本日行われた自民党総裁選の結果は私の予想通りに決選投票で安倍元首相が勝利し、見事総裁の座に返り咲く結果となりました。内心、世論調査で石破氏が有利という報道が出ていたこともあり予想外すんじゃないかとちょっと焦ってましたが。
そんな私の杞憂は置いといて、このところというか先週からデモの話題ばっかで一昨日に至っては「クズ」と連呼する過激な記事を書いたこともあり(書き終ったあとはやけに気持ちよかった)、今日は軽いネタとばかり今日ちょっと思いついたことをさらりと書こうかと思います。
知ってる人には早いですが私は大学在学中、日本の大学を一年間休学して北京に留学に行きました。休学を開始したのは三回生の前期が終わった段階で、一年間の留学を終えた後はまた三回生の後期から復学しました。そのため留学から帰国後は日本の大学生を一年半やったわけなのですが、今思うとやっぱりほかの学生と比べてこの時期はやや特別な一年半だった気がします。一体どういう点で特別だったのかというと、まずもともと同じ学年だった友人たちは既に四回生で、就職活動を終えて社会人の準備やら卒業論文を書き始める段階でした。また私自身は復学後に学年が一つ下り、それまで全く付き合いのなかった一学年下の下級生と同じゼミに入ってその後卒業まで一緒に過ごすことになりました。
今振り返ってみて初めて感じたのですが、なんというか帰国後の最初の半年間は見送り、見送られるような期間だったと思います。この時期はやはり元の学年の友人らとつるむことが多く、みんな内定先の企業に関連した業界やら資格を調べており、逆に就活を控えた自分は友人からアドバイスを受けたり、そして何よりも卒業を控えた友人らをまだ学生で居続ける自分がちょっと距離を置いた感じで見ていた感じがします。なおこの時に受け取った印象的な言葉は、一つは議論中に言われた「全く衰えがないね」という言葉で、もう一つは内定先の企業について語った「むちゃくちゃ働かされそうでめっちゃ恐いわ~」の2つです。後者のセリフを発した友人は見事予感が的中し、私の知り合いの中、っていうかネット上で探してもあれだけ働く人間はそうはいないってくらいの勤務時間ホルダーと化してます。
そんな最初の半年間の後、次の半年間こと4回生の前期は就活で苦労したという思いでしかありません。今日もなんか同僚にこの時のことを話しましたけど、この前にナインティナインの矢部氏が発症した自然気胸になったり、100社以上にお祈りメールを受け取ったり、就活でなかなか授業に出られなかったりと心労の絶えない時期でした。
でもってその次の半年間こと4回生後期ですが、この時期にはというより4回生になった時点で卒業必要単位は全部そろえてというか軽くオーバーしており、無理して授業も出る必要もないんだから自由にやれることをやろうと思い、既に一度履修して単位を取っていた授業に再び出席したり、京都市内を自転車でやけに走り回ったりしてました。ただこの頃になると新しく同じ学年になったゼミの友人とも仲良くなり、また同じ下宿だった後輩たちも近くに住むようになったので、あれこれと関わる回数がそれ以前と比べて段違いに増えていた気がします。
ここで話が少し変わりますが最近になって自分が同世代と一線を画す点として、比較的年齢の違う層との交流が多いような気がします。この前に会った友人に学生時代の後輩、または先輩との付き合いなどを聞いたところあまりないと答えており、そりゃ体育会系にいた人と比べれば屁みたいなものですが、友人の年齢層はまだ広い方だったような気がします。
私自身はこの呼称を使うのは非常に嫌ってますが、よく企業の採用担当が抜かす「コミュニケーション能力」というのは「どれだけクズの言動に耐えられるか」という意味ともう一つ、「世代の違う層とどれだけ理解しあえるか」というのが連中の言いたい定義だと思います。前者はともかくとして、後者に関しては確かに自分も同世代の人間たちに対して相手が一学年や二学年違うだけで会話のテンポが悪くなるところが見受けられるなど、もうちょっと何とかならないかなと思う時があります。
このところ技術革新のスピードが速いために一学年違うだけでも文化が変わったりすることもありますが、その文化の差を面白いと思える人が自分以外にあんまり見ません。まぁこれは社会学専攻だった自分ゆえの特徴なのかもしれませんが、私個人としては年齢の違う人間と話をすると面白いと思うことも多いし、同世代に対して同じ学年で固まらずにもっと積極的に付き合った方がいいのではないかと思います。そう思う別の根拠もあるのですが紙幅も取られていますし、また今度別の機会でそれは書くことにします。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2012年9月26日水曜日
2012年9月24日月曜日
クズが溢れる世の中
最近また思想関連の話を書いていないので、駄文を一本投下します。先日に友人とスカイプで話をした際に、こんなことを私は友人に言いました。
「君は以前から物事に対して文句が多い人間だったが、社会人になってからは周囲の人間に対する愚痴がすごく多くなった。学生時代は俺が何度言っても理解してくれなかったが、世の中クズが多いということがようやくわかってきたんじゃないの?」
文章にすると見も蓋もない限りですが、ほんとにこんなことを友人に向かって言ってのけました。
その友人とは大学生時代から付き合いを続けておりますが、学生時代は政治や経済といった話では意見がほとんど一致しながらも、人権や人間の精神に関する話題では真逆とも言っていいくらいに意見が一致しませんでした。一体何故こうも一致しないのかと一度話し合いましたが、その友人からは育ってきた環境というかバックグラウンドがあまりにも違い過ぎることで、お互い歩み寄ることが出来ないのだろうと指摘されました。
具体的にこれはどういうことかというと、友人からするとこれまでの人生で私をいろんな意味でわずらわらせてきた人間が世の中に存在すること自体が理解できなかったそうです。わずらわらせてきたと言っても包丁で刺してきたりとかではないですが、漠然に言うならやる必要があるとは思えない嫌がらせを延々と仕掛けてきたり、無意味としか思えない行為を繰り返してきたりとかです。
一つだけ実例を挙げると、私は小学校六年生の比較的早い時期に受験を終えて進学する中学校の入試に合格したのですが、合格するやそれまで一度として話をしたことのない別のクラスの人間が毎日嫌味を言い始めてきました。それこそ「そんな偏差値の低い学校に受かっていい気になってるんじゃない」とか、「俺なら開成余裕で受かる(結局落ちてたが)」など、毎日しつこく続くもんだからそいつのクラスの担任に言ってやめてもらうように言ってくれと伝えましたがやまず、仕方ないから一回だけ締め上げたらそれからは自宅に無言電話とか、わざわざ私の家まで来て自転車チェーンを外す嫌がらせに切り替えてきました。今思うと、指一本くらいならへし折ってやっても良かったなという気がします。
これは私が身を以って体験したクズの中でも極端な方ですが、これに負けるとも劣らず、今の自分を以ってしても全く理解することのできない行為を続けるクズに私は小学校から高校時代まで一貫して取り囲まれていろいろと面倒でした。大学入って初めて、「世の中まともな人間も多いもんだなぁ」と決して誇張ではなく真面目に思ったくらいです。
そんな自分に対して上記の話をした友人は、まぁ私風に言わせればいい家族といい友人に囲まれていたようで余計なクズに煩わされることがほとんどない人生だったようです。そのため私は大前提に、「世の中は救いようのないクズで溢れている」と信じ切っているのに対しその友人は、「人間はそもそも救われる価値なんてない」とは言いつつも(今でも)、人間同士、それも日本人同士ならば話し合えば最終的にはどこかでわかり合えると思っていた節があります。
前置きが長くなりましたが、まぁそういうやや甘い考えを持っていた友人も立派な社会人となり、京都風に言うなら「日本語の通じない日本人」と接することが増えてきて、ちょっとずつ私の側に近づいてきている感じです。繰り返しになりますが私は世の中には本当に救いようがないというか、歩み寄ってくれなければ歩み寄りようがないクズが自分を含めてたくさんいると思います。
それこそ今の日中対立のように国の利益や国民を背負う政府代表者が歩み寄れないというのならまだ理解のしようがありますが、個人レベルであるにもかかわらず全く歩み寄らないばかりか、自らの不当な要求を平然と突き付けてくる人間は確実に存在すると考えております。自分がそういうクズとは一線を画す人間だとかそういうことをいうつもりはなく、むしろ大きな目で見れば同じ穴のムジナだろうと考えてますが、私個人としてはなるべくならこういうクズとは関わりたくないし世の中から一掃できればきっと今より物事は良くなると信じています。
さっきからクズ、クズと連呼しておりこれまでの私のブログ記事の中でもえらく過激な内容が続いていますが、私がクズだと思う人間の特徴を敢えて挙げるとしたら、あまりよそでは見ない意見ですが、目的と手段を同一視、または両者の因果関係を平気で入れ替えてくる人間というのが最大の特徴だと思います。
これはどういうことか例を挙げて説明すると、たとえば企業内で上司が部下を叱るのは普通、その部下の間違っている行動を修正するためであって究極的には部下を育成するという目的がある、というかなきゃいけないでしょう。この場合、部下を「育成する」というのが目的であって「叱る」という行為は手段ですが、これがクズな上司だと部下を「叱る」こと自体が目的となり、「育成する」というのが手段となり得ます。ここでパッと情景が浮かんできた人は多分私に近いのだと思いますが、「お前のためを思って言ってやってるんだぞ」と言いながら全然業務と関係なく、自分ルールを基準にあれこれケチつけたり文句言ってくる人間がこの類です。
この例に限らず、私が遠目に見ていてなんかおかしいんじゃないかと思う人の行動は目的と手段が一致しない、手段自体が目的となって行動している人が多いように思います。それこそ政治家においても、世の中をよくするため、制度を変えるために政治家になるのではなく、政治家になること自体が目的と化して耳触りのいい制度改革案を思いついては口にする政治屋のように、どっち向いて行動しているのかがわからない人間にクズが多い気がします。
何も人間、常に目的と手段を意識して一致させる必要はありませんが、以前の記事で書いたように魂というか意思のない人間ほどつまらないものはなく、はっきりとした目的意識を持って手段を選ぶ人間となるべくなら私も付き合いたいです。
「君は以前から物事に対して文句が多い人間だったが、社会人になってからは周囲の人間に対する愚痴がすごく多くなった。学生時代は俺が何度言っても理解してくれなかったが、世の中クズが多いということがようやくわかってきたんじゃないの?」
文章にすると見も蓋もない限りですが、ほんとにこんなことを友人に向かって言ってのけました。
その友人とは大学生時代から付き合いを続けておりますが、学生時代は政治や経済といった話では意見がほとんど一致しながらも、人権や人間の精神に関する話題では真逆とも言っていいくらいに意見が一致しませんでした。一体何故こうも一致しないのかと一度話し合いましたが、その友人からは育ってきた環境というかバックグラウンドがあまりにも違い過ぎることで、お互い歩み寄ることが出来ないのだろうと指摘されました。
具体的にこれはどういうことかというと、友人からするとこれまでの人生で私をいろんな意味でわずらわらせてきた人間が世の中に存在すること自体が理解できなかったそうです。わずらわらせてきたと言っても包丁で刺してきたりとかではないですが、漠然に言うならやる必要があるとは思えない嫌がらせを延々と仕掛けてきたり、無意味としか思えない行為を繰り返してきたりとかです。
一つだけ実例を挙げると、私は小学校六年生の比較的早い時期に受験を終えて進学する中学校の入試に合格したのですが、合格するやそれまで一度として話をしたことのない別のクラスの人間が毎日嫌味を言い始めてきました。それこそ「そんな偏差値の低い学校に受かっていい気になってるんじゃない」とか、「俺なら開成余裕で受かる(結局落ちてたが)」など、毎日しつこく続くもんだからそいつのクラスの担任に言ってやめてもらうように言ってくれと伝えましたがやまず、仕方ないから一回だけ締め上げたらそれからは自宅に無言電話とか、わざわざ私の家まで来て自転車チェーンを外す嫌がらせに切り替えてきました。今思うと、指一本くらいならへし折ってやっても良かったなという気がします。
これは私が身を以って体験したクズの中でも極端な方ですが、これに負けるとも劣らず、今の自分を以ってしても全く理解することのできない行為を続けるクズに私は小学校から高校時代まで一貫して取り囲まれていろいろと面倒でした。大学入って初めて、「世の中まともな人間も多いもんだなぁ」と決して誇張ではなく真面目に思ったくらいです。
そんな自分に対して上記の話をした友人は、まぁ私風に言わせればいい家族といい友人に囲まれていたようで余計なクズに煩わされることがほとんどない人生だったようです。そのため私は大前提に、「世の中は救いようのないクズで溢れている」と信じ切っているのに対しその友人は、「人間はそもそも救われる価値なんてない」とは言いつつも(今でも)、人間同士、それも日本人同士ならば話し合えば最終的にはどこかでわかり合えると思っていた節があります。
前置きが長くなりましたが、まぁそういうやや甘い考えを持っていた友人も立派な社会人となり、京都風に言うなら「日本語の通じない日本人」と接することが増えてきて、ちょっとずつ私の側に近づいてきている感じです。繰り返しになりますが私は世の中には本当に救いようがないというか、歩み寄ってくれなければ歩み寄りようがないクズが自分を含めてたくさんいると思います。
それこそ今の日中対立のように国の利益や国民を背負う政府代表者が歩み寄れないというのならまだ理解のしようがありますが、個人レベルであるにもかかわらず全く歩み寄らないばかりか、自らの不当な要求を平然と突き付けてくる人間は確実に存在すると考えております。自分がそういうクズとは一線を画す人間だとかそういうことをいうつもりはなく、むしろ大きな目で見れば同じ穴のムジナだろうと考えてますが、私個人としてはなるべくならこういうクズとは関わりたくないし世の中から一掃できればきっと今より物事は良くなると信じています。
さっきからクズ、クズと連呼しておりこれまでの私のブログ記事の中でもえらく過激な内容が続いていますが、私がクズだと思う人間の特徴を敢えて挙げるとしたら、あまりよそでは見ない意見ですが、目的と手段を同一視、または両者の因果関係を平気で入れ替えてくる人間というのが最大の特徴だと思います。
これはどういうことか例を挙げて説明すると、たとえば企業内で上司が部下を叱るのは普通、その部下の間違っている行動を修正するためであって究極的には部下を育成するという目的がある、というかなきゃいけないでしょう。この場合、部下を「育成する」というのが目的であって「叱る」という行為は手段ですが、これがクズな上司だと部下を「叱る」こと自体が目的となり、「育成する」というのが手段となり得ます。ここでパッと情景が浮かんできた人は多分私に近いのだと思いますが、「お前のためを思って言ってやってるんだぞ」と言いながら全然業務と関係なく、自分ルールを基準にあれこれケチつけたり文句言ってくる人間がこの類です。
この例に限らず、私が遠目に見ていてなんかおかしいんじゃないかと思う人の行動は目的と手段が一致しない、手段自体が目的となって行動している人が多いように思います。それこそ政治家においても、世の中をよくするため、制度を変えるために政治家になるのではなく、政治家になること自体が目的と化して耳触りのいい制度改革案を思いついては口にする政治屋のように、どっち向いて行動しているのかがわからない人間にクズが多い気がします。
何も人間、常に目的と手段を意識して一致させる必要はありませんが、以前の記事で書いたように魂というか意思のない人間ほどつまらないものはなく、はっきりとした目的意識を持って手段を選ぶ人間となるべくなら私も付き合いたいです。
2012年9月22日土曜日
今日の上海領事館周辺
折角新しいカメラもあるんだし、雨の中上海領事館周辺に行ってきました。
特にあれこれ語ることはないですが、今日は土曜日で通常業務は行っておらず、また雨も降っていたことからデモ隊なんか影も形もありませんでした。
領事館の周辺道路は関係者以外完全封鎖。
警備に動員された警官は依然とたくさんおり、木陰で集まって弁当を食べていた・
領事館館周辺ではありませんが、日系コンビ人チェーンでは見ての通り中国国旗をどこも店頭に掲げてます。なんか日本の建国記念日みたいだ。
2012年9月21日金曜日
民主党総裁選の結果について
・野田首相再選…全ポイントの7割近くを獲得(読売新聞)
大方の下馬評通りに本日、民主党の総裁選で野田首相が再選しました。得票率は一回目の投票で約7割と、過去の民主党首相と比べると党内支持基盤がしっかり固まっている党首だと言えそうです。今回の民主党代表選では比較的党内議論の論点が出てきており、野田首相にとっても民主党にとってもなかなかいい政策PRになったんじゃないかと思います。
なお今回この代表選を見ていてちょっと感じた点ですが立候補した原口元総務相が、「野田総理は党を分裂させた責任がある」と批判してましたが、私が見る限り党内分裂を進めていたのは野田首相以前から小沢一派であって、ちょっとこの批判は的はずれじゃないかという気がします。それに連中追っ払ってガチって固まってきたんだし。
変わって自民党総裁選についてですが、現時点の私の予想だと安倍元首相が再選するんじゃないかと思います。世論調査では石破氏が最も人気ですが、平沢勝栄議員に次いで「党内窓際族」と言われるほど長老議員から嫌われていることもあり、ちょっと当選は難しいんじゃないかと思います。あと石破議員は私もその実力を買ってはいますが、総理というゼネラリストよりは農林水産大臣など専門的立場の方が力を発揮しやすいスペシャリスト的な議員だと思っているので、本人には悪いですがこっち方面で働いてもらいたいです。
ほかの候補者について話すと、テレビの演説を見ただけですが林議員はなかなか話し方がうまく自民党にしてはいいタレントを作ってきたなと感じます。ただまだ若いことから今回はステップアップの段階で当選は難しいでしょう。あと石原幹事長については谷垣総裁をちょっと小さくしたような感じで、発言に慎重性もなければ鋭さも感じられず、この前も「サティアン発言」をするなど議員以前にいい年した大人として大丈夫かとちょっと不安を感じます。無能だとは言いませんが、政権奪回を狙う野党党首を務めるには力不足な感は否めません。
そして現在入院中の町村議員については、以前にも書きましたがこの人は前回の総選挙で小選挙区では落選しており、比例復活当選をしている時点で総裁選に出馬する資格はないと私は思います。さすがに待てば同じ意見が出てくるかなとか思ってたのですが、今の今に至るまで私と同じことを言う人がおらず、「もしかして自分、筋違いなこと言ってるの?」とちょっと不安を感じてきました。いくら何でもこの人には自民党総裁、下手すれば次の総理候補にはなってもらいたくないのですが。
大方の下馬評通りに本日、民主党の総裁選で野田首相が再選しました。得票率は一回目の投票で約7割と、過去の民主党首相と比べると党内支持基盤がしっかり固まっている党首だと言えそうです。今回の民主党代表選では比較的党内議論の論点が出てきており、野田首相にとっても民主党にとってもなかなかいい政策PRになったんじゃないかと思います。
なお今回この代表選を見ていてちょっと感じた点ですが立候補した原口元総務相が、「野田総理は党を分裂させた責任がある」と批判してましたが、私が見る限り党内分裂を進めていたのは野田首相以前から小沢一派であって、ちょっとこの批判は的はずれじゃないかという気がします。それに連中追っ払ってガチって固まってきたんだし。
変わって自民党総裁選についてですが、現時点の私の予想だと安倍元首相が再選するんじゃないかと思います。世論調査では石破氏が最も人気ですが、平沢勝栄議員に次いで「党内窓際族」と言われるほど長老議員から嫌われていることもあり、ちょっと当選は難しいんじゃないかと思います。あと石破議員は私もその実力を買ってはいますが、総理というゼネラリストよりは農林水産大臣など専門的立場の方が力を発揮しやすいスペシャリスト的な議員だと思っているので、本人には悪いですがこっち方面で働いてもらいたいです。
ほかの候補者について話すと、テレビの演説を見ただけですが林議員はなかなか話し方がうまく自民党にしてはいいタレントを作ってきたなと感じます。ただまだ若いことから今回はステップアップの段階で当選は難しいでしょう。あと石原幹事長については谷垣総裁をちょっと小さくしたような感じで、発言に慎重性もなければ鋭さも感じられず、この前も「サティアン発言」をするなど議員以前にいい年した大人として大丈夫かとちょっと不安を感じます。無能だとは言いませんが、政権奪回を狙う野党党首を務めるには力不足な感は否めません。
そして現在入院中の町村議員については、以前にも書きましたがこの人は前回の総選挙で小選挙区では落選しており、比例復活当選をしている時点で総裁選に出馬する資格はないと私は思います。さすがに待てば同じ意見が出てくるかなとか思ってたのですが、今の今に至るまで私と同じことを言う人がおらず、「もしかして自分、筋違いなこと言ってるの?」とちょっと不安を感じてきました。いくら何でもこの人には自民党総裁、下手すれば次の総理候補にはなってもらいたくないのですが。
2012年9月19日水曜日
尖閣諸島の帰属をめぐる歴史と論点
コメント欄でリクエストを受け取ったので、今日は久々に反日デモの話と切り離して尖閣諸島の帰属をめぐる歴史と日中が主張する論点をまとめようと思います。それにしても記事カテゴリーは「中国のはなし」ではないにしても、「社会のはなし」とするか「歴史のはなし」とするか、「政治のはなし」とするかで迷いました。こんなに候補が出るのは多分初めてだろうな。
早速本題に入りますが、まず出典というか参考にしたサイト2つを先に紹介することにします。
・尖閣諸島の領有権についての基本見解(外務省)
・尖閣諸島の領有をめぐる論点―日中両国の見解を中心に―(国立国会図書館外交防衛課)
両者ともに書かれている内容は完全に一致しておりますが、国会図書館の方が論点などきれいに整理されて詳しいのでそこで書かれている内容をブログ形式にざっくり紹介することとします。
まず明治自体以前の尖閣諸島の歴史に簡単に触れますが、日本と中国それぞれの古文書に出たり出なかったりしておりますが、少なくとも島の存在自体は両国ともに認識していたようで、沖縄や台湾の漁師たちが上陸し合っていたようです。ただ中国の新聞とか産経新聞が江戸時代くらいの資料を引っ張り出してそれぞれ尖閣諸島が書かれているのを見て、「昔からうちの物だ!」と主張し合ったりしていますが、私の意見を書くとそもそもこの時期は両国ともに現代、敢えて専門的に言えばヨーロッパのウェストファリア条約締結後に生まれた「国家」という概念が出来ておらず、議論するだけ無価値だと考えています。というのも領土線というのは国家と国家、さらに言えば国を代表する政府間で初めて出来上がるもので、当時は国家でもなく領土交渉すらなかった徳川幕府と清の時代のことを言い合うのは不毛でしょう。
となるといつごろからこの議論を見るべきなのかは、やはり日本が正式に国家となった明治時代以降の取り扱いです。この頃だと中国も阿片戦争にやられて西洋から不平等条約を叩きつけられるなど、体面としては一応西洋式の国家橡を持つようになったと私は判断しています。
そんな国家となった日中の間で最初に尖閣諸島の論点となるのは日清戦争、それも領土交渉も含まれた下関条約締結前後の取り扱いです。ここから双方の主張が食い違ってくるわけですが、日本の外務省によると日清戦争が行われている最中の1985年1月、尖閣諸島を清が支配していないことを確認した上で日本の沖縄県に編入したと主張しています。一方、中国は尖閣諸島は下関条約以前から清が支配しており、現在の台湾省に含まれていたと主張しています。
ここが重要なので詳しく二度書きしますが、この時期に日本は尖閣諸島が沖縄県に所属するのに対し中国は台湾省に所属すると主張し合っているわけです。ただこの後の1985年4月、日清間で下関条約が結ばれて台湾は正式に日本の植民地となるわけですが、中国側はこの時に尖閣諸島が台湾と一緒に初めて日本の領土に入れられたと言っているわけです。
その後、日本の明治政府は1900年に古賀辰四郎という実業家に尖閣諸島を無償貸与し、古賀も開発を進め尖閣諸島には一時期200人を超える島民が居住したそうです。その後、古賀は長男に島の領有権を売却しましたが、戦時中の1940年代前半に開発事業は中止され無人島となりました。ここら辺は全部ウィキペディアからの引用となりますが、その後の島の領有権は古賀の長男からその妻へ、その妻から知人である埼玉県内の人物へと移り、今月に日本政府がこの人物から買収する形で国有化されることとなったわけです。
ざらっと明治以降の尖閣諸島の歴史を追ってきましたが、日本側はこのような背景から明治の編入以降、尖閣諸島は一貫して日本の領土だったと主張しているわけです。これに対し中国側の主張ですが、
・尖閣諸島は下関条約以前に台湾に所属していた
・日本はサンフランシスコ平和条約で台湾・澎湖諸島の領有を放棄した
・尖閣諸島は元々台湾に所属していたのを日本が勝手に沖縄県所属に変えていた
→だから台湾と一緒に、尖閣諸島の領有権もこの時に放棄されたはずだ!
→台湾に所属するのだから、領有権は中華人民共和国にある!
あくまでも素人意見で間違っているかもしれませんが、少なくとも私の理解はこんなところです。ポイントとしてはやはり、尖閣諸島が沖縄県に所属していたのか、台湾省に所属していたのかといったところでしょうか。
ただこの流れは日本側の主張に出てくる中国側の姿勢であって、こんだけ書いておきながらですが少なくとも一般の中国人の尖閣諸島に対する認識はちょっと違うんじゃないかと思います。じゃあ中国人は何を根拠に尖閣諸島の領有権を主張し日本の非道を訴えているのかですが、少なくとも周りの中国人や中国のネットで出ている意見を読む限りだと、二次大戦後に米軍が沖縄を統治し、1972年に日本へ返還される際のどさくさに紛れて編入された、と考えているようです。まだ細かく検証していませんが、少なくとも1945年の終戦までは植民地である台湾と共に尖閣諸島は日本の領土であったが、終戦直後にこれまた台湾と共に尖閣諸島は中国の領土になったと考えているんだと思います。ただ無人島だったのをいいことに、台湾に所属していた尖閣諸島を日本は1972年の沖縄返還時にちゃっかり「沖縄県所属の離島」として編入して実効支配を始めた、と考えているようです。更に言えば、この編入は日米が手を組んで確信犯で行った策略だ、あいつらは汚いなどという主張も見受けられます。
ややこしいのでちょっと時系列にして下記にまとめます。
中国が主張する尖閣諸島の帰属
・1895~1945年:台湾と共に日本の植民地
・1945~1972年:台湾所属の離島(この時は日本も何も言ってこなかったと考えてる節あり)
・1972年以降:台湾所属の中国領土だが日本が実効支配
あまり日本のメディアでは見受けられないのですが、やはり中国人は尖閣諸島問題において1972年の沖縄返還を最大のターニングポイントとして非常に重要視ししているように見えます。まぁネタ明かしをすれば、1970年代後半になってから中国が領有権を主張し始めたことからこういう主張になったのでしょう。更に言えば中国、これは韓国もですがどうもこの二ヶ国は「植民地という制度自体が無効」という価値観を持っているので、尖閣諸島は台湾所属の植民地だったのだから日本人が住んでようが、地権者がいようがそんなの無効だとも思っているのかもしれません。
お粗末な内容ですが以上が自分なりの尖閣諸島に関するまとめです。はっきり言ってにわか仕込みの知識で書いたので間違っているところとかあれば存分にご指摘ください。
早速本題に入りますが、まず出典というか参考にしたサイト2つを先に紹介することにします。
・尖閣諸島の領有権についての基本見解(外務省)
・尖閣諸島の領有をめぐる論点―日中両国の見解を中心に―(国立国会図書館外交防衛課)
両者ともに書かれている内容は完全に一致しておりますが、国会図書館の方が論点などきれいに整理されて詳しいのでそこで書かれている内容をブログ形式にざっくり紹介することとします。
まず明治自体以前の尖閣諸島の歴史に簡単に触れますが、日本と中国それぞれの古文書に出たり出なかったりしておりますが、少なくとも島の存在自体は両国ともに認識していたようで、沖縄や台湾の漁師たちが上陸し合っていたようです。ただ中国の新聞とか産経新聞が江戸時代くらいの資料を引っ張り出してそれぞれ尖閣諸島が書かれているのを見て、「昔からうちの物だ!」と主張し合ったりしていますが、私の意見を書くとそもそもこの時期は両国ともに現代、敢えて専門的に言えばヨーロッパのウェストファリア条約締結後に生まれた「国家」という概念が出来ておらず、議論するだけ無価値だと考えています。というのも領土線というのは国家と国家、さらに言えば国を代表する政府間で初めて出来上がるもので、当時は国家でもなく領土交渉すらなかった徳川幕府と清の時代のことを言い合うのは不毛でしょう。
となるといつごろからこの議論を見るべきなのかは、やはり日本が正式に国家となった明治時代以降の取り扱いです。この頃だと中国も阿片戦争にやられて西洋から不平等条約を叩きつけられるなど、体面としては一応西洋式の国家橡を持つようになったと私は判断しています。
そんな国家となった日中の間で最初に尖閣諸島の論点となるのは日清戦争、それも領土交渉も含まれた下関条約締結前後の取り扱いです。ここから双方の主張が食い違ってくるわけですが、日本の外務省によると日清戦争が行われている最中の1985年1月、尖閣諸島を清が支配していないことを確認した上で日本の沖縄県に編入したと主張しています。一方、中国は尖閣諸島は下関条約以前から清が支配しており、現在の台湾省に含まれていたと主張しています。
ここが重要なので詳しく二度書きしますが、この時期に日本は尖閣諸島が沖縄県に所属するのに対し中国は台湾省に所属すると主張し合っているわけです。ただこの後の1985年4月、日清間で下関条約が結ばれて台湾は正式に日本の植民地となるわけですが、中国側はこの時に尖閣諸島が台湾と一緒に初めて日本の領土に入れられたと言っているわけです。
その後、日本の明治政府は1900年に古賀辰四郎という実業家に尖閣諸島を無償貸与し、古賀も開発を進め尖閣諸島には一時期200人を超える島民が居住したそうです。その後、古賀は長男に島の領有権を売却しましたが、戦時中の1940年代前半に開発事業は中止され無人島となりました。ここら辺は全部ウィキペディアからの引用となりますが、その後の島の領有権は古賀の長男からその妻へ、その妻から知人である埼玉県内の人物へと移り、今月に日本政府がこの人物から買収する形で国有化されることとなったわけです。
ざらっと明治以降の尖閣諸島の歴史を追ってきましたが、日本側はこのような背景から明治の編入以降、尖閣諸島は一貫して日本の領土だったと主張しているわけです。これに対し中国側の主張ですが、
・尖閣諸島は下関条約以前に台湾に所属していた
・日本はサンフランシスコ平和条約で台湾・澎湖諸島の領有を放棄した
・尖閣諸島は元々台湾に所属していたのを日本が勝手に沖縄県所属に変えていた
→だから台湾と一緒に、尖閣諸島の領有権もこの時に放棄されたはずだ!
→台湾に所属するのだから、領有権は中華人民共和国にある!
あくまでも素人意見で間違っているかもしれませんが、少なくとも私の理解はこんなところです。ポイントとしてはやはり、尖閣諸島が沖縄県に所属していたのか、台湾省に所属していたのかといったところでしょうか。
ただこの流れは日本側の主張に出てくる中国側の姿勢であって、こんだけ書いておきながらですが少なくとも一般の中国人の尖閣諸島に対する認識はちょっと違うんじゃないかと思います。じゃあ中国人は何を根拠に尖閣諸島の領有権を主張し日本の非道を訴えているのかですが、少なくとも周りの中国人や中国のネットで出ている意見を読む限りだと、二次大戦後に米軍が沖縄を統治し、1972年に日本へ返還される際のどさくさに紛れて編入された、と考えているようです。まだ細かく検証していませんが、少なくとも1945年の終戦までは植民地である台湾と共に尖閣諸島は日本の領土であったが、終戦直後にこれまた台湾と共に尖閣諸島は中国の領土になったと考えているんだと思います。ただ無人島だったのをいいことに、台湾に所属していた尖閣諸島を日本は1972年の沖縄返還時にちゃっかり「沖縄県所属の離島」として編入して実効支配を始めた、と考えているようです。更に言えば、この編入は日米が手を組んで確信犯で行った策略だ、あいつらは汚いなどという主張も見受けられます。
ややこしいのでちょっと時系列にして下記にまとめます。
中国が主張する尖閣諸島の帰属
・1895~1945年:台湾と共に日本の植民地
・1945~1972年:台湾所属の離島(この時は日本も何も言ってこなかったと考えてる節あり)
・1972年以降:台湾所属の中国領土だが日本が実効支配
あまり日本のメディアでは見受けられないのですが、やはり中国人は尖閣諸島問題において1972年の沖縄返還を最大のターニングポイントとして非常に重要視ししているように見えます。まぁネタ明かしをすれば、1970年代後半になってから中国が領有権を主張し始めたことからこういう主張になったのでしょう。更に言えば中国、これは韓国もですがどうもこの二ヶ国は「植民地という制度自体が無効」という価値観を持っているので、尖閣諸島は台湾所属の植民地だったのだから日本人が住んでようが、地権者がいようがそんなの無効だとも思っているのかもしれません。
お粗末な内容ですが以上が自分なりの尖閣諸島に関するまとめです。はっきり言ってにわか仕込みの知識で書いたので間違っているところとかあれば存分にご指摘ください。
2012年9月18日火曜日
平成史考察~たまごっち(1997年)
以前にイグノーベル賞について記事を書きましたが、その記事では紹介しなかったものの1997年にバンダイが発売した携帯おもちゃ「たまごっち」が、「数百万人の労働時間を、仮想的なペットの飼育に転換した」という点が評価され受賞しております。
・たまごっち(Wikipedia)
知ってる人に早いですが携帯型ペット育成おもちゃの先駆的作品のこのたまごっち。仕様を簡単に説明するとキーホルダーくらいの大きさに表示画面と3ボタンがついており、画面上でドット絵のペットにエサをあげたりトイレの世話したりするゲームなのですが、発売当初はそれほど話題にならなかったものの徐々に口コミから広がっていき、大ブームとなった1997年にはどの店でも品切れが続き、白色など人気色は高値で取引されるほどの社会現象とまでなりました。
当時の状況について私の記憶するところをまとめると、それこそ玩具店では入荷するや購入希望者に整理券を渡して抽選を行って販売したり、中古品が1個数万円で取引されてたり、学校とかで持っているのを見せるとそれだけで自慢になったりと、なんていうかゲーム自体を楽しむことよりも持っていることが一種のステータスとなっていた気がします。現に私自身も親父か姉貴がどっかから仕入れてきたのを遊んでみましたがそれほど楽しいとは思えずすぐにやめてしまったものの、「俺んちたまごっちあるんだぜヽ( ・∀・)ノ」などと学校で妙な自慢はやってました。
このたまごっちが発売された当時のバンダイの経営状況ですが、はっきり言ってしまえば非常に悪かったです。経営状況が思わしくなかったことからゲームメーカーのセガ(現セガサミー)との合併案も実現直前まで進んで両社ともにその内容を発表するほどだったのですが、そんなときに降ってわいたかのようにこのたまごっちが大ブレイクしたことによって、社風が大きく異なっていたことなどもありますが最終的に合併案は破断となったと言われております。
ただ合併案を吹き飛ばすほどの強烈なブームを起こしたたまごっちですが、ブームが過ぎ去るのも異常に早かったです。売れていることから大増産を行った矢先にピタリとブームが止んでしまい空前絶後と言っていいほどの在庫をバンダイは抱えることになり、1999年に45億円の赤字を計上するに至り倒産の危機へと追い込まれることとなりました。それにしても赤字45億円でピンチっていうんだから、今のシャープ、ソニー、パナソニックの赤字額がどれだけ巨額かというのが良くわかる。
その後、たまごっちはブームの顛末を見極めきれなかった商品として歴史に名を残すはずだったのですが、2004年頃からたまごっちを知らない子供たちの間で再びブームに火が付き、なんと奇跡の再販売が行われることとなりました。もちろん中身などは一新されていますが、大きく仕様を変えずに再ブームに成功した商品として見るならば稀有な一例と考えてもいいと思います。
このたまごっちがどうしてブームとなったのか私なりに分析すると、やはり手間がかからずそれなりに愛情を注げる対象だったからじゃないかと思います。というのも中国の新聞にまで書かれていてちょっと悔しい思いをしたのですが、現在の日本では子供の数よりペットの数が多くなっており、勝手な憶測ですがそれほど手間がかからずかわいがれる存在への需要が1997年の第一次ブームの頃に潜在的にあったような気がします。
それと現在でこそ「育成ゲーム」というのは一つのジャンルとして定着しておりますが1997年にはまだ少なく、それ以前にあるものでパッと今挙げられるものだとスーパーファミコンの「ワンダープロジェクトJ」くらいしか浮かびません。ほかにも挙げるとしたら、同じ1997年にはプレイステーションで「がんばれ森川君2号」という全国の森川君へのからかいネタとなった異色作があることはありますが。
ただやっぱり、育成ゲームというジャンルと携帯ゲームというのは相性がよかったのでしょう。その後も「ポストペット」や「デジモン」など似たようなものも出てきましたし、上に挙げた据え置き型育成ゲームとは一線を画すものがある気がします。
・たまごっち(Wikipedia)
知ってる人に早いですが携帯型ペット育成おもちゃの先駆的作品のこのたまごっち。仕様を簡単に説明するとキーホルダーくらいの大きさに表示画面と3ボタンがついており、画面上でドット絵のペットにエサをあげたりトイレの世話したりするゲームなのですが、発売当初はそれほど話題にならなかったものの徐々に口コミから広がっていき、大ブームとなった1997年にはどの店でも品切れが続き、白色など人気色は高値で取引されるほどの社会現象とまでなりました。
当時の状況について私の記憶するところをまとめると、それこそ玩具店では入荷するや購入希望者に整理券を渡して抽選を行って販売したり、中古品が1個数万円で取引されてたり、学校とかで持っているのを見せるとそれだけで自慢になったりと、なんていうかゲーム自体を楽しむことよりも持っていることが一種のステータスとなっていた気がします。現に私自身も親父か姉貴がどっかから仕入れてきたのを遊んでみましたがそれほど楽しいとは思えずすぐにやめてしまったものの、「俺んちたまごっちあるんだぜヽ( ・∀・)ノ」などと学校で妙な自慢はやってました。
このたまごっちが発売された当時のバンダイの経営状況ですが、はっきり言ってしまえば非常に悪かったです。経営状況が思わしくなかったことからゲームメーカーのセガ(現セガサミー)との合併案も実現直前まで進んで両社ともにその内容を発表するほどだったのですが、そんなときに降ってわいたかのようにこのたまごっちが大ブレイクしたことによって、社風が大きく異なっていたことなどもありますが最終的に合併案は破断となったと言われております。
ただ合併案を吹き飛ばすほどの強烈なブームを起こしたたまごっちですが、ブームが過ぎ去るのも異常に早かったです。売れていることから大増産を行った矢先にピタリとブームが止んでしまい空前絶後と言っていいほどの在庫をバンダイは抱えることになり、1999年に45億円の赤字を計上するに至り倒産の危機へと追い込まれることとなりました。それにしても赤字45億円でピンチっていうんだから、今のシャープ、ソニー、パナソニックの赤字額がどれだけ巨額かというのが良くわかる。
その後、たまごっちはブームの顛末を見極めきれなかった商品として歴史に名を残すはずだったのですが、2004年頃からたまごっちを知らない子供たちの間で再びブームに火が付き、なんと奇跡の再販売が行われることとなりました。もちろん中身などは一新されていますが、大きく仕様を変えずに再ブームに成功した商品として見るならば稀有な一例と考えてもいいと思います。
このたまごっちがどうしてブームとなったのか私なりに分析すると、やはり手間がかからずそれなりに愛情を注げる対象だったからじゃないかと思います。というのも中国の新聞にまで書かれていてちょっと悔しい思いをしたのですが、現在の日本では子供の数よりペットの数が多くなっており、勝手な憶測ですがそれほど手間がかからずかわいがれる存在への需要が1997年の第一次ブームの頃に潜在的にあったような気がします。
それと現在でこそ「育成ゲーム」というのは一つのジャンルとして定着しておりますが1997年にはまだ少なく、それ以前にあるものでパッと今挙げられるものだとスーパーファミコンの「ワンダープロジェクトJ」くらいしか浮かびません。ほかにも挙げるとしたら、同じ1997年にはプレイステーションで「がんばれ森川君2号」という全国の森川君へのからかいネタとなった異色作があることはありますが。
ただやっぱり、育成ゲームというジャンルと携帯ゲームというのは相性がよかったのでしょう。その後も「ポストペット」や「デジモン」など似たようなものも出てきましたし、上に挙げた据え置き型育成ゲームとは一線を画すものがある気がします。
反日デモによる日本人社会への影響
三日連続で反日デモネタです。今日はいわゆるXデーとして昨日からまたえらく騒がれていましたが、上海に限れば領事館周辺で相当数が集まるデモが起こったものの、あくまで平和的な行進に留まり石投げたりとかそういうことはなかったそうです。ただ地方はこういうわけにもいかず、先週末同様に領事館とかにあれこれ物が投げられたそうで、物騒な状態が続いています。
さて昨日は進出している日系企業に関するネタを書きましたが、また今日も取材予定だった日系企業の開業式典がキャンセルとなり、今週はオフィスでずっとデスクワークとなることが確定しました。上海市に限れば別に開業式典などを開いても影響はないと断言してもいいのですが、話を聞いているとやはり東京本社から何か騒動があったら大変だというブレーキがかかって中止にしているようです。確かに現場(上海)にいる人間ならともかく、日本だと繰り返し放送されるあの映像を見ていたらこういう判断を取るのも仕方ないでしょう。
話は変わって今日はちょっと中国にいる日本人社会の状況について少し話しますが、実は昨日、会社の同僚と子供の登校について話をしました。子供と言っても自分のではなく同僚のですが、なんでも先週から通っている幼稚園で日本人の男の子がずっと休んで来なくなったそうです。もちろんこの反日ムードを警戒してのことですが、今週に入ってからはほかの家でも同じように休ませるところが出ており、ある日本人学校なんか今日は完全休校となっています。こうしたことからその同僚の家でも子供を今日幼稚園に通わせるか議論となったそうですが、さすがに過度に気にし過ぎだとして結局通わせたそうです。なお当の子供は、なんで友達がずっと休んでいるのか理由がわからないという様子だそうです。
さすがに幼稚園とか小学校では、「やーいお前の親、にほんじーん!」なんていじめられることは有り得ないでしょうが、有り得ないとわかりつつも在中日本人社会の間では不安が広がっています。既に家族に対して帰国命令を出す日本企業も出ているそうですし、私個人的にも早くこういうムードがなくなってほしいと願っています。
その上で敢えて日本に向かって言わせてもらうと、無意味に中国を煽るような行動は頼むからやめてほしいです。今日も福岡にある中国領事館に発煙筒を投げ込んだ人が現れましたが、発煙筒を投げ込んだところで尖閣諸島が完全に日本の物になるわけでもなく、ただ無意味に中国人の感情を逆撫でするだけです。この事件は中国でもバッチリ報じられておりますが、こうしたことが続けば中国にいる日本人の危険性が高まる可能性があるだけに余計なことは本当に慎んでもらいたいです。
ちなみに昨日の記事で書きそびれていましたが、今回のこの騒動では中国当局は比較的取るべき対応は取ってくれたなと私は評価しております。デモ自体は禁止にせず容認しましたが、大使館や領事館周辺にはそれこそ千人規模の警察を動員して警護に当たってくれて、この点に関しては素直に感謝したい気持ちを持ちます。もっともだからと言って気を許せるほど甘い国ではないんですが。
あと最後に蛇足ですが、今月から来月にかけては日本製品のボイコットが続き、関連企業では販売量が大幅に落ちることが予想されます。特に自動車ではドイツ系メーカーに比べて日系はこのところ中国市場で伸び悩んでおり、結構深刻な打撃を被ることになるでしょう。ただここだけの話、毎月何%販売台数が伸びたとかいう記事は書く方からするとやりづらく、むしろ「○○の影響で大幅に減少した」っていう理由付けがあると非常に書きやすくなるので、自分の仕事的にはやりやすくなるなぁと漠然と考えています。と言っても今月から担当分野変わっているから自分が書くわけじゃないんだけど。
さて昨日は進出している日系企業に関するネタを書きましたが、また今日も取材予定だった日系企業の開業式典がキャンセルとなり、今週はオフィスでずっとデスクワークとなることが確定しました。上海市に限れば別に開業式典などを開いても影響はないと断言してもいいのですが、話を聞いているとやはり東京本社から何か騒動があったら大変だというブレーキがかかって中止にしているようです。確かに現場(上海)にいる人間ならともかく、日本だと繰り返し放送されるあの映像を見ていたらこういう判断を取るのも仕方ないでしょう。
話は変わって今日はちょっと中国にいる日本人社会の状況について少し話しますが、実は昨日、会社の同僚と子供の登校について話をしました。子供と言っても自分のではなく同僚のですが、なんでも先週から通っている幼稚園で日本人の男の子がずっと休んで来なくなったそうです。もちろんこの反日ムードを警戒してのことですが、今週に入ってからはほかの家でも同じように休ませるところが出ており、ある日本人学校なんか今日は完全休校となっています。こうしたことからその同僚の家でも子供を今日幼稚園に通わせるか議論となったそうですが、さすがに過度に気にし過ぎだとして結局通わせたそうです。なお当の子供は、なんで友達がずっと休んでいるのか理由がわからないという様子だそうです。
さすがに幼稚園とか小学校では、「やーいお前の親、にほんじーん!」なんていじめられることは有り得ないでしょうが、有り得ないとわかりつつも在中日本人社会の間では不安が広がっています。既に家族に対して帰国命令を出す日本企業も出ているそうですし、私個人的にも早くこういうムードがなくなってほしいと願っています。
その上で敢えて日本に向かって言わせてもらうと、無意味に中国を煽るような行動は頼むからやめてほしいです。今日も福岡にある中国領事館に発煙筒を投げ込んだ人が現れましたが、発煙筒を投げ込んだところで尖閣諸島が完全に日本の物になるわけでもなく、ただ無意味に中国人の感情を逆撫でするだけです。この事件は中国でもバッチリ報じられておりますが、こうしたことが続けば中国にいる日本人の危険性が高まる可能性があるだけに余計なことは本当に慎んでもらいたいです。
ちなみに昨日の記事で書きそびれていましたが、今回のこの騒動では中国当局は比較的取るべき対応は取ってくれたなと私は評価しております。デモ自体は禁止にせず容認しましたが、大使館や領事館周辺にはそれこそ千人規模の警察を動員して警護に当たってくれて、この点に関しては素直に感謝したい気持ちを持ちます。もっともだからと言って気を許せるほど甘い国ではないんですが。
あと最後に蛇足ですが、今月から来月にかけては日本製品のボイコットが続き、関連企業では販売量が大幅に落ちることが予想されます。特に自動車ではドイツ系メーカーに比べて日系はこのところ中国市場で伸び悩んでおり、結構深刻な打撃を被ることになるでしょう。ただここだけの話、毎月何%販売台数が伸びたとかいう記事は書く方からするとやりづらく、むしろ「○○の影響で大幅に減少した」っていう理由付けがあると非常に書きやすくなるので、自分の仕事的にはやりやすくなるなぁと漠然と考えています。と言っても今月から担当分野変わっているから自分が書くわけじゃないんだけど。
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