ページ

2009年11月5日木曜日

自立的であることとはどういう意味?

 昨日に書いた記事にて私の専門は国際政治とは言いいましたが、実際にはこの分野で何かしら誰かに指示したこともなければ専門的な教育を受けたわけではなく、あくまで独学の範囲での専門であります。得意なのは間違いはないけど。
 じゃあ本当の専門はと言うのであれば、きちんと教育を受けてそこそこ専門的な範囲も取り扱ったのであればプロフィールにも書いてある通りに社会学です。なので周りには自分の専門は一応社会学とは言うのですが、決まって話した人からは、「社会学って何?」と、問い返されてしまう事が非常に多いです。社会学自体はなんか響きがいいのかこの所、各大学の学部受験希望者数が増えているとは聞きますが実態的にどんな学問か理解されているかといえば私はそれほど理解されてはいないかと思います。

 ではそんな社会学は一体どういう学問分野なのかといえば、これは私が出た授業の講師も言っていましたが、これが社会学といえばなんでも社会学になってしまうほど非常に分野範囲が曖昧な学問です。はっきり言って社会学も心理学も言った者勝ちな所のある学問なのでよくあるニセ科学に利用されている事の方が多く、イタリア人社会学者のパオロ・マッツァリーノ氏もその著書にて、

「よくテレビに出てくる悪の集団は○○博士のように理系ばかり使うからダメなんですよ。死神社会学者や地獄心理学者のような文系をリクルートすれば、統計操作と深層心理を使う事でどんな理論も思いのままです」

 と自らの専門分野を評していましたが、私は未だこれ以上に社会学を端的に言い表した発言は見た事がありません。
 しかし私も自分の出身学問分野なだけに全部が全部否定するわけでもなくまだ社会学を肯定的に見ている面もあるので、一つそれを説明するのにある有名な例を紹介します。
 
 学校にて先生が生徒たちに対し、「もっと自立的になりなさい」と、言うのに対して生徒たちは、「わかりました」という場面があるとします。この場合、先生の「自立的になれ」という指示に生徒たちがわかりましたと言うのは「従う」という行為に当たり、皮肉な事に先生の言う事を聞くことが自立的にという指示に逆らうことになります。
 だからといって先生の指示に対して、「嫌です」と拒否しても、こちらも自立的にという指示に逆ら一方で生徒らは自立的に行動している事になります。

 なんかこう書くと言葉の端々を捉まえて文句を言い合う水掛け論みたいな話に見えますが、社会学というのはこういうことを真剣に考える学問だと私は考えています。具体的にこの話でどこが重要なのかというと、先生の「自立的になれ」という指示にその言葉の意味だけでなく命令という行為も含まれており、いわば一つの行動に複数の意味があることになります。また生徒の側もその先生の指示への返答にはその言葉の中身と返答する行為の二つの意味があり、片方では相手の行為に対応した行為が取られているのに、もう片方では対応しなくなる羽目となるのです。

 政治学では権力者と従属者、経済学では雇用者と労働者のように、他の学問では行為者と被行為者というものが初めから割合にはっきりと区別されている事が多いですが、社会学では全般的にこの区別が非常に曖昧な学問です。例えばある企業が自分たちの方針を問うために一般市民にアンケートを取るという行為一つとっても、アンケートを受ける事で市民がその企業へのイメージを変わり、そうしてイメージを変える市民からのアンケートを受ける企業も方針を変えていくなどと、行為者と被行為者の間で常に相互に影響を与え続けて変化し合うことを前提にします。このように社会学というのは、どの行為を行うことでどんな結果が生まれるかを考えるのではなく、その行為が行為者を含め相互の間にどのような変化や効果をもたらすのかを主題にして考えます。いわば行為者と被行為者の中間に焦点を当てる学問といっていいでしょう。

 もちろん社会学すべてがこのように言えるわけじゃないのですが、少なくとも何年も社会学を勉強してきた私が社会学はどんな学問かと問われるのならば、国家程大きくなく中規模集団のシステムの中でどのような相互干渉を行う行動ががあるのかを調べる学問だと私は答えるようにしております。

 なお先ほどの先生の自立的になれという指示に対する、私の考える模範解答は以下の通りです。
「てめぇの指図は受けねぇ( ゚д゚)、ペッ」

2009年11月4日水曜日

現在の国際状況について

 久々に自分の専門の国際政治の話でも書こうと思います。本題を書く前にまず、私が2004年ごろに抱いていた国際状況を簡単に説明しましょう。

 2004年当時の国際情勢において何が一番重要な政治軸であったかといえば、それはやはりイラク戦争とその後のアメリカの孤立主義です。アフガニスタンについてはまだ苦しい言い訳が成り立ったもののイラク戦争においてアメリカはフランス、ドイツ、ロシアを初めとしたイギリスを除く各ヨーロッパ諸国より激しく批判されただけでなく、中東世界からも断絶に近い形で関係を一挙に冷やしてしまいました。
 そんなアメリカについた国はというとどれも経済面でもアメリカに追従して新自由主義を取り入れた国ばかりで、筆頭たるは同じくアングロサクソンのイギリス、そして地続きの南米北米諸国、最後にアジアからは日本や韓国といった以前からアメリカ依存の強かった国でした。

 私は当時、このように各国が持つ国際社会への立場や経済体制の違いから今後は本格的に親アメリカVS反アメリカという構図で、両者の対立がどんどんと大きくなっていくだろうと考えていました。先進国で言えばアメリカとイギリスのタッグに対し、フランス、ドイツが引っ張るEUに当時猛接近していたロシアというヨーロッパ諸国が挑むというような具合です。

 ただもちろんこの二派ですべて完結するわけでなくこのいずれにも属さぬ第三勢力も出てくるだろうと見ており、そんな第三勢力の代表には言うまでもなく米欧両者に距離を置きながら自らこそが世界の覇者だとして本当に信じて疑わない中国が来るであろうとして、三国志で言うなら呉のように状況次第でどっちつかずな勢力となっていくだろうと考えていました。それに対して我らが日本はどうするかといえば文字通り選択肢は三つで、このままアメリカに追従するか、ヨーロッパと組むことで彼らのアジアの橋頭堡として頑張るか、中国に従って一発逆転を図るかという風にシミュレーションしていました。

 そんな風に気の早い予想をしてすでに五年経ち、現在の状況をみるといくつか想定と違ってきた部分が見えてきました。まずその後の日本ですが、今の沖縄の基地問題を初めとして民主党政権に変わった事によってアメリカに対して少しだけ反抗を行うようにはなりましたが、基本的にはアメリカ追従路線を未だ継続しているといっていいでしょう。この点はまぁ予想通りだったのですが、この五年間における国際状況の最大の変化とくればやはりその当事者たるアメリカの大変貌でしょう。

 政治面ではオバマ大統領に代わったことによりこれまでの中東への強圧政策はまだ続いているもののややブレーキがかかり、なおかつ全く歩み寄りを見せなかった国際環境問題でもEU諸国に妥協する姿勢も見せ、そしてなにより非核化を強く訴える事で形だけとはいえ平和路線を内外にアピールするようになりました。
 また経済面でも、去年のリーマンショックの影響によって、もう大分戻っちゃったけど新自由主義が一時大きく後退することになりました。言っちゃなんだけど一番かわいそうなのはイギリスで、これまでアメリカにべったりとくっついてきたのにアメリカ自体が大きく転換し始めるようになり、掛けたはしごを外されるかのように政治面でも経済面でも不安定なままです。

 またイギリスに限らずアメリカと対立してるように見えたEUを初めとしたヨーロッパ諸国も、あれだけ新自由主義を批判していたくせに自分たちも結局は同じ穴のムジナであったためにリーマンショックの影響を強く受け、本当に皮肉な話ですが現在はアメリカに批判するだけの力すら無くなったように見えます。

 ただそうした経済面以上に私が注目しているのは、イラク戦争直後にはあれだけ協調路線を取っていたロシアが、どうもこのところまたヨーロッパと距離を置き始めたように見える点です。そもそも当時のプーチン大統領はドイツ駐在が長かったためにかねてよりヨーロッパ贔屓だという話を聞いていただけに理解できたのですが、プーチンに変わったメドベージェフ現大統領は手の平を返すほどではありませんが、どうもプーチンよりはヨーロッパに対して冷淡な気がします。さらにこれは今年の夏にちょこっと聞いた話ですが、最初はそれこそ両刀、じゃなくて両頭体制といわれたプーチンとメドベージェフですが、なにやら少しずつ両者の間に隙間風が吹き始めているという話を耳にしました。だとするとメドベージェフ現大統領はヨーロッパを嫌っているのではないかという話になってきますが。

 そうした欧米対立の変化に対してアジアでは、日本が首相がころころ変わる政治的混乱によって国際社会で権威を落としている中、依然と中国が強い存在感を保っております。ただ中国は北京五輪を終えて一挙に先進国入りかと思いきや終わってみると案外静かなもので、経済は未だ好調を保っているものの五輪直前ほどの圧倒的な存在感は感じられないように思えます。実態的にはGDPで日本を抜き、また外貨準備高で世界一位になるなど成長を止めてはいないのですが、前ほどの勢いがさすがに無いという事でなんとなく見劣りしてしまう感じです。

 最後に私が今後の注目株として目している国はどこかというと、2016年にオリンピック開催を決めたブラジルです。元々BRICS諸国の一つでその高成長は注目されていたものの、リーマンショックで一旦ブレーキがかかってやはりダメだったかと思われたブラジルですが、かえってアメリカのプレゼンスが弱まり今後は南米の雄として存在感が強くなっていくのではないかと考えております。あくまで、私の予想ですが。

2009年11月3日火曜日

北京留学記~その二十、連美香

 他のクラスメートの名前はカタカナ下記でしたが、今日紹介する彼女については漢字名も詳しく覚えていたのでこの表記で通します。さてこのところこの体験記で続いているクラスメート紹介もとうとう最終回ですが、オオトリを締めるは祖父が中国人クウォーターであるタイ人の連美香です。彼女は三人姉妹の真ん中っ子で、留学には姉妹三人で来ており、時たま授業をサボる事はあっても比較的出席率の高い真面目な学生でした。

 留学中の授業は日本の大学同様に基本的に席順は決まってはいないものの授業開始から大体数週間もすればみんな同じ位置に座りだすのですが、私の席の隣に陣取るようになったのがこの連美香でした。それこそ最初はやけに服装が派手なスペイン人の姉さんが隣でしたが二週間目くらいから彼女が隣に来てその後卒業までずっと隣同士でした。とはいえ隣同士になったから妙なロマンスとかが始まるわけでもなく、他のクラスメートと比べて休み時間に雑談を交わすことが多かった程度でした。ただそうした時間が多かったおかげとも言うべきか、彼女からはタイの国の状況から風習まで結構詳しい話を聞く事が出来ました。

 ただそれほど私と会話する事の多かった連美香でしたが、実を言うと当初私は彼女に対してあらぬ疑いを持っていました。その疑いというのも、彼女の出身国がタイということもあって見かけは明らかに女性ですがもしやニューハーフではないかという疑いでした。普通ならそれとなく聞くべきなのでしょうが私はこういうところは妙にストレートに聞くことがあり、ある程度仲良くなった時点で直接、「タイにはニューハーフが多いけど、まさか君は違うよね?」と言い出す始末でした。もちろん、笑いなら彼女は否定してくれましたが。

 その時の会話の延長線でそのまま、日本人はタイにニューハーフが多いというイメージを持っていることについて詳しく聞いてみましたが、タイ人もそのようなイメージについては自分達でも認識しているようで、
「確かに、私達の国はニューハーフが多いけど、それはあまり私達が性別にこだわらないからだと思う」
 と、至極適切な返答をしてくれました。ただ性別にこだわらないというのはそのようなニューハーフかどうかというラインだけで、女性の社会的な地位については日本と同じく、いやそれ以上にジェンダーフリーは進んでおらず、何でも彼女が通った近所の進学高校では生徒のほとんどが男子で肩身の狭い思いをしたそうです。というのもタイの女子はほとんどが日本の昔の女子高のようなところに進学するようで、彼女の両親は教育環境を考えて近くで唯一共学で入れそうな進学校がそこに進学したそうです。

 その話を聞いた後、今度は逆にタイ人は日本人に対してどんなイメージをもっているかと聞いてみたら、なかなか外では聞けない面白い返答をしてくれました。やはりタイでも日本人と言うとビジネスマンを想像するらしく、技術があって商売のうまい民族といったイメージだそうです。だがあくまでそれは今の話であって、昔はどうもタイ語で「小さい人」と揶揄していたそうです。
 この言葉の意味は素直に侮蔑を込められており、二次大戦の最中にタイに進軍した日本人を心苦く考え、同じ侵略者でも欧米人より小さい奴、という意味合いで使っていたそうです。どことなく中国語における日本人への侮蔑語の、「小日本」に近いような気がします。

 またこの時とは別の時にちょうどタイの当時の首相であるタクシン元首相が、タイの国王に辞職を勧められた際には国の制度について聞いてみました。
 基本は日本と同じ議院内閣制で、最も権力があるのはやはり首相だそうです。そして前から気にかかっていた、タイにおける国民の国王への意識はどうかと聞いてみたところ、やはりと言うべきか絶大な信頼を語って見せました。

 タイでは国民すべてが国王を信頼しており、王制についても断然存続すべきだと皆考えていると答えていました。なおこの時に私は日本の天皇制について彼女に教えましたが、存続するべきだという意見は強いが、日本の天皇はタイの国王のように政治には一切介入する事を禁じられていると教えたら驚いて聞いていました。

 最後に、アジア人は欧米人と比べてどこでも実年齢より低く見られる事が多いといわれていますが、私もこの例に漏れず連美香が女性の中で体格も小さい方だったこともあってずっと年下かと思っていましたが、卒業する間際で自分より年上だとわかってびっくりさせられました。その驚いた事を正直に話したら、向こうは向こうで私の事を高校生くらいだと思っていたそうです。知らぬは自分ばかりとはいうものです。

2009年11月2日月曜日

想定外のスーパー、AZ

 先週に放映された「ヒミツのケンミンショー」の地域特集にて鹿児島県が特集されていましたが、その中で紹介されたある商店に番組が出てくるや私と私のお袋は揃って、「あ、やっぱこれか」と思わず一緒ににやけてしまいました。そのスーパーというのも、鹿児島県阿久根市にあるAZです。

A-Zスーパーセンター(ウィキペディア)

 正式な表記は「A-Z」ですが、めんどいのでこのままAZで通します。ちょっとこの記事では題をどうするかに悩み最初は、「阿久根を支えるAZ」にしようかと思いましたが、なんか本来の記事の趣旨と変わってくるので数年前の流行語の「想定外」とつけることにしました。
 では一体このAZは何が想定外なのかというと、あり大抵に言えばそれまでのスーパー経営の概念で正攻法といわれる手法をことごとくひっくり返して成功している点です。

 ではそんな常識を破るAZの経営方法というのはどんなものかというと、グダグダ長文で書くのもなんですので箇条書きにしてまとめて紹介しましょう。

1、店舗面積が広いめちゃくちゃ広い
2、取扱商品点数が非常に多い(30万点以上)
3、食料品や日用品だけでなく、自動車やガソリンの販売、車検も行う
4、電話で呼べば、片道100円でバス送迎に家まで往復する
5、これでいて24時間営業


 一つ一つもう少し詳しく説明すると、まず1番目ですがリンク先のウィキペディアにある写真を見れば分かるとおりにまるでアメリカのショッピングセンターかと思うくらいだだっ広い店舗です。しかしアメリカやその他の日本のショッピングセンター、モールと違う点として、このAZには二階がないというのが大きな特徴です。何故二階がないのかというと主要客である過疎化の進む阿久根の老人らにとって階を跨ぐ移動は大きな苦痛であるとして平屋建てを貫いているそうです。

 次に2番目ですが、これはそれこそ客の要望があれば何でもかんでも商品を揃えるとしており、醤油一つとってもありえないほどの種類分が用意されているそうです。なお鹿児島及び九州の醤油は他の地方と比べて非常に甘い味をしているので、多分私なんかも阿久根に住んだら重宝しそうです。
 そんなAZの豊富な品揃えを語る上で外せないのが3番目の特徴で、なんと自動車本体までもそれこそディーラー店のように店舗に並べ、しかも各種保険、取得手続きまで購入と同時に行えるようになっているので買ったその日にそのままその車に乗って家に帰れるそうです。

 ここまでだけでも相当異常な経営方法ですが私が最も評価してなおかつ最も独特だと思える特徴なのが、続く4番目の電話一本片道百円でドアツードアで客を運ぶ移動サービスです。これなんか九州や四国といった地方に住んだ経験のある方なら分かるかと思いますが、このような地方では本当に泣けるくらいに道がありません。また道があったとしてもひどい悪路で、しかも各都市ごとの距離も半端でないために車を持たない人間はおいそれと気軽に出かける事が出来ず、それが体力のない老人ともなると尚更です。
 AZの社長の牧尾氏はこのような鹿児島県阿久根市の環境からこのサービスを考案したらしいのですが周囲はそんなサービスが成り立つわけないと予想していたものの、そんな予想を見事に裏切り、このサービスによって遠出の買い物に満足にいくことのできない老人らを顧客層としてしっかりと引き入れることに成功したそうです。

 そして最後5番目の24時間営業ですが、これも大都市であるならばともかく、何度も言いますが鹿児島の過疎化の進む阿久根市ではランニングコストだけが無駄にかかるのではと言われていたのですがウィキペディアの記事を引用すると、「夜9時から翌朝7時までの売上げが、全売上げの3割を占めるという。」とのことで、なんでもコンビニのないこの地域で夜間に緊急に買い物が必要になった時に頼りにされているそうです。

 このようにことごとくスーパー経営の常道を突き破ってAZは成功し、当初は阿久根市の本店のみだった店舗もこの不況下ながら現在三店舗になり、今後もさらに増やす計画だそうです。こうしたことからこのAZはなにもケンミンショーにて特集される前から主に日経がバックにいるテレビ東京の番組でも何度か取り上げられており、もしかしたらそうした番組をすでに見ていてこのAZの事を知っている方もおられるかもしれません。

 ただそうした番組で取り上げられていないちょっとレアなAZの情報をここで出すと、社長の牧尾氏がAZを始めるにあたって参考にしたのは千葉県にある「ケーヨーホームセンター」というディスカウントショップらしいそうで、牧尾氏が若い頃に千葉県にいた際にここで働いた経験から豊富な品揃えと共に客層を考えた経営をするべきと考え、成功した今でも若手社員の教育研修のためにケーヨーホームセンターに派遣するそうです。
 何故こんなことを私が知っているかですが、実はAZの本店がある阿久根市というのはうちのお袋の実家で、私は阿久根市の隣の出水市の生まれですが子供の頃は私もこの阿久根の祖父や叔母のところへ何度も遊びに行っていました。それでこれなんか地方の人には分かってもらえると思いますが、田舎というのは本当に狭いもので、AZ社長の牧尾氏というのはうちのお袋の同級生の兄弟で、近年ここが成功してからというものお袋の親戚が集まろうものなら、

「マキオのところは羽振りがいいわよね」
「パン屋やっとった○○いるでしょ。今そいつも自分の店畳んでAZで働いてるわよ」

 などと、非常に緻密なレベルでの情報交換が行われています。それこそ石を投げれば関係者にあたるくらいの狭さで、同級生なり友達なり兄弟なりで人間関係が全部つながってくるというから驚きです。

 とはいえ人口が減少していく鹿児島の片田舎において、地元資本のスーパーがここまで急成長に成功したというのは刮目に値します。私も機会があればここに参与観察でもして見たいものですが、お袋に話し通して一ヶ月でも働いてみようかな。

  おまけ
 ウィキペディアの記事にも書かれていますが、AZの開店初日に大きな地震が鹿児島を襲い、店に来ていた客がみんなレジを通さずに商品持って逃げて行ったそうでいきなり約五百万円の損失を出したそうです。それでもその後持ち直したのだからなお凄い。

2009年10月31日土曜日

資本主義はプロテスタントから始まったのか?

 現在の世界で主要な思想となっているのは言うまでもなく貨幣が中心となって世の中が形作られる資本主義ですが、この資本主義がいつどこで発生し、成立したかについて私の専門の社会学では十六世紀のヨーロッパ、それもキリスト教のプロテスタント集団からとされております。しかし私はこの説を信じるどころかむしろ間違っているとすら考えており、その理由について以下に解説します。

 この資本主義がプロテスタントから始まったという説は社会学を学ぶ者にとってそれこそ最初のいろはみたいなもので、はっきり言ってこの説を知らなければもぐりと言っても差し支えないほどの有名な学説です。それほどまでに有名なこの説を唱えたのは誰かというと政治学者、社会学者として有名なドイツのマックス・ヴェーバーで、彼はその著書の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(通称「プロ倫」)においてキリスト教のカトリック派に対して異議を唱えることで発生したプロテスタント派、それも一番初めのルター派ではなくフランスのジャン・カルヴァンに始まるカルヴァン派から資本主義の価値概念、精神が生まれたと主張しています。

 ではどうして資本主義がカルヴァン派から生まれたのかというと、ヴェーバーはカルヴァン派の持つ予定説が決定的な要因となったと主張しています。このカルヴァン派の予定説というのは人間は現世に生まれた時点で死後に神によって救済されるか否かがすでに決まっており、現世でどのような行動を取ってもその予定に変わりがないという説です。
 元々のカトリックや同じプロテスタントのルター派において死後に救済されるかどうかは程度の差こそあれ、現世で善行を積むかどうかによって決まるとされていました。逆を言えばこの世で悪い事をすると死後に裁きを受けるとされ、生前は神の教えどおりに善いことをしながら生活していくべきだと主張されていました。しかしカルヴァン派は救われる人間は生まれた時点でその後善行を積むように行動するようになっており、逆に裁かれる人間は悪い事をしでかすようにすでに運命付けられていると主張したのです。

 そのためカルヴァン派は自分たちが本当に救われる側の人間であるのであればきっと生前は豊かに暮らして円満に死んでいくはずだと考え、自分たちが救われる対象であることを自分で証明するかのようにして利殖や商売上の成功を追い求めるようになり、そのような思想が多数派を占めて一般化するようにして資本主義が成立したと、大まかに言ってヴェーバーは主張しました。

 こうしてみると確かに筋が通っているように見えるのですが、私がこのヴェーバーの説に疑問を持つのは本当にカルヴァン派から資本主義が生まれて世界に広がっていったのかという点です。具体的に言うと、カルヴァン派の誕生以前に資本主義はなかったのかということです。ここまで言えばもうわかるでしょうが、私はカルヴァン派が生まれた十六世紀以前にもすでに資本主義的性格を持った国家、集団があったと考えております。

 このヴェーバーの主張への反論は何も私だけでなく私の社会学の恩師も主張していたのですが、そもそもの話ヴェーバーの主張には「西欧から資本主義が始まった」という前提で成り立っています。確かに西欧の範囲内で見るのならばこのヴェーバーの説は正しいと私も考えるのですが視野を西欧から世界全体に広げてみると、それこそ東洋にある中国は一体どんなものかという話になってきます。

 というのも中国で十世紀に成立した宋においては貨幣経済が目覚しく発達しており、なんと当時の西欧が封建制による物納が主体の経済であったのに対し、宋ではすでに徴税方法が物納ではなく金納となっておりました。それこどころか傾き始めた国家の再建を行うにあたり王安石らが活躍した新法旧法論争において、大商人の独占を排すために小商人への低利での貸付を国家が行っていたなど、きわめて発達した流通経済体制をすでに敷いております。これが資本主義でなければ、一体なんなのかというほどです。
 ちなみに西欧で本格的に流通経済が成立しだしたのはナポレオン戦争以後だと言われております。また日本では江戸時代まで税金は物納で、明治になってようやく金納へと切り替えられました。

 また中国に限らず同じヨーロッパ圏内においても、十一世紀に起こった十字軍の遠征においてイタリアの都市国家に代表される地中海商人らが大きなスポンサーとなっていた事実も見落とせません。第四回十字軍に至っては彼ら商人の意向で本来身内であるはずのビザンツ帝国が攻撃されているんだし。
 その地中海商人、いやそれ以前からのヨーロッパにおける商人に着目するのならいわゆるユダヤの商人も忘れてはなりません。ユダヤ人は相当大昔から金融業を行っており、資本主義の歴史を語るのならばユダヤ人抜きには本来語れないのではないかと前々から私は考えております。

 このようにイタリアより西のヨーロッパ圏内に限るのならばヴェーバーの説に賛同するも、カルヴァン派から資本主義の概念がすべて生まれたという説に対しては私は真っ向から疑義を呈します。このヴェーバーの説は最近だと高校の世界史の教科書にも載せられているほどなのですが、社会学者も多分薄々間違いだって言うのは分かっているのだから、ヴェーバーには悪いけどこうした誤解をこれ以上広げないように活動するべきなのではないかと私は思います。

2009年10月30日金曜日

JAL再建案と企業年金の対処について

 このところは朝日新聞でも毎日一面を飾っておりますが、JALこと日本航空の再建議論について私の考えを紹介します。

 すでに各所で報じられているように日本航空は数年前に機体トラブルを連続して発生させたことから利用客離れを起こし、またかねてより全日空とのサービス競争でも大きく水を開けられていたことから売上げが大きく減少しており、各業界関係者から全国のサラリーマンにまで早晩破綻するであろうという見方が広がっていました。
 しかしそれに対して前政権与党である自民党はこれという対策を余りしてきませんでした。仮に日本航空が破綻した場合は日本の国内航空会社は全日空のほぼ寡占状態となるため、各評論家は現在の日本航空は経営上大きな問題を抱えてはいるものの絶対に潰さずに再建させなければという意見で一致していたにもかかわらず、自民党はお世辞にもこの問題の解決に積極的であったとはとても言えませんでした。そういう意味で政権交代によって民主党政権が誕生するやすぐにこの問題に手をつけてここまで議論を進めたというのは、まだ民主党と前原国土交通大臣を評価してもいいと思います。

 それでその再建案の中身ですが、どうやらかつてその負債額の大きさから潰すに潰す事の出来なかったダイエーを無理やり立ち直らせるために作られた産業再生機構入りすることがほぼ決まったようです。現在の日航にどのような経営的な問題がありこれからどのように再建していけばいいのかは私自身が航空行政に詳しくないのもあり正直な所あまりわからないのですが、目下の所大きく報道でクローズアップされているのは、日航の退職者に対する高額な企業年金です。

 かねてより日航は退職者に対する企業年金の額が同業他社と比べても非常に高額で、それが経営を強く圧迫させていると言われ続けておりました。その企業年金額が本日のフジテレビの朝のニュースにて具体的に比較されていたのですが、その報道によると全日空が平均月額9万円に対して日航は平均月額25万円でなんと16万円も差があるそうで、私の予想をはるかに超えた額でした。そりゃ経営もおかしくなるだろうよ。

 仮に日航が公的基金投入の上に産業再生機構入りしてもこの企業年金が維持されるのであれば、文字通り国民の税金がこの高額な企業年金に使われる事となります。さすがにそれはまずいだろうということでこれから煮詰められる再建案の中身にこの企業年金の減額案を盛り込もうと言われているのですが、いくつかの報道を見ていると実際に減額するとなると難しいのではという意見が各コメンテーターから聞かれます。
 何故難しいのかというとその企業年金は日航のOBが在職中に働いて稼いだ賃金の一部で、それを国の都合で減額するのは憲法に記載された財産権の侵害に当たるからだ、という風に意見がありました。

 しかし結論を言うと私は余計な議論なぞ必要なくとっとと減額してしかるべきだと思います。さすがに全額廃止までいくとやりすぎだと思いますが、現在の額はあまりにも高額過ぎており、仮に日航が倒産してしまえばそれら企業年金は全額吹っ飛ぶ事を考えると税金を使って維持するべきだとは思えません。もしこの減額を日航退職者が受け入れられないのであれば、多少過激すぎるかもしれませんがこの際日本航空は倒産させた方がまだマシかとすら私は思います。
 それこそ全日空と同じ水準の9万円にまで引き下げる事で退職者一人当たり16万円もの額が浮き、退職者5人で計80万円、これだけあれば月額20万円で新たに4人の従業員を雇える事を考えるとただでさえ職のない現代の若者が如何に追い詰められているのかが見えてきます。

 現在民主党や前原大臣はやはり先ほどの財産権の問題からこの企業年金の減額を行うために新たな法整備が必要だと主張していますが、この意見についてはやや疑問に感じる点があります。というのも過去に松下(現パナソニック)にて幸之助精神の破壊者と呼ばれた中村邦夫社長(現会長)時代にこの企業年金の減額を実行しているからです。この中村社長の決断に対して年金を受け取る側の松下のOBも黙っておらず訴訟まで起こしましたが、裁判所は当時瀕死だった松下においてこの経営判断は不当なものではないとして退けました。

 先にも述べましたが、現時点で日航は本来なら倒産しているはずの会社です。それほど危機的な経営状況にも関わらずあまりにも高額すぎる企業年金を維持するというのは明らかに道理が外れているのではということが、現時点における私の見方です。

  補足
 一つ書きそびれていたことで、今回私が槍玉に挙げた企業年金は各企業が独自に設けている年金で、中小企業の社員にはほぼ全く用意されておりません。そういったことも考慮して私は減額するべきと主張するわけです。

2009年10月28日水曜日

読者年齢層アンケートの結果

 本店の方で行っていた読者の年齢層を尋ねるアンケート期間が終わり、とうとう待ちに待った結果が出ました。早速その結果を以下に公開します。

・20歳未満 1 (2%)
・20~29歳 25 (54%)
・30~39歳 12 (26%)
・40~49歳 6 (13%)
・50~59歳 2 (4%)
・60歳以上 0 (0%)
 合計回答数:46名


 という具合で、書いてる私と同じ20代が最も多く、次いで30代が続く結果となりました。私はこのアンケートを開始した時の記事にも書いた通り比較的読者年齢層は高いだろうと思って40代が一番多いのではないかと踏んでおりましたが、その一方で回答するのは私の直接の友人ばかりではないかとも思っておりこの結果に対して「そりゃそうだろう」というような感想を持ちました。

 ただこの調査を終えてちょっと失敗だったかと思う点で、もう少し年齢層を細かく分けて置けばよかったかもと現在反省しております。このブログは私自身の体験からいろいろと社会の事、政治や経済についてちょっと深く勉強したいと思うような人向けにそれぞれの分野のキーワードなり用語、時事問題の解説を主なネタとしております。そのためメインのターゲット層というのは言うまでもなく現役の大学生で、多少なりともそれぞれの分野の内容に興味を持ってくれるような記事をいつも心がけて書いております。

 ですのでこの年齢層アンケートも、同じ二十代でも前半と後半で大きく読者の立場が変わることを考えるともっと細かくして聞いとけばよかったと後悔しているわけです。まぁ若い年齢層だけでなく、30代以上の方が43%にも昇ってくれたというのは非常に励みになりましたが。

 最後に今後の記事展開として、このところは時事問題ばかり取り上げておりますが初期のようにあまり時間の経過に左右されないような内容の記事をまた増やしていかないとこの頃感じております。現在連載中の「時間の概念」なんかはそのような記事で内容にも自信のある連載ですが、まず先に「北京留学記」を終えないといけないのでまだしばらくお休みしないといけません。時間さえあればまたあれこれ自分で調べた研究記事を書くことも出来ますし、親しい友人には漏らしていますが小説も本音では連載したいです。ただ余り手を広げるのもあれなので、ひとまずの所あまり勉強しないでも書ける、一番好評な歴史記事を中心に書いていくのが無難かもしれません。