パック」です。
真面目なシーンではファンタジー漫画の妖精らしい格好をしているものの、大半のシーンでは元の造形を全く無視した二頭身の通称「クリパック」の格好で、漫画全体の雰囲気を吹き飛ばすかのようなギャグキャラとして活躍しており、詳しくは原作の漫画を読んでもらえばわかりますが、木の枝に栗のイガをつけて「妖刀ざっくり丸」と称したり、「エルフ示現流」と言ってはいつの間にかヨーダの格好をしていたりと、みるたびに思わず笑いがこみ上げてくるキャラです。多分このパックがいなければ面白いのは変わらなかったとは思いますが、話がずっと暗いまんまで読んでて疲れやすい漫画に「ベルセルク」はなっていたと思います。
3、如月さん(エルフェンリート)
一見かわいらしい絵柄で始まった「エルフェンリート」の第一話にて、とろい口調で歩いてはすぐにずっこけ、それでも「いつかは室長の役に立つ秘書になるんだ」という夢を語る典型的なドジっ子萌えキャラとして登場し、多分読者はこの「如月さん」がこの漫画のヒロインなんじゃないかとみんな最初は誤解したと思います。ですが同じ第一話にて、その研究室で捕獲していた未知の力を操るキャラ(主人公のルーシー)が脱走してこの如月さんが人質にとられるやわずか4ページ後に「ブチッ」っと、いきなり首チョンパされるという強烈な最後を遂げて第一話でいきなり退場してしまいました。
別にこの如月さんに限るわけじゃないですが、この漫画ではさも重要そうなキャラが出てきたかと思ったら同じ回の中ですぐに殺されては、逆に脇役かと思ったキャラがやけにその後延々と活躍するなど読者の期待の逆を平気で行く漫画でしたが、この如月さんのいきなりの退場には私も思わず「えっ?」と言ってページをめくり返してしまいました。
4、ドクターキリコ(ブラックジャック)
手塚治虫の最高傑作との呼び声も高い「ブラックジャック」にて、血のにじむような激しい現場の野戦病院で働いた経験から施しようのない患者にはなるべく早く安息をもたらすべきという信条を持ち、安楽死専門の医師としてこの「ドクターキリコ」は颯爽と登場しました。登場回はいくつかあるのですがそのどの回でも「ほかの何者を持っても命の価値に変える事は出来ない」という信条の元、それこそどんな患者でも治療して見せようとするブラックジャックとは激しく対立し合うのですが圧巻なのは初めて登場した回において、全身麻痺で幼い子供らにこれ以上入院費用などの負担をかけられないとして安楽死を望む母親にその処置を施そうとするものの、当初は報酬額が出せないとのことで治療手術を拒否したブラックジャックがドクターキリコの行為をやめさせるため、意地になって無報酬で手術し治療して見せた回です。
みごと手術を成功させたブラックジャックに対してドクターキリコは、
「人間の生き死にというのは神が決める行為だ。あの患者はいわば死ぬべき運命にあった患者で、その患者を無理やり治療してしまうお前の行為はいわば神へ反逆するようなものだ。だがお前がいくら頑張ったところで、人の運命なんて変わることはないんだぜ」
と言い、退院直後に治療された母親とその子供らの親子が交通事故で死亡した事実を伝えます。それに対しブラックジャックも、
「たとえこれが運命に逆らう行為だとしても、俺は目の前の患者を生かし続けるために一生このメスを振り続けてやる」
と言い放つこのシーンは、現代の医療倫理においても重要な意味合いを持つ会話だと思えます。なお今挙げたセリフは内容を伝えるために私が書き起こしたもので、忠実にセリフ文章を抜き出したものではありません。
基本的に主人公のライバルキャラと言うのは主人公に対するアンチテーゼを持つキャラクターになるのですが、私は今の今までこのドクターキリコほど強烈なアンチテーゼを持ったサブキャラクターは見たことがありません。
漫画も作品単位でいろいろと評論されることはありますが、今回ちょっと思い立ってやってみたのですが、案外こういう紀伝体のようにキャラクター単位で評論を書くのも面白いかもしれません。好評だったらまた続きを書いてみようかと思います。
2009年3月5日木曜日
満州帝国とは~その四、満蒙独立運動~
日露戦争後に日本は満州鉄道とその周辺の付属地を手には入れたものの、満州全土は依然と中国のままで、1931年の満州事変が起こるまでは日本はその地域を完全掌握するには至りませんでした。しかし満州地域の権益の独占と支配の画策は満州事変の直前までなかったかというと実際にはそうではなく、日本は満鉄を手に入れた時点から混乱の続く中国に対して隙あらば付け入ろうと目を光らせており、実際に数多くの謀略を仕掛けては独立工作を何度も実行していました。
そのような謀略を行っていたのは言うまでもなく陸軍をはじめとした日本の軍部らと、また中国大陸で一旗あげようとしていたいわゆる大陸浪人と呼ばれる人たちで、そうした日本人らにかつての清王朝の再考を夢見る元皇族の中国人こと満州人らたち組むことで行われ、そうした彼らの工作は俗に満蒙独立運動と呼ばれています。
満蒙独立運動の活動家として最も代表的な人物は、大陸浪人の第一人者である川島浪速です。川島は中国語を学んでいた関係から若い頃から通訳などの仕事を通して中国と深く関わるようになり、その過程で川島の生涯の盟友となる粛親王善耆こと、清王朝の皇族らとも親交を深めていきました。その粛親王をはじめとした清朝の皇族たちは凋落著しい清朝を再興するために、日本の力を借りることで先祖伝来の満州の地にて蜂起、独立する計画を持っており、日本政府としても彼らを支援することで満州と蒙古地域(現在の内蒙古自治区)を中国政府から切り離して独立させることで、より中国大陸へと進出するという野心があり、いわば双方の思惑が一致する線の上で川島を始めとした大陸浪人らが日本と元皇族を結びつけたことから満蒙独立運動が始まりました。
そうした中で行われたのが、辛亥革命直後に計画された第一次満蒙独立運動でした。1911年の辛亥革命にて清朝が完全に滅ぶや川島らは粛親王らを北京から脱出させ、満州内で兵を集めて挙兵する準備を進めつつ日本陸軍へも協力を打診しました。実際にこの時には参謀本部や外務省などから川島らを支援する目的で多額の資金や武器弾薬が拠出されたのですが、欧米各国がこのような日本の動きに対して懸念の声が挙がったことで、外交問題に発展することを恐れた日本政府より挙兵を中止するべしとの命令が出されたことで最終的には実行には移されませんでした。
しかしこうした連中がちょっとやそっとで計画を断念することはなく、計画中止から三年後の1914年に欧州で第一次世界大戦が起こっている最中、中国では袁世凱が突然皇帝に即位するという破天荒な行動を起こしたことから中国国内で打倒袁世凱を掲げる「第三革命」が起こりました。この間に日本の大隈重信内閣は中国に対して対華二十一カ条要求という中国に対して屈辱的な外交要求を行うだけでなく、さらにはこの第三革命に乗る形で強気に内政干渉を行っていき、その一貫として再び清朝の元皇族を再び支援することで満州地域の独立を促す第二次満蒙独立工作が行われました。
この時の計画はかなりの所まで準備が進められ、挙兵の際に障害となるであろう満州地域の軍閥である張作霖の爆殺未遂など実際に実行に移されたのも少なくありませんでした。しかしそうした工作の最中に袁世凱が急死したとことにより、遠政権の打倒という大義名分を失ったことから日本政府はまたも作戦を中止し、満州の独立はあきらめ中国において親日的な政権を応援するという方策に変えました。
こうした方針の変更に困ったのは、実際にもう挙兵してしまった各地の部隊たちでした。一応日本政府も責任を感じてか部隊の解散費用などが川島らの支援者へ支払われはしましたが、支援のなくなった独立主義者のパプチャックの軍などは張作霖の猛烈な反撃を受けて敗退し、パプチャック自身も戦死しています。
私などは大学受験時代に毎回相当な高得点を日本史の試験でたたき出していましたがこうした満蒙独立運動については何一つ習ったことはなく、以前に満州史を勉強した際に今回の記事の内容を知った際には、やっぱり日本は当時の中国にいろいろとちょっかいを出していたんだなと、あまり驚きはなくむしろ納得するような感じで事実を受け取りました。
これは今回資料としている学研から出ている「歴史群像シリーズ 満州帝国」に書かれている評論ですが、特筆すべきはこれらの満蒙独立工作は公然と日本政府や軍部が中国に対して工作を仕掛けていたという点です。よく靖国問題についてあれこれ内政干渉だなんだなどという議論がありますが、当時はこれほどおおっぴらにやらかしていたのかと、今の時代にいるからこそ思うのかもしれませんが当時の日本のあまりの露骨さには時代格差を感じてしまいます。
ただこうした工作が当時の軍部や政府の主導的な関与があったという事実は、この後に行われる張作霖の爆殺、それに続く満州事変といった一連の軍部の行動も、このような流れに沿ったものだったと考えると突拍子もない軍部の暴走だったとは受けきれないとも私は思います。
そのような謀略を行っていたのは言うまでもなく陸軍をはじめとした日本の軍部らと、また中国大陸で一旗あげようとしていたいわゆる大陸浪人と呼ばれる人たちで、そうした日本人らにかつての清王朝の再考を夢見る元皇族の中国人こと満州人らたち組むことで行われ、そうした彼らの工作は俗に満蒙独立運動と呼ばれています。
満蒙独立運動の活動家として最も代表的な人物は、大陸浪人の第一人者である川島浪速です。川島は中国語を学んでいた関係から若い頃から通訳などの仕事を通して中国と深く関わるようになり、その過程で川島の生涯の盟友となる粛親王善耆こと、清王朝の皇族らとも親交を深めていきました。その粛親王をはじめとした清朝の皇族たちは凋落著しい清朝を再興するために、日本の力を借りることで先祖伝来の満州の地にて蜂起、独立する計画を持っており、日本政府としても彼らを支援することで満州と蒙古地域(現在の内蒙古自治区)を中国政府から切り離して独立させることで、より中国大陸へと進出するという野心があり、いわば双方の思惑が一致する線の上で川島を始めとした大陸浪人らが日本と元皇族を結びつけたことから満蒙独立運動が始まりました。
そうした中で行われたのが、辛亥革命直後に計画された第一次満蒙独立運動でした。1911年の辛亥革命にて清朝が完全に滅ぶや川島らは粛親王らを北京から脱出させ、満州内で兵を集めて挙兵する準備を進めつつ日本陸軍へも協力を打診しました。実際にこの時には参謀本部や外務省などから川島らを支援する目的で多額の資金や武器弾薬が拠出されたのですが、欧米各国がこのような日本の動きに対して懸念の声が挙がったことで、外交問題に発展することを恐れた日本政府より挙兵を中止するべしとの命令が出されたことで最終的には実行には移されませんでした。
しかしこうした連中がちょっとやそっとで計画を断念することはなく、計画中止から三年後の1914年に欧州で第一次世界大戦が起こっている最中、中国では袁世凱が突然皇帝に即位するという破天荒な行動を起こしたことから中国国内で打倒袁世凱を掲げる「第三革命」が起こりました。この間に日本の大隈重信内閣は中国に対して対華二十一カ条要求という中国に対して屈辱的な外交要求を行うだけでなく、さらにはこの第三革命に乗る形で強気に内政干渉を行っていき、その一貫として再び清朝の元皇族を再び支援することで満州地域の独立を促す第二次満蒙独立工作が行われました。
この時の計画はかなりの所まで準備が進められ、挙兵の際に障害となるであろう満州地域の軍閥である張作霖の爆殺未遂など実際に実行に移されたのも少なくありませんでした。しかしそうした工作の最中に袁世凱が急死したとことにより、遠政権の打倒という大義名分を失ったことから日本政府はまたも作戦を中止し、満州の独立はあきらめ中国において親日的な政権を応援するという方策に変えました。
こうした方針の変更に困ったのは、実際にもう挙兵してしまった各地の部隊たちでした。一応日本政府も責任を感じてか部隊の解散費用などが川島らの支援者へ支払われはしましたが、支援のなくなった独立主義者のパプチャックの軍などは張作霖の猛烈な反撃を受けて敗退し、パプチャック自身も戦死しています。
私などは大学受験時代に毎回相当な高得点を日本史の試験でたたき出していましたがこうした満蒙独立運動については何一つ習ったことはなく、以前に満州史を勉強した際に今回の記事の内容を知った際には、やっぱり日本は当時の中国にいろいろとちょっかいを出していたんだなと、あまり驚きはなくむしろ納得するような感じで事実を受け取りました。
これは今回資料としている学研から出ている「歴史群像シリーズ 満州帝国」に書かれている評論ですが、特筆すべきはこれらの満蒙独立工作は公然と日本政府や軍部が中国に対して工作を仕掛けていたという点です。よく靖国問題についてあれこれ内政干渉だなんだなどという議論がありますが、当時はこれほどおおっぴらにやらかしていたのかと、今の時代にいるからこそ思うのかもしれませんが当時の日本のあまりの露骨さには時代格差を感じてしまいます。
ただこうした工作が当時の軍部や政府の主導的な関与があったという事実は、この後に行われる張作霖の爆殺、それに続く満州事変といった一連の軍部の行動も、このような流れに沿ったものだったと考えると突拍子もない軍部の暴走だったとは受けきれないとも私は思います。
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