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2009年12月12日土曜日

内戦状態の日本 その二、反応と期待

 今日もちょっと電車に乗って移動していたのですが、案の定複数の路線でまたも人身事故が起きたために遅延が起こっていました。これだけ人身事故が連日と続いているにもかかわらず、どこのニュースも報じないと言うのもまた異常なように思えます。

 そんなわけでこの「内戦状態の日本」ですが、結論から言うと私は現在の日本人は互いに負荷を掛け合っている状態で、それこそ本来受けなくてもいいストレスを過剰に受け合っている状態にあると考えております。
 では何故日本人は互いにストレスを掛け合うようになったのでしょうか。最初に断っておきますが私は基本的に人間同士がなにかしら接触を持つことそれ自体、互いにストレスを掛け合うことになると考えております。以前にどっかで誰かが言っていましたが、「長生きをする秘訣は一つ、誰にも会わず、何にも怒らず、何にも感動せず一人でずっと過ごすことだ」と言いましたが、まさにこの通りでしょう。

 ですので人付き合い自体は基本的にストレスのかかるものと前提しているのですが、日本人の場合はそれこそほんの少しの他人との接触でも大きくストレスを受けたり与えててしまうと私は考えております。以前に書いた「空気の読み方、呑まれ方」でも似たようなことを書きましたが、日本人は周囲の意思や行動に過剰なまでに合わせようとするとともに、周囲もそれを強く期待する傾向があり、それがこの過剰なストレスに繋がっているのではないかと私は睨んでいるわけです。

 いくつか例を出すと、最近2ちゃんねるとか見ていると大学に入ったものの、一緒にご飯を食べる友達がいなくて一人で食堂に行くのを恥ずかしく思い、便所で一人で食べているという書き込みをよく見かけます。もちろんこれはただのデマかもしれませんが、これ以前にも日本では「ランチタイム症候群」といって、社内に昼食時に一緒に食べる人間がいないから退職するOLの事例が報告されているので、私としては本当にそんな人間もいるのだろうと見ています。

 はっきり言ってメシくらい誰が一人で食ってようが周りは誰も気にする必然性はありませんし、当人も意識する必要もないでしょう。しかし現に今の日本では「一人で食べる」ということが「友達がいない」という意味と感じ、その事実を人前で晒すのは恥ずかしいと思う人間が多いそうです。それこそ本人が気にしなければいいような問題で、私としてはやや自意識過剰ではないかと思ってしまいます。私なんか常に一人で130円のわかめうどんを食って過ごしてたんだし。

 この便所での昼食は本人の自意識過剰、言い換えるならば反応過剰ですが、これとちょうど逆の好例となるのが「はしの持ち方」です。恐らく日本人なら誰でも一回は「はしの持ち方」について注意されたりしたりした事があるでしょう。もちろんきれいな持ち方であるに越したことはありませんが、私としては人それぞれに使いやすい持ち方があるのだからいちいちそんな細かい所まで突っ込む必要はないだろうと常に思っています。第一、こんなの正解なんてあってないようなものなのだし。

 これら便所メシとはしの持ち方はちょうど比較するのにいい例でこのまま説明しますが、便所メシは当人による周囲に対する過剰な反応で、はしの持ち方は周囲に対する過剰な期待(要求)であり、この様に日本人は何事に関しても他国と比べて他人との接触で受けるストレスと与えるストレス両方が異常に大きい、ドラクエでいうなら特技の「すてみ」を常に使っている状態に近いのではないかと私は考えております。こんな風に考えるのもただ単純に私が周りを気にせず自分勝手な性格だからとも言えるかもしれませんが、少なくとも自分が外国で見たり相手したりした外人(同じアジアの中国人を含む)と比べると、現代の日本人と韓国人は特にこの傾向が強いように思えます。

 もちろんこれには地域によっても差があり、関西と関東ではいろいろと比較すべき点も数多いのですが、この反応と期待というのは両方とも一心同体的な部分があり、卵が先か鶏が先かの議論になってしまいますが、過剰に気を使ってくれるから要求がでかくなったり、相手の要求が過剰なために必要以上に気を使うようになったりと、どっちか片っ方が大きくなるともう片っ方も大きくなる傾向があります。

 ここでまた別の例を出しますが、日本が他国と比べて圧倒的、それこそ比較にならないほど多いものの一つに、駅員などに対する暴力があります。これまた大分昔に書いた「日本人の欠点」の記事にても取り上げていますが、電車が遅延したりした際に日本人は駅員に対して猛然と暴力を振るう傾向が強くあります。実際に阪急でバイトしていた友人らもみんな殴られた経験があると言っていましたし、電車が止まっているからといって駅員に対して怒鳴り続けるおっさんやおばさんを私も何度も見ています。

 何故日本人がここまで駅員に対して暴力的になるのかと言えば、原因は複数あれども大きなものの一つに「電車は時間通りに運行して当たり前」という前提意識が強く働いているからだと思えます。そんな風に考えるものだから一分でも遅れようものなら、「待ち合わせに遅れる!」などと怒鳴りつけるし、またそのように乗客が強い期待をかけるものだから鉄道各社も時間に対して非常に正確に努めるようになり、どんどん正確になるもんだからますます遅れようものなら乗客は怒り出して……。

 このように反応と期待は回を重ねるごとに互いに大きくなる事はあっても、小さくなる事はほとんどありません。なにもこんな大きな例を出さずとも、前のデートでは手をつないでくれたから今度はチューが来るだろうと青春期の男の子なら誰でも考えるでしょうし、冷静に考えるならばごくごく当たり前の話です。
 しかし日本の場合はそれがすでに突き詰める所まですでに来ており、互いの反応と期待があまりにも大きいものだからストレスフルな社会となっているのではないかというのが私の意見です。次回は具体的な事例を出しつつ、どうすればこのストレスのチキンゲームから脱する事ができるのかという私案をご紹介します。

2009年12月11日金曜日

内戦状態の日本 その一、導入

 今日は金曜日ですが、この一週間は移動という面で大変な一週間でありました。というのも月曜から金曜まで冗談抜きで毎日東京近郊の鉄道路線が通勤通学のラッシュ時にどこかしら遅延や運行中止になり、止まった路線に止まらず振り替え輸送などによって周囲の路線でもいつもより混み合うといった現象が続いた一週間でした。水曜日には私の使っている路線が見事に止まってしまい、すぐ復旧するかと思っていたら結局二時間の足止めとなってしまいました。

 そんなわけで鉄道各社、並びにバッティングした人にとってはまさにてんやわんやの一週間でしたが、その遅延や運行中止の原因というのが私が確認した限りすべて人身事故によるものときたものだからまたやりきれません。人身事故と書けばただ単に電車に接触して肩とか腕に怪我をしたというのももちろん含まれますが、基本的には飛び込み自殺が原因と見てほぼ間違いないでしょう。この一週間に限れば遅延の程度もさることながら私が二時間足止めを受けた際にも現場検証が行われているとの放送がありましたし、またこの師走という時期を考えると飛び込み自殺が増えるのも無理がないかと思われます。

 それにしてもこの一週間、下手すりゃ来週以降も飛び込み自殺が続くと言うのであればいくらなんでも異常としか言いようがありません。もちろん去年より続く不況の影響というものが主要因であろうことは予想に難くありませんが、このところ私は不況不況と言われつつも、こうして毎日電車が人身事故で止まるというのはもはや日本人の精神構造や社会価値観に病理というか、大きな欠陥があるためではないかと考えるようになってきました。

 今年はまだ終わっていませんが、ここ十年と同じく今年も自殺者数は三万人を超え、下手すれば過去最悪の数になるかもしれないとの予測が早くに飛び交っております。また自殺というのは案外成功し辛い行為であって自殺成功者の影には約十倍もの未遂者が統計に隠れて存在すると言われており、仮にそうであるとすると日本では毎年三十万人以上も自殺を図っているという計算になります。
 また自殺行為に密接に関わるうつ病についても、政府もあれだけ予算使って対策を取っているにもかかわらず発症者数の伸びに一向に歯止めがかかりません。

 日本の自殺率(十万人辺りで何人自殺するかという割合)は恐らくまだ変わってないでしょうが、ちょっと前の統計では世界で九位でした。日本よりまだ八カ国も自殺率の高い国があるとはいえ同様に自殺率の高い韓国と並んでその国の規模からするとこの数字はやはり異常で、政府としても対策としてかなり前からカウンセラーや精神病院を設置するなど行ってきましたが、そういった対策によって認知件数が増えた結果とも見ることが出来ますが、今のところはずっと減少せずに伸び続けております。

 こうした精神医学面からの対策がどうして効果を出さないのかということについてこの頃よく考えてはいるのですが、あくまで私の見方として、こうした自殺やうつ病と言った問題は一見すると個人が抱える問題と思われがちですが、実際には個人を超えた日本人社会に何かしら問題があるのではないかと見ています。そして仮にそうであれば、いわば日本人は互いに互いを自殺やうつ病に追い込みあっていると言う事になります。

 こういった状況を踏まえて我ながら過激なタイトルをつけてしまいましたが、私は今の日本社会はもはや内戦状態にあるといっても差し支えないのではないかと考えております。現に一年間で見ればイラクでの米兵の死者数を日本の自殺者数は超えており、自殺者を戦死と捉え、自殺未遂者やうつ病など精神疾患を抱えた人を戦傷と捉えるならば、日本は相当規模の戦争を毎年継続して、しかも日本人同士で行っていることとなります。

 では一体何故、このストレスという武器で攻撃しあう内戦が起こるのか、またどうすればこの内戦を終結させる事が出来るのか、そういった点について明日明後日と短期集中で私の意見を紹介使用と思います。今日はあくまで導入で切り上げますが、元々自殺を社会学的なデュルケイムというフランス人が分析したことで社会学が名を挙げたということもあり、個人の視点で分析する心理学もさることながら社会学もこういった分野へどんどんと研究を広げていくべきではないかと考えております。

2009年12月9日水曜日

見上げた後輩の話

 時間がないのでまたどうでもいい私の昔話ですが、私は今でこそ訳のわからないことを毎日ブログに書き綴っているものの、こう見えても中学と高校時代は水泳部に所属していました。水泳というものは基本的に個人競技なので水泳部内は運動部としては拘束も緩く気楽な部活なのですが、夏休み前後ともなるとシーズンという事で部員揃って参加する大会も増えていき、一匹狼の集まりみたいな水泳部でもこの時ばかりは同じ学校の選手が出場するレースにみんなで応援をしたりします。それでもみんなやる気なかったけど。

 この話はそんな水泳大会の一つに私が中学三年生だった頃に参加した時の話ですが、夕方になって大会も無事終わり、私の部活内でも解散となったので家路に着こうと近くの駅に私一人で向かった所、その駅にてなにやら今年水泳部に入った一年生が右往左往しているのが見えました。向こうはまだこっちに気がついておらず、面識もほとんどないんだしそのまま無視して帰っても良かったのですが一応声をかけてみたところ、その一年生は帰り方がわからずに困っていました。

 少し内容を詳しく説明すると、その日大会があった会場は二つの別々の路線に挟まれた場所にあり、その一年生と私は別々の路線の駅からその日会場に来ていました。ところが朝に会場へ来る際にその一年生は友達同士で来ていたようなのですが、帰りはうまいこと友達たちと合流する事が出来ず、一人で目的の駅へ向かおうとしたら見事に逆方向の駅へとたどり着いてしまっていたというわけです。

 もちろんそこから本来帰るべき駅へ戻ればいいだけの話なのですがその一年生は逆方向に来てしまうなどただでさえ周辺の地理に疎く、また着いてしまった駅から電車に乗って無理やり自宅に帰ろうものなら大回りになってしまい、割り増し分の電車賃を払えるだけのお金も持っていませんでした。そんなわけで一人でパニクっていたのですが、さすがにほとんど面識がないからといって見捨てるわけにも行かず、私の所持金から五百円玉を抜き取ってその一年生に渡し、こう言いました。

「いいか、このお金でそこの駅前から出ているバスに乗るんだ。あそこから出ているバスなら反対側の本来君が乗るべき路線の駅に行ってくれるから道に迷う事もない。出来れば一緒についていってやりたいが、さすがにそこまでついていくと今度は俺が帰れなくなる」

 そういって乗るべきバス亭まで連れて行ってバスに乗るところまで付き合ったのですが、次の日の部活にはまた元気に来ていたのでまぁ無事に家に帰れたようです。
 ただ私もあまり面識がない一年生ですし、向こうとしても一個上の二年生ならともかく三年生の私となると接触も少なく、またこっちの名前も知らないのだから渡した五百円玉は返ってこないだろうと私は踏んでいました。元々そのお金は私の親が緊急用に持たせていたお金だったのでわざわざ請求するほどでもないし、無事に帰れたのだからそれで良いだろうと私も気にせずにそのまま過ごしていました。

 それから一年後、付属の高校でも水泳部に入っていた私はその年の夏休み、本音ではあまり参加したくなかったけど夏休みの合宿に参加しました。合宿は自由参加だったのでそれほど参加人数は多くなかったのですがその中に例の元一年生も参加しており、なんとはなしに去年はあんなことあったなと遠目に見ていたら向こうも私に気がつき、就寝前に私に話しかけてきました。

「去年のあの時は本当にありがとうございました。これ、大分遅れてしまいましたが借りていた五百円をお返しします」

 話を聞くと向こうも向こうで気になっていたらしいのですが、私が一切接触しないもんだからなかなか切り出せず、こうして合宿で一緒になってようやく言い出せたそうです。まぁ元はといえば、何も声をかけようとしなかった私が一番問題なのですが。
 ただこの一年生(もうその頃は二年生だけど)もしっかりと一年も昔のことを覚えていて、確かに遅れたものの律儀にお金を返しにきたということに私は素直に感心しました。こっちなんか返せなんて一言も言わなかったし。

 その後この一年生は生徒会にも入って活動するようになったのですが、この一件での彼の律儀さを知っていたので彼ならきっとしっかりと活動してくれるだろうと、陰ながら温かい目で見守っていました。世の中、中々捨てたものじゃないなと私に思わせてくれた後輩でした。すぐに私より背が高くなったのは気に食わなかったけど(゚⊿゚)

2009年12月8日火曜日

鳩山邦夫氏、母親からの資金提供を認める

 テレビニュースなどでも速報が行われていますが、鳩山邦夫氏が現在献金偽装疑惑のある鳩山由紀夫首相と同様に、自身の政治団体にも実母から資金提供があったことを公に認めました。

<鳩山邦夫氏>実母からの資金提供 贈与税納める考え示す(毎日新聞)

 ちょっと前に書いた記事でこの問題について私も全体構図を見立てていましたが、大まかな所ではその見立て通りに事実が動いてきました。もし鳩山首相への偽装献金の原資が母親からならば弟の邦夫氏もきっともらっているはずで、もし邦夫氏がその事実を知っているのなら正直すぎる人だから口に出してしまうので、それがないことは邦夫氏は今まで知らなかった可能性が高いのでは、と書きましたがやっぱりそんな具合だったそうです。

 ただ邦夫氏が疑惑の追及を受けてすぐに事実を認めたのに対し、鳩山由紀夫首相の場合は選挙前に疑惑が発覚してから延々と六ヶ月も粘り続けております。この差は如何ともし難く、恐らく今後、首相への批判はこれまでに増して強まる事は確実でしょう。小泉元首相もちょっと前、献金疑惑で参院選まで鳩山政権は持たないと予言したくらいだし。
 それにしても、鳩山邦夫氏は次々と関わる人間を首相の座から引き摺り下ろすなぁ。

北京留学記~その二四、青島のサラリーマン

 また大分日が経ってしまいましたが、北京留学記の続きです。それにしても、年内には終わるかなこれ。
 前回まで私の留学中のクラスメート、そしてルームメイトなど非常に親しかった人間ばかり紹介しましたが、今回はこれまでと違って旅先で一回だけしか会わなかった、年のころは四十前後の青島のサラリーマンとの話をご紹介します。

 その人と会ったのはこの後にも紹介しますが、学校の冬休み中に私が単独で行った南京、上海旅行からの帰りの列車でした。この旅行自体が結構無茶な日程を組んで行った旅行だったために、上海から北京への帰路に付く頃には腹を下すなど体調的には非常に悪い状態でした。ですので本音ではケチりたかったのですが、恐らくそうそう乗る機会も少ないのだから思い切ってこの時に使った寝台列車の中で一番良い席(軟臥)を予約して列車に乗ったところ、相部屋の相手になったのがこの青島(チンタオ)のサラリーマンでした。

 まず最初に口を開いたのは相手の方からで、列車が出発してしばらくしたころに私の不慣れな発音に興味を持ったのかどこからきたのだと話し掛けてきました。そこで私が北京だと答えた所、外国人だろ、どこの国かと聞いているんだと改めて聞き返されてしまいました。そりゃま、そうだろう。
 それで私が日本人だと答えるや、彼が機嫌が急に良くなりました。というのも彼の奥さんは中国人ではあるものの日本語が出来る方らしく、また彼自身の青島の仕事でも日本人と接する機会が多いために日本に対して親近感を持っていたようです。

 そんなかんだで旅の道連れはなんとやら、途中折々で辞書を引きつつ、メモに言いたい事を漢字を書いてもらいつつこのサラリーマンとあれやこれやと話をしたのですが、この時まず最初に話題になったのは青島の話でした。
 私が青島には日本人は多いのかと聞いた所、彼はすぐに「多い」と答え、海路で見るならば日本に近いという地理的条件から日本向けの製品を作る工場が林立しており、そのため会社から派遣される日本人も数多く済んでいるとの事でした。それら日本人会社員は大体二年から三年間中国に赴任すると日本に帰ることが出来、帰国後には出世するという事も教えてくれました。前々から聞いてはいましたが、やはり数年の海外赴任、とくに中国ではそれ自体が出世の条件となっているのはどこも同じのようです。
 そのあと続いて韓国人も青島に多くいるのかどうかと聞いてみるとやはり多いと返ってきて、韓国でも中国に製品工場持つ会社が多いと話してくれました。

 そんな風に話していたところ、やおらむこうから、お前は大学生なのかと聞いてきました。当時学生だった私はすぐにそうだと答えると大学名も続けて聞かれたので、私立の○○大学答えると、日本で私立大学だとここがすごくいい所なんだろうと、漢字でメモに「早稲田」と書いてきました。なんでも、ここがすごいって知り合いの日本人に聞いたそうですらしい。
 いい機会なのでこの時に他に日本の大学で知っている所はとさらに詳しく聞いてみた所、東大と京大、そして早稲田と慶応と挙げてきました。やはり海外に知名度のある日本の大学と来るとこの四つといったところでしょうか。

 と、ここまで話して、少し思い当たる事が出てきたので、今度は私からこんな事を聞いてみました。
「子供はいるんですか?」
「いるよ。今はまだ中学生だ」
 なんでも家族は青島にいるらしく、今回は北京に出張で来ているらしいのですが、子供の話をしたときに少し顔が曇ったように私は感じました。あくまでこれは私の推量ですが、現在中国で大きな問題の一つとして子供の教育費の問題があります。大学進学までを考えたら相当な額が必要となるため、ちょうど日本の大学の話を下ばかりだったので息子のこれからの教育を考える上での苦労を垣間見せたのかもしれません。

 話は戻って先ほどの出張で北京に行くという話ですが、この時私達が乗っていた列車は上海―北京間を結ぶ夜行列車だったのですが、この列車はなんでもつい最近出来たもので、これが出来て非常に便利になったと語っていました。
 この上海―北京間は日本で言うとそれこそ東海道新幹線の大阪―東京間に相当する区間で、それだけにこの区間の特急列車は需要が高いために年々スピードアップが図られているらしいそうです。

 そんな具合でだんだんと仲良くなっていったので、後半にてちょっと思い切った質問をぶつけてみた。
「最近、日中は仲が悪いけど……」
「気にするな。あれは政府がやっている事だ」
 恐らく私以外にも中国人に直接聞いてみたいと思っている方が多い質問でしょうが、この質問に対して彼はなんでもないというような態度で反日感情は持っていないと答えました。

 少し分析的な見方をすると、彼は青島でサラリーマンをやっている人間であり、職業柄、日本人と付き合う事も多い人間です。日本人でもそうですが実業に近い人間ほど中国に対して親近感を持つ傾向が強く、逆に、学術系、教師や大学教授、もしくは実業とは離れている主婦などは中国を胡散臭く思う傾向があるように感じます。この青島のサラリーマンもこの例に当てはまり、政冷経熱の名の通りに日本に対して反感を持っていなかったのかとも見ることが出来ます。
 
 このように長々話をしていたのですが、最終的には不調だった私の体調がダウンして11時くらいにお互いに布団に入る事にしました。その後列車が北京駅に着いて地下鉄に乗るまでは一緒にに行動しましたが、地下鉄の駅で向かう方向が別れるためにそこで別れました。彼は別れる際に、
「さて、仕事だ」
 と、朝も早くからそういい残し、最後はお互いに握手を交わして別れました。サラリーマンは日中双方で、どこも変わらないと感じた瞬間でした。

2009年12月7日月曜日

COP15を巡る駆け引きと鳩山宣言

 鳩山首相が就任直後に向かった遊説先のアメリカにて、CO2排出量をを90年基準で2020年までに25%も削減すると発表し、国内外において賛否両論、というよりは、「そんなの出来っこない」という大ブーイングを招いたのは記憶に新しいかと思います。私も当時にこのブログにてその発言を取り上げましたが、どうせ欧州諸国も目標を立てたところで達成できる国などほとんどないだろうから、一時とはいえ言うだけ言って注目を浴びただけでも良かったのではないかと、やや肯定的にこの鳩山宣言を評価しました。

 しかし世の中とはなかなか広いもので、イタリア史作家の塩野七生氏は文芸春秋のコラムにて鳩山氏のあのCO2削減宣言について以下のように評していました。
 塩野氏はアメリカを始めとした先進国、中国を始めとした発展途上国(最近なんだか新興国と言う表現を使うようになってきたけど)に先駆けて、日本は環境問題に真剣に取り組むという姿勢を強く打ち出した鳩山氏のあの宣言は今後の日本の外交にとって大きなイニシアチブになるとまず褒め称えました。CO2の削減目標の達成の実現性については塩野氏もこれははっきりと無理だと言うものの、鳩山首相のあの宣言の冒頭に、「アメリカや中国が歩調を合わせるのならば……」という一文が混ざってあった事に着目し、要はこの二カ国が日本同様に削減目標を持たなければ実現しないでもよいという逃げ道があの宣言にはあるとして、今後はこの両国の参加という前提条件を他国が忘れないように繰り返し言い続けるだけで環境問題に対し、ほぼ無傷で国際社会で相応の地位が保てると分析していました。

 こう言われてなるほどと思い、もし塩野氏の言うような意図であの宣言を行ったと言うのであればなかなか大したもんだったとあの鳩山首相の宣言に対して私も見直したのですが、となると肝心になってくるのは前提条件となっているアメリカと中国の対応で、果たしてどんなものかと今日の世界の気候変動に関する会議である「COP15」を前々から楽しみにしていたところ、開催前には中国も具体的な削減目標を設定してくるという報道があったものの今日の会議においてはいつも通りに先進国がまずもって削減する必要があり、発展途上国はまだその段階にないとインドとともに主張してきました。このまま行けば、塩野氏の言うように日本の目標達成の前提条件は崩れてくれます。
 また日本側もなかなか周到なもので、会議開催前の昨日の段階にてすでに、「京都議定書の単純延長には調印しない」と発表しており、うまくいけばあの削減目標を無視しながらこれまで日本を縛ってきた京都議定書の呪縛から解き放たれる事ができるかもしれません。

 今日の段階でこのCOP15はこの調子だと何も決まらずに終わりそうだという事で、最終日に首脳同士の会合にて何らかの合意を得て終了するのではと報じられていましたが、開催直後の今日になって面白いニュースが飛びこんで来ました。

TBSの動画あり 約2週間以上のおくれで日本でも報道が始まった模様です

 上記リンクは相互リンク相手のdotcom07さんのページですが、このページにて紹介してあるニュースというのも世界の温暖化を始めとした気候変動の調査に対して権威のあるイギリスの研究所のメールが流出した所、温暖化にそぐわないデータの改竄やら隠蔽をほのめかす内容が多数見つかったそうです。時期も時期なのでこれは一種のブリティッシュジョークなのかと思うくらいのタイミングの良さですが、これからCOP15がどう転ぶか、またdotcom07さんの言うように日本のメディアがどう報道するか観察のし甲斐はあるかと思われます。

  追記
 その後中国はこのCOP15で、

「中国は過去15年間、単位GDP当たりの二酸化炭素排出を47%削減した。2010-2020年にはさらに40%-45%引き下げる」(サーチナ

 と一応目標を設定したようですが、単位GDP辺りって総量だといくらになるのか、多分その辺にいろいろロジックを組んでいるのを見越して各国も批判を行っているようです。

2009年12月6日日曜日

マルクスの疎外論

 随分昔に書いたと思ってたら書いていなかったので、ちょうど前回の記事で「空気に呑まれる」という事を取り上げたばかりなので疎外論についても紹介しておきます。

疎外(ウィキペディア)

 はっきり言って私のこの記事を読むよりもこの疎外論については専門に研究されている方も少なくないので、もしこの記事で疎外論に興味を持たれたのであれば是非他のサイトも訪れる事をお勧めします。

 それでは本題に入りますが、この疎外論というものを初めて提唱したのは社会主義経済学の祖であるカール・マルクスで、彼が提唱した経済学概念の社会主義経済こと共産主義はソ連の成立とその後の崩壊という大掛かりな実験によってすでに実現不可能であることが証明されてしまいましたが、この哲学分野に属する疎外論については未だなお価値が下がることなく学者達によって研究が続けられております。

 その疎外論がどのような概念かというと、単純に言うのならば人間が自分で作った概念やシステムに逆に振り回されてしまうといった所です。
 これは私がこの疎外論を説明するのによう使っている例えですが、ある会社で飲み会が開かれる事となり、幹事であるAさんは同僚に参加するかどうかを確認していたのですが、このAさんは同僚であるBさんのことを内心では快く思っていませんでした。ですのでAさんは出来ればBさんには飲み会に来てもらいたくないのですが、他の人間には誘っているのにBさんだけ誘わないと角が立ってしまうので仕方なく誘うとします。誘われたBさんも実はAさんのことを嫌っていたのですが、Aさんの誘いを断ってしまうとこちらもまた角が立ってしまうので、出来れば参加したくないと思いつつも参加すると答えてしまいます。

 この例えの場合、AさんもBさんもお互いに相手のことを嫌っていて飲み会のような場所で顔を合わせたくないと思っていながらも、飲み会に誘わなければ、参加しなければ角が立つと思うあまりに両者どちらにとっても望ましくない結果をわざわざ招いてしまいます。何故こんな結果になってしまったのかと言うと、AさんとBさんの両方に「飲み会に相手を誘わなければ、参加しなければ角が立つ」という概念があり、この概念があるがゆえにわざわざ気まずい思いをする事になってしまったというわけです。

 同じく飲み会ネタであれば、ちょうど今の時期くらいにある会社でシーズンという事で忘年会を企画するものの、みんな年末の忙しい時期にわざわざ会社のイベントに参加したくないと思いつつもさすがに忘年会に参加しないと協調性がないと思われると考え、結局誰も望まない忘年会にみんな参加してしまうというのも疎外の一例と見ることが出来ます。

 このように特定の概念や思想が人間の手の元を離れて逆に人間の行動をマイナス方向に支配、制限をすることを「疎外」と呼び、前回の記事で私が取り上げた「空気に呑まれる」のとは厳密にはちょっと違うかもしれませんが、みんな内心では良くないと思いつつも周りに合わせないと思うあまりにわざわざ誰にも望まれない行動を取ってしまうという点でほぼ同義の言葉だと私は考えております。

 マルクスは生前にこの疎外という概念を主に資本主義批判に適用して提唱していましたが、現実にこの考え方はなかなか良く出来たもので、現在においても社会問題を考察する上に役立つ概念であります。
 元々、経済というものは人間がみんなで便利に暮らすために作られた社会システムだったのですが、今や国会でもこの経済(資本主義)というシステムを維持するための対策が激しく議論が行われ、一企業レベルでも会社を存続させるために社員みんなで骨身を削ってまで働くなど、みんなで経済をどうにかしなければとあちこちで叫ばれています。自分達の生活を便利にさせるために作られたシステムであったはずなのに、リーマンショック以降は特に顕著ですが、経済を維持するために今や沢山の人間が犠牲になっている状況です。

 かつて共産主義は人間性がなく、血の通わない管理された経済システムであったがゆえに資本主義に敗北したと言われました。今の資本主義に人間の血が通っているかという問いにマルクスが生きていたらどう答えるのか、なかなか興味をそそられます。