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2013年8月17日土曜日

原爆投下に対する米国の正当性について

 昨日の記事で新しいキーボードが欲しいと言いましたが、今日たまたま秋葉原で旧友というか、自分よりかなり老けて見える後輩と会う機会があったのでついでにヨドバシで新しいキーボードを買ってきました。これまで使ってきたのはマウスとセットのマイクロソフト製ワイヤレスキーボードで、今回はマウスセットのロジクール製ワイヤレスキーボードですが、以前のキーボードが軟らかすぎたのもあってややキーの打ち込みが硬いと感じるものの使い心地はまだそんなに悪くないです。慣れてからどう反応するかがポイントだろうな。
 本題と関係ない話が続きますが、私ほどキーボードを年がら年中叩く人間はそうはいないと断言できるだけあってこの点に関しては強いこだわりがあります。それにしても、今日その後輩との昼食でから揚げ定食を食べましたがサイドメニューでフライドポテトセットを頼んでしまい、お腹に油がたまるような感覚を覚えました。

 そんなこったでようやく本題ですが、昨晩(午前1時40分)に友人から「アメリカが日本に対して原爆を落とした際の主張がやっぱり納得がいかない」という意見を受けました。昨日も戦争ものを書いておりますが物のついでということもあり、あとアメリカ史をこのところ勉強し始めて以前よりややパワーアップしていると実感しているので今日はこのテーマについて書いてみようと思います。

 まずアメリカが原爆投下について現在どのような主張をしているかですが、これはいろんな書籍を確認しましたがやはり「日本を降伏させるためには原爆投下が必要だった、いわば必要悪だった」という主張が根強いようです。アメリカ人がこう語る背景には沖縄戦があり、二次大戦における日本固有の国土内での戦闘で日本側は軍人、民間人ともに甚大な死傷者が出ましたが米軍もこれは同じで、仮にドイツの様に九州、ならびに本州での上陸戦が行われれば米兵に多大な損害が出ると想定されたそうです。この米軍の想定に関しては私も異論はなく、そりゃたくさんの兵士が死んでただろうと思います。

 となると、上陸することなく戦争を終えるのがベターだということですが、そうするためにはどうすればいいか。既に連合国は無条件降伏を求めるポツダム宣言を行っており後は日本の出方次第でしたがお世辞にも当時の日本は降伏するそぶりは明確には見せていません。仮に上陸したら米兵だけでなく日本の民間人にも多くの死傷者が出るのだから、それであれば完成したばかりの原爆を落としてその威力を見せ付け、政府方針を降伏に向かわせるのが常道だった……というのが米国の主張だと私は理解しています。

 まず友人の意見を先に述べると、仮に原爆の威力を見せ付けるのであればわざわざ市街地に落とすことはなく、海上など無人地帯に落とせば十分だったのではないかと言ってきました。まぁその通りだと私も思います。
 次に日本が降伏するそぶりを見せなかったという米国の主張についてですが、日本は1945年7月辺りからソ連に対し、和平仲介を依頼しており米国もそうした動きを知らなかったはずはありません。当時は既に暗号全部解読していたのだし。そういう意味では友人のいう通り、日本に降伏を促すために原爆を落とす必要はなかったと私も言えると思います。

 ただね、と言うべきかなんというか、この手の議論はやっぱり限界があると私は思います。長く書いてもしょうがないので言いたいことをもう書いてしまいますが、恐らく一定数のアメリカ人も先ほどの様な自国の主張を真に受けているわけではなく、内心では日本を降伏させるのに原爆は必要なかった、それでも投下したのはその後の冷戦を見越していたことと単純な破壊力の実験が必要だったからだっていう事をわかっていると思います。
 では何故アメリカは先ほどの様な原爆投下を正当化するような主張をするのか。言ってしまえばこれは認知的不協和の一種で、事実とは乖離するものの、自分たちが犯した気に病むような行為に対する心理的負担を和らげるためにやや無理な理由をこねた、というのが真実だと思います。でもってこういう風に正当化された理由と言うのはどれだけ矛盾する事実を並び立てても、心理的負担を催す限り本人らは認めることはないでしょう。これは歴史の問題ではありません、感情の問題です。

 一方で私はこの件に関して米国だけ批判するつもりはなく、降伏に対する当時の日本政府の態度にもやはり問題があったという気がします。仮に原爆投下前に直接米国、もしくは連合国に対して降伏協議の開催を公に求めていれば、先程の様な米国の正当化は成り立たず、場合によっては原爆投下が起こらなかった可能性もあります。そして何よりと言うか今もって非常に腹立たしいのは、何故あの段階で日本政府は降伏の仲介をよりによってソ連に求めたのか、考えるだけに怒りを覚えます。
 当時、既にソ連は米英との間で日本との戦いに参戦する密約を交わしており、実際に終戦間際になって日ソ中立条約を破り日本へ侵攻してきました。それ以前からもソ連は国際条約違反の常習国で最も信用してはならない相手と言っても過言ではなく、どうしてよりによってそんな相手に和平の仲介を依頼したのか、結果論であることを差し引いても頭おかしいんじゃないのかと当時の首脳たちに言いたいです。

 以上のような内容が私の意見で、簡単にまとめるならアメリカが主張する原爆投下の正当性はないもののそれをいくら主張したところでアメリカ人は考え方を変えず、不毛な議論が続きやすいということと、投下直前の日本の降伏に対する対応をもっと日本人は反省するべきでは、と言ったところです。残酷な言い方をしますが、過去を引きずっても仕方なく、今後は二度と原爆投下をさせないように活動するべきだと思います。

 最後に、恐らく歴代アメリカ大統領の中でも最も日本人に忌み嫌われているのは原爆投下時の大統領、トルーマンに間違いないでしょう。ただ私個人としてはトルーマンを実は高く評価しており、その点について次回の記事で意見を展開します。

 やっぱキーボードを変えて打ちやすくなり、文章も前よりリズム感が良くなってる気がしますね。

2013年8月16日金曜日

どうすれば日本は戦争を起こさなかったのか

 昨日は終戦の日だったので戦争物でも書こうかと思いましたが、なんだか流行に乗るような気がして生まれたついての反逆児である自分としては納得いかずエアロスミスネタを披露する訳となりました。ただせっかくの機会なんだし、ちょっとのこの手のネタで一つだけ自己主張しようかと思いキーボードを叩くことにします。それにしても、新しいキーボードが欲しい。

 まず豆知識というか国際常識的な知識として、終戦の日はいつなのかについて先に書きます。Wikipediaの中でこの辺は詳しく解説していますが、8月15日というのは日本が降伏(ポツダム宣言受諾)することを正式に発表した日であって、正確には降伏を実行した日ではありません。戦争というのは宣言しただけで降伏が実効されるのではなく対戦国間で正式な文書が調印されて初めて戦争が終了となるわけで、第二次大戦の日本の場合、重光葵がミズーリ号上で降伏文書に調印した9月2日が正式な終戦日となります。そのためアメリカなど日本以外の国では第二次大戦の終戦日は9月2日、もしくは3日で、8月15日を終戦日と言っているのは私の知る限り日本と韓国しかありません。外人とこの手の話をする時はこの点に注意しておいた方がいいでしょう。

 それで話は変わりますが、日本は何故第二次世界大戦に参戦したのでしょうか。結論を述べると何度かこのブログでも書いておりますが、「戦争をしなければ」という空気に支配されただけであって、戦争によって何かを守るとか何かを得るという目的など初めからなく流されるままに大義も勝機もない無駄な戦争をやってしまったというのが私の見方です。この主張の根拠となっているのは大方の歴史的事実に加え、戦後に半藤一利氏が佐藤賢了に何故戦争に踏み切ったのかと尋ねた際、「なんとなく戦争をしなければならない雰囲気だった」と答えられたことが大きな根拠となっております。

 そう考えると本当にばかばかしいことを過去の日本人はやってしまったと言わざるを得ません。土台、アメリカと開戦すればクズ鉄などの資源貿易が復活するわけでもなく、新たな領土が得られたり経済が良くなるとかそういったことが起こるわけがなく、政府自身もそれがよくわかっていながら開戦してしまいました。これも度々このブログで書いていますが目的のために手段(=戦争)を実行するのではなく、戦争それ自体を目的にして死なずに済んだ人間を死なせてしまったと私は考えています。

 ただこれだけだと単なる先祖批判になるのでもう少しアレンジを加えようと、先ほど「ぴったんこカンカン」を20分見ながら思案をしましたが、では何故、日本は戦争をしなければならないという空気に支配されたのかについても考察してみました。なんで当時の日本でそんな妙な空気が流れたのかというとこれは難しいことではなく、単純に不況が原因です。
 世界恐慌による不況に加え凶作が続き東北地方を中心に農村が荒廃したことにより政情は不安定となり、五一五事件や二二六事件など政治家へのテロ行為も増えていきました。特に後者の二二六事件についてはまさに零細農民を救うための政治改革を求めた反乱で、こうした事態を招いたあたり仮に不況、そして農家の救済が起これば日本は戦争に踏み切らなかったのではないかというように私には思えます。

 無論というかなんというか、その後に日本は日中戦争、太平洋戦争を起こしていますが、開戦によって農村は救われるどころか若い男が徴兵されることによってより生産力が落ち、荒廃を進めます。こういう点から言っても、日本の戦争は手段と目的がまるで一致していないと言えるでしょう。

 では、当時の日本は何をするべきだったのでしょうか。これは非常にはっきりしており、戦後にマッカーサーが行った農地改革を実行すればよかっただけなのではと私は考えます。戦後にマッカーサーことGHQは地主から強制的に農地を買い取り小作農へ安く分配することによって自作農を増やし、農作物の生産量を劇的に増やしただけでなく農家の生活を一挙に安定させることに成功しました。言ってしまえば、二二六事件を起こした将校がまさに求めていた改革は日本人にではなく、GHQによって成されたと言えます。

 では何故、戦前の日本人は農地改革を実行できなかったのか。日本史上、天武天皇や白河法皇、徳川家康などを上回るほどの圧倒的な権力を握ったマッカーサーにしか実行できない改革だったのでしょうか?
 私の答えはNOで、日本人自身にもきっとできたはずだと考えています。しかし当時の日本にそのようなしがらみを振り切り、大局的な価値観を持ち、万難を乗り越えてまで実行するだけの政治家がいなかった、そしてそのような政治家を国民が支えられなかったが故に実行できなかったのだと見ています。
 話の図式を整理しましょう。

1、日本は戦争をしなくちゃという空気に飲まれて戦争を開始した
  ↑↑↑
2、折からの不況と凶作による農村の荒廃がそのような空気を醸成した
  ↑↑↑
3、農村復興のための農地改革を誰も実行できなかった
  ↑↑↑
4、改革を実行できる政治家を排出することが出来なかった

 というのが、私の考える戦争の原因です。もちろん全部が全部こんな単純ではないでしょうが、一つの要因としてはこう考えるのもありかなと思います。

 まとめると、優秀な政治家が輩出されるほどの民主主義が日本にはなかったというのが大きな要因だと私には思えます。翻って現在を見て、近年で傑出した政治家となると小泉元首相以外は見当たらず、民主主義に対して存在することを当たり前と思わず、強化しなければならない思想・概念だと振り返ることも必要ではないかというのが私の意見です。

2013年8月15日木曜日

エアロスミスとたい焼き

 気分転換も兼ねてブログ背景の色をヘッダーに合わせてオレンジに変えました。今回変えたのはきっかけがあり、このブログの読者から「(ヘッダーの色が)花園さんのオーラの色と同じオレンジですね」と言われ、初めて一致していることに気が付いたからです。狙ったつもりじゃなかったのですがやっぱり自分の魂の色に近いのはオレンジなのかもという気がしたので、この際背景もというわけです。

 話は本題に入りますが、ちょっと面白いネタがあったので紹介します。

【画像】 エアロスミスのボーカル ドンキホーテ十三店で発見される(痛いニュース)

 世界的ロックバンド、エアロスミスのボーカルであるスティーヴン・タイラー氏が何故か、大阪市十三(じゅうそう)にあるドンキホーテで目撃されたそうです。リンク先には写真も写っておりますがコメント欄に書かれてあるように妙に溶け込んでて、何故こんなところにこんな大物がといろいろ思わせる写真になっています。なんでもちょうど今、エアロスミスが大阪公演に来ているそうなのですが、それにしたってなんで有名レストランとかじゃなくドンキホーテに現れたんだろう……。

 そんなエアロスミスですが、なんでもメンバー全員が相当な親日家だと以前から聞きます。中でも一番有名なエピソードがたい焼きにまつわるもので、メンバー全員の好物で日本を訪れた際は山ほど食べ、山ほど買って帰っていたそうなのですが、ある年の日本公演の帰りの飛行機で買い置きしていたたい焼きがすべてなくなってしまったそうです。恐らくメンバーの誰かが内緒で平らげてしまったのでしょうが、これによりメンバー間で不信感が広がりマジもんの大喧嘩に発展。解散すら口にするメンバーもいたそうです。
 しかし塞翁が馬というか、このエピソードを聞いた日本のメーカーがメンバー全員にたい焼き機を進呈し、これによっていつでも食べられるようになったことから解散の危機は去ったそうです。仮にこれで本当に解散していたら、世界中のファンから日本は恨まれただろうな。

2013年8月14日水曜日

韓国の近現代史~その二十二、IMF事態

韓国のIMF救済(Wikipedia)

 前回の予告通り、今回は現代韓国の始まりともいえるIMF事態を紹介します。ただ紹介すると言っても、この項目だけで本一冊かけるくらい肉厚な内容なので、あくまで素人としてわかる範囲をかいつまんで書いてこうかと思います。

 事の起こりは1997年の8月、タイの通貨であるバーツが暴落したことを皮切りに起こったアジア通貨危機がきっかけです。このアジア通貨危機は日本は直接的な影響を受けなかった(間接的には大きい)ために事件当時はあまり報じられてませんでしたが、タイを始めとして韓国やフィリピン、マレーシアなどの国々では通貨価値が大きく下落し、輸出入の面で大きく経済が混乱しました。
 折しも韓国ではそれまで続いていた高い経済成長が終わり、調整期に入ろうとしていた時期でした。そこへこのアジア通貨危機の波が起こり銀行や企業の間では不良債権が一気に焦げ付き、財閥系企業でも倒産に追い込まれるなど、私の目から見ても空気ががらりと変わった印象を覚えます。

 具体的にこの時の韓国で何が起きていたのかというと、最近の例だと国家破綻したギリシャの様な事態に陥っていました。あまりこの辺の話は得意じゃないのですが、当時の韓国はウォンが大幅に下落して外貨がほとんどなくなった上、国内経済も大混乱となったことから、日本やアメリカから借りていた借金(対外債務)を返済期限が間近に迫っているにもかかわらず返せなくなるような状態だったそうです。
 もちろん、返せなかったらそこで試合終了ならぬ国家破綻となるので、韓国政府としても日本やアメリカに返済期限を延ばしてもらうよう交渉するとともに、各国や国際機関へ資金援助を申し出て、最終的にIMF(国際通貨基金)から資金支援を受ける代わりに国内の経済政策をIMFに一任するということとなるわけです。

 私は実際にこの時、どんな状況だったのか知り合いの韓国人留学生に尋ねてみましたが、桁違いの不況で誰もが暗い顔をしており、思い出したくないほど暗い時代だったと話していました。実際、この時期に韓国企業の間ではリストラ、給与カットの嵐が吹き荒れ、失業率なども大幅に上昇していることから社会空気も沈んでいたことでしょう。またそれとともに国の経済政策を自分たちで決められずIMFに一から十まで指導されるという、プライドが高いと言われる韓国人じゃなくても納得できないような気分になると思います。

 なおこの時のIMFの指導によって韓国は徹底的にグローバル化、言い方を変えればアメリカにとって都合のいい経済体制に変えられたという主張をよく見ます。ただ実際に私自身が韓国現地で調べたわけではないし、それ以前の金泳三政権時代にもグローバル化が図られていたとも聞くので、本当にその通りなのかとやや疑問に感じる点はあります。ただ少なくともいえることは、国を挙げて外国人観光客の誘致活動を行ったり、サムスンなど財閥企業に集中支援したりするなど、国民生活を犠牲にしても二度と国家破綻させてはならないというような韓国の覚悟というものはこの時代に作られたような気はします。

 もう少しトピックを絞ってこのIMF事態について述べると、この時期に韓国企業ではリストラが繰り広げられたのですが、その際に真っ先に切られたのは若手社員だったそうです。儒教的な価値観からそうなったなどと言われておりますが、結果的にこの時期から若年層の失業率が異常に高まり、今に至るまで若者の貧困が韓国では社会問題となっております。

 またIMFの救済が決まったのは1997年12月ですが、それから三ヶ月後の1998年2月に大統領が金泳三から金大中に交替しており、政治的にもちょっと荒れていた時期ともいます。金泳三と対立していた金大中が大統領選に勝利した背景にはこのIMF事態を招いた責任として金泳三に批判が集まっていたことも影響したと言われていますが、就任早々に国家破綻のような事態を経験した金大中も大変だったと思えます。

 あと韓国の企業関連で話をすると1997年10月には起亜自動車が経営破綻をしました。それまで韓国の自動車市場は起亜自動車と現代自動車の二社が凌ぎを削っておりましたが、この時の経営破綻を契機に起亜自動車は現代自動車の傘下に収まり現在のように至るわけです。
 起亜自動車以外の大型破たんとなると、サムスングループに継ぐ韓国第2位の財閥であった大宇グループがこの時期に破綻し、解体の憂き目にあっています。大宇グループの会長だった金宇中は破綻の直前に日本円にして5兆円もの資金を持って外国に逃亡し、2005年に帰国した際に逮捕されていますが、自国の人間じゃないから言えるのかもしれますがスケールのでかい人物だなと妙に感じます。

2013年8月13日火曜日

空気を読む力とストレス耐性の関係性

 かなり前にも一度このブログで紹介したことがありますが、昔にテクモ(現コーエーテクモ)という会社が「零」というホラーゲームを発売しており、私もその1、2作目をプレイしたことがあります。このゲームは襲い掛かる悪霊をカメラで撮影することによって撃退するという、見たくないものを直視しないと進めないという妙な仕組みが面白く海外からも高く評価されました。

 そんな「零」ですが、私は遊んだことはないのですが3作目からは使用するキャラクターを選べるようになったそうで、その際にそのキャラクターの「霊感」の高さがプレイにも影響するそうです。たとえば霊感が高いキャラクターはカメラで攻撃する際、霊に対して高いダメージを与えられる一方、霊からの干渉に弱く攻撃された際は逆に高いダメージを受けてしまいます。霊感が低いキャラクターとなるとこれが真逆で、霊に対するカメラ攻撃の威力は低い一方、霊からの攻撃で受けるダメージ量は小さくなるとのことです。

 この設定を聞いた時に私は、「理に適っているなぁ」などと妙に感心するとともに、今日のお題となっている空気を読む力とストレス耐性についても同じことが言えるのではないかという気がしました。単刀直入に言うと、空気を読む力が高い人ほどストレスを感じやすいのではという図式が成り立つのではないかという仮説です。

 私が何故こんなことを思いついたのかというと非常に単純明快で、空気を読まない人ほどストレスとは無縁だと以前から感じてたからです。具体的なのは職場などにいる空気を読まないおっさん、おばちゃん連中で、自らのミスに対して全く呵責を感じないばかりか、「またみんなで頑張ろうよ!」などと、「お前一人のせいでみんなが苦労してるのに……」と言いたくなるような空気を読まない発言をかましてくれたりします。どこでも一人や二人はいるよね、こういう人。

 さらにというか民族的にも空気を全く読まない連中と私は深くかかわっております。そう、中国人です。中国人は全く読まないってわけじゃないんですが、日本人と比べて周囲への遠慮より自分の本音を優先する傾向があり、でもって日本人から見てもストレスに対する耐性が高い、っていうかストレス感じることあるのかと言いたいくらいに普段は前向きです。
 といっても資本主義の発達のせいか最近の中国社会でもストレス(中国語訳は「圧力(ヤァリィ)」)が蔓延し始め、社会問題となりつつあります。ただそれを推しても中国人は日本人に比べればずっとストレスに強い、というかストレスだと感じない面は強いように思えますが。

 話は戻りますがこんな具合で、「空気を読むこと」とストレスは高い関係性を持つように思います。私の身の周りでも周囲に対する気配りが出来て、周りに合わせようとするほどストレスを抱えやすい傾向があるように思え、こういってはなんですが人当たりのいい優しい人ほどストレスを持ちやすいようにも見えます。
 ただそういう空気が読めてストレスを感じやすい人が一概にストレスに弱いかというとそうでもなく、確かにストレスを感じやすいんだけど芯が強くてなかなかへこたれない人も多いです。この辺は文章で説明するよりも数式で説明した方がいいので、私の考えをまとめると以下のような関係式となります。

<空気を読む力とストレス耐性の関係式)
y=m-nx
n=空気を読む力(係数) m=ストレス耐性 x=ストレス絶対値 y=ストレス耐性残余値

 この数式を実際にモデルへと当てはめて再度説明します。

 Aさんは空気をよく読める人でストレスは感じやすいのですが芯が強い人であるのに対し、Bさんは空気を読まなくてストレスを感じにくいのですが芯がもろく、崩れやすい人であると仮定します。両者の各数値を並べると下記の通りです。

<Aさん>
n=2 m=500

<Bさん>
n=1 m=150

 この両者が仮にストレス絶対値が200に当たるショックな場面(財布を落とすとか)に遭遇したとします。これらの数値を最初の関係式に当てはめたのが以下の式です。

<Aさん>
500-2×200=100

<Bさん>
150-1×200=-50

 こんな具合でAさんはBさんに比べて2倍のストレスを感じますが、ストレス耐性が高いために心の余力というようなものがまだ100残ります。一方、BさんはAさんに比べて感じるストレス量が低いものの、限界値が低いため心の余力がなくなり-50という数値に陥り、要するに心が折れてしまいます。全部が全部こんな単純じゃないとは思うものの、ストレスと心の余力の関係性は大体こんな感じじゃないでしょうか。RPG風に言えばm=ヒットポイント、n=防御力(兼攻撃力)といったところでしょう。

 既に大分長いですが変に分割すると面倒なのでまとめて書くと、昨今の日本の企業採用では「コミュニケーション力」を最重要視する企業が最多です。この求められるコミュニケーション力というのは「空気を読む力」だと考えている会社も多いように思え、だとすると日系企業は得てしてストレスを感じやすい人間を優先して採用しているのでは、と密かに睨んでいます。仮に空気をよく読める上にストレス耐性が高い人間を採用しようとするならともかく、ストレス耐性に着目せず空気をよく読めるかどうかだけに着目して採用するとどうなるのか。この辺に新卒社員の約半数が3年以内に会社を辞める理由があるのではないかという気がします。

 変な話ですが私は今の世の中だからこそ空気を読まない人間っていうのが大事にされるべきだと思います。過剰に空気を読むというのは空気に支配される、流されるということと同義で、空気を読まずに冷静に状況を判断できる人を集団の中に入れておかないと、変な方向に向かっていく気がします。
 その上で今回取り上げたストレス耐性。現代社会は明らかにストレスを感じる場面が多く、そういった場面に適応するよりも抵抗力の強い人間、そういう人間に着目して効率よく運用するという視点が欠けているのではないかと思ったことから、こういう記事を書いてみました。

  おまけ
 空気を読む方か、読まない方かと言われたら私は間違いなく後者に入ることでしょう。かといってストレス耐性に強い方かと言ったら精神的に落ち込むことも多くてそうでもないようなと思う一方、自分の場合、遭遇するストレスシーンが極端なものも多いため、まぁ並程度のストレス耐性なのかなと納得させてます。

2013年8月12日月曜日

ルース米大使の離日について

 今日もちょっと家で妙なことをし続けたのですぐに書き終えるニュース解説です。

「特別な4年間だった」=ルース米大使が離日(時事通信)

 本日午後、これまでアメリカの駐日大使を務めていたルース氏が日本を離れ帰国の途につきました。ルース氏は過去四年間を駐日大使として過ごされましたが、彼の任期中の大事件となるとなんといっても東日本大震災が挙がってくることでしょう。この未曽有の災害時、ルース氏は日本政府と米軍の間に立って米軍の災害支援(トモダチ作戦)を進めるなど、私個人としても日本が困難な時期に職務を見事に果たしてくれたとして強い感謝の念を覚えます。

 ただあの災害から二年半。現在の日米関係は再びというかまた沖縄問題で揺れております。先週にも訓練中にヘリコプターが沖縄県内の訓練地で墜落したことからオスプレイの沖縄配備に懸念が広がり、米軍も一時は配備を停止したものの事件からわずか一週間後の今日になって再開したことから批判が広がっております。いっしょくたにするべき話ではない事は百も承知ですが、なんとか米軍と仲良くやってけないものか、お互いの感情をもっと理解し、沖縄の負担軽減策につなげられないものかと少し感じます。

 次の駐日大使にはケネディ大統領の娘であるキャロライン・ケネディ氏が内定しているそうですが、ルース氏同様になるべく仲良くやっていけたらなという希望を密かに抱きます。

2013年8月11日日曜日

高見盛~まげを掴まれる男

 高見盛と言えば私が説明するまでもなく、今年に引退しましたが日本全国で誰もが知っている人気力士でした。彼の人気の秘訣は彼自身の性格もさることながら入場時などのパフォーマンスにあり、現役時は彼が登場するだけで館内が歓声に包まれるほどの人気がありました。
 ちなみに私の中国留学中に相部屋だったルーマニア人も高見盛のパフォーマンスをいたく気に入り、ワールドワイドで人気なんだと妙な印象を覚えました。

 そんな高見盛ですが現役時代は枚挙にいとまがないほどの数多くのエピソードを残していますが、その中でも私が特に気に入っているというか、是非もう一回見てみたいという取組が一番あります。

「落ち武者」高見盛が反則勝ち/秋場所(日刊スポーツ)

 その取組というのは上記リンク先の記事に書かれた2009年9月22日の阿覧との一番です。この日はたまたま私もテレビの前で観戦していたのですが取組開始前に舞の海秀平氏が、「(阿覧は)出世が早く、まだ相撲をよく知らないから何をしてくるかわからない怖さがある」と言及するなど不吉な気配は早くから漂っておりました。

 それで具体的にどんな取組だったのかというと、まず立ち合いで両者ぶつかり合うと一旦体が離れ、再び組み付こうと高見盛が向かってくるや阿覧は張り手で応戦しました。この張り手が一番のミソだったのですが、阿覧はやっぱり相撲を知らなかったのか、ただひたすらに上腕を振るだけでまるでボクシングのジャブみたいな張り手になってしまってました。腰の力が全く入っていなかったことから叩かれる高見盛の体は全く後ろに動かず、かといって前にも進まず。その結果として何が起こったのかというと、土俵の上で延々と24発も高見盛はボコボコに顔面をはたかれ続けました
 今でも目をつぶるとあの時の情景が浮かぶのですが、時間にして30秒くらい高見盛は叩かれ続けて鼻血を出し、また阿覧も阿覧で小気味よく高見盛の顔を叩き続け、見ている間は「なんなんだこれは(;´Д`)」という思いで言葉が出てきませんでした。

 更に面白いのはその後。張り手に耐え続けた高見盛は何とか阿覧のまわしを取ることに成功しますが組み合い続けた結果、最後はもんどりうって土俵を割り行事の軍配は阿覧に上がります。しかしこれに対して審判団が異議を出します。というのも、土俵を割る際に阿覧が高見盛のまげを掴むという反則を犯しており、審議された結果、阿覧の反則負けにひっくり返りました。

 こうして高見盛は白星を得たわけですが、24発もはたかれた上にまげも掴まれ、顔面をパンパンに腫らしたその姿はお世辞にも勝った力士には見えず、日刊スポーツの記事にも書かれている通りに落ち武者っぽかったです。解説(確か北の富士勝昭氏)も、「こりゃどっちが勝ったのかわかんないねぇ」とツッコむ有様でした。

 一体なんでこんな4年も前のことを書こうかと思ったのかというと、何故だか突然この一番を思い出してYoutubeか何かで見れないかと思って必死で探したわけですが、見つからなかったわけです。真面目にこの一番はある意味で歴史に残る一番だからNHKさんもケチケチせずに無料公開してもらいたいものです。