このところシリア内戦に始まりクリミア併合、タイのクーデター、南沙諸島での中越(「越中」と書いたら別の意味になるなぁ)の衝突など、控え目に言っても国際情勢が非常に荒れた状態となっております。最近すっかり鳴りを潜めていますが自分の真の専門は歴史学でも社会学でも漫画・アニメなどサブカルチャーでもなく、国際政治であると自負しており、そんな自分からすると今の状況は不遜ですが見ていて楽しいことこの上なく、今後どうなるかが本当に楽しみです。
そんな自分の感傷は置いといてここで一つクエスチョンですが、何故このタイミングでこれほどまでに世界情勢が荒れてきたのでしょうか。 結論から述べると今これほど荒れるようになったのは米国の発信力というか威信が低下していることこそが原因ではないかと私は見ており、特に中国の増長は「何してもオバマは言ってこない」と安心しきっていることに尽きるでしょう。
中国が近年増長するようになったのは一つには政治トップの総書記の交代があります。2012年に胡錦濤から習近平に総書記色が移りましたが、去年一年を見ている限りですとやっぱり胡錦濤はなんだかんだ言いながら日本に対して気兼ねしてくれてたんだなぁという風に思えてきました。逆に習近平はバックにいるのが江沢民を頂点に頂く上海閥で、この上海閥は軍とも近い距離にあると言われているだけに領土問題とかでも手段が強引になってきた感があり、習近平本人のパーソナリティかどうかまではまだ計りかねますが、今の指導部として考えるなら今後もこのようなペースが続くんじゃないかと思います。
そんな習近平政権が強気になった一つのターニングポイントとしては、東シナ海の防空識別圏を去年の突如一方的に設置したあたりでしょう。記憶している方なら話は早いですが日本の領海を含むところまで勝手に防空圏だと抜かしてこの防空圏を通過する航空機は民間を含めて全部飛行ルートを提出しろと本当に勝手なことを抜かしてきました。たださすがに勝手が過ぎたのか日本や米国を始めほぼすべての周辺国から非難されて、「そういう意味じゃない」と急にしおらしくはなったものの、日本は割としつこく抵抗したものの米国は最初の一回だけ批判した後はすぐに飛行ルートの提出に応じちゃい、どうもこのあたりで中国が「米国は多少無理しても何も言ってこないな」と味を占めたような気がします。
一度味を占めたらこっちのもんで、その後に中国は日本の航空機にレーダーを照射するは、南沙諸島で勝手に開発始めるわ、ベトナムの船にぶつかってくるわとやりたい放題になってきました。しかしこれだけやりたい放題しても、当事者の日本やベトナムは反発しましたが米国の反応はいまいちというか、オバマ大統領は結局あまり動きませんでした。元からオバマ大統領というか米国民主党は伝統的日本より中国寄りな姿勢を持ちますが、その姿勢がここにきて中国を増長させる一因になっているように見えて仕方ありません。
そんなオバマ大統領の動かない姿勢は東アジアだけでなく中東、ひいては東欧においても同様です。シリアでの内戦に関してはやけに激しくシリア政府軍への空爆を提唱したもののロシアのプーチン大統領の反対に押し切られ(個人的な意見としては私も空爆反対だったし今も変わらない)、そのままの勢いでウクライナのクリミア半島もロシアに併合され、今現在もウクライナ東部の帰属をめぐってロシアが有利な立場で進めています。
単純にオバマ大統領よりプーチン大統領の方が役者が、というより大統領が上だったと言えばそれまでですが、クリミア併合の際に私は、仮に今の米国の大統領がブッシュだったらこうも行かなかったろうなということが頭をよぎりました。まぁブッシュ前大統領はあんまり賢そうではなかったですが、いざとなったら武力行使に踏み切るという覚悟があったのに対し、今のオバマ大統領は口先ではどうとでもいうけど結局は何もしないということが見透かされているような感じがします。
このような視点で今後の先行き予測を述べると、オバマが大統領を続ける限りは中国やロシアはどうせなにも出来やしないと見越して増長を続け、隙あらば即行動を取ってくると思います。ま、もしかしたら中国やロシアだけじゃなく中東のある国も隣国の政情が安定しないことを良いことに何かやってくるかもしれませんが。
そんな中国とロシアですが、日本の報道によるとこのところ両首脳が度々階段を持つなど関係が親密化しており、今朝のニュース番組では両国の接近が日本の脅威になるとやけに大きく報じてました。逆に日本はクリミア併合で米国のロシアへの制裁に賛成したことから、ロシア側が不機嫌になり、余計に中国への接近を促してしまったなんていう報道も出ています。
ただ私からすると両国の接近は楽観視しており、むしろ中国がロシアに接近すればするほど日本にとっては有利になるんじゃないかと密かに考えてます。こう考える理由としてはロシアは本当の意味で虎狼の国で、あらゆる条約とか国際常識が中国以上に通用しない国だと考えており、迂闊に中国がロシアから天然ガスを輸入し始めたが最後、絶妙のタイミングで裏切られてひどい目に遭うのではないかと思ってるからです。同じ理由から、私は日本がロシアから天然ガスを買うというかエネルギーを依存することに対して反対です。
またえらく内容が濃い記事となりましたが最後に書くこととして、今後日本はどのような立場を取っていくかです。方針としては大まかに言って三つあり、一つは威信が低下しているとはいえ、むしろ低下しているからこそ米国と共同歩調を取って国際社会の安定を求めるという案。二つ目は米国なんてこの際宛てにせず、中国を抑えるためベトナムやフィリピンなどとより強固な連携を模索する案。三つ目は多少妥協することを条件に中国と共同歩調を取っていくという案。恐らく大多数の日本人は第二案を取るでしょうが、果たして数が多いとはいえ米国より発信力の国と組んでうまくいくのか、そういう視点を持つことも必要ではないでしょうか。
じゃあ私ならどの案を選ぶのかというと、答えは第三案一択です。恐らくプーチン大統領としては、さんざ中国と共同歩調を取りつつ持ち上げ、躍らせたところでぽいと捨てるタイミングを考えてるんじゃないかなと思い、日本も同じように中国を泳がせるだけ泳がせていいタイミングで裏切るのが現状で吉じゃないかと考えるわけです。それこそ、オフレコで日本は中国の南沙諸島進出を支持すると言うだけ言ってみるとか。
多少ずるい回答ですが、国際政治というのは将来確実に裏切ることを前提として仲良くするのも一つの手だと、私は考えます。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2014年5月25日日曜日
2014年5月24日土曜日
「ブラック・ラグーン」の10巻について
上記の画像はネットでたまたま一昨日見つけて来たものですが、このたった一コマだけで何の漫画の一コマであるか一発でわかりました。わかる人にはわかるでしょうが、この漫画によく出てくる「飯田」が後にあんなことをしでかすなんて……。
話は本題というかまた漫画の話ですが、今日また漫画喫茶に行ってきて以下の漫画をざらっと呼んできました。
・テルマ・エロマエ 4~6巻
・ジョジョリオン 7巻
・新世紀エヴァンゲリオン 5~13巻
上記の漫画はどれも予定になかったというか時間が余ったので読んだのですが、元々今日読みたいと考えていたのは見出しに掲げた「ブラック・ラグーン」という漫画の最新巻(10巻)でした。目当てにしていたものの今日行った漫画喫茶には何故かおいてなかったので、どうせ手持ちのQUOカードが時期使わなくなるのでそのまま本屋行って直接買ってきました。
このブラック・ラグーンがどういう漫画家というと、敢えて言うなら犯罪バイオレンスアクションものといったところです。特筆すべきは作者の広江礼威氏がとにもかくにもキャラクターの描き分けに長けており、日系商社勤務の日本人に始まり、軍人上がりのロシア系マフィアの女ボス、ルーマニア出身の双子暗殺者など実に国際色入り乱れておりますが、どれもそれぞれ特徴を持っていて容易に見分けることが出来ます。
次なる特徴というかこの漫画の最大の魅力を述べると、激しい暴力描写を「なんともない」とする各キャラクターの言い回しで、一例を挙げると、死体処理に当たってバラかミンチかと聞かれて「脅しに使うからバラで」、とこともなげに言ってのけるなど、浮世離れした現場をすっ飛ばすかのようなジョークが飛び交います。
そんなPTAからいろいろ文句が飛んで来そうなくらいぶっ飛んだ内容のこの漫画ですが、作者曰く体調不良とのことで、今回の最新刊が出るまで長らく休載が続いておりました。それは具体的にどのくらいかというと、ひとつ前の9巻が出たのが2009年10月で、10巻が出たのが2014年5月こと今月です。この間、約4年半。
自分がこの漫画を読みだしたのはちょうど2010年の7月くらいで、その年の10月から中国に行ったので「最新刊がでたら読めないじゃん」とか思っていたら、まるまる中国にいた間に最新刊が発売されなかったというオチが付きました。
そんなわけで文字通り首を長くして待っていた最新巻でしたが、結論から言うと非常に面白く、今日漫画喫茶で読んだ全部の漫画を足してもこの一冊に面白さで劣るのではとすら思う出来でした。相変わらず絵柄はブランクを感じさせないほど安定していてセリフ回しもテンポよく、今回で一番気に入ったセリフは「ああ可哀想なミス・北京ダック。盗むのは彼女じゃない、彼女は盗まれる立場なのに」でした。
「ミス・北京ダック」という単語から類推する人もいるでしょうが、最新刊から始まった新しいシリーズでは中国人女性キャラが半主役です。作者が香港映画マニアだといううわさもあるだけに自分から見ても実にキャラが立っていて、多少不遜かもしれませんがこの女性キャラに対して自分は強く感情移入できました。なんでそんだけ気に入っているのかというと、この一言に集約されます。
「最后的最后都不放弃,这就是我的死法」
これは背表紙に書かれてある言葉(もちろん中国語)ですが、同じ内容の言葉は作中でちゃんと日本語となって語られています。多少ネタバレになるので敢えて意味は書きませんが、この言葉は今の自分にはずしんと重く響きます。以前に甘粕正彦について書きましたが、国家や会社の命令に対し忠実に従った結果として国家や会社から追われることになる、そんなバカなということは現実に世に溢れているななんてこの漫画を読んで自分に重ねました。ある意味、また向こうに渡る前にこの漫画買って読めてよかったなと思った次第です。
2014年5月22日木曜日
ユーザー目線に立たないソニー
ひとつ前にパソコン遠隔操作事件を取り扱いましたが、昨日今日の報道を見ていると犯人の片山被告が言った「サイコパス」とか「平気で嘘をつける」というフレーズがやたらあちこちで飛び交ってて正直言って不愉快です。こういってはなんですが片山被告はサイコパスでもなんでもなくただ単に幼稚な性格なだけで、サイコパスという言葉を持ってくる辺り自己愛も無駄に強いんだなとつくづく見下げます。第一、彼以上に「平気で嘘をつける人間」なんてごまんといるわけで、最近だったら佐村河内に始まり小保方氏、猪瀬前都知事など辣辣たる面々が出ており、極め付けと言ってはなんですがあの鳩山由紀夫元首相に至ってはサイコパスという言葉だけじゃもはや伝えきれないほどなんか深刻な欠陥を抱えてるようにすら思えます。このメンツに比べりゃまだかわいいもんだって。
話は本題に入りますが、ソニーと聞いてなんだかわからない日本人はまずはいないでしょう。そのソニーですが実は私はあまり評価していないというかいい加減すぎる大企業の代表格としてみております。何を以っていい加減というと、こんな風に言うのも自分だけでしょうがこの会社は企業情報の公開という面において明らかに劣っており、特に私が手掛ける海外拠点というかグループ会社の情報についてはいい加減にしろよとマジ怒鳴りなくなってきます。
・【拠点一覧】ソニー(企業居点)
・Sony Japan│関連会社一覧(海外)
上にあるリンク先は私が手掛ける企業居点というサイトのソニーの拠点一覧で、下の方はこのページ情報の元となったソニーがホームページで公開している海外拠点の一覧です。どんな点がいい加減なのかというと、ソニーは海外現地法人の名前をただ羅列するだけで住所や電話番号はおろか、事業内容すら全く明かしていないからです。それどころか、その海外現地法人が設置している国・地域すら公開しておらず、私のサイトの一覧でも国・地域の欄が「?」と表示している拠点が非常に多いです。具体例を書くと、
・Sony Music Entertainment
・Sony Music Entertainment B.V.
・Sony Music Holding Inc.
・Sony Network Entertainment International LLC
・Sony Network Entertainment Europe Limited
こんな現地法人名だけ公開して何の意味があるのか真面目に理解に苦しみます。しかもこういった傾向はホームページだけじゃなく社員間でも同じで、以前に私が他紙でソニーが中国のゲーム市場開放を見込んで広州にまた現地法人を作ったという情報を得たので直接ソニーの広報、ひいてはゲーム部門の担当者へ電話を掛けたところ、「すいません、担当者がいなくて本当にわかりません」と、現地法人名すらこっちは明かしているにもかかわらず回答が得られませんでした。後にも先にも、こんな回答されたのはソニーだけです。
もっとも海外拠点の情報を欲しがる人間なんて誇張でなく自分くらいなもんだからこの程度はまだいいのですが、このところ激しく理解に苦しむのはソニーが運営しているゲーム配信サービスの「ゲームアーカイブス」の料金についてです。
このゲームアーカイブスというのはお金を支払うことによってインターネットから昔のゲームデータをダウンロードしてPS3やPS4、あとPSVitaなどで遊べるというサービスなのですが、購入できるゲームデータの価格は一部例外がありますが基本的には1本当たり600円に設定されておりました。
ただこのゲームアーカイブスの汚い所というか性懲りもない所というべきか、ゲームを購入するための支払いはクレジットカードによる直接支払いは出来ず、ソニーが運営する専用の電子口座に一旦お金を振り込んで、そこからしか支払いが出来ません。しかしというか、その専用電子口座への振込み(=チャージ)は1口1000円からで、100円単位でのチャージをすることが出来ないようになっております。
先ほどにも述べた通りゲームアーカイブスで買えるゲームの価格は基本600円です。ぴったり600円だけチャージすることはできないので普通、400円が口座に余ります。というより、余るように設計されてるというべきでしょう。
現代の技術からすれば支払いに必要な金額だけチャージ、または振り込むことは何も難しいことではないでしょう。にもかかわらずソニーがこんなことをするのは半端にお金を余らせて、「余ってるしついでにほかのゲームも買おうかな」なんて気を持たせようとする戦略からでしょう。しかし、Amazonを始めとした電子書籍販売サイトや、GoogleやAppleが持つそれぞれのアプリストアもこんなユーザーの利便性を無視したあこぎなことはしておりません。そういう意味でソニーというのはユーザーをなめきっているとしか思えないことを平気でする会社だとしか私には思えません。
このゲームアーカイブスのあこぎな商法は今に始まったことではなく昔からですが、なんで今になってこんなことを書こうかと思ったのかというと、今年四月から消費税増税に伴ってダウンロードで買えるゲームの価格が中途半端に引き上げられたからです。消費税が5%から8%と3ポイント引き上げられたのに伴い600円のゲームは617円に引き上げられ、元の価格から+3%してマイナス1円というまたもや中途半端な設定をしてきやがりました。そして、先ほど説明した電子口座へのチャージは1000円のままという謎の仕様のまま……。
正直、600円だった時代は1000円チャージすると400円余り、またもう一本買おうとするとまた1000円を継ぎ足さなくてはならなかったものの、まだ価格が100円単位だったため5本買えば600×5で計3000円となり、3回の1000円チャージでトントンになるからまぁいいやと納得していました。しかし現在の617円という中途半端な金額だと口座内の金額を0円に持っていこうとしたら綿密な購入計画を立てねばならず、何故こんな不便な仕様にしたんだと、怒りを通り越して企業倫理を疑います。
ソニーの業績は今芳しくありませんが、元を辿ればこういう消費者(+海外拠点マニア)を舐めた態度に原因があるのではないかと、密かに思う次第です。
話は本題に入りますが、ソニーと聞いてなんだかわからない日本人はまずはいないでしょう。そのソニーですが実は私はあまり評価していないというかいい加減すぎる大企業の代表格としてみております。何を以っていい加減というと、こんな風に言うのも自分だけでしょうがこの会社は企業情報の公開という面において明らかに劣っており、特に私が手掛ける海外拠点というかグループ会社の情報についてはいい加減にしろよとマジ怒鳴りなくなってきます。
・【拠点一覧】ソニー(企業居点)
・Sony Japan│関連会社一覧(海外)
上にあるリンク先は私が手掛ける企業居点というサイトのソニーの拠点一覧で、下の方はこのページ情報の元となったソニーがホームページで公開している海外拠点の一覧です。どんな点がいい加減なのかというと、ソニーは海外現地法人の名前をただ羅列するだけで住所や電話番号はおろか、事業内容すら全く明かしていないからです。それどころか、その海外現地法人が設置している国・地域すら公開しておらず、私のサイトの一覧でも国・地域の欄が「?」と表示している拠点が非常に多いです。具体例を書くと、
・Sony Music Entertainment
・Sony Music Entertainment B.V.
・Sony Music Holding Inc.
・Sony Network Entertainment International LLC
・Sony Network Entertainment Europe Limited
こんな現地法人名だけ公開して何の意味があるのか真面目に理解に苦しみます。しかもこういった傾向はホームページだけじゃなく社員間でも同じで、以前に私が他紙でソニーが中国のゲーム市場開放を見込んで広州にまた現地法人を作ったという情報を得たので直接ソニーの広報、ひいてはゲーム部門の担当者へ電話を掛けたところ、「すいません、担当者がいなくて本当にわかりません」と、現地法人名すらこっちは明かしているにもかかわらず回答が得られませんでした。後にも先にも、こんな回答されたのはソニーだけです。
もっとも海外拠点の情報を欲しがる人間なんて誇張でなく自分くらいなもんだからこの程度はまだいいのですが、このところ激しく理解に苦しむのはソニーが運営しているゲーム配信サービスの「ゲームアーカイブス」の料金についてです。
このゲームアーカイブスというのはお金を支払うことによってインターネットから昔のゲームデータをダウンロードしてPS3やPS4、あとPSVitaなどで遊べるというサービスなのですが、購入できるゲームデータの価格は一部例外がありますが基本的には1本当たり600円に設定されておりました。
ただこのゲームアーカイブスの汚い所というか性懲りもない所というべきか、ゲームを購入するための支払いはクレジットカードによる直接支払いは出来ず、ソニーが運営する専用の電子口座に一旦お金を振り込んで、そこからしか支払いが出来ません。しかしというか、その専用電子口座への振込み(=チャージ)は1口1000円からで、100円単位でのチャージをすることが出来ないようになっております。
先ほどにも述べた通りゲームアーカイブスで買えるゲームの価格は基本600円です。ぴったり600円だけチャージすることはできないので普通、400円が口座に余ります。というより、余るように設計されてるというべきでしょう。
現代の技術からすれば支払いに必要な金額だけチャージ、または振り込むことは何も難しいことではないでしょう。にもかかわらずソニーがこんなことをするのは半端にお金を余らせて、「余ってるしついでにほかのゲームも買おうかな」なんて気を持たせようとする戦略からでしょう。しかし、Amazonを始めとした電子書籍販売サイトや、GoogleやAppleが持つそれぞれのアプリストアもこんなユーザーの利便性を無視したあこぎなことはしておりません。そういう意味でソニーというのはユーザーをなめきっているとしか思えないことを平気でする会社だとしか私には思えません。
このゲームアーカイブスのあこぎな商法は今に始まったことではなく昔からですが、なんで今になってこんなことを書こうかと思ったのかというと、今年四月から消費税増税に伴ってダウンロードで買えるゲームの価格が中途半端に引き上げられたからです。消費税が5%から8%と3ポイント引き上げられたのに伴い600円のゲームは617円に引き上げられ、元の価格から+3%してマイナス1円というまたもや中途半端な設定をしてきやがりました。そして、先ほど説明した電子口座へのチャージは1000円のままという謎の仕様のまま……。
正直、600円だった時代は1000円チャージすると400円余り、またもう一本買おうとするとまた1000円を継ぎ足さなくてはならなかったものの、まだ価格が100円単位だったため5本買えば600×5で計3000円となり、3回の1000円チャージでトントンになるからまぁいいやと納得していました。しかし現在の617円という中途半端な金額だと口座内の金額を0円に持っていこうとしたら綿密な購入計画を立てねばならず、何故こんな不便な仕様にしたんだと、怒りを通り越して企業倫理を疑います。
ソニーの業績は今芳しくありませんが、元を辿ればこういう消費者(+海外拠点マニア)を舐めた態度に原因があるのではないかと、密かに思う次第です。
2014年5月20日火曜日
平成史考察~パソコン遠隔操作事件(2012年)
本日一斉に報道が出ましたが、2012年に4人もの誤認逮捕者を出したパソコン遠隔操作事件でかねてから容疑者として起訴されていた片山被告が本日、これまでの否認から一転して自分がやはり犯人であると白状しました。
・パソコン遠隔操作事件(Wikipedia)
前置きは要らないかなと思いつつも一応平成史考察の記事なんだから概要を簡単に説明すると、2012年にネット上で殺害予告なり爆破予告が出たことから全国の警察が四人の男性を逮捕しましたが、四人とも使用していたパソコンに遠隔操作が可能となるウイルスが仕込まれていた上に予告がされた時間にアリバイもあったことから、四人とも誤認逮捕だったということがわかります。その後、犯人と称する人物からマスコミなどへ警察を嘲笑するような内容のメールを送り、さらには暗号文も送って自分を早く捕まえて見ろと挑発したことから、ある種で劇場型犯罪のような傾向を持っていきました。
こうした中、暗号文を解読した上にその前後の行動が不振だったこと、さらには過去にもネット上で脅迫事件を起こし実刑を受けていたことなどから片山被告が容疑者として2013年2月に逮捕、拘束されます。ただ逮捕時の警察の捜査はお世辞にもしっかりしていたものではなく頼りない状況証拠しかないような状態であったため、世間では今回もやはり冤罪ではないかという声が上がっておりました。そういった声が長くあったことから長い交流の後にようやく起訴されると、しばらくは証拠隠滅の恐れがあるとして拘置が続きましたが支援者らの努力もあって、2014年3月に保釈が認められました。
その二ヶ月後の今月5月、またも真犯人と名乗る人物から片山被告はスケープゴートになってもらったというメールがまたもマスコミなどへ送られます。このメールを受けて片山被告は改めて自分は無実で真犯人はいると主張したのですが、昨日になって急転直下、警察が問題のメールを発信されたスマートフォンを河原で見つけ、さらにそのスマートフォンを片山被告自ら埋めていたのを目撃していた上にスマートフォンからは彼のDNAも採取できたと発表します。この警察の発表が出るや片山被告は弁護士にも連絡よこさず失踪しましたが、本日になって担当弁護士の元に現れ自分が犯人で件のメールも自作自演だったということをようやく白状したわけです。
この事件について私の感想を述べると、まぁ波乱があってみていて面白かったなというのが素直な所です。ただそれは事件の顛末であって犯人の片山被告についてはややイラつくというか、単純に嫌な奴なだけだったんだなと呆れる気持ちの方が大きいです。
ここだけの話ですが、私はこのブログで最初の男性四人の誤認逮捕事件こそ取り上げましたが、その後この事件は一切取り上げていません。何故取り上げなかったのかというと片山被告が本当に犯人であるかどうかわからず、犯人だという明確な証拠が出るか、逆に冤罪だという証明が出たらまとめようと考えていたからです。ただそう考えつつも警察は確たる証拠を逮捕から約1年経っても出すことが出来なかったことから内心では冤罪である可能性が高いのではないかと見始めていて、三月の保釈時にはもういっかなと思って冤罪説を強く主張しようかとすら思っていました。結局は当時の私が疲労でいっぱいだったのと、四月以降は執筆するネタが多くて埋もれてしまったため見送りましたが、結果がこうなっただけに書かないでおいてホントよかったとホッとしてます。
それにしても片山被告の最後のミスというか保釈後のメール送信は呆れる以外ありません。割と世論も冤罪説が強かったですし支援者も江川紹子氏を始めがっちり揃ってて、何もしなかったら案外無罪を勝ち得た可能性も見えてただけに余計なことして自分の首を掻っ切った行動としか言えません。これじゃ支援者の人たちもがっかりですし、何より担当弁護士の方が文字通り騙されていたにもかかわらず昨夜も必死で無実を訴えていただけに皮肉ではなく真摯に不憫に感じます。弁護士もこういうわけわからん奴の弁護しなきゃいけないとなると大変だな。
ただ後出しじゃんけんみたいでちょっと良くないと思いつつも言わせてもらうと、保釈後のメールが送られた際の片山氏の会見の様子は見ていて違和感を感じておりました。どの点に違和感を覚えたのかというと、「自分が無実であると証明するメールを送ってくれて真犯人には感謝する」と述べた上で、「犯人には自分を陥れたという点で怒りも感じなくはないが特段の感情はない」と話し、こういってはなんだが淡白すぎやしないかという気がしました。そして何より、この会見では終始表情がにやにやしていて、いくら自分の無実が証明されるかもしれないったってもうちょっと神妙な表情が浮かんでくるのではないかと思え、まだ真犯人だとは思わなかったものの裏で片山引こうと真犯人がつながっている(マッチポンプ)のではという風には思いました。
あとタイミングの話をすると、昨年12月には黒子のバスケ脅迫事件の犯人も逮捕されており、この手の世を騒がすネット脅迫事件はきちんと捕まるという結果となって治安的には本当に良い結果になったと思います。同時に黒子のバスケ脅迫事件もそうですが、犯人らが本当に薄っぺらい動機で世間を大聞く騒がせさせ、こういってはなんですが無性にむかつきます。大層な動機があればいいってもんではありませんが、くだらない小人が世の中に害悪をもたらすほどつまらなきものはありません。そういう意味で二度とこういう人間が出ないよう、最低でも無期懲役にするぐらいこれら事件の犯人には厳罰を与えてもらいたいというのが私個人の意見です。
・パソコン遠隔操作事件(Wikipedia)
前置きは要らないかなと思いつつも一応平成史考察の記事なんだから概要を簡単に説明すると、2012年にネット上で殺害予告なり爆破予告が出たことから全国の警察が四人の男性を逮捕しましたが、四人とも使用していたパソコンに遠隔操作が可能となるウイルスが仕込まれていた上に予告がされた時間にアリバイもあったことから、四人とも誤認逮捕だったということがわかります。その後、犯人と称する人物からマスコミなどへ警察を嘲笑するような内容のメールを送り、さらには暗号文も送って自分を早く捕まえて見ろと挑発したことから、ある種で劇場型犯罪のような傾向を持っていきました。
こうした中、暗号文を解読した上にその前後の行動が不振だったこと、さらには過去にもネット上で脅迫事件を起こし実刑を受けていたことなどから片山被告が容疑者として2013年2月に逮捕、拘束されます。ただ逮捕時の警察の捜査はお世辞にもしっかりしていたものではなく頼りない状況証拠しかないような状態であったため、世間では今回もやはり冤罪ではないかという声が上がっておりました。そういった声が長くあったことから長い交流の後にようやく起訴されると、しばらくは証拠隠滅の恐れがあるとして拘置が続きましたが支援者らの努力もあって、2014年3月に保釈が認められました。
その二ヶ月後の今月5月、またも真犯人と名乗る人物から片山被告はスケープゴートになってもらったというメールがまたもマスコミなどへ送られます。このメールを受けて片山被告は改めて自分は無実で真犯人はいると主張したのですが、昨日になって急転直下、警察が問題のメールを発信されたスマートフォンを河原で見つけ、さらにそのスマートフォンを片山被告自ら埋めていたのを目撃していた上にスマートフォンからは彼のDNAも採取できたと発表します。この警察の発表が出るや片山被告は弁護士にも連絡よこさず失踪しましたが、本日になって担当弁護士の元に現れ自分が犯人で件のメールも自作自演だったということをようやく白状したわけです。
この事件について私の感想を述べると、まぁ波乱があってみていて面白かったなというのが素直な所です。ただそれは事件の顛末であって犯人の片山被告についてはややイラつくというか、単純に嫌な奴なだけだったんだなと呆れる気持ちの方が大きいです。
ここだけの話ですが、私はこのブログで最初の男性四人の誤認逮捕事件こそ取り上げましたが、その後この事件は一切取り上げていません。何故取り上げなかったのかというと片山被告が本当に犯人であるかどうかわからず、犯人だという明確な証拠が出るか、逆に冤罪だという証明が出たらまとめようと考えていたからです。ただそう考えつつも警察は確たる証拠を逮捕から約1年経っても出すことが出来なかったことから内心では冤罪である可能性が高いのではないかと見始めていて、三月の保釈時にはもういっかなと思って冤罪説を強く主張しようかとすら思っていました。結局は当時の私が疲労でいっぱいだったのと、四月以降は執筆するネタが多くて埋もれてしまったため見送りましたが、結果がこうなっただけに書かないでおいてホントよかったとホッとしてます。
それにしても片山被告の最後のミスというか保釈後のメール送信は呆れる以外ありません。割と世論も冤罪説が強かったですし支援者も江川紹子氏を始めがっちり揃ってて、何もしなかったら案外無罪を勝ち得た可能性も見えてただけに余計なことして自分の首を掻っ切った行動としか言えません。これじゃ支援者の人たちもがっかりですし、何より担当弁護士の方が文字通り騙されていたにもかかわらず昨夜も必死で無実を訴えていただけに皮肉ではなく真摯に不憫に感じます。弁護士もこういうわけわからん奴の弁護しなきゃいけないとなると大変だな。
ただ後出しじゃんけんみたいでちょっと良くないと思いつつも言わせてもらうと、保釈後のメールが送られた際の片山氏の会見の様子は見ていて違和感を感じておりました。どの点に違和感を覚えたのかというと、「自分が無実であると証明するメールを送ってくれて真犯人には感謝する」と述べた上で、「犯人には自分を陥れたという点で怒りも感じなくはないが特段の感情はない」と話し、こういってはなんだが淡白すぎやしないかという気がしました。そして何より、この会見では終始表情がにやにやしていて、いくら自分の無実が証明されるかもしれないったってもうちょっと神妙な表情が浮かんでくるのではないかと思え、まだ真犯人だとは思わなかったものの裏で片山引こうと真犯人がつながっている(マッチポンプ)のではという風には思いました。
あとタイミングの話をすると、昨年12月には黒子のバスケ脅迫事件の犯人も逮捕されており、この手の世を騒がすネット脅迫事件はきちんと捕まるという結果となって治安的には本当に良い結果になったと思います。同時に黒子のバスケ脅迫事件もそうですが、犯人らが本当に薄っぺらい動機で世間を大聞く騒がせさせ、こういってはなんですが無性にむかつきます。大層な動機があればいいってもんではありませんが、くだらない小人が世の中に害悪をもたらすほどつまらなきものはありません。そういう意味で二度とこういう人間が出ないよう、最低でも無期懲役にするぐらいこれら事件の犯人には厳罰を与えてもらいたいというのが私個人の意見です。
2014年5月19日月曜日
誰もが読むベストセラー無き時代
先日に小説家の渡辺淳一氏が亡くなられたことは読者の方々にとっても記憶に新しいと思います。渡辺氏の代表作でもある失楽園は中国でも大ヒットしていただけになんか中国でも騒がれたようですが、以前に渡辺氏は中国の書籍市場について、
「失楽園が大ヒットしたらすぐ海賊版が出回ってきたので版元を追って行ったら、正規に契約を結んで出版している会社の子会社に行きついた」
という、中国らしいオチを付けてコメントしてくれていました。それにしてもその出版社、一体何がしたいのかよくわからん。
話は戻りますが私は渡辺氏の作品だと「鈍感力」を出版後すぐに読み、その内容の面白さには素直に感銘を受けました。なもんだから当時は「ねえねえ鈍感力読んだ?」なんて話を振っては、読んだ人間とは書かれている内容で盛り上がり、読んでない人間には本を貸して読ませた後で盛り上がったりしていたのですが、ふと思い返すとこういう行為をしなくなってどれくらい経つんだとつい先日に覚えました。
「鈍感力」に限らずとも、2000年代の前半であれば「相手が既に読んでいることを期待できる、または読んでなくてもタイトルは知っているであろう書籍」というのがいくらかあったと思います。具体名を挙げれば「国家の品格」とか「バカの壁」、「ハリーポッターシリーズ」などですが、ここ数年はこれらのタイトルの様に世の中で影響力の高いベストセラーがあったかとなるとついぞ浮かんできません。
ではいったいどんな本がベストセラーになっているのか調べてみたところ、日本出版販売株式会社が以下のような統計をまとめてくれておりました。
1位は村上春樹作品ということで、村上春木氏の作品があまり好きでない自分だからピンとこなかったのも理解できます。どうでもいいですが「村上春樹的桃太郎」は読んでて面白いです。ほかの作品について所見を述べると、さりげなく池田大作氏の本が入ってたりゲームの攻略本(全部「どうぶつの森」だし)が入ってたりしてそこそこ面白いのですが、先ほど私が述べたように「相手が読んでいることを期待できる書籍」というか話題にできそうな本となると全くないように見えます。
このような現状はどうして生まれたのか。第一に挙がってくる仮説としては日本人が本を読まなくなったからというのが挙がってきそうですが、私個人の仮説としては単純に誰もが手に取るような面白い本が出ていないということに尽きる気がします。あくまで仮説ですが、2012年のランキングを見てもこんな本あったのかよと思えてくるし……。
こうした現状について口やかましいことを述べると、共有体験というものが減ってよないんじゃないかと個人的に思います。共有体験というのはコミュニケーションを円滑する上で欠かせないし、また書籍に関しては意識や世論をまとめていく上でも大事ですし、率直に言って悪い方向に向かっている気がします。それだけに、渡辺淳一氏の死去はやはり残念極まりなく、非常に悔やむべき事件だったというのが今日の私の意見です。
「失楽園が大ヒットしたらすぐ海賊版が出回ってきたので版元を追って行ったら、正規に契約を結んで出版している会社の子会社に行きついた」
という、中国らしいオチを付けてコメントしてくれていました。それにしてもその出版社、一体何がしたいのかよくわからん。
話は戻りますが私は渡辺氏の作品だと「鈍感力」を出版後すぐに読み、その内容の面白さには素直に感銘を受けました。なもんだから当時は「ねえねえ鈍感力読んだ?」なんて話を振っては、読んだ人間とは書かれている内容で盛り上がり、読んでない人間には本を貸して読ませた後で盛り上がったりしていたのですが、ふと思い返すとこういう行為をしなくなってどれくらい経つんだとつい先日に覚えました。
「鈍感力」に限らずとも、2000年代の前半であれば「相手が既に読んでいることを期待できる、または読んでなくてもタイトルは知っているであろう書籍」というのがいくらかあったと思います。具体名を挙げれば「国家の品格」とか「バカの壁」、「ハリーポッターシリーズ」などですが、ここ数年はこれらのタイトルの様に世の中で影響力の高いベストセラーがあったかとなるとついぞ浮かんできません。
ではいったいどんな本がベストセラーになっているのか調べてみたところ、日本出版販売株式会社が以下のような統計をまとめてくれておりました。
順位 | 書名 | 著者 |
1 | 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 | 村上春樹 |
2 | 医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法 | 近藤 誠 |
3 | 聞く力 心をひらく35のヒント | 阿川佐和子 |
4 | 海賊とよばれた男(上・下) | 百田尚樹 |
5 | とびだせどうぶつの森 かんぺきガイドブック | 週刊ファミ通編集部 |
6 | ロスジェネの逆襲 | 池井戸 潤 |
7 | できる大人のモノの言い方大全 | 話題の達人倶楽部 |
8 | 新・人間革命(25) | 池田大作 |
9 | 人間にとって成熟とは何か | 曽野綾子 |
10 | 置かれた場所で咲きなさい | 渡辺和子 |
11 | 世界のなめこ図鑑 | 金谷 泉 |
12 | スタンフォードの自分を変える教室 | ケリー・マクゴニガル |
13 | 謎解きはディナーのあとで(3) | 東川篤哉 |
14 | とびだせどうぶつの森 ザ・コンプリートガイド | 電撃攻略本編集部 |
15 | ホテルローヤル | 桜木紫乃 |
16 | 未来の法 新たなる地球世紀へ | 大川隆法 |
17 | とびだせどうぶつの森 超完全カタログ | Nintendo DREAM編集部 |
18 | 伝え方が9割 | 佐々木圭一 |
19 | 野心のすすめ | 林 真理子 |
20 | 雑談力が上がる話し方 30秒でうちとける会話のルール | 齋藤 孝 |
出典:日本出版販売株式会社
1位は村上春樹作品ということで、村上春木氏の作品があまり好きでない自分だからピンとこなかったのも理解できます。どうでもいいですが「村上春樹的桃太郎」は読んでて面白いです。ほかの作品について所見を述べると、さりげなく池田大作氏の本が入ってたりゲームの攻略本(全部「どうぶつの森」だし)が入ってたりしてそこそこ面白いのですが、先ほど私が述べたように「相手が読んでいることを期待できる書籍」というか話題にできそうな本となると全くないように見えます。
このような現状はどうして生まれたのか。第一に挙がってくる仮説としては日本人が本を読まなくなったからというのが挙がってきそうですが、私個人の仮説としては単純に誰もが手に取るような面白い本が出ていないということに尽きる気がします。あくまで仮説ですが、2012年のランキングを見てもこんな本あったのかよと思えてくるし……。
こうした現状について口やかましいことを述べると、共有体験というものが減ってよないんじゃないかと個人的に思います。共有体験というのはコミュニケーションを円滑する上で欠かせないし、また書籍に関しては意識や世論をまとめていく上でも大事ですし、率直に言って悪い方向に向かっている気がします。それだけに、渡辺淳一氏の死去はやはり残念極まりなく、非常に悔やむべき事件だったというのが今日の私の意見です。
2014年5月18日日曜日
創業家列伝~蟹江一太郎(カゴメ)
この連載について友人が「メジャーどころの創業家はどこもやっているからマイナーなの、食品系とかを書いたら」と言ってきたので、今日はカゴメの創業者である蟹江一太郎を取り上げようと思います。参考にしようかなとウィキペディアを検索しましたが、この人のページはまだなかったのでアリかななんて思います。
後にトマトを中心とした食品メーカーとして日本屈指となるカゴメを作った蟹江一太郎は愛知県東海市にで、佐野という名字の農家に1875年に生まれます。出身家は貧しかった上に幼くして母を失ったこともあり一太郎は小学校を卒業するとすぐに働きだすのですが、鉄道敷設工事で勤勉に働いていた姿が近隣にあった蟹江家の目に留まり、婿養子として迎え入れられます。
蟹江家も農家であったのですが当時からミカン栽培などに手を出すなど割とやる気のある農家だったようです。そんな家に婿として入った佐野一太郎改め蟹江一太郎は青年になった1895年に徴兵され軍隊に入るのですが、着任した部隊の教官であった西山中尉より、「西洋野菜は軍隊でも使われるようになって今後は民間でも出回ると思うから、トマトとか植えたらいいよ」なんてアドバイスを受け、これをある意味で真に受けたことから除隊後に蟹江は農業試験場からトマトほかキャベツや玉ねぎの種をもらい受け、トマトの栽培を始めます。
こうして始めたトマト栽培事業でしたが、栽培はうまくいき初年度から実をつけることに成功したものの、家族で試食した際の感想は「酸っぱくて青臭い」というもので、芳しいものではなかったようです。案の定というか蟹江が行商で売りに出てもトマトだけがいつも売れ残り、試食した主婦からは「生きているのが嫌になる味だ」とまで評されます。これらの浮氷は恐らく、作ったトマトの味がまずかったというよりも当時の日本人はトマトの味に慣れていなかったのが原因でしょう。どうでもいいですが私の友人も生のトマトが食べられないという輩がいますが、トマトは嫌いなくせに湯豆腐は大好きで彼と一緒に居酒屋に行くとリアルに湯豆腐だけ延々と注文する羽目となります。
話は戻りますがこうした不評にもかかわらず蟹江はトマト栽培をあきらめず、生で食べられないというのであれば加工すればと考え、アメリカ人はトマトをソースにして食べると聞いたことからソースへの加工事業を思い立ちます。早速調理法を調べますが当時の日本にトマトソースの加工法を熟知したものはおらず、名古屋ホテルから輸入されたトマトソースを仕入れるとその現品を参考にしながら試行錯誤で作り始めます。
この試行錯誤の過程がなかなか面白く、煮詰めて裏漉しすればいいんじゃねとやってみましたが、出来上がったソースは真っ黒ドロドロになってました。これはきっと鉄鍋で煮込んだのが悪かったんだと思って今度は銅鍋でやってみましたが同じく真っ黒ドロドロ。最後にホーロー鍋でやってみたらホテルにもらったソース同様に真紅色となり、見事成功したそうです。
こうしてできたトマトソースは青臭さが抜けたことから消費者にも受け入れられ、評判とともに売り上げも伸びていきます。どうでもいいですがさっきのトマトが食えない友人もトマトソースはOKだと言ってました。
こうして売れ始めたトマトソースでしたが市場が広がるとともに同じくトマトを栽培する新規参入者も増えていき、ある年にトマトが豊作となったことから市場で在庫がだぶつき、すでに契約農家を雇って大々的に栽培事業を広げていた蟹江も一時破産寸前に追い込まれる事態に追い込まれました。
このような事態に直面した蟹江は周辺のトマト栽培農家、加工業者に自ら共同事業にしようと呼びかけ、カゴメの前身にあたる愛知トマト製造合資会社を1914年に設立し、蟹江が資本金の半分を負担したことからそのまま社長に就任し、会社設立に当たってロゴマークを作ることにしました。このロゴマークを決めるに当たって蟹江は自分がトマト栽培に踏み出すきっかけとなった西山中尉を思い出し、日本陸軍のマークだった五芒星を使おうとしたら政府に止められ、なら六芒星でいいやと○のマークに六芒星をあしらったロゴを作った所、「トマトを入れる籠の目みたいですね」と社員から言われ、そのまま「カゴメ印」という愛称が定着し1963年には会社名も「カゴメ」に変わることとなります。
その後、カゴメは戦争などの期間を経ながらも順調に成長していき、蟹江一太郎自身は1963年に社長を引退し、1971年に96歳で没します。生前に蟹江は漸進主義といって急拡大を狙うのではなく確実な事業経営を訴えていたとのことで、富士山を登るカタツムリの絵を描いて「でんでんむし そろそろ登れ 富士の山」と社内で説いて回っていたそうです。
明治期に生まれた食品会社はカゴメのほかにもたくさんありますが、そのうちやりますが確かカルピスの創業者も徴兵されていた時に訪れたモンゴルで乳酸飲料と出会い帰国後に事業化しており、なにかと軍隊とのかかわりで生まれていることが多い気がします。冷凍食品も軍隊食から生まれたというし、案外そういうものなのかもしれません。
ややふざけた感じで上には書いていますが、蟹江一郎について述べると上官の言うことを「真に受けて」トマト栽培を始め、後の事業化につなげています。新規事業なんて大体どれも打算的に考えたらうまくいくはずもなさそうなものが多く、こういう無茶な考えを真に受けて実行する人間こそが創業家として向いているように思える次第です。
参考文献
「実録創業者列伝Ⅱ」 学習研究社 2005年発行
後にトマトを中心とした食品メーカーとして日本屈指となるカゴメを作った蟹江一太郎は愛知県東海市にで、佐野という名字の農家に1875年に生まれます。出身家は貧しかった上に幼くして母を失ったこともあり一太郎は小学校を卒業するとすぐに働きだすのですが、鉄道敷設工事で勤勉に働いていた姿が近隣にあった蟹江家の目に留まり、婿養子として迎え入れられます。
蟹江家も農家であったのですが当時からミカン栽培などに手を出すなど割とやる気のある農家だったようです。そんな家に婿として入った佐野一太郎改め蟹江一太郎は青年になった1895年に徴兵され軍隊に入るのですが、着任した部隊の教官であった西山中尉より、「西洋野菜は軍隊でも使われるようになって今後は民間でも出回ると思うから、トマトとか植えたらいいよ」なんてアドバイスを受け、これをある意味で真に受けたことから除隊後に蟹江は農業試験場からトマトほかキャベツや玉ねぎの種をもらい受け、トマトの栽培を始めます。
こうして始めたトマト栽培事業でしたが、栽培はうまくいき初年度から実をつけることに成功したものの、家族で試食した際の感想は「酸っぱくて青臭い」というもので、芳しいものではなかったようです。案の定というか蟹江が行商で売りに出てもトマトだけがいつも売れ残り、試食した主婦からは「生きているのが嫌になる味だ」とまで評されます。これらの浮氷は恐らく、作ったトマトの味がまずかったというよりも当時の日本人はトマトの味に慣れていなかったのが原因でしょう。どうでもいいですが私の友人も生のトマトが食べられないという輩がいますが、トマトは嫌いなくせに湯豆腐は大好きで彼と一緒に居酒屋に行くとリアルに湯豆腐だけ延々と注文する羽目となります。
話は戻りますがこうした不評にもかかわらず蟹江はトマト栽培をあきらめず、生で食べられないというのであれば加工すればと考え、アメリカ人はトマトをソースにして食べると聞いたことからソースへの加工事業を思い立ちます。早速調理法を調べますが当時の日本にトマトソースの加工法を熟知したものはおらず、名古屋ホテルから輸入されたトマトソースを仕入れるとその現品を参考にしながら試行錯誤で作り始めます。
この試行錯誤の過程がなかなか面白く、煮詰めて裏漉しすればいいんじゃねとやってみましたが、出来上がったソースは真っ黒ドロドロになってました。これはきっと鉄鍋で煮込んだのが悪かったんだと思って今度は銅鍋でやってみましたが同じく真っ黒ドロドロ。最後にホーロー鍋でやってみたらホテルにもらったソース同様に真紅色となり、見事成功したそうです。
こうしてできたトマトソースは青臭さが抜けたことから消費者にも受け入れられ、評判とともに売り上げも伸びていきます。どうでもいいですがさっきのトマトが食えない友人もトマトソースはOKだと言ってました。
こうして売れ始めたトマトソースでしたが市場が広がるとともに同じくトマトを栽培する新規参入者も増えていき、ある年にトマトが豊作となったことから市場で在庫がだぶつき、すでに契約農家を雇って大々的に栽培事業を広げていた蟹江も一時破産寸前に追い込まれる事態に追い込まれました。
このような事態に直面した蟹江は周辺のトマト栽培農家、加工業者に自ら共同事業にしようと呼びかけ、カゴメの前身にあたる愛知トマト製造合資会社を1914年に設立し、蟹江が資本金の半分を負担したことからそのまま社長に就任し、会社設立に当たってロゴマークを作ることにしました。このロゴマークを決めるに当たって蟹江は自分がトマト栽培に踏み出すきっかけとなった西山中尉を思い出し、日本陸軍のマークだった五芒星を使おうとしたら政府に止められ、なら六芒星でいいやと○のマークに六芒星をあしらったロゴを作った所、「トマトを入れる籠の目みたいですね」と社員から言われ、そのまま「カゴメ印」という愛称が定着し1963年には会社名も「カゴメ」に変わることとなります。
その後、カゴメは戦争などの期間を経ながらも順調に成長していき、蟹江一太郎自身は1963年に社長を引退し、1971年に96歳で没します。生前に蟹江は漸進主義といって急拡大を狙うのではなく確実な事業経営を訴えていたとのことで、富士山を登るカタツムリの絵を描いて「でんでんむし そろそろ登れ 富士の山」と社内で説いて回っていたそうです。
明治期に生まれた食品会社はカゴメのほかにもたくさんありますが、そのうちやりますが確かカルピスの創業者も徴兵されていた時に訪れたモンゴルで乳酸飲料と出会い帰国後に事業化しており、なにかと軍隊とのかかわりで生まれていることが多い気がします。冷凍食品も軍隊食から生まれたというし、案外そういうものなのかもしれません。
ややふざけた感じで上には書いていますが、蟹江一郎について述べると上官の言うことを「真に受けて」トマト栽培を始め、後の事業化につなげています。新規事業なんて大体どれも打算的に考えたらうまくいくはずもなさそうなものが多く、こういう無茶な考えを真に受けて実行する人間こそが創業家として向いているように思える次第です。
参考文献
「実録創業者列伝Ⅱ」 学習研究社 2005年発行
2014年5月17日土曜日
マスコミの暴走を止めるのは誰か
今日、CHAGE&ASKAのASKAが大麻所持疑惑、でもって検査でも陽性が出て逮捕されたというニュースが出たことは皆さんも知ってるかと思いますが、なかなかに大きな話なだけに自分も驚きつつやっぱ当たりだったんだなぁなんて思って記事を読んでました。何が当たりだったのかというと去年に週刊文集が既に大麻を使用していると報じて、これに対してASKAは使っていたのは合法の薬物だと反論してましたが、あんな報道をされてたのにまだ使ってたというのはちょっと呆れます。
それにしてもこのところの文春のスクープ連発には目を見張ります。このASKAの大麻疑惑はもとより今年初めには佐村河内のゴーストライターを真っ先にすっぱ抜いて謝罪会見に引っ張り込むなど、直近二年で言えば間違いなくナンバーワンと言っていいでしょう。強いて苦言を呈すなら、橋下大阪市長への批判はもう少し粘ってからやっとけば風向きも違ったのにねっていうくらいです。
話はその佐村河内の件についてですが、カミングアウトというか佐村河内がゴーストライターの存在を認めた後、彼を盲目の作曲家として特集番組を組んで放送していたNHKなどは激しい批判にさらされました。まぁこの辺に関しては佐村河内の方が役者が上だったと思って、NHKは批判されるのはしょうがないにしろ私個人としてはやや同情する気も覚えたのですが、その以上にもっと批判されるべきメディアがいるのではないかと当時思っていました。具体名は挙げませんが詐称が発覚した後、「俺たちは初めから怪しいと思ってたんだ」、「彼が詐称していたことは見抜いていた」などとまんま後出しじゃんけんにもかかわらずしたり顔で主張するメディアがいくつか現れました。
結論から述べると、後からこのようなことを言いだしたメディアは間違いなくクズでしょう。というのも、それなら何故その詐称疑惑を始めから糾弾しなかったのかということです。
仮に詐称を立証する証拠や証言が集められず証拠集目に奔走していたというのであればまだ理解できますが、詐称していることをわかっていたにもかかわらず何もせず、ただほかのメディアが持ち上げるのを見ていたというのなら意気地のないことこの上なく、それでありながら文春が詐称疑惑を取り上げてものにした後でわかってたように「自分たちは知っていた」なんていうこと自体が恥知らずな行為に見えます。なお言えば、このような恥ずかしい行為を恥とも思わないその根性自体が腐りきっていると言ってもいいかもしれません。
ここで少し話を発展させますが、よくメディアは自分たちのことを「国家権力に対する抑止力」だなどと自称し、権力が暴走しかねない際にはその批判精神で以って世論を動かし暴走を食い止める、それこそがマスコミの役割だなんていう主張を述べます。言わんとしていることは理解できますし間違っていないとは思いますが一つの疑問として、ではマスコミが暴走した際には誰が止めるのかという命題があり、この命題に対してどのメディアも明確な回答を出したことは少なくとも私が見る限りだとありません。
明確でないにしろいくつか出ている回答としては、マスコミが暴走した際には別のマスコミ、例えて言うならテレビメディアが暴走したら新聞メディアとかだったり、もしくはある新聞メディアが暴走した場合には別の新聞メディアがその暴走を批判して食い止める、いわばメディア同士で監視し合うという意見があります。しかし私が見る限りだとメディアというのは意外に世論や倫理などよりも他社のメディアがいうことを信用する傾向があり、こうした相互監視というのは言うほど機能しないのではと内心考えています。
一つ例を出すと、IPS細胞の臨床実験を行ったと主張した森口の事件です。この森口に関しては最初に共同通信が「世紀の快挙」として取り上げると読売新聞が大して裏を取らずに追随して大きく報じ、ほかのメディアもこの二社が報じてるのだからと雪崩を打つように報じてデマが広がっていきました。この事件で一歩引いた距離にあったのは朝日新聞で、最終的に詐称がばれた後で、「共同通信や読売新聞が大きく報じていたけど、うちは裏が取れなかったら報じませんでした」とややしたり顔で自慢してました。さきほどは佐村河内の詐称事件で「怪しいと思ったというのなら何でツッコまなかったんだ!」と批判しましたが、この森口の詐称事件は報道過熱からばれるまでの期間が本当に短かったので、これに関しては朝日が自慢するのも認めていいかなと考えてます。もっとも、自慢しないに越したことはないのですが。
もう一つ例を出すと、これは私個人の体験です。私が上海で記者をやっていた際、いすゞ自動車が中国の江鈴自動車と合弁契約を更新するというプレスリリースがあったので電話取材を経た上で記事を書いたのですが、記事を提出するや編集長から、「共同通信は新しく合弁契約を結んで合弁会社を作ると書いてるぞ!」といきなり怒鳴られました。自分が何度も共同が書いている合弁会社は既に存在しているし、いすゞは90年代からその合弁会社でトラックを作っていると主張しても信じてもらえずやたら怒られ書きなおすように言われ、書き直せったって書きなおしようがないと思ってどうしようかと思ってたらその編集長から再び電話が来て、「読売の記事だと合弁契約を更新って書いてるね」なんて言い出し、ようやくその時点で自分の主張というか取材が正しいと信じてもらえました。
この時は、マスコミ関係者は自分の取材内容やいすゞが出したプレスリリース文より共同通信の記事の方を信じるのかと思うと同時に、よそが書いていればその内容は事実だとメディア関係者は無条件に信じるのだなと皮肉っぽく覚えました。
話は戻りますが、佐村河内の詐称事件で「マスコミの相互監視」を忠実に果たしたのは週刊文春だけで、いくつかのメディアはわかっていながらその役割を確信犯で無視しておきながらしたり顔をしていました。こんな有様ではとてもマスコミの暴走を食い止めるなんて夢物語ではないかと私は思い、やはり何かしらメディアというかマスコミを監視する存在が必要なのではないかと考えています。
この点について友人に話を振った所、それはネットじゃないかと言われました。私の意見は、ネットも確かにそうだが、ネットの意見はマスコミに対して批判的である一方で、大手メディアの報じる内容を意外と信じ込む傾向があり、一部の抑止力となり得てもやはりカウンターメディアとはなり得ないと思います。なら何がカウンターメディアとなり得るか、強いて挙げればNPOではないかと思いますが、リーマンショック以降は不景気なもんだからNPOもあまり聞かなくなったので先はまだまだ長いと思う次第です。
おまけ
高校時代、「HAGE&ASKA」というあだ名の友人がいました。いい友人でした。
それにしてもこのところの文春のスクープ連発には目を見張ります。このASKAの大麻疑惑はもとより今年初めには佐村河内のゴーストライターを真っ先にすっぱ抜いて謝罪会見に引っ張り込むなど、直近二年で言えば間違いなくナンバーワンと言っていいでしょう。強いて苦言を呈すなら、橋下大阪市長への批判はもう少し粘ってからやっとけば風向きも違ったのにねっていうくらいです。
話はその佐村河内の件についてですが、カミングアウトというか佐村河内がゴーストライターの存在を認めた後、彼を盲目の作曲家として特集番組を組んで放送していたNHKなどは激しい批判にさらされました。まぁこの辺に関しては佐村河内の方が役者が上だったと思って、NHKは批判されるのはしょうがないにしろ私個人としてはやや同情する気も覚えたのですが、その以上にもっと批判されるべきメディアがいるのではないかと当時思っていました。具体名は挙げませんが詐称が発覚した後、「俺たちは初めから怪しいと思ってたんだ」、「彼が詐称していたことは見抜いていた」などとまんま後出しじゃんけんにもかかわらずしたり顔で主張するメディアがいくつか現れました。
結論から述べると、後からこのようなことを言いだしたメディアは間違いなくクズでしょう。というのも、それなら何故その詐称疑惑を始めから糾弾しなかったのかということです。
仮に詐称を立証する証拠や証言が集められず証拠集目に奔走していたというのであればまだ理解できますが、詐称していることをわかっていたにもかかわらず何もせず、ただほかのメディアが持ち上げるのを見ていたというのなら意気地のないことこの上なく、それでありながら文春が詐称疑惑を取り上げてものにした後でわかってたように「自分たちは知っていた」なんていうこと自体が恥知らずな行為に見えます。なお言えば、このような恥ずかしい行為を恥とも思わないその根性自体が腐りきっていると言ってもいいかもしれません。
ここで少し話を発展させますが、よくメディアは自分たちのことを「国家権力に対する抑止力」だなどと自称し、権力が暴走しかねない際にはその批判精神で以って世論を動かし暴走を食い止める、それこそがマスコミの役割だなんていう主張を述べます。言わんとしていることは理解できますし間違っていないとは思いますが一つの疑問として、ではマスコミが暴走した際には誰が止めるのかという命題があり、この命題に対してどのメディアも明確な回答を出したことは少なくとも私が見る限りだとありません。
明確でないにしろいくつか出ている回答としては、マスコミが暴走した際には別のマスコミ、例えて言うならテレビメディアが暴走したら新聞メディアとかだったり、もしくはある新聞メディアが暴走した場合には別の新聞メディアがその暴走を批判して食い止める、いわばメディア同士で監視し合うという意見があります。しかし私が見る限りだとメディアというのは意外に世論や倫理などよりも他社のメディアがいうことを信用する傾向があり、こうした相互監視というのは言うほど機能しないのではと内心考えています。
一つ例を出すと、IPS細胞の臨床実験を行ったと主張した森口の事件です。この森口に関しては最初に共同通信が「世紀の快挙」として取り上げると読売新聞が大して裏を取らずに追随して大きく報じ、ほかのメディアもこの二社が報じてるのだからと雪崩を打つように報じてデマが広がっていきました。この事件で一歩引いた距離にあったのは朝日新聞で、最終的に詐称がばれた後で、「共同通信や読売新聞が大きく報じていたけど、うちは裏が取れなかったら報じませんでした」とややしたり顔で自慢してました。さきほどは佐村河内の詐称事件で「怪しいと思ったというのなら何でツッコまなかったんだ!」と批判しましたが、この森口の詐称事件は報道過熱からばれるまでの期間が本当に短かったので、これに関しては朝日が自慢するのも認めていいかなと考えてます。もっとも、自慢しないに越したことはないのですが。
もう一つ例を出すと、これは私個人の体験です。私が上海で記者をやっていた際、いすゞ自動車が中国の江鈴自動車と合弁契約を更新するというプレスリリースがあったので電話取材を経た上で記事を書いたのですが、記事を提出するや編集長から、「共同通信は新しく合弁契約を結んで合弁会社を作ると書いてるぞ!」といきなり怒鳴られました。自分が何度も共同が書いている合弁会社は既に存在しているし、いすゞは90年代からその合弁会社でトラックを作っていると主張しても信じてもらえずやたら怒られ書きなおすように言われ、書き直せったって書きなおしようがないと思ってどうしようかと思ってたらその編集長から再び電話が来て、「読売の記事だと合弁契約を更新って書いてるね」なんて言い出し、ようやくその時点で自分の主張というか取材が正しいと信じてもらえました。
この時は、マスコミ関係者は自分の取材内容やいすゞが出したプレスリリース文より共同通信の記事の方を信じるのかと思うと同時に、よそが書いていればその内容は事実だとメディア関係者は無条件に信じるのだなと皮肉っぽく覚えました。
話は戻りますが、佐村河内の詐称事件で「マスコミの相互監視」を忠実に果たしたのは週刊文春だけで、いくつかのメディアはわかっていながらその役割を確信犯で無視しておきながらしたり顔をしていました。こんな有様ではとてもマスコミの暴走を食い止めるなんて夢物語ではないかと私は思い、やはり何かしらメディアというかマスコミを監視する存在が必要なのではないかと考えています。
この点について友人に話を振った所、それはネットじゃないかと言われました。私の意見は、ネットも確かにそうだが、ネットの意見はマスコミに対して批判的である一方で、大手メディアの報じる内容を意外と信じ込む傾向があり、一部の抑止力となり得てもやはりカウンターメディアとはなり得ないと思います。なら何がカウンターメディアとなり得るか、強いて挙げればNPOではないかと思いますが、リーマンショック以降は不景気なもんだからNPOもあまり聞かなくなったので先はまだまだ長いと思う次第です。
おまけ
高校時代、「HAGE&ASKA」というあだ名の友人がいました。いい友人でした。
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