昨日に書いた記事にて私の専門は国際政治とは言いいましたが、実際にはこの分野で何かしら誰かに指示したこともなければ専門的な教育を受けたわけではなく、あくまで独学の範囲での専門であります。得意なのは間違いはないけど。
じゃあ本当の専門はと言うのであれば、きちんと教育を受けてそこそこ専門的な範囲も取り扱ったのであればプロフィールにも書いてある通りに社会学です。なので周りには自分の専門は一応社会学とは言うのですが、決まって話した人からは、「社会学って何?」と、問い返されてしまう事が非常に多いです。社会学自体はなんか響きがいいのかこの所、各大学の学部受験希望者数が増えているとは聞きますが実態的にどんな学問か理解されているかといえば私はそれほど理解されてはいないかと思います。
ではそんな社会学は一体どういう学問分野なのかといえば、これは私が出た授業の講師も言っていましたが、これが社会学といえばなんでも社会学になってしまうほど非常に分野範囲が曖昧な学問です。はっきり言って社会学も心理学も言った者勝ちな所のある学問なのでよくあるニセ科学に利用されている事の方が多く、イタリア人社会学者のパオロ・マッツァリーノ氏もその著書にて、
「よくテレビに出てくる悪の集団は○○博士のように理系ばかり使うからダメなんですよ。死神社会学者や地獄心理学者のような文系をリクルートすれば、統計操作と深層心理を使う事でどんな理論も思いのままです」
と自らの専門分野を評していましたが、私は未だこれ以上に社会学を端的に言い表した発言は見た事がありません。
しかし私も自分の出身学問分野なだけに全部が全部否定するわけでもなくまだ社会学を肯定的に見ている面もあるので、一つそれを説明するのにある有名な例を紹介します。
学校にて先生が生徒たちに対し、「もっと自立的になりなさい」と、言うのに対して生徒たちは、「わかりました」という場面があるとします。この場合、先生の「自立的になれ」という指示に生徒たちがわかりましたと言うのは「従う」という行為に当たり、皮肉な事に先生の言う事を聞くことが自立的にという指示に逆らうことになります。
だからといって先生の指示に対して、「嫌です」と拒否しても、こちらも自立的にという指示に逆ら一方で生徒らは自立的に行動している事になります。
なんかこう書くと言葉の端々を捉まえて文句を言い合う水掛け論みたいな話に見えますが、社会学というのはこういうことを真剣に考える学問だと私は考えています。具体的にこの話でどこが重要なのかというと、先生の「自立的になれ」という指示にその言葉の意味だけでなく命令という行為も含まれており、いわば一つの行動に複数の意味があることになります。また生徒の側もその先生の指示への返答にはその言葉の中身と返答する行為の二つの意味があり、片方では相手の行為に対応した行為が取られているのに、もう片方では対応しなくなる羽目となるのです。
政治学では権力者と従属者、経済学では雇用者と労働者のように、他の学問では行為者と被行為者というものが初めから割合にはっきりと区別されている事が多いですが、社会学では全般的にこの区別が非常に曖昧な学問です。例えばある企業が自分たちの方針を問うために一般市民にアンケートを取るという行為一つとっても、アンケートを受ける事で市民がその企業へのイメージを変わり、そうしてイメージを変える市民からのアンケートを受ける企業も方針を変えていくなどと、行為者と被行為者の間で常に相互に影響を与え続けて変化し合うことを前提にします。このように社会学というのは、どの行為を行うことでどんな結果が生まれるかを考えるのではなく、その行為が行為者を含め相互の間にどのような変化や効果をもたらすのかを主題にして考えます。いわば行為者と被行為者の中間に焦点を当てる学問といっていいでしょう。
もちろん社会学すべてがこのように言えるわけじゃないのですが、少なくとも何年も社会学を勉強してきた私が社会学はどんな学問かと問われるのならば、国家程大きくなく中規模集団のシステムの中でどのような相互干渉を行う行動ががあるのかを調べる学問だと私は答えるようにしております。
なお先ほどの先生の自立的になれという指示に対する、私の考える模範解答は以下の通りです。
「てめぇの指図は受けねぇ( ゚д゚)、ペッ」
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