ページ

2012年9月24日月曜日

クズが溢れる世の中

 最近また思想関連の話を書いていないので、駄文を一本投下します。先日に友人とスカイプで話をした際に、こんなことを私は友人に言いました。

「君は以前から物事に対して文句が多い人間だったが、社会人になってからは周囲の人間に対する愚痴がすごく多くなった。学生時代は俺が何度言っても理解してくれなかったが、世の中クズが多いということがようやくわかってきたんじゃないの?」

 文章にすると見も蓋もない限りですが、ほんとにこんなことを友人に向かって言ってのけました。
 その友人とは大学生時代から付き合いを続けておりますが、学生時代は政治や経済といった話では意見がほとんど一致しながらも、人権や人間の精神に関する話題では真逆とも言っていいくらいに意見が一致しませんでした。一体何故こうも一致しないのかと一度話し合いましたが、その友人からは育ってきた環境というかバックグラウンドがあまりにも違い過ぎることで、お互い歩み寄ることが出来ないのだろうと指摘されました。

 具体的にこれはどういうことかというと、友人からするとこれまでの人生で私をいろんな意味でわずらわらせてきた人間が世の中に存在すること自体が理解できなかったそうです。わずらわらせてきたと言っても包丁で刺してきたりとかではないですが、漠然に言うならやる必要があるとは思えない嫌がらせを延々と仕掛けてきたり、無意味としか思えない行為を繰り返してきたりとかです。
 一つだけ実例を挙げると、私は小学校六年生の比較的早い時期に受験を終えて進学する中学校の入試に合格したのですが、合格するやそれまで一度として話をしたことのない別のクラスの人間が毎日嫌味を言い始めてきました。それこそ「そんな偏差値の低い学校に受かっていい気になってるんじゃない」とか、「俺なら開成余裕で受かる(結局落ちてたが)」など、毎日しつこく続くもんだからそいつのクラスの担任に言ってやめてもらうように言ってくれと伝えましたがやまず、仕方ないから一回だけ締め上げたらそれからは自宅に無言電話とか、わざわざ私の家まで来て自転車チェーンを外す嫌がらせに切り替えてきました。今思うと、指一本くらいならへし折ってやっても良かったなという気がします。

 これは私が身を以って体験したクズの中でも極端な方ですが、これに負けるとも劣らず、今の自分を以ってしても全く理解することのできない行為を続けるクズに私は小学校から高校時代まで一貫して取り囲まれていろいろと面倒でした。大学入って初めて、「世の中まともな人間も多いもんだなぁ」と決して誇張ではなく真面目に思ったくらいです。
 そんな自分に対して上記の話をした友人は、まぁ私風に言わせればいい家族といい友人に囲まれていたようで余計なクズに煩わされることがほとんどない人生だったようです。そのため私は大前提に、「世の中は救いようのないクズで溢れている」と信じ切っているのに対しその友人は、「人間はそもそも救われる価値なんてない」とは言いつつも(今でも)、人間同士、それも日本人同士ならば話し合えば最終的にはどこかでわかり合えると思っていた節があります。

 前置きが長くなりましたが、まぁそういうやや甘い考えを持っていた友人も立派な社会人となり、京都風に言うなら「日本語の通じない日本人」と接することが増えてきて、ちょっとずつ私の側に近づいてきている感じです。繰り返しになりますが私は世の中には本当に救いようがないというか、歩み寄ってくれなければ歩み寄りようがないクズが自分を含めてたくさんいると思います。
 それこそ今の日中対立のように国の利益や国民を背負う政府代表者が歩み寄れないというのならまだ理解のしようがありますが、個人レベルであるにもかかわらず全く歩み寄らないばかりか、自らの不当な要求を平然と突き付けてくる人間は確実に存在すると考えております。自分がそういうクズとは一線を画す人間だとかそういうことをいうつもりはなく、むしろ大きな目で見れば同じ穴のムジナだろうと考えてますが、私個人としてはなるべくならこういうクズとは関わりたくないし世の中から一掃できればきっと今より物事は良くなると信じています。

 さっきからクズ、クズと連呼しておりこれまでの私のブログ記事の中でもえらく過激な内容が続いていますが、私がクズだと思う人間の特徴を敢えて挙げるとしたら、あまりよそでは見ない意見ですが、目的と手段を同一視、または両者の因果関係を平気で入れ替えてくる人間というのが最大の特徴だと思います。
 これはどういうことか例を挙げて説明すると、たとえば企業内で上司が部下を叱るのは普通、その部下の間違っている行動を修正するためであって究極的には部下を育成するという目的がある、というかなきゃいけないでしょう。この場合、部下を「育成する」というのが目的であって「叱る」という行為は手段ですが、これがクズな上司だと部下を「叱る」こと自体が目的となり、「育成する」というのが手段となり得ます。ここでパッと情景が浮かんできた人は多分私に近いのだと思いますが、「お前のためを思って言ってやってるんだぞ」と言いながら全然業務と関係なく、自分ルールを基準にあれこれケチつけたり文句言ってくる人間がこの類です。

 この例に限らず、私が遠目に見ていてなんかおかしいんじゃないかと思う人の行動は目的と手段が一致しない、手段自体が目的となって行動している人が多いように思います。それこそ政治家においても、世の中をよくするため、制度を変えるために政治家になるのではなく、政治家になること自体が目的と化して耳触りのいい制度改革案を思いついては口にする政治屋のように、どっち向いて行動しているのかがわからない人間にクズが多い気がします。
 何も人間、常に目的と手段を意識して一致させる必要はありませんが、以前の記事で書いたように魂というか意思のない人間ほどつまらないものはなく、はっきりとした目的意識を持って手段を選ぶ人間となるべくなら私も付き合いたいです。

0 件のコメント: