ページ

2012年4月2日月曜日

日本のライバル国

 日本人に対して「日本のライバル国は?」と聞いたら恐らく、7割方の人間が韓国か中国の名前を挙げ、残り3割の大半をアメリカと答えるのではないかと思います。なお韓国か中国かといったら多分韓国の方が割合が多い気がします。このような現実を踏まえた上で言うと、私は将来的に真に日本のライバル国となるのは、一つは国ではなく地域ですが香港、もう一つはシンガポールだと考えております。

 久々にこういう突飛な意見というか、見ている人が見たら何をと思われる話ですが、この件に関してはやや真面目に考えております。まず最初に上げた国々がどうして日本のライバルじゃないかという点ですが、韓国については主要産業が電機と自動車ということでうなずける部分もあるのですが、アメリカや中国に関しては人口規模から国土まで日本とは桁違いに大きく、何気にこの前も私がレポートで書きましたが、国土が広いだけあって中国の建機メーカーはまだまだ長きにわたって繁栄を享受することが予想されています。また産業構造というか国の構造もこの二ヶ国は日本と趣が異なっている、具体的に言えば軍事費の支出割合が大きく、こう言ってはなんですがいい意味で棲み分けが出来る相手だと考えています。

 では逆に、どうして香港とシンガポールを日本の将来のライバル国として挙げたのかについて説明します。まず前提から解説すると、日本はともかく香港とシンガポールの二ヶ国(面倒なので香港はこの後も「国」として話を進めます)は互いに相手をはっきりとライバル視ししており、去年も香港の調査では競争相手国としてシンガポールが一位に入っていました。この二ヶ国がどうしてライバル視し合っているかというと単純に産業から構造までが全く一緒で、どちらも移民が多く、国土と人口は少なく、食料は他国からの輸入で賄っており、法人税は少なく、金融とグローバル拠点としての立地の良さを武器に戦っているからです。さらに付け加えるなら、英語が公用語として通用する点も共通しています。
 こうして挙げた要素を日本の現状と比べると、自分で言っておきながらですが明らかに隔たりがあります。まず日本は中国やアメリカと比べると狭いながらも国土は広く(平地は少ないが)、人口も世界でもかなり上位にランクインしています。食料を外国に依存しているという点では共通していますが、英語が公用語なんて遥か遠い世界なくらいにほかの要素はまるで一致してません。

 このように土台が全く違うにもかかわらず何故私がこの二ヶ国をライバル視すするのか、回りくどい言い方になってしまいましたが20年くらい先の日本の持っていき先として、国の構造や産業をこの二ヶ国の現状に近づけさせたいというのが狙いです。何故このような意見を持つのかというと、そもそもの現状として今の日本は政治家も官僚も国民もそろってアメリカや中国に張り合おうとしているところがあります。確かにかつての日本のGDPや経済力は非常に高くてアメリカや中国とも張り合えそうに見えたこともありましたが、張り合おうとした結果、いろんなものを失っているのが今の日本の現状ではないかとも感じます。また中長期的に見るならば、これまた極論かもしれませんが自分は将来の世界では人口が少なければ少ないほど一国として有利になると考えており、現在の少子化対策は必要ではあるものの日本の人口は緩やかに減少させていくべきだとも考えており、中国やアメリカをボクシングのヘビー級としてとらえるなら、もっと体重の軽いフェザー級などへ持っていくべきだという持論をかねてから持っております。

 こうした価値観から将来的な日本の姿のモデルとして今の世界で成功しているのを挙げるととすると、やはり香港とシンガポールかという考え方から勝手なライバル視に繋がりました。
 まずくれぐれも言っておきますが、一から十まで香港とシンガポールのような国に日本はなるべきだとは考えておりません。香港の人口は約700万人、シンガポールは約470万人で日本の十分の一以下であり、人口が少ないがゆえの有利さもありますが日本は国内人口が大きい分だけあって国内市場を持っているという強みがあり、これをわざわざ捨てる必要がありません。ただ将来的な人口減に対応するため、この二ヶ国の取り組みの必要なところ(必要なところ≠良いところ)は日本も取り込んでいくべきで、それこそ移民に関しては今から議論するのも遅すぎるくらいです。

 なんか自分でも考えがまとまっていなかったせいかあまりまとまりのない内容となりましたが、簡潔にまとめるなら「中国やアメリカと張り合おうとせず、香港やシンガポールに近づくように構造を変えるべき」というのが私の意見です。

2012年4月1日日曜日

司法取引を導入するべきか否か

司法取引(Wikipedia)

 久々に司法関係の話題を取り上げようと思ったので、司法取引を日本でも導入するべきか否かというテーマについて今日は書きます。結論から書くと、今の日本の現状ではまだ全面的に導入するべきではないというのが私の意見です。

 話をする前に司法取引について、知ってる人は端折って結構ですが簡単に説明します。これはいわゆる「裁判取引」と言われ英米ではかなり盛んに実行されている制度なのですが、要するにその本人が関わっている犯罪について共犯者や手口、証拠などを供述、提出する代わりに罪の軽減化を認めるという制度です。具体的なメリットとしては、まだ摘発されていない事件が明るみになったり、もしくは組織犯罪などを一気にトリマ閉まることが出来るといったことが挙げられています。
 欧米なんかだとやはりマフィア絡みの犯罪にこの司法取引がよく使われるそうですが、このほか経済犯罪から詐欺事件までと、弁護士が仕事しやすいようになんかいろいろと整備されているそうです。

 そんな司法取引に対する日本の現状ですが基本的には一切認めていませんし、進んで自白をすることで反省の態度があるとみなして減刑されることはあっても、欧米のように証拠を提出するかわりに執行猶予を約束するということは多分許されておりません。ただ全くないというわけではなく課徴金減免制度といって、カルテルなど経済案件に関する組織犯罪に対しては申告した順番が早ければ早いほど課徴金が免じられる制度が2006年から導入されており、こういうのもなんですが物凄い成果を上げております。
 せっかくなので何か事例をひっぱってこようと検索したらこの制度を運用している公正取引委員会が記者も学者も感動するくらいにきちんと過去の事例案件をまとめておいてくれてます。それで事例ですが、最新の自動車向けハーネスに関する事例では恐らく真っ先に垂れこんだであろう古川電工が課徴金を全額免除されており、その次の住友電工は50%、そして最後であろう矢崎総業が30%とそれぞれ免除されています。矢崎に関しては海外でも派手にカルテルをやってたのかこの前幹部がアメリカで逮捕されて懲役付きの実刑判決食らってましたが、きついことを言うとハーネス業界ならさもありなんと私は感じましたし、まだ他にも隠していることがたくさんある気がします。自分もあの業界とはちょっと関わったことがありますが、見積もり依頼時にエンドユーザーとなる自動車メーカーの名前を出さないと絶対に販売価格を明かさない(=自動車メーカーごとに価格が初めから決まっている)ところといい、真面目にくたばったほうがいいと言いたくなるやり方してます。あと在庫くらいもう少し持てよ、住友電工。

 話は司法取引に戻りますが、確かにこの制度があると「早く自白した方が刑が軽くなる」という競争意識が働いて犯罪の摘発に間違いなく効果があると言い切れるのですが、それを考慮しても日本で導入するべきではないという立場を私は取ります。一体何故反対なのかというと、これは日本の司法制度に問題があるためで、刑事事件などで自白が過剰に重く取り扱われる風土があるからです。それこそ具体例を挙げていったら切りがないくらいなのですが、日本の刑事裁判では足利事件を筆頭に容疑者が自白したという供述書さえあればほかの可能性を示唆したり自白内容を覆す証拠や目撃証言があっても完全に無視されてしまいます。
 そのため司法取引がもし認められる場合、それこそ誰かが嘘の証言をして全く関係のない人間を共犯だったと供述したら、ほかに何も証拠がないにもかかわらずその無関係の人間が逮捕、拘留、実刑判決の三拍子を受けてしまいかねません。言うなれば、冤罪の温床となる確率が非常に高いのです。

 また仮に真実の証言や供述があっても、警察や検察側のねじれた判断でその供述者が罠にはめられる可能性も十分に考えられますし、現実にそんな事件が過去に起きています。その事件とは1993年に起きた埼玉愛犬家連続殺人事件で、この事件では4人もの人間(実際にはもっと多いとされている)を殺害した夫婦について遺体の解体などを手伝った男が「検察側から持ちかけられた」として、執行猶予を付けることを条件に犯行内容などを自供しました。この男の自供によって、というより自供があって初めて殺害を立証する証拠が発見され事件を立件することが出来たのですが、この男の第一審に対する検察の求刑には執行猶予はつけられず、判決も懲役三年の実刑がおりました。
 こうした検察の態度に対して男は約束を反故にされたとして司法取引の密約があったという事実を明かした上に、共犯の裁判における証言を一切拒否する行為に出ました。これに対し浦和地検はこちらはお約束通りに「密約はなかった」と存在そのものを否定しましたが、事件構造から言っても傍目に見てもあったとみて当然じゃないかと私は考えています。なお、共犯の夫婦二人には死刑判決が下りてます。

 以上のような考察から、私は司法取引が日本で導入されたら刑事事件などにおいて警察や検察によって恣意的に利用されるだけでなく、冤罪を大量に生みかねないと考えています。ただ経済犯罪に対する効果は既に実証済みであることからこのまま続けるべきで、さらに言うなら刑事事件においてもある程度適用先を限定する、それこそ完全な証拠があるのを条件にした上で暴力団などによる組織犯罪に対してのみであれば検討した上で導入してもいいのではと思います。この前も記事にて取り上げましたがそれこそオウム真理教などテロ集団に対してはむしろ適用すべきで、破防法よりも使い勝手がいいんじゃないかと勝手に考えてます。

 ちなみに今は就活シーズンですが、自分はどこかの面接でふとしたことをきっかけに、「仮に御社が社会的に明らかに不正と見られる行為を行っていた場合は自分は迷わず内部告発します」といって速攻で落とされたことがありました。自分が雇用する立場ならこういう人間を評価して引き込むでしょうが社会はなかなかそうもいかないようです。

2012年3月31日土曜日

スターウォーズの関連商品

 過去記事でこのところメール語尾に「フォースと共に」という言葉を付けるのがマイブームとなっていると語りましたが、ちょうど「スターウォーズ エピソード1」の3D版が公開されたこともあって関連する話題がこのところ溢れております。自分が見たニュースだと今回の3D版を2D版の公開当初は幼くて恐らくは見ていない世代に見せたところ反響はよかったという話がありましたが、こうした映画本体に関する話題にとどまらず関連商品も出てきているようで、先日見た中にはこんなニュースがありました。

『スター・ウォーズ』ライトセーバー型の傘が登場! スイッチでシャフトが光る本格仕様!(シネマトゥデイ)

 上記リンク先で紹介しているのはライトセーバー型の傘で、なんでもスイッチを付けるとシャフト部分がライトセーバーのように光るそうです。ちょうど現在私が上海で使っている傘が去年の台風の際に骨の一部が曲がっているので見た時は素直に「欲しい」とか思っちゃったりしたのですが、値段は4980円とのことでやや割高感があります。
 ちなみにスターウォーズはハリウッド映画として初めて関連のおもちゃ商品が出たそうで、確かシリーズを通した売上げはギネスブックとかにも載っていたような気がします。ライトセーバーなんかおもちゃ化しやすい商品なだけに大量にあふれていたでしょうが、それにしたって傘に使おうと考えた人は相当な切れ者でしょう。

 これとは別に昨日、仕事で企業のプレスリリースをチェックしていたら、ちょっと目を引くリリースが出ておりました。

May the Force be with you. - ヨーダがライトセイバーでPCを守るUSBアクセサリ(マイナビニュース)

 こちらはセンチュリーというパソコン向けアクセサリーなどを売っている会社ですが、なんとヨーダのデスクプロテクターを発売したそうです。デスクプロテクターとは知らないうちに勝手にパソコンを触ろうとする人間に対し警告を与える、もとい音を出すだけの防犯用具だそうですが、先ほどの傘といいこんな商品にヨーダを使おうとする人は相当の切れ者かアレな人でしょう。しかも妙に凝っていて、発する音声は下記の六種類にも渡るそうです。

1、In the end cowards are those who follow the Dark Side.
(和訳:臆病者とはダークサイドに堕ちる者達のこと)
2、A disturbance in the Force there is.
(和訳:侵入者そこにあり)
3、Retreat! Cover you, I will!
(和訳:撤退せよ!わしが守る)
4、Still much to learn, you have.
(和訳:まだ学ぶべきことが多くある)
5、So certain of defeat, are you? Hmmm…
(和訳:負けを認めるのか)←防犯用具がこんなこと言っていいのかよ(;゚Д゚)
6、Rush not into fight. Long is the war.Only by surviving it, will you prevail.
(和訳:戦いに急ぐな、戦争とは長期間かかるものだ。生き残ることによってのみ、打ち勝てるのだ)

 「一体こんな商品を出したところで誰が得するんだよ、俺以外に」とかちょっと思ってしまった商品です。

 ちなみにまた豆知識ですが、エピソード5~6では人形を使ってヨーダのシーンが撮影されましたが、エピソード1では人形とCGを混合して撮影され、エピソード2、3に至ってフルCGで撮影されたそうです。これも技術の進化によってなされたものですがヨーダのフルCG化は思わぬところで弊害も生んでおり、なんでもエピソード2の終盤でヨーダと激しい戦闘シーンを展開するドゥークー伯爵役を演じたクリストファー・リーは撮影の際、目には見えず存在しない相手に激しくライトセーバーを振るうアクションを要求され、非常に苦労したそうです。この弊害は次回作のエピソード3にも引き継がれ、ダース・シディアス役を演じたイアン・マクダーミドも同じように、存在しないヨーダに翻弄されるというかなり無茶な演技を実践してます。ちなみにこの二人が各場面を演じた際の年齢はそれぞれ80代、60代にも及んでおり、その苦労は大いにしのばれます。
 劇中でオビワン・ケノービは「最も粘り強いジェダイ」と呼ばれていますが、ヨーダに関しては「最も俳優に苦労を強いたジェダイ」といって間違いないでしょう。

2012年3月29日木曜日

長崎ストーカー殺人事件に対する千葉県警の対応

 今日は色々とニュースがあり、それぞれで簡単にまとめようかと思いましたがやっぱりこっちの話題を取り上げることにします。なお少しだけ書くと、本日に小川法相が死刑執行に踏み切りましたがその際の会見において、「国民の強い支持があった」と発言したと報じられています。もしかしたら一部分だけが切り取られて大きく報じられているだけなのかもしれませんが、細かいようですが少し苦言を言うと、「社会が厳罰化を求める風潮になってきている」というのならまだしも「支持があるから」で死刑を執行するというのはちょっと違うような気がします。死刑執行自体は私はもっともだと思いますが、民意でそうだから執行すべきではなく、やはり政治家としての責任で決断したということを肝に持っておいてもらいたいです。

再調査の点検徹底を=千葉県公安委に異例の要請―国家公安委員会(時事通信)

 話は本題に移りますが、明かな捜査の不手際から殺人事件にまで発展した長崎ストーカー殺人事件ですが、事件の様相はかつての桶川ストーカー殺人事件と同じような姿となってきました。その捜査の怠慢ぶりが指摘されてきた千葉県警ですが、先日も内部調査において被害届受理よりも署員旅行を優先したという事実を隠ぺいしようとしていたことが明らかとなり、なんていうか仮にかばえと言われてもかばいようがないほどの失態ぶりを見せております。被害者遺族も第三者委に調査を依頼するよう求めましたが予想されたように千葉県警はこれを拒否し、最終的には国家公安委員会に再調査の徹底、いうなれば第三者委へ依頼しろという異例の要請を受けるに至っております。本当に救いようのない。

 最近はどうだかわかりませんが、千葉県警は確か昔に懲戒免職者数が全国で最多となったことがあるだけに実は私もあまり信用しておりません。同じ千葉県警の失態だとついこの間にも、県内で十年以上前に起きた殺人事件がDNA技術の発達によって真犯人を見つけることが出来ましたが、千葉県警はこの事件の発生直後はなんの根拠もないにもかかわらず被害者遺族を疑って拘留するという、足利事件同様の冤罪事件を引き起こしています。ちなみに何故その事件で遺族が疑われたのかというと、なんでも被害者の祖母が悲しみのあまりに「私が殺したようなものだ」と後悔の念を口にしたことを殺意認定としたそうです。金田一少年もびっくりな急展開振りとしか言わざるを得ません。

 話は今回の長崎ストーカー殺人事件に戻りますが、そりゃ忙しいだろうってのはわかりますがかつて桶川ストーカー殺人事件を過去に見ているはずなのに、どうしてこうも同じ失敗を繰り返せるのか理解できません。しかもそんなバカをしたのが一部の署員だったらまだ救いようもありますが、今回こうして組織ぐるみで旅行の事実を隠そうとするあたりはやはり組織全体でどこかねじが外れているんじゃないかとも思ってしまいます。このところこういった不祥事の話題は大阪府警が独占していただけに、言い方は悪いですが大阪府警も矛先がずれてほっとしていることでしょう。

 自分は子供の頃はやはり、警官というものは使命感もあってかっこいい職業だと思っていました。しかし年をとったというのが何よりでかいでしょうが、そうした憧憬に似た感情は現在ではほとんど持てずにおり、むしろ震災を含めあちこちで活躍している自衛隊員の方が今では立派な職業のように思えます。はっきり言って今まで信頼に足ると感じる警察官にはお目にかかったことはありませんが、末端の人たちは決してこんなじゃないという幻想をどうにか信じたいものです。

2012年3月28日水曜日

ミサイル発射前の北朝鮮に対する中国の姿勢

 久々に国際政治関係の記事が書きたいので、ホットな話題を書こうと思います。
 現在、迷惑な隣人こと北朝鮮が来月に衛星(ほんとはミサイル)を発射すると言って、世界各国から総スカンくらっております。日本もかつてのテポドン発射とは異なり本土上空を通らないものの、領海内を通ることで破片が落ちてこようものなら破片を迎撃破壊すると防衛大臣が言っておりますが、本音はMDシステムの実験テストをしたいだけなんじゃないかと要らぬ感想を持ってます。まぁ確かに発射時間の予測が出来ないことなどを考えるといい機会なんだけど。

 さてこうした北朝鮮の動きに対して中国の反応ですが、はっきり言ってめちゃくちゃ怒ってます。今回は日本側でもこうした中国のいら立ちがよく報じられておりますが、体制が金正恩に移ってからというものの以前以上に強硬な態度を取るようになっていることから段々と態度を露骨に見せるようになってきております。
 少し話が横道にそれますが、ある意味で今の中国と北朝鮮の間に溝が開くのは自明でもあったと思います。というのも昔に受けた中国政治の授業で講師が言っておりましたが、北朝鮮としては何でも間でお中国の言うことを聞きすぎると生殺与奪件をすべて握られることとなるので、要所要所で逆らって見せようとしているそうで、そのため6ヶ国会議も最終的に流れるとの見通しを当時言っておりました。

 そうした目で見てみると、今の状況はまさに格好の構図です。恐らく予告通りに来月にミサイルを発射するでしょうが、他国はそれを制止するのではなく、発射後にどのような態度を取るかが今考える事だと思います。私自身としては今まで北朝鮮をかばい建てしてきた中国が距離を置き始めてきていることに加え体制も移行したばかりですし、前以上に強硬な態度を取って追い詰めた方がいいかと思います。以前にウィキリークスに暴露されていましたが、中国外交部も金正日の死後は北朝鮮は持たないと言っていたようなので、積極的な支援はないかもしれませんが仮に戦争となっても邪魔立てはしてこないでしょう。さらに言えば、中国と韓国の経済関係は非常に強くなっており、北朝鮮が存在し続ける理由も非常に小さくなってきております。

 念のため付け加えておくと、中国の現地紙でもこの問題は大きく取り上げられており、各国が自制を求めるとともに中国としても憂慮していることが報じられております。なお中国人の北朝鮮に対する印象ですが、はっきりいって関心が無きに等しいです。身近に北朝鮮人がいるわけでもないし、経済的な結びつきもほとんどないことからおかしな隣国程度くらいにしか思っていないと断言できます。逆にどの国が好きかと聞いたら、友人なんかは「パキスタン」って言ってましたけど。
 ちなみに身近な北朝鮮人となるとですが、実は勤務先の近くに北朝鮮レストランってのがあって、これまでにも何度かそこで食事しています。北朝鮮にとっては貴重な外貨獲得手段だと言われていますが、出される料理は普通の韓国料理ですし、料金も極端に高いわけじゃありません。ただ店のチマチョゴリを着たウェイトレスは一説には元喜び組だとも言われており、確かに容姿の整った女性が多いです。けど真冬にコート着てまで店の前で客引きするのは大変だしよした方がいいと思う。

 最後にほんとどうでもいいことですが、以前に金正恩がドラゴンボールに出てくる人造人間19号という悪役にそっくりだということが話題になりましたが、この前にふと、「ドラゴンボールと言えば、新しいオープニング曲が話題になったな」ということを一緒に思い出しました。そのオープニング曲というのは「ドラゴンソウル」という曲なのですが、歌い始めの歌詞が「ドッカン ドッカン ツイてる」というテンポの良さでネット上で様々なパロディが作られたのですが、何故かこの曲が頭の中で北朝鮮の例の行軍シーンやマスゲーム、ミサイル発射シーンと重なって会社で吹き出してしまいました。下のリンク先がその曲ですが、誰か北朝鮮の映像と編集してマッド動画作ってくれないかな。

ドラゴンソウル(Youtube)

2012年3月27日火曜日

孤立死報道について

 このところ孤立死に関する報道が非常に多くなっておりますが、ちょっと気になる点がいくつかあったので自分で調べてみました。一体どういう点が気になったのかというと、報道は異常に多くなっているのは事実だが、果てして本当に孤立死が増えているのかという点です。
 確か調べたのは内閣府のデータだったかと思いますが、結論から言うと確かに孤立死の件数は増えておりました。念のため高齢者人口の増加率などとも比較してみましたがこれを考慮しても有意な数字で伸びており、去年の震災で婚姻件数が増えたというデマとは違い、孤立死が増えているというのは確かな事実なようです。

 このように孤立死が増えているのは事実であることを踏まえた上で言うと、個人的にこの手の報道は非常に虫唾が走るというか気に入りません。こんなことをいちいち報じるくらいならもっと別の方面に人員を使えと言いたいです。この手の報道で何が気に入らないかというと、結局問題の投げっぱなしになることが多いからです。一番代表的なのは小中学校のいじめ問題で、これなんか周期的には大体5年に一回くらいのペースで大きく取り上げられては半年くらいで一旦止み、また次の周期を迎えると大きく取り上げられるといった具合で、騒ぐだけ騒いで全く改善に向かっておりません。さらに言えば、一昨年に流行った死亡届出を出さない年金詐欺の件はどうなったんだと言いたいです。
 多少気が早いようですが今回の孤立死に関する報道もどうも同じようなにおいが感じられ、というよりメディアは大きく騒いでは「もっと周辺地域との交流があれば」とか「民生委員を増やすべきだ」などと意見を上げていますが、なんていうかどれもこれも都合のいい意見ばかりで実現性や実効性という点で見たら胡散臭く感じます。

 確かにメディア側から言えばいくら問題性が高かろうとも、定期的に続報を出し続けことが難しいのはわかります。しかし一旦騒いではすぐ別の話題に切り替えることを延々とやっていると結局その社会問題は継続し続けることになりかねないので、それであれば今みたいにさもショッキングに、ヒステリックに報じるくらいなら、じんわりと淡々と報じ続けることの方がいいような気がします。ショッキングに報じれば確かに強い注目を浴びれるでしょうがその分人の記憶からも忘れ去られやすく、かつて「キレる17歳」と呼ばれた世代が今や「草食世代」とレッテルを張られてるおかしな現実にも気づけません。

 ただこういうことを書きながらも、このところ明確に改善が見られる社会問題もあります。もったいぶらずに言えばそれは児童虐待で、先日も一昨年に大阪で二児を放置死させた母親に懲役30年の実刑が下るなどこの問題に対する社会や司法の目は厳しくなってきており、勝手な予想ですが今後発生件数は徐々に減少していくのではないかという希望を持っております。この児童虐待もかねがね瞬間湯沸かし的な報道が非常に嫌でしたが、こうして虐待死させた親たちの裁判判決がきちんと続報として報じられるようになったのをみるとなんだか安心します。

2012年3月26日月曜日

大学のいい選び方

 最近「パラサイトイヴ2」のやりすぎのせいで寝不足となっているのが原因か、どうもブログに書く記事がなかなか浮かんできません。昨日もそうでしたがパソコンに向かって大体30分くらいは書くネタを考えるのですが、先々週あたりが絶好調だったせいかどうもいいものを思いつくことが出来ません。別に仕事が忙しいわけでもなんでもないのですが、ちょっと気になるのは季節の変わり目ですこしおかしくなっているのか、発作こそないもののなんか自分の体調の調子の上下が激しく、やや不安定な状態が続いていることも影響しているかもしれません。真面目にこっちで倒れたらいろんな意味で一巻の終わりなので、今週末から清明節(中国のお彼岸)の連休に入るので睡眠時間と「パラサイトイヴ2」する時間を増やそうと思います。ゲーム控えればいいだけの話ですが。

 ちょっと長めの前置きを踏まえて本題に移りますが、先日に友人から兄弟の大学進学先について相談を受けました。なんでも英語を大学在学中に鍛えたいとのことなのでともかく英語の強い大学というのがリクエストで、いきなり名前を出すとやはり上智大学を目指すべきではないかと提案を受けました。この友人の提案に対する私の回答ですが、別に上智大学に通ったわけではないもののもっと考えた方がいいと、再考を促すものでした。
 まずこれは上智大学に限らず一般に英語が強い大学に共通する特徴ですが、他の大学に比べて帰国子女の学生数が非常に多いことが挙げられます。ストレートに言わせてもらうと英語に強いという評判はそのような帰国子女の力によるものとしか私には見えず、そうでない学生の英語力がどの程度の物か、また学内の英語教育のカリキュラムがどれほど優れているのか非常に疑わしいです。なので無理してそういう「英語が強い」という評判の学校に通わず、実家から通える範囲の大学に進学して一年くらいどこかに留学した方が本人のためではないかと教えました。

 この英語に限らず、大学選びにおける一般的な評判というものの中には全く当てにならないものも少なくありません。理系なんかはある程度目的とか分野がはっきりしているのできちんと調べればはずれ引くことは少ないでしょうが、文系なんて情報範囲が広すぎるせいかうかつに選ぶと落とし穴にはまることも少なくありません。ただ逆説的なことを言いますが、文系というのは志望分野をあまりに絞りすぎると小っちゃくまとまってしまう傾向もあり、それであれば漠然と「こんな感じの勉強したい」というくらいの気持ちで学部や学科を選んだ方がいいかもしれません。私なんかもやればどの分野の学問も吸収できる自信があったので、とにかく取り扱う範囲が広いだろうと社会学を選んで馬が合いましたし。

 このほか大学を選ぶに当たって私がお奨めしたいのは、文系限定ですがなるべく実社会では勉強できない分野を選ぶ方が後の人生のためにもいいと思います。よく法律の知識とか社会学のわけのわからない統計手法とか覚えても社会では全く使えないから、もっと経済学とか実態的な学問を学んだ方がいいと抜かす嘴の青い高校生とかを見ることありますが、私に言わせればそんなものは社会に出てからでも自然と、もしくは意識すれば簡単に身につけられるもので、大学に行くんだから大学じゃないと勉強できないものをやっとかないと総合的に損すると言いたいです。ちなみに敢えてフェイクで入れましたが、世の中一般で経済学と考えられているもののほとんどは実質的には経営学こと商学で、この点で勘違いしてつまづく人も多いんじゃないかと勝手に思ってます。

 いい機会なのでほかにもまとめると、「国際経済学部」とか「国際交流学部」とかいう国際が付く学部名はほぼ確実に外れと思っていいです。というのも文部科学省が「国際とつければ学部増設を認めてあげるよ」と言ったのでカリキュラムの準備とか無視してあちこちの大学が申請したので、中身がすっからかんなところが多いです。同様に、設立から年数の経っていない大学もカリキュラムが固まっていないところが多く、可能ならば避けた方がいいでしょう。

 以上のような具合で適当なことを書きましたが、大学に行っていい経験をするかどうかを突き詰めていうと結局はその本人のやる気次第です。いい大学にカスが行こうが結局はカスのまま卒業するでしょうし、逆に世間的に評価されていない大学でも本人が頑張って勉強すればいくらでも能力を高めることが出来ると言い切ってもいいです。偉そうなことを言っておりますが私自身はこの比較で言うと明らかにカスの部類に入るほどそれほど勉強時せず、無駄に自転車で琵琶湖一周(しかも山中越えルート)していた口でした。ただ自分は学生時代に周囲の人間には恵まれており、自分の限界値を始めて認識できるなど今にもつながるいい経験は出来たと思っています。はっきり言って進学先は消極的な理由から選ばざるを得ませんでしたが、本当にただ運が良かったのでしょう。