さりげなく本店と出張所それぞれでブログパーツをこのところいじくっています。特に本店のBloggerの方で最新コメントを表示できるようになったのは非常にうれしく、何でこんな簡単なことが今まで出来なかったんだろうと我ながら不思議に思うくらいでした。
このコメントを表示するやり方自体は実はそれとなく知っていて半年くらい前にも一回試しているのですが、その頃は表示するアドレスの指定が悪かったのか何故かうまく動いてくれずあきらめていました。しかし改めて今回やってみると驚くほど簡単で、こんな簡単ならGoogle社も初めからブログパーツとして持っとけよと声を大にして言いたいです。
まず近況からですが、昨日は平日とはいえまたブログ更新をサボってしまいました。何でサボったのかと言うと折角買ったPS3を無線でインターネットにつなげようと作業していたのですが、二時間くらい粘った結果、どうやらうちの無線LAN親機ではPS3は電波をキャッチしてくれないと言う事がわかりました。もともとこの親機が親父が安物を適当に買ってきたもので、ノートパソコンにつなげる際も電波キャッチ用の子機が非常に限定されて苦労しているのでさもありなんなのですが。
またどうでもいい前置きが長くなりましたが、今日は一つ成人の日が近づいていることもあり、私が過去にやらかしたある事件を紹介しようかと思います。
こんなブログばかり書いている私ですがこれでも一応社会人で、成人式もすでに数年前にやり終えております。ただこの成人式、私の頃はまだ橋本大二郎が高知県知事をやっていた頃で、ちょうど各地で新成人が暴れて問題視されていた頃でした。幸いと言うか私の住んでいる自治体はベッドタウンということもあってそれほど荒れている地域ではないのでそうした心配はなかったのですが、私自身が中学校から地元と離れた私立校に進学した事から地元の知り合いともほとんど疎遠になり、出てもそれほど感慨に耽る事もないだろうと思って当初は参加は見送るつもりでした。
そのようなことを地元で唯一交友の続いていた友人と夏のある日にエキサイトステージ95をやりながら話してみた所、その友人も高校に進学して以降はそれほど地元の友人らと会うことはなくなり、私と似たようなものだよと話してくれました。それを聞いて、案外みんな似たようなものだったら知り合いがいないからなどと気にせず参加してもいいかと思い直すようになり、どうせ参加するのだったらそれこそ思い出に残る、もとい後年このブログで書けるネタになるような成人式にしてやろうと思い立ち、ある計画を企図するに至ったわけです。
当時、私は一年間のほとんどを京都で過ごしており、実家に帰省する際にだけ関東に帰っていました。京都から関東、このルートを辿った人間の中で誰が一番ピンと来るかと考えたらこの時の私の中で何故か近藤勇が出てきて、折も折で大河ドラマも「新撰組」が放映されていた頃なので、地元の人間は中学から外に出て行った私のことなど憶えているはずなどないのだから一つ思い切って派手に行こうと新撰組の格好で参加してみることを思い立ちました。
思い立ったが吉日、周りがさすがにそれはやめておけと言う中で私は独自に小道具の調達をし始めました。先程にも書きましたが当時の私は京都をメインステイトとしていたので、新撰組グッズとなればそれこそそこらへんの土産物屋でも十分なくらいに簡単に揃えることが出来、早速京極通りの親戚がやっていた店の近くの土産物屋に入り、いくつか必要な小道具をピックアップしていきました。
まず一番重要なのは羽織。これがなければ話になりません。そして羽織の次は鉢巻。鉢金となるとやり過ぎです。ひとまずこの二つを買って着てれば周りにも新撰組だとわかると思い、店のおじさんにわけを話して値切らせてもらう事にしました。
「実はこれ、次の成人式で使うんです」
「ほうほうそんで」
「羽織と鉢巻でどれくらいまかります?」
「兄さん、この二つでまけとったらわしら商売してかれへんで」
「折角の記念ですやん。気持ちだけでもお願いします」
「ほんま200円もまけとったら、わしら商売上がったりや」
こうして小道具を用意している最中、事を聞きつけたうちのお袋から電話でこんな事を言われました。
「あんた、羽織と鉢巻で下はどうすんのよ?」
「そんなんジーパンでええやん」
「ジーパンって、上下が合ってないじゃないの」
「そこまでこだわる必要ないやろ」
と電話で言い合いをした後、うちのお袋は私に内緒で年末に一万円くらいの袴のレンタルをしていました。当初は新撰組の格好ではなくスーツで行けと言っていたくせに、途中からはむしろ私以上に乗り気でした。
そうしてやってきた成人式当日。さすがにこの格好して一人うろつく勇気はなかったので、あらかじめ時間を指定して唯一交友のあるその友人と会場前で待ち合わせを約束していたのですが、車で親父に会場まで送ってもらう途中、「さすがにそれは置いていけ」と言われて中学生の頃に京都で買ったみやげ物の模造刀を腰に佩くのは断念しました。さすがにあれもついていると、暴れる新成人そのものだったし。
頭に「誠」の一文字が書かれた鉢巻を巻き、上は新撰組の羽織に下は袴姿な私を見た友人の第一声は、「本当にやってきたんだ(;´Д`)……」でした。私も最初は、まさか本当にやることになるとは思っていなかったのですが。
そして会場に入ると、それはもう周りから明らかに奇異の眼差しが自分に集まるのが手に取るようにわかりました。それこそ成人式会場とコスプレ会場を間違えて入ってきたような珍客に周りは明らかにドン引きしていましたが、先にも書いたようにそれほど荒れた地域ではないのと会場が関東だったので妙な絡み方をしてくる人間はいませんでした。仮にこれが関西の会場だったら、いろいろと絡んでくる人間がいるか誰も気にしないかの二択だったでしょう。
結局その後は市長の話を聞いて、昔馴染みの友人らに何人かに会って私の成人式は終わり、その日の夜には京都に戻りましたがやり終えてほっとしたの半分、あまり周りの反応が面白くなかったの半分でなんとなく消化不良気味に感じました。もう少し市の受付の人の反応とか欲しかったのですが、私が期待しすぎなのかもしれません。
ただこの時の私はレンタルしてきた袴を履きましたが、呉服屋にとっては一年で最も稼げるイベントということあって、成人式の是非を問う声もある中で必死にその必要性をアピールしているそうです。別に呉服屋をヨイショするわけじゃありませんが、一生に一回と言わず一年に一回くらいはみんなで和服を着る機会とかはあったほうがいいのではないかと個人的に思います。それこそ街中を新撰組の羽織着て自転車をかっ飛ばす人間がいても、誰も気にしないくらいに。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年1月8日金曜日
2010年1月6日水曜日
現代の中国の若者
前からやろうやろうと虎視眈々と機会を狙っていましたが今日念願叶ってインタビューに成功したので、中国の若者から聞いた彼らの実体について今日は記事を書きます。
今回私がインタビューを行ったのは、去年大学を卒業して就職したばかりで私と同じ会社にいる女性社員です。彼女は日系企業に就職しただけあって大学では日本語を専攻しており、流暢というわけではありませんが私とは日本語、中国語を織り交ぜれば問題なく意思疎通ができる相手です。聞くところによると在学中に日本語検定一級を取得したとのことで、我々からすると中国語検定一級を取るようなもんだから相当勉強したのだろうと思うのですが、彼女いわく一級取得はそれほど難しいわけでなく周りの友人らも一緒に取得しているとのことだそうです。ちなみにこの事実を「京橋のキムタク」と自称する上海人の友人に話したら、きっとカンニングをして取ったのだろうとやけに悔しがってました。
そんなわけで早速インタビュー内容を紹介しますが、今回私が主に聞いたのは中国の大学生活、そして卒業後の進路などについてです。
まず最初に聞いたのは、どうして彼女が大学で日本語を専攻したかです。私としてはやはり卒業後の就職などを考えてのことかと思っていましたが出てきた答えは興味があったからというだけで、特別な理由は何もなかったそうです。ちなみに彼女は未だに日本へは一度も渡航したことがありませんが、見たところ嘘をついているようにも見えなかったのでその後は深くは聞いたりしませんでした。
それでは大学の授業はどんなものかと聞いてみたところ、あらかじめ話には聞いていましたが中国の大学は基本的に午前中に授業が集中し、午後は授業があったりなかったり午前と午後ではっきり分かれるようです。私が留学していた北京の大学も基本は午前にしか授業がなく、午後は取りたい人だけが取るオプションの授業しかありませんでした。もちろん私は何も選ばなかったけど。
そしてこれはよくコメントくれるPrincessmiaさんから必ず聞きだせと言われていたので聞いてみた質問ですが、中国での英語の授業についても聞いてみました。前知識として私は近年の中国では英語熱が高まって学外の英語塾などに通う小中学生が増えていると聞いていたのですが、一体何故英語熱が高まっているのかというと中国が海外との交流が増えてきたのもあるでしょうがそれ以上に、単純に受験で有利になるという理由が実際のところは大きいと言われています。中国全土が同じというわけではないですが確か北京市においては日本で言う英検みたいな資格をある級以上持っていると高校受験での英語の試験は免除され、事実上英語の点数が満点で計算された上で入学試験を受けられるようになるそうです。そのため小中学生の子供を持つ親は必死で子供に英語を教え込むそうですが、勢いあまってスパルタ教育化しているところも少なくありません。
そんなわけで実際のところはどうだ、英語の授業はどんな感じかと聞いてみたらそんなに日本と変わらず、他の科目同様に課題文読みながら先生が解説してくれるだけだそうです。ただ英語、というよりすべての科目についてもそうだと言い、基本的に高校の勉強は日本語で言う詰め込み型教育で応用が全くないとやや憤慨気味に述べてました。そのため英語については中国の大学生は受験知識は豊富でも会話となったらてんでお話にならないそうで、そんなに中国人は英語がしゃべれないと話していました。
この点については私も深く同意するところで、このまえコーヒー用の砂糖を買いにスーパーに行ったら砂糖の発音をど忘れして、英語でSugerといっても店員には通用しませんでした。結局自分で見つけたけど。
で、ここからが肝心ですが卒業後の進路についても聞いてみました。近年、日本は不況から新卒就職率がかつての就職氷河期を越えるほどの悪化の一途を辿っておりますが、実は中国の大学卒業者も就職先がなかなか見つからず実困る人が多いそうです。中国は経済成長しているからそうではないだろうと思われるかもしれませんがなんといっても母数の人口が桁外れであるがゆえに、全員に就職先が行き渡る事はほとんどないそうです。
それでは今回インタビューをした彼女はどうだったのかというと、案外簡単に今の会社に決まったそうで、面接して三日後にすぐ内定もらえたと言っていました。中途だけど私なんか面接したその日にもらったが。
ではほかの学生はどうかと聞くと、やはりそんなに就職活動がうまくいかずストレスを抱える学生が多いそうです。念のためほかの日本語学科の友達らはどうなったか聞いてみると、大学寮で同じ部屋(八人部屋)だった友達らは大概見つかったようで、勤務地はばらけて北京や上海といったところから内陸の河南省とか広州だったりと均一ではないそうです。
ここまで聞いた上で、「嫌なら話さなくていい」と前置きした上で、その友達らの給料はどれくらいかと聞いてみました。これは婉曲的にインタビューを行っている彼女を含む大卒初任給について聞いているのですが案外素直に答えてくれて、確実にわかっているので月1500元(約19,400円)とか2000元(約24,000円)くらいだと教えてくれました。
元々、中国の大卒初任給2000元前後と聞いていたので情報通りといえば情報通りですが、その一方で中国沿岸部の企業であればもう少し高いのではないかと内心考えていました。しかし実際には比較的生活費のかかる沿岸部でもこの金額とのことで、日本の大卒初任給と比べると為替格差もありますがやはりその少なさにはいろいろと考えさせられます。
ちなみに日本人が中国に転職する場合、知識や経験なしである程度中国語が話せる人間の給料の相場は北京や上海だと大体8000元(96,000円)前後です。かつては日本語ネイティブなら引き手あまたで中国語もある程度できるのであれば20,000元の募集もざらだったそうですが、最近はおしなべて低くなって来ている傾向があります。それでもこのような一般の中国人社員の給料と比べると、ここまで差があるものかと感じざるを得ません。
こんな具合でいろいろ話を聞いたのですが、最後に通っていた大学は地元出身者が多いのかと聞いた際に確かに同じ省出身者は多いが自分のように外から来る人もいると話したので、試しに都市戸籍か農村戸籍かと聞いてみたら以前は農民戸籍、つまり農村出身者だということを教えてくれました。前から田舎っぽい顔してるよなぁと思ってたので得心したわけですが、彼女によると大学に進学してくるのは農村出身者も少なくないそうです。
また機会があれば彼女にほかにもいろいろ話を聞いてみたいと思うのですが、週末に例の京橋のキムタクと会う予定になっているのでそいつの話が先になるかもしれません。
今回私がインタビューを行ったのは、去年大学を卒業して就職したばかりで私と同じ会社にいる女性社員です。彼女は日系企業に就職しただけあって大学では日本語を専攻しており、流暢というわけではありませんが私とは日本語、中国語を織り交ぜれば問題なく意思疎通ができる相手です。聞くところによると在学中に日本語検定一級を取得したとのことで、我々からすると中国語検定一級を取るようなもんだから相当勉強したのだろうと思うのですが、彼女いわく一級取得はそれほど難しいわけでなく周りの友人らも一緒に取得しているとのことだそうです。ちなみにこの事実を「京橋のキムタク」と自称する上海人の友人に話したら、きっとカンニングをして取ったのだろうとやけに悔しがってました。
そんなわけで早速インタビュー内容を紹介しますが、今回私が主に聞いたのは中国の大学生活、そして卒業後の進路などについてです。
まず最初に聞いたのは、どうして彼女が大学で日本語を専攻したかです。私としてはやはり卒業後の就職などを考えてのことかと思っていましたが出てきた答えは興味があったからというだけで、特別な理由は何もなかったそうです。ちなみに彼女は未だに日本へは一度も渡航したことがありませんが、見たところ嘘をついているようにも見えなかったのでその後は深くは聞いたりしませんでした。
それでは大学の授業はどんなものかと聞いてみたところ、あらかじめ話には聞いていましたが中国の大学は基本的に午前中に授業が集中し、午後は授業があったりなかったり午前と午後ではっきり分かれるようです。私が留学していた北京の大学も基本は午前にしか授業がなく、午後は取りたい人だけが取るオプションの授業しかありませんでした。もちろん私は何も選ばなかったけど。
そしてこれはよくコメントくれるPrincessmiaさんから必ず聞きだせと言われていたので聞いてみた質問ですが、中国での英語の授業についても聞いてみました。前知識として私は近年の中国では英語熱が高まって学外の英語塾などに通う小中学生が増えていると聞いていたのですが、一体何故英語熱が高まっているのかというと中国が海外との交流が増えてきたのもあるでしょうがそれ以上に、単純に受験で有利になるという理由が実際のところは大きいと言われています。中国全土が同じというわけではないですが確か北京市においては日本で言う英検みたいな資格をある級以上持っていると高校受験での英語の試験は免除され、事実上英語の点数が満点で計算された上で入学試験を受けられるようになるそうです。そのため小中学生の子供を持つ親は必死で子供に英語を教え込むそうですが、勢いあまってスパルタ教育化しているところも少なくありません。
そんなわけで実際のところはどうだ、英語の授業はどんな感じかと聞いてみたらそんなに日本と変わらず、他の科目同様に課題文読みながら先生が解説してくれるだけだそうです。ただ英語、というよりすべての科目についてもそうだと言い、基本的に高校の勉強は日本語で言う詰め込み型教育で応用が全くないとやや憤慨気味に述べてました。そのため英語については中国の大学生は受験知識は豊富でも会話となったらてんでお話にならないそうで、そんなに中国人は英語がしゃべれないと話していました。
この点については私も深く同意するところで、このまえコーヒー用の砂糖を買いにスーパーに行ったら砂糖の発音をど忘れして、英語でSugerといっても店員には通用しませんでした。結局自分で見つけたけど。
で、ここからが肝心ですが卒業後の進路についても聞いてみました。近年、日本は不況から新卒就職率がかつての就職氷河期を越えるほどの悪化の一途を辿っておりますが、実は中国の大学卒業者も就職先がなかなか見つからず実困る人が多いそうです。中国は経済成長しているからそうではないだろうと思われるかもしれませんがなんといっても母数の人口が桁外れであるがゆえに、全員に就職先が行き渡る事はほとんどないそうです。
それでは今回インタビューをした彼女はどうだったのかというと、案外簡単に今の会社に決まったそうで、面接して三日後にすぐ内定もらえたと言っていました。中途だけど私なんか面接したその日にもらったが。
ではほかの学生はどうかと聞くと、やはりそんなに就職活動がうまくいかずストレスを抱える学生が多いそうです。念のためほかの日本語学科の友達らはどうなったか聞いてみると、大学寮で同じ部屋(八人部屋)だった友達らは大概見つかったようで、勤務地はばらけて北京や上海といったところから内陸の河南省とか広州だったりと均一ではないそうです。
ここまで聞いた上で、「嫌なら話さなくていい」と前置きした上で、その友達らの給料はどれくらいかと聞いてみました。これは婉曲的にインタビューを行っている彼女を含む大卒初任給について聞いているのですが案外素直に答えてくれて、確実にわかっているので月1500元(約19,400円)とか2000元(約24,000円)くらいだと教えてくれました。
元々、中国の大卒初任給2000元前後と聞いていたので情報通りといえば情報通りですが、その一方で中国沿岸部の企業であればもう少し高いのではないかと内心考えていました。しかし実際には比較的生活費のかかる沿岸部でもこの金額とのことで、日本の大卒初任給と比べると為替格差もありますがやはりその少なさにはいろいろと考えさせられます。
ちなみに日本人が中国に転職する場合、知識や経験なしである程度中国語が話せる人間の給料の相場は北京や上海だと大体8000元(96,000円)前後です。かつては日本語ネイティブなら引き手あまたで中国語もある程度できるのであれば20,000元の募集もざらだったそうですが、最近はおしなべて低くなって来ている傾向があります。それでもこのような一般の中国人社員の給料と比べると、ここまで差があるものかと感じざるを得ません。
こんな具合でいろいろ話を聞いたのですが、最後に通っていた大学は地元出身者が多いのかと聞いた際に確かに同じ省出身者は多いが自分のように外から来る人もいると話したので、試しに都市戸籍か農村戸籍かと聞いてみたら以前は農民戸籍、つまり農村出身者だということを教えてくれました。前から田舎っぽい顔してるよなぁと思ってたので得心したわけですが、彼女によると大学に進学してくるのは農村出身者も少なくないそうです。
また機会があれば彼女にほかにもいろいろ話を聞いてみたいと思うのですが、週末に例の京橋のキムタクと会う予定になっているのでそいつの話が先になるかもしれません。
菅直人氏の財務相就任について
すでに各所のニュースでも報じられていますが、昨日より体調不良のためその去就が取り沙汰されていた藤井財務相が本日正式に辞任することが鳩山首相より発表され、藤井氏の後任に現副総理の菅直人氏が就任する事が合わせて発表されました。
我ながら細かい所をいちいち突っ込むことはわかっているのですが、どのメディアも昨日の段階で藤井氏の続投は難しいだろうという予想を立てている中で何故か時事通信だけが、「鳩山首相、藤井財務相の続投表明」という見出しの記事を出して大きく予想を外していました。本人らもよっぽど慌てたのか、昨日に出した記事なのに今朝にはもう引っ込めて削除してましたけど。
それはともかく今回の藤井氏の辞任は個人的には残念と言えば残念ですが、なかなかに民主党の危機管理はよく出来ていると感心もしました。昨日の会見にて藤井氏は健康問題で鳩山首相と会談したとだけ話し、去就についてしつこく尋ねる記者に対して医師の診断が出てからだとはっきりと言明することはありませんでした。また鳩山首相も時事通信が言ってたのとは違ってあくまで相談を受けたとだけ話し、藤井財務相同様にはっきりとした発言をうまく避けていました。
そんな昨日の今日に至って藤井氏の正式な辞任を発表した上で後任人事に菅氏を置き、菅氏の現在のポストである国家戦略相の後釜には仙石氏を持ってくるなど、準備万端で鳩山首相は今回の人事交代をうまく進められたと言っていいでしょう。これが自民党だと昔ならいざ知らず、国務大臣が辞任することを発表する段階でも後任人事が決まっていなかったりして、そういうのと比べると今回は久々にすんなりいったというかスマートな印象を受けました。
ただこれまた細かい所を突っ込んどくと、以前に書いた「小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について」の記事にて書いている小沢氏の政党助成金の流用に当時自由党議員であった藤井氏も噛んでいると文芸春秋は報じており、もしかしたら今後司直の手が伸びる前にあらかじめ藤井氏を切ったというのが真相なのかもしれません。新聞メディアはこの助成金流用のネタ元が文芸春秋だから、恐らく明日の朝刊では一切触れないかと思いますが。
私は小沢氏の疑惑について、去年の前半に持ち上がった西松建設がらみの迂回献金疑惑については自民党の国策捜査で、尾身議員や二階議員を始めとしたたくさんの自民党議員らも同じ経路にて献金を受けていたのでそれほど違法性は感じませんでしたが、この政党助成金の件は小沢氏政治団体が疑惑の土地を購入した時期とピタリと一致している事から、はっきり言って違法性の高い行為を本当にやっているかと思います。
ただ果たしてこの件の捜査が次回参議院選挙まで一定の目処が立つかどうか、それもまた微妙だという気もします。というのも検察も現在すねに傷を抱えており、前の厚生省女性局長の逮捕があまりにも強引過ぎたため、早くも本当の狙い目だった石井一民主党参議院議員の名前入りでこんなニュースが出てきています。
・<郵便不正>「村木被告からの指示」否定 元係長証言へ(毎日新聞)
民主党としてはこの件で検察内部で無理やりに事件を作ろうとした人物を締め上げる事でいくらでも検察組織を攻撃する事が出来、そうした動きを抑える代わりの取引が行われるかもしれません。まぁその取引相手が誰になるかまではまだはっきりしませんが。
今年前半の政治の動きはほぼすべてが夏の参議院選挙に直結しており、選挙を視野に入れればいろいろ見えてくる動きもあるかと思います。このブログとしても選挙期間はやけにアクセスが増える傾向にあるので、うまいことその波に乗れたらと思いつつ、またしても散文のようなまとまりのない記事となったわけです。
我ながら細かい所をいちいち突っ込むことはわかっているのですが、どのメディアも昨日の段階で藤井氏の続投は難しいだろうという予想を立てている中で何故か時事通信だけが、「鳩山首相、藤井財務相の続投表明」という見出しの記事を出して大きく予想を外していました。本人らもよっぽど慌てたのか、昨日に出した記事なのに今朝にはもう引っ込めて削除してましたけど。
それはともかく今回の藤井氏の辞任は個人的には残念と言えば残念ですが、なかなかに民主党の危機管理はよく出来ていると感心もしました。昨日の会見にて藤井氏は健康問題で鳩山首相と会談したとだけ話し、去就についてしつこく尋ねる記者に対して医師の診断が出てからだとはっきりと言明することはありませんでした。また鳩山首相も時事通信が言ってたのとは違ってあくまで相談を受けたとだけ話し、藤井財務相同様にはっきりとした発言をうまく避けていました。
そんな昨日の今日に至って藤井氏の正式な辞任を発表した上で後任人事に菅氏を置き、菅氏の現在のポストである国家戦略相の後釜には仙石氏を持ってくるなど、準備万端で鳩山首相は今回の人事交代をうまく進められたと言っていいでしょう。これが自民党だと昔ならいざ知らず、国務大臣が辞任することを発表する段階でも後任人事が決まっていなかったりして、そういうのと比べると今回は久々にすんなりいったというかスマートな印象を受けました。
ただこれまた細かい所を突っ込んどくと、以前に書いた「小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について」の記事にて書いている小沢氏の政党助成金の流用に当時自由党議員であった藤井氏も噛んでいると文芸春秋は報じており、もしかしたら今後司直の手が伸びる前にあらかじめ藤井氏を切ったというのが真相なのかもしれません。新聞メディアはこの助成金流用のネタ元が文芸春秋だから、恐らく明日の朝刊では一切触れないかと思いますが。
私は小沢氏の疑惑について、去年の前半に持ち上がった西松建設がらみの迂回献金疑惑については自民党の国策捜査で、尾身議員や二階議員を始めとしたたくさんの自民党議員らも同じ経路にて献金を受けていたのでそれほど違法性は感じませんでしたが、この政党助成金の件は小沢氏政治団体が疑惑の土地を購入した時期とピタリと一致している事から、はっきり言って違法性の高い行為を本当にやっているかと思います。
ただ果たしてこの件の捜査が次回参議院選挙まで一定の目処が立つかどうか、それもまた微妙だという気もします。というのも検察も現在すねに傷を抱えており、前の厚生省女性局長の逮捕があまりにも強引過ぎたため、早くも本当の狙い目だった石井一民主党参議院議員の名前入りでこんなニュースが出てきています。
・<郵便不正>「村木被告からの指示」否定 元係長証言へ(毎日新聞)
民主党としてはこの件で検察内部で無理やりに事件を作ろうとした人物を締め上げる事でいくらでも検察組織を攻撃する事が出来、そうした動きを抑える代わりの取引が行われるかもしれません。まぁその取引相手が誰になるかまではまだはっきりしませんが。
今年前半の政治の動きはほぼすべてが夏の参議院選挙に直結しており、選挙を視野に入れればいろいろ見えてくる動きもあるかと思います。このブログとしても選挙期間はやけにアクセスが増える傾向にあるので、うまいことその波に乗れたらと思いつつ、またしても散文のようなまとまりのない記事となったわけです。
2010年1月5日火曜日
猛将列伝~西門豹
先月に書いた曹操の墓発見についての中国の記事にて、「曹操の墓はこれまで文献上、西門豹の墓から西にあるとされてきた」という一文があったのですが、翻訳している最中にこの西門豹の名前を見て、中国人はこの西門豹のことを新聞記事に書いてみんな理解する程度に知っているのかと人知れず感慨に耽っていました。
そんな西門豹とはどんな人物かと言うと、時代はちょうど春秋時代が終わった直後の戦国時代の人物で、当時の魏国の官僚でした。かねてより知恵者で鳴らしていた西門豹はある日魏王に呼ばれると、国力を増強するために新田開発をする必要があり、ついては国内で開発の遅れている鄴の地(現在の河北省)でその任に当たれと命じられました。
命じられた西門豹は早速現地へ赴任して地形を確認し、近隣の河を整備した上で干拓を行おうと計画したのですが、西門豹の計画を知るや現地の農民達はみんな震えながら反対しました。わけを聞いてみると農民達は河には水竜がおり、工事などしようものなら村全体が祟られると話した上、村は毎年水竜に祟られないためにいけにえの儀式も行っている事などを西門豹に話しました。
最初はただの迷信かと思っていた西門豹もいけにえの儀式と聞いて詳しく話を聞いてみると、その村では毎年村の中で一番の美女を選び、輿に乗せて河に放り投げる事でその美女を水竜に捧げているとのことで、その儀式のために村中から膨大な金額が毎年集められていることがわかりました。その儀式の費用は献金すれば死刑ですら免ぜられるほどで、本当にそれだけの費用を儀式のために全部使えるのかと西門豹が尋ねると、農民らは口ごもりつつも、恐らくは大半は儀式を取り仕切る神官や土地の古老らが着服しているといい、彼らにしか水竜を沈める事ができないので仕方がないと打ち明けました。
この話を聞いた西門豹は村の窮乏の原因はこの儀式にあり、まずこの因習をどうにかしなければ干拓工事は出来ないと考え、ひとまず工事計画を棚上げにした上で儀式の日を待ちました。そして儀式の日が訪れるや西門豹は部下の役人を引き連れて参加し、水竜に捧げる美女の元へ案内するよう命令しました。そうしていけにえとなる美女を一目見るや西門豹は、
「なんだ、とんでもない不細工な娘ではないか。申し訳ないが神官らよ、もっといい美女を送るから先に水竜のところへ行ってお断りを言ってきてくれ。そら役人どもよ、神官らを河に放り投げろ」
この西門豹の命令に役人らも戸惑うものの筋は通っていると思ったのか従い、慌てる神官らを片っ端から河に放り投げて溺死させました。それからしばらく川岸で待った後、さらに西門豹は、
「ふうむ帰りが遅い。仕方ない、ほかに水竜と話が出来るのは古老たちしかいないので、ひとつ早く戻るように催促をしに行ってくれ」
そうして、今度は古老らを河に突き落とすように再び役人らに命じました。この命令には古老らも震え上がり、それだけは勘弁と抵抗するも西門豹は意に介さず、
「この儀式を終えねば村は大変なことになる。わしとてお主ら老人に骨を折ってもらうのは気が進まぬが、神官のいない今はお主らしか水竜と儀式で関わったものはおるまい。お主らはこれまでに水竜に散々貢献してきたのだから悪くされるはずはないのだし、一つ村のために行ってきてくれ。ほれ役人よ、さっさとしろ」
こう言って、嫌がる古老らをまたも片っ端から河に突き落として溺死させました。
そうやって再びしばらく待つと西門豹は立ち上がり、村民らに対してこう言いました。
「どうやら水竜は客人をもてなして帰さぬようだ。仕方がないので、今日はもうみんな帰ることにしよう」
この西門豹の言葉にただただ唖然として事態を見守っていた村民らは何も言えず、結局その年は儀式をせずに皆家路に着きました。そしてその日以降、儀式について口にする者もいなくなったそうです。こうして因習を根本から断ち切った西門豹は村民を動員し、大規模な干拓工事を開始するに至ったわけです。
しかしその干拓工事中、村民らから祟りについて口にするものはいなかったものの、このような工事が果たしてなんの役に立つのか、こんなことをするくらいなら今出来ている田畑を耕す方がマシではという不平不満が絶えなかったそうです。
それに対して西門豹は、この工事は確かに現代の人間には評価されない事業かもしれず、評価してくれるとしたら十年、二十年、下手したら百年後になるかもしれない。しかしそれでもこの事業にはやる価値があるのだと最後まで工事を行い続けたそうです。
果たしてこの言葉の通りに、西門豹が干拓した地域は見事な穀倉地帯となり、その後の魏国の躍進につながることとなったそうです。私は西門豹の因習を打破した知略はさることより、最後の後の時代の人間に評価される事をやるのだという発言がお気に入りで、内政における唯一にして最大の心構えだと周りにも言いまわっております。
そんな西門豹とはどんな人物かと言うと、時代はちょうど春秋時代が終わった直後の戦国時代の人物で、当時の魏国の官僚でした。かねてより知恵者で鳴らしていた西門豹はある日魏王に呼ばれると、国力を増強するために新田開発をする必要があり、ついては国内で開発の遅れている鄴の地(現在の河北省)でその任に当たれと命じられました。
命じられた西門豹は早速現地へ赴任して地形を確認し、近隣の河を整備した上で干拓を行おうと計画したのですが、西門豹の計画を知るや現地の農民達はみんな震えながら反対しました。わけを聞いてみると農民達は河には水竜がおり、工事などしようものなら村全体が祟られると話した上、村は毎年水竜に祟られないためにいけにえの儀式も行っている事などを西門豹に話しました。
最初はただの迷信かと思っていた西門豹もいけにえの儀式と聞いて詳しく話を聞いてみると、その村では毎年村の中で一番の美女を選び、輿に乗せて河に放り投げる事でその美女を水竜に捧げているとのことで、その儀式のために村中から膨大な金額が毎年集められていることがわかりました。その儀式の費用は献金すれば死刑ですら免ぜられるほどで、本当にそれだけの費用を儀式のために全部使えるのかと西門豹が尋ねると、農民らは口ごもりつつも、恐らくは大半は儀式を取り仕切る神官や土地の古老らが着服しているといい、彼らにしか水竜を沈める事ができないので仕方がないと打ち明けました。
この話を聞いた西門豹は村の窮乏の原因はこの儀式にあり、まずこの因習をどうにかしなければ干拓工事は出来ないと考え、ひとまず工事計画を棚上げにした上で儀式の日を待ちました。そして儀式の日が訪れるや西門豹は部下の役人を引き連れて参加し、水竜に捧げる美女の元へ案内するよう命令しました。そうしていけにえとなる美女を一目見るや西門豹は、
「なんだ、とんでもない不細工な娘ではないか。申し訳ないが神官らよ、もっといい美女を送るから先に水竜のところへ行ってお断りを言ってきてくれ。そら役人どもよ、神官らを河に放り投げろ」
この西門豹の命令に役人らも戸惑うものの筋は通っていると思ったのか従い、慌てる神官らを片っ端から河に放り投げて溺死させました。それからしばらく川岸で待った後、さらに西門豹は、
「ふうむ帰りが遅い。仕方ない、ほかに水竜と話が出来るのは古老たちしかいないので、ひとつ早く戻るように催促をしに行ってくれ」
そうして、今度は古老らを河に突き落とすように再び役人らに命じました。この命令には古老らも震え上がり、それだけは勘弁と抵抗するも西門豹は意に介さず、
「この儀式を終えねば村は大変なことになる。わしとてお主ら老人に骨を折ってもらうのは気が進まぬが、神官のいない今はお主らしか水竜と儀式で関わったものはおるまい。お主らはこれまでに水竜に散々貢献してきたのだから悪くされるはずはないのだし、一つ村のために行ってきてくれ。ほれ役人よ、さっさとしろ」
こう言って、嫌がる古老らをまたも片っ端から河に突き落として溺死させました。
そうやって再びしばらく待つと西門豹は立ち上がり、村民らに対してこう言いました。
「どうやら水竜は客人をもてなして帰さぬようだ。仕方がないので、今日はもうみんな帰ることにしよう」
この西門豹の言葉にただただ唖然として事態を見守っていた村民らは何も言えず、結局その年は儀式をせずに皆家路に着きました。そしてその日以降、儀式について口にする者もいなくなったそうです。こうして因習を根本から断ち切った西門豹は村民を動員し、大規模な干拓工事を開始するに至ったわけです。
しかしその干拓工事中、村民らから祟りについて口にするものはいなかったものの、このような工事が果たしてなんの役に立つのか、こんなことをするくらいなら今出来ている田畑を耕す方がマシではという不平不満が絶えなかったそうです。
それに対して西門豹は、この工事は確かに現代の人間には評価されない事業かもしれず、評価してくれるとしたら十年、二十年、下手したら百年後になるかもしれない。しかしそれでもこの事業にはやる価値があるのだと最後まで工事を行い続けたそうです。
果たしてこの言葉の通りに、西門豹が干拓した地域は見事な穀倉地帯となり、その後の魏国の躍進につながることとなったそうです。私は西門豹の因習を打破した知略はさることより、最後の後の時代の人間に評価される事をやるのだという発言がお気に入りで、内政における唯一にして最大の心構えだと周りにも言いまわっております。
2010年1月4日月曜日
公定歩合とデフレ対策について
友人にはあまり相手にするなと言われるのですがネット上の経済談義にてよく、下記のような発言が見受けられます。
「デフレデフレというけど、デフレの反対のインフレを誘導する、つまり日銀が万札をどんどん刷ればこんなのすぐに解決できるだろう」
もちろん私の認識の方が間違っているのかもしれませんが、この様な発言を見るにつけどうしてこう頓珍漢なことを臆面もなくいえるのだろうか、なんかいろんな意味で疲れてしまいます。
結論から言えば、現在の日本でデフレ対策のためにインフレを誘導する事は不可能と断言してもいいかと思います。というのも日本はすでに十年以上も、万札をそれこそ湯水の如くジャブジャブ刷っているにもかかわらず市場に全く流通せずにデフレが進行し続けているからです。
日本のお金は日銀こと日本銀行が発行しており、どのようにして貨幣流通量をコントロールしているのかというと、あんまりはしょるのはよくないのですが単純に言って金利こと公定歩合を上げ下げすることで制御しています。この公定歩合というのは、なんか最近名前が変わって「政策金利」になっているそうですが、中央銀行である日銀が一般の民間銀行に貨幣を貸し出す際の金利で、この金利にしたがって我々が民間銀行に預けるお金の金利も上下します。ですので市場にあまり貨幣が流通してもらいたくない過剰なインフレ時にはこの公定歩合を上げることで民間銀行の金利も上がり、高い金利があるので一般預金者もお金を銀行に預け、市場からお金が減っていくとされています。
逆にデフレ時には、「銀行にお金を預けても金利がつかないのだから、とっとと使ってしまえ」と思わせるために公定歩合は下げることで民間銀行の金利も下げさせ、市場にお金が流通するように仕向けるのですが、百聞は一見にしかずとも言うので日本の公定歩合の推移を見てみましょう。
・基準割引率および基準貸付利率の推移(日本銀行サイト)
見てもらえばわかるとおりに1973年から1991年までは大まかに5%前後で推移しているのですが91年以降は下がる一方で、95年からはとうとう1%を割ってしまいます。最近はほとんど使われる事はなくなってしまいましたが、一時期によくテレビの討論番組などで使われていた「ゼロ金利政策」というのはこの公定歩合が1%を割り切った状態の事を指しており、先進国でここまで下げたのは実は日本が最初です。
それにしても、01年の0.5%から0.1%の下げ方なんて真面目にやっているのかと言いたくなるような下げ方です。
この「ゼロ金利政策」がどのような意味合いを持っているのかというと、単純に行ってデフレに対して日銀が打てる手段がもうなくなっているということです。たとえるなら壁に背中をつけてボクシングをやるようなものでデフレの進行に対して金利政策は出し尽くしており、逆に言うのならばこれだけやって貨幣を市場に出回らせようとしても一向に出回らず、デフレの進行を食い止める事ができないと言うのが今のデフレの手ごわい面だという事です。
これはあくまで私の持論ですが、05年の郵政選挙にて自民党圧勝した際に一時的に日本の景気はよくなりましたが、私はあの瞬間になんとしてもこの「ゼロ金利政策」を撤廃し、公定歩合をそれこそ1%にまで引き上げるべきだったと思います。0.5%と1%では絶対値上は0.5%の差ですが倍数上は2倍であり、言うなれば預金金利が従来の2倍になります。当時はまだ余裕があり、あの一瞬でもいいから金利を引き上げていれば今ほど壁に背をつけずに、一歩後ろに下がる余裕くらい作れたのではないかと思います。
これと同じような考え方を当時持っていたのは他でもなく竹中平蔵氏(当時総務大臣)で、日銀の福井俊彦総裁(当時)に対して執拗にゼロ金利からの脱却を迫っていたもののとうとう日銀が決断に至らずわずかにしか公定歩合を上げなかったことに対して、かなり強烈な表現を使って批判していました。
では現在のデフレに対してどのように対処すればいいのか、はっきり言って現時点で有効だと思える手段は私には浮かびません。敢えて言うならどこかで数年に渡るような大規模な戦争を起こすか、日本のブロック経済化を進めた上で国内の生産力をなんらかの方法によって急減させるという劇薬的な手段なら、多少の道筋は見えてくるかと思います。
はっきりいって現在のデフレ、ひいては世界的不況は過去かつてないものであって、従来の対策が果たして効果があるのか非常に疑わしいものです。浜矩子氏ではありませんがまずは現状分析を先にやり、その上で何が有効なのか一から対策を練ることこそが最速の手段でしょう。
まぁまずやらなきゃいけないことは、金融関係企業への規制強化以外の何者でもないのですが。
「デフレデフレというけど、デフレの反対のインフレを誘導する、つまり日銀が万札をどんどん刷ればこんなのすぐに解決できるだろう」
もちろん私の認識の方が間違っているのかもしれませんが、この様な発言を見るにつけどうしてこう頓珍漢なことを臆面もなくいえるのだろうか、なんかいろんな意味で疲れてしまいます。
結論から言えば、現在の日本でデフレ対策のためにインフレを誘導する事は不可能と断言してもいいかと思います。というのも日本はすでに十年以上も、万札をそれこそ湯水の如くジャブジャブ刷っているにもかかわらず市場に全く流通せずにデフレが進行し続けているからです。
日本のお金は日銀こと日本銀行が発行しており、どのようにして貨幣流通量をコントロールしているのかというと、あんまりはしょるのはよくないのですが単純に言って金利こと公定歩合を上げ下げすることで制御しています。この公定歩合というのは、なんか最近名前が変わって「政策金利」になっているそうですが、中央銀行である日銀が一般の民間銀行に貨幣を貸し出す際の金利で、この金利にしたがって我々が民間銀行に預けるお金の金利も上下します。ですので市場にあまり貨幣が流通してもらいたくない過剰なインフレ時にはこの公定歩合を上げることで民間銀行の金利も上がり、高い金利があるので一般預金者もお金を銀行に預け、市場からお金が減っていくとされています。
逆にデフレ時には、「銀行にお金を預けても金利がつかないのだから、とっとと使ってしまえ」と思わせるために公定歩合は下げることで民間銀行の金利も下げさせ、市場にお金が流通するように仕向けるのですが、百聞は一見にしかずとも言うので日本の公定歩合の推移を見てみましょう。
・基準割引率および基準貸付利率の推移(日本銀行サイト)
見てもらえばわかるとおりに1973年から1991年までは大まかに5%前後で推移しているのですが91年以降は下がる一方で、95年からはとうとう1%を割ってしまいます。最近はほとんど使われる事はなくなってしまいましたが、一時期によくテレビの討論番組などで使われていた「ゼロ金利政策」というのはこの公定歩合が1%を割り切った状態の事を指しており、先進国でここまで下げたのは実は日本が最初です。
それにしても、01年の0.5%から0.1%の下げ方なんて真面目にやっているのかと言いたくなるような下げ方です。
この「ゼロ金利政策」がどのような意味合いを持っているのかというと、単純に行ってデフレに対して日銀が打てる手段がもうなくなっているということです。たとえるなら壁に背中をつけてボクシングをやるようなものでデフレの進行に対して金利政策は出し尽くしており、逆に言うのならばこれだけやって貨幣を市場に出回らせようとしても一向に出回らず、デフレの進行を食い止める事ができないと言うのが今のデフレの手ごわい面だという事です。
これはあくまで私の持論ですが、05年の郵政選挙にて自民党圧勝した際に一時的に日本の景気はよくなりましたが、私はあの瞬間になんとしてもこの「ゼロ金利政策」を撤廃し、公定歩合をそれこそ1%にまで引き上げるべきだったと思います。0.5%と1%では絶対値上は0.5%の差ですが倍数上は2倍であり、言うなれば預金金利が従来の2倍になります。当時はまだ余裕があり、あの一瞬でもいいから金利を引き上げていれば今ほど壁に背をつけずに、一歩後ろに下がる余裕くらい作れたのではないかと思います。
これと同じような考え方を当時持っていたのは他でもなく竹中平蔵氏(当時総務大臣)で、日銀の福井俊彦総裁(当時)に対して執拗にゼロ金利からの脱却を迫っていたもののとうとう日銀が決断に至らずわずかにしか公定歩合を上げなかったことに対して、かなり強烈な表現を使って批判していました。
では現在のデフレに対してどのように対処すればいいのか、はっきり言って現時点で有効だと思える手段は私には浮かびません。敢えて言うならどこかで数年に渡るような大規模な戦争を起こすか、日本のブロック経済化を進めた上で国内の生産力をなんらかの方法によって急減させるという劇薬的な手段なら、多少の道筋は見えてくるかと思います。
はっきりいって現在のデフレ、ひいては世界的不況は過去かつてないものであって、従来の対策が果たして効果があるのか非常に疑わしいものです。浜矩子氏ではありませんがまずは現状分析を先にやり、その上で何が有効なのか一から対策を練ることこそが最速の手段でしょう。
まぁまずやらなきゃいけないことは、金融関係企業への規制強化以外の何者でもないのですが。
2010年1月3日日曜日
センスのいいニックネーム集~プロ野球選手編
もう大分昔に私が中学生だった頃、図書館にてそれまでに世の中に浸透したニックネームを集めた本がありました。そこで紹介されている人物はそれこそ戦前から現代に至るまで様々な世代が集められており、今ほど近い過去の人物を知らなかった私には非常に面白がって読んだのを今でも憶えております。
その本の作者は前書きにて、各個人を一言で言い表すニックネームを作る作業というのは非常に高度なセンスを要求される作業であって、それだけあって未だに語り継がれるニックネームというのは一つの単語としても高い評価に値すると述べていたのですが、その本が発売されたのは97年でしたが、近年は珠玉ともいえるニックネームがほとんど出る事がなくなり、日本人の日本語能力の低下の一面なのかもしれないという嘆きにも似た言葉も付け加えられていました。
その本が出てからすでに十年以上経ちましたが、果たして作者の言う通りに近年はこれというニックネームもなければ流行語すらもほとんど出回らなくなってきてしまいました。こうした現象を日本人の日本語離れと言うのは簡単ですが、私はこれらの原因ははっきり言って世の中の世相を見事に言い表す事の出来ない、各記者の質の低下が何よりも大きいかと考えております。まぁそういう私も文句を言うだけというのは恥ずかしい事なのですが。
そこで本日は、これまで世の中に出てきた見事なニックネームをいくつか参考までに紹介しようと思います。実は前々から準備をしてきていたのですが、一挙にまとめてバラバラに紹介してもしょうがないので、今日はプロ野球選手に限って紹介しようと思います。
前もって断っておきますが、私自身がそれほどプロ野球に造詣が深いわけでもなく、またどうしても贔屓球団に偏ってしまう傾向は否めないので、「どうしてこいつは紹介しないんだ(゚Д゚#) ゴルァ」という気持ちは抑えて読んでいただけたらと思います。もちろん「この選手にはこういうニックネームがあったよ(´∀`)」というのであれば、それをコメント欄に書いていただければ幸いです。
1、七色の変化球 大野豊
今回ニックネームをまとめようと考えるきっかけとなった人物で、リンクに貼ったウィキペディアの記事を見てもらえばわかるとおりに現役時代は多彩な変化球を武器にカープの黄金時代を支えた大投手の一人です。その活躍もさることながら実働22年という現役期間は驚愕の一言に尽きます。なおウィキペディアによると、元巨人の松井秀喜選手は大野選手がやめると聞いて心底ほっとしたそうです。
2、精密機械 北別府学
しばらく広島カープが続きますが、こちらもまたセンスの光るニックネームです。大野選手同様にカープ黄金期に主に先発として活躍した投手で、その名の表す通りにとにもかくにもずば抜けたコントロールを持っており、現役選手ですらなかなか達成できていなかったテレビ番組「筋肉番付」の企画、「ストラックアウト」をコーチ時代に見事パーフェクトを達成しています。
3、炎のストッパー 津田恒美
こちらも広島黄金期に活躍したストッパーの津田選手です。現在でこそストレートが持ち味のストッパーとなると阪神の藤川球児選手が有名ですが、こちらの津田選手も凄まじいストレートを持っていたようで、なんでも現巨人の原監督が津田選手のストレートをファウルした際に左手の骨を骨折して、残りのシーズンを棒に振ったというエピソードがあります。
しかしそれ以上に津田選手のこのニックネームに重みを持たせているのは、彼が脳腫瘍によりわずか32歳にて世に去ったという事実が強く、現に彼のこの経歴は未だに広島ファンの間で語り継がれていると聞いております。
4、グラウンドの詐欺師 達川光男
上記広島黄金期の錚々たる投手陣を率いていたキャッチャーというのも、エピソードに事欠かないこの達川選手です。この彼のニックネームの由来は野村克也元楽天監督ばりの打者に対して話しかけることで集中を妨げる「ささやき戦術」と、ボールが当たってもいないに関わらずデットボールを受けたフリをするというまさに詐欺師という名に相応しいまでのトリッキーなプレイから来ています。
しかしその詐欺師という呼び名の一方で広島の投手陣らからの信頼は厚く、現に現役時代の打率などといった成績は他の名捕手と比べても芳しいものでないながらも、長らく第一線で活躍したというのは彼の親しみやすい人格や求心力にあったかと思われます。
5、優勝請負人 江夏豊
日本プロ野球史上最強の投手との呼び声の高い江夏選手ですが、渡り歩く各球団で優勝の原動力となった事からこのニックネームとなりました。現在このニックネームは同じく複数の球団で優勝を達成している工藤公康選手にも使われる事がありますが、私の中ではやはり江夏選手のマウンドでの圧倒的存在感と信頼感からこの名前と来たら彼しか浮かびません。
因みにウィキペディアで調べてみると、先程の大野選手や達川選手など、江夏選手から多くのことを学んだと証言する広島の選手が数多くいる事がわかりました。真に名選手は後身を育てるとは言いますが、その後の広島黄金期を見るにつけその通りだとうなずかされます。
6、KKコンビ 桑田真澄、清原和博
良くも悪くも、日本プロ野球史における90年代の主役はまさにこの二人といっていいでしょう。私が小学生だった頃は周りはみんな清原選手のファンでよく桑田選手は悪役のようにされていましたが、両選手とも現役末期に他球団へ渡りその引退に至る過程も多くのファンが見守ったというのは、一時代の終わりを感じさせられました。
7、鉄腕 稲尾和久
江夏選手とともに圧倒的な存在感を感じさせるこのニックネームの由来ですが、58年の日本シリーズにおいてまさかまさかの5連投、そして見事な逆転優勝を引き寄せたというエピソードから来ています。その類稀なスタミナはもとより投手としての技術もあの野村克也氏が最強と評すだけあり、記録の上でもまさに実に人間離れしたものがあります。稲尾選手は07年になくなられていますが、この際には友人と二人でえらくしょげこんだのを今でも憶えております。
8、JFK ウィリアムス、藤川、久保田
05年の阪神優勝時の必勝継投パターンで出てくる投手の頭文字からつけられたニックネームですが、そのセンスといい当時の存在感といい、近年で私が一番評価するニックネームであります。
この05年当時は「阪神との試合は6回まで」とまで言われる程、最終三回を完璧に抑えるこの三人のリリーフ陣は非常に強力でした。またこの05年に藤川選手がそれまでのシーズン最多登板記録回数を塗り替えるとともに驚異的な防御率を残して優勝した事から、現在に至るまで野球におけるストッパーのみならず中継ぎ投手の重要性を世に知らしめた戦術であったと私は認識しております。惜しむらくは06年以降はなかなか三人が揃い踏むことなく、昨年のウィリアムス選手の退団によって事実上JFKが解散してしまった事です。
9、大魔神 佐々木主浩
先程のJFKが中継ぎ投手の重要性を知らしめたのであれば、ストッパー投手の重要性をかつての江夏選手同様に世に見せ付けたのが横浜の佐々木選手でしょう。
この大魔神というニックネームは横浜がリード時の九回に佐々木選手が登板する際の対戦チームの絶望感とともに、佐々木選手の非常に顔がでかいという特徴が特撮映画の「大魔神」と重ね合わせたというのが由来です。実際の佐々木選手も映画の大魔神同様めちゃくちゃなところがあったようで二日酔いのまま登板してセーブを決めたりなど、漫画の「ササキ様に願いを」同様の濃いキャラクターのようです。
という具合で、一つ試しに九つの野球選手にちなむニックネームを紹介しました。書く前はもう少し簡単な作業化と思いましたが、各選手の経歴や特徴、ニックネームの由来をどこまで書くべきという配分に悩み、個人的にはやや中途半端になった気がします。これならニックネームごとに記事を書いた方が良かったかも、でもそれだとウィキペディアの記事のがいいだろうし……。
今回まとめていて思ったのは、広島黄金期の選手のニックネームがどれも秀逸であったことにつきます。どれも各選手の特徴を見事に一言で言い表しており、その上見栄えのよい日本語で見ていてつくづくため息が出ます。同じく広島関連なら「神 前田智徳」とか、「非県民 二岡智宏」というのもあるけど、こういう言葉をぽんぽん作れる広島版のスポーツ紙記者には頭が下がります。
同じくチームごとの特徴といえば、千葉ロッテの選手にはやけにカタカナ語が多いのも今回気になりました。「ジョニー 黒木智宏」に始まり「サブマリン 渡辺俊介」、「マサカリ投法 村田兆治」、「オリエンタルエクスプレス 郭泰源」など、唯一「精密機械 小宮山悟」があるだけで後はカタカナです。個人的には成瀬善久選手の投げ方が猫の手みたいといわれているため、「ニャース 成瀬善久」と勝手に呼んでいるのですが、流行らないだろうなこれは。
その本の作者は前書きにて、各個人を一言で言い表すニックネームを作る作業というのは非常に高度なセンスを要求される作業であって、それだけあって未だに語り継がれるニックネームというのは一つの単語としても高い評価に値すると述べていたのですが、その本が発売されたのは97年でしたが、近年は珠玉ともいえるニックネームがほとんど出る事がなくなり、日本人の日本語能力の低下の一面なのかもしれないという嘆きにも似た言葉も付け加えられていました。
その本が出てからすでに十年以上経ちましたが、果たして作者の言う通りに近年はこれというニックネームもなければ流行語すらもほとんど出回らなくなってきてしまいました。こうした現象を日本人の日本語離れと言うのは簡単ですが、私はこれらの原因ははっきり言って世の中の世相を見事に言い表す事の出来ない、各記者の質の低下が何よりも大きいかと考えております。まぁそういう私も文句を言うだけというのは恥ずかしい事なのですが。
そこで本日は、これまで世の中に出てきた見事なニックネームをいくつか参考までに紹介しようと思います。実は前々から準備をしてきていたのですが、一挙にまとめてバラバラに紹介してもしょうがないので、今日はプロ野球選手に限って紹介しようと思います。
前もって断っておきますが、私自身がそれほどプロ野球に造詣が深いわけでもなく、またどうしても贔屓球団に偏ってしまう傾向は否めないので、「どうしてこいつは紹介しないんだ(゚Д゚#) ゴルァ」という気持ちは抑えて読んでいただけたらと思います。もちろん「この選手にはこういうニックネームがあったよ(´∀`)」というのであれば、それをコメント欄に書いていただければ幸いです。
1、七色の変化球 大野豊
今回ニックネームをまとめようと考えるきっかけとなった人物で、リンクに貼ったウィキペディアの記事を見てもらえばわかるとおりに現役時代は多彩な変化球を武器にカープの黄金時代を支えた大投手の一人です。その活躍もさることながら実働22年という現役期間は驚愕の一言に尽きます。なおウィキペディアによると、元巨人の松井秀喜選手は大野選手がやめると聞いて心底ほっとしたそうです。
2、精密機械 北別府学
しばらく広島カープが続きますが、こちらもまたセンスの光るニックネームです。大野選手同様にカープ黄金期に主に先発として活躍した投手で、その名の表す通りにとにもかくにもずば抜けたコントロールを持っており、現役選手ですらなかなか達成できていなかったテレビ番組「筋肉番付」の企画、「ストラックアウト」をコーチ時代に見事パーフェクトを達成しています。
3、炎のストッパー 津田恒美
こちらも広島黄金期に活躍したストッパーの津田選手です。現在でこそストレートが持ち味のストッパーとなると阪神の藤川球児選手が有名ですが、こちらの津田選手も凄まじいストレートを持っていたようで、なんでも現巨人の原監督が津田選手のストレートをファウルした際に左手の骨を骨折して、残りのシーズンを棒に振ったというエピソードがあります。
しかしそれ以上に津田選手のこのニックネームに重みを持たせているのは、彼が脳腫瘍によりわずか32歳にて世に去ったという事実が強く、現に彼のこの経歴は未だに広島ファンの間で語り継がれていると聞いております。
4、グラウンドの詐欺師 達川光男
上記広島黄金期の錚々たる投手陣を率いていたキャッチャーというのも、エピソードに事欠かないこの達川選手です。この彼のニックネームの由来は野村克也元楽天監督ばりの打者に対して話しかけることで集中を妨げる「ささやき戦術」と、ボールが当たってもいないに関わらずデットボールを受けたフリをするというまさに詐欺師という名に相応しいまでのトリッキーなプレイから来ています。
しかしその詐欺師という呼び名の一方で広島の投手陣らからの信頼は厚く、現に現役時代の打率などといった成績は他の名捕手と比べても芳しいものでないながらも、長らく第一線で活躍したというのは彼の親しみやすい人格や求心力にあったかと思われます。
5、優勝請負人 江夏豊
日本プロ野球史上最強の投手との呼び声の高い江夏選手ですが、渡り歩く各球団で優勝の原動力となった事からこのニックネームとなりました。現在このニックネームは同じく複数の球団で優勝を達成している工藤公康選手にも使われる事がありますが、私の中ではやはり江夏選手のマウンドでの圧倒的存在感と信頼感からこの名前と来たら彼しか浮かびません。
因みにウィキペディアで調べてみると、先程の大野選手や達川選手など、江夏選手から多くのことを学んだと証言する広島の選手が数多くいる事がわかりました。真に名選手は後身を育てるとは言いますが、その後の広島黄金期を見るにつけその通りだとうなずかされます。
6、KKコンビ 桑田真澄、清原和博
良くも悪くも、日本プロ野球史における90年代の主役はまさにこの二人といっていいでしょう。私が小学生だった頃は周りはみんな清原選手のファンでよく桑田選手は悪役のようにされていましたが、両選手とも現役末期に他球団へ渡りその引退に至る過程も多くのファンが見守ったというのは、一時代の終わりを感じさせられました。
7、鉄腕 稲尾和久
江夏選手とともに圧倒的な存在感を感じさせるこのニックネームの由来ですが、58年の日本シリーズにおいてまさかまさかの5連投、そして見事な逆転優勝を引き寄せたというエピソードから来ています。その類稀なスタミナはもとより投手としての技術もあの野村克也氏が最強と評すだけあり、記録の上でもまさに実に人間離れしたものがあります。稲尾選手は07年になくなられていますが、この際には友人と二人でえらくしょげこんだのを今でも憶えております。
8、JFK ウィリアムス、藤川、久保田
05年の阪神優勝時の必勝継投パターンで出てくる投手の頭文字からつけられたニックネームですが、そのセンスといい当時の存在感といい、近年で私が一番評価するニックネームであります。
この05年当時は「阪神との試合は6回まで」とまで言われる程、最終三回を完璧に抑えるこの三人のリリーフ陣は非常に強力でした。またこの05年に藤川選手がそれまでのシーズン最多登板記録回数を塗り替えるとともに驚異的な防御率を残して優勝した事から、現在に至るまで野球におけるストッパーのみならず中継ぎ投手の重要性を世に知らしめた戦術であったと私は認識しております。惜しむらくは06年以降はなかなか三人が揃い踏むことなく、昨年のウィリアムス選手の退団によって事実上JFKが解散してしまった事です。
9、大魔神 佐々木主浩
先程のJFKが中継ぎ投手の重要性を知らしめたのであれば、ストッパー投手の重要性をかつての江夏選手同様に世に見せ付けたのが横浜の佐々木選手でしょう。
この大魔神というニックネームは横浜がリード時の九回に佐々木選手が登板する際の対戦チームの絶望感とともに、佐々木選手の非常に顔がでかいという特徴が特撮映画の「大魔神」と重ね合わせたというのが由来です。実際の佐々木選手も映画の大魔神同様めちゃくちゃなところがあったようで二日酔いのまま登板してセーブを決めたりなど、漫画の「ササキ様に願いを」同様の濃いキャラクターのようです。
という具合で、一つ試しに九つの野球選手にちなむニックネームを紹介しました。書く前はもう少し簡単な作業化と思いましたが、各選手の経歴や特徴、ニックネームの由来をどこまで書くべきという配分に悩み、個人的にはやや中途半端になった気がします。これならニックネームごとに記事を書いた方が良かったかも、でもそれだとウィキペディアの記事のがいいだろうし……。
今回まとめていて思ったのは、広島黄金期の選手のニックネームがどれも秀逸であったことにつきます。どれも各選手の特徴を見事に一言で言い表しており、その上見栄えのよい日本語で見ていてつくづくため息が出ます。同じく広島関連なら「神 前田智徳」とか、「非県民 二岡智宏」というのもあるけど、こういう言葉をぽんぽん作れる広島版のスポーツ紙記者には頭が下がります。
同じくチームごとの特徴といえば、千葉ロッテの選手にはやけにカタカナ語が多いのも今回気になりました。「ジョニー 黒木智宏」に始まり「サブマリン 渡辺俊介」、「マサカリ投法 村田兆治」、「オリエンタルエクスプレス 郭泰源」など、唯一「精密機械 小宮山悟」があるだけで後はカタカナです。個人的には成瀬善久選手の投げ方が猫の手みたいといわれているため、「ニャース 成瀬善久」と勝手に呼んでいるのですが、流行らないだろうなこれは。
中国の大学入試制度について
連載していた北京留学記の中で中国人より日本の大学入試制度について興味津々に説明を求められた事を書きましたが、恐らく日本人にとっても中国の大学入試制度がどのようになっているか、興味がある方もおられるかと思います。この大学入試制度というのは意外と国ごとに違いがあって、「フランスの日々」にてSophieさんも何度か関連する話題を紹介していましたが、なんだかんだいって国ごとに特徴があったりします。
では中国の大学入試はどのように行われているのか、結論から言えばセンター一発入試が向こうの入試制度です。向こうで大学と言えば基本的にすべて国立で、私大は全くないわけではありませんが現在はほぼ大学と認められていないに近い状態で、年一回六月に行われるセンター試験で取得した点数によって進学できる大学が決まるという制度となっております。
たとえばAという大学はセンター試験で400点以上、Bという大学は500点以上の成績が必要だった場合、500点以上の成績を取った生徒はAとB、どちらの大学を選ぶ事ができるという具合です。
そのため、中国の大学入試日はそれこそ街全体が異様な空気に包まれており、万が一にも交通機関に遅れがあってはならないためにまるで戒厳令下のようにパトカーがあちこちを回っており、この日に限ってはパトカーに頼めばタクシーみたいに受験会場まで送ってくれるという噂もあったりします。日本のニュースでもよく報道されていますが中国でも若者の就職難は年々深刻化しており、就職を勝ち取るために、貧しさから抜け出すために大学進学熱は高まる事はあっても冷める事はないという状況です。
そんな中国の大学入試制度なのですが、実は生徒の出身地域によって合格に必要な点数が変わるという、不可思議この上ない面があります。これはどういうことかと中国政府の建前はというと、中国は地域ごとに大きく人口にばらつきがあり、全国から均一の数の学生を大学に入れるためにあらかじめ募集人数を省や市に割り振る必要があるとしています。
しかしこれは結論から言うと、実態的には教育行政をつかさどる人間達が自分達の子弟に都合のいいように制度をいじくっている所があり、実際に首都の北京市は周辺地域と比べると驚くほどに合格点数が低く設定されております。折角なので、合格点の一つの目安となる中国最高峰の北京大学の地域別合格点数を下記にご紹介します。


(出典 腾讯网:http://edu.qq.com/a/20050317/000095.htm)
表中の「文科」、「理科」というのはそれぞれ日本語の「文系」、「理系」を表しております。
見てもらえばわかる通りに、距離がそれほど離れていない北京市と山東省を比較しても2004年度では581点と666点と、実に85点も合格点数に開きがあり、南方の広東省や広西省に至ってはもはや同じ試験なのかと疑ってしまうほどの差です。
この地域は受験生の戸籍上の、日本で言えば本籍地に当たる地域によって区分けされるのですが、そのために北京に在住していながらも本籍地が山東省の人間には山東省の合格点数が要求されてしまいます。実際に北京市の合格点数では北京大学にいけるものの、山東省に本籍地があるためそれが適わなかった北京出身の友人がおり、彼は非常にこの制度の事を恨んでいました。
こうした地域ごとのはっきりとした合格点数の差から、近年中国の富裕層の中では「受験移民」といって合格点数の低い北京市などへ子供の受験のために引っ越すという現象が確認されています。
私がこの問題を知ったのは留学中に現地で購入した社会問題を取り扱った本で、その本の作者は、本来格差を是正する手段の一つである大学教育においてその入り口にこれほどの較差があるのは大きな問題で、受験時に不利となり地域の募る不公平感は看過することはできないとまとめております。
中国は今に始まったわけでなく古代より「科挙」という官僚採用試験を実施するほどの受験大国ですが、この科挙ですら広く優秀な人材を集められたという点は良かったものの、この科挙を受験したものの不合格となってしまったいわゆる「落第エリート」の中には国家に対して反逆心を持つものも多く、中には黄巣や洪秀全といった王朝を滅ぼすきっかけとなった反乱を起こした者もおりました。私なんかそういった歴史を知っているもんだから常々「エリートを遊ばせるな」とあちこちに言いまわっているのですが、現中国の受験制度もなんらかの是正措置を取る必要があるのではないかと、他人事ながら思います。
参考文献
中国社会 王進 中央評論出版社 2006年
では中国の大学入試はどのように行われているのか、結論から言えばセンター一発入試が向こうの入試制度です。向こうで大学と言えば基本的にすべて国立で、私大は全くないわけではありませんが現在はほぼ大学と認められていないに近い状態で、年一回六月に行われるセンター試験で取得した点数によって進学できる大学が決まるという制度となっております。
たとえばAという大学はセンター試験で400点以上、Bという大学は500点以上の成績が必要だった場合、500点以上の成績を取った生徒はAとB、どちらの大学を選ぶ事ができるという具合です。
そのため、中国の大学入試日はそれこそ街全体が異様な空気に包まれており、万が一にも交通機関に遅れがあってはならないためにまるで戒厳令下のようにパトカーがあちこちを回っており、この日に限ってはパトカーに頼めばタクシーみたいに受験会場まで送ってくれるという噂もあったりします。日本のニュースでもよく報道されていますが中国でも若者の就職難は年々深刻化しており、就職を勝ち取るために、貧しさから抜け出すために大学進学熱は高まる事はあっても冷める事はないという状況です。
そんな中国の大学入試制度なのですが、実は生徒の出身地域によって合格に必要な点数が変わるという、不可思議この上ない面があります。これはどういうことかと中国政府の建前はというと、中国は地域ごとに大きく人口にばらつきがあり、全国から均一の数の学生を大学に入れるためにあらかじめ募集人数を省や市に割り振る必要があるとしています。
しかしこれは結論から言うと、実態的には教育行政をつかさどる人間達が自分達の子弟に都合のいいように制度をいじくっている所があり、実際に首都の北京市は周辺地域と比べると驚くほどに合格点数が低く設定されております。折角なので、合格点の一つの目安となる中国最高峰の北京大学の地域別合格点数を下記にご紹介します。


(出典 腾讯网:http://edu.qq.com/a/20050317/000095.htm)
表中の「文科」、「理科」というのはそれぞれ日本語の「文系」、「理系」を表しております。
見てもらえばわかる通りに、距離がそれほど離れていない北京市と山東省を比較しても2004年度では581点と666点と、実に85点も合格点数に開きがあり、南方の広東省や広西省に至ってはもはや同じ試験なのかと疑ってしまうほどの差です。
この地域は受験生の戸籍上の、日本で言えば本籍地に当たる地域によって区分けされるのですが、そのために北京に在住していながらも本籍地が山東省の人間には山東省の合格点数が要求されてしまいます。実際に北京市の合格点数では北京大学にいけるものの、山東省に本籍地があるためそれが適わなかった北京出身の友人がおり、彼は非常にこの制度の事を恨んでいました。
こうした地域ごとのはっきりとした合格点数の差から、近年中国の富裕層の中では「受験移民」といって合格点数の低い北京市などへ子供の受験のために引っ越すという現象が確認されています。
私がこの問題を知ったのは留学中に現地で購入した社会問題を取り扱った本で、その本の作者は、本来格差を是正する手段の一つである大学教育においてその入り口にこれほどの較差があるのは大きな問題で、受験時に不利となり地域の募る不公平感は看過することはできないとまとめております。
中国は今に始まったわけでなく古代より「科挙」という官僚採用試験を実施するほどの受験大国ですが、この科挙ですら広く優秀な人材を集められたという点は良かったものの、この科挙を受験したものの不合格となってしまったいわゆる「落第エリート」の中には国家に対して反逆心を持つものも多く、中には黄巣や洪秀全といった王朝を滅ぼすきっかけとなった反乱を起こした者もおりました。私なんかそういった歴史を知っているもんだから常々「エリートを遊ばせるな」とあちこちに言いまわっているのですが、現中国の受験制度もなんらかの是正措置を取る必要があるのではないかと、他人事ながら思います。
参考文献
中国社会 王進 中央評論出版社 2006年
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