昨日のブログ記事はブラウザの印刷機能が上手くいかずイライラした状態で書いたのが響いたのか、非常に荒れたままでアップされていたので先ほど一部文章を訂正しました。よく文章は人の心を映すなどど言う人もいますが、少なくともこうも毎日書いていればその日ごとの調子は私自身で手に取るように分かってきます。今週は睡眠時間が減っていて全体的にカリカリしているとか。
そういうことはさておいて、今日はちょっと思うところがあって昔の記事の、「まず隗より始めよについて」の記事を読み返して見ました。それにしてもこの記事、冒頭が朝日新聞のトヨタヨイショから始まっていますが、今になって改めてみてみるといろいろとこみ上げてくるものがあります。
この記事は中国の故事である「隗より始めよ」、つまり物事を始めるには手近な所から始めるべきだという教訓を含めた逸話を紹介しております。内容は元記事を読んでもらえば分かるとおりに、この自分をより遇すことで自分以上の人材も評判を聞いて喜んでやってくるだろうと郭隗がうまいこと燕王に言っておいしい思いをしたという話ですが、この逸話に限らず人材募集の逸話というものは中国史において数限りがありません。
私が知る中で最も古い逸話だと、中国古代の周王朝(封神演義に出てくる)の建国期において活躍し、孔子が最も理想の君子として挙げていた周公旦には、「周公、哺を吐く」という逸話があります。これは賢者が近くに来ていると聞くと周公旦は食事を中断してでも会いに行ったほど人材募集に熱心だったという逸話ですが、三国志の曹操もところどころこの周公旦を意識している所があったので彼の人材収集癖もここから始まったのかもしれません。
中国に限らず日本でも歴史上の偉人が熱心に人材を集めようとする話がたくさんありますが、そういった逸話を多く見てきたことが影響してか、この私もかなり小さい頃から優秀な人たちと知り合いになりたい、切磋琢磨したいという思いが強かったと自覚しております。特にそれが強く現れたのは大学時代で、新たに友人が増える傍から、「もしあなたの知り合いの中でこれはと思う人材がいたら、是非自分に紹介して欲しい」などと言っては、たくさんの相手をきょとんとさせてきました。
そんな感じで一人でも多く優秀な人材を見つけよう、知り合いになろうと長年努力してきたわけですが、色々試してきて一体どんな方法が効果があったというか実際に自分に良い影響を与えてくれる友人の発掘につながったとのかというと、自分自身を鍛錬することがやはり一番だったような気がします。
何でいい人材を見つけるのに自らを鍛える事が関係するのかというと、一つ目の理由としては相手が優秀な人材かどうかを見分けられるようになるからです。よく、ってほどでもないですが「愚者はかえって智者を馬鹿にする」と言いますが、ここまで言わないにしろやっぱり相手が賢いかどうかを理解するためにはこちらも一定度の知識と知力が必要になってきます。実際に私も知識のなかった頃はそれほど評価していなかった友人でも、ある程度その方面の勉強をした上で改めて話してみるとまるで人が変わったかのような印象を覚えて、それまでの自らの不明を恥じつつ以後いろいろと教えを請うようになったことがあります。
二つ目の理由として、自らも一芸ある人材となることで優秀な人材が自然と寄ってくるようになるからです。こう書くとなんか自分でも偉そうに言ってるよう見えますが、私が高く評価している友人らに対してどうして自分なんかを相手にするのだと聞いてみると、向こうからしても私自身と話していて面白い、勉強になると思うからだそうで、図らずも自分自身の能力が別の人材を呼んでいたということにその時気がつきました。
よく後輩などを指導している際、「自分にも、花園さんみたいに政治とか経済をいろいろ教えてくれる人がいたら助かるんですけど……」という言葉を聞かせられますが、もしそのような色々教えてくれる友人が欲しいと思うのなら、私はやはりまず自分自身を鍛えることが一番の近道のように思えます。
最後に究極的な人材の発掘の仕方として、新たに人材を見つけるのではなく、今いる友人や後輩を徹底的に教育して議論し合えるレベルまで知識を教え込むという方法もあります。実際にこれをやるとなると教え方とか時間が必要になってきますが、下手な偶然に頼るよりかはずっと確実な方法なので私はこの方法で何人かを星野仙一監督ばりに育ててきたという自負があります。
人材を見つけるにしろ育てるにしろ、ただ待っているだけで運命のように出会える事はほとんどありません。少なくとも活発に行動を起さなければ意味がなく、もし何かしらの方面に詳しい人と付き合いたいと思うのならそれを強く発信する事をお勧めします。
そういうわけで、政経でも倫哲関係でもいいので、我こそはと思う人は是非メールなりコメントを下さい。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年4月23日金曜日
2010年4月22日木曜日
新党乱立が政局に及ぼす影響
本日、かねてより新党を結成すると見られていた桝添要一氏が自民党に離党届を出し、公式に新党結成を表明しました。
今回の離党に至るまで桝添氏は自民党執行部を厳しく批判し続け、公の場では新党結成をするつもりはないと言いながらもどっからどう見たってそんな風には見えないことから狼中年とまで揶揄されてきましたが、案の定というか早速改革クラブの連中と行動を共にすると発表するあたりやっぱり初めから新党結成をするつもりだったのでしょう。だとすると先週の東国原宮崎県知事との会談でも恐らくこの話題が出ており、何かしらそっちでも動きがあるかもしれません。
ただ今回の桝添氏の新党結成は、私の見方だと政局に対してそれほど大きな影響を与えないかと思います。その理由を一つ一つ説明していくと、まず桝添氏は各世論調査などで総理に相応しい人物としてこのところ常に一位を取るなど人気のある人物でしたが、私はこの結果は桝添氏が自民党にいてこその結果だったと考えております。
現在民主党は普天間問題を初めとした諸問題において文字通り迷走を続けているものの、相対する野党の自民党はというと総裁の谷垣氏を筆頭としてこちらもみんな頼りない。仮に今の民主党を選挙等でどうにかしようにも肝心の対抗馬である自民党の方がもっと情けない状況で、そんな自民党を桝添氏が率いるのであればまだ期待が持てる、そういうような意識から首相に相応しいと評判になったのではないかと思います。
これは逆に言えば政権与党、もしくは与党になりうる政党に桝添氏がいないのであればあまり期待が募らないという事になります。ですので今回新党結成をするために自民党を離脱し小政党の党首なり幹事長を桝添氏が勤めるのであれば、桝添氏が首相となる可能性は自民党時代より低下し、それに伴い彼への支持も落ちていくのではないかというのが私の見方です。
それにしても、90年代の自民党が下野した頃を髣髴させるかの如く今月に入り一挙に新党が乱立する事態となっております。与謝野氏、平沼氏の「立ち上がれ日本」に、橋本大阪府知事の「大坂維新の会」、地方首長らが集まった「日本創新党」など、かねてからあった「みんなの党」がかすむくらいにこのところはラッシュが続いております。
この中で私がまだ期待しているのは「日本創新党」で、この新党の発起人に名を連ねている山田宏杉並区長は区長就任時に940億円あった債務を、なんと十年で170億円にまで縮小し、160億円あった基金も500億円まで増やす事に成功しております。同じく発起人となっている前横浜市長の中田宏氏はあまり好きではないのですが、この新党の主張となっている、「今の地方の問題は国の問題」という内容には共感するものがあり、規模が国家より小さいとはいえ実際に予算を切り盛りした経験のある首長経験者の方が即戦力という意味では期待できます。
しかしこうも新党が乱立してはお互いに票を奪うことになり、返って与党民主党を利する結果となりかねない状態です。各政治評論家も述べていますが、どこかの党が、それこそ自民党が一時下野した90年代に野党を結集して出来た細川護煕政権のように一本にまとまらなければ新党はお互いに足を引っ張るだけで、それこそ鳩山邦夫氏が本人の主張通りに坂本龍馬みたいに橋渡し役を果たすのなら話は別ですが、彼にあのキャラはまず無理でしょう。
そしてなによりも、現在新党が乱立される背景として参議院選挙が今夏にあるためだと言われていますが、仮に次回の参議院選挙で民主党が大敗する事となっても政局は大きく動かないかと思います。以前であれば選挙大敗の責任論などが飛び交いましたが安倍政権以降の自民党政権はいくら選挙で負けようが、いくら支持率が下がろうが、衆参でねじれ現象が起きようが要の衆議院での議席数の優越を盾に一切解散総選挙に応じてきませんでした。
確かに参議院選挙で大敗すれば鳩山首相が退陣することくらいはあるかもしれませんが、その場合でも次に総理になるのは民主党内の別の幹部で、おまけに前回衆議院選挙で大勝しているためそうそう簡単には野党の解散要求にも応じないでしょう。
ではどのような時に政局が動くのかですが、次の総選挙がある三年後か、民主党内から離党者が続出した時のいずれかではないかと思います。いくら自民党から離党者が続出しても政局にはなんの影響もなく、現与党である民主党内から離党者が出ない限りはそうそう大きくは動かないことが予想され、しかも与党でいる限りは去年の自民党みたいにそうそう離党者なんてでることがなく、何か突発的な大きな事件、それこそ新小沢派と反小沢派が大きく激突しない限りはまだまだ民主党政権は続くというのが私の見方です。
今回の離党に至るまで桝添氏は自民党執行部を厳しく批判し続け、公の場では新党結成をするつもりはないと言いながらもどっからどう見たってそんな風には見えないことから狼中年とまで揶揄されてきましたが、案の定というか早速改革クラブの連中と行動を共にすると発表するあたりやっぱり初めから新党結成をするつもりだったのでしょう。だとすると先週の東国原宮崎県知事との会談でも恐らくこの話題が出ており、何かしらそっちでも動きがあるかもしれません。
ただ今回の桝添氏の新党結成は、私の見方だと政局に対してそれほど大きな影響を与えないかと思います。その理由を一つ一つ説明していくと、まず桝添氏は各世論調査などで総理に相応しい人物としてこのところ常に一位を取るなど人気のある人物でしたが、私はこの結果は桝添氏が自民党にいてこその結果だったと考えております。
現在民主党は普天間問題を初めとした諸問題において文字通り迷走を続けているものの、相対する野党の自民党はというと総裁の谷垣氏を筆頭としてこちらもみんな頼りない。仮に今の民主党を選挙等でどうにかしようにも肝心の対抗馬である自民党の方がもっと情けない状況で、そんな自民党を桝添氏が率いるのであればまだ期待が持てる、そういうような意識から首相に相応しいと評判になったのではないかと思います。
これは逆に言えば政権与党、もしくは与党になりうる政党に桝添氏がいないのであればあまり期待が募らないという事になります。ですので今回新党結成をするために自民党を離脱し小政党の党首なり幹事長を桝添氏が勤めるのであれば、桝添氏が首相となる可能性は自民党時代より低下し、それに伴い彼への支持も落ちていくのではないかというのが私の見方です。
それにしても、90年代の自民党が下野した頃を髣髴させるかの如く今月に入り一挙に新党が乱立する事態となっております。与謝野氏、平沼氏の「立ち上がれ日本」に、橋本大阪府知事の「大坂維新の会」、地方首長らが集まった「日本創新党」など、かねてからあった「みんなの党」がかすむくらいにこのところはラッシュが続いております。
この中で私がまだ期待しているのは「日本創新党」で、この新党の発起人に名を連ねている山田宏杉並区長は区長就任時に940億円あった債務を、なんと十年で170億円にまで縮小し、160億円あった基金も500億円まで増やす事に成功しております。同じく発起人となっている前横浜市長の中田宏氏はあまり好きではないのですが、この新党の主張となっている、「今の地方の問題は国の問題」という内容には共感するものがあり、規模が国家より小さいとはいえ実際に予算を切り盛りした経験のある首長経験者の方が即戦力という意味では期待できます。
しかしこうも新党が乱立してはお互いに票を奪うことになり、返って与党民主党を利する結果となりかねない状態です。各政治評論家も述べていますが、どこかの党が、それこそ自民党が一時下野した90年代に野党を結集して出来た細川護煕政権のように一本にまとまらなければ新党はお互いに足を引っ張るだけで、それこそ鳩山邦夫氏が本人の主張通りに坂本龍馬みたいに橋渡し役を果たすのなら話は別ですが、彼にあのキャラはまず無理でしょう。
そしてなによりも、現在新党が乱立される背景として参議院選挙が今夏にあるためだと言われていますが、仮に次回の参議院選挙で民主党が大敗する事となっても政局は大きく動かないかと思います。以前であれば選挙大敗の責任論などが飛び交いましたが安倍政権以降の自民党政権はいくら選挙で負けようが、いくら支持率が下がろうが、衆参でねじれ現象が起きようが要の衆議院での議席数の優越を盾に一切解散総選挙に応じてきませんでした。
確かに参議院選挙で大敗すれば鳩山首相が退陣することくらいはあるかもしれませんが、その場合でも次に総理になるのは民主党内の別の幹部で、おまけに前回衆議院選挙で大勝しているためそうそう簡単には野党の解散要求にも応じないでしょう。
ではどのような時に政局が動くのかですが、次の総選挙がある三年後か、民主党内から離党者が続出した時のいずれかではないかと思います。いくら自民党から離党者が続出しても政局にはなんの影響もなく、現与党である民主党内から離党者が出ない限りはそうそう大きくは動かないことが予想され、しかも与党でいる限りは去年の自民党みたいにそうそう離党者なんてでることがなく、何か突発的な大きな事件、それこそ新小沢派と反小沢派が大きく激突しない限りはまだまだ民主党政権は続くというのが私の見方です。
2010年4月21日水曜日
賤ヶ岳の合戦の価値
戦国時代における決戦とくれば何が来るか。恐らく大半の方は徳川家の繁栄を決定付けた関ヶ原の戦いか、信長亡き後に秀吉が主導権を握るきっかけとなったうえに山場の代名詞である「天王山」という言葉の始まりともなった山崎の戦いを挙げると思いますが、私はこれらの合戦よりも賤ヶ岳の合戦の方が決戦としては意義深いのではないかと見ております。
・賤ヶ岳の戦い(Wikipedia)
賤ヶ岳の合戦というのは後の太閤秀吉(当時はまだ羽柴秀吉)と、織田家中でも年季の古さといい実力といいナンバー1だった柴田勝家が、織田家残党の主導権を奪い合った戦いです。詳しいくだりは省きますがこの合戦、詳細に経過を眺めると双方が実に複雑な駆け引きをしており、またその駆け引きが裏目に出たり逆に思わぬところで効果を発揮したりなど、短い時間で大きく形勢が動きあう戦争で実に興味深い内容です。
最終的には、恐らくこの合戦を実質取り仕切っていた黒田官兵衛を要する秀吉側が勝利を得ますが、結果論からだと柴田勝家側が勝っていても全然おかしくない戦闘内容でした。言い切ってしまえば、前田利家さえ裏切らなければ多分勝っていたような気もします。
同じく関ヶ原の重要な局面で裏切った小早川秀秋は批判的に語られていても、前田家はその後も江戸時代に残り続けたせいかこの時の裏切りが激しく批判されることはないように見えます。ただ前田家のチキンぶりはその後も健在だったようで、明治維新の際は賤ヶ岳での利家の行動を見習って、幕府側にも薩長側にもつかず、全国最大の雄藩だったにもかかわらず後の時代で主導権を握る事はありませんでした。
・賤ヶ岳の戦い(Wikipedia)
賤ヶ岳の合戦というのは後の太閤秀吉(当時はまだ羽柴秀吉)と、織田家中でも年季の古さといい実力といいナンバー1だった柴田勝家が、織田家残党の主導権を奪い合った戦いです。詳しいくだりは省きますがこの合戦、詳細に経過を眺めると双方が実に複雑な駆け引きをしており、またその駆け引きが裏目に出たり逆に思わぬところで効果を発揮したりなど、短い時間で大きく形勢が動きあう戦争で実に興味深い内容です。
最終的には、恐らくこの合戦を実質取り仕切っていた黒田官兵衛を要する秀吉側が勝利を得ますが、結果論からだと柴田勝家側が勝っていても全然おかしくない戦闘内容でした。言い切ってしまえば、前田利家さえ裏切らなければ多分勝っていたような気もします。
同じく関ヶ原の重要な局面で裏切った小早川秀秋は批判的に語られていても、前田家はその後も江戸時代に残り続けたせいかこの時の裏切りが激しく批判されることはないように見えます。ただ前田家のチキンぶりはその後も健在だったようで、明治維新の際は賤ヶ岳での利家の行動を見習って、幕府側にも薩長側にもつかず、全国最大の雄藩だったにもかかわらず後の時代で主導権を握る事はありませんでした。
2010年4月20日火曜日
何回言えばわかるんだ?
我ながら今日は随分と挑発的なタイトルになりましたが、最近また友人に薦められた本でブログのアクセスはタイトルで決まる部分が多いと書かれていたので、たまにはこういう風なタイトルも悪くないかと思ってつけてみました。内容はいつもどおりにくどくどしたものだけど。
もう随分と前、確か私が中学生だった頃、実時間にして十年以上も前の話ですが、ある日授業中に国語の先生が気分転換とばかりに雑談を始めました。なんでもどっかの雑誌かなんかに載っていた話だそうですが、当時「声に出して読みたい日本語」を出版して名が売れ始めていた斉藤孝明治大学教授がある日、自分ところの学生を使って暗記に関するあるテストを行ったそうです。
テスト方法は完全に脈絡のない座席順を学生に一旦見せて、それを隠した状態でどれだけ覚えているかを調べるというものだったそうですが、テストを終えて結果を分析すると、平均にして約七回、「覚える」と「忘れる」を繰り返すことで初めて記憶がしっかりと固定されるようになることが分かったそうです。
この話を聞いた当初、なんとなくですが私もその通りなんじゃないかと思いました。というのも私自身、「覚える」と「忘れる」を何度も繰り返す事で記憶というものは強化されるものだと考えており、特にこの実験で使われたような席順といった何かと関連して覚えるわけでもない独立している暗記物などはそうした繰り返しが重要だと思っていたからです。
斉藤孝氏が実験を行った明治大学は日本中の誰もが認める名門大学で、そこの学生は一般的な日本人よりも頭脳が優秀であると考えられます。その明治大学生ですら約七回も、「覚える」と「忘れる」を繰り返さなければ記憶を固定化できないのであれば、よっぽど記憶力のいい人でも五回程度、逆に普通の人ならそれこそ十回程度はこの繰り返しを経なければ記憶が固定化できないと私は推測しております。少なくとも、一回言ってパッと覚えられる人間は超稀少と言っていいでしょう。
そのためか、今ではすっかり機会が減ってしまいましたが数年前まで私はよく後輩を指導する事が多く、その際によくこんなことを言っていました。
「今言った事をちゃんと覚えてね。覚えたら出来る限り早く忘れて、もう一回自分の所に聞きに来るように」
聞いてる方からすると何を言っているのかと思われていたかもしれませんが、私の方からすると大真面目で、人間ってのは一回聞いて何でもかんでも覚えられるわけじゃなく少しずつ覚えては忘れるもので、忘れた後にまた繰り返し教えることで初めて相手に理解させることができると考えての指導でした。
このように私は基本的に一回教えた所で相手は絶対に暗記、理解は出来ないという前提を持っているのですが、この前提があることで何がプラスかといえば、教えていてイライラしなくなることです。あらかじめ相手には噛んで含めるように何度も言わなければならないと前提しているので相手が二回、三回と教えたことを忘れても、これが普通なんだと割り切れます。周りを見ていると、怒りっぽい人なんかは一回言って分からない人に対しても怒鳴りつける人もいますが、私自身用具の置き場所などは一回教えてもらったくらいじゃなかなか覚えられないので、あまりこういう人が社会に多いというのは望ましくありません。
そういうもんだから、よく先輩や上司から覚えの悪い事を注意された場合、こんな風に言い返せればいいのではないかと思います。
「何回言えばわかるんだ (`A´)!?」
「平均にして、約七回であります(#゚Д゚)!!」
「……………(゚Д゚;)」
いや、実際には私もこうは言い返さないですけどね。
逆にこの話を個人単位で考えるのならば、試験前や語学の勉強において何か暗記するべき内容があるとしたら、七回は覚えて忘れてを繰り返す必要があるという風にも考える事が出来ます。もっとも、関連した内容や語呂合わせなどを組み合わせる事でこの回数はいくらでも減少させる事が出来ますが、一回や二回で覚えられないからって自分は記憶力が悪いなどと考えず、繰り返し覚えて忘れることが勉強には必要だと肝に銘じておくとストレスが溜まらずに済むかもしれません。
うちのお袋なんかパソコンの操作をなかなか覚えられないことを歳のせいだと言い訳しますが、私が見ていてそれほど歳の影響は大きくないと思います。私とてパソコンの各機能を今より若い時分に覚える際には何度も覚えては忘れていたので、単純に何度繰り返してでも覚えようとする忍耐力の低下こそが年寄りの記憶力低下の原因ではないかと見ております。忍耐がないと、よく言われる私が言う事ではないのですが。
もう随分と前、確か私が中学生だった頃、実時間にして十年以上も前の話ですが、ある日授業中に国語の先生が気分転換とばかりに雑談を始めました。なんでもどっかの雑誌かなんかに載っていた話だそうですが、当時「声に出して読みたい日本語」を出版して名が売れ始めていた斉藤孝明治大学教授がある日、自分ところの学生を使って暗記に関するあるテストを行ったそうです。
テスト方法は完全に脈絡のない座席順を学生に一旦見せて、それを隠した状態でどれだけ覚えているかを調べるというものだったそうですが、テストを終えて結果を分析すると、平均にして約七回、「覚える」と「忘れる」を繰り返すことで初めて記憶がしっかりと固定されるようになることが分かったそうです。
この話を聞いた当初、なんとなくですが私もその通りなんじゃないかと思いました。というのも私自身、「覚える」と「忘れる」を何度も繰り返す事で記憶というものは強化されるものだと考えており、特にこの実験で使われたような席順といった何かと関連して覚えるわけでもない独立している暗記物などはそうした繰り返しが重要だと思っていたからです。
斉藤孝氏が実験を行った明治大学は日本中の誰もが認める名門大学で、そこの学生は一般的な日本人よりも頭脳が優秀であると考えられます。その明治大学生ですら約七回も、「覚える」と「忘れる」を繰り返さなければ記憶を固定化できないのであれば、よっぽど記憶力のいい人でも五回程度、逆に普通の人ならそれこそ十回程度はこの繰り返しを経なければ記憶が固定化できないと私は推測しております。少なくとも、一回言ってパッと覚えられる人間は超稀少と言っていいでしょう。
そのためか、今ではすっかり機会が減ってしまいましたが数年前まで私はよく後輩を指導する事が多く、その際によくこんなことを言っていました。
「今言った事をちゃんと覚えてね。覚えたら出来る限り早く忘れて、もう一回自分の所に聞きに来るように」
聞いてる方からすると何を言っているのかと思われていたかもしれませんが、私の方からすると大真面目で、人間ってのは一回聞いて何でもかんでも覚えられるわけじゃなく少しずつ覚えては忘れるもので、忘れた後にまた繰り返し教えることで初めて相手に理解させることができると考えての指導でした。
このように私は基本的に一回教えた所で相手は絶対に暗記、理解は出来ないという前提を持っているのですが、この前提があることで何がプラスかといえば、教えていてイライラしなくなることです。あらかじめ相手には噛んで含めるように何度も言わなければならないと前提しているので相手が二回、三回と教えたことを忘れても、これが普通なんだと割り切れます。周りを見ていると、怒りっぽい人なんかは一回言って分からない人に対しても怒鳴りつける人もいますが、私自身用具の置き場所などは一回教えてもらったくらいじゃなかなか覚えられないので、あまりこういう人が社会に多いというのは望ましくありません。
そういうもんだから、よく先輩や上司から覚えの悪い事を注意された場合、こんな風に言い返せればいいのではないかと思います。
「何回言えばわかるんだ (`A´)!?」
「平均にして、約七回であります(#゚Д゚)!!」
「……………(゚Д゚;)」
いや、実際には私もこうは言い返さないですけどね。
逆にこの話を個人単位で考えるのならば、試験前や語学の勉強において何か暗記するべき内容があるとしたら、七回は覚えて忘れてを繰り返す必要があるという風にも考える事が出来ます。もっとも、関連した内容や語呂合わせなどを組み合わせる事でこの回数はいくらでも減少させる事が出来ますが、一回や二回で覚えられないからって自分は記憶力が悪いなどと考えず、繰り返し覚えて忘れることが勉強には必要だと肝に銘じておくとストレスが溜まらずに済むかもしれません。
うちのお袋なんかパソコンの操作をなかなか覚えられないことを歳のせいだと言い訳しますが、私が見ていてそれほど歳の影響は大きくないと思います。私とてパソコンの各機能を今より若い時分に覚える際には何度も覚えては忘れていたので、単純に何度繰り返してでも覚えようとする忍耐力の低下こそが年寄りの記憶力低下の原因ではないかと見ております。忍耐がないと、よく言われる私が言う事ではないのですが。
2010年4月19日月曜日
高齢者層は本当に金融資産を蓄えているのか?
もう二年も前の「日経ヴェリタス」の記事ですが、今でもよく引用され続けているデータとして日本人の世代別総金融資産のデータがあります。具体的にそれはどのようなデータなのかというと、下記サイトにて大まかに内容がまとめられております。
・FP寺井のマネー雑感
なんかそのままの引用になってしまいますが、こだわっていると話が進まないのでとっととデータの法をコピー&ペーストさせてもらい、生年を十年で区切った各世代が保有する当時の金融資産の総額は下記の通りとなります。
29歳以下 10兆円
30~39歳 86兆円
40~49歳 172兆円
50~59歳 330兆円
60~69歳 494兆円
70歳以上 452兆円
見て分かるとおりに、世代年齢が上昇するとともに金融資産額は大きくなり、60~69歳の間でピークを迎えます。もちろんこういう金融資産云々以前に収入というのは基本的に年齢とともに挙がっていくものなので年齢に比例して金融資産額が上がるのも自然といえば自然なのですが、それにしたって50歳以上の金融資産額が全体の80%を占めるというのは素人目的には大き過ぎる気がします。
そんなわけでこのデータは年寄りらは最近の若者はお金を全然使おうとしないと言うが、一番消費をしないで溜め込んで、言い方を変えると経済に不効率な役割を果たしているのはほかならぬ年寄り達だという意見に用いられております。確かに額面どおりにこのデータの内容を見ればその通りとしか言いようがなく、いくら老後に不安があるから、世代別人口が多いからといってもこの数字はあんまりじゃないかと若者の立場からすると思ってしまうのですが、実は私は内心このデータは実態をきちんと反映しているのかとかねてより疑問に感じておりました。
日経ヴェリタスの記者の取材を疑っているわけではないのですが、どうも私が近くで見聞きするような年寄りたちの実相と比べるとこのデータはどうにもしっくりきません。私が話を聞いたりする年寄りは生活が苦しい方が多く、とてもじゃないですがこれほど金融資産を持っているようには見えません。
そういうわけで私はこのデータに対し、全体でまとめて統計を取ればこうなるかもしれないが、このデータはごく一部の超富裕層とも言うべき年寄りが全体の数値を押し上げてできたデータであり、平均的な老人の資産実態を表していないのではないかと思ったわけです。
じゃあ実態はどんなものだろうかと改めて調べてみた所、更に現在より遡る事四年前の読売新聞の記事に目を引く内容がありました。
・「世代が上がるほど資産保有額が高く、資産運用に積極的。情報源は主に新聞から」
—— 団塊世代調査⑦ 資産運用(読売新聞)
この記事では50歳から65歳までの各世代別の金融資産をわざわざ金額ごとに区分してまとめております。このデータで無回答者を除外してみると、団塊世代以上は意外にも全体的に裕福な人間が多くてちょっと驚きました。60~65歳では約半数が1000万円以上の資産を保有しており、一番集中している金額層も「2000万円~5000万円」でした。
さすがにこの記事はアンケート調査だからなにかデータをいじくっているんじゃないかと人口数と平均資産額などを私の方で計算することで検証してみたのですが、こちらも意外や意外に、一番最初の日経ヴェリタスの記事に出てた世代別保有資産額のデータに通ずる結果となってしまいました。
そういうことで、少なくとも私が見立てた、一部の超富裕層が世代別総資産額のデータを押し上げているというのは間違っている可能性が高いようです。だからといって保有資産額の少ない老人がほとんどいないというわけではなく、若者の側も年寄り全員が金持ちだと食って掛かるのではなく、ばらつきがあることを認識した上で年寄りに金持ちが多いと踏まえるべきなのかもしれません。
・FP寺井のマネー雑感
なんかそのままの引用になってしまいますが、こだわっていると話が進まないのでとっととデータの法をコピー&ペーストさせてもらい、生年を十年で区切った各世代が保有する当時の金融資産の総額は下記の通りとなります。
29歳以下 10兆円
30~39歳 86兆円
40~49歳 172兆円
50~59歳 330兆円
60~69歳 494兆円
70歳以上 452兆円
見て分かるとおりに、世代年齢が上昇するとともに金融資産額は大きくなり、60~69歳の間でピークを迎えます。もちろんこういう金融資産云々以前に収入というのは基本的に年齢とともに挙がっていくものなので年齢に比例して金融資産額が上がるのも自然といえば自然なのですが、それにしたって50歳以上の金融資産額が全体の80%を占めるというのは素人目的には大き過ぎる気がします。
そんなわけでこのデータは年寄りらは最近の若者はお金を全然使おうとしないと言うが、一番消費をしないで溜め込んで、言い方を変えると経済に不効率な役割を果たしているのはほかならぬ年寄り達だという意見に用いられております。確かに額面どおりにこのデータの内容を見ればその通りとしか言いようがなく、いくら老後に不安があるから、世代別人口が多いからといってもこの数字はあんまりじゃないかと若者の立場からすると思ってしまうのですが、実は私は内心このデータは実態をきちんと反映しているのかとかねてより疑問に感じておりました。
日経ヴェリタスの記者の取材を疑っているわけではないのですが、どうも私が近くで見聞きするような年寄りたちの実相と比べるとこのデータはどうにもしっくりきません。私が話を聞いたりする年寄りは生活が苦しい方が多く、とてもじゃないですがこれほど金融資産を持っているようには見えません。
そういうわけで私はこのデータに対し、全体でまとめて統計を取ればこうなるかもしれないが、このデータはごく一部の超富裕層とも言うべき年寄りが全体の数値を押し上げてできたデータであり、平均的な老人の資産実態を表していないのではないかと思ったわけです。
じゃあ実態はどんなものだろうかと改めて調べてみた所、更に現在より遡る事四年前の読売新聞の記事に目を引く内容がありました。
・「世代が上がるほど資産保有額が高く、資産運用に積極的。情報源は主に新聞から」
—— 団塊世代調査⑦ 資産運用(読売新聞)
この記事では50歳から65歳までの各世代別の金融資産をわざわざ金額ごとに区分してまとめております。このデータで無回答者を除外してみると、団塊世代以上は意外にも全体的に裕福な人間が多くてちょっと驚きました。60~65歳では約半数が1000万円以上の資産を保有しており、一番集中している金額層も「2000万円~5000万円」でした。
さすがにこの記事はアンケート調査だからなにかデータをいじくっているんじゃないかと人口数と平均資産額などを私の方で計算することで検証してみたのですが、こちらも意外や意外に、一番最初の日経ヴェリタスの記事に出てた世代別保有資産額のデータに通ずる結果となってしまいました。
そういうことで、少なくとも私が見立てた、一部の超富裕層が世代別総資産額のデータを押し上げているというのは間違っている可能性が高いようです。だからといって保有資産額の少ない老人がほとんどいないというわけではなく、若者の側も年寄り全員が金持ちだと食って掛かるのではなく、ばらつきがあることを認識した上で年寄りに金持ちが多いと踏まえるべきなのかもしれません。
2010年4月18日日曜日
私の自転車のこだわり
このところのこのブログの検索ワードを調べてみると、朝ドラの影響か「水木布枝」が上位に食い込んできております。これまで人物名に関するワードだと「宮崎繁三郎」、「竹中平蔵」がポイントゲッターとして活躍してきていたのですが、「水木布枝」とともに「広瀬健一」もこのところ急上昇中です。どちらもアクセス数アップを狙って書いた記事ではなかったのですが。
その一方、根強いというかなんというか、自転車関連の検索ワードもやはり上位に食い込んできております。対象となる記事はあの房総半島一周と琵琶湖一周の顛末記の記事ですが、あんな無計画な自転車旅の記事を見て何の参考になるのか、自分で書いておきながらもアクセスがあるのがかえって不安に感じてしまいます。
とはいえ、自転車はやはり私の唯一の真っ当な趣味であるため(他の趣味はあまり口外できない)、今日もそれほど長距離ではありませんが休日と言うこともあって適当に漕いできました。
走ってきたのは市街地と河原沿いのサイクリングロードで往復でわずか20キロ程度でしたが、その間に五軒の古本屋に寄っては「GANTZ」を安くまとめ買い出来ないかと見回ってきたので出発から一時間半で家に帰ってきました。結局「GANTZ」はどこも高くてあきらめたけど。
私はサイクリングにおいてあまりトップスピードにこだわるよりも周りの風景を眺めながら走るのが好きなので、いつも乗る自転車は六段変速ギアではありますが普通のシティサイクルです。このところうちの親父が自転車に凝っていて競技仕様のロードバイクも部品から組み立ててもらったのですが、今でも初対面の人にびびられるくらい姿勢が良すぎるためリアルに猫背になれない私が乗るとすぐに腰が痛くなるのでこれにはほとんど乗りません。因みに高校時代、猫背になれないのに授業中に居眠りをしようとすると、背中はびしっと直立なのに首だけ大きく前に曲げていて傍目にも苦しそうに私は居眠りしていたそうです(実際苦しかった)。
私がサイクリングをする際に気をつけていることとしては、まずは信号をきちんと守る事です。このところサイクリングブームで普通っぽい女の子でもやけにいい自転車に乗っているのを見かけるのですが、それとともにマナーの悪い自転車乗りもよく見かけるようになってきております。具体的にどのようにマナーが悪いかというと、ちょっとくらいの信号すら守らない、歩道を速度を上げて走る、無理な追越をする、道を譲らないといったところです。
私も意識しない所でこのようなマナー違反をやっているかもしれないのですが、自分としては出来る限りこのようなことはせず、歩道では速度を落とし(上げる時は車道に出て、最低30km/時を維持する)、小学生くらいの子供がいたらほぼ停止に近いくらいまでブレーキをかけます。そして歩道が狭いところで前方に人や別の自転車がいたら、速度を落とすとともになるべく自分から道を譲るようにしております。
ただ唯一マナーが悪いというか、そこまでこだわらなくてもいいのにやってしまうこととして、信号待ちの間でも地面に足をつけようとしないことがあります。時間にして一分程度なら確実に自転車を静止させたままバランスを維持し続ける事が出来るので、信号待ちのほかの歩行者と一緒になって自転車に乗ったまま信号が青に変わるのをいつも待っています。別に足をつけたっていいのですが、なんか気がついたらいつのまにかこういうことが出来るようになってしまっていたので今では意識することなく自然と乗ったまま、それこそいつも自宅を出発して目的地に着くまで一度も足を地面につかずにサドルに乗り続けております。
こういうのもなんですが、私は自転車に乗る技術というのは最速ではなく最遅にあると考えております。自転車は二輪という特性上、高い速度でいるよりも低い速度でいる方が左右にふらついて不安定になります。その不安定な状態でもバランスを保って走り続ける事が出来る、言い換えるならどこまで低い速度で走行し続けられるかにその人の技術が現れるのではないかと思ってるわけです。
そうは言っても乗る自転車によってバランス性は変わってきますし(ママチャリは非常に安定性が高い)、ロードレーサーのように高い速度で走る事を前提とした自転車ではこの分野は圧倒的に不利になります。
ただ「頭文字D」の高橋涼介ではないですが、「公道には公道の、サーキットとは違うテクニックがある」と私は信じており、市街地用自転車で如何に技術のある走り方ができるのあと常に走りながら探求しており、さすがにドリフトには手を出しませんが、カーブでの体の傾き、入り口速度と出口速度のどっちに重きを置くか、ペダルワークをどうするかなどよく考えながら走っております。
理想を言えば市販のママチャリでどこまで労力が少なく、かつ速い移動が出来るのかを突きつめてみたいものです。なお前述の通りに私は背筋がやけにまっすぐ伸びているので、風の抵抗を受けるものの、サドルに乗車時に背筋を直立に伸ばせる自転車の方が体に合っています。もちろんかがんで座るロードレーサーの方が出せる速度は高く、自動車はペーパードライバーなので40km/時を出すと恐くなるのですが、自転車だと平気で走り続ける事が出来ます。
その一方、根強いというかなんというか、自転車関連の検索ワードもやはり上位に食い込んできております。対象となる記事はあの房総半島一周と琵琶湖一周の顛末記の記事ですが、あんな無計画な自転車旅の記事を見て何の参考になるのか、自分で書いておきながらもアクセスがあるのがかえって不安に感じてしまいます。
とはいえ、自転車はやはり私の唯一の真っ当な趣味であるため(他の趣味はあまり口外できない)、今日もそれほど長距離ではありませんが休日と言うこともあって適当に漕いできました。
走ってきたのは市街地と河原沿いのサイクリングロードで往復でわずか20キロ程度でしたが、その間に五軒の古本屋に寄っては「GANTZ」を安くまとめ買い出来ないかと見回ってきたので出発から一時間半で家に帰ってきました。結局「GANTZ」はどこも高くてあきらめたけど。
私はサイクリングにおいてあまりトップスピードにこだわるよりも周りの風景を眺めながら走るのが好きなので、いつも乗る自転車は六段変速ギアではありますが普通のシティサイクルです。このところうちの親父が自転車に凝っていて競技仕様のロードバイクも部品から組み立ててもらったのですが、今でも初対面の人にびびられるくらい姿勢が良すぎるためリアルに猫背になれない私が乗るとすぐに腰が痛くなるのでこれにはほとんど乗りません。因みに高校時代、猫背になれないのに授業中に居眠りをしようとすると、背中はびしっと直立なのに首だけ大きく前に曲げていて傍目にも苦しそうに私は居眠りしていたそうです(実際苦しかった)。
私がサイクリングをする際に気をつけていることとしては、まずは信号をきちんと守る事です。このところサイクリングブームで普通っぽい女の子でもやけにいい自転車に乗っているのを見かけるのですが、それとともにマナーの悪い自転車乗りもよく見かけるようになってきております。具体的にどのようにマナーが悪いかというと、ちょっとくらいの信号すら守らない、歩道を速度を上げて走る、無理な追越をする、道を譲らないといったところです。
私も意識しない所でこのようなマナー違反をやっているかもしれないのですが、自分としては出来る限りこのようなことはせず、歩道では速度を落とし(上げる時は車道に出て、最低30km/時を維持する)、小学生くらいの子供がいたらほぼ停止に近いくらいまでブレーキをかけます。そして歩道が狭いところで前方に人や別の自転車がいたら、速度を落とすとともになるべく自分から道を譲るようにしております。
ただ唯一マナーが悪いというか、そこまでこだわらなくてもいいのにやってしまうこととして、信号待ちの間でも地面に足をつけようとしないことがあります。時間にして一分程度なら確実に自転車を静止させたままバランスを維持し続ける事が出来るので、信号待ちのほかの歩行者と一緒になって自転車に乗ったまま信号が青に変わるのをいつも待っています。別に足をつけたっていいのですが、なんか気がついたらいつのまにかこういうことが出来るようになってしまっていたので今では意識することなく自然と乗ったまま、それこそいつも自宅を出発して目的地に着くまで一度も足を地面につかずにサドルに乗り続けております。
こういうのもなんですが、私は自転車に乗る技術というのは最速ではなく最遅にあると考えております。自転車は二輪という特性上、高い速度でいるよりも低い速度でいる方が左右にふらついて不安定になります。その不安定な状態でもバランスを保って走り続ける事が出来る、言い換えるならどこまで低い速度で走行し続けられるかにその人の技術が現れるのではないかと思ってるわけです。
そうは言っても乗る自転車によってバランス性は変わってきますし(ママチャリは非常に安定性が高い)、ロードレーサーのように高い速度で走る事を前提とした自転車ではこの分野は圧倒的に不利になります。
ただ「頭文字D」の高橋涼介ではないですが、「公道には公道の、サーキットとは違うテクニックがある」と私は信じており、市街地用自転車で如何に技術のある走り方ができるのあと常に走りながら探求しており、さすがにドリフトには手を出しませんが、カーブでの体の傾き、入り口速度と出口速度のどっちに重きを置くか、ペダルワークをどうするかなどよく考えながら走っております。
理想を言えば市販のママチャリでどこまで労力が少なく、かつ速い移動が出来るのかを突きつめてみたいものです。なお前述の通りに私は背筋がやけにまっすぐ伸びているので、風の抵抗を受けるものの、サドルに乗車時に背筋を直立に伸ばせる自転車の方が体に合っています。もちろんかがんで座るロードレーサーの方が出せる速度は高く、自動車はペーパードライバーなので40km/時を出すと恐くなるのですが、自転車だと平気で走り続ける事が出来ます。
近頃の異常気象、自然災害、及び国際情勢の変化について
このところあちこちで自然の猛威とも言うべき災害のニュースが入ってきております。昨日今日の二日間だけでも、アイスランドの火山噴火で出てきた噴煙によるヨーロッパ各地の空港封鎖、四月としては観測史上最も遅い関東地方での降雪があり、またもう少し範囲を広げて今年に入ってからのニュースですと、中国青海省での地震、地理での地震と日本にまで来た津波、鹿児島県桜島火山の噴火活動の活発化と、まるで世紀末を連想させるかのような自然災害がすでに何度も起こっております。
さすがにこれだけいっぺんに色々起こるとちょっと前まであれだけ騒がれていた地球温暖化もどこ吹く風か、特に今年は冬から春への季節以降が特に不気味で、昨日の関東地方の降雪に限らず三寒四温というにはあまりにも寒暖の落差が激しい初春ぶりで、傍目にも温暖化は説得力が日に日に落ちてきているように思えます。
この日本国内の異常気象は農作物にもすでに大きな影響を及ぼしており、報道されている内容ですとキャベツやレタスといった高原野菜が特にひどくやられたために国内の仕入れ価格も例年を大きく上回っており、スーパーなどの小売において価格が上昇してきております。
ただこうした農作物への影響ですが、どうも報道を見ていると日本国内だけではないようです。昨日の朝日新聞において北朝鮮の金正日総書記が当初の予定を数ヶ月繰り上げて来月に北京を訪問する事となったと報じられていましたが、その背景には昨年に実施したデノミによって北朝鮮経済が大きく混乱しているのと、このところの異常気象によって農作物の生産量が大きく減少し、大飢饉が近いうちに予想されていることが原因だそうです。
実際にこのところの天気図を見ていると寒気がいつまでも東アジアに居座り続けており、暑気との激しい攻防が繰り広げられている日本とより北にある朝鮮半島では一向に春の気配が見えてこない状態なのではないかと思います。
現在の北朝鮮はすでに述べたようにデノミによって経済が大きく混乱しており、また金正日の健康も明らかに悪化して後継者問題も控えている事から、これに飢饉が加わると考えるとこれまでにないほど不安定な状態になるのではないかと思います。もちろんこのような環境は北朝鮮を六カ国会議に復帰させるには望ましい状態で、日本としても間隙をつかず北朝鮮へ交渉を行う事が望ましいでしょう。
それにしてもアイスランドの火山噴火のニュースを見ていると、ヨーロッパへ帰る予定だった外国人の方々が不憫で仕方ありません。ヨーロッパから輸出される予定だった農作物も全部駄目になるそうで、ひょっとしたら思いもつかぬ意外なところにも更なる悪影響を及ぼすかもしれません。
さすがにこれだけいっぺんに色々起こるとちょっと前まであれだけ騒がれていた地球温暖化もどこ吹く風か、特に今年は冬から春への季節以降が特に不気味で、昨日の関東地方の降雪に限らず三寒四温というにはあまりにも寒暖の落差が激しい初春ぶりで、傍目にも温暖化は説得力が日に日に落ちてきているように思えます。
この日本国内の異常気象は農作物にもすでに大きな影響を及ぼしており、報道されている内容ですとキャベツやレタスといった高原野菜が特にひどくやられたために国内の仕入れ価格も例年を大きく上回っており、スーパーなどの小売において価格が上昇してきております。
ただこうした農作物への影響ですが、どうも報道を見ていると日本国内だけではないようです。昨日の朝日新聞において北朝鮮の金正日総書記が当初の予定を数ヶ月繰り上げて来月に北京を訪問する事となったと報じられていましたが、その背景には昨年に実施したデノミによって北朝鮮経済が大きく混乱しているのと、このところの異常気象によって農作物の生産量が大きく減少し、大飢饉が近いうちに予想されていることが原因だそうです。
実際にこのところの天気図を見ていると寒気がいつまでも東アジアに居座り続けており、暑気との激しい攻防が繰り広げられている日本とより北にある朝鮮半島では一向に春の気配が見えてこない状態なのではないかと思います。
現在の北朝鮮はすでに述べたようにデノミによって経済が大きく混乱しており、また金正日の健康も明らかに悪化して後継者問題も控えている事から、これに飢饉が加わると考えるとこれまでにないほど不安定な状態になるのではないかと思います。もちろんこのような環境は北朝鮮を六カ国会議に復帰させるには望ましい状態で、日本としても間隙をつかず北朝鮮へ交渉を行う事が望ましいでしょう。
それにしてもアイスランドの火山噴火のニュースを見ていると、ヨーロッパへ帰る予定だった外国人の方々が不憫で仕方ありません。ヨーロッパから輸出される予定だった農作物も全部駄目になるそうで、ひょっとしたら思いもつかぬ意外なところにも更なる悪影響を及ぼすかもしれません。
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