先に哲学関係の記事を一本書こうと思ったら筆があまり進まなかったので、方針転換して今日は悩まずに書ける歴史記事にします。哲学系の記事が好きな人は、また明日来てください。(´▽`)ノ
それでは本題に入りますが、「火付盗賊改方」と来ると、恐らく大半の方は小説「鬼平犯科帳」の主人公、鬼平こと長谷川平蔵を思い浮かべるかと思いますが、私はというとほかの人とはちょっと違い、今日取り上げる中山勘解由(なかやまかげゆ)という人物を思い浮かべます。恐らくこの中山勘解由は非常にマイナーな人物かと思われるので、私もあまり知っているわけではありませんが知っている限りでご紹介します。
この中山勘解由、正式名は中山直守という人物は長谷川平蔵の時代より以前の4代目徳川家綱の時代の人物で、火付盗賊改方の初代長官とされる人物です。そもそも勘解由が所属した火付盗賊改方というのは一体どういう組織というと、言うなれば江戸時代における凶悪犯罪対策班のようなもので、当時の犯罪捜査に対して大幅な捜査権を持った警察組織のことです。それだけにその捜査方法や取締りの苛烈さは当時からも有名だったそうで、あえて現代にたとえるなら年中ヤクザとやりあっている兵庫県の公安といったところでしょうか。
そんな火付盗賊改方初代長官の中山勘解由という人物はどんな人物かと言うと、当時の江戸市民を大いに震え上がらせる火付盗賊改の基礎を作ったとだけあって厳正な人物だったらしくついたあだ名も「鬼平」ならぬ「鬼勘解由」だったそうです。私がこの人物を知ったのは「三国志」で有名な漫画家の横山光輝氏の「時の行者」という作品なのですが、その作品においては以下のようなシーンがありました。
江戸で火事が起きた際に道端に落ちている荷物を拾った男がおり、この男に対して勘解由はただ手に取っただけだと言う男に対して盗難を図ろうとした疑いがあるといって、問答無用で即刻打ち首にしてしまいます。
実際には火付盗賊改方は捜査権はあれども裁判権は持っていないのでこの話はフィクションかと思いますが、このエピソードに加えて横山氏の同作品には、押し入った強盗が火付盗賊改方に取り囲まれたために家人を人質に取るのですが、勘解由はただ一言、
「わしには人質の姿が見えぬ」
と言って、なんと人質諸共に強盗犯を斬殺するのです。さすがにこれもフィクションかと思いますが……。
ただこの作品を読んだのは私が小学生の頃でしたが、このあまりのインパクトに勘解由の名前を一発で覚えてしまいました。それと同様に「鬼勘解由」という異名がすごくかっこいいように思えてきて、いつか自分もなんでもいいから「鬼」という異名が付いてほしいと現在に至るまで勘違いし続けています。これの影響かはわからないけど、楠桂氏の「鬼切丸」という漫画作品も一時期はまりました。
ただこの「時の行者」で書かれているような勘解由の苛烈な姿は、多かれ少なかれ実際の火付盗賊改方の姿を映しているかと思います。当時の江戸は木造の家が多かったために火事が多く、放火は問答無用で磔刑に処せられるほどであの有名な八百屋お七も例外なく同刑に処せられています。
横山氏はこの「時の行者」の中山勘解由の回にて、中山勘解由の長男が当初は苛烈すぎる父親に反発していたものの知人が理不尽な犯罪で強殺されるのを受けて、このような時代だからこそ周囲から憎まれようとも誰かが「鬼」にならなければならないと決心するシーンでまとめております。実際に勘解由の息子の中山直房も火付盗賊改方の長官に就任しており、こちらが「鬼勘解由」だという説もあるようです。
私もこの勘解由ほどではありませんが、たとえ周りにどれだけ憎まれる事になろうとも言わなければならないこと、やらなければいけないことは必ず実行するようにと心がけております。それこそ実際にこれまで気違い呼ばわりされた事も一度や二度ではありませんが、自分もいつか「鬼」と呼ばれる事を夢見て今後も信念を貫いて生きて行こうと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿