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2009年12月9日水曜日

見上げた後輩の話

 時間がないのでまたどうでもいい私の昔話ですが、私は今でこそ訳のわからないことを毎日ブログに書き綴っているものの、こう見えても中学と高校時代は水泳部に所属していました。水泳というものは基本的に個人競技なので水泳部内は運動部としては拘束も緩く気楽な部活なのですが、夏休み前後ともなるとシーズンという事で部員揃って参加する大会も増えていき、一匹狼の集まりみたいな水泳部でもこの時ばかりは同じ学校の選手が出場するレースにみんなで応援をしたりします。それでもみんなやる気なかったけど。

 この話はそんな水泳大会の一つに私が中学三年生だった頃に参加した時の話ですが、夕方になって大会も無事終わり、私の部活内でも解散となったので家路に着こうと近くの駅に私一人で向かった所、その駅にてなにやら今年水泳部に入った一年生が右往左往しているのが見えました。向こうはまだこっちに気がついておらず、面識もほとんどないんだしそのまま無視して帰っても良かったのですが一応声をかけてみたところ、その一年生は帰り方がわからずに困っていました。

 少し内容を詳しく説明すると、その日大会があった会場は二つの別々の路線に挟まれた場所にあり、その一年生と私は別々の路線の駅からその日会場に来ていました。ところが朝に会場へ来る際にその一年生は友達同士で来ていたようなのですが、帰りはうまいこと友達たちと合流する事が出来ず、一人で目的の駅へ向かおうとしたら見事に逆方向の駅へとたどり着いてしまっていたというわけです。

 もちろんそこから本来帰るべき駅へ戻ればいいだけの話なのですがその一年生は逆方向に来てしまうなどただでさえ周辺の地理に疎く、また着いてしまった駅から電車に乗って無理やり自宅に帰ろうものなら大回りになってしまい、割り増し分の電車賃を払えるだけのお金も持っていませんでした。そんなわけで一人でパニクっていたのですが、さすがにほとんど面識がないからといって見捨てるわけにも行かず、私の所持金から五百円玉を抜き取ってその一年生に渡し、こう言いました。

「いいか、このお金でそこの駅前から出ているバスに乗るんだ。あそこから出ているバスなら反対側の本来君が乗るべき路線の駅に行ってくれるから道に迷う事もない。出来れば一緒についていってやりたいが、さすがにそこまでついていくと今度は俺が帰れなくなる」

 そういって乗るべきバス亭まで連れて行ってバスに乗るところまで付き合ったのですが、次の日の部活にはまた元気に来ていたのでまぁ無事に家に帰れたようです。
 ただ私もあまり面識がない一年生ですし、向こうとしても一個上の二年生ならともかく三年生の私となると接触も少なく、またこっちの名前も知らないのだから渡した五百円玉は返ってこないだろうと私は踏んでいました。元々そのお金は私の親が緊急用に持たせていたお金だったのでわざわざ請求するほどでもないし、無事に帰れたのだからそれで良いだろうと私も気にせずにそのまま過ごしていました。

 それから一年後、付属の高校でも水泳部に入っていた私はその年の夏休み、本音ではあまり参加したくなかったけど夏休みの合宿に参加しました。合宿は自由参加だったのでそれほど参加人数は多くなかったのですがその中に例の元一年生も参加しており、なんとはなしに去年はあんなことあったなと遠目に見ていたら向こうも私に気がつき、就寝前に私に話しかけてきました。

「去年のあの時は本当にありがとうございました。これ、大分遅れてしまいましたが借りていた五百円をお返しします」

 話を聞くと向こうも向こうで気になっていたらしいのですが、私が一切接触しないもんだからなかなか切り出せず、こうして合宿で一緒になってようやく言い出せたそうです。まぁ元はといえば、何も声をかけようとしなかった私が一番問題なのですが。
 ただこの一年生(もうその頃は二年生だけど)もしっかりと一年も昔のことを覚えていて、確かに遅れたものの律儀にお金を返しにきたということに私は素直に感心しました。こっちなんか返せなんて一言も言わなかったし。

 その後この一年生は生徒会にも入って活動するようになったのですが、この一件での彼の律儀さを知っていたので彼ならきっとしっかりと活動してくれるだろうと、陰ながら温かい目で見守っていました。世の中、中々捨てたものじゃないなと私に思わせてくれた後輩でした。すぐに私より背が高くなったのは気に食わなかったけど(゚⊿゚)

2009年12月8日火曜日

鳩山邦夫氏、母親からの資金提供を認める

 テレビニュースなどでも速報が行われていますが、鳩山邦夫氏が現在献金偽装疑惑のある鳩山由紀夫首相と同様に、自身の政治団体にも実母から資金提供があったことを公に認めました。

<鳩山邦夫氏>実母からの資金提供 贈与税納める考え示す(毎日新聞)

 ちょっと前に書いた記事でこの問題について私も全体構図を見立てていましたが、大まかな所ではその見立て通りに事実が動いてきました。もし鳩山首相への偽装献金の原資が母親からならば弟の邦夫氏もきっともらっているはずで、もし邦夫氏がその事実を知っているのなら正直すぎる人だから口に出してしまうので、それがないことは邦夫氏は今まで知らなかった可能性が高いのでは、と書きましたがやっぱりそんな具合だったそうです。

 ただ邦夫氏が疑惑の追及を受けてすぐに事実を認めたのに対し、鳩山由紀夫首相の場合は選挙前に疑惑が発覚してから延々と六ヶ月も粘り続けております。この差は如何ともし難く、恐らく今後、首相への批判はこれまでに増して強まる事は確実でしょう。小泉元首相もちょっと前、献金疑惑で参院選まで鳩山政権は持たないと予言したくらいだし。
 それにしても、鳩山邦夫氏は次々と関わる人間を首相の座から引き摺り下ろすなぁ。

北京留学記~その二四、青島のサラリーマン

 また大分日が経ってしまいましたが、北京留学記の続きです。それにしても、年内には終わるかなこれ。
 前回まで私の留学中のクラスメート、そしてルームメイトなど非常に親しかった人間ばかり紹介しましたが、今回はこれまでと違って旅先で一回だけしか会わなかった、年のころは四十前後の青島のサラリーマンとの話をご紹介します。

 その人と会ったのはこの後にも紹介しますが、学校の冬休み中に私が単独で行った南京、上海旅行からの帰りの列車でした。この旅行自体が結構無茶な日程を組んで行った旅行だったために、上海から北京への帰路に付く頃には腹を下すなど体調的には非常に悪い状態でした。ですので本音ではケチりたかったのですが、恐らくそうそう乗る機会も少ないのだから思い切ってこの時に使った寝台列車の中で一番良い席(軟臥)を予約して列車に乗ったところ、相部屋の相手になったのがこの青島(チンタオ)のサラリーマンでした。

 まず最初に口を開いたのは相手の方からで、列車が出発してしばらくしたころに私の不慣れな発音に興味を持ったのかどこからきたのだと話し掛けてきました。そこで私が北京だと答えた所、外国人だろ、どこの国かと聞いているんだと改めて聞き返されてしまいました。そりゃま、そうだろう。
 それで私が日本人だと答えるや、彼が機嫌が急に良くなりました。というのも彼の奥さんは中国人ではあるものの日本語が出来る方らしく、また彼自身の青島の仕事でも日本人と接する機会が多いために日本に対して親近感を持っていたようです。

 そんなかんだで旅の道連れはなんとやら、途中折々で辞書を引きつつ、メモに言いたい事を漢字を書いてもらいつつこのサラリーマンとあれやこれやと話をしたのですが、この時まず最初に話題になったのは青島の話でした。
 私が青島には日本人は多いのかと聞いた所、彼はすぐに「多い」と答え、海路で見るならば日本に近いという地理的条件から日本向けの製品を作る工場が林立しており、そのため会社から派遣される日本人も数多く済んでいるとの事でした。それら日本人会社員は大体二年から三年間中国に赴任すると日本に帰ることが出来、帰国後には出世するという事も教えてくれました。前々から聞いてはいましたが、やはり数年の海外赴任、とくに中国ではそれ自体が出世の条件となっているのはどこも同じのようです。
 そのあと続いて韓国人も青島に多くいるのかどうかと聞いてみるとやはり多いと返ってきて、韓国でも中国に製品工場持つ会社が多いと話してくれました。

 そんな風に話していたところ、やおらむこうから、お前は大学生なのかと聞いてきました。当時学生だった私はすぐにそうだと答えると大学名も続けて聞かれたので、私立の○○大学答えると、日本で私立大学だとここがすごくいい所なんだろうと、漢字でメモに「早稲田」と書いてきました。なんでも、ここがすごいって知り合いの日本人に聞いたそうですらしい。
 いい機会なのでこの時に他に日本の大学で知っている所はとさらに詳しく聞いてみた所、東大と京大、そして早稲田と慶応と挙げてきました。やはり海外に知名度のある日本の大学と来るとこの四つといったところでしょうか。

 と、ここまで話して、少し思い当たる事が出てきたので、今度は私からこんな事を聞いてみました。
「子供はいるんですか?」
「いるよ。今はまだ中学生だ」
 なんでも家族は青島にいるらしく、今回は北京に出張で来ているらしいのですが、子供の話をしたときに少し顔が曇ったように私は感じました。あくまでこれは私の推量ですが、現在中国で大きな問題の一つとして子供の教育費の問題があります。大学進学までを考えたら相当な額が必要となるため、ちょうど日本の大学の話を下ばかりだったので息子のこれからの教育を考える上での苦労を垣間見せたのかもしれません。

 話は戻って先ほどの出張で北京に行くという話ですが、この時私達が乗っていた列車は上海―北京間を結ぶ夜行列車だったのですが、この列車はなんでもつい最近出来たもので、これが出来て非常に便利になったと語っていました。
 この上海―北京間は日本で言うとそれこそ東海道新幹線の大阪―東京間に相当する区間で、それだけにこの区間の特急列車は需要が高いために年々スピードアップが図られているらしいそうです。

 そんな具合でだんだんと仲良くなっていったので、後半にてちょっと思い切った質問をぶつけてみた。
「最近、日中は仲が悪いけど……」
「気にするな。あれは政府がやっている事だ」
 恐らく私以外にも中国人に直接聞いてみたいと思っている方が多い質問でしょうが、この質問に対して彼はなんでもないというような態度で反日感情は持っていないと答えました。

 少し分析的な見方をすると、彼は青島でサラリーマンをやっている人間であり、職業柄、日本人と付き合う事も多い人間です。日本人でもそうですが実業に近い人間ほど中国に対して親近感を持つ傾向が強く、逆に、学術系、教師や大学教授、もしくは実業とは離れている主婦などは中国を胡散臭く思う傾向があるように感じます。この青島のサラリーマンもこの例に当てはまり、政冷経熱の名の通りに日本に対して反感を持っていなかったのかとも見ることが出来ます。
 
 このように長々話をしていたのですが、最終的には不調だった私の体調がダウンして11時くらいにお互いに布団に入る事にしました。その後列車が北京駅に着いて地下鉄に乗るまでは一緒にに行動しましたが、地下鉄の駅で向かう方向が別れるためにそこで別れました。彼は別れる際に、
「さて、仕事だ」
 と、朝も早くからそういい残し、最後はお互いに握手を交わして別れました。サラリーマンは日中双方で、どこも変わらないと感じた瞬間でした。

2009年12月7日月曜日

COP15を巡る駆け引きと鳩山宣言

 鳩山首相が就任直後に向かった遊説先のアメリカにて、CO2排出量をを90年基準で2020年までに25%も削減すると発表し、国内外において賛否両論、というよりは、「そんなの出来っこない」という大ブーイングを招いたのは記憶に新しいかと思います。私も当時にこのブログにてその発言を取り上げましたが、どうせ欧州諸国も目標を立てたところで達成できる国などほとんどないだろうから、一時とはいえ言うだけ言って注目を浴びただけでも良かったのではないかと、やや肯定的にこの鳩山宣言を評価しました。

 しかし世の中とはなかなか広いもので、イタリア史作家の塩野七生氏は文芸春秋のコラムにて鳩山氏のあのCO2削減宣言について以下のように評していました。
 塩野氏はアメリカを始めとした先進国、中国を始めとした発展途上国(最近なんだか新興国と言う表現を使うようになってきたけど)に先駆けて、日本は環境問題に真剣に取り組むという姿勢を強く打ち出した鳩山氏のあの宣言は今後の日本の外交にとって大きなイニシアチブになるとまず褒め称えました。CO2の削減目標の達成の実現性については塩野氏もこれははっきりと無理だと言うものの、鳩山首相のあの宣言の冒頭に、「アメリカや中国が歩調を合わせるのならば……」という一文が混ざってあった事に着目し、要はこの二カ国が日本同様に削減目標を持たなければ実現しないでもよいという逃げ道があの宣言にはあるとして、今後はこの両国の参加という前提条件を他国が忘れないように繰り返し言い続けるだけで環境問題に対し、ほぼ無傷で国際社会で相応の地位が保てると分析していました。

 こう言われてなるほどと思い、もし塩野氏の言うような意図であの宣言を行ったと言うのであればなかなか大したもんだったとあの鳩山首相の宣言に対して私も見直したのですが、となると肝心になってくるのは前提条件となっているアメリカと中国の対応で、果たしてどんなものかと今日の世界の気候変動に関する会議である「COP15」を前々から楽しみにしていたところ、開催前には中国も具体的な削減目標を設定してくるという報道があったものの今日の会議においてはいつも通りに先進国がまずもって削減する必要があり、発展途上国はまだその段階にないとインドとともに主張してきました。このまま行けば、塩野氏の言うように日本の目標達成の前提条件は崩れてくれます。
 また日本側もなかなか周到なもので、会議開催前の昨日の段階にてすでに、「京都議定書の単純延長には調印しない」と発表しており、うまくいけばあの削減目標を無視しながらこれまで日本を縛ってきた京都議定書の呪縛から解き放たれる事ができるかもしれません。

 今日の段階でこのCOP15はこの調子だと何も決まらずに終わりそうだという事で、最終日に首脳同士の会合にて何らかの合意を得て終了するのではと報じられていましたが、開催直後の今日になって面白いニュースが飛びこんで来ました。

TBSの動画あり 約2週間以上のおくれで日本でも報道が始まった模様です

 上記リンクは相互リンク相手のdotcom07さんのページですが、このページにて紹介してあるニュースというのも世界の温暖化を始めとした気候変動の調査に対して権威のあるイギリスの研究所のメールが流出した所、温暖化にそぐわないデータの改竄やら隠蔽をほのめかす内容が多数見つかったそうです。時期も時期なのでこれは一種のブリティッシュジョークなのかと思うくらいのタイミングの良さですが、これからCOP15がどう転ぶか、またdotcom07さんの言うように日本のメディアがどう報道するか観察のし甲斐はあるかと思われます。

  追記
 その後中国はこのCOP15で、

「中国は過去15年間、単位GDP当たりの二酸化炭素排出を47%削減した。2010-2020年にはさらに40%-45%引き下げる」(サーチナ

 と一応目標を設定したようですが、単位GDP辺りって総量だといくらになるのか、多分その辺にいろいろロジックを組んでいるのを見越して各国も批判を行っているようです。

2009年12月6日日曜日

マルクスの疎外論

 随分昔に書いたと思ってたら書いていなかったので、ちょうど前回の記事で「空気に呑まれる」という事を取り上げたばかりなので疎外論についても紹介しておきます。

疎外(ウィキペディア)

 はっきり言って私のこの記事を読むよりもこの疎外論については専門に研究されている方も少なくないので、もしこの記事で疎外論に興味を持たれたのであれば是非他のサイトも訪れる事をお勧めします。

 それでは本題に入りますが、この疎外論というものを初めて提唱したのは社会主義経済学の祖であるカール・マルクスで、彼が提唱した経済学概念の社会主義経済こと共産主義はソ連の成立とその後の崩壊という大掛かりな実験によってすでに実現不可能であることが証明されてしまいましたが、この哲学分野に属する疎外論については未だなお価値が下がることなく学者達によって研究が続けられております。

 その疎外論がどのような概念かというと、単純に言うのならば人間が自分で作った概念やシステムに逆に振り回されてしまうといった所です。
 これは私がこの疎外論を説明するのによう使っている例えですが、ある会社で飲み会が開かれる事となり、幹事であるAさんは同僚に参加するかどうかを確認していたのですが、このAさんは同僚であるBさんのことを内心では快く思っていませんでした。ですのでAさんは出来ればBさんには飲み会に来てもらいたくないのですが、他の人間には誘っているのにBさんだけ誘わないと角が立ってしまうので仕方なく誘うとします。誘われたBさんも実はAさんのことを嫌っていたのですが、Aさんの誘いを断ってしまうとこちらもまた角が立ってしまうので、出来れば参加したくないと思いつつも参加すると答えてしまいます。

 この例えの場合、AさんもBさんもお互いに相手のことを嫌っていて飲み会のような場所で顔を合わせたくないと思っていながらも、飲み会に誘わなければ、参加しなければ角が立つと思うあまりに両者どちらにとっても望ましくない結果をわざわざ招いてしまいます。何故こんな結果になってしまったのかと言うと、AさんとBさんの両方に「飲み会に相手を誘わなければ、参加しなければ角が立つ」という概念があり、この概念があるがゆえにわざわざ気まずい思いをする事になってしまったというわけです。

 同じく飲み会ネタであれば、ちょうど今の時期くらいにある会社でシーズンという事で忘年会を企画するものの、みんな年末の忙しい時期にわざわざ会社のイベントに参加したくないと思いつつもさすがに忘年会に参加しないと協調性がないと思われると考え、結局誰も望まない忘年会にみんな参加してしまうというのも疎外の一例と見ることが出来ます。

 このように特定の概念や思想が人間の手の元を離れて逆に人間の行動をマイナス方向に支配、制限をすることを「疎外」と呼び、前回の記事で私が取り上げた「空気に呑まれる」のとは厳密にはちょっと違うかもしれませんが、みんな内心では良くないと思いつつも周りに合わせないと思うあまりにわざわざ誰にも望まれない行動を取ってしまうという点でほぼ同義の言葉だと私は考えております。

 マルクスは生前にこの疎外という概念を主に資本主義批判に適用して提唱していましたが、現実にこの考え方はなかなか良く出来たもので、現在においても社会問題を考察する上に役立つ概念であります。
 元々、経済というものは人間がみんなで便利に暮らすために作られた社会システムだったのですが、今や国会でもこの経済(資本主義)というシステムを維持するための対策が激しく議論が行われ、一企業レベルでも会社を存続させるために社員みんなで骨身を削ってまで働くなど、みんなで経済をどうにかしなければとあちこちで叫ばれています。自分達の生活を便利にさせるために作られたシステムであったはずなのに、リーマンショック以降は特に顕著ですが、経済を維持するために今や沢山の人間が犠牲になっている状況です。

 かつて共産主義は人間性がなく、血の通わない管理された経済システムであったがゆえに資本主義に敗北したと言われました。今の資本主義に人間の血が通っているかという問いにマルクスが生きていたらどう答えるのか、なかなか興味をそそられます。

2009年12月5日土曜日

空気の読み方、呑まれ方

 日本で生活する上で何が一番重要になるかと仮に外国人に聞かれるのであれば、私はまず迷わず「空気を読むこと」だと答えます。この答えに他の日本人がどのように感じるかまではわかりませんが、私はそれほどまでに日本の社会では場の空気を読むことが要求されると考えており、それは小学校から会社、果てには本来自由に思考を働かせるべきであるはずの学界においても例外ではないと見ております。

 ではそんな「空気を読む」行為とはどういうものなのかというと、具体的な定義とすれば周囲の意見に歩調を合わせ、全体意見や思想から大きく外れた発言や行動をしないといったところでしょうか。日本の社会では「協調性」、というよりも「同位性」を持つことが高い価値とされるため、この空気を読むという行為は日本の日常においては実生活だろうがテレビの番組内だろうがインターネットの掲示板あろうが、それこそ場所を選ばずに「空気を読め!(#゚Д゚)」という声があちこちから聞こえてきます。
 それだけあって日本人組織の団結力は世界レベルでも明らかに群を抜いており、中国人もよく、「日本人は一人一人だとへなちょこだけど、集団になるととてもじゃないが敵わない」と、よく評しております。恐らく、自分達中国人は逆に団結力が低すぎるということがわかっての評価でしょうが。

 断言してもいいですが日本ではこの空気が読める、つまり周囲に合わせられるという事が無条件で美徳とされており、逆にそれが出来ない人間はしばしば批判の対象となってしまいます。
 こういった周囲に合わせて統率の取れた集団行動が出来る日本人の高い協調性は私も十分に評価に値すると言えるのですが、その一方で日本人はこの「空気が読める」ことのちょうど裏返しの意味に当たる、「空気に呑まれる」という危険性に対しても全くの無防備であると見ております。

 この「空気に呑まれる」というのはわざわざ説明するまでもないですが、本人の意思が知らないうちに集団の意思と同化されてしまう事を指しており、日本人も自分でそれ自覚しているのかよく、「日本人は自立性が少ない」と外人と比較して自分達を評価しています。
 「空気を読む」と「空気に呑まれる」はどちらも個人の意思が集団の意思と同化するという意味では全く同じであり、この両者を分けるの点というのは言ってしまえばその個人を取り込む集団の意思や行動がまともであるか異常であるかの一点に尽きるでしょう。簡単に例えを出すと、集団に依存を強める先が普通の企業やサークルであれば「空気が読める人間」であり、ブラック企業やカルトサークルであれば「空気に呑まれる人間」といったところでしょうか。

 ここで結論を述べさせてもらうと、現代、というより以前から日本人は空気を読むことに注力しすぎるあまりに実際には空気に呑まれていることが少なくないのではないかと私は考えております。それこそ通常の判断であれば明らかにおかしいと思える行為も、「みんながやろうとしているのだから」で片付けてしまい、わざわざ自滅の道を自ら辿ってしまうことも日本人には多い気がします。

 卑近な例を挙げるとこれは近所の知り合いの話ですが、周囲で流行っているので本人もそれがかっこいいと思ったのか彼は中学生の頃からしょっちゅう自分の髪の毛を茶髪に染め始め、その後も過度に洗髪を繰り返したためかまだ二十代にも関わらずすでにハゲが大きく進行してしまっており、現在では外出時に必ず帽子を被って出かけるようにしているそうです。また同時期に流行った日焼けサロンにて行うガングロファッションについても似たようなことが現在起こっているらしく、無理な日焼けを行っていたために皮膚がんを発症する若者がこのところ増えていると聞いております。どちらも当時からそれぞれの危険性が訴えられていたのですが、そうした声に耳を傾けず一時の流行に乗ったために将来の自分を大きく制限してしまうというのはまさに空気に呑まれてしまった結果だと思います。

 そして今度は過去の大きな例になりますが、私も大ファンの昭和史家の半藤一利氏が戦後すぐの時期に戦争遂行に当たって重要な地位についていた陸海軍の軍人らに対して数多くインタビューを行った際、一体いつ頃から対米戦を意識、決意し始めたのかと聞いったところ元軍人らは、「なんとなく、周りがアメリカとの戦争をしなければならない空気だったから」と答える人間が非常に多く、誰も明確な戦争の目標や必要性を答えることができなかったそうです。

 実際に開戦当時の状況を調べると日本が超強国アメリカと戦って勝つ見込みなど全くなく、敗戦するリスクに見合うほどの開戦する価値はほぼ皆無と言っていいものでした。よく一部の評論家はアメリカの貿易制限や最後通牒のハル・ノートによって日本は追い詰められた挙句に戦争せざるを得なかったと主張していますが、戦争によって日本が受けた壊滅的な損害とハル・ノートの条件(南部仏印、中国からの撤兵)を比べるのであれば、結果論ではありますがそれこそ比較にならない差が歴然とあります。

 では何故それほどまでに日本は危ない橋をそれこそ政府、国民揃って渡ろうとしたのかと言えば、先程の半藤氏のインタビューに対する元軍人らの答えのように「なんとなく」こと、「空気に呑まれた」ためだと私は考えます。よく国民は暴走する政府によって戦争に巻き込まれたと言われておりますが、当時において日本の戦争行動を批判していたのは石橋湛山ただ一人で、やはり大多数の国民も開戦を歓迎したそうです。

 私は日本人は過剰に空気を読もうとするあまり、空気に呑まれやすい民族になっていると見ております。どれくらい過剰に空気を読もうとするかについては明日あたりにまた疎外論の話と合わせて解説しますが、なんでもかんでも空気を読むことがいいことだと考えるのは一時やめて、周りに流されない独立した判断力を自覚して持つようにするべきだと私は思います。それこそ周囲から「空気を読め!」と言われても、「空気に呑まれるな!」と言い返せる人間が社会から弾き飛ばされないくらいに。

2009年12月4日金曜日

火付盗賊改方 中山勘解由

 先に哲学関係の記事を一本書こうと思ったら筆があまり進まなかったので、方針転換して今日は悩まずに書ける歴史記事にします。哲学系の記事が好きな人は、また明日来てください。(´▽`)ノ

 それでは本題に入りますが、「火付盗賊改方」と来ると、恐らく大半の方は小説「鬼平犯科帳」の主人公、鬼平こと長谷川平蔵を思い浮かべるかと思いますが、私はというとほかの人とはちょっと違い、今日取り上げる中山勘解由(なかやまかげゆ)という人物を思い浮かべます。恐らくこの中山勘解由は非常にマイナーな人物かと思われるので、私もあまり知っているわけではありませんが知っている限りでご紹介します。

 この中山勘解由、正式名は中山直守という人物は長谷川平蔵の時代より以前の4代目徳川家綱の時代の人物で、火付盗賊改方の初代長官とされる人物です。そもそも勘解由が所属した火付盗賊改方というのは一体どういう組織というと、言うなれば江戸時代における凶悪犯罪対策班のようなもので、当時の犯罪捜査に対して大幅な捜査権を持った警察組織のことです。それだけにその捜査方法や取締りの苛烈さは当時からも有名だったそうで、あえて現代にたとえるなら年中ヤクザとやりあっている兵庫県の公安といったところでしょうか。

 そんな火付盗賊改方初代長官の中山勘解由という人物はどんな人物かと言うと、当時の江戸市民を大いに震え上がらせる火付盗賊改の基礎を作ったとだけあって厳正な人物だったらしくついたあだ名も「鬼平」ならぬ「鬼勘解由」だったそうです。私がこの人物を知ったのは「三国志」で有名な漫画家の横山光輝氏の「時の行者」という作品なのですが、その作品においては以下のようなシーンがありました。

 江戸で火事が起きた際に道端に落ちている荷物を拾った男がおり、この男に対して勘解由はただ手に取っただけだと言う男に対して盗難を図ろうとした疑いがあるといって、問答無用で即刻打ち首にしてしまいます。
 実際には火付盗賊改方は捜査権はあれども裁判権は持っていないのでこの話はフィクションかと思いますが、このエピソードに加えて横山氏の同作品には、押し入った強盗が火付盗賊改方に取り囲まれたために家人を人質に取るのですが、勘解由はただ一言、

「わしには人質の姿が見えぬ」

 と言って、なんと人質諸共に強盗犯を斬殺するのです。さすがにこれもフィクションかと思いますが……。
 ただこの作品を読んだのは私が小学生の頃でしたが、このあまりのインパクトに勘解由の名前を一発で覚えてしまいました。それと同様に「鬼勘解由」という異名がすごくかっこいいように思えてきて、いつか自分もなんでもいいから「鬼」という異名が付いてほしいと現在に至るまで勘違いし続けています。これの影響かはわからないけど、楠桂氏の「鬼切丸」という漫画作品も一時期はまりました。

 ただこの「時の行者」で書かれているような勘解由の苛烈な姿は、多かれ少なかれ実際の火付盗賊改方の姿を映しているかと思います。当時の江戸は木造の家が多かったために火事が多く、放火は問答無用で磔刑に処せられるほどであの有名な八百屋お七も例外なく同刑に処せられています。

 横山氏はこの「時の行者」の中山勘解由の回にて、中山勘解由の長男が当初は苛烈すぎる父親に反発していたものの知人が理不尽な犯罪で強殺されるのを受けて、このような時代だからこそ周囲から憎まれようとも誰かが「鬼」にならなければならないと決心するシーンでまとめております。実際に勘解由の息子の中山直房も火付盗賊改方の長官に就任しており、こちらが「鬼勘解由」だという説もあるようです。

 私もこの勘解由ほどではありませんが、たとえ周りにどれだけ憎まれる事になろうとも言わなければならないこと、やらなければいけないことは必ず実行するようにと心がけております。それこそ実際にこれまで気違い呼ばわりされた事も一度や二度ではありませんが、自分もいつか「鬼」と呼ばれる事を夢見て今後も信念を貫いて生きて行こうと思います。