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2012年5月18日金曜日

犠牲なくして幸福を得られるのか

 このブログ中で何度も言っている事ですが、今の時代はかつての90年代とは異なり選択と集中、さらに踏み込んで言うなら淘汰の時代だと私は考えております。かつて経済が拡大していた時代と違って誰もが昇進、昇給したり、自家用車をどこの世帯でも持てるという時代ではなく、振り分けられる資本が限られていることからそれを有効に活用できる人間に投資し、逆に無駄に資本を食いつぶす人間に対しては奪い去る、もしくは排除する必要のある時代だと見ています。
 こうやって冷静に書くとなんだか私が悪い奴みたいに見えてきそうですが、断言しますがこれは何も特別なことではありませんし、むしろ日本以外の国では当たり前、さらに言えば高度経済成長期ではない日本でも当たり前だった概念です。言ってしまえばこれまでの日本が特別だっただけで、これからの日本は昔の当たり前の時代に戻るというわけです。

 具体的に今後どのような事態が起こりうるかですが、まず現実に既に起きているものとして「誰でも大学に」とは行かなくなり、今後はリアルに大学進学率が低下していく可能性が高いと思えます。理由はごく単純に学費負担に耐えられる世帯が減少するためで、すでに一人暮らしする大学生の仕送り額はかつてと比べてかなり減額している上、就職氷河期であることからより専門性の高い専門学校を進学先に選ぶ人も増えていると聞きます。このまま今の状況が続くのであれば、私はそれこそ昭和中期のように兄弟の中で誰か一人を大学に進学させるため、ほかの兄弟が犠牲になる(高卒後にすぐ就職する)というようなストーリーが感動話じゃなくなってくるでしょう。

 こうした現況を踏まえた上でこのごろ考えるのは、表題に掲げたように「誰かの犠牲なくして幸福となれるのか」です。繰り返しになりますが、高度経済成長期はほんとに大きなハンデがある状態であれば誰も犠牲になることなく、みんなで幸福になることがある程度可能な時代でありました。ただあの時代は間違いなく特殊、具体的に言えば石油というエネルギー価格が異常に安い時代だからこそできた話であって、今後再現するとなれば夢のような話となってしまいます。
 となれば幸福になろうとするものなれば誰かを踏み台にしなければとなるのですが、これに関しては正当な競争の上でのものであれば特に異議を挟むものでもなく、これまでもよくあることだったのでそれほど悩むようなものは感じませんが、これとは逆ベクトル、誰かを幸福にさせるためには誰が犠牲にならなければならないのかです。

 幸福にさせたい対象というのは人それぞれでしょうが、大抵のケースは自身のその家族となるでしょう。人によっては両親、配偶者、子供となりますが、これまでは自分もそこそこ幸福に暮らしながら子供も大学に生かせてそこそこの道を歩ませることができましたが、今後はそうはなかなか行かないだろうというのが私の予想です。ではそんな時に自分はどんな決断を取るのか、またどのような覚悟を持って望むのか、そうした姿勢がまだ今の日本人には見えない気がします。
 まだるっこしい言い方しないでストレートに言うと、今後誰かの幸福のために自分が犠牲になることを厭わない覚悟が今の日本人に足りないと私は言いたいです。もちろん、本人の努力や方法次第ではみんなでハッピーになれる可能性も全くないわけではありませんが、実現するとなると相応の才能が要求されることとなります。中には今現在、もしくは以前からも子供のために親は犠牲になってきたと言われる人がいるかもしれません。そうした人に言い返すなら、これからの時代はそれ以上の犠牲を払わなければ周囲の人を幸福にすることはできないと伝えたいです。

 我ながら妙なテーマで変な文章を書くなという気もするのですが、実はこのテーマは宗教をやっている人間の間だとごく当たり前のテーマです。それこそ仏教で言えば餓えたトラの親子の前に身を投げ出すブッダ(夢オチで終わるあたりがブッダらしい)とか、キリスト教でも殉教話ならごまんとあります。
 別に私が何か宗教やっているわけではありませんが、やはり進行をもっている人たちと話をしていると、ここら辺の価値観、自己犠牲の精神で一般の日本人と違うなという気がわいてきます。何も宗教を進めるわけでもありませんが、高度経済成長期以前の日本人なら持っていた感覚なので、早くまた元の気持ちに目覚めたほうがいいという感じがしたので書くことにしました。

2012年5月17日木曜日

生活保護ビジネスの実態

 どうでもいいことですが先ほど自分のブログにコメントを書いた際、スパムかどうかの認証をするために打つように指示される番号が「4444」でした。なおこの4という数字ですが、中国や日本では発音が「死」と同じだから忌み嫌われる傾向がありますが、私は真田家の旗印である「六文銭(三途の川の渡賃。死を恐れないという決意表明)」と同じような具合でむしろ率先して使います。っていうか、日本人は死を恐れちゃダメだろ、乃木大将的に。ちょっと強引かなこのネタは……。
 話は本題に入りますが、今日のニュースに思わず目を引いたものがありました。

日本初!!猫がついてくるマンションって!?(宝島)

 猫付き3LDKとでもいうのか、賃貸で部屋を借りたらもれなく猫も替えるというマンションがあるそうです。もちろん飼った猫は引っ越し時に連れて行ってもいいようで、恐らく猫好きには相当たまらないサービスだと思います。思えば2000年頃のテレビの特集ですぐに空き部屋が埋まるマンションの特徴として、「ペットOK」にするという報道がありました。どの大家、オーナーとしてもペットがいると部屋が痛みやすくなること間違いなしですからあまり歓迎されるものではないものの、だからこそペット同伴を認めることで売り上げを増すという話に何故だか当時えらく感心した覚えがあります。

 同じ賃貸関連の話で、感心というか呆れさせられた話もあります。それはどんな話かですが、なんでも大阪には風呂なしトイレなしにもかかわらず一ヶ月の家賃が5万円以上で部屋が埋まるそうです。家賃3万円台でも個人用風呂、トイレ付きはあるというのに(私が学生時代に住んでた部屋はそうだった)、そうした部屋よりもこうした5万円以上する部屋がすぐ埋まるというのはどんなからくりなのか、結論から言うと表題に掲げた生活保護ビジネスに使われているからです。

 生活保護についての説明はもはや不要だと思いますが、東日本大震災以降は受給者数が毎月過去最高を更新するなど、日本にとって非常に大きな問題となっております。仮に怪我や病気などで働けないとか本当にどうしようもない状況の人たちの最低生活保障をするというのならまだしも、現在中国にいるので私は一銭も払っていないものの、日本に住んでるのであれば税金も払おうという気にもなりますが、残念なことにこの生活保護の裏をかいてしこたま儲ける、生活保護ビジネスを展開する不心得者は数多く存在します。
 先ほど挙げた家賃などはまさにこの典型です。一体どういう仕組みなのかというと、生活保護では毎月支給する生活費とは別に家賃代も別枠で支給されます。この支給される家賃代ですが額面は一定額に決まっているわけではなく、各自治体で限度額を設けてあってそれ以下であれば借りている部屋の家賃代分だけ支給される仕組みとなっております。

 勘のいい人ならわかるでしょうが、風呂、トイレなしにもかかわらず月の家賃代が5万円以上するアパートに住む人はみんな生活保護受給者で、家賃代はその地区における生活保護枠内での家賃支給額の限度額ピッタリなのです。手口としてはそのアパートのオーナーなり斡旋業者なりがどこかから人を集めてきて、生活保護の申請手続きを代行したり支援したりする代わりに家賃代を行政から受け取る。そして集められた人は働かずにお金がもらえる生活保護が受給できるようになって、まぁそこそこ納得できるというか幸せになれるという算段です。
 言うまでもなくこれで損をするのは生活保護を支給する行政に加え真面目に税金を払っている納税者、そしてまともに賃貸物件を経営しているオーナーや不動産屋です。仕組みとしては呆れるほどうまいこと作っている気はするのですが、だからと言って他人の財布から自分の財布に札束を移すようなこんな行いは当然規制するべきでしょう。

 こうした実態がはびこっていることに加えこんなニュースも出ていることから、生活保護では現金を支給せずに食品を現物で支給し、住居も共同施設のようなものを使うか行政が指定するべきだという意見が出ていますが、生活保護ビジネスの規制が行われない限りでは私もこれらの案を支持します。こんなこと私が言うまでもないことですが、生活保護に何億つぎ込んだとか、何万人を支給させているかという話ではなく、如何に効率的に社会復帰を助けるかがこの議論に求められているかと思われます。最小の投資で最大のリターンを、なんかこのところの日本にはこうした言葉が足りない気がします。

2012年5月16日水曜日

ヨーロッパにおける失われた十年

オランド新大統領が就任、経済成長重視の立場を強調 仏(CNN)

 先日、フランスで大統領選挙が行われサルコジ氏からオランド氏へ大統領の職の座が移りました。フランス政治、というかヨーロッパ市場に詳しいわけじゃないですが、報道を見ている限りだとオランド新フランス大統領はサルコジ氏と比べて積極財政派だと聞き、これまで債務削減を目指して緊縮財政政策を取ってきたサルコジ氏と、ドイツのメルケル首相をかねがね批判していたと聞きます。そのためフランスは今後、これまでより財政出動を増やして景気刺激策を取ることが予想されるのですが、仮にそうなればかつて日本が経験した「失われた十年」をフランス、ひいてはヨーロッパ全土がまた経験することになるのではないかと私は予想しています。

 ちょうど折も折というか今日のニュースで、ドイツの地方選挙でメルケル首相率いる与党が惨敗したと聞きます。どういう力関係や影響が働いたかはわかりかねますが、傍目に見る限りだとやはり緊縮財政政策にヨーロッパ諸国で不満が高まって異様に見えます。細かい話は抜きにしますが私自身は現在のヨーロッパにおかれた経済環境を考えるにつけて緊縮財政以外は取るべきではないと見ており、逆にここで「景気を刺激して危機奪回だ」とばかりに積極財政を打つことは破滅への道だと考えています。また「ヨーロッパの問題児」ことギリシャがいまだに連立で揉めているばかりか一向に打開策も決められず、スペインやイタリアといった規模の大きな国でも火を噴きつつある現状を見るにつけ、多分このまま90年代の日本と同じ失敗を繰り返すことになる気がしてなりません。

 なお、ここで使っている「ヨーロッパの失われた十年」というのは何も私が言い出した言葉ではなく、中国の経済紙ではこのところ頻繁にこういった見出しが躍っております。前にも一度書きましたが日本企業でヨーロッパとの取引が大きい会社は意外に少ないためにそれほど危機感が持たれていないというのが大きいでしょうが、元々取引額が大きかった中国では意外と影響は深刻で、何気に今日出た上海市の貿易額は輸出、輸入ともに金融危機以降で初めて前年同期比マイナスに転じています。

 最後に誰も言わないので私が言うことにしますが、去年は円高の逆風の中で日系自動車メーカー各社はみんな黒字を達成するという、すごすぎるというかありえない業績を出してきました。ただ一社、マツダだけは赤字となってその理由をいろんな経済紙では、「海外に自動車工場を持っていないため、円高が直撃した」と書いてありましたが、そんなこと言ったら我が愛する三菱自動車や最近評価を高めているスズキも、ないことはないけどそんなに海外工場持ってないんだから似たようなもんじゃないかと思い、なんかこの評論に納得がいきませんでした。
 ではなんで赤字だったのか、言ってしまえばヨーロッパの景気悪化の影響が一番でかいと私は見てます。実はマツダは日系企業の中でもヨーロッパ市場での売上げが意外に大きい稀有な会社で、それだけに日本人の発想というか視野に入っていないところで大打撃を受けたのではないかと考えてます。詳しい財務諸表を見れば確かめられますけど、さすがにそこまでして調べる気はありませんが。

2012年5月12日土曜日

笑顔を見せるようになった中国人

 このところ真面目に帰宅が毎日10時を越してます。おまけにランボー~怒りの休日出勤もなんか週二日のうち一日は当たり前になりつつあり、そのせいか思索に向ける時間が減ってどうもブログ内容に悩む回数が増えてきました。もっとも、毎日帰宅が十時越してるのに毎日更新する方がいろいろと突っ込むところだと思うけど。

 そんなわけで今日は久々に中国ネタとばかりに何か探しましたが手ごろなものがないので、ちょっとこの前感じた一件を紹介しようかと思います。先週、取材先の展示会場に行った際に目的地と離れた場所にいることに気が付いたので近くの警備員に道を聞く機会がありました。その警備員は見るからにごつくて表情も硬かったですが、自分が道を聞くとすぐに的確に教えてくれ、私がお礼を言うとにっこり笑って送り出してくれました。この時の笑顔を見た時に、「中国人も自然に笑うようになったんだな」とか、ちょっと妙な感慨にふけりました。
 私が中国に初めてきたのは留学でやってきた7年前ですが、場所が現在住んでる上海と違って北京ということもあるのですが、真面目に道歩いてて笑顔を見ることはありませんでした。それこそ若い人だったらまだ笑う姿を見ることもありましたが、中年以上となるとなんかみんな苦しそうな顔してて、自分が言えた義理ではありませんがもうちょっと人生楽しんだらと思うくらいに表情が硬かったです。

 それが年数経った現在、自分の中国語が上達してコミュニケーションを取る回数が増えてきていることもあるでしょうが、当時と比べて圧倒的に笑顔を見る回数が増えてきました。また今年の旧正月に日本のお笑い芸人のアンジャッシュのネタが中国の芸人に丸パクリされたという報道が経ちましたが、実際の映像こそ見ていないものの日本のお笑いでやる芸が中国でも演じられ、そこそこ評価を得るようになったという事実の方になんだか驚きました。
 そんなことを同僚に話したところ、同僚はちょうど旧正月に件のネタを見ていたそうで、やはり日本っぽいネタだとは思ったものの単純に面白くて周囲の中国人もよく笑ってたと言ってました。なんていうべきか、笑いのツボというものがある程度日中で共有化されてきたというべきか、何に対して中国人が面白いと思って笑うのかという理解が少しできるようになったことに不思議な感じがします。

 なおこんなことを言っている私ですが、以前の中国人同様に普段の生活で笑顔を見せる回数は極端に少ないです。別に無理して笑うまいとしてるわけじゃありませんが、私は以前からあの愛想笑いってのがあまり好きじゃなく、しょうもないこと言い合うくらいならとっとと結論に持っていこうとするくらいせっかちなところがあるので常に真面目そうな顔してとっつきにくいと言われることが多いです。そんなもんだから就職活動とかもえらい苦労したわけですが、無事に就職した後はここまで頑張ってきたんだし、多少は妥協するかと思って作り笑いを意識して見せるようになりました。そしたら一回、「笑顔がきれいな人ですね」ってどっかで言われてしまい、慣れないこと言われたもんだから何故か言われた本人がむちゃくちゃ焦るという妙な事態に追い込まれたことがあります。
 まぁやろうと思えばなんだってやってのける自信があるし愛嬌とかも卒なくこなせるとは前から考えてましたが、やっぱ人間、慣れないことは急にするもんじゃないと反省した次第でした。

関西電力に対する私の見方

 原発停止に伴い今夏に懸念される電力不足について、関電こと関西電力でいろいろ議論が起こっております。結論から言うと私個人としても関電の言うことは信用できず、より具体的な検証と報道、あと政府による圧迫が必要かと思います。

 まず関電のどんなところが信用できないかですが、これは以前の産経の記事に書かれていましたが去年も散々に電力不足の懸念から消費者に節電を煽っておきながら、蓋を開けてみたらかなり余裕があった上に大きな問題が何も起こりませんでした。にもかかわらず今年においては去年と比べ停止している原発が増えたことから、今度は嘘じゃなく本当に本当で電力が不足する可能性が高いと主張しているものの、その不足数値があまりにもアレというか魂胆見え見えの数値であることに驚きを通り越してあきれました。

大飯再稼動なら8月の電力不足回避…政府試算(読売新聞)

 上記リンク先の読売の記事に書かれていますが、このままいくと今夏の電力は約15%不足すると試算を発表しましたが、この不足数値を発表するとともに、「大飯原発を再稼働させれば、ギリギリ足りる」という、実質的に大飯原発を再稼働させなければ電力を止めると言わんかのような脅しを打ってきました。しかしこれはスズキのスズキ会長もなんか言及したそうですが、足りない足りない地うばかりで具体的にどうやって不足電力分を補うのか、火力発電とか擦りよく発電をどれだけ増やすかといった具体案は非常に乏しく、はっきり言いますが今回の不足分の試算も大飯原発を再稼働させるための方便、つまり大飯原発の発電容量分を不足分に計算するという結論が初めから決まっていたのだと思います。

 こっちは東電の話ですが、自らの不手際で電力不足を招いたにもかかわらず消費者には節電を要求し、その上でお気楽この上なく去年冬には社員にボーナスを支給しておきながら今年になって「電気代を強制的に加算する」と臆面もなく言ってくるあたり、どうも電力会社というものは世間の常識と明らかなずれがある気がしてなりません。極端なこと言うと、よくこういうことしておきながら夜道歩けるなとすら感じます。

<需給検証委>関電に4社融通拡大 5%節電で制限令回避へ(毎日新聞)

 などと考えていたらやっぱり出てきた回避案。上記の毎日新聞の記事によると、余裕のある西日本各社から電力を融通することで不足量は大分圧縮できるようで5%の節電で乗り切られるという試算を需給検証委員会が出してきたそうです。なんで外部からすぐこういうのが出てくるのにデータの揃っている自分の所で関電は試算が出来ないのか、わざとにしたってもう少しうまい言い訳を考えろよと手段の拙さに呆れてきます。
 もっとも政府、というより経産省側も原発を早くに再稼働させたいという異常な意欲を持っていることから首謀者がどっちにあるかは(恐らくは両方の意見の一致による)はっきり言い切れませんが、人をだましたり蹴落とそうっていうのならもっとスマートにやれよと言いたいのが今日の私の意見です。

ソーラーパネルの耐久性に対する疑問

 さっき切れた電球を買いに行ったら、発行色が必要な白色ではなく黄色を買ってきてしまっていました。今週は真面目にいろいろあって帰宅が毎日夜遅かったから、疲れているもかもしれません。ちなみに今週どれくらい忙しかったのかというと、同僚の親類に不幸があったので当日になって展示会取材を代理登板。さらに昨日も本来休日のところを訪問取材に行って結局半日潰しました。今週は先週と違って比較的涼しく、暑がりな自分からすると動きやすくてそれほど疲労感はないのですが、知らないところで注意力が落ちている可能性もあるのでこの後昼寝でもしようかと思います。

 それはさておき本日の話題ですが、先日にうちの親父と話をした際にお題となっているソーラーパネルの耐久性について話題となりました。親父が言うには、「メーカーはメンテナンスなしでいいというが、雹とか降ってきても問題ないのだろうか」ということで、早速親父に代わって自分が調べてみました。結論から言うと、やはり雹が降ると破損して駄目になる可能性があるだけでなく、ウェハーベースのソーラーパネルだと湿気にも弱く、対策がきちんと施されていない場合はこちらも故障する可能性が出てくるようです。もちろん、故障したら使用は不可能で最悪全品交換という羽目になります。

 なにもこの雹の問題に限らずソーラーパネルには「メンテナンスフリーで半永久的に使用できる」という宣伝文句が非常に多いですが、以前にも書いたように現行のソーラーパネルの寿命は理論値で約20年、しかも10年経ったら発電能力は当初の半分に落ちるため、世間で出回っている広告は問題がある気がします。こちらの産総研の調査でも導入から数年後の故障率は3割程度あるとして導入後メンテナンスが重要だと書かれておりますが、消費者からの相談も増えていると聞きますし、もう少しメーカーも周知する必要があるんじゃないでしょうか。

 以上の理由だけじゃありませんが、以前にも書いたように私は原発に代わる国のメガソーラー計画に対して反対の立場を取っております。根拠としては寿命が20年で不安定な発電力では投資に見合わないということと、寿命の尽きたソーラーパネルの廃棄処理について誰も全く言及していないことに強い疑問を感じるからです。むしろソーラーパネルよりもエネルギー変換効率が高い上に日本企業がほぼすべての特許を総なめしているヒートポンプ技術を有効に活用できる、太陽熱温水器の普及を進めた方が良いのではないかと考えています。

 といってもこれらはあくまで素人の考えなので、もし何か異論や意見があればコメント欄に書いていただくと幸いです。特にソーラーパネルの廃棄処理方法について詳しい方がいれば助かります。

2012年5月10日木曜日

プーチンの大統領再任について

 また本当にどうでもいいことですが、現在この記事は日本でこの前かっておやじにもってきてもらったエプソンのネットブック(NA14s)で書いております。サイズは小さいもののキーボードの質感はメインで使っているNECのLavieよりよく、デザインも気に入っているのですが、いかんせんメモリが1Gしかないので動作面ではやや物足りなさというか、「遅っ!」とちょっと感じてしまいます。ただこのパソコンを買って何がよかったのかというと、ちょうど注文してから3日後にエプソンが3千円値下げしたということです。人間、決断時期は大事だ。
 あともう一点気になったところとして、OSが「Windows 7 Starter」だったということです。これはネットブック用の安価なOSなのですが、なんと壁紙をデフォルトから変えられないという、そんなところで差をつけなくともという妙な設定で、最初は現実を受け入れられませんでした。もっとも、「ぬりかべ」というソフトがあればどうとでも対応できてしまうわけですが。

 話は本題に入りますが、ロシアでプーチン大統領がこの前再任されました。何もロシアに限らず今年はアメリカ、中国、フランス、香港で最高権力者の交代、選挙が重なる一年となりますが、ロシアにいたってはこれを変わったといえるかどうかとなると難しいところです。というのもプーチンは2000年から2008年の間に既に大統領を務めており、この四年間はメドベーチェフが大統領ではあったものの実質的な権力者は首相に一旦下がったプーチンだと誰もが見ており、今回の大統領復帰を見る限りその見方で間違いなかったといえるでしょう。

 今回の再任は中国でも大きく取り扱われており、日本のメディア同様に「現代の皇帝(ツァーリ)」と呼ぶ声もあれば、今日の長官にはでかい熊と一緒に充電期間を経ての再任といいたかったのか乾電池の格好したプーチンが描かれておりました。ロシアの大統領法はいつの間にか、って言うか恐らく今回に前もって合わせて人気が4年から6年に延長されてましたが、仮にプーチンがこのまま2期12年を務めるというのであれは2024年まで務めることになり、最初の大統領就任が2000年だったことを考えると実に24年間も最高権力者の地位に居続けることとなります。
 ただ長いことやってるもんだから、国内で反発する勢力も出てきているようです。今回の選挙でもなんかいろいろと反プーチンデモとか起きたようですが、どこの世界でも誰にでも好かれる権力者なんている分けなく、このデモひとつでプーチンの求心力が落ちているとかいうのは間違いなような気がします。あくまで私の視点ですが、ほかの候補よりも実績と安定性があるということで、やはり過半数以上からは信任されているのではないかと思います。

 しかし私個人の意見を言わせてもらうと、仮に今回の大統領選に出馬せずに引退していたら、ある意味では勝ち逃げができたのだろうにという印象があります。曲がりなりにもソ連崩壊後のロシアの混乱に一定の安定をもたらしたことは事実で、強いリーダシップでBRICsという高成長する新興国の一つに数えさせたのですから、ここで引退してもそう悪くない評価を歴史家に与えられていたでしょう。
 逆を言えば、これからの大統領生活はむしろこれまでの評価を傷つける可能性があるということです。ロシアがどうして経済的に立ち直ったのかといえば一にも二にも2000年代に資源価格が高騰し、ロシア最大の輸出品である天然ガスが高値で売れ続けたからです。しかしそれもリーマンショックをきっかけに大幅に下落するや、途端にロシア国内の景気は悪化しており、天然ガス一つに頼り切った経済体制であることを露呈しております。

 逆に天然ガス以外にロシアが国際競争力のある商品を持っているのかとなると、真っ先に浮かぶのはこの前にメーカーが潰れちゃったけどカラシニコフことAK-47(アサルトライフル)ですが、これ以外だと航空機と軍事技術しか真面目に浮かびません。はっきりいいますがこれだけだと少ないですし、また客を選ぶ商品のため強い経済力を維持するにはやや不安定です。
 資源価格は現在また高騰しておりますが、今の世界状況ですといつまた下落を始めるかわかりません。その下落した時にロシアがどんな対応を取れるのか、またそれまでにどのように備えるかが今後の鍵となりますが、それを覚悟の上で、評価が落ちるかもしれないというリスクを承知して大統領選に立ったというのであればたいしたものだと思います。