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2013年7月13日土曜日

敵失を待つことの不毛さ

 先日にこのブログで政治解説をした際、野党は今国会で与党である自民・公明党の敵失を待つ戦略、具体的には失言が出るのを待ち構えて自分たちでは政策代案など何も出さずに、国会でもあまり議論しないという戦略を採ったのではと私は書きました。該当記事でも書いてある通りに近年は政治家の失言が大きく取り沙汰されるだけに、ただ単に議席を取るという戦略上では決して大きく外れたものではなかったものの、今度の安倍政権は驚くほど失言事件が起こらず、結果的には選挙争点が何も作れず失敗してしまったように見えるとまとめました。

 この「敵失を待つ戦略」ですが、この言葉の元は野球におけるエラーです。なので野球にたとえるなら「相手の守備にエラーがでることを期待する」といったところですが、こんな戦略持った野球チームなんてまず勝てるわけがないでしょう。これまた元の政治記事でも書いていますが相手のミスに期待するなんて勝負を捨てたも同然で、今度の参院選でも野党は現時点で敗色濃厚ですが負けるべくして負けたと言わざるを得ません。
 と、こんな風に書くとこの戦略がどれだけ価値がなく不毛かということがなんとなく見て取れると思うのですが、改めて考え直してみると他のある分野にも適用できるのではないかという気がしてきました。もったいぶらずに言うと、日本人が持つ他国との経済競争における価値観です。

 実はこのブログでここ数ヶ月の間、「中国経済崩壊」というキーワード検索で訪問する人が非常に多いです。行き当たるページは「世界終末論と中国経済崩壊論」の記事で、、むしろこの記事では中国経済崩壊論の書籍は過去何冊も出版されているが今まで当たった試しがないと批判している記事ということもあり、こんな検索ワードで来られても当惑するというかむしろ来るなと言いたくなってきます。
 ただこの「中国経済崩壊」というキーワードでGoogleなどを検索すると、中国経済の危険性を訴えるページが本当にたくさんヒットします。またそういった個人のホームページだけでなく大手メディアの報道でも、中国経済が好調という話より中国経済が危険という話の方がニュースとして大きく取り扱われる傾向にあることも事実です。

 この時点で筆を終えてもいいのですが、稀勢の里が三敗目を喫して横綱昇進が絶望となった記念(別に彼が嫌いというわけではないが)に詳しく書くと、日本と中国で経済を比較し合い将来性を検討する場合、日本人はほぼ確実と言っていいほどに中国経済のリスクや問題点ばかり探してあげつらい、日本の経済を今後どのように振興して中国の企業に勝つかについては全く触れることがありません。もう少し口語に言い換えると、中国経済は今は勢いあるけどどうせもうすぐ破綻して、最終的には日本が勝つよという風な議論しか出てこず、前を走ろうとする中国に対してどうやってそれより前を走るか、そのような具体的提案は何も出てこないと言ったところです。
 これは何も中国に限らず韓国に対しても全く同じですが、中国や韓国に対して日本は今後どの分野で勝負し、戦っていくかではなく、中国や韓国が駄目になるのを待つという話しか経済比較では見受けられません。まともな経済誌ならまだこの辺の議論はあるのですが、やはり大多数の議論や主張としては私が不毛と批判する「敵失を待つ」ような、言ってて恥ずかしくないのかという意見しか出てきません。

 言うまでもないことですが中国は今でも国全体を挙げて現状以上に経済を発展させようとしており、その競争力は数年前と比べると確実に増しております。そんな中国の経済というか企業が数年後、今より競争力を落とすかと言ったらそれはあまり考え辛く、むしろ増すものだと考える方が普通な思考な気がします。そんな力を増す中国企業に対し日本企業はどうするべきかというと、さらにその先を行く方法を考える、つまり相手のミスを期待せずに如何に自分の力を伸ばすべきかということを考えるべきです。
 私は自己評価については過小でも過大であってもよくないと考えます。しかし競争相手に対する評価では、的確な評価が理想であることはもちろんですが、過小に評価して侮るくらいなら過大に評価して警戒する方がずっとマシです。然るに今の日本人の他国の経済に対する価値観においては過小評価が圧倒的と言わざるを得ず、その不毛な戦略と相まって将来的に負けるべくして負ける事態に陥るかもしれません。

 くれぐれも言いますが経済というのは競争です。競争において相手が途中で転ぶことを期待するようなアスリートが強いわけがありません。相手を研究することは大事ではありますが自らを鍛えようとすることはもっと大事で、陰湿な性格にはなるなよと言いたいのが今日の私の意見です。

2013年7月12日金曜日

韓国の近現代史~その十九、大韓航空機爆破事件

大韓航空機爆破事件(Wikipedia)

 前回取り上げたラングーン事件とは異なり、こちらは日本でも非常に有名な事件なのでほとんどの方は知っていると思います。

 簡単に私の方から事件の概要を説明するとまず事件が起きたのは1987年で、ソウル五輪の開催を控えた前年でした。事件当日、イラクのバグダッド空港を出発した大韓航空所属のボーイング707-320B型機は経由地であるアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビに到着。次の経由地であるタイのバンコク空港を通り終点のソウル空港へと向かう予定だったのですが、バンコクへ向かっていたその途中、ミャンマーの海上で突如連絡を絶ち、その後の調査で空中で爆発、分解したことが後の調査で判明しました。

 事故機が連絡を絶った直後、韓国政府は直前に経由したアブダビで降りた乗客15人の中に審な男女2人がいることを突き止めます。この男女2人は日本の旅券を持ってアブダビを降りた後にバーレーンへ向かい、事件翌日には現地のホテルに滞在していました。バーレーンの日本大使館がこの2人の旅券を照会したところそれらの旅券は偽造されたものだとわかり、バーレーンを離れローマへ向かおうとしていた2人を日本の大使館員、 バーレーンの警官が出向直前で押し留めました。
 ここである意味ドラマチックな所ともいえるのですが、出国を阻止された男女2人は煙草を吸う振りをして毒薬のカプセルを含み自殺を図ったのですが、男の方はそのまま中毒死、女の方はカプセルを噛み砕く直前に現場の人間に取り押さえられたことにより自殺に失敗します。

 その後、生き残った女は韓国へと移送され、韓国側の捜査によって二人は北朝鮮の工作員、金賢姫(当時25歳)と金勝一(当時59歳)だったことがわかり、航空機が仕掛けられた爆弾によって爆破されたことがわかります。2人は親娘を装ってハンガリー、オーストリア、ユーゴスラビア、イラクの順番に渡り、途中で旅券を北朝鮮のものから偽造した日本旅券に差し替えた上で搭乗した航空機に爆弾を仕掛けたことを、生き残った金賢姫が証言しております。実際にこれらの行程は経由した国々の記録とも一致しており、北朝鮮と同じ共産圏の旧ソ連などもこの事件を北朝鮮によるテロと断定しております。

 この事件がどういう目的で起こったというか北朝鮮は何故このような航空機爆破テロを起こそうとしたのかというと、やはり翌年に控えていたソウル五輪を中止に追い込む、または他国に参加ボイコットを促すためだったと現在だと言われております。書いてる自分が言うのもなんですが、なんで航空機を爆破することがオリンピックの妨害になるんだという気がしてならないのですが、そこは北朝鮮だからとしか言いようがありません。
 ただこの点について私の勝手な推測をここで書くと、どうも北朝鮮というのは現在を含め、国際世論というか事件などの情報が相手側にどのように影響するのか、そういった感覚に対して極端に疎い気がします。いうまでもなく北朝鮮は中国を除いてほとんどの国と国際交流を行っておらず、しかも国内で厳しい情報統制を行っていることからこちらが思った通りに相手側は思考するという勘違いに似た都合のいい感覚を持ち合わせているのかもしれません。更に言えば、次代の変遷に伴う国際感覚の変化にもついていけてないというべきか。

 多分北朝鮮としては、「航空機が爆破された→韓国は危険→ソウル五輪はボイコットしよう」なんていう風にほかの国は考えると思ったんじゃないでしょうか。しかし結果は全く逆で、むしろこのような国際テロ事件を起こした北朝鮮への批判が高まっただけでなく、それまでソウル五輪への参加を保留していた旧ソ連や中国など共産圏国家がその後、続々と参加を表明するようになります。

 この事件についてもう少し私の方から述べると、前回のラングーン事件といい、第三国を巻き込んだなりふり構わないテロ事件に北朝鮮は1980年代から手を染めはじめます。この時期がどういう意味を持つかというと、やっぱり金正日が徐々に政権内部で実権を握ってきたころと同時期であり、これらのテロ事件や金正日が主導したという話は間違ってないように思えます。
 そしてこの事件がきっかけというか、生き残った金賢姫が田口八重子氏とみられる人物から日本語を教わったという証言を行ったことから、北朝鮮による拉致事件が大きく日の目を浴びるようになります。そういう意味では北朝鮮に対する世界の見方における、ターニングポイントとなった事件だったと言えるでしょう。

 最後にもう一点。事件当時、日本の左翼運動家の間ではこの事件を韓国による自作自演だと主張する団体などもありました。具体的には社会党なのですが、旧ソ連や昔の中国の人間以上に事実を事実だと判別できない連中というのも救いようがないものです。

2013年7月11日木曜日

中国にある「高温手当」という制度

 7月に入ってからめっきり暑くなってきたので温めていたというか単に書くのを忘れていた、中国にある「高温手当」という制度について今日はちょこっと紹介しようと思います。

 この高温手当という制度はその名の通り、高温時の屋外作業を行う労働者に対して事業者が手当を支払うことを義務付けている労働法です。具体的には気温が摂氏35度以上、もしくは相対湿度80%以上に達した際の屋外作業時に支払いが義務付けられており、手当額や支払方法は地方によって異なっております。
 たとえば上海市だと期間と金額が一律に定められており、今年だと6~9月の4ヶ月間、制度の対象となる作業者に対して通常の給与額に対して月額200元(約3200円)を上乗せするようになっております。中国語がわかって興味がある方は下記ニュースページに詳しく載っておりますのでご参考ください。

上海迎来高温日 企业高温津贴标准仍为每月200元(東方網)

 ではほかの地域はどうか。上海と接している江蘇省は上海と全く同じで6~9月の4ヶ月間に月額200元と一律に定められているようです。上海なんかよりずっと暑さの厳しい広東省では期間が6~10月と上海や江蘇省より1ヶ月多くなっておりますが、支給額は月額150元に定められております。

 この高温手当は毎年6月頃にその年の支給額など政策内容が発表され、大量のワーカーを抱える企業、特に屋外作業が多い建築分野の企業などはその内容と対策に頭を悩ませます。またこれは今回調べている最中に自分も初めて知ったのですが、「中国三大ストーブ」に数えられるほど暑い重慶市では室内温度が33度以上に達した場合、オフィスワーカーも高温手当の対象になる指針を出しております。まぁ理には叶ってるな。

 もっともこうした制度があるものの、実際には手当を払おうとしない事業者も多いそうです。そんなこと言ったら大半の企業が残業代を払おうとしない日本も一緒ですが、少なくともこの高温手当の制度に関しては中国政府の考え方に深く得心させられます。言われてみれば確かに夏場と冬場では屋外作業のキツさは段違いに異なり、特に夏場では熱中症の危険性も存在します。この高温手当の条文では事業者に対して手当の支払いを義務付けているほか、労働者に対して適度に水分を補給させること、休憩させることも義務付け、体調不良者を出さないようにしっかり注意することが記載されております。

 この時点で勘付いている人もいるかもしれませんが、率直に言って日本もこの制度を見習うべきではないかと私は思います。恐らく作業現場単位で熱中症対策などが施されているとは思いますがやはり夏場の屋外作業は危険であり、労働者に対して相応の手当を支給する制度を導入するべきなような気がします。クールビズなどと政府は言いますが、そもそも猛暑時には作業量を減らすことこそが最もエコな気もしますし。

  おまけ
 前職の職場ではちゃんと社内にクーラーがあったものの古いせいか度々故障して、真夏の物凄い暑い中で延々とノートパソコンに記事原稿を書くという、「これなんていう修行?」と言いたくなるような事態が度々起りました。またきちんと動いていてもどうも設定温度通りに室内を冷やしてくれないことも多かったことから上司がよく、「おい花園、クーラーの設定温度をもっと下げてくれ」と指示が来てました。その際に、

自分「今日も暑いっすからねぇ」
上司「そうなんだよなぁ。特にこの席だと余計暑くってさ」
自分「ああ、そこ窓際ですからね

 という風に暑さのせいでボーっとしていたせいか何も意識せずに口走ってしまい、しばらく上司から白い目で見られる羽目になりました。上司も上司で、「俺は座席でも社内でも窓際なんだよ」などとすねちゃうし……。

2013年7月9日火曜日

参院選が終わった後の政局予想

 まず初めに、福島第一原発事故時に現場所長だった吉田昌郎氏が死去されたことが本日報じられたので、私からもこの場にてお悔やみを申し上げます。事故当時に自分は中国にいたので当時の状況については読者の方々の方が詳しいのではないかと思いますが、吉田所長は東電本部からの撤退命令にも応じないばかりか中止するよう連絡が来た海水注入を独断で続けるなど、あの惨事の中で立派な活躍をされた方だと聞くだけに、本当に惜しい人物をなくしたと感じる次第です。世の中、本当に良い人から先に死んでいく。

 話は本題に移って再来週に控えている参院選についてですが、はっきり言ってもう何も解説することはありません。これほど勝敗がはっきり見える選挙もなく、また実際に選挙戦が始まっても野党側は何の争点も作れていない始末で、もう選挙が今後どうなるのかという予想をすること自体が馬鹿馬鹿しいくらいです。
 とはいっても歴史系記事がメインだが一応は政治ブログ。何か書かないと個人的にも暇なのでもうこの際、選挙のことは放っておいて選挙の後の政局について予想をすることにします。

 まず選挙後の議席は言うまでもなく自民、公明の与党が過半数を握り、自民党政権としては第一次安倍政権以降続いていた衆参のねじれが解消されることとなります。これによって国会審議、議決でも与党がイニシアチブを握るので運営が大分楽になることが予想され、自民党としてはあれこれ法案を一気に出してくる可能性があります。
 そのあれこれ出してくるであろう法案の中で私が期待しているのは、アベノミクスの第三の矢です。というのも先日発表されたこの第三の矢こと具体的な成長戦略の内容は以前にも出ていた案の焼き直しに過ぎず、はっきり言って非常に失望させられる内容でした。所詮はアベノミクスも金融緩和だけで終わるのかと思う一方、「もしかして安倍首相は参院選までは選挙のために控えめな内容だけにとどめ、選挙で勝った後で大胆な政策発表、実行があるのでは」という期待感が一抹あります。まぁないとは思うんだけど。

 ただ選挙後に自民党は間違いなく、安定政権を築けることからこれまで以上に大胆に、言い方を考えると民意を気にしない政策を実行していくこととなります。まぁそれが民主主義なんだし、また民意に従った政策ばかりだとあまり良くないのでとやかく言うつもりはありませんが。

 そんな自民党に対して野党ですが、まず民主党に関しては最悪、分裂もあり得るかと思います。もともと与党になるために同床異夢で集まった政党ですから一回与党になってみてその目的が果たされており、かえって内部の矛盾が一気に噴出してしまっている状況なので立ち直りはそうそうきかないでしょう。同様に社民党も、もはや議席すらほとんど取れないので解党というか野党諸派扱いされて、ほかが駄目になる分、議席数を減らしても共産党が目立つようになるでしょう。

 では政府としてはどうなるのかですが、たとえば外交だと基本的に現在の路線がそのまま続くでしょう。現状でも安倍首相の外交方針は人気が高くて誰も文句言いませんし、他国と大きく関係を損なうようなイベントは今のところ見当たりません。ただ経済に関しては先ほども言ったようにアベノミクスの第三の矢の中身があまりにも拙いのもあり、期待ほどは大きく向上することはないと思えます。むしろ期待値が高い分、市場からそっぽ向かれたら株価が大きく下がる可能性もあってまたちょっと不安定な時期に入るかもしれません。

 例によってオチらしいオチがありませんが、私に言わせれば日本の経済力は下降するのが自然で、上昇することの方が不自然です。では無理矢理に不自然を実現させるべきなのか、むしろ芸術的な下降の仕方をみせてやるのが業師ではと思うのですが、こんな考え方してるのは私くらいでしょうね。

2013年7月8日月曜日

日本の失われた時代はあと何年?

 ちょっと夜遅いので短くもドスの利いた記事をサッと書き上げます。

 自分も昔に連載で「失われた10年」について書いておりますが、現代においてはもはや「失われた20年」という言葉の方が定着しつつあります。私としてはやはり90年代の10年間で一区切りするべきだと考えてたので失われた20年というのには違うようなとこれまで主張してきましたが、2008年のリーマンショックと2011年の東日本大震災、そして民主党政権下の停滞した空気を考えるとやっぱり20年というスパンで見るべきだと思い直しました。

 あまり長引かせてもしょうがないので核心に入りますが、この「失われた20年」の議論というのは基本的に、「あの時何をしていればよかったのか、するべきだったのか」しかなく、今後どうすればいいかという議論があまりないように思えます。要するに、過去しか振り返らず未来の話がないってことです。
 じゃあ未来の話をすればどうなるのか。結論から言うと、日本で失われた時代はあと何年続くのかっていう事です。思い切ったことを言うと、少子化で経済規模が今後も減少していくことを考えるのなら「失われた100年」にまで最終的に行っちゃうんじゃないかとすら私には思えます。英仏100年戦争もびっくりだ。

 日本全体に対して私個人として言いたいのは、過去をもう振り返るべきではなく、もっと未来に何をするべきか目を向けるべきです。もっとも未来どころか、今の大半の日本人は現実すら直視していない、出来ない人も多いです。過去、現代、未来と時間の区切りは三つありますが、三つすべてを見られるのがベストであって、過去にだけ目を向けるというのは自ずと限界を迎える事態を招きかねません。

2013年7月5日金曜日

書評「上海、かたつむりの家」

 二回連続で書評というかレビューが続いてしまいますが、実はこの記事はため記事で木曜執筆、金曜アップなのでどうかご承知を。ぶっちゃけレビュー記事は時期を選ばないからいい。
 そんな今回紹介するのは「上海、かたつむりの家」という中国の翻訳小説です。なんでこんな本を取り上げようと思ったのかというと、友人から薦められて読んで、中国都市部の住宅事情と合わせて説明するのにいい本だと思ったからです。

 まずこの本の元々のタイトルは中国語で「蝸居」というもので、これは直訳するとそのまま「かたつむりの家」となり、小さい家でも我慢せざるを得ない中国都市部住民を表したタイトルです。かつて高度経済成長期の日本はEU(当時はEC)に、「あいつらはウサギ穴みたいな家に住んでいる」と揶揄されたことがありましたが、かたつむりよりかはうさぎ穴の方がまだマシかなぁと隔世の感を覚えます。

 ではこの小説は一体どんな話かというと、スタートは上海市に住む若い子持ち夫婦が自分の住宅を購入するために悪戦奮闘する姿から始まります。この夫婦は元々地方出身で上海の大学を卒業してからそのまま上海で働いていますが、給与は低いのに上海だと住宅家賃が高いもんだから生まれた子供は両親に預け、逆単身赴任みたいな感じで働いている夫婦です。
 そんな子どもと離れ離れの生活に悩んだ妻が、「何もかも不幸なのは自分の家を持ってないからだ」とばかりに急に家を買おうと動きだしたものの、住宅バブル真っ盛りの上海では買おうとする傍から値段がどんどん高騰し、一度仮契約を結んだ住宅も、「新しい客がもっとお金積んでくれたからあの話はなしね」とばかりに契約を祖語にされたりなど、買おうと思ってもなかなか買えず、イライラが募って夫婦仲も段々険悪になっていくというような具合です。

 と、前半はこのように住宅購入に振り回される今どきの若い夫婦がメインで描かれていて面白いのですが、中盤から妻の妹の目線が中心となっていきます。この妹には婚約者がいるのですが住宅購入に奮闘する姉を助けようと動いたところ、家も車も財産も、さらには妻子も持っているある公務員に一方的に惚れられ、住宅購入の頭金を援助してもらったことからなし崩し的に関係を持ってしまい、後半のネタバレをすると最終的に妊娠までしてしまいます。
 もちろんこんな関係は婚約者にもばれて妹は振られてしまい、妹自身も最初はいやいやだったもののどんどんと公務員にすがりつくようになっていくのですがそこで問屋を下さないのは公務員の妻です。こっちも最終的には不倫がばれて、公務員の妻に二度と近寄るなと妹は言われますがそれを拒否したところちょっと暴行され、お腹の子供は流産してしまいます。挙句、公務員はこれまでの汚職がばれて警察にマークされ始めるのですが、妹が病院に担ぎ込まれたと聞いて慌てて車を走らせます。そしたら「逃げるつもりか!?」と警察に追われて、カーチェイスの末に対向車と激突、そして妹の名を呼びながら敢え無く昇天……というような、なんか昼ドラみたいな終わり方でした。

 ここまで読んでてわかるかと思いますが、前半は今の中国の社会事情を描いてて面白いと思ったものの、後半は単なる痴話物の話でしかなくそれほど評価するに値しません。まぁ敢えて抜き出すとしたら、妊娠して一人で公務員の帰りを待つ妹がある日散歩に出ると、前の婚約者が別の女とすごい幸せそうに歩いているのを見て、「ああ小さな家で貧しくても、あの人と一緒にいた時期が一番幸せだったのに」とこれまた昼ドラ的なセリフを吐くシーンがあるのですが、このセリフは多分、今の中国の若者がぜひ言ってもらいたいセリフの一つだと思います。

 というのも中国ではまだ世間体というか見栄を気にするところがあり、結婚するに当たって家を買って、車も持ってないと駄目みたいな感覚が残ってます。数年前に、「家も車もなくったって結婚しちゃえ」的なノリのドラマ「裸婚」が放映されてからは「裸婚族」というのも出てきて少しはましになりましたが、それでも日本人と比べると結婚前に資産を揃えなければという意識は尚強いです。
 ただ私が思うに、中国人自体がそうした見栄というか世間体に付き合うのにこのところ疲れを感じているような気がします。特に住宅に関しては先ほども言ったように年々価格が高騰してただでさえ手が届かないものが余計に遠くに行っているような状況で、買おうったって無理じゃんと多かれ少なかれの若者は考えているように思えます。

 本題から大分離れてきましたが続けると、今の中国都市部の住宅価格の行動は給与の伸びよりも高いため、時間が経てば経つほど買えなくなってくるような状況です。だからこそみんな急いで買おうとして余計に価格が高騰していくのですが、日本もバブル前なんかは同じ状況だったと聞きます。中国政府もあれこれ対策打って価格高騰に歯止めをかけようとはしていますが、そう言った政策と共にこういう小説の様な、「無理して買わなくてもいいんだよ(・∀・)」という言葉が中国社会に求められているし、そういう言葉を中国人も聞きたがっているように個人的に感じます。だからこの小説もそこそこ売れたんじゃないかなぁ、テレビドラマ化もしたらしいし。

 最後に蛇足ですが、じゃあ日本人はどんな言葉を聞きたがっているのかというと「無理して働かなくてもいいよ」じゃないかと密かに思います。ブラック企業関連でね。


2013年7月4日木曜日

漫画レビュー「進撃の巨人」

 自分が書く漫画レビューは決まってマイナーな作品が多いのですが、たまにはアクセスアップを目指してメジャーな作品を取り上げようと今日は「進撃の巨人」について私の目線で紹介しようと思います。かなり昔にこのブログでも書いていますが、よく周りから私はその知識量をとかく評価されがちですが自分が最も他に比して鋭さを持っているのはほかならぬ観察力で、そういう意味でこういうレビューや情勢分析を書く時が鍛えに鍛えた表現力と相まって一番真価を発揮するような気がします。

進撃の巨人(Wikipedia)

 まず知らない方に向けて簡単に説明すると、この「進撃の巨人」という漫画は文句なしに今一番売れている漫画で、先月なんか今も放映中のアニメ化を受けて、全漫画の販売冊数トップテンのうち半分以上をこの漫画の単行本が占めるという驚異的なヒットを続けております。本格的に売れ始めたのは今年のアニメ化以降からですがそれ以前、というより連載開始当初から作者である諫山創氏はこれがデビュー作という新人ながらも、その有り得ないと言いたくなるようなストーリー展開とハードさが大いに話題となり通常ではあり得ない人気作でありました。

 私がこの漫画を知ったのは去年に一時帰国した際、好きな本を買ってくれるあしながおじさん的な友人から「この漫画が売れてるらしいよ」と紹介を受けたからで、早速その晩に漫画喫茶で読んでみましたが確かにすごい作品だと一読して感じました。大まかなあらすじを簡単に述べると、タイトルの通りというか人間の何倍もの大きさを持つ巨人が徘徊する世界で人類が時には食べられつつ、時には踏み潰されつつもあの手この手で駆逐しようと戦っていくという話です。このほかにも非常にさまざまな設定があるのですがストーリー解説が主題ではないのでここでは割愛させていただきます。

 まず一読した直後の私の率直な感想を述べると、「これは海外で売れる」の一言に尽きます。海外、特に日本の漫画がよく売れる欧州地域では「鋼の錬金術師」のようなダークファンタジーや近未来SFがヒットする傾向にあり、ジャンルとしてはダークファンタジーに属するであろう「進撃の巨人」もグローバル規模で売れるとまず思いました。またこの作品も「鋼の錬金術師」同様に近代くらいの西洋をイメージした世界が舞台で、東洋人は今のところヒロインのミカサ(腹筋が割れているヒロインは漫画史上初かもしれない)だけという徹底ぶりで、この点も欧州での販売に大いに貢献する設定のように感じました。

 さらにというか、ストーリー展開のハードさと意表を突く裏設定も見事なものだと太鼓判を押します。作中では先ほども書いた通りに人間が本当に紙屑のように巨人に食われる描写が描かれてあり、主要キャラも割とすぐ殺されます。そして人間を食べる巨人も描写が見事というか、これは作者も意図的に描いていると言っていますが、その表情が巨人ごとに常に同じに描かれています。笑っている巨人はずっと笑ってて、怒っているのはずっと怒ったままの表情を浮かべていて、これがなんとも不気味というか表情があるのに人間味が全くなくて巨人の迫力を大いに増させる演出だと感じられます。

 以上のような具合でなんていうかずっとべた褒めが続いていますが、私は間違いなくこの作品は2010年代(2011~2020年)における最大のヒット作になると考えています。2000年代(2001~2010年)の最大のヒット作は私の中では「鋼の錬金術師」なのですが、ジャンルも先ほども言ったように同じダークファンタジーであることから、完全にこの系譜を受け継ぎ海外市場における強力なジャパンコンテンツになると見ております。

 最後に蛇足かもしれませんが、この漫画というか作者の画力についてちょっと感じるところがあります。というのもほかのレビュアーの方もいろいろ書いているのですが、率直に言ってあまりうまい絵ではなく、特に最初の方なんか人物の描き分けがよく出来てなくて、「あれ、この人って前食われてなかったっけ?」などと私もしょっちゅう見間違えてました。あと動きのある描写もコマ割りが悪いのかいまいちイメージが出来なかったりして困らせられましたが、この点は最新刊だと大分改善されつつあります。
 ただそうやって貶しておきながらなんですが、逆に諌山氏の絵をほかの漫画家が真似して描けるのかと言ったらまず無理でしょう。諌山氏の絵は一見すると雑ではありますがそのかわりに個性がはっきりと備わっており、その溢れる個性がハードなストーリー展開とマッチしていてこの作品の成功につながっていると言い切ってもいいです。

 そんな諌山氏の絵を見て何を感じるのかというと、流行というか時代の変遷です。あくまで私個人の意見ですが、1990年代から2000年代にかけて漫画の絵は劇的にきれいになったというか、スクリーントーンをふんだんに使用してアニメの絵に近くなっていった気がします。こうした流れを作った代表的な漫画家を私目線であげると「BUSTARD!!」の萩原一至氏、「封神演義」の藤崎竜氏、「天上天下」の大暮維人氏の三人ではないかと睨んでいます(狙ったわけではないのですが三人とも絵は確かに上手いものの、ストーリー展開では風呂敷を広げ過ぎて最後に畳めなくなるのも共通している)。
 こうした絵の発達の流れを受けてやや雑な絵の漫画は排除され、逆にストーリーが悪くても萌え絵の漫画は連載が続けられたりというような傾向が各漫画雑誌で少なからず見えたのですが、今回取り上げた「進撃の巨人」を筆頭に、近年になって多少絵に難があっても個性の光る漫画が評価されるようになってきたかと思います。ほかの作品でパッと思い浮かぶのは「暗殺教室」ですが。

 最終的に何が言いたいのかというと、ここ2~3年で漫画の流行が明らかに変わってきたと感じるということです。多少個性がなくてもきらびやかな絵の漫画よりも、他の人に同じ展開を描くことは出来ないというような個性のある漫画が勢いを増してきており、これからの趨勢を決めていくのではないかと勝手に妄想する次第です。